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 ワクチン確保計画は破綻寸前!? 河野ワクチン担当大臣周辺や各省庁の不協和音
 2021(令和三)年02月19日(金) 08:02 
 2021(令和三)年02月26日(金)号『週刊朝日』一部加筆修正
 写真◆河野太郎行革相 (c)朝日新聞社c AERA dot. 提供 河野太郎行革相 (c)朝日新聞社
 コロナ対策の「切り札」とされるワクチン。海外から第1便の約20万人分が届き、ようやく希望が見えたかと思いきや、実は、
 2021(令和三)年06月末 (水)までに全国民に必要な数量のワクチンを確保するという政府の目標の達成が見通せなくなっているという、衝撃的な情報が飛び込んできた。日本が結んだ契約に、政府が目標とする「6月末まで」の記載がないというのだ。省庁間の連携も滞り、確保計画は「破綻寸前」との指摘も。なぜこんな事態になっているのか。背景には各国がしのぎを削るワクチン争奪戦がある。欧州連合(EU)は1月末、域外へのワクチンの輸出規制を導入。出荷のたびに加盟国政府やEU当局の承認が必要とされるようになった。米国でもバイデン大統領が、国外への輸出を禁じるトランプ政権の方針を支持している。こうした状況下で、日本政府の交渉も難航している。政府が昨年7月に米ファイザー社とワクチン供給について基本合意した際は「21年6月末までに1億2千万回分(6千万人分)」という条件だった。ところが、
 2021(令和三)年01月20日(水)にファイザーと最終合意して結んだ契約は、「年内に1億4400万回分(7200万人分)」と、数は増えたが時期が半年も後ろ倒しされてしまった。厚労省の関係者は内情をこう語る。「契約時期が変わったのはファイザーから『厳しい』と言われたから。それでも必死で交渉し、なんとか『年内』という言葉を入れた。イスラエルのように相場より高く買ったり患者のデータを提供したりと交渉の余地はあったはずだが、承認手続きや薬害、副反応のリスクを考えてどうしてもおよび腰になり、最終判断が遅れた。ファイザーはなかなか決断できない日本を横目に、他国にワクチンを回すようになってしまった」ワクチンを思うように確保できない状況にしびれを切らした菅義偉首相は1月、官邸主導で打開しようと、河野太郎行政改革相をワクチン担当大臣に指名。河野氏の「突破力」に期待した形だが、就任早々ひと悶着があった。
 2021(令和三)年01月21日(木)に坂井学官房副長官が会見でワクチンについて「6月までに接種対象となる全ての国民に必要な数量の確保は見込んでいる」と語ったが、河野氏が翌
‡2021(令和三)年01月22日(金)、「修正させて頂く」「まだ供給スケジュールは決まっていない」などと噛みついた。両者は結局、「6月に確保することを目指す」という表現で着地したが、この騒動も契約内容の解釈を巡って勃発したという。
 内情に詳しい政府関係者は、ワクチン契約をめぐる情報が行政内部でも十分に共有されていないと指摘する。
「河野氏は「『情報管理』や『機密保持』を徹底するあまり、製薬会社との交渉を担う厚労省や、輸出規制を導入したEUとの窓口になる外務省にさえ情報を伝えていない。中でもワクチンの供給契約の詳しい情報は『最高機密』で、一部の人間しか知らない。交渉にも支障が出ており、省庁間の関係もぎくしゃくしています」自民党新型コロナウイルスに関するワクチン対策プロジェクトチームの役員会でも「契約の詳細がわからないのでEUと交渉ができない」という外務省の不満も取り上げられた。メンバーの佐藤正久参院議員が振り返る。
