映像◆サンデージャングル「生誕60周年ブルース・リー的神話に迫る」
http://www.dailymotion.com/video/x10zzcd_%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB-%E7%94%9F%E8%AA%9560%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9-%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%9A%84%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%82%8B_shortfilms
■幻のビデオ ブルース・リー秘伝 截拳道への道
http://www.toudoukan.com/shop/goods/$/id/974989/
Bruce Lee's Fighting Method学習鍛錬映像◆https://www.youtube.com/playlist?list=PLAC01A5C8060AD15B
やはり最強の格闘家と言えばブルース・リーだろ http://bbs20.meiwasuisan.com/kakutou/1373109511/
ブルース リーのパワー
■1.はじめに■なんといってもこれまで私に一番(変な?)影響を与えた人、それはブルース・リーだと思います。
2000(平成12)年の正月特番として、今でも印象に残っている番組。それは「今世紀最強のアクションスター ブルース・リーよ!永遠なれ(テレビ東京系)」という作品で、東京都では2000年1月2日に深夜に放送されました。この作品では彼が映画を撮影したポイントを探し出し、公開するなど、結構今までになかった視点で特集しており、とても楽しめました。中でも、彼のパワーを力学的に推定したコーナーはとても興味深いものでした。今回のコラムは、この番組の話題について語ってみましょう。
■2.ブルース リーのキックのパワー■番組の中で分析されたのは、「ドラゴンへの道」という映画の1シーンで、アメリカン フットボール用のエアー シールドを構えた出演者をサイド キック(横蹴り)で吹っ飛ばすシーンでした。この分析では、エアー シールドを持った出演者を、身長175cm、体重70kg、重心位置87.5cmと仮定しています。ブルースがこの人物を彼の得意技の一つである「サイド キック」を放つことで、彼の重心があった位置(大体腰のあたりになります)が、87.5cmの高さを落下しながら、だいたい身長の1.5倍程の距離まで移動していくのです。番組でのこの距離を2.5mと求めていました。番組では、この落下までに要する時間を求めるために、落下距離を求める公式に当てはめていました。
1/2 * 重力加速度* (落下時間)2 = 落下距離
重力加速度は9.8m/秒、落下距離が0.875mということで
1/2 * 9.8 * (落下時間)2 = 0.875
(落下時間)2 ≒ 0.179
落下時間 ≒ 0.42秒
出演者が落下するのにかかる時間は約0.42秒と推定されました。落下時間を割り出せたことにより、ブルースが出演者に与えた速度が割り出せます。
2.5 / 0.42 ≒ 5.95
このように、ブルースが出演者に与えた速度は、秒速5.95m (時速21km)ということになります。この結果、ブルースのキックの力積(衝撃力)が推定できるのです。力積は、物体の重さと、物体に与えられた初速で求められますから、
体重(kg) * 初速(m/秒) = 力積(kg・m/秒) つまり
70 * 5.95 = 416.5 ブルースのキックの力積は約416.5kgm/秒、ということになります(番組では410kg・m/秒としていました)。番組内ではこの結果を、極めてすごい値だと評価しています。体重65kgの格闘技選手が発揮する一番力積の大きなキックは「膝蹴り」で、その力積は82kgm/秒だからです。この結果、ブルース リーのキックは体重65kgの格闘技選手の5倍にも達することになるわけです。もちろんキックの種類も違いますから、一概に比較するのは難しいのですが、KOの威力を秘めた格闘技選手の膝蹴りに対して、その5倍の力積を与えられるほどのキックをブルースが持っていたことにはなります。ただ、エアー シールドを抱えていた出演者はブルースの執事でもあるウー ガンという人で、体重はもう少し軽いかもしれません。しかし、体重を65kgで計算しても、約386.75kgm/秒ですからすごいことにはかわりはないですが。これほどの値ですから、トリックを疑う人がいるかもしれません。というのは、ジャッキー チェンが自身の映画の中で、ピアノ線で後ろから引っ張る方法で同じような効果を実現していたからです。しかし、ブルースの映画の場合、後ろは壁、しかも吹っ飛んだ出演者を受け止めるための段ボール箱が山積みしている状態です。そのようなトリックは考えられません。また、出演者が、その重心位置がきれいに放物線を描いて落下していますので、香港映画でよく使われる、天井から吊るすなどの行為もまずないでしょう。このシーンは、あえてスローモーションで撮影されていますので、ブルースはよほど自信があったとみえます。出演者が自分で飛ぶなどの行為を行っていないことも確認できますから。このようなデモンストレーションについては、映画出演以前からさまざまな場所で行っていました。いくつかの実写フィルムが残っていますが、みな同じようにみごとに吹っ飛ばされていますね。こんなに強い蹴りを出す秘密は、胴体の素早い移動や腰の入れ方だけでなく、軸足の踏み込みにもあるように思います。あの蹴り方は「テコンドー」「サバテ」「松濤館流空手」からきているという説もありますが、私が過去に中国拳法を練習したとき、ほぼあの蹴り方と同じ力の発揮をする蹴り方を習ったことがあります。地面を蹴ることで蹴りの威力を増幅するという明確な説明も受けました。
■3.ワンインチ パンチ■ブルースのキックの威力がわかったことで、私は次に、かの有名な「ワンインチ パンチ」という技の威力について知りたくなりました。上記と同じ方法でここに導き出してみたいと思います。このパンチは相手の胸先1インチのところから「チョコン」とパンチを繰り出し、相手を突いて吹っ飛ばしてしまうもので、中国武術では寸勁とよばれます。私はいくつかの実写映像で確認しましたが、ものすごい威力があることがわかります。そのなかで、比較的移動距離が分かりやすい映像に注目してみました。それは彼が、アメリカにおけるテコンドーの先駆者、ジョーン リー(Jhoon Rhee)氏が主催したトーナメントで見せたものです。おそらく1960年代末期の映像でしょう。このデモンストレーションの相手をつとめたのが、ジョーン リー氏のもとで師範代をつとめる人で、ジョーン リー氏の解説によると体重が225ポンド(102kg)あるとのことですが、もう少し軽いかもしれません。このデモンストレーションを見る限り、ブルース リーの拳は1インチどころか、まるで相手の胸にくっついているように見えました。そこから彼は一瞬「ブルッ」と動いたかと思うと、ものすごい勢いで師範代を吹っ飛ばします。後ろに椅子があるのではっきりとはわかりませんが、床にそのまましりもちをついたとすれば、少なくとも1mは吹っ飛んでいます。身長は画面で確認する限り、ブルースより10cm程度高いので、180cm程度、重心位置は90cm = 0.9mの高さに設定します。上記の条件からブルースのワンインチ パンチの力積を推定してみます。
