
サラリーマンダムの写真を見ていてつくづく面白いと思う。
会社で、仕事で見せる表情とは違い、それは、体からかもし出す空気まで変えている。
ネクタイ姿を見慣れていると、休日のラフな服装に、違う人かと驚くことがあるが、それにも似ている。
しかし、サラリーマンダムにおいては、スーツこそが戦闘服。
ではなぜ、彼らは輝くのか。
そこに、ヒーローの役割を与えられたからだ、と思うのだ。
人によってはやられ役もあるが、それもまた、写真の中の登場人物としては、ヒーローだ。
詳しい人は分かるだろうが、元ネタのアニメにおいては、いわば、善悪の役どころはない。
そのストーリーに沿ってポーズするところもまた、被写体となったサラリーマンにとっては、輝ける瞬間なのだろう。
人は誰しも、役割を自覚して、役割を演じきろうとするときに、光り輝くのだと思える。
だから、悪人であってもなぜか人が心引かれる魅力的な人物も、存在するのではないか。
役割は、わたしたちの社会、群れの中にある。
群れの中で役割を見つけられれば、生きる喜びになる。
*サラリーマンダム写真展は明日最終日。グランシップへ
自分らしくいることとか、自分らしい生き方とか、よく聴く言葉だが、時折疑問を感じる。
自分らしいとは何なのだろう。
わたしには、わたしらしい、とはどういうことかよく分からない。
姪や甥といるときには、身内としての自分として接しているし、従兄弟や叔父、叔母に対しての自分もまた違う。
さらには、どんな叔父叔母か、どのくらい接しているかでも違う。
当然ながら、両親であっても母に対してと父に対しては違い、また、年齢と共に対し仕方も変わり、相手の態度が変わればこちらも変わる。
友人に対しても、一様ではない。
仕事の場でも、様々な顔をしている。
相対的な自分はいるが、絶対的な自分などどこにもいないのではないかと思える。
周囲が自分を作ってくれている、ともいえる。
だとすると、それは、きっとお互いさまだ。
傾向は、あると思う。
どういうものに心が動くのか、何をいやだと思うのか、どういう状態が好きなのか、など。
だがそれさえ、体調などでも簡単に変わってしますことも少なくない。
自分で自分を固定して「自分らしい」などと思った瞬間、その枠に閉じ込められて、不自由になるんじゃないのか。
いつもと違う体験をしたら案外小気味良かったり、好きなはずのことがつまらなかったりした経験は、少なからずあるだろう。
役割を一生懸命務めたときにこそ、その演じ方に自分らしさがかもし出されるのではないか。
人が、その人らしさを、そこに認めるのではないか、と思うのは、うがった見方か。
若い時分から、「自分らしい」仕事をしたいとか、「自分らしく生きるために」とか言う言葉に揺さぶられないほうがいいと思う。
自分の知っている自分なんて、高が知れている。
無意識の自分という広大な領域に、わざわざふたをする必要はない。
そこまで含めての自分らしさだと認識するマスターのような人には、無用の話だが。
あるいは「自分らしくあること」という自分の役割を演じきる役目があるのなら。
人によって人の見方が違うのは当然だ。
千差万別の中で、関わりあい方によって変化できるのが、生き物。
どんな風に様々な場面で役割を演じられるかの総合が、自分らしさなのだろう。
あの人はこういう傾向がある、というのはえてして正しい場合があるが、こういう人だ、と断定したって、
それは、自分が相手をそうさせていることもあるではないか。
サラリーマンダムの「ごっこ」を感じて、ほほえましいなと思った。
男の人は、きっといつまでもごっこが好きなんだな、と。
しかし、女性も同じこと。
ネオテニーの最たる人類は、一生ごっこが上手にできる人が、生きることを楽しめるのかもしれない。
小さい頃、近所の子どもたち同士で遊ぶとき、年長のお姉さんが夏休みに提案するのは、
その年に公開された夏休みの子ども映画を、みんなで演じることだった。
いろんな「ごっこ」が子ども遊びには潜んでいた。
「ごっこ」という言葉が、いろいろと思い出させてくれたとき、ふと、小さかったわたしの傾向が思い出された。
案外、助け出されるお姫様が好きだったのだ。
わたしは実は、誰かに助けてもらったり、何にもできない自分を認めてもらったりしたいのかもしれない。
とすると、成長してその傾向は消えたのか、あるいはだからこそ、認めてもらえるように学んだり、
誰かを助けられるように力をつけたりしたいのか。
ならば、助ける役の自分を、自分の中に作り出したことになる。
こう考えてゆくと、解離性同一性障害、多重人格などとも呼ばれる症状にも理解が及ぶ。
ヒトの中には既に、こうして多岐に及ぶ役割を務められる資質が、埋め込まれている。
@「見知らぬ他人妄想」と「脳の中のゴースト」2010年12月16日wiredvision
http://wiredvision.jp/news/201012/2010121622.html
相手の気持ちが分かる、というのは、ヒトの持つミラーニューロンのなせる技、という研究もある。
何かをなぞることも、ヒトの資質。
「個性」や「自分らしさ」と言う言葉にだまされてはいけない。
先にあるものではないからだ。
何かを演じきってみて、何かに身を投じてみて、努力をしてみて、
その身につき方や、演じ方、やり方に、個の持つ体力や資質が絡み合った結果が出る。
これこそが、そのヒトの個性、その人らしさ。
しかも、結果は、どこまでも持ち越されてゆく。
遮二無二やってみること、自分自身をとどめないこと、このくらいしか「自分らしさ」に近づく道はなさそうだ。
今年の演劇カタログは上演は明日が最終日。
*WS=ワークショップ
@GoGoエンゲキ!! 演劇カタログ2011
http://www.scch.shizuoka-city.or.jp/page093.html
http://vp.city.shizuoka.jp/event/event.php?id=668
で、そんな、しゃにむな青春を生きている青年に会った話を、明日アップできたらいいなあ、と。。。。。
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