「厚労省の説明では、外務省の交渉担当者とは情報を共有していると言っていましたが、一部の担当者に限られるようです。相手方(製薬会社)との関係もありますし、(情報を共有する職員は)非常に限定されているのでしょう」情報共有が十分でないことからくる不協和音は、いまや関係する各省庁に広がっている。河野氏が担当大臣となる以前、ワクチン確保を所管していたのは和泉洋人首相補佐官や、和泉氏と「コネクティングルーム不倫疑惑」が報じられたこともある厚労省の大坪寛子審議官らを中心としたチーム。コロナ対策を担当する西村康稔経済再生担当相や田村憲久厚労相も関わり、外務省や総務省の存在も大きい。だが、こうした厚労省を中心とした体制での契約交渉が順調だったとは言い難く、事態を打開するために河野氏が送りこまれた経緯がある。
「河野氏はこれまでワクチン確保の中心となってきた和泉氏、厚労省に代わって主導権を握り、自身に情報を一手に集めている。しかし、専門のブレーンがいないのに、外交ルートを有する外務省や製薬会社とパイプのある厚労省を遠ざけて、うまくいくのか危惧されている。いまやワクチン確保のための体制は破綻寸前の状態です」(前出の政府関係者)各自治体が実施するワクチン接種をとりまとめる総務省の担当者も困惑しているという。
「自治体ではいま、厚労省が示したスケジュールに間に合わせるため、医師や看護師の手配や会場の確保に追われています。各自治体の担当者から『ワクチンがどれだけ確保できるかがわからなければ準備を進められない』と突き上げられています。我々も最新データを知りたいと厚労省に再三伝えているのですが、『国内の承認を得られるまでは教えられない』の一点張り。少しの情報でもいいから提供してほしい」(地域政策課)国際医療福祉大学医学部(公衆衛生学)の和田耕治教授は、こうした状況にこう警鐘を鳴らす。
「ワクチンの接種で重要なのは、ワクチンの『供給速度』です。世界的な争奪戦の中、いつ、どのくらいの数量を確保できるかが大事。ワクチンの必要量と供給量にギャップができれば、混乱が生じます。例えば、同じ医療従事者といっても、国内で感染者が多い地域もあれば、少ない地域もあり、優先順位を考える必要が出てくる。供給速度がわからなければ、こうした優先づけを行うのも難しく、接種のための人員や場所の用意も進められません。政府と国民の信頼関係にも響きます」どこかの段階で、ワクチン供給のスケジュールが大幅に遅れることが判明すれば、国民は大きな衝撃や失望を受けることになる。
「現状では、国民の不安や怒りを噴出させないという意味において情報コントロールが成功してしまっているのかもしれません。ただ、ワクチンにかける期待感が失速した瞬間に、政権が国民に期待感のみを抱かせ、実体が伴っていなかったことに気付かされるでしょう」(前出の政府関係者)河野氏にワクチンの供給契約の詳しい内容や確保の見通し、情報開示が消極的な理由などを尋ねたが、期限内の回答は「時間を取る余裕がない」とのことだった。厚労省も「契約の内容はお答えできない」と言うのみだった。河野氏は
 2021(令和三)年02月16日(火)の会見で、「政府の基本的な対処方針は令和3年前半までに国民に必要な数量のワクチンの確保を目指すということで変わっていない」とした。一方、「確保を目指すと語っているわけで、接種の時期について申し上げたわけではありません」とも語った。また、東京五輪の開催前までに国民への接種が間に合わなかった場合について問われると、「五輪については橋本(聖子)大臣にお尋ねをいただきたいと思います」。希望する全国民が接種を追える時期については「現時点では定かではありません」とした。(本誌・池田正史/今西憲之)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/6c523018a178b075c379602629968ecac9b06993

