speranza様より、皇室の海外ご訪問について検証したいとのお申し出がありました。
以下は、speranza様より寄せられたコメントです。
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皇太子殿下の 国連会議の基調講演が、なぜ「私的旅行」になるのか、を始め、
平成になってからの「海外訪問の表記と公私の分け方」を中心に、宮内庁の「アンバランスさ」を追及したいと思います。
ぱっと見ただけでも、平成初期の天皇皇后の海外滞在は2週間にわたることが多く、
雲仙普賢岳の噴火から7ヶ月後、北海道沖地震から1カ月足らずで海外訪問を行っています。
このあたりも、3.11後のウィリアム王子の結婚式欠席と比較できたら、と考えています。
今、宮内庁HPから東宮家、天皇皇后、秋篠宮家の海外訪問を全て拾い出しているところです。
HPに記載のある平成からのものだけですが、必要に応じて昭和のものを資料としてつけるようにしたいと思っております。
1)海外訪問の内容(公私の分け方への疑問)
2)日数(〇泊〇日)、お立ち寄り(果たして必要か?)など
3)災害のあった直後の海外訪問
4)海外訪問当時の皇室の状況(皇太子様ご成婚、雅子様の状況など)
などを合わせて東宮家との記事の矛盾や疑問点を出していく方向で作業しております。
思考の中ではかなり広がって行っておりますので、コンパクトにまとめていきます。
本当に皇室外交になる海外訪問とは何か、まで議論が進むきっかけになる記事を書いていければと思っています。
足りない部分が多いと思いますので、皆さまの鋭い指摘をお願いします。
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たいへん興味深い検証ですね。
(1)や(2)などは、国内公務についても、ぜひ検証していきたい項目です。
speranza様、皆様、どうぞよろしくお願いします。
以下は、speranza様より寄せられたコメントです。
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皇太子殿下の 国連会議の基調講演が、なぜ「私的旅行」になるのか、を始め、
平成になってからの「海外訪問の表記と公私の分け方」を中心に、宮内庁の「アンバランスさ」を追及したいと思います。
ぱっと見ただけでも、平成初期の天皇皇后の海外滞在は2週間にわたることが多く、
雲仙普賢岳の噴火から7ヶ月後、北海道沖地震から1カ月足らずで海外訪問を行っています。
このあたりも、3.11後のウィリアム王子の結婚式欠席と比較できたら、と考えています。
今、宮内庁HPから東宮家、天皇皇后、秋篠宮家の海外訪問を全て拾い出しているところです。
HPに記載のある平成からのものだけですが、必要に応じて昭和のものを資料としてつけるようにしたいと思っております。
1)海外訪問の内容(公私の分け方への疑問)
2)日数(〇泊〇日)、お立ち寄り(果たして必要か?)など
3)災害のあった直後の海外訪問
4)海外訪問当時の皇室の状況(皇太子様ご成婚、雅子様の状況など)
などを合わせて東宮家との記事の矛盾や疑問点を出していく方向で作業しております。
思考の中ではかなり広がって行っておりますので、コンパクトにまとめていきます。
本当に皇室外交になる海外訪問とは何か、まで議論が進むきっかけになる記事を書いていければと思っています。
足りない部分が多いと思いますので、皆さまの鋭い指摘をお願いします。
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たいへん興味深い検証ですね。
(1)や(2)などは、国内公務についても、ぜひ検証していきたい項目です。
speranza様、皆様、どうぞよろしくお願いします。
皇室評論家が書いた本に、そのような記述があったのを思い出しました。
それを見つければ、雅子さまが海外訪問中に行事を欠席されても、美智子妃も欠席したという前例があるのですから、何ら問題はありません。
ましてや、あらかじめ訪問先に連絡して相手国から了承を得ていれば、雅子さまが責められる理由はどこにもありません。
記載開始時期とそれらに関する考察はDianthusさまがなさっておられますので記載開始時期と皇室に起きた出来事の関係は割愛させて頂きます。
まず海外訪問の形に目を向けたいと思います。
ホームページ<皇室のご活動>から<ご日程>を開くと下部に訪問国と年度が記載されています。海外訪問には2つの表記があります。
「ご訪問」と「ご旅行」です。
<ご日程>の下部に海外訪問の内容へのリンクがあります。
