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┃ 『ヨークマートミュージックプレゼント』 ┃ TBSラジオ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛司会:毒蝮三太夫
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|1998(平成十)年10月 5日(月)|ヨークマートが冠スポンサー就任
‡|2007(平成19)年 3月30日(金)|ヨークマートの冠スポンサー降板
└─――――――――――――┘東食時代から提供していた「旧東食食品グループ」の企業もスポンサーとして残る
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┃ 『ヨークマートミュージックプレゼント』 ┃ TBSラジオ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛司会:毒蝮三太夫
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|1998(平成十)年10月 5日(月)|放送開始
†|2007(平成19)年 3月30日(金)|放送終了
└─――――――――――――┘新たにヨークマートが冠スポンサーとなったが、東食時代から提供していた「旧東食食品グループ」の企業もスポンサーとして残る
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┃ 『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』 ┃ TBSラジオ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛司会:毒蝮三太夫
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|2007(平成19)年 4月 2日(月)|放送開始
†|2012(平成24)年 3月30日(金)|放送終了
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月曜日・木曜日:『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』
火曜日:『マルエツミュージックプレゼント』
水曜日・金曜日:『ナボリンミュージックプレゼント』
ヨークマート始め東食時代からのスポンサーがすべて降板、新たにマルエツとエーザイ(「ナボリン」はエーザイの筋肉痛・関節痛の緩和剤の商品名)が冠スポンサーに加わった。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%92%E8%9D%AE%E4%B8%89%E5%A4%AA%E5%A4%AB%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88
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最終回第52話「明日のエースは君だ!」
このエピソードはすでに言ったように、地上に不時着したサイモン星人の子どもを、人間の子どもたちがイジメているところから動き出す。この子どもたちは、それぞれ好きなウルトラ兄弟のお面をかぶり「ウルトラ兄弟でーす」と言う。
「ウルトラ兄弟は弱いものイジメはしない」
北斗に叱られた子どもたちは反省し、サイモン星人を隠れ家に匿うことにする。しかしサイモン星人を追って再び地球に現れたヤプールの攻撃を受け、北斗は子どもたちとともに隠れ家から逃げ出す。けがをしている北斗とサイモン星人は子どもたちに遅れてしまう。それを待っていたかのように、サイモン星人は自分がヤプールの変身であると北斗にテレパシーを送る。
「早くみんなの前でAになってやったらどうだ」
北斗は戻ってきた子どもたちが見ている前で、サイモン星人を射殺する。北斗は子どもたちに、サイモン星人がヤプールであることを説明するが、それなら証拠を見せろと言われる。北斗はテレパシーでヤプールが告白したと説明するが、子どもたちに、人間のくせにテレパシーが使えるわけがないと言われる。そして「もうやさしさなんか信じないぞ」と言われるに至って、ついに決意する。
「ぼくがやつのテレパシーがわかったのは、それはぼくがウルトラマンAだからだ」
北斗は子どもたちとTAC隊員が見守る中、最後の変身をする。
「彼らに真実を伝えるためには、こうするしか仕方がなかった。さようなら地球よ。さようならTACの仲間たち。さようなら、北斗星司」
もはやウルトラには、怪獣に示す父性だけしか残されていなかった。だからそれだけを受け取った子どもたちが、サイモン星人の子どもを集団でイジメることは、ごく自然な成り行きなんだ。北斗は、サイモン星人をヤプールに渡してしまえと言う山中隊員に「彼らはウルトラ兄弟のように勇敢でやさしい気持ちを持とうとしています」と言うが、それが真実ではないことは当の子どもたちが知っている。ウルトラ兄弟はまずウルトラ兄弟のことが第一で、余裕があれば地球人も助けてくれるM78星雲人だったんだから。
そして「父性」という目に見えないものを、北斗は(特別な人の目にだけ)現実に見えるウルトラの星に託してしまった。だから彼は「証拠を見せろ」と迫られた時、誰の目にも現実に見えるようにAに変身するしかなかったんだ。
ウルトラマンAの最後の言葉はこういうものだ。
「やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。
それがわたしの最後の願いだ」
本来このようなメッセージは、シリーズ全体を通じて語られるべきものだ。
だからこの言葉は、Aが伝えたかった「やさしさ」が、子どもたちに全く伝わっていないことの証明になる。
Aは完全に敗北した。
個人の自由と権利をもっとも尊ぶ社会には、ウルトラがそのヒーロー性を発揮できる余地はもう、すっかりなくなってしまっていたんだ。
http://oyako.gotohp.com/oyako005.html
「やさしさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないで呉。たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。それがわたしの最後の願いだ」http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html
http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html
http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-64.html
レインボーマン・第14~26話
M作戦編
(第14話「恐怖のM作戦」~26話「秘密基地大爆発!!」まで)
1973/1/5~3/30放映 脚本:伊東恒久、他 監督:長野卓、山田健、砂原博泰
死ね死ね団の日本壊滅作戦第二弾で、恐らくレインボーマンの中でももっとも有名なのが、この「M作戦編」でしょう。
人間を狂人化させ死に至らせる薬「キャッツアイ」による野望はレインボーマンによって打ち砕かれ、死ね死ね団も多大な被害を被った。そこで死ね死ね団は、日本壊滅のための新たなる計画「M作戦」の実施と共に、レインボーマン抹殺のため、アマゾンから魔女イグアナと、その配下の殺人プロフェッショナル軍団を呼び寄せた。「M作戦」とは何か?
