映像◆豊田商事会長刺殺事件 http://youtu.be/izqLgi82doY
‡1985(昭和60)年06月18日(火)
架空の物件を使って金銭を騙し取る悪質な営業での詐欺商法。マニュアル化された社員教-育を最大の武器にして多額の金銭を奪い取るという詐欺に徹した巨大犯罪集団
映像◆豊田商事永野会長刺殺https://youtu.be/skowfpAly0o
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┃石井紘基刺殺事件┃
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‡2004(平成16)年06月18日(金) 東京地裁で被告に無期懲役判決が言い渡されたが、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした[5]
https://ja.wikipedia.org/wiki/石井紘基刺殺事件
https://www.uta-net.com/song/11684/
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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┃ 刑事裁判 控訴審 ┃
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2005(平成17)年01月25日(火)13:30~ 控訴審第1回公判(725号法廷)
2005(平成17)年03月24日(木)13:30~ 被告人質問(主尋問1時間30分)
2005(平成17)年05月12日(木) 11:30~ 結審
2005(平成17)年06月30日(木)11:00~ 判決
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┃ 刑事裁判 原審 ┃
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2002(平成14)年10月25日(金) 事件
2002(平成14)年11月18日(月)起訴
2003(平成15)年01月21日(火)10:00~12:00 第01回公判(425号法廷)
2003(平成15)年02月20日(木)15:00~17:00 第02回公判(425号法廷)
2003(平成15)年04月22日(火)10:00~12:00 第03回公判(425号法廷) 秘書1への尋問
2003(平成15)年05月13日(火)13:30~16:30 第04回公判(425号法廷) 秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
2003(平成15)年06月09日(月)10:00~12:00 第05回公判(425号法廷)
2003(平成15)年06月26日(木)13:30~16:30 第06回公判(425号法廷)
2003(平成15)年07月18日(金)13:30~16:30 第07回公判(425号法廷) 警察官への尋問、被告人質問
2003(平成15)年09月01日(月)13:30~16:30 第08回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年09月22日(月)13:30~16:30 第09回公判(425号法廷) 被告人質問(検察側)
2003(平成15)年10月29日(水)10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年11月14日(金)13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
2003(平成15)年12月24日(水)10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
2004(平成16)年02月06日(金)10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
2004(平成16)年03月05日(金)15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
2004(平成16)年03月24日(水)13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
2004(平成16)年04月27日(火)13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
‡2004(平成16)年06月18日(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。
‡2004(平成16)年06月18日(水) UP 衆議院議員石井こうき氏の刺殺事件に関し、本日、判決が出されました。2年前の10月25日の事件から1年8ヶ月がたとうとしています。期日も17回を数えました。求刑が無期懲役のところ、判決も無期懲役という判決です。日本の現状の実務を前提とすると、もっとも重い判決と言ってよいと思います。朝日新聞:読売新聞:毎日新聞:東京新聞:産経新聞