【呉線】 動物と接触 列車の遅れ
‡2021(令和三)年01月22日(金) 第一報 21時40分 22時56分更新
 呉線:かるが浜駅~天応駅間で列車が動物と接触したため、車両と線路を確認しました。このため、一部の列車に5~20分の遅れがでています。
 影響線区:呉線:三原から広島まで一部列車遅延
 https://trafficinfo.westjr.co.jp/chugoku_history_detail.html?id=00063867

 <原爆ドーム>ひさし部分、川底から引き揚げ 学生団体発見
‡2014(平成26)年 1月22日(水)11時13分配信 毎日新聞
 元安川からクレーン車で引き揚げられた花こう岩製のひさしの破片=広島市中区で2014年1月22日午前10時11分、吉村周平撮影
 学生団体「広島大学原爆瓦発送之会」が22日、原爆の爆風で吹き飛ばされた広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)3階屋根の花こう岩製のひさし部分を、ドーム前を流れる元安川の川底から引き揚げた。原爆投下から68年にあたる昨年6月、被爆したドームの破片の捜索中に発見。引き揚げたひさしは、平和教育に役立てるため、これまでに見つかった窓枠や壁などとともに、22日から広島大霞キャンパス(広島市南区)で公開する。また、一部の破片をドームを設計した建築家、ヤン・レツルの母国、チェコの大学に寄贈する。原爆瓦発送之会は広島大(東広島市)公認の学生団体で、元安川で見つけた被爆家屋の瓦を世界に送り、原爆の悲惨さを伝えている。広島市の許可を得て、22日午前10時からクレーン車で引き揚げた。会は昨年6月から、原爆瓦の収集に加え、ドームの破片の捜索も始めた。昨年9月にはドーム内に立ち入り、収集した破片が建物のどの部分かを特定。収集した破片は約50個あり、窓枠や外壁、花こう岩製の飾りなどと判明した。今回引き揚げたひさしも同時期に川底の泥に埋もれた状態で見つかったが、巨大なため人力で引き揚げることができなかった。重量は約300キロで、その後の調査でドーム3階部分の屋根のひさしと判明した。表面のロマネスク調の彫刻も鮮明に残っている。会長で同大大学院生の嘉陽礼文(かよう・れぶん)さん(35)は「長年川底に眠っていたにもかかわらず、これほどの完全体で残っていて驚いた」と話し、「ドーム内への立ち入りはできず、がれきにも触れることはできない。目の見えない人にも実際に破片に触れてもらうことで、原爆の惨禍を感じ取ってほしい」と話している。【吉村周平】

 市長の退職金は20円 那須塩原、最後の月給は…1円
‡2016(平成28)年1月22日(金)20時2分『朝日新聞デジタル』配信 
 2016(平成28)年1月21日(木)に退任した栃木県那須塩原市の阿久津憲二・前市長(72)の退職金が20円になることがわかった。阿久津氏は給料の3割カットと退職金ゼロを公約に掲げて2012年の市長選で初当選。自らの給料を減額する特例条例を定めて同年4月以降の月給を96万円から67万2千円にし、退任時の月給を「1円」と定めた。退職金事務を扱う県市町村総合事務組合は退任時の月給と在任期間を元に退職金を支払うため、阿久津氏は20円になるという。退職金は1カ月以内に阿久津氏の口座に振り込まれる見通し。特例条例がなければ退職金は1935万3600円だった。特例条例は21日で失効した。昨年12月の市長選で阿久津氏の再選を阻んで初当選し、22日就任した君島寛新市長は、給料や退職金のカットについては「十分話し合って検討したい」と述べるにとどめた。(矢鳴雄介)

 映像◆絶食療法の科学https://youtu.be/oA-eI2WQLRU
