過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)

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 |2003(平成15)年 2月 6日(木) 小池栄子 |第回
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黒柳「よくいらしてください
小池≪よろしくお願いいたします。
「超人気の小池栄子さん。本当に男性だけでなく女性もあこがれるという方なんですけども先程私が仏様みたいな顔と申しましたら何かカメラマンの人も仏像みたいと
≪言われるんですよね。ファインダーを通して本当に仏様みたいとかあの
「本当ねぇでも。
≪こういうふうに拝む人がいるんですよねカメラマンさんの中にも。
「あなたのこと見て拝む?
≪ほんと仏様みたいだなおがんだらいいことがありそうとか言って。私もうれしくすってそういうふうに言われるとこういうふうにするんですけども(仏様のポーズ)。
「いいですね。本当に私もうわさはうかがっていたのでも実際こういうふうにそばでお見受けして本当なんだと思って。仏様でもそのときの顔でいろんな顔がありますよね。でもある仏様の顔は本当にあなたみたいな顔だと思いますよ。
≪すごいうれしいですねそれは
「そりゃそうですよ。ましてやカメラマンがあなたのことを見て拝んだりするんだからいいじゃありませんかね。大変明るいご性格でそれと踊りなんかも創作ダンスなんかもやってらした
≪はい。
「何といってもはっきり申し上げるとあのお身体が豊満といいますかねぇ
≪すいません大きく育ちゃって。
「いいえいいえうらやましい限りでございますのであのせっかく見えるか見えないかすれすれのお洋服で来てらっしゃるので
≪(笑)
「カメラマンの方も遠慮しないで、。ちょっと上の方からせっかく
≪(前かがみになる)
「それでお願いできます(笑)すごく楽しみにしている人がいるのでみんな品がいいでしょうカメラマンさんも。
≪これぐらいで見えるか見えないかくらいが1番上品に
「そうそうそうそうそう
≪”そうそうそうそうそう”って黒柳さんが
「私もほとんど男の人みたいに。髪の毛がちょっとで髪の毛で見えない。
≪こうなるとちょっとわかるかな。
「カメラの位置がちょっと悪いのよ。そうこんな感じ。あでもたっぷりとしていて写真集が10冊?
≪10冊ぐらい出していますかね。
「そうなんですって。それでご自分でご研究してらしてね私も拝見しましたけどもどうしたら体がきれいに見えるかてずいぶんご研究を。
≪そうですね。だからちょっとひねりを加えることがすごくきれいに見えたりするので私の友達なんかはわざと自分がこうプライベート写真を撮るときにちょっとひねって腰が細く見えるたりやっていますね。
「あなたがやっているみたいにひねって。そうですかせっかくでございますので皆様あの写真をねご存じの方はもう大ファンがいらっしゃるでしょうけどもあのそんなに今この時間でございますので。でもそんなにすごいのは撮ってらっしゃるないですね。大体水着。ちょっとはみ出す。
≪ちょっとはみ出す(笑)
「皆さん可愛いでしょう健康そのもの。
≪でもねむちむちなのでね私は。私はこの世界に入ってアイドルの子って本当に華奢な子とかがすごく多いので。
「そうだけども男の人はほんとうはムチムチが好きなのよ。でも女の子はそれがわからないからやせたほうがいいとみんな思うじゃない。だって私男の人だって触ったときにムチとした方がいいじゃありません。
≪そうですかね。
「まぁすごい
≪ストッキングが食い込むぐらいムチムチなんですよ。
「いいじゃないあなた。これでなければ仏様の下半身て知りませんけども本当に健康そのものですものね。でもおいくつぐらいから大きかったですか胸?
≪胸は中学3年生ぐらいからですかね。でも母親が胸をきれいにするためって中一ぐらいから特注のブラジャーを作ってくれたりとか
「おかあさまが!
≪お金をかけてくれたんですよ。その下着については。
「それがよかったんですかね。
≪多分そうだと思いますけども。
「そういうのがねそのままほったらかしにしておくよりはやっぱり。ご研究の結果はこれはちょっとひねっていますけども、でもまあこれは走った時は重いかなって。
≪重いですね。昔は恥ずかしかったですし胸の大きなことが。着たい洋服を着れなかったりとか、いやらしく見えちゃう
「それから男の人の目線がちょっと気になったりしたんですってやっぱり。私この間でメーンウエストというハリウッドで1930年代なんですけども、本当に体がすごくてあのセックスシンボルといわれた人やったんです。私はあなたのようにいきませんでしたので江川エツコさんという方が作ってくださったんですけどもすごいでしょ。
≪(写真)これ黒柳さんですか!
