動画◆「初めて青い化粧をしたら失敗してあんまり気がノらない氷室狂介ヨロシク」『PUSSY LADY』https://youtu.be/70V6UHps6H8
‡1984年03月31日 新宿LOFT)
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【お兄ちゃん頑張るからね】BOφWY
『BEAT EMOTION LOFT 2DAYS~すべてはけじめをつけてから~BOOWY DAY』
‡1984年03月31日 新宿LOFT
01.IN MY HEAD
02.GIVE IT TO ME
03.DO YOU WANNA DANCE?
04.OH! MY JULLY Part I
05.SYMPHONIC
06.OH! MY JULLY PartⅡ
07.ROCK'N ROLL(CLOUDY HEART)
08.FUNNY-BOY
09.DO THE AFROCKABILLY
10.MY HONEY
11.PUSSY LADY(ハイウェイに乗る前に)
12.BOOGIE(途中から)
13.ATOMIC CADILLAC
14.THIS MOMENT
15.GUERRILLA
16.TEENAGE EMOTION
17.LONDON GAME
18.BABY ACTION
19.INSTANT LOVE
『1984年03月31日 新宿LOFT』レビュー ⇒ 前日(3月30日)はファーストアルバム『MORAL』の曲を中心に『暴威 DAY』と銘打って当時の過激なライブを再現、翌日のこのライブは『BOOWY DAY』として、メロディアスな最新の『BOOWY』を披露しました。この日から1年3ヶ月後にリリースされる事になるアルバム『BOOWY』に収録される『ROCK'N ROLL(CLOUDY HEART)』、『PUSSY LADY(ハイウェイに乗る前に)』、『BABY ACTION』や、シングル『ホンキー・トンキー・クレイジー』のB面に収録された『"16"』の元となった『BOOGIE』が演奏されました。『FUNNY-BOY』は、歌詞を間違えたのかアレンジなのか不明ですが、リリース前の歌詞(勤労少年バージョン)とリリース後の正式な歌詞が交じっています。過激な前日とは打って変わって、この日は終始和やかな雰囲気のライブでした。
https://21st-century-boowy.com/entry/19840331
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ BOφWY 新宿LOFT出演履歴 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1984(昭和59)年01月28日(土) 31 BOφWY \1300
1984(昭和59)年01月28日(土) 〇DAY TIME〇 Shy eye/美静物 \800
1984(昭和59)年03月30日(金) 32 <BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから・・・> 暴威 \1400/\1500(通し券\2600)
‡1984(昭和59)年03月31日(土) 33 <BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから・・・> BOφWY \1400/\1500(通し券\2600)
‡1984(昭和59)年03月31日(土) 〇DAY TIME〇 The Sleeze/The 305 \800
1984(昭和59)年07月07日(土) 34 <BEAT EMOTION> BOφWY \1400/\1500 ※新宿LOFT LAST GIG for BOφWY
1984(昭和59)年07月07日(土) 〇DAY TIME〇 美静物/他 \800
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1984(昭和59)年07月24日(火) <ネオサイケデリックトリップ> PETS <ゲスト>布袋寅泰 from BOφWY \1200/\1300
1984(昭和59)年09月09日(日)『裸の24時問』予告ライブセッション ロージー(vo.氷室狂介<BOφWY>/g.藤沼伸一/Dr.小林高夫<アナーキー>)/他 \1400/\1500
1984(昭和59)年09月09日(日) 〇DAY TIME〇 JACK KNIFE/イノセントアイズ(元アナコンダ) \800
1984(昭和59)年09月22日(土) <DANCING IN THE PSY-KICK DOOR> PETS <ゲスト>布袋寅泰(BOφWY) MUZEUM \1200/\1300
1984(昭和59)年09月22日(土) 〇DAY TIME〇 キッドナップス/C'MONS \800
1984(昭和59)年09月29日(土) <スペースシードスペシャルアレルギー2DAYS> <ゲスト>布袋寅泰(BOφWY)/PERSONZ/アスファルトバブルス(コンクリーツ) \1300/\1500(通し券\2200)
1984(昭和59)年09月30日(日) <スペースシードスペシャルアレルギー2DAYS> <ゲスト>メトロファルス/アコ(ZELDA) \1300/\1500(通し券\2200)
1984(昭和59)年09月30日(日) 〇DAY TIME〇 ケメ \1000
******************* http://sp.boowyhunt.com/
https://rooftop.cc/loftarchives/shinjuku/1984/03/
https://www.loft-prj.co.jp/LOFT/boowyloft/
https://ja.wikipedia.org/wiki/BEAT_EMOTION
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ BOΦWY×LOFT コラボレーションTシャツ ┃
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BOΦWYのライブ・デビュー40周年、新宿LOFTのオープン45周年を記念したコラボレーションTシャツが2021年期間限定で発売
1981(昭和56)年05月11日(月)にBOΦWYがライブ・デビューを果たしてから、2021年で40周年を迎えます。初ステージは、まだ小滝橋通り沿いにあった新宿LOFT。それ以降、BOOWYはLOFTをホームグランドとして月一のペースで出演し続け、ARB、亜無亜危異、ルースターズらに次ぐLOFTの常連バンドとなります。やがて生粋のライブバンドとしてめきめきと頭角を現し、1984年、LOFTのキャパでは観客が収まりきれなくなったことを受けて渋谷にあったLIVE INへ活動場所を移すまで、実に30回以上のGIGをLOFTで繰り広げました。その後、ユイ音楽工房(現・ユイミュージック)と正式にマネジメント契約、東芝EMI(現・ユニバーサル ミュージック)へ移籍、3rdアルバム『BOOWY』を発表して以降の本格的ブレイクに至るまで、揺籃期のBOOWYはまさにLOFTと共にあったと言えます。それはボーカルの氷室京介氏が後年、「俺は新宿LOFTで始まった人だからね。あの地下のステージに立った日々たちのことを忘れない」と深い愛情のこもったコメントをLOFTのために寄せてくれたことからも窺えます。今回、「LOFT WEB SHOP」の通販限定で発売されるBOOWY×LOFT コラボレーションTシャツは、BOOWYのライブ・デビュー40周年、新宿LOFTのオープン45周年を記念したもの。両者のアニバーサリーである2021年の1年間期間限定で、完全受注販売となります
2020(令和二)年12月24日(木)受注受付期間開始
2021(令和三)年12月24日(金)受注受付期間終了
フロントプリントは西新宿7丁目にあった旧新宿LOFTの外観にBOOWYのロゴをコラージュしたもので、首元のバックプリントには“BOOWY×LOFT”のダブルネーム・ロゴが入ります。
“ここから始まった全ての事達へ”──。BOOWYという日本屈指のロックバンド、その出発点となった老舗ライブハウスLOFTによるコラボレーションTシャツ、2021年という節目の年に全ての夢を見ている人たちに捧げます。
(c)2021 YUI MUSIC INC. / LOFT PROJECT
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|BOΦWY 新宿LOFT出演履歴|
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*出典元:LOFTアーカイヴサイト「LOFT ARCHIVES」http://rooftop.cc/loftarchives/
1981(昭和56)年05月11日(月) 01 暴威LOFT FIRST LIVE!!
