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‡2009(平成21)年09月25日(金) No.04 小林武史×矢沢永吉
ap bank fes’09に出演、圧倒的な存在感を示した矢沢永吉さんに、小林武史がインタビュー。5年目を迎えた、ap bank fes’09のシークレットゲストとして、圧倒的な存在感を示した、矢沢永吉さん。新しいアルバム『ROCK'N'ROLL』をリリースし、驚くほどのパワーで走り続けている矢沢さんに、「ap bank fesでの矢沢さんは完璧だった」と語る小林武史が、待望のインタビューをしました。
第1回 「ap bank fes'09は面白かったな~」
小林 あらためて、ap bank fesではありがとうございました。今年は僕たちにとって、特別な年になったと思っているんですが、なかでも矢沢さんのステージは最高で、歴史的なもの だったと思います。新しいアルバム『ROCK'N'ROLL』をお出しになって、お忙しいんじゃないですか?
矢沢 忙しくはあるんだけど、でもね、楽しんでますよ。4年ぶりのアルバムになるんだけど、 結構いい感触だったので、面白いな、と思って。あるインタビューで、「ひょっとしたらこのアルバムを引っ提げて、2回目のデビューというのもいいかもな」 と冗談で言ったんですが、言ったあとで、その気持ちがマジでいいなと思いましたね。そんなふうだから、忙しくはあるんですが、妙に心地良いんですよ。
小林 ap bank fesのときは、ステージの上で「昨日は眠れなかった」とおっしゃってましたけれど、矢沢さんでも緊張なさるんですか?
矢沢 緊張するだけではなく、僕はあんまり眠れない人なんですよ。それがまた、いいのかなと思って。「あ、これで十分」みたいな。
小林 僕もそうですけれど、年齢を重ねると、眠れなくても若い頃よりは少しもってきますよね。
矢沢 ね。なんだかんだ言いながら、今がいいんですよ。緊張感も良いし、眠れないのも良いし。それで、やって終わったときに、シャワーが気持ちいいし。その繰り返しだと思いますよ。ap bank fesは面白かったな~。
小林武史 × 矢沢永吉
小林武史 × 矢沢永吉
小林 新しいアルバムにまつわる、矢沢さんの一連の活動の中でも、ap bank fesは最初だったと思うんだけれど、ちょっと良くなかったですか(笑)? ap bank fesは5年目だったんですけれど、もちろん僕らの中でもズドーンと射抜かれるような感じがあって。矢沢さんの登場は「凄いものがやってきた」という感じ でした。どのステージも毎回ベストの出来なのでしょうが、矢沢さんにとってap bank fesはどうでしたか?
矢沢 ap bank fesでは小林さんと櫻井さんのバンド、Bank Bandが入れ替えなしで出演するアーティストの70何曲を演奏しますよね。あの主旨が、僕は凄くいいなと思いました。そういうところが、面白いと思った し、よく覚えられるよね。そこが他のフェスと違うでしょ?
小林 そうですね。
矢沢 僕も楽しくてね、「最高じゃん!」みたいな感じだった。
小林 気合いが違いますからね。いわゆるバックバンドにありがちな感じにならないし、特に矢沢さんのときは、とにかくみんなベストを尽くしたという感じでした。
矢沢 ねえ。熱意が凄いと思ったし、なんだか知らないけれど、楽しかったな。ステージに出て、途中でパッと見 たら、櫻井さんをはじめ、メンバーの表情がいいのね。「OK!」みたいな顔しているから、僕がポンッと入っているんだけど、一瞬で「俺たち、昔からやって るよね」みたいな感じはあったね。
小林 嬉しいなあ。
矢沢 そのくらい、温かいものがありましたよ。伝わるものなのかね。やってて楽しかったよね。
小林 最高でした。僕たちもいろいろなアーティストの方を見ているけれど、本当に矢沢さんはステージの中でどう歌い、どう動くのかという、イメージコントロールが完璧で。いつも相当にトレーニングをされているんですか?
矢沢 ステージではいつも、右とか左とかアプローチしますから、考えていないことはないんだけれど、すべてを決めているわけではないですね。「この曲はなるべく動くのを止めよう」とか「この曲はアプローチしよう」というのは考えるけど、感覚が自然にいっちゃいますよね。
小林 「この曲で左に行って、右に行って、ここでこうやって、最後のほうでマイクをこうする」とか、一挙一動にすべてシナリオがあるのかと思うくらい完璧だっ たんですよ。でも、おそらく実際には覚えきれるものでもないし。たぶん、「水が流れるが如く」なんだろうな、とは思ったんですが。やはりそうでしたか。
矢沢 それは、絶対にそうですよ。自分の感覚が一番。それと、やっぱりね、気持ちって大きいですね。パッと出 て行ったときに、まずはオーディエンスが「ワァァー」「よく来てくれた!」とウェルカムしてくれた。そして今も言ったけれど、一瞬見たときに(Bank Bandが)「OK!」みたいな雰囲気でね。それが嬉しかったな。僕らは、音合わせを一回しただけなのに、すごく繋がっていたのを感じたね。そういうもの を僕らが感じてやれば、当然オーディエンスに伝わるからね。
第2回 「つまりは矢沢が消えなければいいんだよね」
小林武史 × 矢沢永吉