腕の良い製版工・松前源吉を誘拐した死ね死ね団は、孫を人質に取り、源吉に対して偽札の原版作りを要求。悪の片棒は担げないと拒否する源吉だったが、人質にされた孫を救うため泣く泣く要求に答える。行方不明のの安否を気遣う家族だったが・・・・・
その少し後から事件は起きた。おたふくの面を被った巫女が「お多福様」の信仰と共に困った人々の悩みを救う謎の宗教「お多福会」なるものが現れたのだ。救いを求める人々に多額の現金を「報謝」として渡す・・・・・・その狙いは何なのか?死ね死ね団の陰謀を感じ、調査を始めたタケシの前に魔女イグアナの殺人プロフェッショナルが立ちはだかる・・・・・・・!!
ストーリーは、偽札の横行による大インフレと、それを阻止しようとするレインボーマン対殺人プロフェッショナルの戦いが並行して描かれます。異常な物価の上昇によるインフレと飢え行く人々と人身の乱れの描写は強烈で、菓子パン(というかカレーパン)の値段が2個で1000円だったりとか、子供のために盗みを働こうとする工務店の社長だとか、かなり強烈な描写です。
反面、イグアナの送り出す殺人プロフェッショナル軍団はどこか間が抜けており「本当にこいつらプロなのか?」とは思いつつ憎めない奴が多く、これも楽しみでした。“毒液男”ガルマや、大月ウルフ演じるマザコン電気人間・エルバンダなんかは特に有名ですね。というか魔女イグアナ自体、演じているのが塩沢ときということもあり、どこかコミカルなのですが。
政府の対策により偽札の判別法がわかりますが、時すでに遅し・・・・・前代未聞の食糧危機に右往左往している国会にレインボーマンが乗り込み、食糧の無償配給を求める!というシーンも中々スゴいものがあります。
途中から死ね死ね団の秘密をめぐって行方不明の父の足跡を追う展開も加わり、終盤は、10年間行方不明になっていたタケシの父・ヤマト一郎が、秘密の戦いの末、死ね死ね団に捕らわれていることがわかります。父救出のためにアジトに乗り込んだタケシは、そこで父と再会しますが・・・・・・
この終盤の展開もなかなか濃い話で、傷付いた父を何とか救おうとするタケシに対し「私の命より、日本に住む1億の人達のことを考えろ」と叱責する一郎、それに対し「息子として、父さんを見殺しにするなんて出来ない!」と絶叫するタケシの描写が“使命の重さと肉親への情”の間で葛藤する人間の弱さと苦悩を表現していました。ミスターKと対決し致命傷を負った一郎は、タケシに最後の言葉を残して息絶えます・・・・・・
「タケシ・・・・これからも正義の道を歩いてくれ・・・・・人間に欲望がある限り、悪は消えない・・・・・お前の戦いは永遠に続くのだ・・・・・・・・」
この最後の言葉が、以後のレインボーマン=ヤマトタケシの後の運命を暗示していたようで、それを考えるとなかなか深いものがあります。
http://www.geocities.jp/u_himitu/koredakehamiyou2.htm#msakusen
『ウルトラマンA』とキリスト教
※本題とは関係ない話だが、先に書いておきたいので。
『ウルトラマンA』は、メインライターの市川森一がクリスチャンであることから、しばしばキリスト教的な世界観との関係が取り沙汰されるようだ。
ぼくが目にした範囲では、「ゴルゴタの丘」が出てくるとか、天使と悪魔の戦いだとか、北斗と夕子の合体変身にはアダムとイブが重ねられているとか、そんな話が根拠になっているらしい。
