味噌屋さん。酒屋、醤油屋、味噌屋は立派と決まっている。
味噌屋なのに屋号は油屋。二代目が商売替えをしたとのこと。
味噌蔵。味噌を売っているほか、田楽を食べさせてくれる。
神社。もうすぐお祭りなのかな。
商家になんとなくアンバランスな「○○商事株式会社」の看板。
肥料の看板。メーカーは、なんと旭化成だった。燐分を追加した硝酸アンモニウム?
土地の名家、岡田家の屋敷。今は記念館になっている。
門から中を覗いてみる。
電話は1番。これだけでも土地の名士だということがよくわかる。
いまでも「0282(22)0001」らしい。市内局番が付いたときに、2から始まるのが普通だった(1からはじめると110番なんかと干渉するので)。その後桁数が増えたときにもうひと文字追加されている。電話1番→(2)0001→(22)0001ということかな。
代々嘉右衛門さんを名乗っているようで、町名も嘉右ヱ門町になっている。
運河代わりに使われた巴浪川。うずまがわという難しい読み。
無料休憩所になっている蔵。
きれいにリフォームされた理髪館。
なかなか風情がある。シニアの皆さんも元気に歩いている。
洋館風。
嘉右ヱ門町の伝統的建築物保存地区を抜けて大通へ。交番まで蔵造りになっている。
裏通りに入ったところにある「栃木病院」。洋風の建築だ。
巴波川の水はきれいだ。水量が少ないので、かつての水運がイメージしにくいが。
県立栃木高校。立派な正門だ。
旧校舎が記念館として保存されている。
高校のそばには「県庁堀」が流れている。廃藩置県で栃木県が誕生して以来、県庁が置かれていた。その後、明治6年に宇都宮県と合併。明治17年に宇都宮に県庁が移されるまで、高校の敷地周辺に県庁があったという。県名と同じ地名なのに県庁がないのは栃木市、山梨市と沖縄市だが、山梨と沖縄は合併や改称で後から名前が付いたので、県名の由来となった都市で県庁がないのはここ栃木市だけだ。
県庁堀に沿って歩いて行くと、旧栃木市役所があり、そこにも旧館が保存されている。案内板があり、なぜ県庁が移ったかが記されている。「県令三島通庸が強引に宇都宮に持って行った」という悔しさあふれる表現が心を打つ。
山本有三の文学碑。「路傍の石」の作者は栃木出身だとか。子供の頃に途中まで読んだっきりだった。
旧庁舎を見る。つい最近まで現役だったとのこと。
表側に回って玄関。
街歩きを続ける。商家の荷揚場。
今は記念館になっている商家。左半分は栃木初の銀行として営業していたとのこと。
橋も立派な作りのものが多い。
蔵。
川沿いの民家。
水がきれいだ。この川は渡良瀬川につながっているという。
やがて、大きな商家が見えてきた。
地元NPOが運営する遊覧船。なかなか絵になっている。
青空がきれいなので、観光ポスターのような写真が撮れた。
ある街角。亀の子マークの日立、「ビクタービデオVHS」などなど、電気屋さんの看板が昭和だ。
極めつけは、SONYベータマックス。このシンプルなビジュアルはCMやテープのパッケージにも使われていて、品の良さを感じていたものだった。
しばらく歩いていると、立派な風呂屋さんを発見。2時頃というのに営業していた。
温泉ではないけれど早速入らせてもらう。風情のある建物だ。風呂はよく手入れされていて気持ちよかった。入浴料300円。
しばらくのんびりさせてもらってから、駅に向かう。
栃木駅。JRと東武が乗り入れている。高架駅になって新装開店している。
さて、どうやって帰ろうかな。
駅から歩き出すと、建物の高さが低い典型的な地方都市の風情。ところが、旧・日光例幣使街道に入ると趣が一変した。なかなか風情のある商家と思われる民家。かなり傾いてるね。