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新しいシネマテークにかける期待2

2020-10-30 12:58:08 | 日記

新しいシネマテークにかける期待 Ⅱ 

( 釜山日報 2013.6.18)

 

年を取ることへの恐怖がもぞもぞとわき起こってきた頃,私は思いがけないところから至言を得た。映画『ザ·ストレート·ストーリー』は、一見して明らかに裕福とは言えない老人が、ちょっとした喧嘩がきっかけで疎遠になっていた兄の危篤を知らされ、芝刈り機で他の州に住む兄に会いに行くまでを描いたロードムービーである。

この映画の一番最後のセリフは 「お前、僕に会いに、それに乗ってここまで来たのかい?」だ。最近、バケットリストに代弁される、死ぬ前にしなければならない無数のことの中で、この映画は、兄に対する道義心、そして和解を最高の形で描き出したものだ。兄に会いにいく道のりは決して簡単でない。私たちの人生がそうであるように。雨や風、嵐に遭い、芝刈り機が故障し、やがて晴れ間が覗く。その中で、いろいろな出会いがある。

 

道で会ったある若者が老人に質問をする。「年をとると何がいいのですか」「いいことは何もないよね」。このセリフを聞いた瞬間、私に仏教の悟りのようなひらめきが起きた。そうだ。年をとっていいことなど何もない、それでも誰もが年を取るのだ。

デヴィッド·リンチ監督の作品の中にこのようなストーリーテリング的な映画は他にないという点で、この映画を観ることができたのは幸運だと言える。このような幸運が起きる場所が「映画の殿堂」(注:2011.10月オープン、釜山国際映画祭の主会場、シネマテーク部門移管)である。時には口に合わない料理のように意味も分からない作品もあるが、通りがかりの人から受けた親切のように、思いがけない幸運のような作品にも出会う。

 

「ザ・ハント」。子供が好きで、心のまっすぐな幼稚園の先生が、幼い少女にセクハラをしたかのような些細な嘘をつかれたことにより、人生が壊れていく映画。「真実は必ずや明らかになる」―過ちがなければすべて明らかになると、一体誰が言えるのか。インテリジェンスな視点による描写は、どのあたりからすれ違い、食い違い、やがて、純粋な幼い少女は嘘をつくまいが大人ならありうるという世の中の固定観念が、一人の人間の人生をどのようにして破壊していくのかを如実に見せてくれる。

「パラノイドパーク」。スケートボードを愛する純粋な心の美少年が、両親の離婚という重苦しさを吹き飛ばしたいばかりに貨物列車をハイジャックすることによって、生き地獄をさ迷う。それをみる我々も、少年とともに胸が引きちぎられる思いをする。

 

このような映画を見ている間、私はずっと借りを作っているような思いになる。私が彼らの名前さえ覚えられないにもかかわらず、遠い国の監督とスタッフたちは、世界に投げかけるメッセージをそれぞれ最善を尽くして映画という形にし、釜山のシネマテークのスタッフたちは、埃だらけの地下室の中から日の差す所へ持ち運んでくれるのだ。

友人の変化の過程を見守るように「私の左足」のダニエル·デイルイスの年取った姿を見たいと思っていたら、たまたま「リンカーン」を映画の殿堂で見つけた。教科書には一行しか書かれてない奴隷解放のリンカーンについて、法改正という命題にのみフォーカスを当てている。2時間半の間、骨董品屋でしか見られなくなった人間の尊厳について一喝するスティーブン·スピルバーグに出会った。

 

今もどこかで、映画にメッセージを込め、製作に勤しんでいる映画関係者たち、そしてその長いエンディングのクレジット・タイトルで最後の最後に映画会社のロゴが出るまで、席を立たずにじっと画面を見つめている律儀な観客たちがいる限り、世の中は正しく進むと信じたい。

そして、そんな彼らに惜しみない拍手を送る。

 

釜山日報に投稿した原本(韓国語)

http://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20130618000171

写真提供:釜山広域市/映画の殿堂