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┃ 刑事裁判 控訴審 ┃
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2005(平成17)年01月25日(火)13:30~ 控訴審第1回公判(725号法廷)
2005(平成17)年03月24日(木)13:30~ 被告人質問(主尋問1時間30分)
2005(平成17)年05月12日(木) 11:30~ 結審
‡2005(平成17)年06月30日(木)11:00~ 判決
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http://masakikito.com/ishii/ito-kohan.htm
https://www.uta-net.com/song/11684/
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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映像◆日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話https://youtu.be/dpq-_e0Og4Y
2019(令和元)年08月11日(日) 公開 説明どうも削除されたみたいですが、基礎知識としてこの程度のことは必要と思いますので再掲します。じっくりご覧ください。官僚、公僕?とは名ばかりで陰でいかにえげつないことをしているかよくわかります。一度徹底的に懲らしめないとだめね。
2019(令和元)年12月29日(日) 347,725回視聴 良6,579 悪291
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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‡1894(明治27)年06月30日(土) ロンドンにタワーブリッジが開通 ⇒ ロンドンのテムズ川にタワーブリッジが開通した。人口の増大や都市の拡大に伴い相次ぎ建設された橋の一つ。船の往来が多かったため、蒸気エンジンで橋桁がハの字に開くよう設計された。写真は2016(平成28)年撮影【AFP時事】※2020(令和二)年記事追加
‡1994(平成六)年06月30日(木) 社会党の村山富市委員長が首相に ⇒ 少数与党政権となった羽田孜内閣が総辞職した後、政権復帰を目指す自民党が社会党、新党さきがけと連立内閣を組むことで合意。社会党の村山委員長が総理大臣となった。社会党からの首相誕生は47年ぶりだった【時事通信社】※2020(令和二)年記事削除
1994(平成六)年06月29日(水) 写真はあいさつをする村山社会党委員長(右)。中央は自民党の河野洋平総裁=1994年6月29日、国会
‡1958(昭和33)年06月30日(月) 羽田空港が米国から全面返還
‡1974(昭和49)年06月30日(日) 上野動物園の「おサル電車」が廃止 ※2020(令和二)年記事削除
‡1996(平成八)年06月30日 松竹歌劇団(SKD)が解散
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1999(平成11)年06月30日(水)“異色の助っ人”横浜・ローズが史上初3度目のサイクルヒット
‡2017(平成29)年06月30日(金) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月30日だ。
写真◆2000年限りで横浜を退団したローズは03年にロッテと契約も開幕前に退団した
1998年に優勝&日本一を飾った横浜ベイスターズ(現DeNA)、その原動力が抑えの大魔神・佐々木主浩とマシンガン打線だった。
ただ、マシンガン打線が一番盛大に炸裂したのは、翌99年。その中核にいたのが、ロバート・ローズである。よく「日本文化への適応が外国人成功のカギ」と言われるが、この男は例外だ。8年間も在籍しながら日本語をいっさい覚えようとしなかったという。まさに異彩の助っ人である。
この年、開幕から打ちまくっていたローズが6月8日、「今シーズン限りで引退し、家族とゆっくり過ごしたい」と突然の引退宣言をした。これまで引退をちらつかせ、年俸の引き上げを迫る外国人選手はいたが、ローズは本気だった。93年の来日以来、成績が出ないとまるで犯罪者のように批判され、追われるように去っていく外国人選手を何人も見た。その中で「いい時期に自分の判断でやめたい」と思うようになったのだ。
引退宣言後、ローズのバットはすごみを増す。そして6月30日、広島戦(富山)で史上初3度目のサイクルヒット達成。試合も1イニング12得点の猛攻もあって横浜が20対4で大勝している。
しかし、大魔神の不振もあってチームは最終的に3位。優勝が絶望となったときにローズは「僕のゴールは優勝にしたい」と引退を撤回した。この年、首位打者&打点王を獲得。192安打は当時のセ記録、打率.369は、これも当時だが右打者の歴代最高記録だった。ホームランも前年の19本からほぼ倍増の37本。ウエート・トレーニングに加え、メジャーの流行でもあったが、極端に軽いバットを使うようになったことも成績向上の要因だった。
さらにチームもすごい。チーム打率.292は当時の史上最高。投手を除くと.303、ホームの横浜では.311だった。逆にいえば、これでも優勝できないのだから、野球において、それだけ投手力が重要とも言えるだろう。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1995(平成七)年06月30日(金) 新人ジョニー黒木、初勝利のお味は?
