過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年02月12日(木)中村勘九郎
②1979(昭和54)年02月12日(月)草笛光子
③1980(昭和55)年02月12日(火)小桜京子
④1981(昭和56)年02月12日(木)梶芽衣子
⑤1982(昭和57)年02月12日(金)大坂志郎
⑥1985(昭和60)年02月12日(火)近江俊郎
⑦1986(昭和61)年02月12日(水)吉永みち子
⑧1987(昭和62)年02月12日(木)財津一郎
⑨1988(昭和63)年02月12日(金)すまけい
⑩1990(平成二)年02月12日(月)大原麗子
⑪1991(平成三)年02月12日(火)藤子不二雄A
⑫1992(平成四)年02月12日(水)岡田美里
⑬1993(平成五)年02月12日(金)久里千春
⑭1996(平成八)年02月12日(月)小柳ルミ子×大澄賢也
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1997(平成九)年02月12日(水)渡辺謙
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1998(平成十)年02月12日(木)周防正行
 2001(平成13)年02月12日(月)反町隆史
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月12日(火) 園佳也子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘ 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-12.html
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 |2003(平成15)年 2月12日(水) 植村公子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-12.html
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 |2008(平成20)年 2月12日(火) 池部 良 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「あの池部良が明かす90歳現役のいま」昨日90歳の誕生日を迎えたとは思えない若々しい姿で俳優の池部良さんが登場!池部さんは戦後を飾った数々の名画で大人気となったが、エッセイの名手としても活躍する。そんな池部さん、変わらぬ二枚目ゆえに悩みもあるとか…。また美貌のほかに、変わらないのはその記憶力。幼かった池部さんが関東大震災を体験した時、父がとった思い掛けない行動とは?その洒脱なトークに乞うご期待!
 番組内でご紹介した本は「天丼 はまぐり 鮨 ぎょうざ」価格:2,310円(税込み)幻戯書房より発売中  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080212.html
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 |2009(平成21)年 2月12日(木) 旭山動物園園長 小菅正夫|第回
 └─――――――――――――――――――――――――┘「超人気の旭川動物園一筋の情熱園長」厳寒の北海道旭川市に年間300万人もの来園者をよび、「奇跡の動物園」と異名をとる旭川市旭山動物園の園長・小菅正夫さんがゲスト。かつては、1日たった4人の来園者しか来ない時期もあったという動物園。動物のすばらしさを知る園長や職員が「どうしたらもっと動物のすばらしさを来園者に見せる事ができるのか」と考えぬき、夢をあきらめずに努力し続けたのが現在の人気の秘訣だという。魅力溢れる施設で生き生きと暮らす旭山動物園の動物たちのVTRもお楽しみに!  
☆ 紹介した映画「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」角川映画 全国公開中
☆ 旭山動物園住所 北海道 旭川市東旭川町倉沼  開園期間 冬 期 ~ 平成21年4月7日(火)まで(期間中は無休)
 平成21年度(2009年度) 開園期間
 夏 期 平成21年4月29日(祝) ~ 平成21年10月18日(日)
 冬 期 平成21年11月3日(土) ~ 平成22年4月7日(水)  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090212.html
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 |2010(平成22)年 2月12日(金) 生田 斗真 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「多才ジャニーズ人気俳優…」ジャニーズJr.の一員で、若手実力派俳優として活躍中の生田斗真さんが初登場!小学5年生の時にジャニーズ事務所のオーディションを受け、1週間後にはKinKi Kidsのコンサートに出演していたという。生田さんも「初めて見た!」と思わず声を上げた秘蔵VTRとともに当時を振り返る。進路に悩んだ過去や、家族と楽しんだハワイ旅行の事など話題満載で!  