1981(昭和56)年06月02日(火) 02 LOFT DAY <ゲスト>暴威
1981(昭和56)年06月27日(土) 03 暴威 \1000
1981(昭和56)年07月16日(木) 04 暴威 \1000
1981(昭和56)年08月11日(火) 05 LOFT CONNECTION Vol.1 暴威 \1000
1981(昭和56)年09月17日(木) 06 暴威 \1000
1981(昭和56)年10月19日(月) 07 暴威 \1000
1981(昭和56)年11月06日(金) 08 トム・ロビンソンwithコスメティックス <ゲスト>暴威 \2500/\2700
1982(昭和57)年01月28日(木) 09 暴威 \1000 ※バンド名を暴威からBOOWYに変更
1982(昭和57)年02月16日(火) 10 暴威 \1100
─1982(昭和57)年03月21日(日) 1stアルバム『MORAL』発売─
1982(昭和57)年03月24日(水) 11 暴威 \1100
1982(昭和57)年04月21日(水) 12 BOφWY \1100 ※このGIG以降「BOΦWY」名義に
1982(昭和57)年05月29日(土) 13 BOφWY \1100
1982(昭和57)年05月29日(土) 〇DAY TIME〇 テレフォン/ヘルタースケルター \800
1982(昭和57)年06月27日(日) 14 BOφWY \1000/\1100
1982(昭和57)年06月27日(日) 〇DAY TIME〇 エラプション/マーキームーン
1982(昭和57)年07月05日(月) 15 GET HOT ROCKS! part.1 BOφWY \1000/\1200 ※18日との通し券\1900
1982(昭和57)年07月18日(日) 16 GET HOT ROCKS! part.2 BOφWY \1000/\1200 ※05日との通し券\1900
1982(昭和57)年07月18日(日) 〇DAY TIME〇 Night-Knight/BLOOD
1982(昭和57)年08月08日(日) 17 Do The R&R Vol.1
1982(昭和57)年09月18日(土) 18 BOφWY \1000/\1200
1982(昭和57)年09月18日(土) 〇DAY TIME〇 ASMODIOUS/FEAZE
1982(昭和57)年10月09日(土) 19 Do The R&R Vol.2 BOφWY \1000/\1200 ※このGIGをもって深沢和明と諸星アツシが脱退
1982(昭和57)年10月09日(土) 〇DAY TIME〇 FEAZE/アンジェリーナ
1982(昭和57)年11月14日(日) 20 Do The R&R Vol.3 BOφWY \1000/\1200
1982(昭和57)年11月14日(日) 〇DAY TIME〇 ノブ&SHOT/DASH
1982(昭和57)年12月06日(月) 21 Do The R&R Vol.4 BOφWY \1000/\1200
1983(昭和58)年01月15日(土) 22 BOφWY \1000/\1200
1983(昭和58)年01月15日(土) 〇DAY TIME〇 ZEAL/他
1983(昭和58)年03月09日(水) 23 MUZEUM with BOφWY \1100/\1200 共演:MUZEUM
1983(昭和58)年04月30日(土) 24 BOφWY&HORNS 100% Beat ※プライベートオフィス「O-CONNECTION」設立後初のGIG
1983(昭和58)年04月30日(土) 〇DAY TIME〇 WISHES/他
1983(昭和58)年05月24日(火) 25 <100% Beat BOφWY&HφRN セクション> BOφWY
1983(昭和58)年06月18日(土) 26 <100% Beat> BOφWY&HφRNS
1983(昭和58)年06月18日(土) 〇DAY TIME〇 有頂天
1983(昭和58)年07月10日(日) 27 <INSTANT LOVE> BOφWY
1983(昭和58)年07月10日(日) 〇DAY TIME〇 ブドウ会の手帳/NADJA \1000
1983(昭和58)年08月13日(土) 28 <夏休み特別企画 その4 BEST,BEAT,AGE>
<2部> Limited/ゴールデンTimes/サリー \1200/\1300
<3部> BOφWY/SASS/ハイヒール(from小倉) \1300/\1400 ※第3部でSASS、ハイヒールと共演
1983(昭和58)年09月22日(木) 29 BOφWY \1100/\1200
─1983(昭和58)年09月25日(日) 2ndアルバム『INSTANT LOVE』発売─
1983(昭和58)年11月27日(日) 30 BOφWY \1200/\1300
1983(昭和58)年11月27日(日) 〇DAY TIME〇 ケメ \1000
1984(昭和59)年01月28日(土) 31 BOφWY \1300
1984(昭和59)年01月28日(土) 〇DAY TIME〇 Shy eye/美静物 \800
1984(昭和59)年03月30日(金) 32 <BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから・・・> 暴威 \1400/\1500(通し券\2600)
‡1984(昭和59)年03月31日(土) 33 <BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから・・・> BOφWY \1400/\1500(通し券\2600)
‡1984(昭和59)年03月31日(土) 〇DAY TIME〇 The Sleeze/The 305 \800
1984(昭和59)年07月07日(土) 34 BEAT EMOTION ※新宿LOFTでの最後のGIG
1984(昭和59)年07月07日(土) 〇DAY TIME〇 美静物/他 \800
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1984(昭和59)年07月24日(火) <ネオサイケデリックトリップ> PETS <ゲスト>布袋寅泰 from BOφWY \1200/\1300
1984(昭和59)年09月09日(日)『裸の24時問』予告ライブセッション ロージー(vo.氷室狂介<BOφWY>/g.藤沼伸一/Dr.小林高夫<アナーキー>)/他 \1400/\1500
1984(昭和59)年09月09日(日) 〇DAY TIME〇 JACK KNIFE/イノセントアイズ(元アナコンダ) \800
1984(昭和59)年09月22日(土) <DANCING IN THE PSY-KICK DOOR> PETS <ゲスト>布袋寅泰(BOφWY) MUZEUM \1200/\1300
1984(昭和59)年09月22日(土) 〇DAY TIME〇 キッドナップス/C'MONS \800
1984(昭和59)年09月29日(土) <スペースシードスペシャルアレルギー2DAYS> <ゲスト>布袋寅泰(BOφWY)/PERSONZ/アスファルトバブルス(コンクリーツ) \1300/\1500(通し券\2200)
1984(昭和59)年09月30日(日) <スペースシードスペシャルアレルギー2DAYS> <ゲスト>メトロファルス/アコ(ZELDA) \1300/\1500(通し券\2200)
1984(昭和59)年09月30日(日) 〇DAY TIME〇 ケメ \1000
https://www.loft-prj.co.jp/LOFT/boowyloft/
【BOOWY公認・完全受注生産】BOOWY×LOFT コラボレーションTシャツ
