「ここは私が守りますっ!
たぶん……はい、すみません……。」
津軽地方を統一した津軽為信が築城を始め、その子である信枚が慶長16年に完成させた。当初は五重の天守が構えられていたが、落雷により消失。以後200年近く、天守のない状態が続くも、文化7年に本丸の辰巳櫓を三重に改築し、天守の代用とした。これが現在見られる天守であり、東北から関東にかけて唯一現存する天守でもある。この天守を含め、3基の櫓と5棟の城門は、いずれも国の重要文化財に指定されている。
現存する十二天守としては最北の城である弘前城。築城当初は「鷹岡城」と呼ばれていたが、南光坊天海のアドバイスに従って改称された。謝り癖があり、「すみません」が口癖。