小林武史が、インタビューする「矢沢永吉」の第2回目。最近、いろいろな場面で矢沢さんを見る機会が増えたことを、小林が「今の矢沢さんは、時代が完全にウェルカムになっている」と表現したことから始まりました。
小林 せっかくの機会なので、ぜひ聞いてみたい話がいろいろあるんです。今の矢沢さんは、時代が完全にウェルカムになっているから。コマーシャルからなにから、矢沢さんが出たら売り上げも伸びているでしょ? 本当に、すべてが矢沢さんの方向に行くよう に、なっていると思うんですよ。今の状況について僕は、矢沢さんが戦って勝ち得たというか、「矢沢永吉の勝利宣言」と言ってもいいくらいだと思うんです。
矢沢さんの世代には、共産主義やマルキシズムという言葉が流布した時に、学生運動にハマった人もいっぱいいたでしょうし。その後、すごく難しく、ある種の 気取りをもって世界を捉えていた時代があって、今に至ると思うんですが、実は人間の求めているものって、もっとシンプルなものなんじゃないか。そのシンプ ルなことが複雑になって、鬱が流行ったりしているのが現代じゃないかと思うんです。
矢沢さんの新しいアルバムを聴かせていただいて、あらためて矢沢さんの包容力や成熟を感じました。たとえば「男と女」なんて、考えはじめてしまうと難しい。永遠のテーマですよね。家族だってそう。
けれども、矢沢さんはその難しさをどんどん暴いて分析していくようなことはしないけれど、矢沢さんが「Baby, ~だぜ!」と言ってくれることで、包容力がガンッと出て来ていると思ったんです。
そのことは昔からわかっていたんだけれど、時代が矢沢さんの成熟と完全に一致してきていますよね。誰もが「そうなんですよ、ボス!」っていう感じじゃないですか。僕らは、それをステージでも感じました。
ap bankの活動は環境問題から入っているんですが、ここのところ僕は、未来や人間、経済の問題を経たうえで、僕らにとって何が必要なのか、ということを自問自答しているんです。
そういう問いかけのひとつの答えを、矢沢さんが提出してくれているなと思って。たとえば音楽を聴いて興奮することって大事じゃないですか。今度のアルバムの一曲目にもあるように、「黙ってぼーっとして、何も手に入れられないと思って死んでもいいのかよ?」と思うし。
矢沢 自分では、よくわからないんだけれどね。
僕は、昔はわかりやすかったんですよ。世界経済や何とか主義がどうの、というよりも、ただ売れたかったし、有名になりたかった。有名とか売れるというのは、「自分の音楽を受け入れてもらいたい」「広めたい」ということなわけで、非常にわかりやすいですからね。
だから、昔はガツガツしてましたよ。そのガツガツ感を「いいね!」と、応援する人もいた。けれど、僕の初期のガツガツ感が嫌だった人もいっぱいいた と思う。日本人にはそういうのが得意じゃない人もいっぱいいるんですよね。非常に抵抗感をもった人もいたと思う。それが矢沢だったんですよ。
アメリカは逆でね。堀江(謙一)さんが太平洋単独横断を成し遂げて、サンフランシスコに来たときには「お前ほんとに、こんなちっちゃなヨットで来た のか? 信じられねえ」って言って、「密入国だ」とか「パスポートがない」という問題ではなくて「本当に来たの?」と驚くのがアメリカ人だよね。市長から 何からみんな来て、「お前、やるね!」みたいな。日本だったら、まず逮捕だからね(笑)、そういう国民性ってあるわけ。
小林 矢沢さんは、日本ならではの反応に対して窮屈に感じていたんですか?
矢沢 窮屈と思ったのかもしれないですね。「俺は素直に自分の気持ちを言い過ぎているのかな? しゃべりすぎているのかな? でも、だって欲しいんだもん。欲 しいから欲しいと言っているだけなんだけれど、この国だと国民的に、価値観として俺みたいなのをむさ苦しいと思う人もいっぱいいるのかな? 自分はまずい のかな?」と思った時期もありました。
でも、「俺の性格は変えられないしな、悪いことしているわけじゃないし。いいや、いっちゃえ!」ということで、やっていたんです。そうしたら、ある時に壁にぶつかった。その壁は「やたらと『成りあがり』の本を強調された矢沢永吉」なんですよ。
報道もマスコミもそうで、そうすると段々と広がるから、「音楽家・矢沢永吉」より、「夜汽車に乗って広島を抜け出して、唾を飛ばしながら『上に行きたい、上に行きたい』と言いたいことをしゃべり続けているむさ苦しい男」というのが第一にくるわけでしょ。
小林 そこだけ強調してしまうと、限定された人たちだけにアピールしてしまう印象が......。
矢沢 そこの範囲が決まってしまうのは、ちょっとね。でも、そういう時期があったんです。自分がそんなつもりもなく、蒔いた種かもしれないけれど。「あれ?」って、壁にぶつかった。
その壁は「ちょっと待ってよ、なんでいつも『成りあがり』の本を強調される矢沢永吉?」「夜汽車に乗って来た矢沢永吉?」「言いたいことを唾を飛ば しながら、上に行きたいとしかいわない矢沢永吉?」「違う! 俺は確かに言ってたけれど、それよりももっと俺のメロディーを、音楽を聴いて欲しいんだよ! 俺は、こんなにいいコード進行の曲を書いているんだよ!」と言いたいんだけれど、もう、そんなの二の次。なんでこうなっちゃったのかな、と思ったときは ありました。
小林武史 × 矢沢永吉
どちらかといったら、はぐれ者みたいな奴が、行くところがないのかどうかしれないけど、みんな矢沢のところに来たんですよ。困るわけ。