◎注文は「LOFT WEB SHOP」(こちらをクリック)からお願いします。本商品は完全受注生産のため、商品到着までお時間をいただくことをご容赦ください。
◎販売価格:4,000円(税込)※送料300円をいただきます。商品代引の場合、送料以外に手数料として300円をいただきます。銀行振込はゆうちょ銀行へのお振込となり、振込手数料はお客様負担となります。
ボディ:白 / 黒 の2種類(United Athle 5001-01)
サイズ:S / M / L / XL の4種類
仕様:フロント=写真プリント1色 / バック=シルクスクリーンプリント1色
◎実寸サイズ
Sサイズ:着丈65cm / 身幅49cm / 肩幅42cm / 袖丈19cm
Mサイズ:着丈69cm / 身幅52cm / 肩幅46cm / 袖丈20cm
Lサイズ:着丈73cm / 身幅55cm / 肩幅50cm / 袖丈22cm
XLサイズ:着丈77cm / 身幅58cm / 肩幅54cm / 袖丈24cm
※ボディはUnited Athleの5001-01(5.6oz)を使用しています。
※サイズが多少異なる場合がございます。
※サイズの測り方はこちらをご参照ください。
【注意事項】
仕上がり見本のイラストはあくまでイメージのため、実際のボディ、プリントの仕上がりとは若干異なります。
本商品は完全受注生産のため、ご注文をいただいてから商品到着まで約1カ月の日数をいただきます。
本商品の代金とは別に、送料として300円をいただきます。また商品代引の場合、送料以外に手数料として300円をいただきます(計・別途600円)。銀行振込はゆうちょ銀行へのお振込となり、振込手数料はお客様負担となります。
不良品を除き、サイズ、カラーなどによる返品交換には応じかねますのでご了承ください(不良品の返品交換は商品到着から1週間以内のご連絡とさせていただきます)。
(C)2021 YUI MUSIC INC. / LOFT PROJECT
https://www.loft-prj.co.jp/LOFT/boowyloft/
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┃ 新宿ロフト Shinjuku Loft ┃
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1976(昭和51)年10月01日(金)、西新宿で平野悠によってオープン
1992(平成四)年、ビルのオーナーから立ち退きを命じられ「新宿LOFT立ち退き裁判」になる
1998(平成十)年12月15日(火)、ビルのオーナーと和解成立
1999(平成11)年03月17日(水)、退去
1999(平成11)年04月01日(木)、歌舞伎町新宿コマ劇場横に移転
2006(平成18)年には30周年を迎え、イベント「SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY -ROCK OF AGES 2006-」が開催
*********** https://rooftop.cc/loftarchives
https://www.loft-prj.co.jp/LOFT/boowyloft
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%95%E3%83%88_(%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9)
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┃ 過去の今月のBOΦWYのPV(=^◇^=) ┃1985(昭和60)年03月XX日(X)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛PV
・ハイウェイに乗る前に
・NO.NEW YORK
・黒のラプソディー
まず、PVです。GIGS BOXではハイウェイのPVがありましたが、他にNO.NEW YORK、黒のラプソディーVerが存在してます。ほとんどの映像が被っていますが、印象に残った部分を紹介したいと思います。まず、
1枚目の左上はどうやら飛行機の中の映像のようです。布袋の後ろにまこっちゃんが座っています。その横にヒムロックとかがいるのかな?そこまでは分かりませんでした。そして右上は松井が木の棒を振り回して構えをとった瞬間です(笑)。松井はPVでは、結構お茶目なシーンが多いですね。その下はヒムロックと布袋のカメラ目線。続いて
2枚目の上段は、恐らくアルバム「BOOWY」のジャケット写真の元となる写真だと思うのですが、布袋さんがまこっちゃんの写真のみに落書きをしています。まこっちゃんは、かなりイジラレキャラですねwww下段はベルリンのハンザトン・スタジオとそこに向かうメンバーの映像です。ヒムロックの横にいるのは佐久間さんかな?松井は後から遅れて登場します。スタジオとホテルは歩いて5分くらいで、ベルリンの壁もすぐ近くだったようです。何か緊張感がありますね~。
3枚目の下段はそのまんまメンバーの写真ですが、上段は食事の映像です。ヒムロックと布袋の食事のツーショットは貴重ですね。
4枚目も見たまんまで布袋はクレジットカード?らしきものを翳しています。現地の子供達とのショットやリズム隊のショット。そして、おまけで子安さんのアップ。若いwww
http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-355.html
映像◆BOΦWY 新宿ロフト https://youtu.be/FHZoBLNbiQY
映像◆BOΦWY BEAT EMOTION LOFT 2DAYS~すべてはけじめをつけてから https://youtu.be/iXsf0o3-J1A
‡2日目音源◆BOΦWY LIVE「BEAT EMOTION LOFT 2DAYS すべてはけじめをつけてから」https://youtu.be/Zc5Yr1ZlTyA
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┃ 過去の今日のBOΦWYの出来事 ┃
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1984(昭和59)年3月30日(金)
‡1984(昭和59)年3月31日(土) 新宿LOFTで2DAYSライブを敢行
「BEAT EMOTION LOFT 2DAYS ~すべてはけじめをつけてから~」
ホール展開も視野に入れたバンドの飛躍へ向けた「けじめ」のライブであった
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https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY
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┃ 過去の今日のBOΦWY ┃
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‡1984(昭和59)年03月31日(土) 新宿LOFT
BEAT EMOTION LOFT 2 DAYS~すべてはけじめをつけてから~ BOΦWY DAY
映像は未だに確認されておりませんが、写真ははっきり残っています。音源も残っているので映像も残っているのではと推測するのですが、存在するのかさえもはっきりしていません。初期の未発表も含んだ盛りだくさんの内容なので、2 DAYSセットとしてリリースして欲しいのですがねー。タイトルとしてネームバリューもあり、内容として商品化する価値もあると思っているのですが。そして、最近気づいたのですが、LONDON MARQUEE CLUBでのGIG告知のポスターの写真は、このライブでの写真のようです。まさに上記の写真の瞬間の別アングルっぽいですね。セットリストは以下です。
