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①┃『CLUB SURFBOUND』┃
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‡1987(昭和62)年06月28日(日) LP&TAPE released
1987(昭和62)年07月06日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第1位
1987(昭和62)年07月20日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第1位
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②┃『CLUB SURF&SNOWBOUND』┃
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‡1987(昭和62)年06月28日(日) CD released
1990(平成二)年06月21日(木) CD re-released
2021(令和三)年06月23日(水) CD re-re-released
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①https://ja.wikipedia.org/wiki/CLUB_SURFBOUND
②https://ja.wikipedia.org/wiki/CLUB_SURF%26SNOWBOUND
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■「二人の夏」/愛奴 from 「愛奴」(?)
「Summer Means New Love」/Beach Boys from 「Today! Summer Days & Nights」(?)
「Your Summer Dream」/Beach Boys from 「Surfer Girl/Shut Down, Vol. 2」(?)
「Surfer Girl」/Beach Boys from 「Surfer Girl/Shut Down, Vol. 2」(?)
間奏の部分が「Summer~」。愛奴は浜田省吾が昔いたバンド(from JYANさん)。「Your~」「Surfer~」にも似てるそうです。
■「Gear up 409」 from 「Club Surfbound」(1987/06/28)
「California Girls」/Beach Boys from 「Today! Summer Days & Nights」(?)
曲調が似てるそうです。
■「Little Surfer Girl」 from 「Club Surfbound」(1987/06/28)
「Hawaii」/Beach Boys from 「Surfer Girl/Shut Down, Vol. 2」(?)
「Back in the USSR」 /The Beatles from 「The Beatles<The White Album>」(1968.11.21)
ベースラインが「Hawaii」、サビが「Back~」だそうです。
http://music.geocities.jp/gimi10jp/pack07.html#hamsyo
215NO MUSIC NO NAME2021/06/28(月) 19:35:10.19ID:IHzkjlbY
中学2年生の時、
おれの家は海から4、50メートルのところにあった。
小さな駐在所だった。
壁も屋根もトタン板で、雨が降るとものすごい音がした。
子供心に、その家が大嫌いだったし、みすぼらしいので、
恥かしくて友達を誰も家に招(よ)べなかった。
だけどそれでも、放課後、クラブ活動をさぼって、
飛ぶように家に帰ったものだ。
何故って部屋には、隣の大学生のいくちゃんから借りた、
ビーチボーイズのアルバムが全て揃ってたから。
夏休みになると、夕日が島影に落ちるまで、海で遊んでいた。
はじめてギターでコピーした曲は♪Then I kissed her♪だった。
ひとつ上の姉に、彼等が着ていたブルーの縦縞のボタンダウンのシャツを、
つくって呉とせがんで困らせたものだ。
彼女は、同じ柄の生地がないので、カーテン用の布で
縫って呉たのだが、ストライプの幅が広すぎて、おれはがっかりした。
それでも気に入ってたのか、白いトレーニングパンツと一緒に
よく着てたものだ。
ある日、ビーチボーイズのレコードのジャケットに写っている
長細い板は、一体何だろうと思った。
どうやらサーフィンという、波に乗る遊びらしいと気づいた。