「私です。
≪すごい。
「これは若いときのメーンウエストでハリウッドのパラマウントが倒産したかったのこの人の映画9本ぐらいで立て直ったというすごい人なんですけども。江川さんという人がとても上手なの。
≪これは特殊で作ってらっしゃるんですか?
「きてるんです。
≪でもこれは重たかったですか?
「これは軽くできてます。ですから何回も何回も衣装替えをするんですけども。これはパッと紐をはずして中を片一方をベロッと見せたりする。彼女は若いときにそういうふうにしてお客様の視線を。でもね私は彼女をずっとやっていて彼女を研究していたらでとてもあなたとにているところがあるなと思ったのね。やっぱり見せるべきものは見せてもいいじゃないのっていう感じでね。あなたもどっちかというと隠したりしない
≪そうですね。
「自信を持って
≪誇りには思っていますね。
「でもお母様がきれいなブラジャーを作ってつけてきれいになるようにってしてくださったなんて普通ないですよそんなの。
≪そうですよ。母は大きくないのでたぶん自分の分までという気持ちだったと思うんですけども。
「ギュットやってしまってくださいなんていうお母さんもいるかもしれないのに、そこのところ本当に。さっきのお写真のところにあったかしら?写真の時に男の人がこんなところがいいと思うのははみ出しているところがいいってあなた
≪はみ出しているところ。そうなんですこの写真かな?どの写真だっけ
「もしかしたら
≪収まりきれないみたいな感じがいいみたいですね。
「そうなの
≪こぼれそうな感じ
「これはちょっとアレなんですけども向かって右のわきの下の横のところからはみ出しているみたいなのがあったんですけども、(写真が消える)ケチね(笑い)
≪(笑)
「あのそのはみ出しているところがいいじゃないみたいなところが。
≪でもそういうのってグラビアを始めたころは何がいいか悪いかはわからないし現場にたくさん女の子がいても
「(写真)左の方ね。真ん中のところがもちろん豊満なのは分かるんですけども左のわきの下からちょっとはみ出ている。ちょっともう少しよっていただけますか、ここのところですねこの左の。これはなかなかねはみ出す人って少ないですからねこんなのって。
≪だから水着も大変なんですよ結構外国製のものをいっぱい使っていますね。
「どんな形のが
≪とにかくよく伸びるもの。布だけというのは結構きついので必ず伸びる素材とか
「しかもあまり硬くて伸びてもつまらないですものね。体に柔らかく。なるほど。はっきり申し上げておきますけどもメーンウエストという人は85歳まで胸を出していたんです。
≪え!
「もちろんいろんなことをしたと思いますよ。彼女ねそんなに昔の人じゃない長生きしたのね85ですから。死んだのが1978年ですから。わりと整形とかがうまくいっていますから、しわが一本もなくて。顔はちょっと間の歌舞伎ぐらい真っ白にぬっていて顔がよくわからない。かわいいです。私は1本なかったです多分いろんなことをしたと思いますけども何をしても現役で最後まで。
≪格好いい
「うらやましいでしょう。だからあなたねこの人は18、19の時はこうやっていたんですけども85の時にそうやったの。だからあなたいいでしょう。
≪そういうことを自分で格好がいいからと思ってやれる女性というのはあこがれますよね。
「あなたのお話しを伺っていてメーンウエストそっくりと思ったのでお顔見ていてもメーンウエストに似ていらっしゃると思うんですけども、そういう感じなんですけども。あのアレなのあなたはっきり言って交際宣言をしてらっしゃるでしょう
≪はいしてます。
「その相手の方が体のいい方
≪プロレスラーの方なんですけども
「プロレスラーの方なんですけどもメーンウエストという人は生涯を通じてお父さんがヘビー級のボクサーだったの。それなもんですから
≪近い
「近いところがあります。だもんで生涯自分が好きな人というのはマッチョでそういう体のいい人に限られていたの。生涯ですよ。
≪私はたまたまだったんですけどもね。マッチョ好きというわけでもなかったです。私はマッチョの人はどうだろうと思っていたんですけどもたまたま彼がそういう仕事だったっていう感じで。
「性格や何かがよかったお優さしかった
≪父親と似ているんですよね性格が
「お父様と似てらっしゃる。
≪そうなんですよ。それと結構ファザコンで父親が1年の半分ぐらいを家にいない生活をしていたのでそれでやっぱり父親と似ている人をどこかで求めていたんだなってようやく気がつきました。
「(写真)も本当にこの方は愛されて育った方なんですね。家族の団結。1番左に立ってらっしゃる方がお父様。本当に強そうね。
≪今はこれよりももっとぷよぷよぷよぷよしていますけどね。
「それからお姉様。
≪はい4つ上の姉がいて。
「そしておかあさまおきれいなおかあさま。後ろの方は?