01.IN MY HEAD
02.GIVE IT TO ME
03.DO YOU WANNA DANCE
04.OH! MY JULLY PARTⅠ
05.SYMPHONIC
06.OH! MY JULLY PARTⅡ
07.ROCK'N ROLL
08.FUNNY-BOY
09.DO THE AFROCKABILY
10.MY HONEY
11.PUSSY LADY
12.BOOGIE
13.ATOMIC CADILLAC
14.THIS MOMENT
15.GUERRILLA
16.TEENAGE EMOTION
17.LONDON GAME
18.BABY ACTION
19.INSTANT LOVE
http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-354.html
BEAT EMOTION LOFT 2DAYS~すべてはけじめをつけてから
‡1984(昭和59)年03月31日(土) 新宿ロフト
01. IN MY HEAD
02. GIVE IT TO ME
03. DO YOU WANNA DANCE?
04. OH ! MY JULLY PART.1
05. SYMPHONIC
06. OH ! MY JULLY PART.2
07. ROCK'N'ROLL [CLOUDY HEART]
08. FUNNY-BOY
09. DO THE AFROCKABILY
10. MY HONEY
11. PUSSY LADY [ハイウェイに乗る前に]
12. BOOGIE
13. ATOMIC CADILLAC
14. THIS MOMENT
15. GUERRILLA
16. TEENAGE EMOTION
17. LONDON GAME
18. BABY ACTION
En.1. INSTANT LOVE
35年後の今日、、、、、
‡2019(平成31)年03月31日(日) 記
1986(昭和61)年11月17日(月)、BOΦWYの『BEAT EMOTION』がオリコンチャートで1位を獲得
2017(平成29)年11月17日(金) 執筆者:榎本幸子
1986(昭和61)年11月17日(月)はBOΦWYの『BEAT EMOTION』がオリコンチャートで1位を獲得した日。
この作品はBOΦWYにとって5枚目のオリジナルアルバムであり、彼らが初めてチャートの頂点にその名を刻んだアルバムでもある。
当時のBOΦWYの勢いはとにかく驚異的だった。『BOΦWY』『JUST A HERO』とアルバムを続けざまにリリースし、その度に倍々ゲームのようにパワーを増していた。そんな中、彼らが本気でセールスを意識して作ったのがこのアルバムだ。プロデューサーは布袋寅泰と、当時彼らが所属していたユイ音楽工房のプロデューサー粕谷銑司。レコーディング期間はたった18日間だった。レコーディングがスタートしたのが
1986(昭和61)年09月06日(土)で、その2カ月後、
1986(昭和61)年11月08日(土)にはアルバム・ジャケットも完成してレコードショップの店頭に並んでいたのだから、そのスピード感はもの凄い。そしてそのスピード以上に凄いのは1曲ごとの完成度の高さだ。“ビートバンドのお手本といった仕上がり”と評されたこともあるこのアルバムからは「B・BLUE」と「ONLY YOU」の2曲がシングル・カットされているが、もちろんそのどちらもシングルチャートのベスト10にランクインしている。ちなみにご存じの方もいると思うが、この「ONLY YOU」は氷室が彼の奥さんのために書いた曲。BOΦWYがライブで必ず演奏する曲の中に氷室が昔のガールフレンドとのことを書いた名曲がある。「それを聴くたびに(奥さんが)少し寂しそうな顔をするから、この曲をあいつのために書いたんだ」と、確かどこかで本人から聞いたことがある。アルバムタイトル『BEAT EMOTION』は、実はかつてのBOΦWYのツアータイトルでもあった。まだ全国のライブハウスを回っていた1984年当時のツアータイトルを、なぜ5枚目のアルバムタイトルにしたのか。残念ながら私は知らない。ただ当時、新宿LOFTで「BEAT EMOTIONLOFT2DAYS ~すべてはけじめをつけてから」というライブを行っていたこと、そしてその数カ月後にはユイ音楽公房と新たにマネージメント契約を結んでそれまでとは全く違うアプローチを始めたこと等々を考えると、このアルバムタイトルには彼らの1つの決意があったと考えてもいいのかもしれない。もしかしたらあまりにも穿った見方かもしれないが。彼らの目標通りこのアルバムはミリオンセールスを記録した。ほんの2年前には想像もしていなかったオリコンチャート1位にもなった。けれど実はこの輝かしい事実の一方でBOΦWYはこの頃、すでに終わりに向けて歩き始めていた。このアルバムのリリースから1年後、BOΦWYは突然、解散を発表した。
≪著者略歴≫榎本幸子:音楽雑誌『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』などの編集記者を経てフリーエディター&ライターになる。編著として氷室京介ファンジン「KING SWING」、小室哲哉ビジュアルブック「Vis-Age」等、多数。
http://music-calendar.jp/2017111701
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┃ 過去の今日のMr.Children ┃
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1997(平成九)年03月23日(日) "Mr.Children TOUR REGRESS OR PROGRESS '96~'97 FINAL" 初のドーム公演を福岡ドームで開催
1997(平成九)年03月28日(金) "Mr.Children TOUR REGRESS OR PROGRESS '96~'97 FINAL" 7ヶ月にわたるツアーのファイナルとなる今日の東京ドーム公演をもって活動休止することを発表
‡1997(平成九)年03月31日(月) 活動休止前にライブハウス規模でのライブを、とのメンバーからの希望により、「恵比寿ガーデンホール」にてSECRET LIVEを行う
****************************** http://www.mrchildren.jp/bio
https://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children#1992年_-_2001年
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┃ 今日は何の日!? ┃|3月31日|
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http://www.cdjournal.com/main/calendar/20140331/todays/
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┃ 株式会社トイズファクトリーTOY'S FACTORY Inc.┃
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|1990(平成二)年 5月30日(水)|設立
| 3月31日(?)|決算期
└─――――――――――――┘http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
