2024年現在にも残る、い王(わ)くら道と美濃路の追分に立っていた、い王くら道道標を描いた絵、『美濃路見取絵図』、『尾張名所図会』を参考にして描いた絵を組み合わせ、江戸時代の西枇杷島町(下小田井村)界隈を描いた絵です。
. . . 本文を読む
い王くら道道標は、美濃路とい王くら道の追分に立つ、い王くら道起点地道標です。い王くら道について色々調べましたが、明確に記載(説明)できるような資料(史料)は有りませんでした。美濃路の追分に立っています。美濃路の管理監督、管轄等をしたのは、幕府道中奉行です。幕府道中奉行が認めた、い . . . 本文を読む
中島図を描(書)きましたが、中島を知っておられる方は、かなり高齢の方、また、西枇杷島町に、昔から住んでおられた方のみしか、知られていない島かと思います。中島の事を知ると、枇杷島橋の事が分かります。枇杷島橋の事を知ると、枇杷島橋が、庄内川に架ける事が出来た理由が分かります。枇杷島橋の事を知ると、美 . . . 本文を読む
枇杷島橋は、美濃路の大河庄内川に架けられた橋です。美濃路に架けられた唯一の橋です。私が知る限り、枇杷島橋は多くの画家に描かれています。中でも、『尾張名所図会』、『尾張名陽図会』、『名古屋名所団扇絵』に描かれている絵は、よく知られている絵かと思います。ただ、枇杷島橋は、枇杷島大橋と枇杷島小橋の2橋を総称して、枇杷島橋と呼 . . . 本文を読む