アナと南国の王子、そしてエレン

トイプーのアナと孫の保育日記をのんびりと書いています
2018年4月30日パピヨンのエレンも仲間に入りました

一度はフランスの旅(マドレーヌ寺院とコンコルド広場)

2018-08-30 07:00:00 | ハリー
長くなっていますが、とうとう最終日です。

この日は空港に行く時間まで、自由行動です。

旅の間に親しくして頂いたHさん親子は、パリのディズニーランド訪問の為、1日帰国を伸ばしていました。

という事で、ババとリンちゃんと2人だけの自由行動です!!



他のご夫婦の方々はタクシーを使う方が多かったんですが、

メトロの乗車券が残ってたので、またまたメトロで街中まで行きました。



ギリシャ神殿のような「マドレーヌ寺院」。

ルイ15世により聖女マドレーヌに捧げる教会として1764年に建設が始まりましたが中断し、

1777年に再び工事が始まったものの、フランス革命の勃発により基礎工事半ばの状態で中断したそうです。



1805年、ナポレオン1世がフランス軍の名誉を讃える栄光の神殿とすることを決定し、

建築家ピエール・ヴィーニョン(1763-1828年)が古代神殿風のデザインで設計したそうです。



1806年に工事を再開。ナポレオンの失脚後、ルイ18世によってカトリック教会に用途が戻され、1842年に完成しました。



ここは、ツアーに入ってない所なので、とても静かで荘厳な雰囲気のある教会です。



私達もロウソクを買い、にわかクリスチャンになりました。

36年前に覚えた、聖書の言葉を心の中で呟いていました。

フランスに来て、色々な教会を観光したけど、キリストに祈ったのはここだけでした。



マドレーヌ寺院正面入り口からの眺めです。

雨がパラパラと降りそうなお天気だったので、どんよりしてますね。



マドレーヌ寺院正面からの道を進むと、コンコルド広場に着きました。



コンコルド広場の中心部にある、ひと際目立つ一本の柱、オベリスクは、1836年にエジプトのルクソール神殿から運んできた「Luxor Obelisk(クレオパトラの針)」だそうです。



1755年に「アンジュ=ジャック・ガブリエル」によって設計されたコンコルド広場は、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたので「ルイ15世広場」と呼ばれていたそうです。

その後、フランス革命勃発により、騎馬像は取り払われ「革命広場」に改められました。



そしてフランス革命中、コンコルド広場は処刑を行う刑場であり、かの有名なルイ16世やマリー・アントワネットもこの広場で処刑(斬首)されたそうです。



残虐な歴史を持つこの広場は、1795年に「調和」の意味を持つ「コンコルド広場」と呼ばれるようになったそうです。

悲しい歴史を持つ広場ですが、エッフェル塔も凱旋門も見える美しい広場です。

この噴水の水は冬には凍るため、止められるそうです。

さて、次は何処に行くかな〜〜


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