まずは落下時間から。
0.5*9.8*(落下時間)2 = 0.9
落下時間 ≒ 0.43 次に速度を出します。
1 / 0.42 ≒ 2.38 ブルースは師範代に秒速2.38mの速度を与えています。そして、ワンインチ パンチの力積は、ジョーン リー氏がコメントした体重を信頼するなら、
102 * 2.38 = 242.76 以上のことから、ブルースが放ったワンインチパンチの力積は242.76kgm/秒ということになりますね。師範代の方は道着を着ているので、その当時の実際の体重がどの程度か推定するのは難しいのですが、ブルースの体格(当時約60kg)と比較すればかなり大きいので、80kgは超えていると思います。もし、私の目測最小値である80kgが師範代の体重(質量)とすれば、
80 * 2.38 = 190.4
おそらく最低でも190.4kgm/秒は出ているのではないでしょうか? これでも、体重65kgの格闘技選手の膝蹴りの約2.3倍の力積があることにご注目ください。実際打たれた師範代はもんどりうって椅子ごと地面に倒れそうになりましたが、立ち上がるとき効いたような素振りを見せていたのが印象的です。実際に測定器を使った計算ではないですし、あくまでも単純化した計算ですから、ずれはあると思いますが、彼のパワーの一端を計り知ることができます。中国武術では「沈身」という、重心を沈めた後、相手を打つという方法があり、タイミングを合わせることで瞬間的に体重を増幅するのと同じ効果をあげることができます。また、強烈な自己暗示で運動に参加する筋線維の数をコントロールしたり(この場合は増加)、重心の素早い前方への移動、体のアライメントなど、さまざまな要素を合理的に組み合わせて技を発揮するのです。ブルース リーは「体の各所の小さな動きを(タイミングよく)一度に発揮することで大きな力を出せ、敵はそれで終わりだ」というようなことも述べていますが、このように中国武術では体の各所の小さい動きを精密に練り上げ、少しずつ組み合わせていくという練習法が一般的にとられます。このような方法をとることで、大まかに鍛えた場合より多くの筋群が効率よく運動に参加することになり、大きな力が出せるのではないかと思います。太極拳がゆっくり動くのは、この神経-筋のコントロールを精密に練るためのものであるということが推定されます。中国武術では、よく「力を抜け」と指導されるものですが、特に意識しやすい、体の表面にある筋肉の力を抜いて、深部についた筋肉を効率よく使うことをおぼえるためでもあると考えられますね。このデモンストレーション ビデオの当時、ブルース リーはアメリカ武道界ではすでに別格の存在だったといわれていますが、このパワーだけを見ても頷けるような気がします。
■4.おまけ■ブルース リーに怪我をさせた男■さて、今回の番組は、彼のパワーを分析するだけではなく、珍しいゲストを迎えるという試みがありましたが、これにはびっくりしました。「ドラゴン怒りの鉄拳」で共演した2人の日本人のうちの1人、勝村 淳さんだったからです。この人は勝 新太郎さんの愛弟子に当たる人で、勝さんのスタンドインをつとめていたという話を聞いたことがあります。勝村さんとリーの間に起こった有名なエピソードに、「勝村氏の一本背負いでブルース リーは撮影中止に追い込まれるほどの怪我を負った」というものがあります。私は膝の怪我だと思っていたのですが、真相は背中からももの部分にかけての内出血、ということのようでした。この件で、勝村さんは「世界最強の男に怪我をさせた男」という感じで紹介されました。ただ、あれは映画の中での出来事。きちんと振り付け(このシーンは勝村さんが振り付けたそうです)があって、ブルース リーも勝村さんも、その通りに動いただけにすぎないという事実があります。ただ、勝村さんのほうは、ブルース リーがアクションの中で寸止めしないでバシバシ当てているのを見て(映画で確認する限り、ちゃんとコントロールしていますが)、同じようにやるつもりで、ブルース リーを床に叩きつけてしまったわけです。コンクリートの上にただ玉砂利を敷いただけのその床に…。さらに、1回目がうまくいかなかったのか、もう一回やり直しになったそうで、ブルース リーは2度も柔道の心得のある人に、思い切り床に叩きつけられたことになりますね。これでは誰でも内出血するでしょう。これがきっかけでブルースは撮影を2日間休んだといわれています。この話が現地の新聞にスッパ抜かれたとき、彼は「古傷が痛んだだけだ」と反論したといいますが、負け惜しみではなく、それは事実だと思います。この怪我に逆上ること2年前の1970年、ブルース リーは腰に再起不能といわれた重傷(仙骨神経叢損傷)を負っており、3ヶ月の寝たきり生活と、さらに3ヶ月の安静生活を経験しているのです。彼が負った傷害で、仙骨神経が支配する筋群は痙攣を起こし、相当な痛みがあったらしいです。香港のスターとして君臨したときも、腰が完治しているわけではなく、痛みを我慢して(痛み止めも使われていたとか)撮影に臨んでいたわけです。短期間で撮影に復帰できたということのほうが私には奇跡のように思えますね。ちなみにこの怪我のエピソードについて、「ドラゴン ブルース・リー物語」という映画ではチャイナタウンが送り込んだ武術家に背中を蹴られたことになっていますが、事実は「グッドモーニング エクササイズ」というバーベル運動の失敗によるものです。これは肩の上にバーベルを抱え、上半身を前に倒すという危険な種目です。日本のある映画評論家の方の説によると、このけがについては「1969年、空港で日本人4人組に襲われ、袋叩きにされて腎臓から出血した」とのことですが、私が今まで調べた限りではそのような事実は見つかりません。 また、時期にも1年のずれがありますね。これは香港か台湾で出版された中文雑誌を翻訳したものらしいのですが、あちらの記事はでたらめが多いのです。私が所持する中文雑誌も事実無根の記事が多いのが目につきます。記事の対象となった当時、「ブルース リーが試合で負けて入院している」「香港で殺された」というでたらめニュースがしょっちゅう流れていたそうです。その中の一つのエピソードと考えてよいと思います。友人でもあり、OharaPublicationsの社長でもあるミト ウエハラ氏によれば、香港の大新聞の記者がそのようなでたらめ記事(リーが死んだという記事だったらしい)に心配して電話をかけると、「おれは生きてるゾ」といわれたとか。話はもどりますが、番組内で勝村さんが「中国武術では受け身をとらないようだ」とコメントしていました。その後の司会(別所哲也さん)とのやりとりの中で、「ブルース リーは受け身も知らない」という誤解が視聴者に伝わったのではないかと残念でした。しかし、実際には中国武術にも受け身はありますし、リー自身きちんと受け身することができます。「ドラゴン怒りの鉄拳」以前の映画でもそれ以後の映画でも、投げられたブルース リーは彼流の受け身をきちんととっていますし、少なくとも20代の前半に彼は柔道の手ほどきを知人から受けているからです。最近は、彼が柔道着を着て練習している風景を撮影した写真も最近いくつか見かけるようになりました。おそらく、彼が一本背負いを食らったこのシーンでは、床に叩きつけられた後、投げた相手の顔面にキックを入れる、というシチュエーションがあったため、普通の受け身はとれない状況にあったのではないかと推測します。あるいは勝村氏がいうように、そのシーンの投げが、ブルースの予想より早いスピードで行われたことも受け身なしの原因となったかもしれません。