それでおれは、その辺にころがっている板を拾ってきて、
丸くけずったり、カンナをかけたりして、サーフボードらしきものを作って、
喜び勇んで海に出た。
しかし瀬戸内海の海には波がなく
ただぼんやりと沖に浮かんでいるだけだった・
とてつもない大きな波を夢見ながら。
1987・夏・浜田省吾
今夜は、34年前の今日、
浜田省吾34才の時・・・に発表された
二枚目の浜田省吾の2枚目のミニアルバム『CLUB SURFBOUND』の曲とエトセトラをお聴きください。
参考◆https://ja.wikipedia.org/wiki/CLUB_SURFBOUND
①♪Summer Means New Love♪https://youtu.be/-jg4qaujC8U
省♪Gear Up 409♪https://youtu.be/X2-8BjEg7eY
②♪409♪https://youtu.be/frtVqCZub-0
②♪ALL SUMMER LONG♪https://youtu.be/QBEzcDMnZYQ
②♪California Girls♪https://youtu.be/-JpM7i0yaz0
省♪(Sweet)Little Surfer Girl♪https://youtu.be/LpjTdcQSISE
③♪Surfer Girl♪https://youtu.be/HGjky5U64LM
参考◆http://www.begets.co.jp/doda/archive/038.html
https://www.uta-net.com/song/52946/
浜田省吾さんゆかりの江田島へ。図書館のベンチは一見の価値あり。(ファン向け)
2020/12/30 投稿日
https://journey1001.com/8073/
‡2005(平成17).06.28(火) 浜田省吾 1992(平成四)年1月以来の初恋の島来訪
2005(平成17).10.30(日) 広島 呉~江田島 会報132号『広島音楽本3』+-+-+
http://www.csf.ne.jp/~kumi/time%20of%20your%20life.htm
692NO MUSIC NO NAME2017/10/11(水) 06:53:44.75ID:YO01pPN8
話ぶった切るけど江田島図書館行ったから記念に晒すわ
https://i.imgur.com/cB2kD6N.jpg
https://i.imgur.com/D3INo53.jpg
https://i.imgur.com/4EB1HUT.jpg
https://i.imgur.com/rla42Df.jpg
あぁ、やっぱり浜田省吾を見てみたいな
他の写真を見ると地元(江田島)ではスター扱い
何だろう、浜田省吾という人間の魅力は
やっぱ好きだわ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/musicjm/1506225263/
二人の夏 作詞・作曲 浜田省吾 愛奴
CBSソニーとしては強力なプッシュもしてて、150万枚は売れる!な~んて前評判で、結局は全然売れなかったんだよね、この歌(笑)。
でも、いい歌だぁ。愛奴は、浜田省吾が在籍していた広島出身のグループ。他には町支寛二と青山徹がいた。
町支寛二は広島フォーク村のアルバムにも名前があるから、そんなツテなのか(詳しいことは知らない)、愛奴は最初、吉田拓郎のバックバンドとして名前が知られた。よしだたくろう&かまやつひろしのデュエット曲『シンシア』のB面 、『竜飛崎』のバッキングがレコード・デビュー。
その後、拓郎が小室、陽水、泉谷の4人でフォーライフを設立してCBSソニーを離れ、その75年に愛奴のデビュー・シングル『二人の夏』は発売になった。
当時のことはよく憶えてる。兎に角、フォーライフ一色だったんだよ、話題は。フォークが台頭してきて、フォークは商売になる!と各レコード会社が動き始めたその矢先、ドル箱だった拓郎(CBSソニー)と陽水(ポリドール)が抜けて、自分達でレコード会社を興しちゃうってんだから、行く末の不安を抱えながらも、ギョーカイはこの話で持ちきり。学校でも、結構な話題だったもん。
そこへ持ってきて拓郎は、かぐや姫と一緒につま恋でオールナイトのイベントをするなんて云い出して、夏の話題をかっさらってたからね… 『二人の夏』なんて人知れず発売されて、人知れず散ったようなもの(笑)。
でも、ラジオでオン・エアされたこの歌を聴いて、「あ、オシャレな歌だな」って思った。フォーク一色の機運の中にあって、とっても印象的だった。聴こえるか聴こえないかのギターの短いイントロだから、初めて聴いた時にはイントロ無しで「ふ~たりの~夏~は~♪」のファルセット・ボイスが飛び出したように勘違いしてたな。