こちらを見ると
海外訪問の回数
天皇皇后両陛下…海外訪問17回うち「ご旅行」2回(平成元年~)
皇太子同妃両殿下…海外訪問20回うち「ご旅行」6回(平成14年1月~)
文仁親王同妃両殿下…海外訪問8回うち「ご旅行」2回(平成17年7月~)
<ご日程>のページではこれだけですが、さらに月別の日程を見ていくと記載にないものがあります。
皇太子殿下…平成14年 オランダご訪問(オランダ皇太子挙式ご参列)
他ご旅行1回(オランダご静養:皇太子妃殿下、敬宮愛子内親王殿下ご同行)
文仁親王殿下…ご旅行7回(うち1回は眞子内親王殿下アイルランド海外学習)
「ご訪問」と「ご旅行」の目的の違い
「ご訪問」と記載されているもの
招待または招請の申出があった。
友好親善を目的とする。
国交樹立記念式典や王族の挙式参列のため。
「ご旅行」と記載されているもの
王族の葬儀
調査・研究のための渡航(招待がある場合も含む)
と大別できます。
「招待」は明確な目的(式典ご参列など)があり相手国から招待があったもの、「招請の申出」は期日のないような申出(お誘い)に対し国交樹立式典等に合わせてご訪問されている場合とみてよいでしょう。この他に「ご訪問」に付随した「お立ち寄り」もあります。
「ご訪問」を皇族としての活動つまり「公」と考えてよいでしょう。
「ご旅行」は私的な興味対象あるいは感情(弔問)に基づいています。葬儀が「ご旅行」となっているのは招待ではなく知らせを受けて自主的に向かうものとして「ご旅行」という位置づけとなっているかもしれません。
葬儀が王族の結婚式のように公式訪問にならないのは日本のケガレの思想に基づくのかもしれません。
宮内庁の分け方を見ると「ご旅行」が「私」的活動の位置づけとなっているようです。
海外訪問の中の「ご旅行」
天皇皇后両陛下の場合
平成5年…ベルギー国王の葬儀にご参列
平成14年…皇后陛下のみ、「国際児童図書評議会」大会出席(招待による)
皇后陛下の場合は個人の活動ということでご旅行という扱いになっていると思われます。
皇后陛下は同大会の名誉総裁としてご出席です。
皇太子殿下の場合
(※印…ご日程に記載なし)
平成17年…サウジアラビアご弔問
※平成18年…皇太子同妃両殿下、敬宮愛子内親王殿下オランダご旅行
(ベアトリクス女王陛下の招待によるご静養)
平成20年…トンガご旅行 葬儀ご参列
平成21年…トルコご旅行 「第5回世界水フォーラム」ご臨席(招待による)
平成23年…サウジアラビアご弔問
平成24年…サウジアラビアご弔問
平成25年…アメリカご旅行 国連「水と災害に関する特別会合」(招待による)
皇太子殿下は国連で皇族初の基調講演をなさいました。
皇太子殿下は国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁です。
文仁親王殿下の場合(眞子内親王殿下のアイルランド海外学習を除く)
※印…ご日程に記載なし
平成17年…ルクセンブルク御旅行前大公妃の葬儀ご参列(文仁親王親王宮同妃両殿下)
※ 平成17年…タイご旅行 調査研究
※ 平成19年…タイご旅行 調査研究、名誉博士号授与
※ 平成19年…マダガスカルご旅行 調査研究 (眞子内親王殿下ご同行)
※ 平成22年…ラオスご旅行 式典出席、調査研究、タイお立ち寄り(眞子内親王殿下ご同行)
※ 平成23年…タイご旅行 名誉博士号授与
※ 平成24年…ベトナムご旅行 調査研究
※ 平成24年…タイご旅行 調査研究
平成25年…カンボジアご旅行 前国王の葬儀ご参列
葬儀ご参列、ご弔問を除くと皇后陛下、皇太子殿下の旅行は招待を受けた、水の研究に関する会議への出席です。
一方、文仁親王殿下は7回の御旅行は全て調査研究目的です。
そのうち2回は長女である眞子内親王殿下がご同行されています。同行の理由は記載されていません。
「ご日程」のページを見る限りでは皇太子殿下の「ご旅行」が多い印象を受けますが、実際には記載期間が短い文仁親王殿下と「ご旅行」は同数です。
皇太子殿下の記載時期と同じ平成14年まで遡ると文仁親王殿下の「ご旅行」にはタイへの渡航があります。
平成15年、文仁親王同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下ご同行、つまりご家族全員での渡航です。
目的はタイ王妃の72歳の祝意表明、名誉学位授与式ご出席、研究のためです。こちらもお子様方のご同行理由はありません。
お子様方が研究をなさると考えるのは無理がありますし、紀子妃殿下は大学では心理学を学ばれ、その後も悠仁親王殿下のお茶の水女子大学付属幼稚園入学に際して健康をテーマに研究準備をなさっているとの発表はあります。しかし文仁親王殿下は鳥類の研究をなさっておられます。