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┃ SEACRET LIVE 1997 ┃
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┌─――――――――――――┐
①|1997(平成九)年 3月31日(月)|恵比寿ガーデンホールでスペシャルライブを開催
└─――――――――――――┘732人
01.デルモ
02.蜃気楼
03.幸せのカテゴリー
04.All by myself
05.Replay
06.Mirror
07.innocent world
08.逃亡者
09.タイムマシーンに乗って
10.ラヴ コネクション
11.everybody goes-秩序のない現代にドロップキック-
~ENCORE~
12.Dance Dance Dance
13.花-Memento-Mori-
14.また会えるかな
②備考・・・活動休止前にライブハウス規模でのライブを、とのメンバーからの希望により、「恵比寿ガーデンホール」にてSECRET LIVEを行うヨ(=^◇^=)
******************* http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children
①http://blogs.yahoo.co.jp/cherry39_home/11656798.html
http://mrchildren.k-free.net/ ⇒ ライブへ ②http://www.mrchildren.jp/bio/bio.html
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┃ Mr.Children[(an imitation) blood orange]Tour ┃Official Live No.24
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛20会場40公演
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|2013(平成25)年 3月31日(日)|
└─――――――――――――┘ 21 3.30(土)広島 広島グリーンアリーナ 1日目 21本目 11会場
備考・・・17thアルバム『[(an imitation) blood orange]』発売後に行なわれたライブツアー。年をまたいで行なわれるツアーは『Mr.Children Concert Tour Q 2000-2001』以来12年ぶりで、ドームツアーのさいたまスーパーアリーナ公演はMr.Childrenでは初めてスタジアムモードで開催された。1月3日・4日に予定されていた福岡公演が鈴木がウィルス性胃腸炎と診断されたため1月23日・24日に延期となった[28]
******************* http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children
http://www.mrchildren.jp/live/2013_animitationbloodorange.html http://tour.mrchildren.jp/
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┃ Mr.Children TOUR 2011 SENSE TOPICS ┃
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┌─――――――――――――┐
|2011(平成23)年 3月31日(木)|Mr.Children Tour 2011 “SENSE”
└─――――――――――――┘盛岡公演及び石川以降の公演についてのお知らせ
詳細はこちら
****************** http://www.mrchildren.jp/tour/2011_sense/
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children_TOUR_2011_%22SENSE%22
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┃ ap bank fes'08 from staff ┃
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|2008(平成20)年 3月31日(月)「新緑かおるつま恋より~桜満開~」 |
└─―――――――――――――――――――――――――――――┘
************ http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank
http://fes.apbank.jp/08/blog/fromstaff/2008/03/
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┃ MESSAGE FROM TAKESHI KOBAYASHI ┃
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|2010(平成22)年 3月31日(水) 21:39「試聴できます」 |
└─―――――――――――――――――――――――┘
備考・・・小林武史によるダイアリー。日々の出来事や、現在進行中のプロジェクトについて、今考えていることなどを綴りますヨ(=^◇^=)
小林武史・・・音楽プロデューサー、キーボーディスト。Mr.Children、レミオロメンら数多くのアーティストのレコーディング、プロデュース、作・編曲・ライブ演出をおこなう。2003年には、櫻井和寿、坂本龍一氏と共に非営利組織「ap bank」を設立。映画『BANDAGE』では監督も務めるなど、幅広い活動をおこなっているヨ(=^◇^=)
*********************** http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank
http://archive.eco-reso.jp/kobayashi/2010/03/31/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%AD%A6%E5%8F%B2
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┃ エコレゾ ウェブ 編集部ダイアリー (eco-reso web staff blog) ┃
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|2010(平成22)年 3月31日(水)「あらためまして。」 |
└─――――――――――――――――――――――┘
備考・・・他愛もない小話から、取材のうちあけ話まで。エコレゾ ウェブ編集部が、毎日のあれこれを交代でつぶやきますヨ(=^◇^=)
*********************** http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank
http://archive.eco-reso.jp/diary/2010/03/31/
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┃ kurkku ③ blog ┃
┗━━━━━━━━━┛3月7日~31日(土)までの期間限定メニュー 熊本県産あか牛のジャンボハンバーグです!!