‡2018(平成30)年06月30日(土) 8:11 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月30日だ。
写真◆ウイニングボールにかぶりつくパフォーマンス
1995年のパ・リーグは、当初西武が走ってオリックスが追い、2強4弱とも言われたが、これを“なんとなく”ながら追いかけ始めたのがロッテだった。
第1期バレンタイン監督初年度の戦いだったが、6月22日まで最下位。のちバレンタイン旋風とも言われるが、それほど華々しかったわけではない。
ただ、4弱のゲーム差があまりに接近していたので、24日の勝利で1日にして6位から3位へ上がっていた。
当時のロッテの話題は、日本初のGMとなった広岡達朗とバレンタイン監督の“どちらが偉いのか”だった。
マリーンズファンには、バレンタイン監督のパフォーマンスと積極性あふれる野球が徐々に支持を集め始めていたが、人事面では広岡派とも言える江尻亮二軍ヘッドコーチが広岡GMの鶴の一声で新設の一軍ヘッドコーチに就任、むしろ広岡色が強まっていたようにも見えた時期だ。
ただ、バレンタイン監督、この時点までは、広岡GMが何をしようがまったく気にすることはなかった(ように見えた)。
これは名言だと思うのだが、キャンプで広岡GMが自ら選手の技術指導をしたとき、記者から「やりにくくないか」と聞かれたバレンタイン監督はこう答えている。
「広岡さんに『野球を教えるな』というのは、水の中で魚に『泳ぐな』というようなものだよ」
ただし、そう言いながらも、少しずつバレンタイン色を出しつつあったようにも見えたのが、6月後半のこの時期だった。
6月30日、日本ハム戦(東京ドーム)の選手起用もそうだ。新人・黒木知宏の先発である。
黒木はここまですべてリリーフで7試合に登板し、0勝5敗、防御率5.27と散々。ただし、記者たちに「ジョニーと呼んでください。ジョニーウォーカーの黒木ですから(ジョニ黒)」とあいさつしたように、とにかく明るいキャラではあった。
まあ、バレンタイン監督にしてもダメ元での指名だったのかもしれないが、黒木はなんと毎回の12奪三振で完封勝利を挙げてしまった。「思ってもみなかったんで、びっくりしました」と黒木。カメラマンの前でボールにがぶりのパフォーマンスも見せた。
尾花高夫コーチも「完封してこいと送り出したら本当にいい度胸してますよ」とややあきれ顔。150キロ近い速球が武器だが、「目標は170キロです」と、どこまでも人を食った男だけに、ボールを食うくらいは朝飯前だったか……。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1995(平成七)年06月30日(金) ジョニーがプロ初勝利で珍パフォーマンス
‡2019(令和元)年06月30日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1995年6月30日だ。
写真◆プロ初勝利を完封で飾り、うれしさ余ってウイニングボールにかぶりつくパフォーマンスを見せた黒木
この年、逆指名のドラフト2位で新王子製紙春日井からロッテに入団した黒木知宏。「サブローがいるなら、僕はジョニーと呼んでください。ジョニーウォーカーの黒木ですから」と明るいキャラクター全開だったが、開幕からは勝ち運に見放されて5連敗と苦しんでいた。
だが、迎えた6月30日の日本ハム戦(東京ドーム)、ついに初勝利を手にした。しかも、毎回の12奪三振のおまけつきで日本ハムを完封したのだ。「完封してこい、と言って送り出したら本当に完封してしまった。いい度胸をしていますよ」とは尾花高夫投手コーチ。
黒木はヒーローインタビューでは「これまで長く感じました」と実感がこもり、目にもうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。だが、インタビュー終わりの合図があると「緊張した!」と素顔をのぞかせ、カメラマンの注文にはウイニングボールにガブリと噛みつくパフォーマンス。ひょうきんな面を見せた。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170630-01
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180629-01
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190630-10