http://masakikito.com/ishii/ito-kohan.htm
https://www.uta-net.com/song/11684/
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
映像◆日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話https://youtu.be/dpq-_e0Og4Y
2019(令和元)年08月11日(日) 公開 説明どうも削除されたみたいですが、基礎知識としてこの程度のことは必要と思いますので再掲します。じっくりご覧ください。官僚、公僕?とは名ばかりで陰でいかにえげつないことをしているかよくわかります。一度徹底的に懲らしめないとだめね。
2019(令和元)年12月29日(日) 347,725回視聴 良6,579 悪291
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┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1985(昭和60)年06月18日(火) 豊田商事会長刺殺事件 ⇒ 悪徳商法で多数の被害者を出していた豊田商事、永野一男会長宅のマンションに、2人の暴漢が乱入し、何人もの報道陣が見守る中で、永野会長を刺殺する事件が発生した。犯行を止めなかったマスコミにも非難が集まった。写真はベッドや床に血のりのついた永野会長宅を現場検証する捜査員【時事通信社】
1988(昭和63)年06月18日(土) リクルート疑惑が発覚
1993(平成五)年06月18日(金) 宮沢喜一内閣への不信任決議案が可決、衆議院解散
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1991(平成三)年06月18日(火) サヨナラ本塁打で中日・彦野利勝に代走が出された珍事件
‡2017(平成29)年06月18日(日) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月18日だ。
写真◆走塁中、突然うずくまった彦野
1991年6月18日、ナゴヤ球場の中日─横浜大洋戦で事件は起こった。6対6で迎えた延長10回裏二死走者なしから中日の彦野利勝がレフトスタンドに放り込む劇的サヨナラ弾。ヒーローを出迎えようと、中日ベンチから一斉にナインが飛び出したが、当の彦野が一塁ベースを回ったところで突然倒れた。古傷の右ヒザをひねってしまったのだ。そのまま動けず、結局、代走・山口幸司が代わりにホームを踏む珍事件となった。
ただし、前例はある。サヨナラ本塁打では史上初だが、69年には近鉄のジムタイルが本塁打の後の走塁で左足を肉離れ。伊勢孝夫が代走で1周し、得点も伊勢についたケースがあった。本塁打以外、得点がなかったジムタイルには8本塁打で7得点という不思議な記録が残った。
なお、この代走ルールは55年から。それ以前は、打った本人が這ってでもホームにかえらなければ得点にならなかったということか(実例は確認できず)。
「一塁ベースを回るときに手前でヒザがガクンと。ホームランなら、もっとゆっくり走ればよかった」と彦野。全治3週間の診断で登録抹消となった。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1998(平成十)年6月18日(木) 3戦で90安打の大乱戦を締めた近鉄・吉岡雄二
‡2018(平成30)年6月18日(月) 7:30 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月18日だ。
写真◆手荒い祝福を受ける吉岡。背番号41
1998年6月16日から始まった近鉄─ロッテの3連戦。球場は藤井寺だ。大阪ドームはすでにあったが、当時は藤井寺開催のゲームもまだあった。
結果的に同年の5位(近鉄)、6位(ロッテ)の対戦である3試合は、荒れに荒れた。
初戦が12対8、2戦目は9対6。勝者はいずれも近鉄で順位は3位、2位と上がっていた。
迎えた6月18日の3戦目、試合の主導権を握っていたのはロッテだ。近鉄は9回裏の攻撃を前に2対5とリードを許していた。
しかし、二死二塁から途中出場の吉岡雄二の左中間適時二塁打を含む5連打で同点に追いつき、試合は延長戦に突入する。
11回裏、一死から走者一人を置いて打席に立ったのは、前打席二塁打の吉岡だ。ベンチで近鉄・佐々木恭介監督は、「打って男になれ!」と言って送り出した。
カウント2ストライク1ボールからロッテの竹清剛治が投げた中途半端なフォークだった。吉岡のバットが一閃。打球は左中間奥に飛び込むサヨナラ2ランだ。
「めちゃくちゃうれしいです!」。声を弾ませた吉岡。
巨人から移籍2年目、なかなか結果を出せず二軍と行ったり来たりが続いていた男が、3日がかりの乱戦を鮮やかに締めくくった。
両軍の合計安打は1戦目32本、2戦目26本、3戦目32本で合わせて90本だ。