☆映画『人間失格』2月20日(土)角川シネマ新宿他全国ロードショー  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100212.html
 http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=294457
2010年2月12日(水)13:20~13:55 放送
ゲスト:太田光代「噂の恐妻が爆笑問題秘話を」TVラジオレギュラーを週10本超抱える人気漫才コンビ・爆笑問題。その事務所の社長であり、太田光さんの妻である太田光代さんが登場。女手ひとつで会社を立ち上げ大勢のタレントを抱える辣腕ぶりや、酔っ払って夫を家から追い出すなどの"恐妻"エピソードが明かされる。また顔を知らなかった父との再会劇では...。 
http://bakushoumondai.com/database/tv/000627.html
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 |2013(平成25)年 2月12日(火) 徹子の部屋コンサート(1) |第9417回
 └─――――――――――――――――――――――――――┘「豪華コンサート(1)加山雄三&イルカ名曲熱唱」 
豪華ゲスト陣を迎え、歌とお喋りで綴る「徹子の部屋コンサート」。7回目を迎えた今回も会場の東京国際フォーラムは満員御礼!1日目の出演は加山雄三さんとイルカさん。加山さんの名曲メドレーに続き、イルカさんのヒット曲も続々と!ヒートアップする黒柳のトークを止めようと坪井アナウンサーが止めに入るが…
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130212.html
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 |2014(平成26)年 2月12日(水) 福田こうへい |第9676回
 └─―――――――――――――――――――┘「紅白初出場の異色歌手」昨年、紅白に初出演をした演歌歌手の福田こうへいさん。多忙を極める現在も岩手に住みながら、農業を営む祖父の手伝いを続けている。父は民謡歌手として活躍していたが、父への反発から教えを乞うことはなかった。母からの助言で父子は同じ舞台に立ったが、その直後に父は52歳の若さで他界したという。今日は民謡で鍛えた見事な歌声を披露する。 
☆紹介したCDアルバム「演歌夢語り(望郷・青春編)」2014年2月5日発売 定価¥2,500+税
  シングル「南部蝉しぐれ」定価¥1,143+税 キングレコードより発売中 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140212.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2015(平成27)年 2月12日(木) ヒロミ |第09901回
 └─――――――――――――――――┘「愛妻・伊代と息子達のケンカには・・・!?」しばらくテレビの世界から離れていたヒロミさんが、12年ぶりに登場! 仕事や家族、芸能界から距離を置いた理由などを語る。かつてはレギュラー番組を10本以上持ち強めのキャラクターで、黒柳に“暴言”を吐いたことも・・・。ここ数年はトレーニングジムの経営や、40歳から始めたトライアスロンなど様々な挑戦をしてきた。妻の伊代さんとは結婚21年、2人の息子も大学生と高校生に。“天然”妻と息子達のケンカにヒロミさんは・・・? 夫婦円満の極意とは? お楽しみに! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150212.html
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 |2016(平成28)年 2月12日(金) 桐谷美玲 |第10182回 ※解説放送
 └─―――――――――――――――――┘「実は大食い!? 見事な手作り料理を」女優はもちろん、モデルやニュースキャスターとしても大活躍の桐谷美玲さんが初登場。歯切れの良いトークで、飾り気のない26歳の素顔を明かす。地元の千葉でスカウトされたという桐谷さん。高校でラグビー部のマネージャーをしていた15歳の夏、携帯にかかって来た一本の電話が彼女の人生を変えた。「実は大食い!」と告白する桐谷さんが、見事な手作り料理写真を公開してくれる。 
 ☆金曜ナイトドラマ「スミカスミレ 45歳若返った女」毎週金曜よる11時15分(※一部地域を除く)
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20160212.html
 ┌─―――――――――――――――――――――┐◇1回目◇ ※解説放送
 |2018(平成30)年 2月12日(月) 石原良純 長嶋一茂|「超有名一家の二世が“コンビ”を結成!?」
 └─―――――――――――――――――――――┘日本でも指折りの有名ご一家からゲストをお招きした。「石原家」から石原良純さん、「長嶋家」から長嶋一茂さんという大物二世が揃って登場。どのような家庭で育ってきたか、そして自分たちの子育て方法を伺う。ところがトークはだんだん「どちらの方が屈折しているか」「なぜ素直に感動できないのか」などの言い争いに…。大きな身振り手振りで競うように話す2人に黒柳は大笑い。しかし互いの「妻」のことに話を向けると、一挙にトーンダウン。良純さんは12歳年下の医者の妻について、一茂さんは「寝ているところを見たことがない」妻について、ぼそぼそと語ってくれた。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180212.html
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 |2019(平成31)年02月12日(火) DA PUMP|
 └─―――――――――――――――――――┘「低迷期を乗り越え…あのダンスを黒柳も!?」
 DA PUMPのヒット曲『U.S.A.』は老若男女から親しまれ、社会現象を巻き起こした。あの「いいねダンス」に黒柳も挑戦すると…。リーダーでボーカルのISSAさんは「徹子の部屋」に20年ぶりの登場。低迷期を乗り越え再ブレイクを果たした今の心境とは? 他のメンバーは途中加入し、下積み生活を過ごしてきた。彼等の“すごい経歴”に迫る。 
