旅人になりたいエンジニアの日記

こんにちは。
旅人になりたいエンジニアこと、ひろです。
日本国内、海外といろいろ旅したことを記録していきます。

南三陸 漁船と商店街と祈りの旅 その2

2015-05-24 23:19:30 | 東北

南三陸 漁船と商店街と祈りの旅 続きです。

 

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漁業体験の後は、

南三陸町の、防災対策庁舎へ。

 

☆防災対策庁舎------

天使の声。最後まで津波が来る、高台へ避難してくださいと注意を呼びかけ続けて亡くなった職員さんのいた場所です。

ここにはたくさんの折り鶴がお供えしてあり、募金箱もありました。

この建物、いったん解体が決められたそうですが、いろんな動きがあり、解体するかどうかはいったん保留になっているそうです。

 

ここの人たち、女川町もそうらしいのですが、もともと大きな津波が来ると言われていたそうです。

避難訓練もしていた、想定もしていた、防災意識もあった。

それでも・・・・・・。

という場所だそうです。

 

 

 

私たちが行ったとき、ちょうど大きなバスでこの場所を訪れた人たちがいました。

保存運動をしている方がここで署名を集めているとのことなので、私は署名しました。

観光地になっているわけではないのですが、この地でこういうことがあった、というのは見に来る人に大きな衝撃を与えるのであって・・・

だから見に来るし、写真を撮って、人に伝える。

私は賛成ですが、地元では見たくもないという方も多いそうです。そうですよね・・・。

 

 

写真の右側、建物の基礎が見えます。

ここも街の中で、防災対策庁舎の周りには建物がたくさんありました。

私たち外から来た人間は、現在の姿からものを見ますが、(当たり前ですが)もともとこうだったわけではありません。

昔の姿を見て、それがこうも無くなるのかと思うと、本当にびっくりしますよね。

 

 

 

空がとてもきれいなところでした。

またしばらく海沿いを移動して、旅館へ向かいます。

 

道はこんな感じ。盛り土をして、その周りに草が生えている所が多かったです。

 

 

ちなみに4年前、大学生の時にも宮城県に来て、

多賀城市、女川町、石巻市、気仙沼市あたりでいろいろ見たりボランティアをしたりしました。

市役所の方に実際に被害があったところを案内してもらったり、どう復興していくかの市議会を傍聴したり、

多賀城市では暑い中泥かきしたり(側溝の泥かきや、泥が押し寄せたお宅のお庭をきれいにする)、

瓦礫から見つかったもの整理(写真の復元、泥を落としてきれいにする、展示をするなど)をしました。

今でもボランティアセンターで受け入れとかはしているみたいですが、震災直後とは内容も変わってきています。

 

I・Uターンなどで若い人が地元に入り、

地域ビジネスもいろんなところでいろんな形で活発になってきている地域もあるそうです。

 

復興ではなく、街を作り替える。とか。

先日、少しですがそのようなお話を聞く機会があり、なんか・・・若者は強いなと思いました。

 

一方で、地盤沈下した土地や壊れた道、建物の取り壊し、直すこと

住宅、土地、職を失った人たちへの支援

などまだまだ問題はたくさんあります。

津波被害を受けた個所だけ見ても、どこからどう対処をすればいいのかわかりませんが、どうにかしないといけないことは確かです。

 

個人的にはいつか大地震がくると言われているところ出身なので、いろいろと考えてしまいます・・・。

 

 

 

この日は海のすぐそばの旅館に泊まりました。

この旅館の集落はほぼやられたそうですが、この旅館は無事だったそうで、集落のみんなが避難してきてしばらく旅館で暮らしたそうです。

でもすぐ近くの海は、まだ壊れた堤防がそのままになっていました。

 

海と道路を挟んですぐ集落です。

 

他にもお話を聞きましたが、ここの人たちは、海とともに暮らしていて、津波被害を受け、仕事もしばらくできなかったそうです。

仕事を再開するにはお金がかかる、船や加工場を再度作り、従業員を集める必要がある。とのことでした。

 