近鉄は、この勝利で首位に。最終的には5位だったが、この年のパは空前の大混戦で残り7試合の時点でまだ優勝の可能性が残されていた。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1991(平成三)年06月18日(火) サヨナラ本塁打もホームインできなかった彦野利勝
‡2019(令和元)年06月18日(火) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1991年6月18日だ。
写真◆一塁を回ったところで倒れ込んだ彦野
歓喜が一転、珍事となった。この日、行われた大洋戦(ナゴヤ)、6対6で迎えた延長10回二死、中日の彦野利勝が劇的なサヨナラ弾を左翼席に叩き込んだ。沸き返るスタンド、ヒーローを迎えようとベンチを飛び出す中日ナイン。だが、殊勲のヒーローがホームにかえってこない。
見ると、彦野が一塁を回ったところで倒れてしまっていた。実は歓喜のジャンプをした際、古傷のある右ヒザをひねってしまったのだ。結局、代わりに山口幸司が送られ、史上初の代走サヨナラホームインとなった。
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170618-01
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180617-02
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190618-10
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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1998(平成十)年07月07日(火) 千葉ロッテ、七夕の悲劇と18連敗の状況
2018(平成30)年07月07日(土) 7:07 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月7日だ。
7月07日(火)、七夕のオリックス─ロッテ戦。GS神戸には平日にもかかわらず2万人の観衆が集まり、異様な盛り上がりを見せていた。ロッテの先発は、ここのところクローザーとして起用され、先発は
6月18日(木)以来となる黒木知宏。ロッテは3対1とリードし、9回裏オリックスの攻撃を迎えていた。黒木の球威は衰えず、先頭のイチローを三振、ニールにライト前ヒットを許すも、谷佳知をファウルフライで二死。続くプリアムも2ストライク1ボールと追い込む。1球外した後の139球目だった。サインどおり、プリアムが苦手なはずの内角低めの速球を投げ込んだが、プリアムがまさかの同点2ラン。黒木はそのままマウンドに崩れ落ち、交代。ベンチ裏で号泣した。そして同点で迎えた延長12回裏にロッテの三番手・近藤芳久からオリックスの広永益隆が満塁サヨナラ弾。試合後、黒木は脱水症状と体力消耗から全身がけいれんし、コーチに抱きかかえられながら無言でバスに向かった。
6月13日(土)から始まったロッテの連敗はこれで17。単独のチームワースト記録になった。さらに翌日も破れ、18連敗。ようやく泥沼から脱出したのは、
7月09日(木)のオリックス戦だった。 ただし、18連敗は決して一方的なものではなく、逆転負け10度、サヨナラ4度と紙一重の試合も多かった。今回は18連敗を簡単に振り返ってみよう。
‡04連敗 6月18日(木) 近鉄戦5対7(藤井寺)※一時は5対2とリードしたが9回裏に追いつかれ、延長11回裏、近鉄・吉岡雄二がサヨナラ2ラン
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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2008(平成20)年6月21日(土)「今日は村田の風が吹いていた」。ハマにはまだ気力が残っているぞ!
2018(平成30)年6月21日(木) 8:04 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月21日だ。
写真◆6月21日の西武戦(横浜)で同点&サヨナラ弾を放った横浜・村田外
2008(平成20)年、横浜は94敗を喫し、ダントツの最下位。交流戦は6勝18敗に終わった。
2008(平成20)年6月21日(土)は、屈辱の中で、この年、3度目の連勝を飾った日だ。まず、
‡2008(平成20)年6月18日(水)の対ロッテ戦(横浜)。8回を終わって4対1と珍しく横浜ペースの試合展開。ここで勝たなくて、いつどこで勝つのだ、という試合だった。リリーフの寺原隼人がムキになって三振を取りまくった。2回で5奪三振。9回表は3者三振で4対1のまま終わった。負ければ借金30。もちろん12球団最悪だ。借金が2ケタなのは横浜のみである。
この試合、2二塁打、3出塁と活躍した仁志敏久は「今日のような形で乗り切ることが大事。でも、1試合じゃどうにもならない。2試合続けないと意味がない」と厳しい表情を浮かべた。
それが2試合続いた!