ブルース リーは自分の武術-截拳道-に裏付けが欲しかったのか?この番組の特集の最後には、ブルース リーの友人であったとされる、風間健氏が登場されました。風間氏は、空手・少林寺拳法・キックボクシングの世界で名を馳せた武道家で、俳優の筒井道隆さんのお父さんとしても有名ですね。さて、ブルース リーと風間氏のつきあいは数ヶ月続いたということは聞いていましたが、両者の間にはどれほどの理解があったのか、疑問が沸いてきました。風間氏は今回のインタビュー以外でも、「ブルース リーは截拳道(ブルースによる武道・生き方のコンセプト)に裏付けが欲しかったのではないだろうか」ということを盛んにおっしゃっています。10年近くも前に出版されたある雑誌では「どうやら彼は実戦経験が少ないようだから、私の実戦経験を求めていたと思う」というコメントもありました。ですが、私には次のような疑問が湧きました。まずは、実戦、という言葉の解釈です。おそらく風間氏は「レベルの高い格闘スポーツの試合」の意味合いで用いていると思います。その意味でなら、風間氏の意見は妥当といえるでしょう。ブルース リーはあとで述べるボクシング対抗試合以外、公式の格闘技選手権に参加したことはないとされているからです。ただし、「決まりごとのない命のやりとりの世界」と解釈するなら、事情は異なります。彼は詠春拳を習い始める前から個人で、集団でおおっぴらにストリート ファイトをしていたらしいのです。また、現在はどうなのかわかりませんが、1950年代の香港では、若い道場生同士の他流派との試合を盛んに行っていたそうです。この試合というのが本物のガチンコで、ほとんどノールール。グローブをつけることもなければ、ヘッドギアもない。普段着に革靴という、本当にそれこそ実戦スタイルといえます。だから試合が終わると「血まみれ」は当たり前。このように激しく行う試合ですから、「乱闘」に発展することもあったとか。ノールールでお互い切磋琢磨していますから、かなりレベルは高かったと推察されます。80年代に香港にわたった私の先生も、やはり他流派との試合の機会があったと聞いています。もしかしたら、現在でも似たようなシチュエーションはあるのかも。私が過去に詠春拳の練習をしていたときも、場所は「暗い公園」、服装は「普段着」でした。革靴も履くことがありましたので、結構小さい怪我はたくさんしていました。香港での少年時代、ブルース リーは7-8時間の稽古をしていたといいますし、試合をする他の道場生たちも負けないように練習を積んでいたことが想像できます。治安そのものも、当時の日本と比べるべくもない、ということも想像してください。このころの彼について、私の先生によると「そのころのブルース リーは決して詠春拳だけに腰を据えて練習したわけではなく、勝手にフックや回し蹴りなどを練習に採り入れては、兄弟子たちに怒られていた」とのこと。後に彼は詠春拳をも批判しましたが、現在でも詠春拳に関わる人たちがブルース リーについていい顔をしないのは、そんな理由によると思われます。彼はアメリカにわたったあとも、「比類のない武術家」として知られるようになりました。スパーリングした各階級の全米空手チャンピオンたちすら軽くあしらっていたそうです(スパーリングした本人がインタビューなどで感想を述べています)。アメリカ空手界の父と呼ばれる故エド パーカー氏は「体重を考慮すれば、ブルース リーは最強の武術家だろう」と評価しましたし、アメリカテコンドーの父と称されるジョーン リー氏も「彼とスパーリングするのは避けた。あんなパンチで打たれたらたまらん」と証言しています。その結果、1972年、つまりおそらくは風間氏と出会う以前に、アメリカで最も権威がある空手雑誌『ブラックベルト』の10大武術家にも選出されているのです。このような事実から、「截拳道の裏付け」について、それが「実戦性を証明するためのお墨付き」という意味であれば、すでにその必要はなかったといえるでしょう。これだけ有名で、実力的な評価も高い諸氏が認めた彼の技能なのに、当時無名な若手武道家である風間氏に自分の武道の裏付けを求めたとは、私には思えない。研究熱心であり、キックボクシングという格闘技に興味があった、ということなのではないでしょうか?さて、その彼が「格闘スポーツのリングに上がった」記録が(私が知る限り)いくつかあります。それらは香港を離れる少し前、ボクシングのリングに何度か上がった、というものです。そのすべてに勝利したことになっていますが、一番有名な対戦相手は3年連続高校チャンピオンのゲーリー エルム氏でしょう。結果に対する証言は人によって若干異なります。
1.3ラウンドKO説 ?3ラウンド戦った末にブルース リーがゲーリーをKOしたというもの。
2.1ラウンドKO説1 ?真っ直ぐ出ていったブルース リーはゲーリーにひっくり返されたものの、すぐにブルース リーが立ち上がり連打をしてKOしてしまったというもの。
3.1ラウンドKO説2 ?最初からブルースが連打でゲーリーを3度追い詰め、その3回目にKOしたというもの。
いずれにせよ、ブルース リーの勝利です。詠春拳の直拳の連打でKOしたというのは、どの説でも同じのようでした。香港を離れた後も、弟子や知人の証言からブルース リーはかなりの数の挑戦者や道場破りを倒したり、あしらったりしていることがわかります。その多くはブルース リーが「本気になる」必要もなく、試合を終わらせたというものです。これらの証言の多くはドキュメンタリー ビデオに多数収録されていますので、興味のある方は確認してみてください。一番有名なエピソードは大学在学中に挑戦されたUechiという空手マンの話と、ウォン ジャック マンという中国武術家の話でしょう。前者は11秒弱、後者は30秒強で倒したとのことです。特に後者は、彼が截拳道という自分の武道のコンセプトを確立するきっかけになったエピソードして知られています。またまた話が横道に入ってしまいましたが、ブルース リーがストリート ファイトにあけくれていたということは、弟子のみならず、気まずい関係の人たちも多数証言しているので、かなりの数にのぼっていたことは想像に難くありません。ですから、「実戦の経験が少ない」ということについては、私自身は理解しがたいのです。
参考図書:『身体運動学概論』浅見俊雄・ほか/大修館書店
http://icofit.net/bruce-lees-power/
http://web.icofit.net/facility/lounge/column/bruces_power.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃『BLADE RUNNER ブレードランナー』┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1982(昭和57)年06月25日(金) 全米 公開
1982(昭和57)年06月25日(金)~ 全米週末興行収入成績初登場第②位
†1982(昭和57)年06月27日(日)迄 全米週末興行収入成績初登場第②位
1982(昭和57)年07月03日(土) 日本 公開 ※wiki Japanese
