‡1991(平成三)年01月04日(金)『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始
http://sudati.iinaa.net/hamon.html
力道山先生のキャデラックは今いずこ・・・
先月としか思えない
‡2001(平成13)年01月04日(木)の当ブログにてお伝えした昭和の自動車塗装名人、故中沖満先生の名著「力道山のロールスロイス」が今年になって復刊されました。
http://www.mooneyes.co.jp/wildman/2012/0616/2721
映像◆#日本の闇 #在日 #日本支配 日本在日占領計画と日本人という選民https://youtu.be/m9l1rmkufpY
‡2020(令和二)年01月04日(土) 2,913回視聴14:28 2020/02/18(火)現在
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┃ 原爆慰霊碑破損事件 ┃
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‡2012(平成24)年01月04日(水) 原爆慰霊碑の碑文に金色の塗料が吹き付けられる事件が発生している。この事件では防犯カメラの映像と目撃証言などから、
2012(平成24)年11月13日(火) 広島県警捜査一課と公安課、広島中央署は被疑者として大阪市吹田市在住の自称著述業の男A(逮捕時77歳)を器物損壊で逮捕している。男は容疑を認めた上で動機として文言に不満があったという主旨の供述をしている[7]。なお、Aに対し広島地裁は
2013(平成25)年01月24日(木) 懲役1年6月、執行猶予3年を言い渡したが、判事は「社会に与えた影響は軽視できず、犯行を正当化する態度にも問題がある。刑事責任は軽くない」とした[8]。また
2012(平成24)年09月21日(金) 広島市西区在住のアルバイト店員の男性B(逮捕時35歳)が赤色のスプレーをかけたとして逮捕されている。動機として「オスプレイや沖縄問題に腹が立ってスプレーを吹き付けた」と供述している[9]。Bは起訴され
2012(平成24)年12月13日(木) 広島地裁は懲役1年6月、執行猶予3年が言い渡されている。判決では「政治的考えを世間に示すための犯行だが、そのためには別の手段を選ぶべきだった。短絡的で身勝手な犯行だ。」と指摘したうえで、被告人が反省しており、原状回復の費用を支払ったことから執行猶予が付けられた[10]。
https://www.uta-net.com/song/107
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91%E7%A0%B4%E6%90%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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2010(平成22)年01月04日(月) 世界一の超高層ビルが中東ドバイで落成 ⇒ アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、世界一の超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」(写真)が落成した。正式発表された高さは828メートルで、台湾の超高層ビルの508メートルを大きく塗り替えた。ビルは約160階建てで、総工費は15億ドル(約1380億円)【EPA時事】※2021年説明追加 2022年記事削除 2024年記事復活
2007(平成19)年01月04日(木) ペロシ氏が女性初の米下院議長に就任 ⇒ 2006(平成18)年11月の米中間選挙で上下両院で多数派となった民主党主導の連邦議会で、下院で同党のナンシー・ペロシ議員が議長に選出された。大統領が職務履行不能となった場合、副大統領に次ぐ継承権を持つ下院議長に女性が就任したのは初めて。写真は、同僚議員とハイタッチするペロシ議員【AFP時事】※2022(令和四)年記事追加, 2024年記事削除
1977(昭和52)年01月04日(火) 電話ボックスなどに置かれた青酸入りコーラで2人死亡 ⇒ 電話ボックスなどに置かれたコーラを飲んだ男子高校生ら2人が死亡する事件が起きた。場所は東京・品川駅の近く。2月にも東京と大阪で青酸入りのコーラ、チョコレートなどが見つかる事件が続いた。写真はコーラ瓶が置かれていた公衆電話ボックス【時事通信社】※2021(令和三)年説明削除
1947(昭和22)年01月04日(土) 戦時下で中止された箱根駅伝競走が復活
https://www.jiji.com/jc/daily
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=松村真行
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‡2014(平成26)年01月04日(土) 阪神の2年目・藤浪晋太郎が自主トレで選んだ一文字は「躍」
‡2018(平成30)年01月04日(木) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月4日だ。
写真◆14年西武ドラフト1位の森友哉(左)と談笑。12年甲子園春夏連覇のバッテリーだ