 ☆ニュー・シングル「桜」3月6日(水)発売予定 発売:エイベックス・エンタテインメント
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190212.html
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 |2020(令和二)年02月12日(水) 中野良子 |
 └─―――――――――――――――――┘「“銀行マン”の夫が退職…女優業を本格的に再開!」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200212.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2021(令和二)年02月12日(金) 小島慶子 |
 └─―――――――――――――――――┘「最愛の父を看取り・・・夫婦関係に変化が」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210212.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月12日(火) 園佳也子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘ 
黒柳「それにしてもいつも働き者の役が多いじゃないですか」
園≪本当に働き者ですよ。タッタタッタ掃除はするしねでもなかなか部屋はきれいにならないんですよ≫
「でも古くは細腕繁盛記で意地悪というわけではないですけど」
≪しっかりものですね≫
「そうです仲居さんの役で。あれ以来そういう役が続いてますかね」
≪ドラマっておそろしいですねヒットというわけではないですけど皆さんに広まるとその役が私の全性格になるんですよ。だからあの人は意地悪と決められちゃう。でも私かまわないですけどねえそう思われても≫
「今は分からないけど”よういじめたはるなあ”みたいな」
≪そういう風には言われたことないんですけど”もっといじめて”とか。フフフフフ≫
「ええもっといじめてって」
≪おもしろいんですって≫
「自分でできないことが面白いのかもしれませんねえ。前にお話があったんですけど大阪のBKっていうかNHKの放送劇団に入ってたらちょうど私と同期ぐらいだったかもしれないんですよね」
≪黒柳さんのほうがちょっとお早いかもしれませんけど≫
「でもお入りにはならなかったですよね」
≪入れなかったんです。2度落ちたんです。それで人生変わったんです。人柄も変わったんで≫
「なんでなんで」
≪自分に自信があるのにすべるっていうのは大変な自信喪失ですよね。今まではあなたが1番って言われてたのに≫
「それまでも芝居をやってたんですね」
≪ええやってました≫
「私の場合は全然違って絵本を読めるお母さんになろうと思っていったんですね。向うはテレビ女優第一号という気持ちで取ってたんですけど私はお母さんになるんだからという気持ちだったんです。」
≪ついお子さんは出来ませんでしたね。お互いですね≫
「あなたもねえ。あなたはご結婚なさらなかったんですか」
≪なさらなかったんです(笑)。徹子さんが結婚してたらどんなに大きな結婚式だったでしょうね≫
「希望は捨ててませんよ(会場笑)」
≪式は入りませんけど伴侶は欲しいかなって≫
「年上の人がいいなって思ったら結婚するなり面倒見るって言う形になりますね(笑)。」
≪下がいいですね≫
「やっぱりお母様のことなんですけど私の母もまだ健在なんですけどあなたもお母様はお亡くなりになったそうですけどずいぶんご高齢だったんですね」
≪90歳を過ぎてなくなりました。平成6年になくなりました。≫
「いつ頃から病院入ったりなさったの」
≪私が東京に行って一番ピークの時でねそのときに電話がかかって来るんですよ。おばから一緒に住んでましたから。≫
「お母様の妹さん」
≪ええそれで”姉ちゃんがあかんの。おしっこするの”っていうんですよ。である日帰ったら想像と違って家の中からすごい匂いがするんですよ。家の中に入ったら新聞紙が引いてあるんですよ。何これってきいたら姉ちゃんがおしっこするのって。≫
「おばさまっていくつですか」
≪5つ違いですかね。≫
「90の方の面倒を85の方が見るということになるんですから。」
≪私なんかねそんなに大変なことじゃないと思ってたんですよ。≫
「その時何歳ぐらいですか」
≪80ぐらいになってましたか。それを全部面倒見てくれたのがおばなんですよ。それでおばに本当に申し訳ないと思いました≫
「姉妹で面倒見るって言うのも大変ですよね。食べるものはどうだったんですか」
≪おばはね料理の天才で楽屋にもおなべにいっぱい料理を作って”みなさん食べなさい”という風に持ってきたこともあります。≫
「おいしいの」
≪おいしいの。シチューにミートボルとか洋風の物が多くて。≫
「楽屋にもいいかもしれませんねえ」
≪ですけど段々と下火になってきまして≫
「おばさまも」
≪ええ。ある日10人分くらいのお客様のお皿が出てまして黒焦げのてんぷらがあって”なにこれ”って聞いたら”今日はあなたのお客様が来るって言うから”って。でも私とマネージャーだけなんですけど。もてなしてるつもりなんですね≫
「おばさまが」
≪ええ。あ!これはきたなと思いまして母の面倒を見るのはしんどそうなんで聞いたら”お姉ちゃん嫌い”と言い出しましてね一緒に居たくないと言いまして私が帰るべきだと思うんですよでも心の中心は仕事のほうにすがり付いてるわけですから≫
「芸術座におでになったりずいぶんやってましたからね」
≪仕事に未練がありましたから何とかして考えた末ですよ2人とも入院させなきゃいけないと思って≫
「病院に入ることになったらおば様はおねえちゃんと一緒のような病院には入らないとおっしゃった」
≪まず2人を入院というよりも母をまず入院させておばを解放させて自由にさせてあげたほうがいいのかなっと思いまして。それで母を病院へ≫
「お母様は嫌だとわ言わなかったの」
≪病気じゃないのに何で入るのって言うんですよ。そうですよね年取っただけなんですよね。それなのに病院に追いやるって言うのが本当に心が居たたまれなかったですよ≫
「そうですね」