2008(平成20)年6月21日(土)の対西武戦(横浜)は8回表を終わって1対4と弱い横浜に逆戻り。
この「またか」を「まさか」に変えてくれたのが主砲・村田修一だった。8回裏に中越えの起死回生17号同点3ラン。それまでは引っ張りにかかって3打席凡退していたが、この打席は外のチェンジアップを素直にセンター方向に運んだ。
「そろそろ緩い球が来るかなと思っていたからね」と村田。力みが消え、狙いも当たったとなれば、この男はノリノリになる。
延長10回裏二死、村田はグラマンの148キロ速球を右中間にたたき込んだ。劇的なサヨナラ18号(5対4)。
「今日は村田風が吹いていた。ライトスタンドにたくさんのお客さんが入ってくれたし、打てばいいことがあると思った」
とファンに感謝した。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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1988(昭和63)年6月14日(火) 巨人・呂明賜、鮮烈デビュー
2018(平成30)年6月14日(木) 7:00 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月14日だ。
写真◆試合後の呂。右は完封勝利の香田勲男
ヤクルトのホーナーを筆頭に新外国人がデビュー戦から鮮烈な印象を残すことは少なくないが、このときインパクトは、その中でも屈指と言えるだろう。
台湾出身、アジアの大砲・呂明賜(ルー・ミンスー)が、巨人上空に停滞していた梅雨空を吹き飛ばした日だ。
1988(昭和63)年6月14日(火)の神宮球場。試合後の巨人のロッカールームは異様な興奮で包まれた。
「すごいね。驚いた。こんなうれしい日は久しぶりだ」
王貞治監督が笑顔いっぱいでまくし立てる。
5対0の快勝。ただ、それは勝利の喜びからだけではない。
時計の針を戻し、試合前、王監督の表情は暗かった。
それも仕方あるまい。なにしろ頼れる主砲クロマティが死球を受け、左手親指を骨折。全治2カ月の診断で首位広島追い上げに燃えるチームに、完全に水を差してしまったのだ。
この日のヤクルト戦。初回一死一、三塁で打席に入ったのが、背番号97の呂だった。外国人枠の関係で一軍に上がれなかったが(当時は2人でクロマティとガリクソンがいた)、イースタンでは三冠王と打ちまくっていた。クロマティの代役で昇格し、晴れて一軍初打席だ。
ヤクルトのギブソンが投げた2球目だった。独特の大きなフォロースルーで呂のバットが振り抜かれると、打球はピンポン球のように飛び、左翼席上段に飛び込んだ。
「甘い球が来たから打ったまで」
さらりと言った呂だが、そのすさまじい打球は満員の観衆だけでなく、敵味方ナインの度肝を抜いた。
「やっぱりお客さんが入ったところでプレーがしたかった。入れば入るほど燃えるんです」
呂旋風は、この日だけではなかった。
‡1988(昭和63)年6月18日(土)に1試合2本、
1988(昭和63)年6月19日(日)に1本。
「毎打席ホームランを狙う」の言葉どおり、5試合に4本塁打の量産ペースだ。
王監督も「球を打ち崩す感じで打っているのは呂だけじゃないかな。とにかくあのパワーはすごい」とベタボメした。
だが、日本投手に研究され、徐々に失速。最終的には打率.255、16本塁打、40打点に終わった。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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2008(平成20)年6月22日(日) 野村楽天が岩隈久志、田中将大の豪華リレー
2018(平成30)年6月22日(金) 10:35 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月22日だ。
写真◆お立ち台での2人。右から岩隈、田中
前年3位となった楽天だったが、今季は投打の歯車がかみ合わずダントツの最下位。ついに梨田昌孝監督が辞任となった。
2005(平成17)年結成の楽天。
2013(平成25)年、星野仙一監督による優勝、日本一は記憶に新しいところだが、Aクラス入りは、この日本一と梨田監督の17年を除けば
2009(平成21)年の1年しかない。