となれば、紀子妃殿下とお子様方のご同行は文仁親王殿下の研究旅行に関わってはいない渡航、つまり「私的なご旅行」ではないでしょうか。
オランダから招待を受けた皇太子殿下ご家族のご静養はバッシングの対象となりましたが、こうして見ると研究という目的に付随させる形で私的なご旅行も可能ということになります。
文仁親王同妃両殿下のルクセンブルク「ご旅行」に関して、日程詳細のページのタイトルは「ご訪問」となっています。これは単純な誤りであると考えられますが、正確を期すという意識が薄いのではないかと思われます。
皇太子殿下は「ご旅行」という一見私的な訪問に見えるタイトルが多くみられ、詳細は有りません。
一方、文仁親王殿下は同じ葬儀ご参列でも日程(詳細)が記載され、研究目的の「ご旅行」は「ご日程」ページには記載されていません。
天皇皇后両陛下、皇太子殿下の葬儀ご参列の場合、ご日程の概要があるだけですが、文仁親王殿下の葬儀ご参列の場合、ご日程の概要のほかに日程の詳細があります。文字数だけを見ればより多く活動をしているように見えます。
その内容は「ご日程概要」に空港名、弔問、昼食会などが追記されているものです。
これらは皇太子殿下も同様に行われているはずですが、なぜか記載はありません。
宮内庁の秋篠宮家よりの姿勢があり視覚的な印象操作がされています。
宮内庁ホームページには明らかに矛盾する表記もあります。
国内に目を向けると記憶に新しい天皇皇后両陛下のご旅行(平成25年4月15日~4月16日)があります。
宮内庁はご家族旅行、紀宮清子殿下(現黒田清子さん)とのご旅行を除く「初の私的旅行」と発表しました。当然、ホームページでの記載は「ご旅行」となるべきでしょう。しかし記載されていたのは「長野県ご訪問」でした。
その内容は知事、県議会議長、県警察本部長とのご挨拶、ご会食、そしてご視察とあんずの里ご訪問まで記載されています。
表記されたものを見て私的な旅行であると感じることは困難です。
皇太子殿下の海外訪問の中には2回の招待による水関連の会議出席があります。
活動内容からすれば皇太子殿下の「アメリカご旅行」は公務としてもおかしくないものです。しかし個人の研究対象と言うことで「ご旅行」となり、公的に「私的旅行」と発表された天皇皇后両陛下は「ご訪問」と記載されました。
このような矛盾した表記もあります。
皇太子殿下の水関係の海外訪問
平成18年「ご訪問」…メキシコでの「第4回世界水フォーラム」(ご招待したい旨の申出あり)
平成21年「ご旅行」…トルコでの招待を受けてご臨席なさった「第5回世界水フォーラム」(ご招待あり)
平成25年「ご旅行」…ニューヨークでの国連「水と災害に関する特別会合」(国際連合事務総長からのご招待)(皇太子殿下の基調講演あり)
内容は同じですが、宮内庁の公務への基準が突然変わったとしか思えません。
ここでも宮内庁の偏向が見えます。
秋篠宮家に第3子を望むという発言は平成15年に宮内庁長官から発せられました。
そして平成18年2月7日に紀子妃殿下のご懐妊が判明し、9月6日に秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになりました。
このことが宮内庁内の秋篠宮家寄りの姿勢に転じた理由であるという可能性は排除できません。
宮内庁の海外訪問に対する「ご訪問」と「ご旅行」は文字から読めとれるものとしては「公」と「私」であると思います。
実際に「私的海外旅行」と天皇陛下がおっしゃった皇太子殿下ご家族のオランダご静養は「ご旅行」となっています。
ですが、ある時期から皇太子殿下の「ご訪問」と同じ内容のものが「ご旅行」になり、天皇皇后両両陛下の公的に発表された「私的旅行」が「ご訪問」と記載するなど宮内庁の活動に対する記載方法は曖昧で矛盾に満ちています。
平成22年皇太子殿下のスウェーデンご訪問(ビクトリア王太子挙式ご参列)以降、ご日程の詳細が記載されているのは8回中1回(平成23年ドイツご訪問)のみです。
対して文仁親王殿下は6回の「ご訪問」と10回中2回の「ご旅行」まで詳細が記載されているのです。
ここでも皇太子殿下に対しては視覚的に活動が矮小化されています。
こうなると「ご訪問」と「ご旅行」の違いは宮内庁の胸三寸で決まっているように思えます。
本来皇太子殿下のサポートをするべき立場の宮内庁の偏向はマスコミのミスリードを後押しする形でバッシングへとつながっていると考えられます。
***********
「美智子妃」 河原敏明 著 講談社 刊
昭和62年10月12日 第1刷発行
73p.