≪それと母は女学生時代に足のくるぶしまで髪の毛があったくらい髪の毛のきれいな人だったんですよ。本当にいい髪の毛で階段を下りるときはこうして持って歩いたのよって話してましたけどねえ。それがねえ先生がねえ切れって言うんですよ。寝たり起きたりで髪の毛がもつれますから。それを切らすのが大変だったですね≫
「誇りにしてるものですからねえいつも笑ってらっしゃる園佳也子さんでもこういうことがあったってみなさんにお伝えしたかったんで話してもらっているんですけどちょっとコマーシャルを」
~CM~
「それで病院に」
≪ええ”あなたの妹がねえしんどいの。これ以上力出せないの。それにはあなたが病院に行ってくれるほうが一番いいのよ”って言ったら”うん”といいましたね。それで髪の毛を散髪して新しいちゃんちゃんこを着た時に”ああこの人はもうこの家に戻ってこないのね”とそれを思うと涙が出まして帰ってきて欲しいけどこの状態では帰ってこないだろうと思って外にも送りに出られなかったですね。それでいってらっしゃいと中から声をかけたんですけど。それで部屋を掃除して母の残したものを洗濯したんですけど私はなんて親不孝なんだろうって本当に悲しかったです(涙で)≫
「この仕事っていうのも看病するからって間を空けちゃうと次の仕事がくるか分からないっていう仕事じゃないですか。それにお母様を病院に入れるために働かなきゃいけないというのもあったし。娘さんに世話をして欲しかったって思うかもしれませんけどお母さんにしたら他人に世話してもらったほうが良かったって思うかもしれません」
≪そうですねさっぱりしてて良かったかもしれませんけど≫
「それで病院にはいかれたの」
≪たまに帰りまして駅から病院に直行するんですけど”どう”って言って。そしたら”園ちゃん助けて”って言ってるんですよ。私がいるかも知らないで。手と足をベットにくくりつけてあるんですよ。そのころ老人問題が起こった走りの頃で付き添いの方1人が5人くらいの患者をもってらっしゃるんですよ。危ないから≫
「徘徊とかするから」
≪でも私は見てられなくて担当のお医者様のところへ行ってあれだけ早めてくださいと言ってここからだそうと。そういうときに朝日新聞のAERAで老人問題を扱ってらっしゃる方と対談することになったんですよ対談は自分のこととは違うことを話したんですけどこのひとはこういう考えをもっているんだと思って番組が終わってから電話をしたんですよ。どこに入れたらいいかってきいたらこことここがいいと。そこは北欧で勉強されていたお医者様がいるところで四日市の病院まで行きました。そして全部拝見して、先生にもお会いして話させていただきました≫
「ちょっとコマーシャルを」
~CM~
「あなたを女でひとつで育てたお母さんがそうなってしまうと悲しい気持ちになるでしょうね」
≪昔の母と現代の母を比べてしまうんですよね≫
「で四日市の病院で」
≪そこはねえデンマークの病院で研修されてきた先生なのでお年寄りに扱い方が上手で看護婦さんまで行き届いてるんですね。おしっこ漏らしても”誰がおしっこもらした”なんていわないで”誰が水をこぼしたんでしょうね”っていって恥をかかさない。目上の人だから恥をかかしちゃいけないというのをモットーに。≫
「そこにいってお母様は良くなりました?」
≪コロッと良くなりました。急に生き生きと笑顔が戻りました。それで私もねえお見舞いに行くのが旅行に行くみたいに”ああ母に会いに行くんだ”って前の日に寝られないという時もありました。でも老人ですから肺炎にかかって最後は肺炎で亡くなったんですけど。≫
「そのときが93歳ぐらい」
≪そうです≫
「ずいぶん療養生活が長かったんですね」
≪私もずいぶん泊まらせて頂きました。スペアベットに寝たり。あいた部屋に寝たり≫
「でもよかったですね」
≪幸せだったと思います。母と一緒にいれたことが。お仕事はめちゃくちゃでしたけど≫
「でもいつも明るいあなたがそういうことで苦労をされていて皆さんは知らないですけど大変だったと思います」
≪でも大方の方がそういう経験をしてると思います≫
「傷つけないように」
≪大切なことだと思います≫
「でもそういうことがあったんですけど今は1人になって」
≪ひたすら若い子をまってるという≫
「なにかあなたは”がめついやつ”を九州を回る」
≪今度の春に”がめついやつ”をやります≫
「ご成功を祈ってます」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-12.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2003(平成15)年 2月12日(水) 植村公子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘
黒柳「よくいらしてくださいました。あの冒険家私たちに勇気とかは元気とかいろいろなものを与えてださった植村直美さんがに姿を消して19年ということでございまして。今日は植村さんのお誕生日。
植村≪はい
「ええと姿を現してくださっていたら
≪62歳です。
「62歳。で奥様にまあ今日はおいでいただいたんですけども43歳の時に消息をおたちになってということになるんですね。で奥様はテレビにお出になるのは初めてだそうでございますけどもよろしくお願いいたします。あの何かインタビューのようなものにはお出になったかもしれないんですけども。そして25年前にずいぶん前になるんですが植村さんにこちらに来ていただいたときのVTRはずっと消息をお立ちになったということで放送を追悼とかはしていなかったんですけどもその封印をしていたVTRもあの今日はちょっと皆様にごらんいただければと思います。奥様にも辛いかと思うのですがいろいろお話しを伺いたいと思うのですが。この19年間は奥様にとってはどういう19年間?
≪そうですね。時間がたってしまうと何とも言えないんですが遊びに出たきり帰ってこないかなという感じがいたします。
「もしかしたらどこかで帰ってらっしゃるかもしれないというお気持ちもどこかに
≪そうですね。
「そうでしょうね。多分そうだと思います。ご自分では皆が冒険家というといや冒険家ではない放浪家だと自分ではおっしゃっていたそうです。植村さんは皆さんご存じのように世界初をたくさんなさいましてなんといっても5大陸の最高峰に登頂なさったことも成功。これは大変なことでしてヨーロッパのモンブラン、それからアフリカのキリマンジャロ南米のアコンカクア、それからアジアではエベレストそして北米のマッキンリーそしてエベレストは日本人初の登頂だったそうでございますけども。これはご結婚の前?