‡2013(平成25)年01月22日(火) 621,206回視聴
 バイカル湖畔にあるロシア・ゴリアチンスク病院では、50年前から絶食療法を実施している。アレルギーやぜん息などの患者に対し医師が説明を行ってから、10日から3週間にわたって絶食を行う。期間中、口にするのは水だけ。三日ほどで空腹感は無くなるが、頭痛や倦怠感が生じるため、医師が検査を行い、場合によっては絶食を中断する。 絶食療法は1950年代モスクワで精神病患者の治療として取り入れられた。その過程で高血圧や内臓疾患にも効果があることが判明。1970年代に大規模な研究が進み、絶食で体にストレスが加わることで、人間本来の抵抗力や治癒力が高まることが分かってきた。その後、ぜん息治療でも絶食が活用され効果を上げている。ロシアでは絶食療法が医療の一部として認知されているという。 また、ドイツでは国民の2割が絶食療法を経験している。各地の病院では医師の監督のもと3週間程度の絶食治療コースを提供。肝臓の肥大や機能低下が回復した例などが多数、報告されている。 ロシア、ドイツ、フランス、アメリカでの"絶食の科学"の最新研究を追う。ロシアのブリアート共和国、バイカル湖の近くの温泉地、ゴリアチンスク診療所では1995年以降絶食療法が行われている。国の保険が適用される。水だけで平均12日間から21日間絶食が医師の監視下で行われます。絶食2・3日目から薬を止めます。15年間で1万人が療法を受けました。糖尿病・喘息・高血圧・リュウマチ・アレルギーなどの患者の3分の2の症状が消えました。絶食を始めるとアシドーシス(体が酸性に傾く)が起きて疲労感・吐き気・頭痛になりますが24時間から38時間で治まります。肝臓のブドウ糖は1日で消費されその代わりにタンパク質が分解されてブドウ糖を供給します。また脂肪から肝臓によってケトン体に変えられ脳へと供給されるように代謝が変化します。このことを発見したのは今から60年ほど前、モスクワ第一医科大学精神科のユーリ・ニコラエフ医師でした。切っ掛けは食事を拒絶する患者によってでした。ニコラエフ医師は試みに患者の思うままにそのままにしたことでした。5日目には起き始めた。10日目で歩き始めました。15日目でジュースを飲みました。それから新しい人生を開始しました。この患者の臨床を多くの患者に適用したところ、統合失調症・鬱病・恐怖症・強迫性障害などの精神疾患の多くに効果があるだけでなくその他の慢性疾患に大きな効果があることが判明しました。同時に尿・血液・ホルモン・脳波などの生化学的な検査が行われました。ワレル・グルビッチ精神科医(モスクワ精神医学研究所)によるとニコラエフ医師は8000人の患者に同様の治療を行い、70%が回復、6年後も47%が健康を保ちました。社会に復帰し結婚した元患者もいたそうです。その他に高血圧・喘息・皮膚炎・関節炎にも良好な結果が出ました。旧ソビエト政府保健省はその結果をにわかには信じられずに、1973年検証プロジェクトを行いました。軍医だったアレクセイ・ココソフ教授(パブロフ生理学研究所 呼吸器科)、ワレリ・マスモフ教授(ロシア医学アカデミー 胃腸科)がその検証に携わりました。ニコラエフ医師の患者数千人を調べ絶食療法が適している疾患、そうでない疾患を選びました。
   良好な疾患:気管・心臓・血管・胃腸・内分泌・消化器・関節・皮膚などの疾患 
 適合しない疾患:がん・結核・Ⅰ型糖尿病・慢性肝炎など 
  ココソフ氏言:絶食によって起こるストレス状態が体の回復メカニズムと普通の生活習慣のせいで眠っている自己調節力を目覚めさせるのです。 
 以下参考:http://blog.livedoor.jp/ohayooohayooo...
