
ZENとは何か。
アメリカ人は、それをヒーリングであり、日本のアートであり、生活スタイルだと受け取っているのだろう、と
サンフランシスコ禅センターの松根無中さんは言う。
宗教だ、と思っている我々日本人に対し、文化だと認識しているであろう、と。
アメリカでの禅の歴史も50年になる。
ショッピングセンターに行くと、ヨガマットやウェアと並んで座布が同じコーナーに置かれている。
全米各地にある200もの禅センターの中には、オルガンに合わせて般若心経を賛美歌のように合唱するところも。
禅センターに模様替えした教会も存在する。
出版物でも売り上げの伸びた[禅的オートバイの修理の仕方]、
他にも、禅ゴルフ、禅コーヒー、禅ティ、なんにでも禅をつけるムーブメント。
厳しさや縛りに疲弊したアメリカ人は、今、
生活に禅を持ち込むことで、人との繋がりや心の拠り所として役立てようとする。
悟りや幸福を禅に求めている。
松根夢中さんは、そう見ている。

6月は、米西海岸の禅センターをツアーした。
各地で、食を通じた禅のワークショップを行い、師匠の柿沼忍昭さんの地蔵アートとコラボしている。
圧倒的に量の多いアメリカの食事を、ものが多く心貧しい餓鬼の世界を現出させていると喝破した師匠。
松根さんが、禅クッキングをリードする。
じっくりと素材に付き合い、手を掛けて料理し、出来上がる。
皿を前に、経をあげ、お預けの時間がある。
すると、早く口にしたいと言う思いで食事を待つ時間中に、変化が表れてくるのだそうだ。
食事をする、と言う行為に、より集中してゆく時間なのだろうか。
[食べることなんて、今までなにも考えていなかった]
[じっくり味わった]
[皿を変えて、手に持って食べるのは、新鮮だった]
参加したアメリカ人の声。
料理をし、食べる、ということの中に禅が染みとおってゆく。
時には、これから料理をする野菜を持って、皆で踊った。
すると、南瓜もセロリもキューカンバも、つやつやピカピカして嬉しそうだったよ、と松根さん。
傍目に見たら、おかしな宗教みたいだったかも、と笑うと、神道の祭りみたいでしょ、とさらりといった。
ふむ、なるほどね。
実りを神に捧げて祀り、その後、神前から下げた[お下がり]を、皆で[いただく]
奉納、感謝、自然崇拝、祭り。。。。。
実は、50年を過ぎ、アメリカでの禅は次世代に生まれかわろうとしているようだと聞く。
アメリカに欠けている土着のベースをネイティブの生き方に求め、禅と融合し、アメリカに根付く文化としての禅。
日本に仏教が入ってきた時に神道と言う自然崇拝が土壌になって、新たな芽を伸ばしたように。
アメリカでの、生活に根ざした禅の息吹を与える母体を、ネイティブに学ぼうとしてるらしい。
全てがholly、全てが禅、寝ても起きても禅なる生活。
用意された掟に従って善人となるのではなく、周囲を見渡し、行為の一つ一つに没することで心から湧き出る、
自然な作法や、感謝、尊敬、穏やかさ。彼らが日本人に見ている美徳。
禅的憧れ、の先には、日本人がいる。
さて、わたしたちは。。。。。

〇地蔵カフェ
http://jizocafe.blog9.fc2.com/
〇無中の禅クッキング
http://zencooking.blog93.fc2.com/
〇カリフォルニア禅クッキング
http://keigakumuchushojin.blogspot.com/
〇柿沼忍昭ブログ
http://bejustbe.exblog.jp/
アメリカ人は、それをヒーリングであり、日本のアートであり、生活スタイルだと受け取っているのだろう、と
サンフランシスコ禅センターの松根無中さんは言う。
宗教だ、と思っている我々日本人に対し、文化だと認識しているであろう、と。
アメリカでの禅の歴史も50年になる。
ショッピングセンターに行くと、ヨガマットやウェアと並んで座布が同じコーナーに置かれている。
全米各地にある200もの禅センターの中には、オルガンに合わせて般若心経を賛美歌のように合唱するところも。
禅センターに模様替えした教会も存在する。
出版物でも売り上げの伸びた[禅的オートバイの修理の仕方]、
他にも、禅ゴルフ、禅コーヒー、禅ティ、なんにでも禅をつけるムーブメント。
厳しさや縛りに疲弊したアメリカ人は、今、
生活に禅を持ち込むことで、人との繋がりや心の拠り所として役立てようとする。
悟りや幸福を禅に求めている。
松根夢中さんは、そう見ている。