全編聴けば、ビーチ・ボーイズの雰囲気がモロなんだけど、歌い出しの「ふ~たりの~夏~は~♪」のメロディーはビーチ・ボーイズじゃないよね。歌のコード運びやコーラス・ワークよりも先に、この「ふ~たりの~夏~は~♪」のメロディがとても気になった。
ボーカルは町支寛二と青山徹。きっちりとしてるし、上手いよね。浜田省吾が歌ってたら、きっと台無しだったと思う(後にソロで出してるけど(笑))。
…あれからもう26年 !???26年も、夏がくる度僕はこのレコードをかけてるんだ(笑)。
http://www.begets.co.jp/doda/archive/038.html
浜田省吾 ♪二人の夏♪ 1987 無修正PVです④(=^◇^=)
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
町支寛二●BROKEN SUMMER~カタコトの夏 XDCL93129 浜田省吾
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┃ 浜田省吾 #31『CLUB SURFBOUND』 ┃
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2016(平成28)年10月21日(金)
‡1987(昭和62)年06月28日(日)に発売された浜田省吾さんのミニアルバム「CLUB SURFBOUND」のレコーディングの話です。
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1987(昭和62)年04月06日(月)、沖縄県那覇市民会館でのJ.BOYツアーの最終公演を終えた浜田省吾一行は、次の日に恩納村のプライベートビーチを貸し切って、総勢数十名での打ち上げパーティを行った。長い長いツアーが終わった安堵感から、この日のパーティはとても和やかで楽しいものとなった。東京に戻ったぼくは、すぐに浜田省吾のニューアルバムのための曲作りにとりかかった。今回のアルバムは夏をテーマにしたリゾートアルバムで、1985(昭和60)年に出たクリスマスアルバム『CLUB SNOWBOUND』の続編とも言えるアルバムだった。そしてバンドのメンバーが各自一曲ずつ曲を書いて、それに浜田さんが詞を書くという画期的な試みを行うことになった。ぼくは意気揚々と作曲を始めた。しかしなかなか納得の行く曲が出来なくて苦しんだ。いつもはもっとスムーズに曲が出来るのだが、今回は浜田省吾のアルバムに収録される曲ということで、特別なプレッシャーを感じていた。曲の断片を作っては捨てる作業を何度も繰り返した。それでもやっとのことで何とか納得の行く曲が出来たので、早速浜田さんに聴いてもらうことにした。ちなみに今回のアルバムのプロデューサーは、J.BOYの時と同じく浜田省吾だった。ぼくが作った曲を聴いた浜田さんの感想は、サビのメロディが今一つ弱いのでは?ということだった。もっとゆったりとした端正なメロディのほうが、ぼくが作った曲には合うということで、ぼくはサビのメロディを作り直すことにした。何パターンかサビのメロディを作ってはみるものの、どうもいまいちピンと来ない。そこでぼくは何かヒントになるのではと思い、敬愛するミュージシャンでもあるデビッド・フォスターのビデオを見ることにした。ビデオの中にデビッド・フォスターが作曲をするシーンがあった。デビッド・フォスターがカナダのバンクーバーの街を車を運転しながら、カセットテープレコーダーを片手に鼻歌で曲を録音している映像だった。「これだっ!!」と思い、早速ぼくはデビッド・フォスターの真似をして、車にテレコとポータブル鍵盤を積み込んで真夜中の駒沢公園近辺に繰り出した。駒沢公園の周辺をテレコ片手に、鼻歌を口ずさみながら車に乗ってぐるぐると周回してみたものの、一向にメロディが出てくる気配は無い。結局明け方までトライしてみたものの、いいメロディは出来なかった。「デビッド・フォスターの嘘つき?!」ぼくは一人で毒づいていた(笑)何日か経ってやっと自分でも納得の行くメロディが出来た。浜田さんに聴いてもらうと今度はOKだった。ホッとした。メロディが出来たのも束の間、すぐに曲のアレンジに取りかかった。ちなみにぼくの作った曲の仮タイトルは「Itakura Ballad」だった。
1987(昭和62)年04月23日(木)、千駄ヶ谷にあるビクターレコードの301スタジオで、ニューアルバムのレコーディング第一弾が行われた。この日はアルバム先駆けてリリース予定のシングル曲のレコーディングだった。曲は「二人の夏」。愛奴のデビュー曲のリメイクだった。リメイク版のアレンジは町支さん。19時から始まったレコーディングは順調に進んで行った。この日のレコーディングメンバーは