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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1998(平成十)年07月07日(火) 千葉ロッテ、七夕の悲劇と18連敗の状況
2018(平成30)年07月07日(土) 7:07 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月7日だ。
7月07日(火)、七夕のオリックス─ロッテ戦。GS神戸には平日にもかかわらず2万人の観衆が集まり、異様な盛り上がりを見せていた。ロッテの先発は、ここのところクローザーとして起用され、先発は
6月18日(木)以来となる黒木知宏。ロッテは3対1とリードし、9回裏オリックスの攻撃を迎えていた。黒木の球威は衰えず、先頭のイチローを三振、ニールにライト前ヒットを許すも、谷佳知をファウルフライで二死。続くプリアムも2ストライク1ボールと追い込む。1球外した後の139球目だった。サインどおり、プリアムが苦手なはずの内角低めの速球を投げ込んだが、プリアムがまさかの同点2ラン。黒木はそのままマウンドに崩れ落ち、交代。ベンチ裏で号泣した。そして同点で迎えた延長12回裏にロッテの三番手・近藤芳久からオリックスの広永益隆が満塁サヨナラ弾。試合後、黒木は脱水症状と体力消耗から全身がけいれんし、コーチに抱きかかえられながら無言でバスに向かった。
6月13日(土)から始まったロッテの連敗はこれで17。単独のチームワースト記録になった。さらに翌日も破れ、18連敗。ようやく泥沼から脱出したのは、
7月09日(木)のオリックス戦だった。 ただし、18連敗は決して一方的なものではなく、逆転負け10度、サヨナラ4度と紙一重の試合も多かった。今回は18連敗を簡単に振り返ってみよう。
‡00 6月30日(火) 西武戦5対5(福井県営)※5対3から追いつかれたが、延長12回引き分け。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
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┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.586 ┃ 60円
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‡1969(昭和44)年06月30日(月)号 三原脩のスピーディ&アグレッシブ球界改革論
2019(令和元)年11月11日(月) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎バッキーは101勝目が遠し……
写真◆表紙は近鉄・三原脩監督
今回は『1969年6月30日号』。定価は60円。
当時、プロ野球は人気の“頭打ち”が言われ、特にパ球団は深刻な経営難にあった。
この号では、近鉄の三原脩監督がかなり極端な球界改革案を語っている。現役監督がルール変更をマスコミの前で軽々しく言うな、という話はさておいて。
まず代走、代打の回数を制限せず、当時であればロッテ・飯島秀雄のような選手を何度も使ってよしとする。今でいえば、ソフトバンクでデスパイネが出たら必ず周東を代走にしたほうがスリリングにはなるという感じか。
代打も同様。たとえば2回まで可能とし、投手は打席に入らないとしたほうが、試合がアグレッシブになる、と。まだ、メジャーでもDHはない時代だ。
試合が大差になったら打ち切る。ペナントレースも1位から3位まで決まったら、そこで終了。「では、個人記録はどうする」という問いには、
「もともと球場やその日の風向きで違うもの。公平ではない。記録がどうこうとあまり大げさに言うような問題ではない」
ときっぱり言い切っている。
さらに投手が投げる球種を申告するというのもあった。その分、ストライクを2までとし、ファウルであってもアウトとする。
三原の提案は主にスピードアップ、アグレッシブさを増す、が主眼に置かれたものだった。
その三原率いる近鉄の好調は続き、首位阪急との6月7、8日の3連戦(シングル、ダブル)を2勝1敗と勝ち越し、ゲーム差を2とした。
連勝となった8日のダブルヘッダー。1試合目の立役者は先発の鈴木啓示。8回までノーヒットノーラン、9回先頭の長池にヒットを許したが、完封で10勝目だ。
「ノーヒットノーランを逃したのは悔しいが、阪急に勝ってすっとしましたわ」