≪父親の方のおじいちゃんだと思います。このおじいちゃんがお仕事パチンコ屋を初めて、それでおとうさんがついでという感じで。
「そうなんですか。お父さんはパチンコ屋さん話がこっちへ行きますけどもついでにお父様はパチンコをやってらして格好よかったのに何かパチンコ屋があれだからゲームセンターみたいに変えたんですって。
≪そうなんですよ。
「あなたはがっかりしているだって
≪がっかり、やっぱりその軍艦マーチを聴いて育った子なんでね私は。あのノリがとても好きでゲームセンターか~と思ったんですけどもいろいろ経営のこととかありまして今はそのゲームセンターをやっているんですけども。父親も自分のお父さんが1から立てたパチンコ屋だったのでそれをゲームセンターに変えるということはすごく悲しかったみたいですね。
「あなたもできたらお父さんはパチンコ屋がいいわっていう感じがあるんですってね
≪もう1回パチンコ屋さん私の力、父親の力をあわせてやりたいなと思いますよね。
「なるほどね。私で生まれてね3回ぐらいしかパチンコやったことないんですけどもね大体いつも和田アキ子さんとね対決するんですよ。
≪やるんですか。
「あの方はでほとんど毎日やってらっしゃる方で
≪すごい2ショットとですね。
「3連勝していますね。
≪本当ですか。楽しくないですか?パチンコ。
「あのね私はでそんなに今でもわからないですよね。ただこう手が硬直しちゃうぐらいずっとこうやってねちゃんと和田さんがあまりダメなのでね、あまり大きな声で言えないですけどもすごい和田さんが悔しがるの。だからちゃんとこの穴の中に入れていますか?と言ったら「知ってますよそんなこと」とか言いながら。けっこう中に入るですねそれでねリーチというのがあるのねこのごろね。リーチなんかが3分おきぐらいにかかるんですよただねあれにならないのね本物のにね。でも去年なんかこんな大きな金魚鉢みたいなのに7つも取れましたよ玉が。
≪すごいじゃないですか。
「今回はねひとつだったんですけどもでも和田さんよりも先に行きましたからね
≪これを見て悔しがっているじゃないですかアッコさんは。
「そう見せられない。だからやったことがあるんですよパチンコ。にぎやかな感じですよね。みんながいいことあるじゃないかと思ってやってらっしゃる。今の写真でもお分かりのように家族みんな仲がいいんですってね。
≪仲いいですね。その父親が仕事のこととかでいろいろ大変で結構病気をしたことがあったんですよね大きな病気を。それでその時に初めて家族が1つになったというか、父親を助けるためにみんながそのために動いたというのは急に家族のきずなというのがすごく強くなりましたね。
「例えばあなたに週刊誌や何かでいろんなことを必ず出るくいは打たれる、人気が出ればいろんなことを書かれたりするんだけどもそんなことがあった場合にも何でも家族が守るからねってみんなが言ってくださっているんですってね。
≪言ってくれていますね。
「それは大きな力ね。
≪その週刊誌って結構こんなこと言っていないのにというような発言が書かれてあったときにやっぱりちょっとそれが男性問題のことだったので私的には家に帰りづらかったですね。その日。どうしようと思ったんですけどもそういう気持ちを全部察してくれて何かはどんなことがあっても私たちだけは信じるからといってくれたのでオーという感じで泣いちゃったんですけども。
「そうですよね。
≪大好きですね家族のことが。
「家族のこと好き。それは1番ですよねお幸せだと思いますよそれは本当に。だんだん後光が差してくるとみんな思うかもしれない
≪(笑)
「もともとの仏様系のお顔のところにねそういった家族の愛があって本当にお幸せなんだと思いますよね。ましてやそんなお付き合いしてらっしゃる方もいらっしゃってうまく行ってらっしゃるということになるとね。もうなんて今年に入っておめでたい方にお目にかかれてようございましたちょっとコマーシャルがございますので

黒柳「女性でも胸のきれいな人を見るとやっぱり羨ましいと思って女の人でちょっとさわらしてという人いない?
小池≪いますね。わたしも友達にもいますし例えば後輩の子が触ってくれたりとかしてそれはすごくうれしいですね。胸が大きいことは最近そうやって恥ずかしいとは思わなくなったので。
「本当に私もそう言われてみるとどんなものなのかなって触ってみたいなって気が。
≪ぜひ
「いい。いえちょっと。
≪うれしいですよ黒柳さんに触ってもらって。
「どういうふうにさわればいいの。おおーーー重みがありますね。私のこの間のやつはうんと軽くしていただいてほとんど重みがなかった。
≪すごいんですよこれを支えているんですよ。うーん
「ちょっとカメラを下げていただいて、ちょっと見ていい?