 注意:絶食に熟知した医師の元で行うことが必要で個人で行わないこと。アシドーシスでは症状が再燃する可能性がある。特に頭痛・喘息・アナフィラキシーショック、精神症状がある人。
 

 天満屋アルパーク ファイナルセール
‡2020(令和二)年01月22日(水) 開幕
 2020(令和二)年01月31日(金) 閉幕
 https://tabetainjya.com/archives/cat_3/alpark_heiten/

 松本人志の95㎏ベンチプレス26回に「スゴい」「ズルい」の両論
 2019(令和元)年12月17日(火) 18:00 北野大知 お笑い界随一のマッスルボディを誇るダウンタウンの松本人志が驚異の筋力を披露し、後輩芸人に「バケモンです!」と言わしめた。
 2019(令和元)年12月14日(土)放送の『炎の体育会TV』TBS系 で松本は、ベンチに仰向けに寝た体勢からバーベルを胸の上に持ち上げる“ベンチプレス”に挑戦。その場面についてスポーツライターが振り返る。
 「耐久力を競う“ベンチプレスvs垂直ジャンプ~異種耐久バトル”に参戦した松本は、自分の体重プラス30キロの95キロを選択。その重さを実感しようと宮川大輔が挑戦するもバーベルはびくともせず、補助員に『押さえてるやろ!?』と確認したほどです。素人では95キロをわずかでも浮かせることはまず不可能ですが、筋トレ歴10年超の松本は涼しい顔で次々とバーベルをリフトアップ。さすがに10回を超えたあたりからは表情に険しさが見え始め、20回を超えるとプルプルと腕を震わせていましたが、27回目を差し上げられずにギブアップするまで、驚異の集中力でバーベルを上げ続けたのです」ベンチプレスを終えた松本の上半身は、筋肉に血流が集まることでパンプアップされ、パンパンに膨らんでいた。その姿に視聴者から〈松ちゃんスゲエ!〉〈ヤラセなしなのは素晴らしい〉〈俺なら半分もできない〉といった賞賛の声が殺到したのも当然だろう。その一方で〈95キロって言ってもズルい〉と、その偉業に難癖をつける声も一部あるようだ。その理由について前出のスポーツライターが続ける。
 「番組ではシャフトに沿ってバーベルが動く『スミスマシン』を使っていました。スミスマシンはシャフトのおかげでバーベルが前後左右にブレることがなく、普通のベンチプレス(フリーウェイト)よりも2割ほど重いウエイトを挙げられると言われています。また松本は一回挙げるごとにバーベルを固定して休憩。これもまた回数を増やすには有用な方法であり、記録を伸ばすのに役立っていたのです」
‡2017(平成29)年01月22日(日)放送の『松本家の休日』朝日放送 で、松本は“松ザップ”と題して、スミスマシンを使ったベンチプレスを披露。そこでは135キロ×3回に成功していた。
 「松本はフリーウェイトでも100キロは差せるはず。そして100キロはベンチプレスの世界で《これが差せれば第一人者》とされる目安の重さであり、その達成者は世界的にも“100kgクラブ”(225ポンドクラブ)と称されています。ともあれ今回、松本が95キロを26回成功したことは、芸能人といったくくりとは関係なしに立派な記録であることは間違いありません」(前出・スポーツライター)40代後半になってから筋トレを始め、いまや100kgクラブ入りを果たした松本。ここからは、何歳までベンチプレス100キロを維持できるかに興味が高まることだろう。
 https://asagei.biz/excerpt/10618
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 松本人志、ベンチプレス95キロを26回に驚きの声 「レギュラーにしてもらおうかな。番組1個減るから」
 2019(令和元)年12月14日(土) 21:58配信 スポーツ報知
 14日放送のTBS系「炎の体育会TV SP」(土曜・後7時)に、ダウンタウンの松本人志(56)が「体育会TV軍助っ人ゲスト」として初出演、ベンチプレスに挑んだ。
 この日はスキージャンプの小林潤志郎(28)、小林陵侑(23)、小林龍尚(18)の小林3兄弟からなる「最強スキージャンプ軍」と「体育会TV軍」が3番勝負を展開。松本は「ベンチプレスVS垂直ジャンプ」と題した勝負に出場した。
 体重65キロの松本が95キロのバーベルを上げるごとに、高さ90センチの回転バーを4回ジャンプする“異種耐久対決”。この勝負で、松本は予想を上回る26回連続でベンチプレスをさせたが、龍尚は104回ジャンプを成功させ、松本が先にギブアップ。惜しくも敗れた。
 しかし、56歳の驚異のパワーに、MCの今田耕司(53)らは「バケモノです」と大盛り上がり。松本はぐったりした表情で「どういうこと?」と龍尚に驚きながら、最後は胸筋をピクピクさせながら「ノーギャラやからね」と笑わせた。
 さらに、番組名こそ出さなかったが、自身がMCを務めた同局系「クレイジージャーニー」が不適切な演出の発覚で、放送休止から打ち切りとなったことに触れ「(体育会TVの)レギュラーにしてもらおうかな。TBSで番組1個減るから」と、軽く“ぶっこむ”ことも忘れなかった。