日本ハムの大谷翔平がエンゼルス入りを果たしたが、甲子園、さらにプロ入団時の評価では拮抗、いや上回っていたのが、阪神・藤浪晋太郎だ。実際、1年目の2013年は大谷の3勝に対し、藤浪は10勝(6敗)を挙げている。
14年1月4日は、阪神の2年目・藤浪の自主トレ始動日(正確には公開日)だ。
朝10時、柔らかい日差しの中、母校・大阪桐蔭野球部グラウンドでの自主トレを公開した。13年の1年間、高卒ルーキーながら先発ローテを守り、ゲンを担いで前年と同じ原点の場所で2年目のスタートを切った。
「去年もここからスタートして1年間、ケガなく過ごせたので。同じ場所から始められて、新たな気持ちになりました」と藤浪。キャッチボールや坂道ダッシュなど約3時間汗を流した。
「去年は一軍で投げられると思っていなかったので自覚はなかったですけど、ある程度の成績をつけてもらって、今年はしっかりやらないといけないという、自覚があります」
その言葉どおりオフから自分でメニューを決め、ウエート・トレなどしっかりこなし、年末年始も体を動かしてきた。
藤浪が2014(平成26)年のテーマとして、選んだ言葉は「躍」。
「活躍もそうですし、僕みたいな若い選手が飛躍できれば、チームにいいものが出てくると思う。相手打者はデータや慣れがあるので、今年は相手が感じたもの以上を出さないと通用しない。去年と同じ力では去年と同じ成績は残せないと思います」と自己分析もできている。
春季キャンプ初日からブルペンに入ることも視野に入れ、しっかりと体を作り上げていた。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180104-11
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.043 ┃ 30円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
1959(昭和34)年2月04日(水)号 特集 二年目の長嶋茂雄 ストーブ・リーグその後の主人公
2017(平成29)年12月9日(土) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎長嶋茂雄のオフの多忙な取材日程
写真◆表紙は南海・野村克也
今回は『1959年2月4日号』。創刊43号で定価30円だ。表紙は南海・野村克也のキャッチャーシーン。なかなか斬新だ。センターグラビアでは里帰りの密着もあった。センターカラーは青空バックで巨人・広岡達朗のゴルフ場での1シーンだ。
巻頭グラビアは残り少ない学生生活を楽しむ王貞治(早実─巨人)。そして本文巻頭が『2年目の長嶋茂雄』。オフの多忙な取材日程があったので抜粋する。
‡1959(昭和34)年01月04日(日) 浅草国際劇場に出演 4回目
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.143 ┃ 30円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1961(昭和36)年1月04日(水)号 水原は東映で男になれるか 1960年プロ野球十大事件の立役者
2018(平成30)年3月19日(月) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎当事者の話をふんだんに盛り込んで
写真◆表紙は西鉄・稲尾和久
今回は、月号だけは年が変わり、『1961年1月4日号』。定価は30円だ。グラビアはオフでリラックスする選手たちを掲載し、巻頭は『メリケン波止場に遊ぶ』で阪神・吉田義男と村山実の神戸散策。のちには不仲もウワサされた2人だが、この時点ではそんな雰囲気は欠片もない。
本文巻頭は『水原は東映で男になれるか?』。巨人監督を退任した水原茂。その動向が長く注目されていたが、12月8日、ついに東映監督就任が決まった。このオフ、記者たちは進路がはっきりしない水原を必死に追いかけた。それについて水原に聞くと、「報道関係はおかげでずいぶん儲かっただろう。人間追われていることが分かれば、逃げてやろうという気になるものだ」と言ってニヤリと笑った。短気でプライドが高すぎた印象はあるが、愛嬌もたっぷりある人だったようだ。
今回は恒例企画『1960年プロ野球10大事件の立役者』もあった。
まず項目から。
「水原になぐられて」
「徳武争奪戦の涙」
「岩本の中途解任」
「永田、西本の馬鹿野郎事件」
「三原大洋入りの真因」
「大洋優勝に使った金」
「川上登場の陰の演出者」
「別所が302勝するまで」
「山内の振り逃げ事件」
「連続20勝成るの日」
どれもそそるが、紹介するスペースに限りがある。
いずれも単なる記者の客観原稿ではなく、三原大洋入りの記事なら、三原脩監督夫人からと、当事者たちの証言を盛り込んでいるのが、売りだった。
2つほど簡単に紹介する。「水原になぐられては」は1960年10月2日、V逸のイライラから水原監督(巨人時代)が殴った深山カメラマンの話だ。事件の真相を細かく語り、さらに「事件後、大阪読売のある人が“巨人にとっては深山様さまだよ。これで水原をクビにできるきっかけができたんだから”というのを聞いたときは、なんとも言えない妙な気がし、水原さんて気の毒だなと心から思ったものです」と締めている。
馬鹿野郎事件は、前大毎監督・西本幸雄監督の話が中心だ。事件は日本シリーズ第2戦が終わった10月12日の夜だった。都内でコーチ連中と過ごしていた西本に永田雅一オーナーから電話が入る。失敗したスクイズなどを例に挙げ、「作戦が消極的過ぎる」と責めたてた。
