平氏と六波羅との関わりは、平清盛の祖父正盛が六波羅蜜寺境内に供養堂を建立した事に始まる。そして清盛の父忠盛の時、その境内に館が造営されたといわれる。
その後清盛の時代、清盛の「泉殿」・弟頼盛の「池殿」を中心に、付近一帯に平氏一門の邸宅や政庁が立ち並び、平氏本拠地として栄えた。1160年(平治1)平治の乱の際、平清盛はこの地に二条天皇を迎え、六条河原で源義朝に勝利している。
1221年(承久3)承久の乱後、鎌倉幕府は平氏館跡に六波羅探題を設置し、京の警備・監視に当たったが、1333年(元弘3)足利高氏(尊氏)に攻められ滅びた。
一帯は宅地化されているが、六波羅蜜寺境内に碑や清盛塚があり、また南側には泉殿町(現在の三盛町)、池殿町の地名が残されている。