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|2012(平成24)年 3月 7日(水)「春のおススメはハンバーグです!!」 |
└─――――――――――――――――――――――――――――――┘
備考・・・kurkku ③スタッフの日常を表参道から少しずつ皆様にお届けいたしますヨ(=^◇^=)
kurkku③・・・東京の情報発信基地、表参道。 そのランドマークである表参道ヒルズには、時代の先端をいく100ほどの店舗が入っており、kurkku ③は「顔」とも言える入り口にあるアンテナカフェです。 kurkku ③こだわりの食事と、時には産地、時には音楽、時にはファッションブランドとコラボした期間限定のメニューやイベントをお届けしますヨ(=^◇^=)
*********************** http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank
http://archive.eco-reso.jp/kurkku3/2012/03/07/
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┃ 『ap bank radio NEO RESONANCE』 ┃TOKYO FM&JFN 38 STATIONS
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛23:30~23:55
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①|2013(平成25)年 3月31日(日)|小林武史×エリイ「読書」
└─――――――――――――┘本が長く読めなくなって来た。集中力が欠落して来て、中高の頃はずっと読んでいて18時間位本を読んでいた読書少女。それで村上春樹さんの1Q84も最後まで読むことができず。海辺のカフカまでは全部読んでいるのに。スマホに単文が沢山あるから長文が読めなくなって来た?ある種しょうがない。音楽を作っていてもそうだけど、大事なのはアティテュード。何処で何と出会うかわからなくて、ギリギリまで何か探していて繋げてみたり組み合わせてみたりする作業は完成しなくてもあり得る。長文をずっと読んでいくよりも、例えばネットの中に沢山言葉が落ちている。その感覚で社会を見ていくとネタが落ちているから。そういう事を全部ハイスピードで直感を使いながら足したり混ぜたりする事が昔は出来ないからじっくりな感じがあったのかもしれない。村上春樹さんも書きながらそういう作業をやっているはずだけど、出来あがった物をこっちが見ようとした時にちょっとソリが合わなくなっているのはあるかも。春樹さんも書いている間、長編というムードがじわじわと出て来てしまって。曲を作っていて「アレンジをしてます」という作家性はもう無い感じになって来ている。誰かとやる時もそうだし、その人と混ざっていく。ネットにも沢山作る物が落ちているでしょう。ネタが落ちている。そうじゃない麗かな午後をたしなむような時間はフレッシュなネタをバンバン入れるよりも、ちょっとまどろんで長いけれどそれもまたよし、みたいな所の楽しみ方の方向性もある。そういうのは旅に行く時に出て来る。日常生活が早すぎるのかも。最近プロデュースしていてこういう課題を出してこういう風に作り直して来るやり取りが、その人間の持っているキャリアなり蓄積された物を信頼してやり取りをして行く事もゼロではない。それよりも落ちているサンプルが色々あるとする。それを圧倒的に一杯ある例えにしたり組み合わせて伝えたりする事でより伝わったりやりたい事が見えて来る。 根本的に音楽を人間は何でやるのか?とか女性はなぜ歌うのか?とか、そういうモチベーションがどこにあったのか直接若い子がアプローチ出来てしまう。その前に色んな技術が色々あるけど。 料理の世界でも古典的なフレンチで技術を駆使してやるオールドフレンチ料理を今食べさせられるとわかるんだけどもったりしてくる。山形のアルケッチャの奥田くんみたいな素材に向かっている、山形の在来新種の藤沢かぶというのがあってこの食材をもう一度発掘するべきだと彼が出会うと、この渋みと合う豚肉を持って来たりすると凄い循環が鮮烈に感じたりする。そういう発想を奥田くんは古典的なフレンチを学んだあとじゃないとやっちゃいけませんという話じゃなくて、ガンガンインスピレーション・出会いの中でぶつけていってしまう発想。どんどんそうなっていく感じはする。きちんと作っていく技法が全ておろそかになってはいけないんだけど、その技法を取り入れていくスピードも上がって来ているような気がする。
┌─――――――――――――┐
②|2013(平成25)年11月 3日(日)|小林武史×エリイ「いいとも」
└─――――――――――――┘タモリさんがいいともを来年の3月で卒業すると発表した。 2回話があったけどその時の仕事の立場などがあってお断りした。無くなるとなると行けばよかったと思う。Mステとかタモリさんが司会されているのも含めて凄く不思議な方。プライベートの飲み会でも全然変わらない方。ひょうひょうとしていて裏も表もない。でも使い分けがある。表と楽屋。タモリさんは日本で一番有名な人らしい。番組が始まったときのインパクトは、「笑っていいとも!」の前に「笑ってる場合ですよ!」というのがあった。B&Bという漫才のコンビがメインでツービートのたけしさんも出ていた。第一期漫才ブームというのががあって、オレたちひょうきん族の前だったとおもうけれど、漫才ブームで昼間からお笑いかよと。ブームだから笑ってる場合ですよ!は凄く盛り上がった。でもすっと消えてなんか飽きたねという感じになった。そのあとに笑っていいとも!というもの凄くぬるい半端なものが入って来て、全然最初はインパクトがなかった。でも数ヶ月したらいいとも、いいともってみんなが言い出して、「いいとも!」が流行りだした。そこから単発的なブームに流されずに、タモリさんは冷静に見ながら盛り上がり過ぎる事も無く、さめた起爆するものをポンっと与えて。そのバランスが凄くうまいのだろう。洞察が深く鋭い。何年かに一度キャラを持っている人が来て、そこのバランスを取っていくのが上手。残る所今年もあと8週間。8週間あれば何でも出来る。レコーディングをして少し休んで、とやっているとあっという間。いいともが終わるという事をこの時期に言ったのは、いいともとタモリさんにとっては凄く良かった。ちょっと前まではこのままいいともでいいの?という感じがあった。今年になって保守的なものに対してのリスペクトが上がった気がする。自民党に戻ってオリンピックの事もあるかもしれないし、今年の夏の事もあるかもしれないし、ちょっと位はミスチルが21周年に入るというのもあるかもしれないけど、老舗が株を上げて今年いよいよそれが来ている感じがする。 新しいこの国のあり方を問うている人達が一杯いるけれど、やっぱりやさしさとか包んでいく事。 