ウンチクの引き出し・ネタ帳№116
『「人類みな、兄弟姉妹」という根拠は?』
えぇ!!、今日のお題は、あまりにも壮大だよね!!
そうだね、まず、父、母(二人)、父方・母方の両親(四人)
・私たちの祖先は一世代遡るごとに2の倍数で幾何級数的(きかきゅうすうてき)に
増えるのであるから大変、鎌倉時代には十億以上という人口だったことになる?ここに、
「人類みな、兄弟姉妹」のヒントがある
鎌倉時代の人口は、一千万人と言われている、なのに十数億とは?なんだか変??
これは、多くの祖先が、世代世代で、大きく交わって来ているという根拠なのだ!!
1991年に氷河の中から発見された5000年前の男のミイラ(通称:アイスマン)
このアイスマンの遺伝子を持つ人(遺伝子がぴったりと一致した)がヨーロッパに13人いた?
これは調査した1300人の内100人に一人が彼の直接の子孫であったのだ!!驚きである
この事例から、アダムとイブが出発って言うことかな?
すなわち、人類はみな兄弟姉妹なのだ!!”
私たちの祖先は何人?
宗教学者による瞑想とヨーガの実践と理論、
スピリチュアリティ研究の諸課題 ブログより
今現代生きている人は、その祖先から連綿と命をつないできた結果だ。
そう思うと、改めて驚く。誰も欠けることなく、親が子供を生んで命を
つないできているのだ、と感動さえ覚える。親になる前に死んでいたら、
その下には子どもがいないわけだから、子孫が絶えているわけだから。
人類誕生以来、食料が今のように豊富にあったわけではない。
栽培も水田から食料が決まって収穫できたわけではないから、飢饉の時にも、
死ななかった人だけが子孫を残したわけだ。
その飢餓でも耐えられるDNAの子孫のみが、現代に残っているわけである。
つまり、人の体は、「飢餓仕様」に体ができている、と聞いたことがある。
逆に「飽食」には体はついていけない。
だから、すぐ糖尿や痛風になり、支障が起こるようだ。
人類誕生から100万年、人間は、「飢餓」を常態としての肉体で生き延びてきたのだろう。
日本に稲作が伝来して、ざっと2000年~3000年と考えて、それ以前の日本列島には、
20万人も満たない人口しか住んでいなかった。それも、山に木の実が実らないときもあるだろうし、
厳しい冬もある。そういう時には、弱い子どもは死に、衰えた老人は死んでしまう。
今年、熊が人里に出てくるのは、有史以前の人間と同じで、飢えている証拠だ。
その頃の人の寿命は20年~50年生きればいいほうだった。いつも、死が隣あわせであっただろう。
「少子高齢」の反対で、子どもは多く生み、多く死んでいた。
やせた人が多く、「多子低齢」の社会を構成していただろうと思う。
その中で栄養失調が多く、疫病にも免疫のできたもののみが次の世代の子どもを生んでいく。
体質として、飢餓に強く、疫病の免疫のある子が残っていく。
大目に見て、江戸時代、人生50年。信長の時代は、日本の人口は1000万人程度で、
今の1/10程度だったらしい。人口の調査は戸籍とか、住民票が正確に登録されているわけではないから、
大雑把である。
まあ、それでも、人間すなわち、あなたの祖先、私の祖先は生き延びてきた。
江戸時代は、私にとって、影も形もないけれど、そのころはどうなっていたのだろう。
よく、「自分の祖先は何々藩の家老だった」とか、
「何々藩の某氏の弟の子孫だ」とか、家系図があるから・・・と、
自分の出自を誇って言う方を見ているが、人間それって、なんだろう。
継ぎ足し、継ぎ足したうなぎのたれだ。元のたれが残っていると称しているが、数学的には、
数年でなくなっているという計算がある。
私には、両親が二代、その上の祖父母が三代前と数えて、一世代で30歳違う勘定で遡ることで、
時代を見ると面白い。10代の家系を遡ると300年になる、
そうすると、私の祖先は、
30年前の両親が二人、
60年前の三代前の祖父母が四人、
90年前の四代前の曽祖父母が八人、
120年前の直系の五代前が16人。
150年前の6代前が32人、
180年前の7代前が64人、
210年前の8代前が128人、
240年前の9代前が256人、
270年前の10代前が518人、
300年前の11代前が1036人。江戸元禄時代
私は、300年前の1036人のDNAブレンド品、
11代累計で2064人の股をくぐって生まれてきているのだ。
300年前の江戸時代1700年は、元禄の華やかな時代である。
こう考えると、ざっと300年前から自分の命の源流はすでに1036人、
累計では2000人の人を通って現在の自分につながっている。
そう思うと、あだや疎かに命のリレーを扱えない。
11代前の祖先は1036人、それが、もっと遡ると
12代前の祖先は2072人になり、
13代前の祖先は4144人になる。
14代前の祖先8288人(390年前)
15代前の祖先は1万6576人(420年前)となる。
390年前って、大阪夏冬の陣、夏の陣が終わり、徳川幕府の基礎固めのころだ。
その誰一人欠いても、私は存在していない。不思議なつながりである。
そして、420年前のちょうど、秀吉が小田原攻めをやっている頃、私の祖先が
1万6576人いて、それが15代前の祖先である。
ここまでくると、12~15代累計で31080人で、初代から11代まで
累計で2064人を加えると、総計3万3144人の祖先がいることになる。
これらの祖先3万3144人から私は血(DNA)を頂いていることになる。
これから先の祖先は、30年ごとに幾何級数的に増えていく。ところが、
日本の人口は一体何人だったと思う?
江戸時代の初めは1200万人、中ごろには3000万人になる。
それは有史以前の10万人規模の日本とは大違いである。
1500年~1750年までの250年で、人口が三倍になっている。
江戸時代は、順調に日本の人口は伸びている、と言っていいだろう。
その点では、徳川幕府の治世は成功している。戦国時代が終わり、徳川の天下統一
ができて社会の発展が望める。
飢餓を乗り越えて、人間ががんばって、かろうじて生き延びてきたのは、弥生時代以前の
人口は少ない時代である。それは、人類発祥から100万年の間の歴史の長いこと、ながいこと。
日本にはそんなに昔のことはわからないが、
紀元前6000年では、日本列島全体で2万人だ。何千年と10万~20万人で、人口が増えない。
狩猟で生きる限界があり、村全滅する疫病の流行がり、森のどんぐりができない年もある。
冬の越冬ができないで死ぬ子どももいる。人口が減ることもある。その中で、わずかに人間が
生き延びて、現代へつながるわけだ。
そして、現代の日本人がこうして生きているのだろう。
その間には、大陸から朝鮮人が渡ってきただろうし、シベリアからマンモスを追いかけてきた人
もいる。あるいは、南から島伝いに日本に来た海洋民族もいる。
平安時代の建物を見ると、夏向きの家が多いのは、日本人が南方から渡ってきたからだ、
という説がある。
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今日のウンチクは、ものの本からのウンチクの引き出しに、本当にストックされていない
お話だった。 いつものイガ爺であれば、大自然の摂理とか、いきとしいきるものとか、
森羅万象とか、衆生本来仏なりとか、いろいろ講釈を垂れてしまうが。
”こまい”(小さい)と天声が聞こえて、根拠となるものを取り上げたのである。
しかし、薄学の自分に、消え入りたい思いであります。
よって、今日は時間はかかりましたが 〆◆ 16:05分投稿
二千年となるとセ゛タ単位21桁のご先祖様
にもなりますよ。ハイ、エクセルで計算しました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/64b3e9b0a96e431c2f94b7f172ce5f43