天皇はすべて皇太子を御名代に立てていた(のち四十六年にベルギー、英国、西ドイツを公式に、デンマーク、オランダ、スイス、フランスは非公式に、さらに五十年には米国を公式訪問された)。
***********
昭和に書かれた本なので、天皇は昭和天皇、皇太子は明仁皇太子です。
この本を読むと、今の両陛下が皇太子同妃の時にされていた海外訪問は、すべて公式訪問とは言えないようです。
公的なのか、私的なのか、その曖昧な基準は、平成どころか昭和から既に見られていたと考えてよいのではないでしょうか。
>皇太子殿下の水関係の海外訪問
>平成18年「ご訪問」…メキシコでの「第4回世界水フォーラム」(ご招待したい旨の申出あり)
>平成21年「ご旅行」…トルコでの招待を受けてご臨席なさった「第5回世界水フォーラム」(ご招待あり)
>平成25年「ご旅行」…ニューヨークでの国連「水と災害に関する特別会合」(国際連合事務総長からのご招待)(皇太子殿下の基調講演あり)
宮内庁HPのご訪問についての説明を確認すると、
<トルコ国政府及び第5回世界水フォーラム運営委員会からの招待により,同国イスタンブール市において開催される「第5回世界水フォーラム」に御臨席のため・・・。>
世界水フォーラムは毎回、開催国の政府と世界水フォーラム運営委員会の共催で開かれています。
ですから、トルコ政府と世界水フォーラム運営委員会が共催する「第5回世界水フォーラム」へ招待したということ。
つまり、トルコ政府主催の公式行事への招待ではないので、公式訪問とはならない。
<メキシコ国大統領閣下から,本年3月の同国における「第4回世界水フォーラム」の開催に際し,皇太子殿下を同国に招待したい旨の申出があった。>
メキシコの場合は、同国に招待したい・・・とある。
つまり、「第4回世界水フォーラム」への招待も込みで国への招待があったのです。
メキシコの日程では、
フォックス大統領主催晩餐会(チャプルテペック城)
トルコの日程では、
ギュル大統領主催夕食会(ドルマバフチェ宮殿)
晩餐会は公式行事、夕食会は私的行事という分け方のようです。
公式訪問では、必ず晩餐会や午餐会が開かれますから、それを目安にされると良いでしょう。
で、国連の事務総長の招待では、公式訪問にはならない。
>平成22年皇太子殿下のスウェーデンご訪問(ビクトリア王太子挙式ご参列)以降、ご日程の詳細が記載されているのは8回中1回(平成23年ドイツご訪問)のみです。
>対して文仁親王殿下は6回の「ご訪問」と10回中2回の「ご旅行」まで詳細が記載されているのです。
>ここでも皇太子殿下に対しては視覚的に活動が矮小化されています。
日程の詳細は以前同様、別に記載されていますよ。
宮内庁HPの皇太子同妃両殿下のご日程の下部に外国訪問について記載があります。
それをクリックすると、日程の詳細が観られます。
また、皇太子同妃両殿下の記者会見の欄にある外国訪問時のご会見をクリックすると、それぞれのご訪問前のご会見やおことばが現われますが。
その中の訪問国をクリックすると、やはり日程の詳細が観られます。
秋篠宮ご夫妻の公務は日程のみですが。
皇太子ご夫妻の公務は、両陛下同様お写真も掲載されます。
また、宮内庁HPのトップには新着情報があり、陛下と皇太子殿下のおことばは必ず載りますが。
秋篠宮殿下のおことばは載りません。
ご指摘の通りだと思います。
昭和時代の皇太子(現在の天皇陛下)は昭和天皇のご名代として海外に「国際親善のためのご訪問」を多くなさいました。
さらにそのほとんどの場合、「お立ち寄り」もなさっています。
宮内庁ホームページの記載による昭和28年から63年までの海外訪問
(なお、明仁皇太子殿下のご成婚は昭和34年1959年4月10日)
海外訪問:24回(うち昭和28年は明仁皇太子殿下お一人の海外訪問)
明確な目的のあるもの5回
英国女王戴冠式参列
日米修好100年に際し訪問
ネパール国王戴冠式参列
日本人ブラジル移住70周年記念式典参列
英国皇太子結婚式参列(ご差違)
それ以外の19回は「国際親善のため」の訪問です。
英国女王戴冠式参列と14回の海外訪問(計15回)は昭和天皇のご名代です。
