あの頃はただ「愛している」が欲しかったのかもしれない
本当かどうかなんてどうでもよくて、「愛している」という音が欲しかった、ただ聞きたかった。
今はきっと「愛している」が聞けたとしても、あなたにとっての愛はなにか?と聞いてしまいそうでさえある。
セボンスターを今になって買い占めても何も満たされなかった感覚にそっくり。
意味なんて量なんてなくて、その言葉をくれたことに意味があるなんて到底思えないのは、心ではなく頭を使いすぎてしまったからだ。
感じ方を忘れてしまったからだ。
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