1982(昭和57)年07月10日(土) 日本 公開 ※Movie Walker
1986(昭和61)年04月14日(月)『月曜ロードショー』TBS版吹替
φ1986(昭和61)年07月02日(水)『BLADE RUNNER』IMAGE STAGE SET
2011(平成23)年03月20日(日)『ザ・シネマ』版吹替
amazon・・・2019年、酸性雨が降りしきるロサンゼルス。外見からは人間と見分けが付かないアンドロイド=「レプリカント」が5体、人間を殺して逃亡。レプリカント専門の賞金稼ぎ=「ブレードランナー」であるデッカードが、単独追跡を開始するが・・・。 No Rating BLADE RUNNER is a trademark of Blade Runner Partnership. (C) 1982 The Blade Runner Partnership. All rights reserved.
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https://www.amazon.co.jp/dp/B012SY4XXK
https://moviewalker.jp/mv7967/
http://en.wikipedia.org/wiki/Blade_Runner
φhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E2%80%9CGIGS%E2%80%9DJUST_A_HERO_TOUR_1986
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1982(昭和61)年07月10日(土)、『ブレードランナー』全国封切り公開
2011(平成23)年07月10日(日) 12:17:06 テーマ:80年代の洋画
史上最高のSF映画は『スターウォーズ』ではなくあの作品
http://news.walkerplus.com/2011/0709/10/
やっぱり『ブレードランナー』が1位、『スターウォーズ』も旧シリーズのⅣとⅤは入っているけど、森の熊ちゃんのせいなのかⅥは入っていない。まあ、そんなことはいいとして、本日7月10日は1982年に『ブレードランナー』が松竹系で全国封切り公開された日。公開前のTVスポット用CMは内海賢二のナレーションで「2020年、レプリカント軍団人類に宣戦布告 ハリソン・フォード主演 ブレードランナー」と煽っておいて、劇中に出てきたレプリカントはたった4体・・・。噂だけ先行していたスピナーによる空中カーチェイスもなかったし、観に行った人は、さぞや肩すかしを食ったことだろう。ちなみに、同日はあの『メガフォース』も全国封切り公開された。こちらのTVスポット用CMも内海賢二のナレーションで「悪いことすると、メガフォースが来るぞぉう!」と。東宝東和だけに大量にCMが放送されていた記憶がある。両作品、さらには縁が続いて国内のテレビ初放送がわずか一日違い(!)『ブレードランナー』は
1986(昭和61)年04月14日(月) TBS「月曜ロードショー」で『メガフォース』はその前日のテレビ朝日「日曜洋画劇場」であった。YouTubeに『ブレードランナー』の荻昌弘の解説 が載っていて、その本放送以来二十年ぶりくらいに再び拝見したときは感慨深いものであった。なんてたって、自分の初めての“ブレラン”体験だったから。熱のこもった解説に続き、本編を食い入るように観ていた記憶がある。当時の家のテレビは19型か21型だったんだけど、そんなの関係なくもう圧倒されてしまって、「世の中にこんなすごい映像があったのか!」と驚いた。一方の『メガフォース』も観た記憶があるのだが・・・覚えていない。さて、淀川長治はどこをどう解説したのだろう(笑)。メガフォースの解説には「もちろん架空ではあるが、兵器ファンの人は注目」とか「無邪気な娯楽作です」で締めていたりと、かなり無責任
https://ameblo.jp/goro-chayamachi/entry-10949158665.html
┏━━━━━━━━━┓BRUCE LEE ON HONG KONG TV http://youtu.be/KjKZl7eRc9M
┃ ブルース・リー ┃ブルース・リーの哲学 01 http://youtu.be/eZooGrjWlyQ
┗━━━━━━━━━┛生きていることを実感し、使命をまっとうし、何より自分の潜在能力を具現させること-それ以外に人生で何を望めよう?いたずらにイメージを発散させても、そんなものは本物じゃないし、生命力を消耗するばかりだ-ブルース・リー
http://movie.geocities.jp/hongkong_great_superstars/brucelee/brucelee.html
The Real Bruce Lee starring 子役時代のBruce Lee Part 1 http://youtu.be/DzMUeO6Evxs
Bruce Lee's Fighting Method 1 http://youtu.be/Gc3ULMMLDKU
Walk On
The years between The Green Hornet and the Hong Kong films were often difficult for Bruce Lee. In Hollywood he wasn’t getting offered the roles he felt he deserved, he struggled to support his family, and he injured his back very seriously and was told that he would never be able to participate in martial arts again. He turned to many self-help books during this time for inspiration. One day he took hold of one of his own business cards and wrote the phrase “Walk On” on the back. He bought a special stand for this card and kept it on his desk as a constant reminder to keep moving forward. With this as his mantra, Bruce Lee worked himself into the best shape of his life, wrote volumes of notes on many different subjects and ideas, and further developed and named his art of Jeet Kune Do. The rest is history. When life gives you obstacles, you must summon the courage and…
http://www.bruceleefoundation.org/index.cfm/page/Walk-On/pid/10249
格闘ボディのつくり方 格闘王3 フルコンタクトKARATE...