 松本のベンチプレスでの奮闘にツイッターでは「まっちゃんスゲー」「松本さん95キロのベンチプレスあげてるけど、その辺の56歳にはあがらないぞ。その辺の20、30、40でも上がらないか。すごすぎる」などの声が並んだ。
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191214-12140150-sph-ent&pos=1
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 2003(平成15)年01月22日(水)「パイオニア10号」との交信途絶 ⇒ 初めて木星を直接観測し、冥王(めいおう)星を越えて太陽系外に出た探査機「パイオニア10号」との交信が途絶えたと、米航空宇宙局(NASA)が発表した。10号には地球外生物(ET)へのメッセージが刻まれたプレートが取り付けられている。写真は10号の想像図(NASA提供)【時事通信社】※2022(令和四)年記事追加
 1981(昭和56)年01月22日(木) 佐渡の野生トキを人工繁殖のため捕獲 ⇒ 特別天然記念物のトキを絶滅から救おうと、環境庁が佐渡の野生トキ全5羽を捕獲した。トキ保護センターに集めて人工的に繁殖させるのが目的だったが失敗。2003年10月、最後の日本産トキ「キン」が36歳で死に、日本産野生種は絶滅した。写真は1985年にトキ保護センターで公開されたキン【時事通信社】※2022(令和四)年説明削除
 1972(昭和47)年01月22日(土) 欧州共同体(EC)に英国など4カ国が加盟調印
 1992(平成四)年01月22日(水) 脳死臨調、脳死移植容認の最終答申 ※2022(令和四)年記事削除
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=大泉謙也 
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‡2005(平成17)年01月22日(土) 新生・楽天の出陣式 
‡2018(平成30)年01月22日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月22日だ。 
 写真◆出陣式であいさつに立つ田尾監督
 すっかりプロ野球の本拠地として定着した宮城県仙台市。古くはロッテの準本拠地的存在だった時期もあるが、2004年までは、逆に縁遠い地と言われても仕方がなかった。 
 すべてが変わったのが04年の球団再編。そして東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生である。 
 2005年1月22日は、新球団楽天が仙台で出陣式を行った日だ。三木谷浩史オーナー、田尾安志監督以下、コーチ、選手、打撃投手、ブルペン捕手まで約90人が総出のイベント。午前中は仙台市民会館でパネルデスカッションなどが行われ、会場は1300人のファンであふれた。 
 イベント後には一番町アーケード街を全員で約1キロのパレード。沿道には約3万人のファンが集まり、“われらのチーム”の出陣を拍手で祝った。 
 田尾監督は熱狂的なファンの声援に笑顔、笑顔。「秋には優勝パレードをしたい」と、いささか先走った(?)コメントもしていたが、当然、そんなに簡単な話ではない。新球団楽天の初年度は、屈辱にまみれた。 
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180122-13
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.199 ┃  40円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1962(昭和37)年1月22日(月)増大号 長嶋茂雄はアメリカに何をしに行ったのか
 2018(平成30)年5月15日(火) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎豪華な2ショット
 写真◆表紙は巨人・王貞治
 今回は『1962年1月22日増大号』。定価は10円上がって40円だ。巻頭グラビアは『ニューヨークと長嶋』。扉からドンと61年にベーブ・ルースの記録を抜く61本塁打を放ったヤンキースのロジャー・マリスと巨人・長嶋茂雄の2ショット、ページを開くとアメリカの空港に着いた俳優・石原裕次郎夫妻と長嶋。なんだかすごく豪華だ。 
 本文巻頭も『長嶋はアメリカになにをしに行ったのか』で、この渡米に密着取材。親友石原に誘われ、「キャンプまでに帰ります」と言い残しての1月4日の出発だったが、報道陣も黙っていない。芸能、スポーツ記者が大挙して帯同した。 