≪はいそうです。
「だったんですね。ま冒険家でいらっしゃる植村さんのひとめぼれで。何屋さんでお会あいになったんでしたっけ?
≪とんかつ屋さんです
「とんかつ屋さんでお会いになったのが最初だったんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロ。これはご結婚?
≪してから。
「だったんですね。それを送り出すときのお気持ちはどんなだったでしょう?
≪何でもいいから無事に帰ってきてほしい。
「そうでしょうね。でもメソメソするとかなさらないで元気に送り出していらっしゃったんですか?
≪はい。でまたすぐに帰ってくるからねと言って1年半ぐらい帰ってこない。
「その時は1年半帰っていらっしゃらなかった。そうかそういうことがあるとこの19年前のマッキンリーの時もまだ帰ってくるかなということできっとお待ちなってらして19年だと思うんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロの後今度北極点到達。そしてグリーンランド縦断、単独で犬ぞりというこの時もご結婚していらして。でまあいろいろあるんですけども最後になったのが北米マッキンリー。そして冬に真冬に登頂してご成功になったのは世界で
≪初めて
「初めてだそうですね。それで消息を絶ったあとその登頂をなさった証拠に日の丸の旗があって登頂をなさったまでは。あのときみんながね雪洞の中に荷物が残っていたていうことで。その時雪洞の中に残っていたカメラの中にご自分でセルフタイマーでお取りになった写真が残っていてそれをあとで現像なさった。
≪はい。
「そのお写真もありますので本当に真冬のマッキンリーだったんですけどもその時のお写真もありますので拝借できましたのでご覧いただければと思っております。元気いっぱいの写真ですよね。いつもそんなふうに犬ぞりの時もそうでしたけどもご自分でビデオでも何でもおとりになっていつでも単独でやっていらっしゃったので。(写真)ちょっとこれは暗いんですけども真冬のマッキンリーに登頂なさって成功なさったんですけどもこの写真は雪洞に残っていたということはこれから登頂なさる前だった。
≪そうだと思います。
「登頂なさったことまでは日の丸があるので確かなんですけどもその後がどうなったかというのがはっきりしないということなんですけども。2月12日真冬ですね成功なさってそれで15日・・・13日には交信があって。
≪はい
「14日に
≪その後16日の日に捜索隊の方が手を振っているのを見えたと言って下さいましてその後もうそれで終わりでした。
「なるほどね。お元気。それでまあ43歳の誕生日の日に登頂成功ということなんですけども。25年前にわ徹子の部屋に出ていただいたんですがその後それは奥様もまた帰って来るかもしれないというお気持ちだったので封印してあのお見せしないようにしていたんですけども今日はお誕生日だということもありますしお若い25年前の植村さんのVTRを皆様にもごらんいただけいればと思います。お辛いかしらね。
≪大丈夫です。
「大丈夫ですか。ちょっと皆様にもごらんいただいて本当に魅力的な方だということがよくわかりになると思います。まあその消息を絶ったあとマッキンリーの方にいらっしゃってマッキンリーをご覧になったんですって?
≪ええ、いい山だなと思いました。
「じゃ植村はいいところにいるんだなって
≪思いました。
「そういうことなんですけどもその前の非常に元気な時の徹子の部屋においでになったときの話なんでちょっとグリーンランドその北極点を成功なさったお一人でというグリーンランド縦断ですねそしてもう極点までに到達その後のお話しなので植村さんってこういう人だったんだということごらんいただければと思いますではご一緒に。
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黒柳「おかえりなさい。本当によかったですねおめでとうございました。でも今回はお顔も凍傷のようなものも直りが早い。
植村直己≪あの寒かったのは3月ごろでしてでして5月以降になりますと気温もマイナス二十度から0度前後になりましてずっと前のことなのですっかり取れちゃっています。
「でその凍傷の時はだいたいどれぐらいですか?
≪ええと-50度-40度30度そのあたりが毎日続いておりました
「マイナス50度40度というと寒いというと寒いってどのぐらい寒いでしょうね。
≪どうなんですかねやっぱり針でさされるような痛みを感じます。
「とても毛皮、あれは何の毛皮ですか?
≪あの白熊のズボンだとかトナカイの防寒着ですね。そういうのをおおっています
「それでもやはり寒い。
≪それでもというか顔だけはどんなに寒くてもおおうことはできませんのでいつでも外気にさらしています。
「ああいうマスクみたいなものもすると余計に良くないですか?
≪マスクしますと今度吐く息ですねすぐに凍ちゃってですねかえって悪くなります。
「そうですか。でも何かをやっていらっしゃっても寒いのはやっぱり寒いでしょう。
≪そうですね寒いです。-30度過ぎますと何を着ていても寒いです。
「ねえ、その北極点にお立ちになったときはどのぐらいの気候の時に
≪もう-20度、4月29日のことだったんですけどももうあったかくてですね生あったかいという感じで
「もう慣れてしまうとマイナス20度でも生温かい(笑)。そしてまあ随分前からの目標でいらしたそうなんですけども北極点にお立ちになったときというのはやっぱり御気分はどうなんです?