「なんで桑田佳祐には良いファンがいるのに、俺のところにははぐれ者ばっかりくるんだよ」と思った時期もあったけれど、ある人に「永ちゃん、でもさ。そう いう人たちはそういう人たちで、すごく音楽を求めているだろうし、そこで自分の生き方を感じたりもしているだろうし。だから絶対に、今の矢沢が歩んでくる ためには、それが必要だったんだから」というようなことを言われて。「そうかもな」と思うことができた。
つまりは矢沢が消えなければいいんだよね。そうすれば、そのうち矢沢のファンじゃない人が「矢沢って、例のアレでしょ? 言いたいことバリバリ言って、むさ苦しい奴だよね。でも、彼って消えないよね」と思うようになる。
また僕自身もだんだん年をとってきて、すべてについてオープンになりたいという気持ちが大きくなってきた。時代もだんだん「彼、まだ消えずに歌って るんだ」という方向に振り向き始めたし。あんまり好きじゃない人も振り向く。そのときに「なぜ、矢沢は消えないんだ?」と思ったはずだよね。
状況と自分の変化、それがちょうど交わりはじめたのが、ここ5、6年くらいなんです。時を同じくして、4年前にROCK IN JAPAN FESに出させて頂いたじゃないですか。そこで初めて矢沢を観た、という人がいっぱいいたんですよね。アーティストの色にも赤とか白とか、いろんな色があ るように、ひょっとしたら矢沢の色も選ばれたのかもしれないですね。この色で、お前色、みたいな。
でも今は、下手したら「もっとおれの音楽を聴いてくれ」ということすら、考えてないのかもしれない。もっと自然にやりたい。だから、今回のアルバム はすごく自然にできちゃった。それで、「ap bank fesに遊びに来ませんか?」と言われて「行く行く!」みたいな。すごく自然ですよ。ちょうどいい時期ですね、今は。
第3回 「時代が矢沢を欲しがっているのかもしれない」
小林武史 × 矢沢永吉
新しいアルバムの『ROCK'N'ROLL』から、矢沢さんの音楽の原点の話になりました。30年前と変わっていないけれど、表現の仕方が変わっただけ。時代が矢沢さんに追いついて来た、そんな展開になりました。
小林 新しいアルバムを聴かせてもらって思ったのは、ビートルズやプレスリーの時代のような、ラブ ソングや男が包容力を持つために必要な、「自分はこうなんだ」というポジティブなスタンスを矢沢さんが持っているということです。声も含めてのすべてがそ うなんですが、矢沢さんのポジションをずっと保たせている、音楽の原点はあるんですか?
矢沢 ラジオで「矢沢さんの好きな音楽を流したいんだけれど、リクエストはありますか?」と 聞かれると「ものすごく古い曲なんだけれど、『砂に消えた涙』とか『悲しき片思い』とか、そういうのかけてくれませんか」と言うんです。それを聴くと、 ポップなラブソングで。僕、コニー・フランシスも大好きだし、そういう曲がいつの間にか、入っているんでしょうね。
小林 ビートルズが中期以前に解散したとしたら、キャロルみたいな流れでしたよね。こういう定義は、当然、されていると思うんですけれど。
矢沢 小林さん、もう、完璧。 僕は、ビートルズもああいうラブソングもポップも大好き。それは、ずっと自分のなかに残っているんですよ。そこに、矢沢の精神が加わったんじゃないですかね。
その精神は何かというと、さっき言った「欲しい! 欲しい!」という精神。言わなきゃいいんだけどね、「良いですね、ロックは」と言っていればいいんだけれど。「俺は上に行く!」と言っちゃうもんだから、「なに、こいつそればっかり言ってるんだ」と昔は思われたんですよ。
でも僕、思うんだけど、今、自己分析をするとしたら、二十幾つのときの、出た頃の矢沢は可愛いね。可愛いし、チャーミングだね。今の時代、逆に矢沢みたいな、「上に行く」「欲しい」「やったるわ」っていう人が、もっと増えてほしい。
それにこの年になると、あれは「上! 上!」と言っていたんじゃないと思う。とにかく、騒いでいたんだよね(笑)。「やるぞー! 頑張りたい!」と言っていたんだと思います。
小林武史 × 矢沢永吉
このあいだ、NHKに出たときも、しゃべっている矢沢を見て「初めて矢沢を見たよ」という人にはどう見えたのかな、と思ったら、ものすごく好意的に受け止めているのね。
小林 そうでしょうね。
矢沢 面白かったんだけど、来るメールでも「前からもちろん知ってはいたけれど、初めて矢沢さんを見ました。テレビでゆっくりまじまじと見たら、思っていたイメージと違うんですね」と書いてあって、「変なこと言うな」と思ったの。
俺は、ほとんど三十年前と変わっていないんですよ。ただ、表現の仕方は変わった。「俺さ、欲しいんだよ」と言っていたのが「何かを"欲しい"ということは、言ったほうがいいと思うよ」となっているだけで、言っていることは変わらない。
「こんなにイメージが変わりました」というよりも、時代が矢沢みたいな人を欲しがっているのかもしれないです。だから僕にしてみれば、しゃべりかたのタッ チ感がちょっと変わったかもしれないけど、中身は何も変わっていないんだけどね。「なるほどね、人の受け取りかたは変わるもんだね」と。だから僕の自己分 析は、意外と間違っていないのかもしれない。