 ニューヨーク到着3日目の1月7日、長嶋は市内のホテルで行われたスポーツ用品展示会に出かけ、前述のマリスと30分ほど話したらしい。長嶋はその感想を聞かれ、 
「想像していたように、実に立派な人柄だ。ベーブ・ルースの記録を更新したのだぞ、といった、鼻にかけたふうなどなく、温かく迎えてくれた」 
 と語っている。 
『風雲をよぶ三原のメガトン構想』というページもあった。確かに中日からの森徹、まだ正式決定はしていないが、ハワイ・アイランダーズの四番・マクマナスの加入となれば、かなりの重量打線になる。三原脩監督は「この打線なら3点リードされてもワンチャンスでひっくり返せます。やっとプロ野球らしい野球ができそうです」と笑顔。中部謙吉オーナーも「ビリからトップになり、次はまたビリ。ことしトップになったら、ええ気持ちやろうな」と上機嫌だった。 
 佐々木信也の連載対談には南海・杉浦忠が登場。右腕の動脈閉そくの手術は成功したのだが、ややタイミングが遅かったらしく、指先はしびれたままらしい。佐々木が「来年は杉浦君にかかってくる負担が大きいね」と振っても「僕はもう野球はダメです。1つ2つくらいは勝ちたいけど、もうそんなぎょうさん勝ちたくないや」と言って寂しく笑ってた。自分の限界を知り、あとは楽しんで野球をしたいという思いだったのだろうか。 
 年俸でもめ、12月28日に突然退団を表明した大毎・山内和弘は急転残留が決まった。これは山内本人より後援会が盛り上がって騒ぎを大きくして一件だった。 
 なお、先日は、当欄担当者が突然の肉離れで会社に来られず、欠場とさせていただきました。失礼。 
 以下、宣伝。週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』『阪神編』が好評発売中、『ロッテ編』を鋭意制作中です。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.506 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1968(昭和43)年01月22日(月)号 西鉄・田中勉が中西監督退任を迫る
 2019(令和元)年07月16日(火) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎武上四郎の武勇伝
 写真◆表紙は巨人・城之内邦雄
 今回は『1968年1月22日号』。定価は60円。 
 西鉄ライオンズに思わぬ騒動が起こった。 
 12月29日、球団事務所での田中勉の第2回の契約更改に本人ではなく、父が登場。いわゆる代理人である。 
 田中が父に依頼した理由として明かしたのは、 
「自分が出てはケンカになる。球団とケンカをしたくない」 
 だった。 
 これが日本球界の代理人交渉第1号かと思ったら、61年、西鉄・和田博実が義父を立てて交渉したことがあったという。 
 このとき田中父は「いまの首脳陣の下で息子を働かせられない」と爆弾発言した。 
 13勝4敗から9勝6敗と成績が下がったことでの大幅な年俸ダウンに加え、中西太監督の起用法についても文句があったようだ。 
「前半はヒジが痛いのに休ませてもらえなかった。どうにもならず休んだらさぼったと言われた。戻ったら戻ったで、太り過ぎだなんだと」 
 田中は「自分を出すか、首脳陣を代えるか」を要求していたというが……。 
 巨人・長嶋茂雄の10年目のボーナス交渉が決着。野球協約では420万円が最低ラインだが、貢献度に合わせ、かなりの上乗せがあった。長嶋の場合、これが4000万円だった、と言われた。10年目のボーナスとしては史上最高額である。 
 当時、球界では副業が流行っていたが、長嶋に聞くと、 
「僕は商売はしないよ」 
 と笑っていた。貯金派らしい。 
 以前、サンケイの新人王・武上四郎の武勇伝を書いたことがあるが、この号にもやや詳しめの記事があった。 
 地元のチンピラとケンカし、パトカーで登下校したという話だったが、今回の記事を見ると、結構激しい。 
 武上が中学時代、紫団というチンピラ集団とトラブルになり、相手のリーダー格に「1対1でやるか」とケンカを売った。 
 指定された場所に行くと、相手にいきなり空気銃で打たれたという武上は、ナイフで相手を刺したらしい。 
 警察に調書もとられ、正当防衛ということになったが、紫団の報復を警戒し、しばらくパトカーでの登下校となった。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180515-12
 ②https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190715-01
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.047 ┃ ONLINE
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 達川に“見える魔球”と呼ばれた小林誠二のパームボール