≪まあそれほどのものでもありませんでした。なんといいますかただ使命を果たしたというそういうような感じでしたね。
「はああ。初めのころのこの若かったころのこの目標のいってごらんになりたいというのと、訓練とかいろんなものを乗り越えていらっしゃった時の感じが
≪いやそういう点では自分では精いっぱいやってやっとこう自分の目標を達成したというね気分ですね。それは満足感はありました。
「景色はどうなんです?北極圏て。
≪なんといいますかね出発したとき当地とですね北極圏とまったく変わりないですね。ただ氷が1面敷き詰めていてあたりに凸凹の氷、ナンピョウがに広がっているという。
「空はあるんですか?
≪空はもちろん青空が1面に広がっているという。そういったことでまったく変わりない氷原であるという。
「今度の中で1番の大変だったというのはどういうことですか?
≪まあ大変といいますか死ぬ思いをしたというようなことが2つあります。あの白熊に襲われた時のこと、それからもうひとつは氷が割れて今にも落っこちそうになって逃げ場を失ったときのこと。この2つがあります。
「この前のあの北極圏の時にはあのアレでしたでしょう白熊が来たけど遠くだったとおっしゃったでしょう少し離れて
≪以前は犬がね白熊が来たらみんな一丸となって白熊をいやしてくれたりさらにですね白熊に対して闘争心が非常に強くてですね全然怖くなかったんですね。そんなもんで8ミリに白熊がやってくるところを取ったりしていたんですけども今度の場合は実は出発して間もなくテントで寝ている間にですね白熊が来たときに犬は主人をおっぽり出してですね逃げてしまったんです。だから気づいたときには白熊がこうテントのそばに来てですねばりばりこう寝ているところをかき始めている
「わああ!!大きいんでしょう。シロクマって
≪でっかいですよ。牛ぐらいあります、子牛ぐらいあります
「それからこう立ってきたんですか
≪立ってはきませんけどもこう四つんばいになって寝ているテントの中に
「入ってきたんですか?
≪入ってはきませんけども。ところにきてねているテントを爪でひっかき始めたんです。
「でどうなったんですか?
≪なるがままにですねしていたんですが結局白熊はは私を見つけることはできませんでして、あのすぐ近くにあった私のアザラシの肉だとかそういった犬の肉を食べて腹満腹になってですねそして去っていきました。私を見つけることはできませんでした。
「あなたは何かに潜ってらしたとか隠れたんですか?
≪しらふの中でですね寝袋の中で死んだふりをしてきっとこう息をひそめていたんですけども。
**************************
「37歳の植村さんだったんですけども。どんな感じがするんですか?
≪若くて楽しそうですね。
「本当にね。いいですか?本当にじゃ奥様としては悔いがないという感じがありますか?
≪はい
「この19年間随分いろんなことお考えになったと思うんですけどもいつか帰ってくるんじゃないかとさっきフラッとに帰ってくるんじゃないかと思いになっていたというけどもやはりあの方の人生が幸せだったろうと
≪と思います。うんと幸せだったと思います。
「まあそこへ到達されるには随分おつらかっただろうと思いますけども。でもなんて優しくて魅力的な方だろうと思います。でも実際にも優しい方だったですね。
≪はい優しいところもありましたけど
「でもいっちゃう事はいっちゃうのね
≪そうです。
「コマーシャルをはさみましてもう少しVTRをご覧いただきたいと思います。笑顔の本当に美しい方でしたらちょっとコマーシャルがございますのでコマーシャルです。

黒柳「奥様はやっぱり若かったとおっしゃった。やっぱり若い感じが?
植村≪はい
「でもいつも思い出の中には若い植村さんが
≪そうなんですね。ずるいですよね。向こうは若くて。
「この徹子の部屋においでくださったときは37歳。まあこれの5年後か6年後かに消息を絶ちなるということですからそういう不安みたいなものは一切なくて。本当に明るい感じてお話しをしてくださったのでちょっと続きをご覧ください。おやさしいお話が続きます
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黒柳「植村さんはいつも単独で行動なさるんだけどもやっぱり単独というのは寂しい?
植村≪いや全然寂しくありません。気ままでいいです。自分の気持ちが全部こう通ってしまうから人に左右されなくていいですよね。そして純粋な犬がいますでしょう人よりも純粋でよろしいですよ。犬が仲間がいて。
「そういう相談相手(笑)でも話なんかをなさるのか?
≪唯一のあれですから仲間ですから人と話す以上にいると話しているんじゃないかと思いますけども(笑)
「じゃああなたがとてもうれしそうにとにかく北極圏におつきになったということは犬たちもわかったようでしたか?
≪やっぱりこちらが気分が爽快ですとね犬もそれとなしにみんな分かってくれたようです。
「ウワーかわいいのね(笑)今度は17頭でご出発でしたか?その走行中に赤ちゃんが生まれ大もいるんですて今度。
≪今度も出発してですねまもなく-40度30度越していましたですね40度近くの時にです。寒い中にやっぱり行こう赤ちゃんが生まれてですねそれをですねえもうテントの中でうまして。
「何頭?