‡2019(令和元)年06月27日(木) 21時52分 280円落札OK♂♀
USED品です。あまり使用感はありませんが、経年変化による焼けが、ページに見られます。ご了承ください。
あくまで戦うためのボディメイキング最強本!-という、うたい文句です。
第1章 鉄人たちのボディトレーニング 第2章 極真空手、究極の肉体鍛錬 第3章伝統鍛錬の威力
第4章 組技格闘技の体 第5章 ボクサーの体 第6章 肉体改造ゼミナール
1998年3月、(株)福昌堂発行
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┃ Mr.BRUCE LEE Hong Kong 1972 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|1972(昭和47)年 6月?日(?)|~7月『ドラゴンへの道』香港スタジオセット&野外ロケ撮影
|1972(昭和47)年 6月?日(?)|C・ノリス、R・ウォールと共に『合気道』セット訪問
|1972(昭和47)年 6月?日(?)|ボーダーのタンクトップで再び訪問
|1972(昭和47)年 6月?日(?)|カメラマンの西本さんやノラさんらと日本料理店へ
|1972(昭和47)年 6月?日(?)|ウー・ガン氏の結婚式に出席
└─――――――――――――┘
******************* http://www.bruceleejkd.com/
http://chaomei5912.web.fc2.com/1972/1972.html
1972年5月~10月写真◆髪型、顔付き比較李小龍関係電影http://chaomei5912.web.fc2.com/1972/1972_5_10.html
http://www.takeboh.com/lee/lee.html http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ bruce lee foundation Awards, Honors, Achievements, and Activities ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|1968(昭和43)年 6月?日(?)|National Karate Championship Award in appreciation
└─――――――――――――┘ of his participation as a guest judge.
******************************** http://www.bruceleejkd.com/
http://www.bruceleefoundation.org/index.cfm/page/Achievements/pid/10384
http://www.takeboh.com/lee/lee.html http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Mr.ブルース・リーの生涯 世界への雄飛 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|1972(昭和47)年?月?日(?)|『ドラゴンへの道』のセットを使い、時代劇『細鳳』のスチール撮影
└─――――――――――――┘
************************ http://www.takeboh.com/lee/lee.html
http://www.bruceleejkd.com/aboutjkd/blbio3 http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『李小龍大全(The Bruce Lee Library)』 ┃ John Little
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ジョン・リトル編
┌─――――――――――――┐著者:ブルース・リー 出版社:ソニーマガジンズ
|1998(平成十)年12月18日(金)|初版第1刷発行
|2012(平成24)年 6月27日(金)|復刊リクエスト開始日 21:04
└─――――――――――――┘復刊リクエスト番号:55555
************* http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee_Library
http://www.amazon.co.jp/dp/4789713342 http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=55555
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 李小龍会版 媒体レポート ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|2008(平成20)年 6月27日(金)|香港商業電台第一台 小龍問路(第四部)
└─――――――――――――┘
************ http://www.bruceleejkd.com/aboutus/yorinakamura
http://www.bruceleeclub.com/jp/aboutus5.html http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『Bruce Lee: The Evolution of a Martial Artist』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐Tommy Gong(著) ¥1,944 P.256
|2014(平成26)年 6月27日(金)|出版社:オルタナパブリッシング; B6版
└─――――――――――――┘http://www.amazon.co.jp/dp/4434193260
ブルース・リーの実像 彼らの語ったヒーローの記憶(メモリーズ) [単行本(ソフトカバー)] チャップリン・チャン(著) ロバート・クローズ(著) 羅振光(Roger Lo:監修) オルタナパブリッシング(編集) 鮑智行(翻訳)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『ブルース・リーが語るストライキングソーツ(STRIKING THOUGHTS)』 ┃ 編者:ジョン・リトル
┃ [Bruce lee's Wisdom foor Daily Living] ┃発行者:中村文保
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 発行:株式会社 福昌堂
┌─――――――――─―――――――――――┐P.39【実存性】Reality
|第1章 人生の第一原則 On First Principles |◆実存性へのアプローチ◆2014.6.27 No.056
└─――――――――――─―――――――――┘実存性に対する西洋的なアプローチというのは、たいてい理論によるものであり、理論は実存性を否定するところから始まっている――実存性を語ったり、実存性を観察したり、感覚に訴えるものを把握したりする――実存性を知的に分析し、抽象化することで、ありのままの実存性から離れていってしまう。
************************** http://www.bruceleejkd.com/
http://www.amazon.co.jp/dp/4892247898 http://ameblo.jp/storongest3-sabaki9/
http://ameblo.jp/storongest3-sabaki9/ http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┃ 『MOBY DICK 白鯨』 ┃
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‡1956(昭和31)年06月27日(wed) US Released
1956(昭和31)年10月31日(wed) JP Released
