実はぷぅちゃん
16歳から49歳まで、精神科の薬のお世話に
ならざるを得ないくらい ひどい状況でした。
抑うつ神経症から
強迫観念
確認症・・・・
おもに 「うつ病」だった。
薬への依存もひどかったし、
4歳から酒飲んでるし(マジで)・・・・・・
最悪のときは、
コレゼンブノンダラ・・・・「あんた 死ぬからね」と
ドクターにキツク注意されたくらいの、苦しみだった。
そのころから、荒み切ってたから、
酒は浴びるほど飲んでた。
睡眠薬と、ウィスキーボトル一本開けなきゃ、眠れない。という日が
続いて、京都で、野村証券で、バイトしてた頃が
もっとも 体は疲れ切っていた。それが だいたい 26歳のころ
足も手も何度も切ったが、死ねない
そんなころ、熱烈に愛した人から「さよなら」されていたから
里の父は「弥栄子を結婚させなきゃダメダ」と・・・・・
父自身で、兄と姉の恩師に京都から千葉県まで、
「上の方は片付きましたが・・・・
次は、娘の仲人さんになっていただきたい。
どなたか 紹介してほしい・・・・」と熱心に話し合い、
それが、その仲人さんの恩師さんが、誠実でかなりの短気な性質で、
京都の下宿にいきなり・・・・
「あーーー赤堀君、、、、、もう会わせたい人はいるから
辻が書きだけ・・・履歴ね・・!!!」
「あ、はい。」と私は事情がよくのみこめず・・・・
こういう状態 ('_')
「ねーねー お母さん、先生にいつ頼んだの?」
「えーと・・・4~5日前」
「おい!!お母さん。。。今 切ったけど、
お見合いの日も、全部 段取りしたって。弥栄子!早く
履歴書と写真を用意するようにな」
点になってた私の目ん玉は (@_@) こうなり・・・・
履歴って、学歴も職歴もない私が、「何書くの??」
それで、京都の賃貸マンションを大急ぎで
引き払って、
それで 千葉県の家に戻ったら、
既に、明後日は、≪ お見合い ≫ すんのぉ???マジでぇ??
と、想いながらも、こういうのも おもろいやん!!
という乗りで、和菓子喫茶で、待つこと 20分。。。。。
約束の時間まで 充分 間に合う
そんな せっかちな 性格である。
お茶飲んで、華奢過ぎた私は、当時も161センチ 35キロくらいだったかなぁ・・・・抹茶でできてる ケーキもきっちり食べて彼ら・・・・先生と
お相手を待っていました。
そしたら、さクマい君が、 恐る恐る ドアを開けて、
キョロキョロしている。
判った!!わたしが・・・
髪の毛をこんなへんちくりんなパーマかけたから
写真と違いすぎるんだ、、、、と、想った。
そのうち判って・・・
商売(製作所・・・鉄の。)んちの娘だから
度胸だけはいい。内心は、いろんな観察してたけど・・・
まぁ 暑かったでしょう・・・・どうぞ!! などと
内気な人柄もわかったから
こっちの方から 話をしてあげないと・・・
彼の方は話せない。。。。。。
そのあと、恩師が
いらして・・・・
5分くらい3人・・・・で、お茶。
そのあと 先生が
「じゃ、あんずることもなく、二人とも気が合うようだから、
僕は帰るよ」と、言い残して帰ってしまった。
そのあと、彼つまり、いまの主人ちゃぁりぃ・ぶらうんは
「どうしましょうか・・・」
「いえ、別に、お気遣い要りませんから。。。。。。」
「赤堀さんのお宅は・・・・たしか ディズニーランドのちかくですよね。」
「ええ。塩浜です。毎晩 11階から、花火観てますよ・・・
行ったことはないですけどね・・・・」
「・・・・・・・・。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」
沈黙。。。。
内心・・・ほら、わたしが 喋らなきゃこの人は
何も喋らないなぁ・・・・(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
(-_-)zzz
眠い。暑い。だって、引っ越して京都行って、そのあと
仕事仕事仕事
緊張で寝つけず、睡眠薬もまだ 少し服用してるからねぇ。。。。。。
「じゃ、ディズニーランド行きませんか?」と
桜熊井くん 言うので、
「いいですよ。とにかく 夕方に特別に7時までに帰ってくるよう
両親に言われてますけど。」
「7時?」
「ああ(笑)。。。。。
うちねぇ・・・・父が私に異常干渉する家なんです。
だから、きょうは7時だけど、いつもは5時が門限で。」
「。。。。。(@_@)」・・・・という顔をしている。
そりゃそうだ・・・・
だって
それいつの話・・・?って
平成2年7月15日 だもん。
私、28歳の後半。。。。。(--〆)
というわけで、膠原病の話にはまだ先があります。
マエブレガが長いよ! プゥタロウ!!
・・・・・・・・
すんまそん。
では、カレー食べますから、(これだよ。。。)(呆れて下さい)
とりあえず
ここまで・・・・
・・・・・・・つづく