が、それはとんだ勘違いだ、と断言していいと思う。
なぜなら、市川森一がクリスチャンだからだ(笑。
クリスチャンにとっては「聖書」は絶対のものだ。「神」と呼んでいいのはGodとイエスだけで、他にはないはずだ。ならば、ウルトラマンのように中に人が入っている着ぐるみを「神」扱いすることは、Godの冒涜でしかない。
また、彼らにとってはアダムとイブは歴史上に「実在した」人類の始祖であって、日本神話のイザナギ・イザナミとは訳が違う。ましてや日本人のパン屋と看護師をアダムとイブに例えるなど、絶句以外の何ものでもないだろう。
「ゴルゴタの丘」だって、着ぐるみが張り付けられていいような場所ではない。
あるいは最終回の「エースの言葉」に見られるという「博愛主義」。
これもキリスト教的にはおかしな話だろう。クリスチャンが隣人愛を示すのはクリスチャンにであって、異教徒にではない。だからクリスチャンは過去の歴史で何度となく異教徒を皆殺しにできた。クリスチャンにとっては、異教徒は「隣人」ではないからだ。
だからキリスト教的な観点からすれば、異教徒である日本人の子どもに隣人愛や博愛精神を説くような必要はどこにもない。
それに、そもそもクリスチャンから見れば、M78星雲のウルトラマンだって、彼らが信じるGodが創ったものだ。そんなもんが「銀河連邦」を語り「大いなる力」を人間に与えるなど、抱腹絶倒のジョークだろう。バベルの塔や、ソドムとゴモラを思い出していただきたいところだ。
だから欧米圏には「神」のイメージに繋がりかねない巨大ヒーローはいない。
それはスーパーマンとウルトラマンの違いを見れば明白なことだ。スーパーマンは、基本的には「人間」だ。空を飛べるくらいなら、ピーターパンと同じ妄想の世界の住人ということで話は片付く。
まとめてしまえば、『ウルトラマンA』にキリスト教を見るなんて暴挙は、宗教音痴な日本人ならではの発想だということだ。本当の宗教はもっと厳格で、真剣で、恐ろしい存在だ。
※キリスト教について詳しく知りたい方は、上掲の本をどうぞ(ただし、ウルトラマンの話題はありません)。
関連記事:ウルトラマンと宗教
http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html
ウルトラマンA最終回 最後の言葉は名言か?
エースの願い
『ウルトラマンA』最終回、第52話「明日のエースは君だ!」は、次のような言葉で締めくくられる。
やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、
互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。
それがわたしの最後の願いだ
現在発売中の『ウルトラマンA』DVD13巻のパッケージに「今なお色褪せない感動のメッセージが再び」とあるように、このウルトラマンA最後のセリフは、一般的には「名言」だと言われている。
もちろんぼくも、このセリフだけをとれば「名言」だと思う。
しかし、『ウルトラマンA』はこの最終回だけが単独であるのではなく、52回も続いたシリーズ作品だ。
それで『ウルトラマンA』を第1話から順番に見ていくと、実はこの「最後のセリフ」が「名言」でも何でもなく、ウルトラマンAの「敗北宣言」に他ならないことが分かる。
敗北宣言・・・。
それではウルトラマンAは何に敗北したのか?