1968(昭和43)年05月12日(sun) NET版 21:00-22:54『日曜洋画劇場』
1973(昭和48)年06月06日(wed) 日本TV版 21:30-22:55『水曜ロードショー』
1984(昭和59)年05月26日(sat) TBS版 24:10-XX:XX『SONY PRESENTS 名作洋画ノーカット10週』
1984(昭和59)年05月27日(sun) TBS版 24:10-XX:XX『SONY PRESENTS 名作洋画ノーカット10週』
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http://fukikaemaniax.web.fc2.com/special/sony-nocut.html#84
https://ja.wikipedia.org/wiki/白鯨_(映画)
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『LIVE AND LET DIE “007 死ぬのは奴らだ”』 ┃
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┌─――――――――――――┐
|1973(昭和48)年 6月27日(水)|アメリカ 公開
|1973(昭和48)年 7月 5日(木)|イギリス 公開
|1973(昭和48)年 7月28日(土)|日 本 公開
└─――――――――――――┘主演・・・ロジャー・ムーア
監督・・・ガイ・ハミルトン
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http://ja.wikipedia.org/wiki/007_%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%AE%E3%81%AF%E5%A5%B4%E3%82%89%E3%81%A0
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=7101 1990
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『金曜ロードショー』歴代高視聴率獲得作品 ┃
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┌─――――――――――――┐関東地区、ビデオリサーチ調べ
|2003(昭和15)年 6月27日(金)|
|2003(昭和15)年 6月28日(土)|第18位『タイタニック後編』
└─――――――――――――┘視聴率・・・26.1%
備考・・・『2夜連続特別ロードショー』として土曜日に放送
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http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/ranking.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9B%9C%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=1799 1988
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『LIVE FREE OR DIE HARD (ダイ・ハード4.0) DIE HARD 4.0』 ┃
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┌─――――――――――――┐
|200X(平成X)年 7月 3日(X)|映画の中での事件発生日
|2007(平成19)年 5月 6日(日)|映画批評のネット掲示板にブルース・ウィリス本人が登場
|2007(平成19)年 6月27日(水)|アメリカ 公開
|2007(平成19)年 6月29日(金)|日 本 公開
|2007(平成19)年 7月 5日(木)|エィガポイント:3.5
|2010(平成22)年 1月 3日(日)|21:00~23:30 150分 劇場公開版 13.9% テレ朝 日曜洋画劇場
|2010(平成22)年10月30日(土)|21:30~23:40 130分 DVD版 16.0% フジTV 土曜プレミアム
|2011(平成23)年10月30日(日)|21:00~23:19 139分 劇場公開版 13.2% テレ朝 日曜洋画劇場
|2014(平成26)年 1月10日(金)|21:00~22:54 114分 劇場公開版 13.1% 日テレ 金曜ロードSHOW!
└─――――――――――――┘備考・・・北米題: Live Free or Die Hard, 国際題: Die Hard 4.0
*********** http://www.mopal.jp/mopal-new/index.php/ppp-new
http://movie.walkerplus.com/mv36197/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%894.0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD2:50%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9E!
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=4886 PPP
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┃ 『WALL-E(ウォーリー)』 ┃
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┌─――――――――――――┐
|2008(平成20)年 6月27日(金)|アメリカ 公開 3992館で公開、6250万ドル(約66億円)を記録して初登場第①位
|2008(平成20)年 7月 4日(金)|アメリカ 1億ドル
|2008(平成20)年 8月 1日(金)|アメリカ 2億ドルを突破
|2008(平成20)年12月 5日(金)|日 本 公開 5億1000万円を記録して初登場1位
|2009(平成21)年 4月22日(水)|日本で、DVD・Blu-ray Discにてレンタル・販売を開始
|2008(平成20)年12月18日(木)|エィガポイント:6.5
└─――――――――――――┘
************ http://www.mopal.jp/mopal-new/index.php/ppp-new
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD2:50%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9E!
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=4886 PPP
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┏━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『ディア・ドクター』 ┃
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┌─――――――――――――┐
|2009(平成21)年 6月27日(土)|公開
|2009(平成21)年 8月 6日(木)|エィガポイント:7.0
└─――――――――――――┘
************ http://www.mopal.jp/mopal-new/index.php/ppp-new
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD2:50%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%94%E3%83%BC%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9E!