16回の海外訪問には「お立ち寄り」があります。
訪問日数も最小が3日、最大は昭和28年の英国を含むヨーロッパ14カ国を回られた時の197日。ほとんどが10日前後、半月にもわたる海外訪問も半数近くに登ります。
昭和だけで英国女王戴冠式の際のヨーロッパ長期滞在を除いても延べ66カ国のご訪問をなさっています。
はっきりとした目的がなく「公」と「私」が綯交ぜになっているようです。
戦後、他国の王族との交流を取り戻すという意味もあったかもしれませんが、昭和天皇が次の世代に新しい皇室外交をお任せになるという度量の広さあってのことだったように思います。
読売新聞 6月13日(木)17時30分配信
【マドリード=石浜友理】スペインを訪問中の皇太子さまは12日夜(日本時間13日未明)、マドリードの王宮で開かれたフェリペ皇太子夫妻主催の晩餐(ばんさん)会に出席された。
金色の装飾に彩られた天井画と華やかなシャンデリアが輝く「円柱の間」で開かれた晩餐会で、皇太子さまは「両国国民の相互理解と友好関係がますます深まることを期待しております」とあいさつ。後半は全てスペイン語であいさつし、東日本大震災で寄せられた支援に謝意を示された。あいさつが終わると、別室で聞いていたスペイン人の報道陣からも拍手と歓声があがった。これに先立ち、皇太子さまは、マドリード州上水管理研究センターをフェリペ皇太子とともに視察された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130613-00000956-yom-soci
皇太子殿下がスペイン語でも挨拶され、それが現地の方々の喝采を浴びたという記事です。
皇太子殿下の、実のある公式ご訪問ぶりが伝わってきます。
妃殿下ご同伴かどうかより、まずは皇太子殿下御自身の魅力、お仕事ぶりですよね。
ところが、この心温まる記事、まだ毎日新聞や産経新聞、日経新聞には配信されておりません。
朝日新聞には配信され、ご挨拶全文まで出ているのですが、肝心の、「スペインの人々の喝采」の部分が抜けています。
せっかくなら、やはりこういうところを報じて欲しいものです。
皇太子ご夫妻は3日にシカゴに到着されたが、皇太子は有名なシエド水族館を一時間余り熱心にご見学。
四種類のアメリカ産の魚をプレゼントされた。
この間、美智子さまはホテルでお休みになった。
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「美智子妃」
河原敏明 著 講談社 刊
昭和62年10月12日 第1刷発行
77p.
(明仁皇太子、美智子妃の初の訪米に関して、美智子妃についての記述です。)
そのため疲労が重なり二、三の予定をカットして休養をとり、皇太子だけがはたしたこともあった。
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昭和天皇の御名代として、初の訪米。
その時、美智子妃も疲労のため、公務を休まれました。
雅子妃の病状は、招待する国も理解している。
その雅子妃を批判するのは、招待する国をも批判する事になるのでは思います。
なお、シエド水族館でプレゼントされた魚のうちの一種類がブルーギルです。
陛下のスピーチによると、非常に重要な意味を持つ魚だったようですが、その魚を贈られた時に美智子妃はホテルで欠席されていたのです。
河原敏明 著 講談社 刊
昭和62年10月12日 第1刷発行
73p.
天皇はすべて皇太子を御名代に立てていた
中略
さらに付加すれば、天皇の訪問には外相、宮内庁長官以下三十人を超える随員、随行員が従うという、先進国らしからぬ大名行列になり、国政への影響や随員のスケジュールが絡む。結局、手軽にすむ皇太子の代行ですます、というパターンも見逃せない。
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これは昭和時代に書かれた本なので、天皇は昭和天皇、皇太子は明仁皇太子(今の天皇陛下)のことです。
平成の両陛下が海外訪問される時は、大名行列ではないのでしょうか?
気になる記述です。