と鈴木。打っては3連続二塁打だ。この男に関しては、三原プランも不要か。
第2戦のヒーローは永淵洋三。延長10回にサヨナラ打だ。この時点ではダントツの打率トップ。首位打者について振られると、
「いやいや、そんなこと、まだ早いですよ」
と笑顔で話していた。
好調なチームの中でバッキーに勝ち運がない。左太もも肉離れでの離脱から復帰し、8日の2試合目に登板。7回2失点の好投だったが、勝ち星がつかなかった。
勝ち星は、阪神時代の前年8月27日、通算100勝を挙げたのが最後。阪神時代は、勝てないとチームや打線のせいにし、毒を吐きまくることも多かったが、
「チームが勝ったからそれでいいよ。近鉄は阪神よりよく打つから、そのうち僕も勝てるでしょ」
と意外とあっさりしていた。
引き際が近づき、持ち前のハングリーさが薄れてきたともいえるのか。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20191108-01
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┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.041 ┃ ONLINE
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どんな速球でも速いとは感じなかった天才ヒットメーカー、篠塚和典
2018(平成30)年2月2日(金) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
誰もが認める天才
球を速いと感じたこともほとんどなかったという
巨人・篠塚和典(利夫)は故障もあって2000安打には届いていないが、“ヒットを打つ技術”は誰もが認める天才だった。
どんな球でもバットに当てる自信があったという篠塚は「2ストライクと追い込まれても焦ることはなかった」と言い切る。また、「ボールを速いと感じたことは、ほとんどない。津田(恒美。広島)や与田(剛。中日)でもタイミングを取れないことはなかった」とも。
さらに「ピッチャーがトップの位置に入ると同時にバッティングのトップを作っていました。そして、いつでも振れる準備をする。そうすれば振り遅れることなんてありません」と、事もなげに言うのもまた、天才ゆえだろう。
篠塚はヒットの可能性を練習からすべて追求していた。コースに逆らわずではなく、インコースを右にも左にも打ち、フィールドすべてを使う。詰まっても、泳いでもヒットゾーンに飛ばす打ち方を体に覚え込ませた。仮に先に当たっても、ヒットにしたいからとバットの先は角張らせて、そこに当ててヒットを打つ練習もした。
そして、そこまでやった上で言う。
「データは一切見ませんでした。来たボールを打つのが一番です」
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957(昭和32)年7月16日(火)生まれ。千葉県出身。銚子商高からドラフト1位で
1976(昭和51)年に巨人に入団。5年目の
1980(昭和55)年に二塁の定位置を確保すると、翌
1981(昭和56)年には打率.357の大活躍でリーグ優勝、日本一に貢献。
1984(昭和59)年と1987(昭和62)年には首位打者に輝いている。
1994(平成六)年限りで現役引退。
1976(昭和51)年から
‡1992(平成四)年6月30日(火)の登録名は「篠塚利夫」。主なタイトルは首位打者2回。通算成績1651試合、1696安打、92本塁打、628打点、55盗塁、打率.304
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②┃ プロ野球仰天伝説 No.189 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
日本酒でよみがえった谷沢健一
‡2018(平成30)年6月30日(土) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
アキレス腱で出番が減少して……
中日・谷沢健一
1976年、最後に張本勲を逆転して首位打者を獲得した谷沢健一。中日の中心選手としてはもちろん、日本球界を代表するヒットメーカーへと着実に歩を進めているかのように思われた。ところが、その2年後から谷沢の試合出場機会が見る見るうちに減ってきた。78年には70試合に減り、翌79年はわずか11試合の出場である。