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=4886 PPP
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ missマリリン・モンローの今日のエピソード ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐モンローの胸部を含むエックス線写真3枚が、
|2010(平成22)年 6月27日(日)|本日、ラスベガスのホテル「プラネット・ハリウッド・リゾート・アンド・カジノ」で
└─――――――――――――┘オークションにかけられ、胸部エックス線写真は2万5,000ドル、横から写したものなど2枚はそれぞれ1万ドルで落札された。写真はモンローが1954年11月に、フロリダ州のシーダーズ・オブ・レバノン病院で診察を受けた際に撮影されたもので、担当した医師の夫人が保管していたもの。モンローは当時、子宮内膜症に苦しんでおり、この治療のために通っていた。子宮の状態を検査するため、胸部や骨盤を撮影した際のもの。またこの時期は、夫のジョー・ディマジオと離婚して2週間後の時期でもあった[26]
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http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=67657 1991
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC
***********************************************************㊤↑エピソードへ
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┃ 『FILM STARS DON'T DIE IN LIVERPOOL』 ┃
┃ 『リヴァプール、最後の恋』 ┃
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2017(平成29)年09月01日(金) Telluride映画祭でプレミア公開
2017(平成29)年09月05日(火) 予告編公開
2017(平成29)年11月16日(木) UK released ※wiki English
2017(平成29)年11月17日(金) UK released ※wiki Japanese
2017(平成29)年12月29日(金) US released
2019(平成31)年03月30日(土) JP released
2016(平成28)年05月06日(金) ポール・マクギガン監督の新作にアネット・ベニング、ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズの3人起用報道
‡2016(平成28)年06月27日(月) ヴァネッサ・レッドグレイヴの出演が決まったと報道
‡2016(平成28)年06月27日(月) 主要撮影 ロンドンとリヴァプール開始
2016(平成28)年08月08日(月) 主要撮影 ロンドンとリヴァプール終了
1981(昭和56)年09月29日(火) ピーター・ターナーの元に衝撃の知らせが飛び込んできた。かつての恋人グロリア・グレアムがランカスターのホテルで倒れたのだという。「リヴァプールに行きたい」そう懇願するグレアムに対してターナーは自分の実家でグレアムを療養させることにした。ターナーの家族やリヴァプールを懐かしむグロリアだったが、全く病状を明かそうとしない。心配になったターナーは、アメリカの主治医に連絡をとり病状を確かめた。そして、グレアムの死が近いことを悟ったターナーは、不意に彼女と楽しく過ごしていた頃を思い出すのだった。最後までグレアムがリヴァプールに拘り続けた理由とは―
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https://www.amazon.co.jp/dp/B07X7KJP7V
https://ja.wikipedia.org/wiki/リヴァプール、最後の恋
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①┃ Internationale Filmfestspiele Berlin (第8回ベルリン国際映画祭) ┃
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┌─――――――――――――┐
|1958(昭和33)年 6月27日(金)|開幕
|1958(昭和33)年 7月 8日(火)|閉幕
└─――――――――――――┘
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②┃ Internationale Filmfestspiele Berlin (第25回ベルリン国際映画祭) ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|1975(昭和5)年 6月27日(金)|開幕
|1975(昭和5)年 7月 8日(火)|閉幕
└─――――――――――――┘備考・・・6月から7月の開催最後。これ以後は二月から三月へと移行するヨ(=^◇^=)
*********** http://en.wikipedia.org/wiki/Holidays_in_the_Sun (=^◇^=)
①http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC8%E5%9B%9E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC25%E5%9B%9E%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 第三回 新・午前十時の映画祭『ライアンの娘』デジタルで甦る永遠の名作 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
‡|2015(平成27)年 6月27日(土)|2015年度 第08回 公開開始
|2015(平成27)年 7月10日(金)|2015年度 第08回 公開終了
└─――――――――――――┘http://asa10.eiga.com/2015/theater/543.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 午前十時の映画祭 10 FINAL ┃
┃ デジタルで甦る永遠の名作 広島バルト11 ┃
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†2019(令和元)/06/14(金)~2019/06/27(木)『八甲田山』4Kデジタルリマスター版
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%88%E5%89%8D%E5%8D%81%E6%99%82%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
http://asa10.eiga.com/2019/theater/947.html
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映画のチラシ
‡2001(平成13)年06月27日(水)
