ご招待券を頂いて、日生劇場にて公演中の『ジェーン・エア』舞台版を見てきました。
日生…超懐かしい。
いったい何年ぶりだ。いや、少なくとも10年は来ていない。四季がまだ自劇場を持っていない頃、東京の本拠地といえばここで、オペラ座もエビータもジーザスクライストもみんな見たものです。CATSは仮設専用シアターだった。
市村さんが辞めてから四季の舞台はほとんど見てない。四季や市っちゃんに関係なく、転職したりで舞台から離れたんだよね。
ここは好きな劇場。曲線だけで形作られた優美さとレトロさ。とても風情がある。オペラ座の怪人はここに相応しかったなあ。演舞場上演は黒歴史だよ(笑)
だいぶ古くはなってるけど、記憶のままの独特な空間で、あのころのトキメキも蘇った。ピカピカじゃないところがいい。
トイレだけは改装してピカピカでしたよ(笑)
主演は松たか子。おおう生松たか子!
客席に入ると、張り出し舞台が最前列間際まで伸びていて、イングランドの荒野を再現。『ジーザス・クライスト・スーパースター』もそうだった。幕もない。この雰囲気、好みだ。期待感が高まる。
そしてステージ上に階段状の客席が左右に! スペシャルプレミアシートでした。目の前で役者を見下ろす特別席。
私たちは2階席。かつてお気に入りの役者を近くに見れる1階前列も何度も座ったけど、実は2階席も好き。というか、観劇は全体を見れる2階席の方が好きな場合がある。日生は2階も見やすいし。
舞台後方に穴が見え、人のアタマが見え隠れする。
「あれ何? オケ?」友。「そうかも。生のバックミュージック?」私。
ミュージカルじゃないのに贅沢だな。
始まったら松さんが歌い始めました。
ミュージカルだったのか←
知らなかったよおい。て、チケットと共にもらったチラシに書いてあったよ!
チラシあまり見てなかった…。話は知ってるし、キャストだけ見てたといううっかり野郎…。
とても良かったです。ミュージカルだけど、久々にストレートプレイと同じ感覚で“お芝居”を見れた感じ。
ミア・ワシコウスカとマイケル・ファスベンダーの映画版より時間が長いけれど、歌で綴られる分長くなるので、内容的には同じくらいのまとまり。ただ前半はかなりゆっくりじっくりでしたが、後半はさくっと省略したり改変したところも多かったですね。
ロチェスターの所から逃げ出し、荒野をさまよい野たれ死に寸前で助けてくれた副牧師とのあれこれは相当はしょられてました。彼は実はジェーンの従兄で、従姉にあたる姉妹もいるのに天涯孤独にされてた。幼少期に育ちいじめを受けていた叔母とその家の顛末も簡易。でも臨終の叔母との対峙はじっくり見せました。重要なシーンだから。
松さんは遠目では顔立ちははっきりしないものの、地味なドレスと髪型に加え、楚々とした雰囲気がジェーンらしい。
むしろずっと若いミアの方が古色然として、松さんは可憐でした。歌うからね。その声が可愛いんだ。
彼女はお父さんの代表作『ラ・マンチャの男』にも出てるし、歌えるだろうとは思ってた。高音部が多少きつそうでしたが、地声で伸びやかに歌う。ロチェスターの橋本たかしさんは初見でしたが、新感線の人でレミゼ他の東宝ミュージカルに出てるとか。とてもいい声。彼も高音域は出ずらいんですが、声質そのものが耳触りの良いバリトン。音大張り上げ唱法が好きではない私にはとてもとっつきやすく好感。
そりゃミュージカルは歌が第一かもしれませんがね。私には第一じゃないんだな。芝居ができる人じゃないとダメ。
『歌は演じろ、演技は歌え』ですよ。誰が言ったんだっけこの名文句。
音大出身者がみんなそうとは言わないけれど、音符を正確に綺麗に出してるような歌の上手さって魅力がない。感情だけたっぷりでもいただけない。ミュージカルの歌は、ストーリーの流れの中でセリフを歌で表現してるにすぎないので、演じてないと単なる独唱になる。
主役二人はきちんと演じてました。橋本さんのロチェスター、カッコ良かったわ。
他にはフェアファックス夫人の寿ひずるさん。エリザベートに続き拝見。この役、映画ではデイム・ジュディ・デンチでしたが、その存在感たるや(笑) けれどデイムに引けを取らない! 迫力も押し出しも歌唱力も抜群。エリザベートの時も、唯一ウィーン版に近いド迫力をかもしてたもんなー。宝塚男役でいらした低めの声が素晴らしく響き、セリフも力強い。もう一人元男役の旺なつきさんと共に、こういう時に宝塚卒業生の強みを感じる。大舞台での身の置き所、衣装のさばき方、目線、どれをとっても安心して見てられる。広いステージは、想像以上に不慣れだと空間を上手く使えない。ちっさく見えちゃうんですよ。ヅカのステージは大勢が踊るだけの幅と奥行きがある。ステージだけで育ってない松さんは、ありゃやはり血だね(笑)
