「お待ちしておりました。今、お茶を淹れますので、そこに座っていてください。」
上杉景勝が会津を政治経済の拠点にすべく、直江兼続に築かせた神指城。会津若松城の倍ほどの巨城の普請は家康の会津討伐の口実ともなり、徳川が進軍により工事は未完のまま中断。関ヶ原の後、上杉転封に伴い破却され、石垣等が会津若松城に移された。おしとやかで純粋な性格である一方、ふとしたときに少し儚げな雰囲気を放つことも。自分の仲間や城主は守り抜きたい、という強い意志を持っており、その強さを持つ会津若松城を慕っている。直江兼続が出した直江状がきっかけに会津征伐が始まってしまったこともあり、書状についてよく気にかけてしまう一面もある。
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