≪9頭。
「へえそんな寒い中で9頭も
≪だからもうですから最初はですね最初生まれたのはテントの外で生まれましてですね他のオス犬どもが食ってしまいましてですねあわててテントの中でうましたんですけども。
「テントの中で。この前の時はねやっぱり生んだだけども今度は経験ずみでいらっしゃるからすぐさまテントの中に。それで9頭が生まれたんですか。
≪はい。それをちゃんと四頭だけ生き残りましたですけども。育ったんですけども
「じゃあお母さんの役目も
≪いや生命がこう生まれるそういうものに対して何かこう父親というのが気分を味わいましたですけどね(笑い)
「そうでしょう。テントの中でこうやって小さい犬を抱いて
≪そうですねとにかくかわいいですね。しかもマイナス40度ぐらいあるでしょう。でやっぱり行動している中でしょうソリの上に積んで母犬と一緒に積んでおっこちないようにしてあったかくしてやって。大変だったですけども世話をやかせればやかせるほど子犬がかわいかったです。
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≪(笑)
「若いご主人、自分よりもかなり若いご主人ですけども今おっしゃっていたのはお一人で判断してあの氷の中を物凄い氷の中ですよね。よくいらっしゃいましたねといったらどうしていきたかったんでしょうねとおっしゃっていたけどもやっぱりなぜいきたかったというのはわからない
≪わからないですね。
「よくそこに山があるからと皆さんおっしゃるんですけどもこんなにこれから皆さんにご紹介するお手紙植村さんからの手紙がたくさんあるんですけどもそれを全部を読みになってもなぜいきたかったのか分かりにならない?
≪(うなずく)
「あそこのマッキンリーで消息を絶ちにならなければもしかしたら今日は62歳の誕生日でおめでとうございますなんてやっていらっしゃったかもしれないと思いになるとやっぱりねなぜって。でもマッキンリーをしたからご覧になってここにいるのがあってそれはまあよかったのでしょうかね奥様としては。
≪はい
「さてあの植村さんの持ち物そして最後の雪洞に残っていたものそういうものは植村さんの記念館が板橋にあるんですね。あの冒険館というんですが。そしてもう一つは兵庫県の日高にも植村さんの冒険館があるんですけどもそちらの方にお渡しになったんですが植村さんが奥様にお出しになった手紙、全部でずいぶんあるんですね。何通でしたっけ?
≪280通ぐらいあったと思います
「280つうぐらい。まあギリギリのところでも手紙を奥様にを出してらっしゃるんですねそのお手紙でそれは人に見せないでくれとおっしゃっていたんですって。
≪はい。
「でもそれはご自分のものだからということで冒険館の方にはお上げにはならないでご自分でずっと持ってらしたんですけども19年間もってらして今度植村直己さんのお手紙ということで本をお書きになりましたよね。妻への手紙という。これはどういうお気持ちで。
≪何かあの長生きして私が長生きしちゃったからだけなんですけども。はい。
「できることならば1週間ぐらい前に死んじゃって
≪先に植村よりも行って1人ってこんなに寂しいのよって思いを味あわせたかったんですけどもはい。
「それから19年もたってしまったということですけどもやはりこれだけの冒険家ご自分では放浪家とおっしゃっていたそうですけども奥様にお出しになったお手紙が280通もあったのでは植村さんはあんまり人に見せないでほしいとおっしゃってらしたんですけどもまあそういう中でも人間というものはこういうお手紙をがお書きになれるんだということで。10年間結婚をしてらしてだいたい一緒に大角なったのは何年ぐらい
≪5、6年ぐらいですか。
「半分ぐらい。本当にこのお手紙を、本を拝見致しますといつもご自分のことよりもあなたのことを気遣ってらっしゃるんですよね寂しくないかとか風邪をひかないようにとか寒くしないようにとか直子ちゃんでしたっけ?ご親戚のあなたの姪御さんに泊まってもらいになってとかね。いろいろあんなすごいところにいらっしゃってもあなたのことを心配してらっしゃるお手紙なんですけども。ああいう風に絵もお書きになって大変な状態でもいろんなすばらしいお手紙をお書きになってらっしゃるんですね。それをやっぱり私たちが読むとこんな素晴らしい冒険家の方がどんなふうに冒険をしたかというのがずいぶん詳しくどんなことがあったか。またその奥様に対しの気持ちこれは中でもとてもいいお手紙なんですけどもそれは帯の最後の方に書いてあるこれは本文の中からということですけどもちょっとご紹介してよろしいですか?
≪(うなずく)
「”いつだって新しいこと危険なことをやる前にまず君のバックの忠告を守りそして私を支えてくれる多くの人たちを思いそして決行している。はっきり言って厳しかった旅がここまで無事にできたのは本当に君のおかげである。君の寿命を縮め、結婚してから迷惑ばかりをかけているが一体君にこの償いは何ができるのだろうかとふと旅中思ったりする。私は君と一緒になれたことの幸せは神に感謝しなければならない。”まあそういうお手紙がたくさんこの中には封じ込まれたというか今でもその出してごらんになるとどういうお気持ちです?