それと少女時代のジェーンを演じた子役がすんばらしかったわもう。歌唱力も高いというか、ブレがない。めっちゃ安定してる。
場数踏んでる子なのか、度胸がいいのか。脱帽した。少女ジェーンはかなり重要で、幼少期だけでなく、女性になった松ジェーンとあるシーンで一緒の場面に出てデュエットもする。冒頭、赤ん坊から少女のジェーンを未来の松ジェーンが黒子のように後ろでみつめてる。二部にその逆パターンを取るという演出は秀逸。最小限の大道具、照明や人物の動きで場面転換を見せるやり方は、幕がなく部屋を引いてもこないのに、屋内、庭、屋根裏、荒野と次々と場面を変えていく。演出素晴らしいなと思ったら、ジョン・ケアード氏だったのか…(^_^;) レ・ミゼラブルも彼の演出。名演出家です。
日生の空間にまたふさわしいんだこれが。歌やキャストも良かったけど、実は一番演出と舞台転換に感心したという。一緒に行った友人もかつて舞台見てたせいか同意。
惜しいところは、ジェーンがロチェスター候の秘密を知って、彼の元を去る決心をする心の動きや二人のやり取りがさほどなく、あっさりだったこと。原作では何ページにもわたる会話と、ジェーンの内面の葛藤の描写が延々と続くかなり肝の部分。
映画でも物足りないと書いたけど、映画の方がずっとあった(笑) ジェーンは夜中にロチェスター他誰にも知られずに出てゆくはずが、目の前で別れを告げて去ってた(^_^;)
この点に関しては映画の方が原作をかなり踏襲はしてた。舞台版、それもミュージカルということで見せるポイントは変わるけれど、舞台を見て改めて、映画版の良さも再認識しましたね。映画では“寡黙”である、語らずに見せることも可能。ミアは年に合わず老成してさえ見え、内面の激しさを秘めた演技をしていた。
松さんの場合、黙ってることはあまりできないわけで。主役だし歌わないと(笑) 後ろ盾もいない孤独な、まだ18、9歳の家庭教師という居場所のなさ、中途半端な地位、それらを彼女が登場しないシーンに後ろに立たせて語らせる形で表現。舞台と映画じゃこうも変わってくる、いや変えられるのが面白い。
重婚はできずとも、誰も知らない異国の地を旅し、二人寄り添い生きていこうと懇願するロチェスターを振り切り、彼を見捨てる形をとる決心をするジェーンの心の内。倫理観と自尊心、愛する人へ向かう心身と献身と犠牲心。そのはざまで苦しみ抜いた末に、辛くてもどうしてもこうするのだという沸き起こる声を頼りに旅だつジェーンは、女性の自立と共に、キリスト教的概念より英国に根付くスピリチュアルリズムを感じます。魂の声に従えという。
このシーンがない点だけは不満かな。映画で見れたのは良かった。
いやほんと、久々に腰を落ち着けて舞台を楽しめました。これも愛の物語なのに、演出や舞台背景が違うとこうも落ち着くとは(笑) いかに自分が、東宝版エリザベートのスィーツ演出が厳しかったか実感できました(笑) もともとオペラ座よりジーザスやレミゼの方が好きだからねえ(^_^;)
カーテンコールでの松さん、ものすごいキビキビしゃっきりしてた。丁寧なんだけど、この人中身男前だよね(笑)
ミュージカル『ジェーン・エア』ダイジェスト映像
2012年10月初稿
これ再演しないかな。『秘めた想い』は名曲。
日生…超懐かしい。
いったい何年ぶりだ。いや、少なくとも10年は来ていない。四季がまだ自劇場を持っていない頃、東京の本拠地といえばここで、オペラ座もエビータもジーザスクライストもみんな見たものです。CATSは仮設専用シアターだった。
市村さんが辞めてから四季の舞台はほとんど見てない。四季や市っちゃんに関係なく、転職したりで舞台から離れたんだよね。
ここは好きな劇場。曲線だけで形作られた優美さとレトロさ。とても風情がある。オペラ座の怪人はここに相応しかったなあ。演舞場上演は黒歴史だよ(笑)
だいぶ古くはなってるけど、記憶のままの独特な空間で、あのころのトキメキも蘇った。ピカピカじゃないところがいい。
トイレだけは改装してピカピカでしたよ(笑)
主演は松たか子。おおう生松たか子!
