根拠もなくひたすら「ついてる」というと鬱になりますよ、という動画をたまに見る
それへの、斎藤一人さんの反論かな
「鬱になる人は、鬱になればいい。」
斎藤さん言うところの「地獄言葉」を周囲に撒き散らされるよりは、鬱になって黙ってもらったほうがいいと。
いま、私は、鬱だ。
パニック障害どころでないな。
まだ、医者には、かかってない。
でも、どうだろ。
パニック障害のときは、パロキセチンを処方され、確かに楽になった。
が、性格まで治るという訳ではないんだな。
おまけに、お酒が飲めなくなる。強い薬だから、お酒も飲んでると、肝臓をやられると。
お酒呑めないのは、きつかった。
これから先、どうなるかわからん。
敵はクソ客だけじゃなかった。
何かこうね、バカにしやすい相手だけを見繕って、その人だけを狙って小馬鹿にするやつが、社会人になっても居るんだね。
タクシーなら、営業中は個人だから、そういうことに悩まされることは無いと聞いてたから、いいかなと思うていたが。
点呼と、終業、精算のときに、ね。
挨拶しても、何もいわない先輩さん居るけど、そういうことだったかもわからん。人づきあいが苦手というか。
お客相手というのとは、また別なので。
たぶんそうだろうと思うので、そういう先輩さんは、敬意を払いつつ距離を置く。これを敬遠という。
喧しいのと、小馬鹿にしてかかってくる奴は、苦手だ。
苦手ばっかり云ってられないから、何とか乗り越えなくちゃとは思うた。
思うたが、50年の人生において、乗り越えると避けるのは同義とも解釈する。
嫌なもの嫌々やってますます落ち込むだけってね。
人より数字という思考も存在する。
しかしあの小馬鹿にした目。頭に来るな。
鬱ってのは、ほっとけば、死ねる病か?
どんどん放置してみよう。
鬱の極まりがどうひっくり返るか、みたい。
ものごとの陰陽を私は信じる。
いまは陰だ。極陰まで放置。
極まればひっくり返る。
それを待つ。
そして松の木にぶら下がるのかな?