小林 間違っていないですよ。矢沢さんは、昔からすさまじい自己分析をしていたと思うし、このあいだのステー ジを見ていると、すさまじい努力もする。ものすごく真面目で細かくて、全部を見ながら、それで思いきりやる、という。きわめて当たり前のことを、すさまじ いパワーでやるんですね。
広告でもなんでも、矢沢さんの持っているもの――精神性も含めてすべてが、今の日本でどんぴしゃですもんね。たとえば矢沢さんがCMに出ている商品につい て、「矢沢さんのような思いで作っています」と言ったら、それはもうそのまんま、企業のメッセージになるんだと思います。そこには嘘がない。だから、みん なが矢沢さんを熱望するんじゃないでしょうか。
第4回「『当たり前のことを言う矢沢』を求める時代」
雑誌の記事で「矢沢永吉は特別なことは何も言っていない」と表現されていたという、矢沢さんの話からスタート。「当たり前のことを言う矢沢が求められる時代。時代がおかしいんですよ」という、鋭い話題に発展しました。
矢沢 このあいだ、ある雑誌が面白いことを書いていましたよ。「矢沢永吉、僕は以前はあまり好きではなかった。だけど最近は、好きとか嫌いを超えて、面白いな、とすごく興味を持って見ています」と、書いてあったのね。
そのライターは、「矢沢永吉は、特別なことは何も言っていない。すごく当たり前のことを言っているだけなんだけれど、それが今の時代に心地いい」と続けていて。
確かに、僕は特別なことは何も言っていないんですよ。普通の当たり前のことを言っているだけなのね。だから、その記事を読んだときに、「言われてみたら、そうだな。僕、言いたいこと言っているし、当たり前のことを言っているだけなんだよね」と思って。
僕は、自分でも同じことを言っていたんですよ。そのときは、反応がなかったけれど。でも、そうした「当たり前のことを言う矢沢」を、みんながすごく面白いと言っているとしたら、今の時代のほうが良くないのかもしれない。時代がおかしいんですよ。
小林武史 × 矢沢永吉
小林武史 × 矢沢永吉
小林 そうなんです。今の日本では、「ちゃんと努力をしても報われない」という思いもあるから、「振り」をしなくちゃいけないことがたくさんある。矢沢さんは、当たり前のことを正直に、真っ当に言うから、注目される。
もちろん、それを支えている天性の資質があってのことなんだけれど、逆に、矢沢さんのような天性の才能を授かっていない人もたくさんいますよね。あるいは自分の居場所を見つけていない、若い人とか。
そういう人たちに、何を伝えるのかはなかなか難しいけれど、僕は最近、こんなふうに言うんです。かつて長嶋茂雄さんが言っていたように、「来た球を打て」と。当たり前のことだけれど、これは、真理だと思って。
矢沢 良い話ですね。
小林 「来た球を打つ」というのは、その球の芯を打つことだから。フォームなんかはどうでも良いんだ、と。いろんな球が来るし、そのときの状況も全部違う。でも、来た球を打てばいいんだ、というのはそこに集中して芯を打つという点で、変わらないから。
矢沢 そうかもしれないね。ところが今の話じゃないけど、やたらとフォームがどうした、とか精神力がどうした、だのやりすぎちゃったんだよね。
小林 2番バッターの打ち方は、こうでなくちゃいけない、とか。変な癖がついちゃって、「なんで流すことばっかりやってるんだよ」みたいなことになったり。
矢沢 「来た球を打つ」とか、当たり前のことを当たり前に言えたほうがいいかもね――というところをみんなが求めているのかもしれないね。
小林 求めているんですよ。以前は「賢いやりかたで時代を読むのがいい」とか、フェイクがいっぱいあって、みんな逆に迷っちゃった。そういう連中が「今のトレンドはなんだ」と言っていたときは、矢沢さんは「日本では生きにくいな」と感じたと思うし。
矢沢 そうだね。これだけ情報が有り余るほどあるからこそ、もう一度フラットになってもいいのかもしれない。本能の赴くままに、気持ちを大事にしようよ、とかね。
第5回 「僕が花が好きだって知らないでしょ!」
小林武史 × 矢沢永吉
5回目は、最近の話題のキーワード「草食男子」。小林が、「矢沢さんは、草食系な部分がある気がします」という質問に、「すごくあります」と矢沢さんが即答。いったい、どんなところが草食なのでしょうか?
小林 最近、「草食男子」などと言われますが、矢沢さんにも、とても繊細な、草食系な部分があるような気がするんだけれど。
矢沢 すごくあります(笑)。
小林 矢沢さんが草食系の話、告白ですね(笑)。
矢沢 僕が、花が好きだって知らないでしょ。これを言うと、みんなはびっくりするけれど、本当に好きなの。花の種類や名前をわかっているか? と言われると、なんにも知らない。ただ、花が飾ってある部屋が好きなんです。
うちの奥さんは、僕の部屋の花係。今の時期、花がすぐにダメになるじゃないですか。奥さんは2、3日に1回は花を取り替えてますよ。花はいつも飾ってくれている。
でも、僕のイメージにあんまり合わないんですって。「ええ?」ってみんな言うけれど、「僕が花好きだとよくないんですか?」と聞くと「そんなことはないですよ、意外だったから」と答えるけれど。
だから「草食系な部分がある」というのも、意外と間違ってないんです。花がある雰囲気が好き、仕事はバリバリしたい。酒は溜めて飲むとうまい。これしかないような気がするな。
小林 僕もあの日、矢沢さんが出たあとに飲んだビールは美味しかったですよ。