≪あまり出さないですね、あまり見ると癪にさわっちゃうから(笑い)
「それはそうですよね。この時だって帰ってくると言ったじゃないか。最後の時もちょっと行ってくると言う感じでマッキンリーにいらっしゃって最後のお手紙もあるんですけども
黒柳「この植村さんから奥様にあてた手紙の中に本当にあの子供がお母さんに説明しているようなところがいっぱいあってとかくじっくりと安全にやるから何ひとつ心配はいらぬからどんなことがあっても時間は人間に関係なく過ぎていって必ず帰ってくるからというふうに本当に何回も何回も繰り返していらっしゃるんですけども。でも優しいことを書いても行っちゃうと奥様はおっしゃっている。
植村≪はい
「そう何もかも置いていってしまう。
≪あったかいものを全部をおいて出掛けられるんだから。
「じゃあ帰ってきたときはどんななんですか?
≪「終わったよ」って行って帰ってくるんです。
「終わったよって。じゃ奥様にどんなに大変でも、お手紙がそこにきているだけどもどんなに大変だったかという話をなさるんですか?
≪しませんね。
「しません
≪終わったよといったころにはもう次のことが頭の中にあると思います。
「じゃあちょっと悔しいでしょう
≪はい。
「ねえ終わったなら終わったよって帰ってきたら少しはゆっくりしてそんなに優しい気持ちを持っているならもう少しゆっくりしていてもいいじゃないかと。じゃ帰ってきたときは次の冒険を考えている
≪と思いますね。
「でも口に出しておっしゃらないですよね次はどこに行くとか
≪はい
「でも植村さんがそういうふうに考えてらっしゃるということは奥様にはわかる?
≪わかりますね。何でいっしょになっちゃったんでしょう(笑)
「ん?
≪なんで一緒になっちゃったんでしょう。
「でもやっぱりそういう運命だったと思うんですけども。でも中の手紙には君がここにいたらいいのになんていうのもありますよね。
≪はい。
「お誘いになったことはないですか?奥様をどっかに行ってみようと。
≪ないですね。
「まあちょっとで肉体的に大変ですからね。やっぱりしょっちゅう先の方から風邪を軸だとか寒くしないようにとか。でもあの方はとても臆病なところがおありになって日本に帰ってらっしゃるときに夜中になって音がしたら大変だったんですって?どんな時。
≪猫がこうガチャンと音をさせても怖がりますし寒がりですし。すごい寒がり。
「どうしてじゃあの人はああいう所に行くとできるのかとそう思いになったでしょう。
≪そうですね。
「ああ怖がり。奥様は猫じゃないという感じなんだけどもあの方は何だ何だ今のことは何だっていうふうに
≪ひとよりも人様よりも怖がりだといってあたしは思うのですが
「でもそういうものがそれまで本当に臆病で細心だったから成功したとも言える
≪そうですね。
「でもそんな憶病な方がよしオレがいってみてやるということはあまりない
≪ないですね(笑)
「本当に怖いのなんて寒いだなんて。面白いですねあんな零下40度零下50度のところでね何とかやってきましたとおっしゃっていたのにおうちにいらっしゃると寒がり。じゃご一緒にいらっしゃって面白い方でしたかしら?
≪そうですね。
「でもこういうご性格の奥様でいらっしゃるのでわりと安心して彼は出ていったとも思いますよね
≪そうですか。
「あまりメソメソしたりとかあのどうしていっちゃうのとかそういうふうにおっしゃらなかった
≪なんで行きたいの?とは言いましたけども
「そうすると彼は何て言ったの?
≪俺はこれしかやることがないという感じで。変な理由をつけては
黒柳「まあ19年たってこれは文芸春秋から出してる文芸新書というところの種類の本の中に植村直己妻への手紙ということなんですけども。もし植村さんがどっかでそれを見てらしたらなんておっしゃるでしょうね手紙?
植村≪それはないよっていってると思うんですけども。今でもごめんなさいと思うんですけども。
「今でもこのお手紙をご覧になるとあまりさっきそんなに出してみることはないとおっしゃってらしたけどもやっぱりつらさみたいなものは奥様のつらさみたいものは変わらないのではないかしらと思うんですけども。どういう風かしら
≪手紙ではつらい、つらかったときもあったでしょうしそう思いますけどもあの動いた映像を見てますと楽しかっただなと思って。
「じゃご主人が楽しかったんならいいやっていう
≪はい。そう思います。
「でも遭難ていう言葉をお聞きになったときは初めてのことだったんで定めしびっくりなさったと思いますけども。
≪人様に迷惑をかけてしまったと思いましたけど。
「でもやっぱり今度どこかでお会いになったらやっぱり報告はすることはたくさんおありになる
≪はい。
「じゃ奥様がお元気でニコニコして生きてらっしゃることを植村さんは望んでいらっしゃるでしょうかね。
≪(うなずく)はい。
「ね。まあ本当に今日はお辛いこともあったと思いますけどもお目にかかれて本当によかったですありがとうございました。植村公子さんでした
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-12.html

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