西本が切れたのは、「だいたいきみのやり方が悪いってことは、評論家も認めているんだよ、きみ」の一言だったようだ。
「会長、私はチームの状態を見て、そのうえで作戦を立てているんですから、第三者がとやかく言うことはないと思うんですよ。だいたい評論家なんてのはですよ、結果を見ては云々してるじゃないですか。そんな結果論を取り上げて言ってきても困りますよ」
今度は永田がぶち切れた。
「きみはわしにたてをつこうというのか。負けた責任は、全部君にあるんだ。これは万人の認めていることだ」
西本も止まらない。
「そうですか、そんなことで責任を云々されるのでしたら、私はやめさせてもらいます」
その後も応酬があったらしいが、永田オーナーの「馬鹿野郎」が本当にあったかどうかがぼかしてあった。ただ、西本はそのとき、本気でやめようと思ったわけでなく、是が非でもここから逆転日本一を飾り、見返したいと思っていた。
だが、結果は無情の4連敗……。
以下、宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』が好評発売中。次回は日本ハムの予定です。
では、またあした。<次回に続く>
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.345 ┃ 50円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1965(昭和40)年1月04日(月)号 金田正一、巨人入団前夜
2018(平成30)年11月21日(水) 10:14 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎マッシーをめぐる1万ドルの謎
写真◆表紙は左が巨人・長嶋茂雄、右上が広岡達朗、右下がまだ国鉄の金田正一
今回は『1965年1月4日号』。定価は50円だ。
オリンピックイヤーも終わり、いよいよ昭和40年がやってきた。
日本人メジャーとしてSFジャイアンツで華々しい活躍をした南海・村上雅則が、12月16日に帰国した。
村上は1月にはまた渡米し、来季もSFジャイアンツでプレーするつもりでいるが、事態は簡単ではない。
南海・新山代表は「村上は絶対にうちの選手。当然、来季も南海でプレーする」と興奮気味にまくしたてた。
今回問題になっているのは、SFジャイアンツから南海に渡された1万ドルだ。SFジャイアンツは、「これはトレードマネーであり、南海はそれを受け取った。だから村上はうちの選手」と言っている。大して南海は、
「村上、高橋、田中の留学生を送るとき、この中から大リーグ入りする選手がいたら5000ドルから1万ドルの功労金を出すという約束があった。だからこっちは功労金として受け取った」
と力説。平行線をたどっている。
前回ふれた金田正一の国鉄退団が正式決定。巨人入りが濃厚となっている。経緯を簡単に書いておく。
12月14日、金田は国鉄本社を訪問し、長くお世話になった磯崎副総裁にあいさつ。その後、金田は本社内の部屋部屋を回り、
「みなさん、金田がお別れにきました。本当にお世話になりました。今後、どの球団で働くとしても、みなさんのことは決して忘れません」
と言って深々と頭を下げた。顔は涙をこらえ、クシャクシャ。取材にあたった記者たちも泣いていた。
国鉄には金銭で金田を移籍させる選択肢もあったが、金田がこれを拒否。B級10年選手の権利を行使し、退団後はセ・鈴木龍二会長管轄の特別保留選手となった。
金田はウエーバーで下位球団の中日、広島のどちらかに入るよう会長が指示することになるが、金田に拒否権があるので、おそらくその後、巨人入りとなるはずだ。
「プロ野球稼ぎ頭50傑」という年俸ランキングがあった。書くと長くなるのでスキャンした記事を掲載しよう。
写真◆相撲番付風のプロ野球年俸上位者ランキング
ちなみに、前号の表紙文字「カリブ海沿岸に進出する東映」に興味を持たれた方がいるようなので簡単に。記事はアメリカから中米を回る旅に出る東映の水原茂監督の出発前にインタビューだ。
目的はメジャー経験の選手の年俸が高いので、無名だが身体能力の高い中米の選手をスカウトしたい、というのと、向こうでやっているウインター・リーグに東映を参加させることができないかの交渉をするということだった。
いずれも最近思いついたことではなく、巨人監督時代からのプランのようである。
では、またあした。<次回に続く>
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171209-10
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180319-12
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181119-02
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┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.672 ┃ 100円
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‡1971(昭和46)年01月04日(月)新年特大号 阪神・江夏豊が百貨店でアルバイト
1971(昭和46)年01月11日(月)新年特大号 阪神・江夏豊が百貨店でアルバイト
2020(令和二)年03月19日(木) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎働くほど赤字?