ドラムス:高橋伸之
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
ピアノ:板倉雅一 いつものお馴染みのメンバーだった。
1987(昭和62)年4月26日(日)、19時から信濃町ソニー1スタジオで二人の夏のダビング作業が行われた。一週間後の
1987(昭和62)年5月03日(日)~05日(火)、横須賀の観音崎マリンスタジオで本格的にレコーディングが始まった。ただし浜田省吾さんは私事で帰郷していたため、このレコーディングには参加することが出来ず、ぼく達バンドのメンバーだけでリズムトラックのレコーディングを行うことになった。観音崎マリンスタジオは観音崎京急ホテルに隣接したリゾートスタジオ。すぐ目の前が海で東京湾が一望出来る素晴らしいロケーションのスタジオだった。ぼく達バンドのメンバーは、
1987(昭和62)年5月02日(土) レコーディングの前日に観音崎入りした。宿泊は観音崎京急ホテル。ホテルからの景色もスタジオと同じく素晴らしくて、プライベートでも訪れたいような場所だった。
1987(昭和62)年5月04日(月)と
1987(昭和62)年5月05日(火)でリズム録りする予定の曲は、江澤くん作曲のミディアムテンポのナンバー、町支さん作曲の軽快なシャッフルのナンバー、古村くん作曲のアップテンポのナンバー、ぼくが作曲のバラードナンバー、浜田さん作曲のアップテンポのナンバーの5曲だった。浜田さん不在の中、レコーディングは始まった。スタジオにいるのはバンドメンバーと、ロード&スカイのスタッフ数名、楽器担当のローディ数名、ディレクターの須藤晃さん、エンジニアの助川健さん、カメラマンの内藤順司さんの十数名。それぞれの曲のテンポを慎重に確認しながら、レコーディングは進んでいった。観音崎マリンスタジオはピアノのブース(個室のような仕切り)が無く、レコーディングの際に他の楽器の音がピアノを録音するマイクに被ってしまうため、アコースティックピアノは仮で弾いておいて、後日東京のスタジオで差し替えることになった。ぼくは出来ることならバンドのメンバーと同時にピアノを録音したかったので、これには少しがっかりした。マリンスタジオでは朝と夜の二回、スタジオスタッフ手作りの食事が提供された。これがとても美味しくて、ぼくはレコーディングの合間の食事がとても楽しみ だった。しかし滞在している間中、ほぼ朝までレコーディングが続いたので、朝と夜の食事の区別がよく分からなくなってしまった(笑)
1987(昭和62)年5月05日(火)の昼過ぎにリズム録りを終えたぼくはスタジオを後にして、世田谷区三宿の人見記念講堂で行われたデビット・フォスターとリー・リトナーのコンサートを観に行った。人見記念講堂は当時住んでいた家から歩いて数分のところだったので、ぼくは一旦帰宅してから出かけた。この日のコンサートはアメリカのビールメーカー、クアーズが冠スポンサーに付いていて、会場の外ではクアーズビールが販売されていた。ゴールデンウィークの最中、幸い天気も良くてアメリカンな雰囲気の中でのコンサートは最高だった。
1987(昭和62)年5月08日(金)~20日(水)まで、集中的にダビング作業が行われた。
1987(昭和62)年5月08日(金)は信濃町ソニースタジオで江澤くんの曲のダビング、
1987(昭和62)年5月09日(土)は信濃町で梁くんの曲のリズム録り、
1987(昭和62)年5月10日(日)は六本木ソニースタジオでぼくの曲のダビング、
1987(昭和62)年5月11日(月)と
1987(昭和62)年5月12日(火)は信濃町でシンセのダビング、
1987(昭和62)年5月14日(木)は六本木セディックスタジオで町支さんのギターダビング、
1987(昭和62)年5月16日(土)と
1987(昭和62)年5月17日(日)は浜田さんのボーカル録り、
1987(昭和62)年5月18日(月) はビクタースタジオでギターの土方さんにぼくの曲を弾いてもらった。そして
1987(昭和62)年5月20日(水)~23日(土)の間にトラックダウン作業を行い、アルバムは完成した。息つく間もない日々だった。アルバム「CLUB SURFBOUND」は全7曲入りのミニアルバムで、作曲はバンドのメンバーが一曲ずつと浜田さんが二曲、作詞は全曲浜田さんが担当した。江澤くん作曲の、後に「プールサイド」とタイトルが付くナンバーは、ちょっとブラコンっぽい(ブラックコンテンポラリー)サウンドで、ちょうど当時流行っ ていたクール&ザ・ギャングのようなテイストの、独特のグルーブ感が難しい曲だった。江澤くんの書いて来た譜面は、ピアノの和音の積み重ね方も指定して あって、彼のこだわりが譜面を通して感じられた。