南三陸 漁船と商店街と祈りの旅 続きです。
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漁業体験の後は、
南三陸町の、防災対策庁舎へ。
☆防災対策庁舎------
天使の声。最後まで津波が来る、高台へ避難してくださいと注意を呼びかけ続けて亡くなった職員さんのいた場所です。
ここにはたくさんの折り鶴がお供えしてあり、募金箱もありました。
この建物、いったん解体が決められたそうですが、いろんな動きがあり、解体するかどうかはいったん保留になっているそうです。
ここの人たち、女川町もそうらしいのですが、もともと大きな津波が来ると言われていたそうです。
避難訓練もしていた、想定もしていた、防災意識もあった。
それでも・・・・・・。
という場所だそうです。
私たちが行ったとき、ちょうど大きなバスでこの場所を訪れた人たちがいました。
保存運動をしている方がここで署名を集めているとのことなので、私は署名しました。
観光地になっているわけではないのですが、この地でこういうことがあった、というのは見に来る人に大きな衝撃を与えるのであって・・・
だから見に来るし、写真を撮って、人に伝える。
私は賛成ですが、地元では見たくもないという方も多いそうです。そうですよね・・・。
写真の右側、建物の基礎が見えます。
ここも街の中で、防災対策庁舎の周りには建物がたくさんありました。
私たち外から来た人間は、現在の姿からものを見ますが、(当たり前ですが)もともとこうだったわけではありません。
昔の姿を見て、それがこうも無くなるのかと思うと、本当にびっくりしますよね。
空がとてもきれいなところでした。
またしばらく海沿いを移動して、旅館へ向かいます。
道はこんな感じ。盛り土をして、その周りに草が生えている所が多かったです。
ちなみに4年前、大学生の時にも宮城県に来て、
多賀城市、女川町、石巻市、気仙沼市あたりでいろいろ見たりボランティアをしたりしました。
市役所の方に実際に被害があったところを案内してもらったり、どう復興していくかの市議会を傍聴したり、
多賀城市では暑い中泥かきしたり(側溝の泥かきや、泥が押し寄せたお宅のお庭をきれいにする)、
瓦礫から見つかったもの整理(写真の復元、泥を落としてきれいにする、展示をするなど)をしました。
今でもボランティアセンターで受け入れとかはしているみたいですが、震災直後とは内容も変わってきています。
I・Uターンなどで若い人が地元に入り、
地域ビジネスもいろんなところでいろんな形で活発になってきている地域もあるそうです。
復興ではなく、街を作り替える。とか。
先日、少しですがそのようなお話を聞く機会があり、なんか・・・若者は強いなと思いました。
一方で、地盤沈下した土地や壊れた道、建物の取り壊し、直すこと
住宅、土地、職を失った人たちへの支援
などまだまだ問題はたくさんあります。
津波被害を受けた個所だけ見ても、どこからどう対処をすればいいのかわかりませんが、どうにかしないといけないことは確かです。
個人的にはいつか大地震がくると言われているところ出身なので、いろいろと考えてしまいます・・・。
この日は海のすぐそばの旅館に泊まりました。
この旅館の集落はほぼやられたそうですが、この旅館は無事だったそうで、集落のみんなが避難してきてしばらく旅館で暮らしたそうです。
でもすぐ近くの海は、まだ壊れた堤防がそのままになっていました。
海と道路を挟んですぐ集落です。
他にもお話を聞きましたが、ここの人たちは、海とともに暮らしていて、津波被害を受け、仕事もしばらくできなかったそうです。
仕事を再開するにはお金がかかる、船や加工場を再度作り、従業員を集める必要がある。とのことでした。
とてつもない話ですよね・・・。
被害を聞き、見ることで、ニュースよりももっともっと衝撃を受けました。
観光地でもないし、行ってみてくださいとは簡単にはすすめられるところではありませんが、
個人的には東北のために何かをしたいという思いがありますので、ここでこうやって紹介をし、皆さんに見てもらいました。
私が見たのもほんの一部、書ききれなかったこともたくさんあります。
写真もまだまだあります。
私が旅をする時には、ただ目の前のものを見るだけではなくて、
その土地に暮らす人とお話をし、そこであったことを知ることで、もっとその土地を知ることを大切にしています。
皆さんも、いろんなものを見て、いろいろ考えてみてください。
いい旅になりますように。では。