 

とてつもない話ですよね・・・。

被害を聞き、見ることで、ニュースよりももっともっと衝撃を受けました。

 

観光地でもないし、行ってみてくださいとは簡単にはすすめられるところではありませんが、

個人的には東北のために何かをしたいという思いがありますので、ここでこうやって紹介をし、皆さんに見てもらいました。

 

私が見たのもほんの一部、書ききれなかったこともたくさんあります。

写真もまだまだあります。

 

 

私が旅をする時には、ただ目の前のものを見るだけではなくて、

その土地に暮らす人とお話をし、そこであったことを知ることで、もっとその土地を知ることを大切にしています。

 

皆さんも、いろんなものを見て、いろいろ考えてみてください。

いい旅になりますように。では。

 


南三陸 漁船と商店街と祈りの旅

2015-05-24 21:07:55 | 東北

こんにちは、ひろです。

今日は、行ったのがかなり前になりますが、

去年の6月に南三陸町へ連れて行ってもらったので、そのお話です。

近々また宮城へ行く用事があるので、そのためにもまとめておこうと思いまして。。

※写真は小さいですが、リンクになっているので、クリックして大きいのをご覧ください。

 

 

南三陸町とは、宮城県北東部に位置する、太平洋に面した町です。

3.11の東日本大震災で多大な津波被害を受け、防災庁舎で職員さんが最後まで高台避難を呼びかけていたことで知られていますね。

 

私は震災の3か月後に、当時やっていたボランティアのメンバーと一緒に宮城県に行って、

津波の被害を見て絶望した記憶があります。

 

今回は全く同じ場所ではありませんが、地震後3年たった被災地に行く機会があるという事で

友達の知人がツアー参加者を募集されていたので、参加させてもらいました。

 

 

夜に東京の駅に集合してから、マイクロバスで移動。

朝6時前に、塩釜仲卸市場に到着!

市場がまだ空いていなかったので、しばらく近くの港で海を眺めていました。

 

市場から港までは歩いて2分かからないくらい。穏やかできれいな海でした。

前に来た時も思ったけど、本当にきれいで穏やかな海なんです。

私の出身地も太平洋側ですが、ドーン、ザブーンと音がして荒っぽいです。

でも、宮城の海は穏やかな音がします。きれいで海産物の恵みの海が、津波に化けるんですね・・・。

 

 

塩釜仲卸市場!

中の様子はこんな感じ。

仕入れたばっかりの大きなマグロや、貝や、見たことのない色のお魚など、とってもきれいで新鮮な魚介類がいっぱいでした。

ここでご飯を食べたわけではないのですが、いつまでも見ていたい場所でした。

 

☆塩釜仲卸市場------

鮮度抜群の魚介類が水揚げされ、県内外の料亭、お寿司屋さんなどさまざまな業者が仕入れを行う市場です。

観光にもぴったりで、マイ海鮮丼が作れたり、卸値で旬のお魚が買えたりします。

また、市場内にはマグロの専門店がいくつもあり、おいしいマグロの見分け方や価格のつけ方などのお話も聞けました。

市場見取り図にたくさんの商店が名を連ねているので、本当に見ているだけでも楽しい場所でした。

 

 

 

そこからバスで移動し、海沿いの道を走って「きぼうのかね商店街」へ。

 

☆きぼうのかね商店街------

宮城県女川町にあります。

女川駅前にはからくり時計があり、4つの鐘がありました。しかしその駅は津波で壊され、鐘も流されてしまいました。

後日、4つのうち1つの鐘が、がれきの中から見つかりました。

その鐘は現在「希望の鐘」としてこのきぼうのかね商店街に設置され、商店街のシンボルとなっているそうです。

 

木造のお店とプレハブのお店、雑貨店から床屋さんまで、いろんなジャンルのお店があり、町の皆さんの生活復興の場になっているそうです。

私はここで、サーフィン用の服からできた、手作りのコースターを買いました。

 

 

 