矢沢 俺も、飲みたかったな(笑)。
小林 また、バシッと風のように去っていく矢沢さんの気持ちがわかるんですよ。今日はこうやって、話してくだ さってますが、ap bank fesで演奏してね、最高の一瞬でしょ。たぶん矢沢さんにとってはステージですべてが完結しているから、終わってから、グダグダ言うのは違うんじゃないか、と。帰られるときも、カメラやスタッフにすごい気を遣ってらした、という話をあとで聞いて、そこまでも一貫して矢沢さんのパフォーマンスで、あとはオフなんだろうな、と思ったんです。それが良いんですよね。
矢沢 毎年、武道館で5DAYSのライブをやるんですけれど、最終日に打ち上げをするんですね。アメリカやイギリスに帰るミュージシャンもいるし、「みんなお疲れさん! 良かったね!」ってやる。それが嫌でね(笑)。僕は早くその場から出たいの。何なのかな? すべてが終わったとき、一人になりたいんですよ。「あー、終わったな」って味わいたいんだけど、ワイワイガヤガヤとハグして、「気をつけて、明日飛行機に乗って帰れよ」って言いながら、いつ出ようかと思って、ソワソワしてるね。出てひとりになると、ホッとするんですよね。「コンサートが終わったな!」って感じ。
小林 わかる気がする。フロントマンはみんなに助けられながらやるけれども、プロデューサーは孤独だから。矢沢さんはプロデューサーとフロントマンが、奇跡的に一つになっているという成長のされかたをしている人だから。
矢沢 おー、嬉しいね。
小林 矢沢さんは稀有な人ですよね。完璧だから。たとえばap bank fesのリハーサル、短かったですよね。矢沢さんは僕とリハーサルを3、4日かけてやったところで仕方がない、そこで疑ったって意味がないこともわかって いるから、見切りがものすごくできているんだと思いました。
「この連中は心を持ってるから、ちゃんとベストを尽くしてくれればいいんだ」って、簡単に見切って、そうすると、あとは矢沢さんのフィールドの話になるから。矢沢さんがイメージしたとおりにベストを尽くしたら、振り返って「いやー良かった、頑張ったな」と言って一人になるっていう感じですよね。
僕もプロデューサーなので、あんまり人と分かち合えないんですよ。
小林武史 × 矢沢永吉
矢沢 自分で消化したい、というところはありますよね。だから、さっさと一人になりたい。
そういえば、僕、ap bankのことは、出たあともしばらく話してたかな。
言ってくださっているというのを風の噂で聞いて、本当に嬉しかったです。
矢沢 人からも聞かれるし、自分も言いたいし。僕は、ROCK IN JAPANやRISING SUN ROCK FESTIVALも出たけれど、ap bank fesにはひとつ違う味がありますね。カラーがありますよ。
小林 ap bank fesにとって、今年は歴史的な年だったと思うけれど、その中でも矢沢さんのパフォーマンスは、とんでもなかったんだと思います。僕が言うのもなんですが、矢沢永吉の良い部分が出ていたんじゃないか、という気がしました。
矢沢 僕はラッキーでしたよ。本当に、いいところを引っ張り出してもらったなと思いますね。
第6回 「音楽はいつまででもできるものだな、と思った」
小林武史 × 矢沢永吉
今回は、ライブの話からスタート。海外のミュージシャンと一緒にパフォーマンスをしている矢沢さんは、彼らの「どんな細かいことでも真剣に仕事をする」姿勢に学んだそう。そして、「音楽がまた楽しくなってきた」と語ります。
小林 武道館のライブなどでは、外国人部隊の中でやってらっしゃいますけど、あの人たちは、矢沢永吉という人をどう捉えているんでしょう。普通の日本人とまったく違う、自分よりも強い男を見て、どう思っているんですかね。
矢沢 どう思っているんだろう。アメリカの連中とやり始めた頃、僕だってどっちかというと洋楽に憧れてバンドを作ってきているから、まず海の向こうの本家本元の連中とやるのは恐縮しちゃって。ビビリもあって。
小林 ビビリがあったんですか?
矢沢 ものすごい、ありましたよ。憧れもあるし。ドゥービー・ブラザーズが来たときには、「これがドゥービーか」と思うじゃない。「やっぱり本場の奴らは違うな」とか。
でもある日ね、「あかんあかん!」と思ったことがあったんです。「ちょっと、待てよ」と。「本家か本物か知らないけれど、俺のコンサートをやるのに、俺が何をしたいのかはっきりしなくちゃいかん」と。何かの話の中で、強くそう感じてね。 だから僕ははっきりこう言ったの。「あんたがたは、確かに世界のドゥービー・ブラザーズだけれど、日本へ行ったら俺は矢沢だから、頭に入れといてくれ」って。そしたらね、それから彼らはバチッと一つになりましたよ。それまでは、なんとなく「おお、分かった、やろうぜ、やるんならやろうよ」と始まって、「よ ろしくお願いしまーす」みたいな気分がこっちにもあったんだけれど。
でも「俺がボスだから」って言ったのを境に、矢沢と一つになったのを僕は覚えてます。
あとで飲んでいる席で聞いたのは、「はっきり言うけどね、矢沢みたいにピシッとものを言う日本人に会ったのは初めてだ」って。そのとき、すごく俺たち嬉しかったし、「頑張ろうね、一緒に」という気になれたんだよね。
尊敬とか、憧れとか、洋楽すげーなと思うのは、わかるが、ソレはソレ。「このプロジェクトは、誰のための何のプロジェクトで、どうするつもりなんだ」っていうことは、絶対にぶれちゃいけないんです。