ドラムはリズムマシンによる打ち込みで、シンバル類を高橋くんが叩いた。あとからスネアの音色をサンプリングして足したりもした。町支さん作曲の、後に「Gear Up409」となるナンバーは、タイトルからも分かるようにビーチ・ボーイズテイスト満載の楽しい曲で、エンディングにはビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のフレーズもパロディで挿入された。古村くん作曲の、後に「Hot Summer Night」と名付けられたナンバーは、いかにも古村くんらしい骨太のロックな曲で、古村くん本人もちょっとだけ曲中でボーカルを披露している。梁くん作曲の、後に「曳航」とタイトルが付くナンバーは、梁くんのコンテンポラリーなテイストが良く出たお洒落な曲で、浜田さんもボーカルをオクターブにして二本入れる等、普段とはちがったアプローチをしていて大人な雰囲気を醸し出していた。「二人の夏」と「Little Sufer Girl」は浜田さん作詞作曲のナンバー。二曲ともビーチボーイズへのオマージュ。「二人の夏」は愛奴のデビュー曲のリメイクで、ぼくも当時からとても好きな曲だったので、レコーディングしていてとても嬉しかった。ぼくが作曲の「Harbor Lights」と名付けられたナンバーは、当時傾倒していたデビッド・フォスターやマイケル・オマーティアン等のLAサウンドを下敷きにした曲。江澤くんの弾くシンセベースが素晴らしい。コーラスはぼくと江澤くん、町支さんの三人で歌った。他のメンバーの曲はそれぞれ作者を彷彿とさせる歌詞だったが、ぼくの曲だけは作者は歌の中に全然登場していなくて、浜田さんが書いた詞を読んで「この曲の登場人物は全然オレじゃない」と思った(笑)浜田省吾のアルバム『CLUB SURFBOUND』は
‡1987(昭和62)年6月28日(日)に発売されると、アルバムチャートの一位を獲得した。同時に発売された、85年のミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』がカップリングされたCD『CLUB SURF&SNOWBOUND』も二位になり、チャートの一位と二位を独占した。
写真◆CLUB SURFBOUNDのレコーディング風景 at 観音崎マリンスタジオ。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/10/31-club-surfbound.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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CLUB SURF & SNOWBOUND
CSCL-1174 1987/06/28 released
sound 01 二人の夏
sound 02 GEAR UP 409
sound 03 LITTLE SURFER GIRL
sound 04 曳航
sound 05 プールサイド
sound 06 HOT SUMMER NIGHT
sound 07 HARBOR LIGHTS
sound 08 CHAMPAGNE NIGHT
sound 09 SNOWBOUND PARTY ―Tonight Visitors OK!―
sound 10 MIDNIGHT FLIGHT ―ひとりぼっちのクリスマス・イブ
sound 11 SNOW ON THE ROOF ―Just Like You And me―
sound 12 SENTIMENTAL CHRISTMAS
これは遊びですよね。『CLUB SNOWBOUND』っていうのは、俺はビーチ・ボーイズとかフィル・スペクターとかアメリカン・ポップスがすごい好きだから、クリスマス・ソングにかこつけて遊んだんですね。『CLUB SURFBOUND』というのは、うちのメンバーたちと長いあいだコンサートやってきても、成功するのは俺なんですね。そこで、何かメンバーにお返しは出来ないだろうか、と考えてみたんですよ。彼らは詞は書かないから、だとしたらメロディを書いてもらって、それをアルバムにするのがいちばんいい恩返しになるんじゃないかと。これからもこういうのは、それぞれのミュージシャンと続いていくと思うんですけど。俺ならではのリゾートというか、サーフ・アンド・スノーなんですよ。
https://shogo.r-s.co.jp/disco/album13.html
1987 昭和62 ニュースダイジェスト http://youtu.be/UEAQ4gj-XUA
中曽根退陣で、竹下首相になる。 バブル時代を反映して ふるさと創生 とか大盤振る舞い そのツケが今日の日本を苦しめてます。