≪(笑)
「きれい。すごいきれい。すごいものですね
≪ありがとうございます。
「だけどこれはすごいわね。お宝もの。
≪いや嬉しいです。光栄です。
「皆さんうらやましいでしょ。
≪じゃ後で皆さんにも。
「どうも失礼いたしました。でもやっぱり偽物だとか言って何かテレビで全部調べてもらったことがあったんですって?
≪そうなんですよテレビで検証しましょうよって、悔しいじゃないですかと言ってくださった方がいて私も偽物じゃないから別にとっとと調べていただいてといっていろいろ検査をして本物だっていうことを。
「そうなんですってね。胸に何かを入れている人がいてその人のうつしてそれと比べてどうとかやったら全部本物と分かったんですってね。
≪デビュー当時は私全然胸がなかったですよ。
「へ!そうなの。
≪体自体も全然小さかった。
「やっぱり怪しむ人もいるかもしれない。
≪だからデビューから何年かしかたっていないのに胸が10センチぐらい大きくなるというのは(写真)これはデビュー当時ですよね。
「痩せてらっしゃいますよね、拒食症になったときがあったんですって?
≪このちょっと前にちょっとまあいろんな事がありまして高校時代にちょっとすごい過激なダイエットをしてもう拒食症になったことがあるんですよね。
「そうですてね。
≪今の私を見たらえーー何といって考えられないなんて今もピチピチだからというんですけどもこの時はガリガリになっちゃって。
「でもするときにやっぱりなんかあれなんでしょうね
≪心臓に負担が
「胸は大きくなかったんだものねその時は
≪胸は
「全体をやせたいと思ったのその時は?
≪そうですね特に高校生の時って回りがダイエットをすると焦ってみんなで何か競い合いみたいなものがあったりとかしてそれでそういうものがあってこれは一気にやせようと思って本当ちょっと1日海苔巻1個ぐらいしか1日で食べなくてそれでスポーツジムにひたすら通ってねというのをやっていたらどんどんどんどん落ちていって
「でも病院の先生があなたのお母さんをお呼びになって
≪そうですよ検査にいたときに心臓がねの動きが60歳ぐらいまでに落ちちゃっていて
「え!!
≪すごく動きが遅いと。
「そんなになっちゃうの。
≪もちろんそういう状態だから頭がボーとしていて授業がまともに受けられないとか。それで親が母親がすごい怒られたんですよ
「先生にお医者さまに
≪お母さんがついていてこんなふうに娘さんがいくらダイエットをしたいといってもこういう状況にしちゃってちょっと母親として自覚もちなさい。それを見ていて
「食べなさいもうちょっと食べなさいとお母様はおっしゃったわけでしょう
≪そうなんですよ。私がうるさいやせたいんだからと全然聞かなかったのでそれでやせたら母親がすごい怒られて「すみません、すみません」とを誤っている姿を見たらすごい親不孝ものだと思って。
「それでやめたの?
≪止めましたね過激なダイエットはやはりよくないと思いましたね。
「でもまあ初めはあのぐらいだったんだけども胸はちょっと大きいんですけども普通の方よりは、でも今のように豊満ではなかった。だから怪しいとか。
≪普通に食事をじゃあ私も食べたかったものを食べようと思ったらどんどんどんどん体重が増えてきちゃって胸も急に大きくなって。
「でもすごく素敵ですもの。健康的でピチピチしてらっしゃるのが何よりですものやっぱりあなたのファンもそういうあなたが好きでしょう。
≪そうですかね。
「そうですよ健康的にピチピチしている方がいいじゃない
≪そういっていただけると嬉しいですけども。
「私はそう思いますけどね。あそこに用意しているからまだお写真があるみたいですよ。さっきのね、これはけちっていっるわけじゃないんですよ
≪(笑)
「10冊もあるんだからもうちょっとと思うんですけども、でもまあこういうふうにどうやってからきれいに見えるかということずいぶん研究してらっしゃるというか、創作バレエをやっていらっしゃったんですってね?