小林武史 × 矢沢永吉
小林 映画も軍隊というところまで言っちゃうくらい、彼らはチームプレーが得意ですよね。本当に、一人ひとりの末端まで、何の役割をしているのか、ということがものすごく明確だから。あれは、僕らも学ばなくてはいけないことではあるんだよね。
矢沢 僕がものすごく学んだのは、今、小林さんが言われた通りのこと。どんなに細かいことでも、海外のミュージシャンは真剣に仕事をやる。ちゃんとやりますよ。そこに、びっくりした。以前の僕にはなかったところだから、彼らから結構、学びました。
小林 そうした経験から、今の矢沢さんのバランスはできているのかもしれない。
矢沢 以前の僕にはね、たとえば今から20年前に作った自分の作品を小馬鹿にする自分がいたの。
「ちょっと勘弁して、20年前のアレンジでしょ、20年前に作った俺の作品でしょ。今の俺なんて、引き出しがいっぱいだし、勉強しまくっているから、あん なアレンジ、今の俺だったらしないね。もう全部、アレンジを取り替えたいくらいだよ。」と言っている自分がいたんですよ。
でも、彼らと付き合い始めてから、そういうことは一切なくなりました。全然違うんですよ。20年前は20年前で、ものすごいキラキラしていたんですよ。そういう考え方を教えてもらいましたね。
彼らは面白いですよ。すごくキャッチーな、今のモードの格好いいアレンジも「だよね」ってやるけれど、「悪いけどさ、今年はオールディーズのために、俺の初期の作品を結構取り入れたいんだけれど、聴いて」って言うと、チーパーな音に聴こえるかな? とこっちが思っても、彼らは一個一個、それをちゃんとコピーします。昔の音をちゃんとグルーヴに乗せる彼らの姿を見たときに「これがプロなんだな」と思ったんです。絶対に馬鹿にしない。
それで僕は、自分の20年前の作品をちょっと「あのときを消しゴムで消したいんだよ、俺は」と言っている自分が恥ずかしくなったんですよ。それは、すごくいいことを学んだし、今は音楽の話をしているわけですけれど、ひょっとしたらどのジャンルにもそういうことは言えるのかもしれないね。そんな経験をしたら、 音楽がまた楽しくなってきて。音楽は、いつまででもできるものだな、と思ったりしましたね。
第7回 「今月で60歳。60、悪くないな」
実は、矢沢さんは9月で60歳に。「昔は、嫌いなものは認めないという感じだったけど、今は違う。全部OKですよ。全部アリじゃない?と思いますね」だそう。「60、悪くないな」という発言もかっこいい、第7回目です。
小林 矢沢さんのアレンジは、基本的に引き算が活きていると思うんです。ゴチャゴチャするのは嫌いですよね、ボスは。もともと日本は引き算の文化だと思うんだけれど、アレンジについてはなかなか引き算ができなくて、ガーッとクラッシュするようにグチャッとなっちゃう。
若い子の音楽は、歪ませてグチャーッとひとつになるのが、今の主流だけど。矢沢さんはもっと、スタイリッシュで、ベースの音はエッジが立っていなくちゃいけない、というのがすごくある。それも矢沢さんの、独特の感じなんですよ。ミュージシャン同士の会話だから、ちょっとわかりにくいかもしれないけれ ど。ボーカルの周りに、あんまり来ないで、来るなら来るで、はっきりした感じで来て欲しいという感じがします。
矢沢 そうかもしれないですね。無意識なんだろうと思うけれど。
小林武史 × 矢沢永吉
小林 プレスリーや、ビートルズの初期もそうだけれど、ギターのリフって、はっきりしていたじゃないですか。ここはギターを聴かせるところ、というのがあって。
矢沢 それが、好きなんでしょうね。
でも、最近思うんですよ。昔の僕は「これが好き。だから、嫌いなものは認めない。だって、良くないもん」という感じだったけれど、今は違う。「僕はこれが好きなんだけれど、グァーッと絡ませている。いいね~、それもいいんじゃない」というのが。全部OKですよ。全部アリじゃない? と思いますね。何でかな? なんだかね、いい感じですよ。今月、60歳になるんですけれど、「60、悪くないな」と思い始めています。
小林 それは、誰だって矢沢さんを見たら「60歳も悪くないな」と思いますよ(笑)。
小林武史 × 矢沢永吉
矢沢 だから、すごく今、音楽が楽しいですね。俺、こんな感じで現役でやれてるんだな、と。僕も40歳くらいまでは、まだ「好きなものはこう、嫌いなものは嫌い」っていうのがありましたよ。それがまた、矢沢の個性でも、我の強さもあったんだろうけれど。いや、いいですね。変われてよかった、と思います。
小林 あえていろいろ言わないけれど、僕らは知的に見せる音楽の台頭という中で育ってきて、日本にもまだ先があると思ってきた。アジアの他の国々にもアドバンテージを持てて、優位性を感じて生きていたと思うんです。どこの国でも、人間は差別するところから成長するから、そういうこと抜きに綺麗ごとだけでは言えないけれど、今やアドバンテージもなくなってしまった。
今の若い子を見てると「何か足りないな」と、正直、思わなくはないけれど、矢沢永吉という人の良さを、真っ向から理解できる国民、というラインに立てたな、という言いかたもできると思います。
ところで僕も、ap bankで「これからは農業をやるんだ」と言っていまして。
矢沢 すごいよね。
小林 いやいや、でもね、いいと思いません?