細かいやりようよりも懐の深い思いやりみたいなものが評価されて来ているという事なのかもしれない。 逸脱したものはショックだから受け入れがたいのかもしれない。そういう傾向になって来ている。 新しいものが出にくい傾向にあるから保守が台頭して来ている時代。ニュージーランドに学ぶ未来の国作り。ハフィントンポストというサイトから。 世界で最も若い国。ニュージーランドの人達が自分たちの国を親しみをこめてそう言っている。 伝統や歴史・文化が割と浅い。新しいものを入れて柔軟に。日本は歴史もあって色んな形で。阿吽の呼吸とか。ちゃんと論議するよりもまぁまぁみたいな。そういう長けている事はあるけれども、ニュージーランドの電力の約9割が既に自然エネルギーによるもの。凄い事。人口が違うので、それをまかなうだけのエネルギーや経済の体制というものは違うと言われるけれども、新しいもっとサステナブルな方向のエネルギーや経済の組み立て方というのは、どう考えても無いとは思えない。電気自動車の事でも電気自動車に変えていく、インフラを整えていく事でその部分で経済が活性化していく事が無いとは全然言い切れない。もちろん今石油や従来の自動車産業に頼っている流れがいきなり変わると色んな問題がそこに生じるので、あまり合理的でないという問題が生じる可能性はあるかもしれない。保守的な良さももちろんある。保守の後には攻めが来る。2013年の中にも新しい流れもある。大きな面で新しい事が沢山出て来るのも大事。そういうものがないと。Mr.Childrenというバンドを一つとってもそう言う振幅が必要。振幅していると広がっていく。宇宙が広がっているように。
************①http://www.tfm.co.jp/apradio/guest130331.html
************②http://www.tfm.co.jp/apradio/guest131103.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank_radio!_THE_LAST_WAVE
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┃ 坂本龍一(教授) ┃1952(昭和27)年1月17日(木) 生誕
┗━━━━━━━━━┛「音楽は生活とリンクしていないと意味はない。Mr.Childrenの音楽はまさに生活。とても素晴らしい」
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┃ MR.CHILDREN ♪終わりなき旅♪(ミスチルと桜井さんへのコメント有) ┃映像◆http://youtu.be/ihmXEZSWLG4
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|2012(平成24)年 1月11日(水)|から
|2012(平成24)年 3月31日(土)|まで
└─――――――――――――┘2012(平成24)年1月11日(水)には、森林保全団体の一つモア・トゥリーズによる東日本大震災被災地支援プロジェクト『LiVE311』と、サイバーエージェントのソーシャルゲームピグライフと連携する連動企画『LIFE311×ピグライフ』を期間限定(3月31日(土)まで)で立ち上げた[23]。なお、ピグライフに設置された特設エリアには坂本も登場している。個人の選択の自由を守る観点から選択的夫婦別姓制度導入にも賛同する
****************** http://www.chokai.ne.jp/mimori/radio.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80
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FM802 ACCESS!キャンペーンソング2014「春の歌」メイキング映像 http://youtu.be/d3ggeO7_9VY
公開日: 2014/01/31(金) http://funky802.com/access/
「春の歌」POSSESION=80.2 POR CENTO(ポゼッション・エイトオーツー・ポルセント)
■作詞・作曲・プロデュース=UKASUKA-G(桜井和寿・GAKU-MC)
■Additional Lyrics=KREVA
[参加アーティスト]UKASUKA-G(桜井和寿・GAKU-MC)/蒼山幸子(ねごと)/阿部真央/植-村花菜/岡野昭仁(ポルノグラフィティ)/川上洋平([Champagne])/KR-EVA/K/谷口鮪(KANA-BOON)/秦 基博/槇原敬之
[フレンドシップ・コーラス]Ami(Dream/E-girls)/KAN/Jeff Miyahara/スキマスイッチ/寺岡呼人/Mummy-D(RHYMESTER)-/吉井和哉/レキシ
[ミュージシャン・エンジニア]桜井和寿(g)/蔦谷好位置(strings arrange ・ key)/弦一徹ストリングス(strings)/玉田豊夢(ds)/山口寛雄(b)-/山内"Dr."隆義(Mixing&Recording engineer)/吉川豊(Recording engineer)
【FM802 ACCESS!キャンペーン】現在、ACCESS!キャンペーン・スマートフォンサイトでは貴重な「春の歌」メイキング映像を期間限定でストリーミング配信中!ドコモ・スマートフォンでアクセスすると、フルバージョンでご覧いただけます。
FM802 ACCESS!キャンペーンHP(PC・スマホ)http://funky802.com/access/
映像◆http://youtu.be/Nu_XLmdlkfg
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┃ インターネットじいちゃん死去、2006年から400本以上動画投稿で人気に ┃
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|2014(平成26)年 3月31日(月)|22:22 - ナリナリドットコム