≪そうですね。中学高校の6年間は創作ダンス、部活で女子校だったんですけどもみんなでやっていてサンカイジュクみたいな全身タイツを切ってこういうふうにして踊るような感じの踊りばっかりをやっていて、その後は番組で社交ダンスをやらせていただいたりとか常に自分の生活にはダンスがある生活。
「じゃあいいですよね。
≪社交ダンスをやればずいぶん筋肉がつきましたね。足がカチカチにしっかりしたりとか
「足を見るととてもすてきな光らせる
≪ふくらはぎの筋肉がすごくなっちゃったんですよ。
「おみ足に右側に光りものが。きれいにしてくださったんですけども
≪はい
「まだまだ小池栄子さん続きますけども本当に魅力的な方だと皆さんお思いだと思いますけども性格も明るくてね。みんな明るくていいと言うでしょうあなたのことね。
≪そうですね。そういうふうに言ってくださることが1番うれしいですね。母親が女性は笑顔があればいいからというふうに育てられたので。とにかく笑っててて
「でもお利口で笑顔でというのが1番だと思います。

黒柳「さてあなたさっき家族のきずながとても良くてあなたを守ってくださる。実はねおでになるということでねめったにしないんですけどもお父様からお手紙
小池≪ああうれしい
「うれしい?
≪父親からというのは初めてですね。やばい泣きそう
「ホントじゃ向田邦子さんと同じね。お父様から・・・あなたもう涙が出てるけど大丈夫。うれしい。まあありがとうございましたお父様からお手紙初めてなんですって。
≪最近実家に帰ることはあるんですけども父親と話す時間があまりないですね。
「本当に。よんでもいいかしら?
≪はい。
「何か番組あてにいただいたんですよ。お父様ありがとうございました。
≪何やってんだよお父さん(観客笑)。
「”栄子へお元気ですか。テレビのあなたを見るととても元気そうで安心ですがあなたのことだから常に目いっぱいの状態で頑張っているのだと思います。以前仕事が忙しくなっておりあなたは常に夜中に帰ってきては朝一番早くに家を出ていく状態が続きましたね。あなたの体が心配でマネジャーにスケジュールのことを言おうかと話したときにあなたは「お父さん何を言っているのスタッフなんかもっと大変なんだから」と自分に言い聞かせるように言っている姿を見て栄子は大人になったなと感心したことを思い出します。自分で選んだ道とはいえ大変厳しい世界に飛び込んだあなたを見ているとどこまで頑張れるかなとお母さんとともに案じていたのは事実です。以前お父さんがくも膜下出血で倒れたときあなたはお母さんお姉さんと協力してお父さんの元気付け絶えず病院に顔を出してくれましたね。本当にあなたは優しく気配りのある娘になったと感心しました。今一人暮らしをはじめ新たな生活にたいして戸惑っているあなたの姿を思うと思わず笑ってしまいます。それほどわがファミリーは1つでしたね。栄子も今年で22歳ですね。お父さんの青春時代は価値観の時代だと世間で言われました。今これからはあなたにとって判断力の時代だと思います。厳しい世界に飛び込んだあなたにとって正確な洞察力と判断力が要求されると思います。芸能界という厳しい世界の中であなたの判断力で素晴らしいことを一つ一つ吸収しどうかすてきな女性になってください。あなたは私にとって一級品の娘ですよ。がんばってください。父より”
≪ありがとうございます。
「すばらしいお手紙で。1級品の娘ですって。うらやましいですね。じゃこれお父様からのお手紙をお渡ししておきます。お父様をありがとうございました
≪初めてもらいました。
「あ!本当。じゃよかった。
≪すごく頑固者の父親だったんですけどもくも膜下してからね本当に優しい父親に。
「でもアレでしょう心配だったでしょうその時。
≪心配でしたね。初めてそのいなくなってしまうんじゃないかなという気持ち。
「お父様若かったでしょうその時
≪ええとまだ40ちょっと。当たり前のようにいると思っていたけどももしかしたら死んでしまうかもしれないだと。ちょっとくも膜下だったので結構後遺症とかがなかなかひかなくてあのクリスマス、ちょうどクリスマスに倒れたんですよ。
「あら、あなたそのときお仕事をしていらしたの。
≪なにか娘私たちの名前も言えないし、こう目が開かなかったりとかそういう姿。あれ何かいつもピンとしている背筋がピンとしているお父さんなのに絵をこんな姿を見たくないなんて思ったり、お父さんなんて思ったらお父さんが「今日は有馬記念の日だね」ってそれだけ覚えていて
「(笑)
≪よかったお父さんらしいと思って馬券買ってくる?といったのは覚えていますね。
「本当に。でもこんなお手紙を書いてくださるまでにすっかりお元気になって
≪今は元気。今はすっかり元気になりました
「よかった。

黒柳「小池栄子さんほんとうは保母さん
小池≪はい
「なりたかったんですね。
≪何でなりたかったって単純に子供が好きだっからと思うんですけども、芸能界に入るか保母さんになるかというのが高校を卒業の進路のときにすごく迷って
「本当
≪もうそのまま保母さんに行くと思っていたのでその時に今の事務所の社長に声をかけていただいたのであの担任の先生が今しかできないことを選んでみなさいと言ってくださってで芸能界に入ったんですけども。
「子供好きなんですってね。
≪好きですね。もうなにか自分もいっぱい子供を産みたいと思いますしね将来は。
「なるほどね。さっきこんなに大きくて子供ができたらもっと大きくなったらどんなことになるんだろうって
≪不安はありますね。胸が張ると聞くので。今Fカップなんですよ。
「Fカップって日本で売っているの?