2005.6.28 プロになって2回目の江田島へGET BACK OK♂♀
http://www.csf.ne.jp/~kumi/2005hiroshima-etashima.htm
『初恋のきた道』
http://minkara.carview.co.jp/userid/253966/blog/32819772/
http://minkara.carview.co.jp/image.aspx?src=http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/014/893/791/e45daa2f84.jpg
初恋のきた島 2014/8/12(火) 午後 1:05
例の小山卓治さんのファンの女性の来た日の前週は、やはり広島からのお客様で、もう何度も上京しお店にいらして下さってるアラウンド60の女性のお客様が一枚のチラシを持ってこられました(^^)「はい、これマスターの分よ」と広島訛りで優しく仰ってくださいました それが、このリーフレットです 地元の高校生が作った浜田省吾にまつわる江田島の案内みたいなものでしょうか(^^)シンプルではあるけれど、エピソードのお話やネタの出所もきっと誰もが知っているような内容なんだけれども、なんだか可愛いリーフレットです あとで聞いたのですが、これは無料で配布したものですが、これをオークションに出品して何千円かで売却していた輩がいたそうです 何だか、情けなく、ほのかに悲しいものを感じてしまいました・・・お店に置いて自由に見てもらってますが、みなさん結構楽しそうにご覧になられている様子です 広島のR子さん、ありがとうございました(^^) 実は、僕の中では江田島はあまり良いイメージの無い場所なんです もう亡くなった母の兄、つまり僕の伯父が終戦間近予科練、特攻隊ですね、最後の出撃に備え訓練を受けていた島、それが江田島でした 伯父は、ほかの先に征った仲間とは別に生き残ってしまった特攻隊になってしまったのです・・・自分の生存していること、存在意義の喪失・・・今で言うとアイデンテティの崩壊って感じですかねぇ 子供の頃、物凄くお酒が強い、どこまでも優しいこの伯父から、いろんな話を聞いて、戦争に対する考え方を教わったように思います 今年も広島、長崎の原爆投下された記念日が過ぎ、もう終戦記念日が来ますね 先の大戦で命を無くされた全ての方に、安らかにお眠りください と祈ります、そして愚かな戦争をもう二度と行わないと誓いたいと思います
はなしはいつも通りあちこちに行きましたが(苦笑&汗) 今夜も良い音楽で楽しみましょう 本日のみなさまのご来店を心よりお待ちしております どうぞ、よろしくお願いいたします
浜田省吾&愛奴ファンのお店 東京新宿Bar“Flash&Shadow”http://www.flashandshadow.com/ (営業時間19:00~24:00 日曜日定休)http://blogs.yahoo.co.jp/bar_flashandshadow/18618390.html
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┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃前半戦 日程
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‡041.1988(昭和63)年06月28日(火) 島根県民会館 一日目
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http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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89.1.28♪ON THE ROAD♪映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#
『コロムビア・ガールズ伝説』発売記念プレミアムイベント
2017/06/28(水) dues 新宿 OPEN 19:15 / START 19:30
【出演】丸芽志悟(選曲者)
【司会】衛藤邦夫(日本コロムビア株式会社音楽ディレクター / 昭和歌謡甘口評論家)
【ゲスト】三東ルシア
【内容】トーク&DJイベント
【参加方法】『コロムビア・ガールズ伝説』対象商品のうち1枚をディスクユニオン対象店舗にてご予約およびご購入頂いた方に先着でイベント参加券を差し上げます。(予定数なくなり次第配布終了となります)
http://music-calendar.jp/2017021001