血になぜ罪を贖う力があるのか(エペソ1・7)
「私たちはこの御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」
(エペソ1・7)
イエスの流された血のゆえに、イエスを信じるだけで、犠牲も払わずに罪赦されます。これが福音です。でも、なぜイエスの血に罪を赦す力があるのでしょうか。
?まず、罪とは創造主から切り離された状態をいいます。創造主から切り離されると、自分は何のために生きているのか、わからなくなります。存在意味、命の尊厳、目的を見失い、善悪の基準も不明となります。また、創造主から切り離されるということは、死んでいることであり、幹から切り離された枝のように実を結ぶこともなく、やがて朽ち果てるということです。この死は、肉体の死というより、たましいの死です。
?もちろん人間が苦しむことは愛なる神の願いではありません。人間を「罪=死」から救い出し、ご自分とのつながりを回復し、実を結ばせたいと望んでおられます。しかし、神は聖なる方ですから、罪に汚れたままの人間とつながるわけにはいきません。
?そこで罪のきよめが必要になります。私たちの罪をきよめる者は、罪のない者でなければなりません。ただし、これは人間の罪の問題ですから、きよめる者は人間でなければなりません。でも、罪のない人間は一人もいません。この矛盾を解決するただ一つの方法が、神の子キリストが人間としてこの世界に来て、罪のない自分の聖い命を投げ出し、人間の罪の身代わりとなることだったのです。
?律法に「肉の命は血の中にある」(レビ17・11)とあります。つまり、血が命を表すのです。キリスト以前のイスラエルの人々は動物をほふって血を流し、自分の「罪=死」の身代わりとしていました。けれども動物の血では完全な償いにはなりえず、罪を犯すたびに繰り返し血を流さなければなりませんでした。しかし、十字架で流されたイエスの血は罪に汚されていない聖い血であり、その血には永遠の命があります。この血によって全人類の罪が赦され、どんな罪人も永遠の命を受けることができます。
?すでに私たちのすべての罪は赦されています。どんな人間に対しても、罪の赦しは完了しています。要は、その罪の赦しを信仰と感謝で受け取るかどうかです。人が信じたとき救いが完成するのではなく、完成した救いを受け取るだけなのです。
https://www.glorychrist.com/2010/05/「挨拶」から実践しよう-96/