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断崖に咲く向日葵のように

流転

「流転」。
自身に何かあるときに(あったときに)、
よくこの「流転」という言葉を思い浮かべる。

「物事が移り変わっていくこと」を意味する言葉と、
よく説明書きされている。


移り変わっていかないモノなんて、何一つ無いのだろうから、
自身の(誰かの)身に何が起きたとしたなら、
その「流転」の今まさに移り変わろうとしている時に
立ち会っていたり、真っただ中に居たりするってことなのだろう。

そして今自分もまた「流転」を目の辺りにしている。
立ち会っている。
真っただ中にいる。

いつも自分自身のコトを、
自身に起きる出来事を、
まるで「他人事」のように「傍観者」として眺めるような
立ち振る舞いをしていた。
意識的にではなく、それは無意識なのだけど。
ま、そんなこと今は
どっちでもよいし、どうでもよいんだ。

「成り行きに身を任せるしかない」ってのはいつものことだが、
少しでも良い方向に流れて行かないとってなことぐらい、
少しは思うようになったんだが、果たしてどうなることやら。

自分がこの状況を何をどうしようとしても、
それをどう捉えて、思ったり考えてくれるか、
そのような人達と出会えるのか、、、、
「めぐり合わせ」って言う奴は
まるでポーカーで配られるカードみたいで、
あらたにはじまるときに配られる手札は
いつだって「ノーペア」で、
そこからどうやって、
ツーペア、スリーペアって仲間や味方を作ろうとしたり、
調子こいてフルハウスだロイヤルストレートフラッシュだなんてことを
してやろうかと考えたりしても、いかんせん思い通りにはならないんだ。
それは自身が持つ「運」ってやつなのだろう。
カードを投げろ、勝ち目はない。ジョーカーは奴の手の中だ、、、、
だなんて、まったく某シンガーの歌詞そのままだし、
実際そのようなモノのように思うんだ。
でも、
これはゲームじゃないし、
誰かに勝つとか負けるとかじゃないんだ。

気を付けた方がいい、、、、、に決まっているが、
だけど
何をどう気をつければいいというのか。
気をつけられるのなら、
とっくにそうしているし、そう出来ているだろう。
だとしたらこんなことにはならなかったんだ。

またひとつ
ガラガラと音を立てて崩れていくように
そして失われていくように、
物事が移り変わっていく。
成す術もなくー流転。



その手札に
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