野村克也監督の4年目、投手には現メジャー・リーガー、岩隈久志、田中将大がいた(岩隈13勝6敗、田中15勝6敗)。
今回はその前年、2008(平成20)年6月22日(日)の出来事だ。
この日、交流戦最終盤、広島戦(広島)で、初めて岩隈─田中のリレーが実現した。
2008(平成20)年の交流戦は大混戦となり、楽天にも優勝の可能性はあったのだが、この前戦
‡2008(平成20)年6月18日(水)の敗戦で可能性が消えた。ちなみに野村監督にとって、これが1454敗目。三原脩(西鉄ほか)を抜く、歴代単独最多敗戦となった。
「おそらく不滅やろ。名を残したな、汚名を。俺らしくていいんじゃないかな」と野村監督。
73歳の誕生日も目前だった ⇒ 1935(昭和十)年6月29日(土) その後、
2008(平成20)年6月21日(土)が流れ、
2008(平成20)年6月22日は日曜日の試合となった。
翌月曜の試合が楽天にとって交流戦ラストゲームで、再開まで3日空くことも豪華リレー実現の背景にあったのだろう。
先発の岩隈は6回1失点で交代し、7回から田中がロングリリーフ。プロ2年目で初のリリーフだった田中は、「初めてなのでとにかく緊張しました」と立ち上がりはスライダーが決まらず苦労したが、東出輝裕、前田智徳連続三振でギアが入った。
8、9回は6人で片付け、3イニング無失点でプロ初セーブ(3対1。田中は日本時代3セーブ)。
「相手チームへの応援が盛り上がったところでポンと出てくる。岩隈さんの勝ちを消さなくてよかった」と笑顔を見せた。
一方の岩隈は、広島・ルイスとの“10勝対決”を制し、11勝目。同年は21勝4敗、防御率1.87で最多奪三振(ソフトバンク・杉内俊哉)以外の先発投手のタイトルを総なめしている。
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①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180620-04
②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180613-01
③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180622-01
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.010 ┃ 30円
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‡1958(昭和33)年6月18日(水)号 勝負強くなった巨人の若手
2017(平成29)年11月6日(月) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎連載漫画『イレギラーくん』
写真◆表紙は巨人の人気遊撃手・広岡達朗
今回は『1958年8月18日号』。創刊第10号で定価30円。カラーページはない。
巻頭は5月28日、ホームランダービーのトップ8号を放った巨人・長嶋茂雄、さらにその試合で起こったトラブルシーンを前号に続き、連続写真風で紹介。ベンチの上に押し寄せ、外野の柵を壊し、さらにグラウンドに乱入したりする観客は、ファンではなく、暴徒。これが頻繁にあったのだから恐ろしい時代だ。
全体のつくりとして頭と後ろのグラビアでは最新ニュース、センターグラビアでは企画色のあるものと色分けされている。これはいまもそうなのだが、中のグラビアは締め切りが早く、先に校了(編集部の手を離れ、あとは印刷所という段階)しなければならなかったこともある。
巻頭特集は『勝負強くなった巨人の若手~首位進出までの苦闘編』。26歳の広岡達朗を若手のリーダー格としてインタビューも交え、紹介(表紙も広岡だ)。ほか22歳の長嶋茂雄、24歳の藤尾茂、23歳の土屋正孝などの記事を散りばめ、「フレッシュ巨人」を強調している。広岡が若手活性化の要因として挙げたのが、やはり長嶋の入団。「あのようによく打ち、よく守り、よく走る選手が入団してきたことは刺激されますよ」と語っている。
また、この特集中の囲み記事で『ルールを守ろう~楽しいプロ野球にするためには』という日本社会党書記長・浅沼稲次郎の寄稿があった。そこには「その営業政策が徹底せる資本主義的であって、各選手は一種の生産資材、商品として取り扱われていることである」など、社会主義的視点の野球論になっている。浅沼は60年、17歳の右翼少年に刺殺された。