客席に入ると、張り出し舞台が最前列間際まで伸びていて、イングランドの荒野を再現。『ジーザス・クライスト・スーパースター』もそうだった。幕もない。この雰囲気、好みだ。期待感が高まる。
そしてステージ上に階段状の客席が左右に! スペシャルプレミアシートでした。目の前で役者を見下ろす特別席。
私たちは2階席。かつてお気に入りの役者を近くに見れる1階前列も何度も座ったけど、実は2階席も好き。というか、観劇は全体を見れる2階席の方が好きな場合がある。日生は2階も見やすいし。
舞台後方に穴が見え、人のアタマが見え隠れする。
「あれ何? オケ?」友。「そうかも。生のバックミュージック?」私。
ミュージカルじゃないのに贅沢だな。
始まったら松さんが歌い始めました。
ミュージカルだったのか←
知らなかったよおい。て、チケットと共にもらったチラシに書いてあったよ!
チラシあまり見てなかった…。話は知ってるし、キャストだけ見てたといううっかり野郎…。
とても良かったです。ミュージカルだけど、久々にストレートプレイと同じ感覚で“お芝居”を見れた感じ。
ミア・ワシコウスカとマイケル・ファスベンダーの映画版より時間が長いけれど、歌で綴られる分長くなるので、内容的には同じくらいのまとまり。ただ前半はかなりゆっくりじっくりでしたが、後半はさくっと省略したり改変したところも多かったですね。
ロチェスターの所から逃げ出し、荒野をさまよい野たれ死に寸前で助けてくれた副牧師とのあれこれは相当はしょられてました。彼は実はジェーンの従兄で、従姉にあたる姉妹もいるのに天涯孤独にされてた。幼少期に育ちいじめを受けていた叔母とその家の顛末も簡易。でも臨終の叔母との対峙はじっくり見せました。重要なシーンだから。
松さんは遠目では顔立ちははっきりしないものの、地味なドレスと髪型に加え、楚々とした雰囲気がジェーンらしい。
むしろずっと若いミアの方が古色然として、松さんは可憐でした。歌うからね。その声が可愛いんだ。
彼女はお父さんの代表作『ラ・マンチャの男』にも出てるし、歌えるだろうとは思ってた。高音部が多少きつそうでしたが、地声で伸びやかに歌う。ロチェスターの橋本たかしさんは初見でしたが、新感線の人でレミゼ他の東宝ミュージカルに出てるとか。とてもいい声。彼も高音域は出ずらいんですが、声質そのものが耳触りの良いバリトン。音大張り上げ唱法が好きではない私にはとてもとっつきやすく好感。
そりゃミュージカルは歌が第一かもしれませんがね。私には第一じゃないんだな。芝居ができる人じゃないとダメ。
『歌は演じろ、演技は歌え』ですよ。誰が言ったんだっけこの名文句。
音大出身者がみんなそうとは言わないけれど、音符を正確に綺麗に出してるような歌の上手さって魅力がない。感情だけたっぷりでもいただけない。ミュージカルの歌は、ストーリーの流れの中でセリフを歌で表現してるにすぎないので、演じてないと単なる独唱になる。
主役二人はきちんと演じてました。橋本さんのロチェスター、カッコ良かったわ。
他にはフェアファックス夫人の寿ひずるさん。エリザベートに続き拝見。この役、映画ではデイム・ジュディ・デンチでしたが、その存在感たるや(笑) けれどデイムに引けを取らない! 迫力も押し出しも歌唱力も抜群。エリザベートの時も、唯一ウィーン版に近いド迫力をかもしてたもんなー。宝塚男役でいらした低めの声が素晴らしく響き、セリフも力強い。もう一人元男役の旺なつきさんと共に、こういう時に宝塚卒業生の強みを感じる。大舞台での身の置き所、衣装のさばき方、目線、どれをとっても安心して見てられる。広いステージは、想像以上に不慣れだと空間を上手く使えない。ちっさく見えちゃうんですよ。ヅカのステージは大勢が踊るだけの幅と奥行きがある。ステージだけで育ってない松さんは、ありゃやはり血だね(笑)