原因はアキレス腱痛。ただ、アキレス腱が傷ついたわけではなく、アキレス腱の最下部、カカトとつながる部分が炎症を起こし、アキレス腱に痛みが出るという厄介なもの。大学時代からの持病だった。
それまでも軽い痛みはあったものの、我慢できないほどではなかった。ところが、いわゆる“勤続疲労”、さらに人工芝を採用する球場も増え、知らないうちにアキレス腱への負担が増し、悪影響をもたらしていったようだ。痛みとともに、患部が硬くなって満足に走れない日々が続く。有効な治療法が見つからず、ついには引退の危機を叫ばれるほどになった。
そんなとき、ファンから日本酒を塗ってマッサージする療法を聞かされた。そしてたどり着いたのが、九州で日本酒を用いる治療法を指導していた小田山秀雄氏。谷沢は小田山氏を「日本酒マッサージで私のアキレス腱をよみがえらせ、私の心も回復させた名医」と呼ぶ。風呂上りに、酒に湿らせたガーゼで患部をぬぐっては丁寧にマッサージを繰り返す。ゆっくりではあったが、痛みが薄らいでいった。
1979(昭和54)年9月23日(日)、ついに一軍復帰。横浜大洋戦(ナゴヤ)の7回に代打で登場したときには、中日ファンの大声援が谷沢に降り注がれた。
そして80年は、開幕からヒットを連発。ついには打率.369の高打率で2度目の首位打者を獲得、あわせてカムバック賞も受賞した。
中日ファンが、谷沢の打席の際に鳴らすヒッティング・マーチは、この年から「帰ってきたウルトラマン」のテーマになった。
┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
③┃ プロ野球仰天伝説 No.199 ┃ ONLINE
┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
史上唯一3度のサイクルを達成したのは引退表明していたローズ
2018(平成30)年7月10日(火) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
20対4と大勝した試合で達成
写真◆横浜・ローズ
史上唯一、3度のサイクル安打を達成しているのが横浜のロバート・ローズだ。
‡1999(平成11)年6月30日(水)の広島戦(富山)。横浜が25安打を放ち、20対4で大勝した試合だが、四番のローズはまず2回に左中間へ二塁打。3回は四球だったが、5回に中前打と右越え三塁打、6回に左中間へ本塁打を放って、
1995(平成七)年5月02日(火)の中日戦、
1997(平成九)年4月29日(火)のヤクルト戦に次ぐ3度目のサイクル安打を達成した。
実はこの年、ローズは引退宣言をしていた。
「もうやるだけのことはやった。今年で野球をやめる。メジャーで野球をやることも、他の球団に行くこともない。その意思は変わらない。今後は家族と一緒に楽しく過ごすよ」
来日6年目を迎えていたローズ。シーズンが終わると真っ先に帰国し、家族と過ごす時間を大切にしてきたが、前年の日本一が大きな区切りとなっていたようだ。常に個人成績よりもチームの勝利を願ってきた助っ人にとって、チームの日本一で、自分の使命は終えたという思いもあったのだろう。
しかし、このサイクルヒットによって、引退の2文字を残留に変える可能性をもたらした。
記録達成から数日後、ローズがこう漏らした。
「ワイフに言われたよ。『野球場で笑っているあなたを初めて見たわ。だから、まだ野球をやっていなさいよ』って」。
ミッシェル夫人が引退撤回を勧めたという。ローズ自身も「サイクルを打ったとき、本当に楽しいと思えたよ。最近、そういうことがないなと思っていたからね」
周囲からもやめないでコールが沸き起こっていた。
「決意はそう簡単に変わらない」と言い続けたが……最終的に翌年も現役を続行した。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180202-14
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180630-13
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180710-12
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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