└─――――――――――――┘3月23日(日)、ピーター・オークレーさんという英国の男性が86年の生涯を閉じた。英国内外で“インターネットじいちゃん”と呼ばれ親しまれていた彼は、2006(平成18)年から偶然知ったというYouTubeへの動画投稿を始め、初めて投稿した動画が約300万回以上の再生回数を記録する人気作に。一時はYouTubeのチャンネル登録者数1位を記録したり、さらには同年代の仲間たちと組んだバンド活動で注目を集めたりするなど、晩年を迎えてからその名を世界に知らしめていた。英紙インディペンデントやダービー・テレグラフなどによると、1927(昭和二)年生まれのオークレーさんは妻に先立たれ独り身で過ごしていた2006(平成18)年、インターネットを楽しんでいて偶然YouTubeを発見。geriatric1927」のユーザー名で、同年8月に初めての動画「first try」(https://www.youtube.com/watch?v=p_YMigZmUuk)を投稿したところ、たちまち注目を集めた。以後、主に日々のニュースや彼の日常、過去についてなどを語る“日記”的な動画を次々と投稿し続け、その数は今年2月までに計434本を数える。最初の動画が292万回(2014(平成26)年3月28日現在)の再生回数を誇る人気作になったこともあって、世界中に多くのファンも作ったオークレーさん。彼のチャンネル登録者数は、現在でも4万3,870人に上り、2006(平成18)年中頃には「世界で最もチャンネル登録者数の多いユーザー」として知られ、“インターネットじいちゃん”の愛称で親しまれる存在になったそう。生前、彼はダービー・テレグラフ紙の取材に「みんなが私を有名人だと言ってくれる」と話し、その状況を楽しんでいたというが、彼には動画以外にも世間に存在を知らしめた、もう1つの顔があった。それは同年代の仲間50人と組んだロックバンド、「ザ・ジマー」の一員としての顔。2007年に活動を始めたバンドは、英放送局BBCへの出演などで知名度を高め、同年にザ・フーのカバー曲「My Generation」をリリースすると、英シングルチャートで26位の売り上げを記録するなど活躍を見せ、米国やドイツなどで海外ライブも行い注目を集めたという。そんな充実した晩年を過ごしていたオークレーさんだったが、今年2014(平成26)年2月に動画と公式ブログで末期がんに侵されている事実を発表。最後の動画となった2014(平成26)年2月12日(水)投稿の「Series 2 - In conclusion」(https://www.youtube.com/watch?v=wegn36u75Cs)では、動画の終わりで視聴者に向かって「さようなら」と挨拶し、8年に及ぶ投稿活動を終えている。その後、公式サイトで2014(平成26)年2月27日(木)に彼が医療施設に運ばれたと説明され、2014(平成26)年3月23日(日)「午前9時30分に他界した」との発表も行われた。英メディアでも広く報じられた影響もあり、オークレーさんが亡くなった後、動画のコメント欄には彼を悼む視聴者たちの書き込みも相次いでいる。残念ながら彼の命は天に召されてしまったが、434本も積み重ねた多くの“遺産”を、ファンの人たちに遺せたのは幸いだったと言えるのかもしれない。 http://netallica.yahoo.co.jp/news/20140331-00010046-narinari
first try 映像◆アップロード日: 2006/08/05 http://youtu.be/p_YMigZmUuk
2,923,383回数 0:35 2014/04/01(火)現在
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┃ メイフラワー号(the Mayflower) ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛2隻の船は1620年8月15日(8月5日)にサウサンプトンを出港したが[9]、Speedwell は水漏れがひどくなり8月27日(8月17日)にダートマスで修理することになった。修理を終えて再び大西洋に向けて出航したが、Speedwell で再び水漏れが発生してプリマスに戻ることになった。しかし、Speedwell を調べてもどこにも問題は見つからなかった。ピルグリムらは、同船の乗組員が1年近くに及ぶ航海の契約から免れようと破壊活動したのではないかと考えた[10]。結局、66日間の航海はメイフラワー号単独で行われ、9月16日(9月6日)にプリマスの Mayflower Steps あたりから出港した[9]。2隻で予定されていた航海が1隻になったため、乗組員と102名の乗客は荷物のスペースが非常に制限されることになった。メイフラワー号はコーンウォールのニューリンに寄港して水を補給している[11]。船内ではネズミ狩りの為アメリカン・ショートヘアを飼育していた。目的地は北バージニアのハドソン川河口付近だった。しかし船は荒天でコースを外れ、目的地のバージニア入植地よりずっと北方に向かってしまった。出発が遅れたため、彼らがケープコッドに到達したときにはニューイングランドの厳しい冬が始まっていた。ケープコッドの南東の角を回って入植を許された土地まで行くのは危険だったため、入植者らは本来の目的地に到達できなくなった[12]。法秩序の確立と入植者間で増大しつつあった紛争を鎮めるため、メイフラワー号がケープコッドの先端に錨をおろした11月21日(11月11日)以降に、船上で社会契約説に基づくメイフラワー誓約を結んだ[1]。入植者らは最初に錨をおろした場所で上陸して雪で覆われた周辺を探検し、アメリカ先住民の無人の村を発見した。彼らが人工的な塚を掘り起こしてみると、一部はトウモロコシを保存してあったが、他は墓だった。Nathaniel Philbrick によれば、彼らがトウモロコシを盗み墓を暴いて冒涜したことから[13]、先住民との軋轢が生じたという[14]。さらに Philbrick は、彼らが数週間かけてプロビンスタウンから海岸沿いに南下してイーストハム付近まで探検し、先住民の貯蔵していたものを略奪したとしている[15]。1620年12月、アメリカ先住民であるノーセット族との友好的とは言えない遭遇(その場所は今では First Encounter Beach と呼ばれている)を経て、彼らが湾の対岸のプリマスへ移ることを決めた経緯が Philbrick によって描かれている。一方ブラッドフォードの History of Plymouth Plantation によれば、かれらはトウモロコシを見せるために少しだけ船に持ち帰ったとしている。その後、必要な穀物を別の貯蔵穴から頂戴し、6カ月後に先住民に代価を支払ったとき、彼らは喜んでそれを受け取ったと記している。冬の間、乗客らはメイフラワー号の船内で過ごし、壊血病、肺炎、結核などの病気が発生した[1]。その冬を生き延びたのは約半数の53人で、乗組員も約半数が死んだ[1]。春になると彼らは海岸に小屋を建て、1621年3月31日(3月21日)に入植者らはメイフラワー号を離れた[1]。
1621年4月15日(4月5日)、メイフラワー号はプリマスからイングランドへと出航[1]、5月16日(5月6日)に到着した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E5%8F%B7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%82%B9%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0