6月は、米西海岸の禅センターをツアーした。
各地で、食を通じた禅のワークショップを行い、師匠の柿沼忍昭さんの地蔵アートとコラボしている。
圧倒的に量の多いアメリカの食事を、ものが多く心貧しい餓鬼の世界を現出させていると喝破した師匠。
松根さんが、禅クッキングをリードする。
じっくりと素材に付き合い、手を掛けて料理し、出来上がる。
皿を前に、経をあげ、お預けの時間がある。
すると、早く口にしたいと言う思いで食事を待つ時間中に、変化が表れてくるのだそうだ。
食事をする、と言う行為に、より集中してゆく時間なのだろうか。
[食べることなんて、今までなにも考えていなかった]
[じっくり味わった]
[皿を変えて、手に持って食べるのは、新鮮だった]
参加したアメリカ人の声。
料理をし、食べる、ということの中に禅が染みとおってゆく。
時には、これから料理をする野菜を持って、皆で踊った。
すると、南瓜もセロリもキューカンバも、つやつやピカピカして嬉しそうだったよ、と松根さん。
傍目に見たら、おかしな宗教みたいだったかも、と笑うと、神道の祭りみたいでしょ、とさらりといった。
ふむ、なるほどね。
実りを神に捧げて祀り、その後、神前から下げた[お下がり]を、皆で[いただく]
奉納、感謝、自然崇拝、祭り。。。。。
実は、50年を過ぎ、アメリカでの禅は次世代に生まれかわろうとしているようだと聞く。
アメリカに欠けている土着のベースをネイティブの生き方に求め、禅と融合し、アメリカに根付く文化としての禅。
日本に仏教が入ってきた時に神道と言う自然崇拝が土壌になって、新たな芽を伸ばしたように。
アメリカでの、生活に根ざした禅の息吹を与える母体を、ネイティブに学ぼうとしてるらしい。
全てがholly、全てが禅、寝ても起きても禅なる生活。
用意された掟に従って善人となるのではなく、周囲を見渡し、行為の一つ一つに没することで心から湧き出る、
自然な作法や、感謝、尊敬、穏やかさ。彼らが日本人に見ている美徳。
禅的憧れ、の先には、日本人がいる。
さて、わたしたちは。。。。。

〇地蔵カフェ
http://jizocafe.blog9.fc2.com/
〇無中の禅クッキング
http://zencooking.blog93.fc2.com/
〇カリフォルニア禅クッキング
http://keigakumuchushojin.blogspot.com/
〇柿沼忍昭ブログ
http://bejustbe.exblog.jp/
>嬉しそうだったよ、と松根さん。
ここで、一人で微笑んでしまった。
いいねぇ。
我々が捕らえる「禅」の感覚と
微妙に異なる認識に
色々尋ねられてもなんだかギクシャクとした会話になってしまうのです。
我々にとっては禅はすんなり
しっくり「道」という形で受け止められるもの。
彼らにとっては生活の選択肢の一つ、文化の一つ。
いろんな意味でスローであることが
再認識されていることの証ですね。
我々は先を急ぎすぎたのでしょうね、前世紀で。
う~~む、この夏は、じっくり座って、汗の流れ落ちるのを感じてみるかな。
見に
行ってみたいなぁ~
それに、禅クッキングのイタリアンを食べてみてもらいたいね。
遺跡や重厚なアートとのコラボも面白そう。
イタリアも懐が深い国だね。