写真◆表紙は左から巨人・王貞治、長嶋茂雄
今回は『1971年1月4・11日号』。定価は100円。
新年号で豪華対談などが目白押しだが、ここで扱いたいピリッとした(?)ネタがあまりなかった。
今回は、少しほのぼのした小ネタを紹介しておく。短めで失礼。
黒い交際でたたかれまくった阪神・江夏豊が、オフに社会勉強のため10日間、阪神百貨店でアルバイトをした。
感想を聞かれた江夏は「女店員にこんなことで怒られた」と笑っていた。
「2号室ね。デパートで2号室と言ったらトイレのこと。僕、女店員に便所へ行ってくると言ったら叱られた。2号室に行ってくるといいなさいって」また、
「びっくりしたのが女性上位の時代。僕が品物を包装するのにモタモタしていたら、はやいことしなきゃあかん、とハッパをかけられたよ。
でも、銭、金にかかわらんくらいいい経験をしたよ。来年もやれと言われたら、もうようやらん。思っていたより、しんどかった」とも話していた。
勤務態度はなかなかよく、売り上げにも大いに貢献したという江夏に支払われた給料は1万2500円。江夏はそれをもらうと封も切らぬまま球団事務所に持って行き、恵まれない子どもたちのための施設に寄付してもらった。
ただ、驚いたのは出勤の仕方。「朝が弱くて」という江夏はタクシーで出勤していたらしい。10日間で、その出費が食事代を含め、3万5000円だったという。
全額給料をもらったとしても2万円以上の赤字になる。では、また月曜日に。
う、定価が100円になっていた。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200319-01
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
┃ プロ野球仰天伝説 No.012 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
わざと緩い球を投げたバカ肩の遊撃手・木塚忠助
‡2018(平成30)年1月4日(木) 11:06 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
異常に広かった守備範囲
恐ろしいまでの強肩だった木塚
名人木塚の後に木塚なし、と言われた遊撃守備の名手・木塚忠助。門司鉄道局時代には俊足強打の三塁手として「門司の赤鬼」とも呼ばれた。
南海では1年目からショートのレギュラーとなったが、その守備範囲が異常に広い。三塁手が抜かれた三塁線のゴロに飛びつきもせず、逆シングルで捕って刺し、普通ならセンター前に落ちる球を背走で軽々とキャッチした。
一塁手の飯田徳治はのち「投手の股を抜くような当たりに追いつき、アンダースローで送球。その後、地面をクルリと回転して立ち上がる。あんな遊撃手、その後も見たことない」と称賛した。
肩も強く、鶴岡一人監督は「三塁線からノーステップで投げたのが最後になって一塁スタンド上部までいったことがある。あれは強肩なんてもんやない。バカ肩や」と話している。
ベテランになってからだが、平凡なゴロをわざと山なりで送球し、相手打者を挑発することもあった。
「どんな握りでも投げられるように練習しているうちに、腕の振りが変わらず、しっかりコントロールできる緩い球が投げられるようになった。お客さんが喜んでくれるんで、親分も『時々、やってみろ』って許してくれたんです」と木塚は言った。
●木塚忠助(きづか・ただすけ)
1924(大正13)年4月23日(水)生まれ。佐賀県出身。唐津中から門司鉄道局を経て
1948(昭和23)年南海入団。1年目から遊撃の守備位置に就き、100万ドルの内野陣のカナメとなる。
1949(昭和24)年からは4年連続盗塁王に輝く。
1950(昭和25)年の78盗塁は当時の最多記録だった。
1957(昭和32)年近鉄に移籍し、
1959(昭和34)年限りで現役引退。引退後は近鉄などでコーチに。
1987(昭和62)年12月16日(水)死去。通算成績1288試合、1216安打、42本塁打、360打点、479盗塁、打率.262
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180104-12
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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