何故に私はアメリカに 

人生の目標だと思ったものに向かって前進する 
その過程を通過すること自体が 実は人生の目標だった

息子を通して 私は自分を見ている

2019-11-03 12:47:59 | 日記
私にはADHD(多動症)の息子が一人いる

過去も今も この息子のことでは 胸を痛めてきた

生まれて間もない頃から
ちょっと違う事には 気づいていた

幼稚園の頃にすでに1度目の査定を受け

5年生で2度目 
(ホームスクーリングを半年 効果的でもなかった)

高校2年生で3度目 ここでやっとADHDと認定を受ける
でも時すでに遅し

高校の卒業を前に 学校のシステムから 引っ張り出し
コンピューターでの個別授業を受講
1年分の授業を2週間で終え
卒業証書を受け取った

学校は人生の目標では無い
過程でしか無い

人生の第一目標は
「自分で食えるようになる」  という事だろう

彼は第一就職先を見つけるのに 3年かかった
3年勤めた後 首同然でその会社を辞めた

最近働き始めた会社で 一ヶ月後に腰痛を患い
何となく 怪しい感じだ

私は 「私が死んだら この子はホームレスに なるのかも知れない」
と案じたきたが 最近
「この子の人生は 私が作れるわけでは無い」
と思える様になって来た

「ホームレスになるには そういう必要があるからなのだ」と

私の気づきは 私はその姿を見て なにを学ぶべきなのか

私は 息子の人生に 一体何ができるというのか

残念ながら 彼が望まないのであれば 何も起こらないのである
ここに 「残念ながら」 という この一言も不要だろう

人は 各々が 感じなければならない事があって
自ら この人生を 選んで来たんだから

今日も私は 私の選んだ人生の中で 遊んでいる




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