≪売ってます売ってます。今何かは若い人たちはそれ以上の人がたくさんいらっしゃるので。HカップとかIカップとか
「普通はAとか昔はAしかなかったんですよね私たちの若いころは。ABCDEF
≪はい
「すごいですね胸のことばっかりうかがったわけじゃないんですけども
≪いいえ
「他のこともうかがえたんですけどももう時間があっという間でしたのでまたいらしてください
≪ぜひよろしくお願いいたします。
「そのあなたが交際宣言をしてらっしゃるプロレスラーの方で結婚しそう?
≪ああーーでもそのままいったらと結婚はしたいと思いますね。
「そんなにいい方。
≪いい方です。
「あらあー。でもずいぶんあなたはっきりおっしゃるのね。
≪そうですかね(笑)
「でも見ていてすてきなんですものね。本当にありがとうございましたよろしく。
≪ありがとうございました
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-6.html
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 |2007(平成19)年 2月 6日(火) 秋川雅史 |第回
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黒柳「だいたい秋川さんはお父様もテノール歌手で
秋川@そうですね同じテノールの歌い手だったんですけども
「何かコーラス部にもあなたも入っていらっしゃって中学生の時に
@そうですね中学3年生の時にコーラス部に入ったことがきっかけでこの声楽の道に入ろうと決めたんですけども。中学3年生でコーラス部に入ったときはずっと父親の歌声を聴いていたから自然とそのテノールの声が出てきた。やはりその環境が大きかった。
「そうなんですか。子供のころバイオリンをやっていたので
@そうですね。【写真】伴奏をしているのが父親なんですけども
「バイオリンは途中でやめてしまったんですか。
@そうですね中学2年の時に止めて3年生からはコーラス部で歌い始めた。
「そうやってお父様が歌って教えていらっしゃってご自分もうたわれて。愛媛県出身で
@そうですね愛媛県西条市
「自分は歌えるぞという感じで
@そうですね本当に始めた時は自分はこんなにいい道を見つけたと思って本当に歌が大好きだった私すごく自分がいい声だとその時思ったんですね。この道ならば自分は極められると思って始めたかなという記憶があります。
「(笑)それで自分は愛媛代表で歌うぞと思ったら全国大会みたいのに行くのに愛媛で落ちてしまった(笑)
@そうなんですねコンクールがあって西日本の大会があって各県から代表が出てくるんです。僕は愛媛県で落ちてしまって。
「びっくりしたでしょう
@本当に愛媛県で通過しないものが全国に行っても通用するわけがないと最初かなり落ち込みました。
「それはいくつのとき
@それが高校2年のときですね。でもどこかで自分が父親にもらったこの声楽器自体はだれにも負けてはいないんだという自信が持っていたんですね。これからは技術をしっかり磨いていってこの楽器をちゃんと生かせられるようになれば持っていけるんじゃないかとそういう夢というか希望を持っていたというか。
「それで音楽学校にお入りになった
@国立音楽大学に。
「国立というのは随分いろんな方が出てらっしゃる。佐藤しのぶさんとか。
@そうですね錦織けんさんとか。最近は岡本君というソプラノ歌手。
「岡本トモタカさんですよね。ああいう方も出てらっしゃるというそこでお勉強。さっきもおっしゃってましたけどもその後ですかイタリアに留学なさったのは
@そうですね。大学院を卒業してからはイタリアの方に
「だけどもイタリアに行くにあたってアルバイト。それで家で出してもらわないで自分でいくぞと思ってすごいアルバイトが
@引っ越し屋さんのアルバイト。自分は体を動かすことが好きなので。テノールというのは歌というのはそもそもがすごい肉体労働なんですから全体を使って声を出す。体を動かすということは大好きでアルバイトするならばどうせならば力をのつく仕事をしようと。
「すごいですね引っ越しというのは本当に力がいるんですってね。ずいぶん長く
@6年間やっていましたね。6年目にはもう会社の中ではベテランになってましたけども。
「これはどうやってしまってどうやって持っていったらいいかとかわかるんですが
@それこそ自分の背丈ぐらいある冷蔵庫を1人で持っていったりもするんですよ。
「じゃ他の細々としたものもどういうふうにするかは得意中の得意。
@そうですね。自分の家はそんなに整頓はできないですけども