そもそも『ウルトラマンA』が他のウルトラマンたちと決定的に違うのは、それが元々は「男女の合体による変身」というスタイルをとったことだ。普通に考えればこのスタイルの根源には、男性である北斗星司の「勇気」と、女性である南夕子の「やさしさ」の融合、という発想があると見ることができるだろう。
あるいはそれらを、「父性」と「母性」の融合、と考えることも可能だろう。
このうち、「父性」については前作『帰ってきたウルトラマン』が絶好のお手本となる。
11歳の少年、坂田次郎くんはMAT隊員・郷秀樹の生き様を間近に目撃し続け、郷に憧れ、郷のようになりたいと願った。郷はそんな次郎くんに「ウルトラ5つの誓い」という生活規範を与えた。
この郷秀樹の一連の行動の全てを一言で言えば「父性」ということになる。
一応、Wikipediaから「父性」を引用すれば、こうなる。
「子供を社会化していくように作動する能力と機能」
「子供に我慢・規範を教え、責任主体とし、理想を示すもの」
「善と悪を区別して指導する傾向」
『仮面ライダーV3』や『快傑ズバット』で主役を演じた宮内洋は常々「特撮ヒーロー番組とは子供達に正義の心を教える教育番組に外ならない」というポリシーを表明していたそうだが、ヒーロー番組の「父性」を分かり易く言えばそういうことになるだろう。
一方「母性」のほうを、同じくWikipediaから引用すれば、こうなる。
「子供の欲求を受け止め満たして子供を包み込んでいくことを指す」
「善悪の分け隔てなくすべてを包み込む傾向のこと」
もしもヒーロー番組が宮内の言うように「教育番組」であるのなら、「父性」だけでは「教育」の半面しか伝えられないことも確かなことだ。子どもにとって「父性」と「母性」はいずれも必要不可欠なものであり、また、それらは往々にして相互補完的な関係にある。
前作『帰ってきたウルトラマン』で完全とも言える「父性型ヒーロー像」を提示してしまったウルトラシリーズが、並み居るライバル番組に打ち勝って視聴率をとるには、前作の焼き直しというわけにはいかなかったのだろう。さらにはヒーロー番組の王者として新境地を切り開くには、より完全なる「教育番組」の高みを目指すことも求められたことだろう。
かくして『ウルトラマンA』は、「父性(勇気)」と「母性(やさしさ)」が融合した、最強のヒーロー像を模索することになった。
と、ぼくは想像する。
しかし、そんなウルトラマンAが最終回で目にしたものは、全くもって彼の当初の意に反した、子どもたちの行為だった。
この回、ウルトラマンA=北斗星司は、地上に不時着したサイモン星人の子どもを、人間の子どもたちが寄ってたかってイジメている光景を目撃する。この子どもたちは、それぞれ大好きなウルトラ兄弟のお面をかぶり「ウルトラ兄弟でーす」と言う。北斗は
「ウルトラ兄弟は弱いものイジメはしない」
と叱り、子どもたちは反省する。が、実はこのサイモン星人は、かつてウルトラマンAに滅ぼされたヤプール人の変装だった。テレパシーを使ってそのことを知った北斗は、サイモン星人に化けたヤプール人を射殺するが、その様子を子どもたちに見られ、責められてしまう。そして
「もうやさしさなんか信じないぞ」
と言われるにいたり、ついに
「ぼくがやつのテレパシーがわかったのは、それはぼくがウルトラマンAだからだ」
と言って、子どもたちの目の前でウルトラマンAに変身する。
超獣を無事に倒したウルトラマンAだったが、ウルトラの掟によって、地球を後にすることになる。
このとき、ウルトラマンAが子どもたちに残した言葉が、上述の「やさしさを忘れないでくれ」だった・・・。
つまり『ウルトラマンA』は、その全52話をかけても、ついにこどもたちに「やさしさ」を伝えることが丸っきりできなかった。だから遺言のように、今更ながら具体的に言葉に発して訴えるしか手がなかった。
(中年特有の嫌味な見方をするならば)「名言」と言われる「エースの言葉」の正体は、実のところ負け犬の捨て台詞のようなものだったのだ。
という具合で、ぼくはウルトラマンAの「最後の言葉」は、彼の事実上の「敗北宣言」だったと考えている。
しかしそれは決してウルトラマンAが無能なウルトラマンだったからではない、とも考えている。『ウルトラマンA』はあの時代、すなわち1972年当時の日本社会の風潮にマッチした「教育番組」であろうとした。現実世界に生きている子どもたちにとって、良かれと思うことを貪欲に作中に取り込んでいった。
ところがその結果、『ウルトラマンA』は一種の自家中毒を起こしてしまった。
ぼくはそう考えている。
それでは『ウルトラマンA』は何を作品に取り込み、何に中毒し、何に敗れ去っていったのだろうか?
ウルトラマンAが子どもたちに伝えたかった「やさしさ」は、なぜ失われていたのだろう?
ぼくはその原因を、「戦後民主主義」と言われる当時の社会思潮にあったと思っている。
http://takenami1967.blog64.fc2.com/blog-entry-55.html