矢沢 思いますね。
小林 左脳的なところでくじけたような男が、鬱になって自殺するよりは、もっと単純でいいから、男として食い扶持を稼ぐような方向があるんじゃないか。そう思うなら、社会がそういう流れにいかないと。真っ正直になれないで、最後のところで、上げ足だけを取っている国民、という体制は変わらないと思うんです。
矢沢 本当にそうなんだよね。そういうことが、今、問われてますよね。
小林 問われていますよ。正直にならなくてはいけない。
矢沢 今の話と一緒で、「芸能人の麻薬がどうのこうの」っていうのを、テレビも新聞もずっとやっているんだもんね。馬鹿みたい。でも、こういう会話をap bank fesの後に小林さんとやるとは思わなかったですね。
小林 したくてしょうがなかったんですよ。
矢沢 今回の話を聞いて、僕「やろうやろう!」「いいね! ぜひ対談したいね!」って言ったんですよ。
小林 僕は、何年も前から矢沢さんに出て欲しかったんですよ。未来のことを考えたら、今の矢沢さんのスタンスが、すごく大切だと思っていたので。
矢沢 いや~、こちらこそ、嬉しかったです。
第8回 「直球ど真ん中に、戻ってもいいのかもしれない」
「なんで日本はこうなっちゃたんだろうね?」と矢沢さん。NHKの番組に出演して、何をしていいかわからない若い人が、予想以上に多かったと印象を語ります。「直球ど真ん中に戻っていいのかもしれない」は小林と共通した思いでした。
小林 このあいだNHKの番組でおっしゃっていましたが、これからの若い人たちに、何が大切で、どんなことが活路だと思います? 僕なんかは先ほどの話で、海外に出ていく、自分の居場所から出てみるというのも大切なのかなと思いましたが。
矢沢 それは、すごく大事じゃないですかね。
小林 僕も、海外にずっと行っていた人間なので、矢沢さんの話を聞いて、あらためて思いましたね。
矢沢 何で日本はこうなっちゃったんだろうね? いつぐらいから、何がきっかけで、こういうふうになっちゃったのかな。
たとえば、僕がNHKに出たときに、企画したのは彼らだけれども、今の20代の人とのトークセッションで、「何でも話せるような人を募集したいんだけれども」って言うの。
「矢沢さんに悩みでも言いたいことでも、なんでもいいから集まりませんか?」と募集したら、応募がバーッと来て、結局150人くらいがスタジオに来たんですよ。
自分としては「え!? 何するわけ? 俺は別に悩み相談を受けるのも嫌だし。そういうことに答えられるわけでもないし」と言っていたわけ。でも、「しょうがないな、わかりました。その企画を進めたいんだったらやりましょうか」と受けることにして、別に「OK、レッツゴー!」という感じでやったわけじゃないんです。
それで、集まった若い人の話を聞いてみて感じたのは、「何をしていいかわからない」という人が、今、ものすごく多いですね。そういう人が増えているとは聞いていたけれど、予想以上に多い。
うちの娘の話になるけれど、娘が歌を歌いたいと言ったときに「止めときなよそんなもん」と、はっきり言ったんです。親というのは形なのか、まず一回反対するって言うから、形の通りにとりあえず格好つけて。(笑)そうしたら本人が、「どうしても歌を歌いたい」って言うの。その「どうしても」はマジなんですよ。自分の娘ということは置いておいて、「こんなにマジになれることがあって、良かったよね」と僕は彼女に言ったの。マジだってことがわかったから。
ポイントはここなんですよ。マジになれることに出会えるかどうか。それを、みんな探しているんでしょうね。案の定、NHKでもそうでしたよ。そういう人が多い。なるほどな、って思った。
それで自分を振り返ってみたんだけど、時代も良かったのか知らないけれど、僕はもともと板金工になろうと思っていたんですよ。
ある雑誌にも書いてあったけど、「矢沢永吉は最初、板金工になろうと思っていたのが、ビートルズに出会ってロックシンガーになろうと気持ちを変えたらしい。ここがポイントだ」「彼は、なんで板金工になろうと思ったのだろう」とね。
僕は事実、板金工になろうとした事実を言ってましたから。それは今の君たちにはわからないかもしれないけれど、俺が中学校のころは、高校を卒業するだろ、うちのように親もいない経済状況では、大学にも行けないから高校が精一杯だし、もともと学校も好きじゃない。
そこで、「俺は何をするべきか?」と考えたんです。可愛いじゃないですか、14、15の少年が「俺は将来どうなりゃいいんだ」と考えているんだから。格好いいよね。
それで、板金工になろうと思ったのは、日本に車の時代がやってくると思ったから。みなさんから見ると「車なんて当たり前だろう?」と思うかもしれないけれど、我々にはまだわからない頃です。でも僕は「これからは車がもっと増える。車が主体になる。車ってことは、ぶつかったりすると、板金塗装が流行る じゃないか」と考えた。
さっき話した雑誌の記事には続きがあるんです。
「矢沢は、結局のところ歌手でも板金工でもなんでもいいから、一国一城の主になって、上に登りたかったというのは共通してるよね」と書いているわけ。このライターはわかってるなと思った。だって、当たっているから。僕は、板金工で当てられるだろう、そうしたら儲かるぞ、と思ったんです。
小林武史 × 矢沢永吉
それがビートルズと会って、一気に「やーめた! 歌手やろう」と思った。だから結局、何にピカッとくるかという話なんですよ。一番最初は板金工に、次にビートルズでピカッと来たんです。だから、ピカッとくるものに出会えるかどうかの問題。
でも、今の時代は難しいのかな。こんなに情報が溢れて、ないものがない時代になってしまうと。いや、どんな時代でも、その時代ならではの何かがないことはないと僕は思います。だから、そういうことに出会うかどうかの戦いだよね。
だからap bankでも、メッセージを送っているんじゃないですか。部屋に閉じこもっているよりも、外へ出たほうが何かあるだろうよということを、ap bank fesを通じて言っていると思いますし。
小林 そうだよね。みんなが矢沢さんのように、国民から愛されるようになれるわけではないけれど、真っ正直に生きていれば、それなりに愛されることはできるんじゃないかな、とは、今日、矢沢さんと話していて思いました。矢沢さんのような人じゃなかったら愛されない、というのではなくて。
矢沢 正直という言葉は置くとしても、自分の気持ちを素直に出す――これはクソ当たり前なことなんですよ。それがあまりにも、情報が多いせいなのか知らないけれど、遠回りなのか、ぐるぐる回っちゃっているのか、どうすりゃいいんだ、というところに現代社会は来たわけですけれど。もう一度クソ当たり前な、直球ど真ん中みたいなところに、戻ってもいいのかもしれないですね。そう思いません?
