お休み前のBLOG。

息抜きの海外旅行にも行けず、特急ひたちで東京と浜通りを行き来する平凡な日々を描くブログです。

外出自粛中に散歩(1)塩屋崎へ

2020-04-25 | ふくしま日記

 今週は家に帰るのをやめ、いわきに残ることにした。とは言っても一日中部屋にいるわけにも行かず、人に会わないように出かけることにした。

 10時半の江名・小名浜駅経由泉駅行のバスに乗って出発。いわき駅から乗っていたのは自分を含めて3人。途中、イオンの前の倉前バス停で一人降り、ヨークタウン谷川瀬から一人乗ってこられたが、自分が最後の一人となった。

 薄磯集落に入ってバスを降りる。

 この界隈も震災の津波で大きな被害を受けたところらしく、更地もしくは新しい建物が目立つ。

 Google Earthの3D表示は震災前の建物が記録されているようだ。震災前の集落の様子がよく分かる。

 今の航空写真はこんな感じで、海岸にあった集落のあとは県道のバイパスと防災緑地になっている。

 遠くに塩屋埼灯台が見える。「喜びも悲しみも幾歳月」のヒントとなった灯台長夫人の酒器が書かれたところ。

 だんだん近づいてきた。

 10mの防潮堤は「防災緑地」として整備されている。

 遠くに広野火力発電所の煙突が見えている。その右側は2Fかな。

 県道もガラガラ。海水浴場とのことだが、訪れる人もまばらだ。

 美空ひばりに縁があるようだ。

 広い砂浜。誰もいない海♪

 美空ひばりの像。近づくと音楽がなるらしい。

 灯台が近づいてきた。

 登り口。足元まで登れないかと思っていたのだが、

コロナの影響で参観休止で上にはいけなかった。眺めはきっといいのだろうな。

 岬を回り込んだところの波除神社。漁港の鎮守様のようだ。

 南側から見た塩屋埼灯台。

 こちらの豊間海岸も防災緑地が整備されている。

 この集落も海辺の家屋が軒並み流されたようだ。

 今は広い浜が広がるのみ。

 塩屋崎灯台と太平洋。

 さらに南側を見てみる。

 歩いていると、こんな名前のバス停。「ととろ」だったら可愛らしいのだが、「とどろ」と読むらしい。兎が渡る路とは由緒有りげ。

 さらに南に向けて歩くとバス通りは集落の中に入っていく。この辺は津波の被害が少なかったのか、古い民家も残っている。

 この辺は合磯(かっそ)と言う集落らしい。次の岬の先には、岩が。「二見ヶ浦」というらしい。反対側の海岸沿いには「新舞子」もあるので、名所になぞらえる本歌取りのような文化はこの街にもあるようだ。

 集落に置かれた謎のトレーラーハウス。アメリカンと言うか昭和30年代の21世紀のデザインと言うか。

 小名浜行のバスを待つ間に花を撮影。癒やされます。

 



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