「お仕事だとできる。
@やはりいろんな家庭に入ってそれで引っ越しをするといろんな家族があるんだなと思って。
「私なんか引っ越しの人が入ってくるとどこから手をつけますかねて。むちゃくちゃとしていて。そういう家もありましたか
@そうですね(笑)
「でも若いのによくそこで仕事をしてお金をためてイタリアへ行くと。お金はたまりましたか
@そうですね。イタリアへ行きたいと言ってただイタリアに行きたいから親にお金を出してくれというのはだめだといわれるのが分かっていたから本当にこれだけためだからだから月々これだけ多少ちょっと仕送りしてほしいと交渉したら多分いいと言うだろうと思ってだいぶ食べたと思いますね。
「そうですかそれでもいかれて。イタリアのどこに
@イタリアのパルマというところに。
「そこにいい先生がいらっしゃる
@そこに大好きな作曲などヴェルディという作曲家が生まれた土地。
「椿姫。
@はい。(イタリアの写真が出る)
「青年で(笑)
@10何年前ですね
「まだそんなものですか。イタリア語は簡単にできると思ったら結構難しかった。
@最初は大変でしたね。日本語にいるときは日本語の概念でイタリア語覚えてしまうと文法とかが抜けなくなってしまうんではないか。あえてイタリア語を日本で勉強しないように思って生の生きたイタリア語覚えようと思ってまずイタリアについたらば空港についたらバスのチケットも買えないは、食事をしようと思ってもレストランでメニューが見えない注文ができない本当にこれは勉強していくんだと思いましたで。
「皆さんが英語ができるわけでもないですしね。英語は学校でも片言でもの習いますけどね。できないと
@ほとんどの人が英語ができないですね。最初苦労したことが自分が奮発剤になってこれは何としてでもイタリア語をマスターしてやると思って自分からいろいろと友達をつくって覚えていったかなと。
「そうなんですか。その時の歌の勉強はどういう歌を
@イタリアはベルカント商法というイタリアで生まれた発声法があるんですけども。習得したいなと思って向こうのイタリアの先生について発声を基本に教わりました。
「こうやって話していてもずいぶん響いてベルカントの話し方。だから今日は歌ってもらうんですけども本当は歌手の方はお話をしたくない。そうでもないですか
@自分は大丈夫ですね。割とコンサートとかでもしゃべって歌ってと。
「昔オペラのテノールの方は朝起きたらのどに温湿布みたいなものをして何もしゃべらないで発声練習をして劇場に行っていきなり歌はないとだめだと聞いていたんですけども。
@そうですね朝起きたら何時間かしゃべるのを控えたいとかはしますけども。神経質になり過ぎると逆に嫌なことが多いのかなと。だからどんな状態でも歌えるようにと心がけています。
「皆さんお待ちかねだと思いますけどもコマーシャルをはさみまして歌ってもらいます。
~歌~
「本当にありがとうございました。本当にきれいな声でそれでよく歌にあっていてで。応対になるたびに新鮮なじゃないですか
@そうですね。本当に新しい発見があったりしていつも新鮮に歌います。
「読み人と知らずということで(だれが作ったか作者が分からない)ネイティブアメリカンの人たちが追われている。追われた人たちもいたでしょうが昔はインディアンと呼ばれていたんですがそういう人たちのもしかして作ったと言われているんですけどもそういう感じが。自由な縛られない感じがありますよね。さっきのマリリン・モンローが亡くなったときに朗読された詞というのはマリリン・モンローがなくなって25周年。いろんな人が9.11の時にあのところで亡くなった家族をしのんでうたわれたとも言われていますけども本当にいい曲だなと。どなたも思い当たるところがあって。
@そうですね本当に人間は大切な人との別れを必ず経験するんですよね。この1つの音楽が歌詞がそれからの生きる希望とか勇気につながると本当にいいなと思います。
「思い出したら私の母もこの曲というかこの歌詞がすごく好きだなと言っていたと思って。そんなふうにパルマにいらっしゃってヴェルディの椿姫とかを作ったヴェルディのところにいらっしゃって歌って帰っていらっしゃってそれでかえっていらっしゃって歌うことになったんですがある日突然声が出なくなった。
@そうなんです。扁桃腺に障害を持ってそれから声に雑音が入るというか声がガリガリして
「びっくりしたでしょうテノールの方でそういうふうになってしまって。
@歌ってみたら本当にひどい声で。これは歌い手として病のではないかと思ってか。でも最初は治ると思って。
「それは日本で向こうで