それと少女時代のジェーンを演じた子役がすんばらしかったわもう。歌唱力も高いというか、ブレがない。めっちゃ安定してる。
場数踏んでる子なのか、度胸がいいのか。脱帽した。少女ジェーンはかなり重要で、幼少期だけでなく、女性になった松ジェーンとあるシーンで一緒の場面に出てデュエットもする。冒頭、赤ん坊から少女のジェーンを未来の松ジェーンが黒子のように後ろでみつめてる。二部にその逆パターンを取るという演出は秀逸。最小限の大道具、照明や人物の動きで場面転換を見せるやり方は、幕がなく部屋を引いてもこないのに、屋内、庭、屋根裏、荒野と次々と場面を変えていく。演出素晴らしいなと思ったら、ジョン・ケアード氏だったのか…(^_^;) レ・ミゼラブルも彼の演出。名演出家です。
日生の空間にまたふさわしいんだこれが。歌やキャストも良かったけど、実は一番演出と舞台転換に感心したという。一緒に行った友人もかつて舞台見てたせいか同意。
惜しいところは、ジェーンがロチェスター候の秘密を知って、彼の元を去る決心をする心の動きや二人のやり取りがさほどなく、あっさりだったこと。原作では何ページにもわたる会話と、ジェーンの内面の葛藤の描写が延々と続くかなり肝の部分。
映画でも物足りないと書いたけど、映画の方がずっとあった(笑) ジェーンは夜中にロチェスター他誰にも知られずに出てゆくはずが、目の前で別れを告げて去ってた(^_^;)
この点に関しては映画の方が原作をかなり踏襲はしてた。舞台版、それもミュージカルということで見せるポイントは変わるけれど、舞台を見て改めて、映画版の良さも再認識しましたね。映画では“寡黙”である、語らずに見せることも可能。ミアは年に合わず老成してさえ見え、内面の激しさを秘めた演技をしていた。
松さんの場合、黙ってることはあまりできないわけで。主役だし歌わないと(笑) 後ろ盾もいない孤独な、まだ18、9歳の家庭教師という居場所のなさ、中途半端な地位、それらを彼女が登場しないシーンに後ろに立たせて語らせる形で表現。舞台と映画じゃこうも変わってくる、いや変えられるのが面白い。
重婚はできずとも、誰も知らない異国の地を旅し、二人寄り添い生きていこうと懇願するロチェスターを振り切り、彼を見捨てる形をとる決心をするジェーンの心の内。倫理観と自尊心、愛する人へ向かう心身と献身と犠牲心。そのはざまで苦しみ抜いた末に、辛くてもどうしてもこうするのだという沸き起こる声を頼りに旅だつジェーンは、女性の自立と共に、キリスト教的概念より英国に根付くスピリチュアルリズムを感じます。魂の声に従えという。
このシーンがない点だけは不満かな。映画で見れたのは良かった。
いやほんと、久々に腰を落ち着けて舞台を楽しめました。これも愛の物語なのに、演出や舞台背景が違うとこうも落ち着くとは(笑) いかに自分が、東宝版エリザベートのスィーツ演出が厳しかったか実感できました(笑) もともとオペラ座よりジーザスやレミゼの方が好きだからねえ(^_^;)
カーテンコールでの松さん、ものすごいキビキビしゃっきりしてた。丁寧なんだけど、この人中身男前だよね(笑)
ミュージカル『ジェーン・エア』ダイジェスト映像
2012年10月初稿
これ再演しないかな。『秘めた想い』は名曲。
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