ほか『筋金のほしい中日と大毎~置き去られた優勝候補の現状』『爆発しない西鉄打線』。さらにセンターグラビアでは通算1000打点を達成した大洋の青田昇、自らのホームランで16勝目を飾った国鉄・金田正一など、巨人を前面に出しつつも、多くのチームを万遍なく扱おうとする姿勢が感じられる。
連載漫画『イレギラーくん』(竹中顕作。「ュ」は入っていない)では、どうやら当時「騒音防止運動」が活発になっていたようで、「騒音防止区域」と書いた看板があちこちに置かれていたらしい。それを題材とし、野球をしていて人の家のガラスを割ってしまった少年を怒鳴りにくるオジサンに対し、主人公のイレギラーくんが、その看板を指さすところでオチとなっている。
昭和、それも50年代前半くらいまでは、街中のあちこちで子どもたちが野球をして、人の家のガラス窓を割ったりするのも日常茶飯事だった。さらにいえば、人の子どもでも平気で怒鳴りつける雷オヤジ(死語?)もたくさんいたなあ、とやや感傷的になった。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.220 ┃ 40円
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‡1962(昭和37)年6月18日(月)号 東京スタジアム開場と、永田雅一のツキ
2018(平成30)年6月05日(火) 16:00 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎新人研修制度導入決定
写真◆表紙は大洋・森徹
今回は『1962年6月18日号』。定価は40円だ。開幕から2カ月だが、1958年の入団以来、常に球界の中心であった巨人・長嶋茂雄の打率が2割7分前後とぱっとしない。
「このままでは、おそらくプロ野球生活で最低のシーズンになってしまう。そんなことは絶対にしない。シーズンはまだ3分の1が終わったばかりじゃないか。プロは1年1年が勝負だ。僕には来年という年はないんだよ」
悲壮な覚悟で巻き返しを期していた。
6月2日には、大毎の本拠地東京スタジアムがついに開場。試合前にはパの6球団が一堂に介しての行進があったというからすごい。しかも、こけら落としの南海3連戦に3連勝。永田雅一オーナーもご機嫌だ。
「私にもそろそろツキが回ってきてもいいころだと思っていた。人を助けたと思ったのに牢屋に放り込まれたり、私の子分だと思っていた会社の連中にストライキをされたり、本当についてなかった。前世によほど悪いことをしてきたのじゃないかと思ったよ(ストは映画会社大映社長として。牢屋は戦時中、社会主義に傾倒していたころの話だろうか)。
それがこうやって無事3連戦が終了し、3連勝する。ほんとに、私にもツキが回ってきたと思っとるよ。
大毎オリオンズもいろいろな方面からいろいろ言われてきた。しかし、こうやって新球場も作ってやった。もう後は選手が力いっぱいのプレーに励めばいい。私はこれからゆっくり野球を楽しむよ。このツキを逃さないように、私も力いっぱい努力しながらね」
グラビアページにあった開場式の永田の表情は感無量に見えた。
5月31日の実行委員会で、翌年からの新人研修制度の導入が決まった。これは1年目、未成年はチームの100試合、成年は50試合までを研修期間とし、一軍公式戦には出場させないというものだった。翌年実際に行われている。
以下宣伝。
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では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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【助っ人トンデモ話 No.23】
代役が巨人で巻き起こした大旋風
2018(平成30)年3月05日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
呂明賜[1988-91巨人/外野手]
巨人・呂明賜
1988(昭和63)年、キャンプ中に来日した呂明賜。台湾関係者は「呂は台湾の最高傑作。日本で名を残してもらわないと、われわれ台湾棒球人の恥となる」と語っていた。世の中的にもNICS(香港、シンガポール、韓国、台湾のアジア新興工業国)商品のブームが騒がれていた時代である。ただ、巨人にはクロマティ外野手、ガリクソン投手と大物選手がおり、二軍スタートを余儀なくされた。