@向こうです。ちょっと様子を見てまだ治るまでまとうと思ってでも全然変わらないですよ。これはやばいと思ってそれがきっかけで日本に帰国するとことになった
「4年目に。
@日本でいろんなお医者さんに回って検査してもらうんですけども扁桃腺と声は関係ない因果関係はないという。
「声帯はなんともないですか
@声帯はなんともないです。それは君の歌い方が悪いんだよとどこのお医者さんに行っても言われるんですね。でもある日扁桃腺をいためてから絶対に自分の中では扁桃腺が原因だと確信があったんです。それで手術をお願いしてかなり危険な手術だと言われていたんですけども。扁桃腺というのはのどの奥にたくさんあるんですよ実は。その中の舌の付け根にある舌根扁桃というところが下いいかもしれないと。そこを切り取る手術を。でも太い血管が通っているので下にメスを入れるというのはとても危険な手術をだからと言われて。でも危険な手術と言われてもこのまま自分が歌の道をあきらめるというのは自分でどうしてもあきらめきれなくて危険なものだとはわかっていても手術に挑戦したかったからと。それで3回挑戦したんです。それで3回目が終わったときに声を出したら本に戻っていたんです。
「やはり原因はそこに
@本当に手術が終わって初めて声を出すときは緊張して手が震えましたけども。でもそれだけに声が元に戻っていたときは本当にうれしかったですね。
「ご自分でもおっしゃっているんですけどもお父様からもらったお母様からももらったんですけどもその楽器がかさかさしたんじゃね
@そうですね。テノールの声で歌えるというのはそれまで当たり前と思っていたらこれは本当に当たり前ではないだと思って本当に感謝して歌っていかなくてはいけないなと思いました。
「向こうに入学してすぐに歌手としてデビューできると思ったらデビューはずいぶん遅くなってしまったんですって
@テノールクラシックの歌い手というのは50代ぐらいまで伸びていきますからだから30代の前半というのはまだ全然出来上がってないですよね。だから34歳でCDデビューをしたんですけどもその時最年少のCDデビューだったんです
「そうなんですか。クラシックの中では
@そうですねまだまだ若造という感じで。
「その時はずいぶん苦しみましたで精神的にも。
@声が元に戻ったというときは本当に希望持って生きていけたからという感じです。
「いい曲に巡り会ってねでも今は忙しいですよねみなさんにこの曲を歌って歌ってと言われて。
@本当にたくさんの方に聴いていただけるというのは歌い手としてうれしいことだと思います。
「偶然というものはあるもので34歳でデビューなさってセナ
@はいF1ドライバーの
「セナさんのあの日にいらっしゃったんですね
@そうですねイタリアで言葉も通じなくて孤独に勉強していた。その時アイルトンセナが自分の中のヒーローで。いつもF1で頑張っている姿が自分が見ていて頑張れるきっかけになったんですけどもレースを見に行ったときに自分の目の前で事故で亡くなってしまったんです。びっくりして結構そのことから立ち直るまでに自分が大変でした。
「その時セナも34歳
@だから314歳というのは自分の中でも1つの節目というか大きなことだったかなと思います。
「ご自分の希望の人が目の前で本当に一瞬にして
@そうですねこの千の風になって初めて自分が聞いたときにふと思い浮かんだのがセナの顔だったんですね
「セナについてもいえますよね。そうするとデビューの年とあこがれていたセナの死というものが
@自分が34歳になってみて彼を追い越してしまったんですよね。自分がやっと歌い手としてスタートを切れるという。これから頑張っていきたいだとその時に思いましたね。
「でもファンの方がこの曲を歌ってほしいというリクエストがあってこれほどヒットしたらあなたのファンの方は大喜びだったでしょう
@すごく喜んでくださいましたけども。自分の中でこの曲が多くの人たちに広がっていくというがそれほど大切な人が亡くなったということ抱えて聴いてくださっていると思って自分の中でもこの曲を歌う責任感というものが強くなっていきます。
「これからもうたわれていいかれると思うんですけども。ちなみにご結婚なされてお子さま2人。皆さん独身なのかどうかと思いなってると思うんですけども一応結婚なさっているということで。でも本当に歌い続けてきれいな声を保っていただけると。秋川さんでした。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2007/h19-2-6.html

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