小林 本当にそう思います。
第9回 「完璧じゃないけど、間違った生き方はしていない」
最終回は、eco-reso web編集部から、矢沢さんにとってお金についての質問をさせてもらいました。「あの世にお金は持っていけないんですよ。ある時期にものすごくはっきりわかったんですよ」と、矢沢さんの生き方の話になりました。
編集部 最後に、お金についてうかがいたいんですが。
矢沢 お金? なんでお金なんだよ(笑)。
編集部 ap bankはお金を新しい形で、いろいろな人たちに融資しているんですが、よく小林が「お金は道具に過ぎない。必要だし大事だけれど、道具であって、使いかた次第なんだ」という言いかたをするんです。
今、不況になったこともあって、必要以上に「お金」が意味するものに、みんなが振り回されている気がします。でも大事なのはその先にある、「何をやりたいか」ではないか。矢沢さんがおっしゃってきた「お金が欲しい」も「上へ行きたい」も、その先にあるものが大事だという話ではないか、と思うんです。
矢沢 実は、僕も知らず知らずのうちに、小林さんと同じことを言っていましたね。
20代の頃の矢沢が「上に行きたい、金持ちになりたい、成功したい、認められたい!」と言っていたのは、わかりやすい言葉だから使ったんだと思う。それがね、このぐらいの歳になって、はっきりとわかるんですよ。
最近、小林さんと同じようなことを矢沢はよく周りに言っているのね。それは「ああ。もう60(歳)だな。あと何年、活動できるのかな。今と同じテンションでできるのは5年くらいかな。それからスローダウンさせながらもう5年で、10年はできるのかな。10年できたら御の字だな」というような話をしていると、 当然「そのうち死ぬな」と考える。
60くらいになりますと、あと何年くらい生きられるのかな、ということもシリアスではなく爽やかな感じで考えられるんですよ。
「だよねー! 俺たちあと何年生きられるかな、10年かな、70までは生きたいな。そこから先は、プレゼントだよね」って、僕も、同級生と話すんだけれど。
小林武史 × 矢沢永吉
「音楽やってて良かったよね」
なんて話をしたときに、結論から言うとね、死ぬとするじゃないですか。あの世にお金は持っていけないんですよ。それはね、ある時期にものすごくはっきりとわかったんです。
持っていけないのに、なんで人類はずっと、マネー・マーケットを追っかけているのか。マネーゲームをずっとやっていることに、目的があるのならいいんだけれど、ただ増やすことで満足しているのなら、結構もったいない時間を使っているのかもしれない、と思ったの。
僕はそう感じたときに、自分は完璧じゃないかもしれないけれど、少なくとも間違った生き方はしていないかもしれない、と思ったんですよ。気づけてよかった、みたいな。このことに、気づけていない人は結構、いっぱいいると思いますよ。
気づいたから「僕は残りの音楽を含めた人生をどうしていかなくてはいけないのかな」と考えられる。気づくこと、考えられることが大事なんです。小林さんは、それをap bankという形で、基金をやったりする、それが小林さんのひとつの主張ですよね。
僕も、僕なりに、そういうことがわかっているから、どういうふうに生きていけば自分が幸せになれるか、考えなくちゃいけない。いや考えることができる。そういう気持ちになれている自分に気づいたときに「良かったあ」と思いましたね。だから、お金に対しては、僕は小林さんと同じようなことを思っていま すよ、という感じはありますね。
小林 ありがとうございます。あと、ステージでの「スポーツクラブでの出会い」という話はね。本当に、そのまんまなんですよね。
矢沢 僕、ラジオに行ったときにも、その話をしてますもん。「僕は小林さんと、ジムで出会ってね」「ジムですか?」「ジムだよ」って。
小林 ap bank fesで矢沢さんが出たあとに、櫻井がMCで、「どこでどんな出会いがあるかわからない」みたいなことを言っていたんですよ。「その瞬間を、ぼーっと見過ごしてしまう人もいるけれど、そこはワクワクしていく方向に変えていく」って言って、(忌野)清志郎さんのカヴァーを演奏したんですよ。
ひとつのエピソードとしても面白くて、僕としては、本当にあの場で出会えたことを感謝しています。
矢沢 出会ったとき、小林さん、すぐに言いましたよね。「矢沢さん、ちょっと遊びに来てくださいよ」「いいよ、行きますよ! 行きましょう」って。人の出会いはあるもんですよ。僕は、ステージでも言いましたよね「人の出会いはあるもんですね」って。それで、間奏か何かのときに「小林さん、またジムで会おうね!」って、そっと話した(笑)。最高だったですね、また呼んでくださいよ。
小林 本当にありがとうございました。
インタビューを終えて ⇒ 今の矢沢さんは、他にくらべる人がいないような特別な存在になっているけれど、それは矢沢さん自身が闘ってきた結果で、強い人だけが持てる優しさが自然にあらわれているせいなんだと思う。
いつも矢沢さんは、こちらが思っている以上の何かを出してくださるんですよね。リハもそうだったし、ap bank fesの本番も「こんな感じでやれるといいな」と思っていたよりも、圧倒的に上だった。
今日も久しぶりにお会いして「きっといいインタビューになるんじゃないかな」と思っていたけれど、やっぱり期待以上のものを出してくれた。
そういう魅力は、もしかするとメディアを通していると、なかなか気づかないかもしれない。それがわかるのがライブなのかもしれないな。本当に頭が下がります。矢沢永吉という人が言いたいことは、いつだって真っ当で、率直で、そんな矢沢さんが今、活躍しているというのは、僕らにとっても本当にラッキーなんだ、って思いました。矢沢さん、またぜひap bank fesに遊びにきてください。 最高のパフォーマンスを、またやりましょう。
矢沢永吉 1949年、広島県生まれ。1972年、キャロルのリーダーとしてデビュー。1975年、「アイ・ラヴ・ユー、OK」でソロデビュー。以来、日本のロックの頂点に立ち続ける。2009年8月、アルバム『ROCK’N’ROLL』をリリース。60歳記念ライヴ“ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME”では、5万人の観客を圧倒した。
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http://fes.apbank.jp/ http://ja.wikipedia.org/wiki/Ap_bank
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