生まれて初めて手にした映画のチラシは近所の本屋のレジ脇に置いてあった「カサンドラ・クロス」っていうB級映画のチラシ。小4の頃の話だけど、その時は特別な意識も皆無で「あ、映画の広告だ」程度の感覚で何となく手にしただけ。別にこれを大事に取っておこうとか集めようとかは全然思わなかった。映画のチラシという物に対する意識が変わったのは当時出版されてた講談社の「映画チラシ大全集」っていう本を立ち読みした時。この本には昔の西部劇とか戦争映画とか、ブルース・リーのアクション映画とか当時夢中だった「タワーリング・インフェルノ」や「ジョーズ」の チラシが掲載されてた。それを見て「あ、このチラシ欲しい!」って思ったのがあたしの映画チラシコレクションの洗礼でしょう。映画のチラシって基本的には新聞の折り込み広告とかと全く同じ意味合いの物なんだけど存在そのものが妙に洗練されてる気がするな。表面にはポスターと同じ絵柄を縮小して使用し、裏面には作品に関する簡単なデータと寸評が書かれ、最下段にどの劇場で公開されるかの情報が記載される。要するにそれ1枚が予告編の役割を果たしている訳よ。それにポスターと比べて格段に小さいから複数あっても場所を取らない。しかも無料。映画好きの収集アイテムとしてこれほど都合のいい物も他にないと思わない?当時はまだ小学生だったから頻繁に映画館へ通う事も出来なくて、初めのうちは思うようにコレクションが充実しなかった。ただ、中野サンプラザの1Fにプレイガイドがあって、そこの売り子のお姉さんに頼むと公開が終わった映画のチラシをくれたの。取り扱ってる映画鑑賞券の宣伝用に用意されてたチラシも公開が終われば不要だからね。当時のあたしにしてみれば唯一と言っていいチラシ入手の窓口だったし、家が近かった事もあってサンプラザにはそれこそ毎日のように通ってた。今にして思えば鬱陶しいガキだよね。あの時あたしの相手をしてくれた売り子のお姉さんにはホント申し訳ない事をしたなあと思ってる。それから半年ほどして「タワーリング・インフェルノ」や「ジョーズ」のチラシを手に入れたんだな。中野ブロードウェイセンターの4Fに切手や古銭を売ってる マニアックな店があって、たまたまそこを覗いたら「どれでも3枚で¥100」みたいな感じで雑多に売ってたの。その後、この店は映画チラシ業界にその名を馳せた激烈ボッタクリショップとして君臨する事になるんだけど、当時はまだ良心的な店だった。それから半年もしないうちに映画チラシコレクションが大ブームになり、3枚¥100コーナーしかなかったこの店でも物によっては1枚¥300とか¥500で売るようになった。更に時間が経過するとヨソの店よりゼロが1つ多い店になっちゃうんだけど。<しつこい?小学生の小遣いじゃ1枚¥300でも買うのはキツくてね。一度だけお袋にねだって¥350で売ってた「エアポート'75」のチラシを買ってもらった事がある。今にして思えばあんなクソ映画のチラシに¥350も出すなんてって感じだけど、ガキにしてみればこのテの映画は魅力的だったのよ。その後も映画を観に行くと劇場に置いてあるチラシを貰ったり、なけなしの小遣いはたいてお気に入りのチラシを買ったりしながら少しづつコレクションを充実させていった。この頃までは純粋な映画少年のコレクションって感じだったんだけど中1になった頃、それが徐々に狂い始める。丁度その頃、前記のボッタクリショップを頻繁に出入りしてたら同世代のコレクター数人と知り合ったんだけど、彼らはいつも買い物をするでもなく店の周りをウロウロしてて、店に来た客が一通り買い物を終えて出てきた時にこう声をかけるの。「ねえ、チラシ買わない?この店の半値でいいからさ」こういう光景って当時は珍しくなくてね。初めは面食らったけど、彼らと付き合う内に自分も少しづつ感化されてしまった。実際、これがよく売れたのよ。チラシ目当ての客にしてみれば安く買えた方が有り難いし、こっちにしてみれば不要なチラシが金に換わる訳だから利害関係は一致してる訳。今でもあたしはYAHOO!オークションでカードを売るという当時と似たような事をやってるけど、今と徹底的に異なる点はチラシの入手に元手はかからないって事。劇場へ行けば新作のチラシはタダで貰えるでしょ? これが1枚¥50とかに化けるんだからそりゃあいい小遣い稼ぎよ。当然、考えることは皆同じだから劇場のロビーにチラシが置いてあると中・高生のチラシコレクターが根こそぎ持ってっちゃう。故に宣伝部も劇場にチラシを置けない、なんて異常事態が発生したのも丁度この頃の話。当時を知ってる東京近郊在住の映画チラシコレクターなら覚えてると思うけど、毎週日曜になるとテアトル新宿の前や新宿ピカデリーの裏手(現在のカメラのさくらやホビー館前)はチラシコレクターのフリマ会場と化して大盛況でね、ほとんど市場の様相を呈してた。あくまで市場ね。決して交換場ではなかった。しかもこの市場は当局の許可を得て行われてる訳じゃないから、通報を受けた警官が時折様子を見に来たりする訳。するとコレクター全員が蜘蛛の子を散らすように逃げていくの。端から見たらあれほど異常な光景は無かったと思う。そういった場でエセブローカーまがいの行為を繰り返す事によって稼いだ小銭の大半は遊ぶ金に消えてたんじゃないかな。勿論、コレクションを充実させる為に他のコレクターから欲しいチラシを買う事もしたけど、それ以上にゲーセンとかで消えてしまう比率の方が高かったと思う。そして、残った金を軍資金として安い店でチラシを仕入れては上乗せして売り捌く自転車操業の繰り返し。ガキのクセして妙に羽振りが良く、正に小さな行商人と化して友人には「チラシ屋」とか呼ばれバカにされてたけど、それでもあたしはこの悪行を止めなかった。しかし、こんな事ばかり続けてると必ずバチが当たりますよ。あたしも中2になり、いつものように新宿へ出向いたある日のこと、ふと目を離したスキに手持ちの中では最も高価なチラシばかりが収まった商売用のファイルを盗まれてしまった。中には友人から預かった高額チラシも何枚か含まれていて、それを弁償する為にあたしは大事なコレクションを切り崩して売り捌くハメに。正に身から出たサビ。コレクションを食い物にした報いですな。この一件であたしはもう映画のチラシなんかこりごりと思って手持ちのチラシコレクションの約9割を処分してしまった。全部処分しなかった理由は、やっぱり好きで始めたコレクションだし、全部手放すのも忍びなかったからだろうな。ちなみに、手元へ残した1割というのがクリント・イーストウッド作品のチラシ。明確なテーマを持たず、映画のチラシというだけで様々な物をただ闇雲に集めまくっていた当時のあたしにとっては唯一目的意識を持って集めていたのがイーストウッドのチラシだった。だからこそあの時も手放さなかったんだと思う。web上にはあのチラシブームをリアルタイムで体感したチラシコレクターのサイトが数多くあるけど、こんな生々しい話を公開してる所は多分1つもないだろうな。でも、ブームの裏側は正にこんな感じだった。それからしばらくの間、映画チラシコレクションとは全く無縁の生活を送る。これが再燃したのは社会人になってから。その昔、自分が映画チラシを夢中になって集めていた時の事をふと思い出して、ちょっとした気まぐれであのチラシブームの頃には幾度と無く足を運んだ練馬の古本屋へそれこそ10数年ぶりに訪れた。そしたら店の趣も当時のままに営業してた。それが妙に嬉しくてね。そして店の在庫をチェックさせてもらい、抜けになってたイーストウッドの新作チラシや、例の一件で手放してしまったコレクションの一部を買い戻したりした。転売目的なんかじゃなく純粋に自分のコレクションとして、ね。で、今に至る。ちなみにその古本屋へは今でもたまに行く。それこそ年に1回とかそんなペースだけど、店主のおばさんは何故かあたしの事をよく覚えてる。まあ、行く度にイーストウッドがイーストウッドがってうるさく言うから印象に残るんだろうな。今のあたしは作家別コレクションっていうテーマを持ってチラシ収集を続けてる。これを始めたのはカード収集を始める遥か以前なんだけど、収集姿勢の面ではトレカのコンプ狙いに凄く似てる。北野武監督作品のチラシは全種集める、とか70年代以降のサム・ペキンパー作品のチラシは全部集める、とか。で、高額なレア物の類には極力手を出さないようにしてる。もう映画チラシコレクションは、あくまでも金のかからない趣味としてのレベルで楽しみたいからね。ただ、たった1枚だけ是が非でも入手したい高額チラシがある。「マンハッタン無宿」っていう、イーストウッドが初めてドン・シーゲル監督と手を組んだB級アクション映画のチラシで現在の市場価格は約¥8-9万。実はこれ、チラシブームの頃に持ってたんだけど、当時付き合っていたチラシコレクターの知人に「3万で売ってくれ、前金に8千円払うから」と言われ、バカなガキだったあたしは金に目がくらんで手放してしまった。結局そいつから残金を受け取る事も無く、そのままトンズラされちゃったという。この苦い思い出を精算する意味でもこのチラシだけは取り戻したい。とは言え、如何にあたしが社会人でもたかが紙切れ1枚に8-9万出すのは勇気が要りますよ。そんな訳で、チラシ収集を再開した日から今日までの間、いつか必ず取り戻してやると思いつつも未だに入手出来ずにいる。恐らく、宝くじでも当たらない限りは入手しないと思うけど。
http://homepage1.nifty.com/ei-chan/collemy14.htm