 2018(平成30)年2月8日(木) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 習得には紆余曲折
 パームを自在に操った小林
「あれは消える魔球じゃない。見える魔球じゃな」
 広島の名物捕手・達川光男の言葉だ。小林誠二のパームボールをさした言葉である。スライダーのように高速から鋭く変化する“消える系”ではなく、遅いが大きく変化し、タイミングが取りづらい“見える系”というわけだ。 
 ただ、習得はかなり紆余曲折がある。もともとはオーバースロー。76年に広島入団も、肩を痛めたこともあって登板機会に恵まれず81年西武へ。ここでサイドスローに変え、落ちる球が欲しかったので、普通はオーバースローの変化球なのだが、パームを習得。開花の兆しを見せた。 
 広島に復帰した84年がキャリアハイだ。パームも西武時代のように低めに集める意識だけでなく、左右に投げ分けることができるようになり、この年は全投球の3割、終盤には4割近く投げた。 
 同年はリーグ優勝に貢献し、主に抑えながら最優秀防御率。V決定試合にはプロ初の完投勝利で胴上げ投手となった。ただ、パームの多投がヒジに負担をかけ、まず速球の威力が落ちた。それが結果的に“緩”のパームの効果を軽減させ、88年限りで引退となる。 
 小林誠二 
‡1958(昭和33)年1月22日(水)生まれ。広島工高からドラフト4位で
 1976(昭和51)年広島入団。
 1981(昭和56)年西武に移籍して登板機会を増やした。広島に復帰した
 1984(昭和59)年には主に抑えながら最優秀防御率に輝く。
 1988(昭和63)年限りで現役引退。主なタイトルは最優秀防御率1回。通算成績222試合登板、29勝15敗20セーブ、防御率3.70
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 打者が尻もちをついた堀内恒夫のカーブがストライクゾーンまで曲がった
‡2018(平成30)年1月22日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 強いスピンをかけやすかった中指
 1年目からカーブを武器に勝利を重ねた堀内
 史上屈指のタテのカーブ、いわゆるドロップの使い手と言われるのが、巨人・堀内恒夫だ。少年時代、家にあった製麺機にはさまれて指先が欠け、人さし指が短かったことで、球を抜くときに人さし指が早く抜けて、中指で強いスピンをかけやすかったことから変化が大きくなったという。 
 開幕13連勝を飾ったプロ1年目から、そのカーブは猛威を振るった。阪神の山内一弘が顔面へ向かってくるボールと思って尻もちをついたのだが、そこからストライクゾーンに入り、話題になったこともある。 
 堀内の意識としては、カーブの狙いどころは2つ。1つが右打者の頭近くで、右打者なら山内のように腰が引け、たいていは見送りのストライク。左打者ならボールゾーンからストライクに入ってくるから、これも見送る。 
 空振りを取りたいときは、左右とも真ん中高めに投げた。右打者なら外角、左打者なら内角ギリギリに決まり、面白いように空振りが取れたという。 
 もちろん、カーブのような緩い球が決まるのは、ストレートが速かったこともある。新人・堀内のカーブに打者の目が慣れていなかったこともプラスになったという。2年目以降は少しずつ、他の球種も交えていく形となって、通算203勝をマークした。 
 堀内恒夫(ほりうち・つねお) 
 1948(昭和23)年1月16日(金)生まれ。山梨県出身。ドラフト1位で
 1966(昭和41)年巨人入団、初登板からの13連勝を含む16勝、防御率1.39で最優秀防御率、新人王に輝いた。翌
 1967(昭和42)年からエースナンバー18を背負い、巨人V9エースとして君臨し、
 1972(昭和47)年には26勝で最多勝。
 1983(昭和58)年限りで現役引退。
 2004(平成16)年から2年間は監督。
 2008(平成20)年野球殿堂入り。主なタイトルはMVP1回、新人王、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、沢村賞2回。通算成績560試合登板、203勝139敗6セーブ、防御率3.27
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 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180208-10
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180122-11
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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