しかし1988(昭和63)年6月12日(日)、クロマティが死球を受け、左手親指を骨折。「全治2カ月」の診断が下され、シーズン絶望に。イースタンで絶好調だった呂の一軍初昇格が決まった。
1988(昭和63)年6月14日(火)、神宮球場でのヤクルト戦、王貞治監督は初出場の呂を六番スタメンで起用。この日は朝からテレビ3社、新聞3社が密着マーク。打撃練習から強烈なライナーを放ち、三塁を守っていた原辰徳のグラブをはじき飛ばし、「重い、すごいです」と原をうならせた。初打席は初回一死一、三塁だった。ギブソンが投げた2球目、うなりを上げて呂のバットが振り抜かれると、打球はピンポン球のように左翼上段へ飛び込んだ。
「甘い球が来たから打っただけです」と呂は試合後、落ち着き払っていた。
五番に抜擢された
‡1988(昭和63)年6月18日(土)の中日戦(ナゴヤ)では1試合2本、
1988(昭和63)年6月19日(日)に1本。「毎打席、ホームランを狙う」という言葉どおりの量産体制に入った。
1988(昭和63)年6月25日(土)にはヤクルト戦(東京ドーム)でサヨナラ本塁打。この時点では9試合で6本塁打のハイペースだ。その後、
1988(昭和63)年7月06日(水)時点では17試合に出場し、打率.379、10本塁打、18打点でノーヒットは2試合しかなかった。
名前の正しい発音は「ルー・ミンスー」。台湾高雄出身で3人兄姉の末っ子。リトルリーグの世界選手権で優勝経験があり、文化大から入団した。台湾ナショナルチームでは四番として通算112本塁打。当時のポジションは捕手で、強肩と粘り強いリードに定評があった。兵役もあったが、体重100キロ以上は免除の項目があり、そこまで体重を増やし、免除され、巨人入りした。
その後、勢いは落ちたが、フォローの大きな豪快なフォームもあって、一時は1987(昭和62)年のホーナーに負けない大旋風を巻き起こした。
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真っ向勝負の江川から7試合連続本塁打を放ったバース
‡2018(平成30)年7月9日(月) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。
◎「彼の挑戦する姿勢を尊敬する」
写真◆江川から7試合連続本塁打となる22号アーチを放ったバース
「グレート!」
エキサイティングな試合後、阪神のランディ・バースはこう叫んだ。
1986(昭和61)年6月26日(木)、後楽園球場での巨人12回戦。8回、バースは巨人の先発・江川卓から右翼場外へ勝ち越しの22号本塁打を放った。
1986(昭和61)年6月18日(水)、ヤクルト11回戦(甲子園)で高野光から16号を放って以来、7試合連続の本塁打。巨人・王貞治(86年当時、巨人監督)が1972(昭和47)年にマークしたセ・リーグ記録と日本記録に並んだのだ。
おまけに、その打球は推定150メートルの後楽園球場最長本塁打。これまた王が1964(昭和39)年、国鉄・金田正一から打った最長弾に肩を並べたことになる。そしてもう一つ、これが阪神選手の対巨人通算800号アーチでもあった。
だが、バースの「グレート!」は、そんなメモリアル弾を放った自分自身を称賛したものではなかった。称えた相手は、ホームランを打った相手の江川。
「江川はまったく逃げずに、どんどん攻めてきた。僕は、彼の挑戦する姿勢を尊敬する」
実のところ、バースはこの試合まで、江川を苦手にしていた。来日4年目で、通算51打数10安打、打率は.196。本塁打となると、入団1年目の1983(昭和58)年に甲子園で打った1本きりだった。
だから江川も“逃げなかった”といえるのだろうが、この日も初めの4打席はことごとく得意の“読み”を外され、タイミングを狂わされていた。仕方がないので(?)無心で打った結果が、会心の当たりになったのだ。
翌1986(昭和61)年6月27日(金)(ヤクルト戦)、バースは1981(昭和56)年、デール・ロング(パイレーツ)が作った8試合連続の「世界記録」に挑戦したが、6打席とも本塁打はなかった。
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