それから私たちは、津波の被害が大きかった、女川町の沿岸部へ。

3年前も同じ道を通って沿岸部に行ったのですが、当時と比べて瓦礫(建物や防風林、車などが破壊されたもの)は片づけられているものの、

何もない場所に少し背の高い草が生えているという感じでした。

壊れた建物、道はそのままになっている所も多く、すべてが再建されたわけではありませんでした。

 

そんな道を通ってたどり着いた沿岸部。女川病院の近くです。

 

女川病院は少し高い丘の上にあります。

丘の下の今は平たいところは、街。住宅も旅館も商店街もある、街でした。

 

昔の写真を見たことがあるのですが、

街の感じや海にすぐ近いというところなど、地元にそっくりで衝撃を受けたのを覚えています。。。

 

 引き波の威力です。

「津波が来たら、高くて、丈夫な建物に避難する。そんなのは間違いだという事がわかる場所に、今から行く」

4年前に、この場所に私たちを連れてきてくれた地元のひとが、ここに来る前に言っていました。

 

今は危険なので、立ち入り禁止になっていました。

遠くから建物を見ることと、何もない港に行くことしかできませんでしたが、3年前と大きくは変わっていない気がしました。

 

 

 

その後、津波の被害でたくさんの児童が亡くなってしまった小学校に行き、街の中を移動していきました。

小学校は、本当に悲惨。

丸い形の建物の、壁を波が無理やり剥ぎ取り、建物の基礎と、黒板とロッカーだけが残された教室。

子ども達が絵を描いた壁。ところどころ、まだ水たまりがありました。

 

慰霊の石碑があり、小学校のすぐそばには山があり、山に逃げることはできたのかなとか考えてしまいます。

観光地ではありませんが、今もたくさんの方がお参りに来られるそうです。

 

 

 

そして、街の中を通って、漁業体験をさせてもらえる場へ行きました。

 

ここからは、私が最も楽しみにしていた引き網体験です!

漁師さんの船に乗せてもらって、仕掛けておいた網を手で引いて上げ、

網に引っ掛かった海産物を取って、港のすぐそばで焼いて食べるというコースです!!!

 

早速長靴とライフジャケットを装備して船へ!

船の上で漁師さんが色々と教えてくださいました。

この辺も津波でやられて、しばらくは漁ができなかったこと。

カキの養殖の設備が全部流されたこと。

海の中の仕掛けも、たまっていたゴミもぜんぶ流されたことで、生態系が昔に戻ったこと。

 

漁ができるようになり、上等の海産物がとれるようになったのは、ごく最近のことだということ。

船の上からの景色!

 

カキの養殖設備

 

この日は風が強かったようで、目を開けているのが大変でした。

みんなで交代ごうたいで網を引きました。結構長かったですが、とれたのはこんな感じ。

シャコ、カレイ、ヒラメ、カニなどなどとれました。

 

これらと、ホヤガイと、ホタテを、漁師の奥さんたちが日本酒で蒸し焼きにしてくれました。^^

 

新鮮!おいしい!という私たちに、

そりゃそうだ、さっきまで海の底で泳いでたんだから。

甘いでしょ、おいしいものは全部甘いんです。

と、漁師さんたちが言っていました。すばらしい体験をさせてもらいました。

 

その後、津波の時は丘の上まで波が来たと教えてくれました。

 

まだ接客もそんなにできないし、一度にたくさん人が来ても対応できない。

でも、ここでしかできない漁業体験→その場で海鮮バーベキューというコースを、もっと前面に押し出してお客さんを集めたい。

車ですぐの距離に旅館もあるので、来てほしい。

そう言っていました。皆さんもこういう体験ができる場所、よかったら震災の時のお話が聞ける場所、探してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

長くなったのでこの辺で分割します。

主観的な部分もありますが、津波被害の現状と、地元の人たちの取り組みを少しでもお伝えできればと思っています。

 

 

ただの観光でも地元の人たちは嬉しいみたいですが、

ちょっと真面目に災害のことを考えてみる旅もいいのではないでしょうか。

 

それでは皆さんもよい旅を。