過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


■Live At EMI Party
 音源◆The Beatles - Live at EMI House, Manchester Square, London https://youtu.be/nkhrDX-h_rE
‡2022(令和四)年01月10日(月) YouTube公開
 1963(昭和38)年04月05日(金) Here is a brand-new incredible discovery made today! An audio tape of the Beatles' private performance at a celebration in EMI House, London to celebrate to celebrate their first silver disc for Please Please Me. It is amazing to hear such good quality performances with a very respectable audience.
 1. Introduction 0:00
 2. From Me To You 0:50
 3. Please Please Me 2:54
 4. Outro 4:49
 映像◆【Mini Topic】ビートルズの未公開音源を聞いて~Please Please Me のEMIパーティコンサートhttps://youtu.be/ATFxyPK3BP4
 

 映像◆ジョージハリスンが映画ゲットバック撮影中にビートルズを脱退宣言した理由は?https://youtu.be/zC9NQvY_D00
‡1969(昭和44)年01月10日(金)
 
 映像◆【映画ゲットバック】ジョージハリスンがビートルズ脱退後にジョンとポールが秘密会議で語った内容の全貌~隠しマイク録https://youtu.be/NIl70CTIAD0
 
 映像◆ジョージハリスンがインタビューで語ったポールマッカートニーとの関係「ヘイジュードでの解散の原因とも言えるトラブル」「サムシング、ホワイルマイギタージェントリーウイープスなどのポールの演奏」https://youtu.be/Fl1r6PWJ9Ok
 

 ビートルズ「最後のライブ」はなぜ屋上だったのか 『ジョン・レノン 最後の3日間』Chapter37
 2022(令和四)年01月02日(日) 21:00 ジェイムズ・パタースン
 写真◆Martin Wahlborg/iStock(c)東洋経済オンライン
 エミー賞9度受賞のほか、エドガー賞、米国人文科学勲章、アメリカ文学界奉仕功労賞を受賞している米国でも有数のストーリーテラーの名手ジェイムズ・パタースン。その著者が、ポール・マッカートニーをはじめとする関係者への独占インタビューを盛り込み、ビートルズ結成60周年、解散50周年、ジョン・レノン射殺から40年の節目であった2020年12月、満を持して上梓したのが、ニューヨークタイムズベストセラーにもなった『The Last Days of John Lennon』でした。今回はその翻訳書『ジョン・レノン 最後の3日間』の中から、Chapter32・35・37・39から抜粋し、東洋経済オンライン限定の試し読みとして4日連続・計4回に分けてお届けします。
■一緒にいようよ――「レッツ・ステイ・トゥギャザー〈Let’s Stay Together〉」■ ビートルズは、『ハード・デイズ・ナイト』や『ヘルプ!』の撮影にも使われたトゥイッケナムのスタジオに戻った。英国での10枚目のアルバムとなる『レット・イット・ビー(Let It Be)』(当初タイトルは『ゲット・バック(Get Back)』になるはずだった)の制作過程を追った映画を作ることになったのだ。撮影監督には、『ローリング・ストーンズのロックンロール・サーカス(The Rolling Stones Rock and Roll Circus)』(この作品は結局お蔵入りとなり、1996年まで公開されなかった)の監督を務めたマイケル・リンゼイ=ホッグが選ばれた。この企画についてバリー・マイルズは、「あれもまた、ポールのアイディアだった」と説明している。タイトル・ソングの「レット・イット・ビー」は、10年前、1957年に亡くなった母マリーが、ポールの夢に出てきたことに着想を得て書かれた曲だった。
「僕たちは、またツアーに出るべきだと思うんだ」1968年のクリスマス前、ポールが言った。
「小さなバンドが、旅をしてクラブやなんかで演奏する。初心に戻って、そういう僕たち本来の在り方を思い出そうよ」ポールの言葉の背後には、ビートルズが初めて直面しつつある新たな問題があった。金銭的なプレッシャーだ。というのも、その年の10月、ビートルズは、財務状況の窮状を訴える専属会計士からの手紙を受け取っていた。そこには、1万ポンドの支出につき12万ポンドの収入がないと、莫大な額の税金を支払うことができないと記されていた。このころまでに、アップル社の経営は、深刻な悪循環に陥っていたのだった。
「もう、これで終わりだ」映画『レット・イット・ビー』のラストを飾るコンサートについて、リンゼイ=ホッグは、あるアイディアを膨らませていた。サハラ砂漠か、あるいは大型客船を舞台として、さまざまな文化の人々がともに集い、世界平和を祈るという、壮大な案だ。
「ビートルズが、日の出とともに演奏を始めるんだ」リンゼイ=ホッグは4人に説明した。
「そこに、1日かけて方々から人々が集まってくる、っていうのはどうだろう」
「ローマの円形劇場のレプリカを作って、そこに僕たちがライオンを何頭か率いて現われるっていうのはどうかな」と、ポールが提案した。
「リバプールに戻ろうよ」とリンゴが割って入る。
「キャバーン・クラブ〔ビートルズが初めてギグをした場所〕にさ」ジョンの案は、こうだった。
「僕は、アシュラム〔以前ビートルズが瞑想訓練で数カ月滞在したインドの僧院〕でやったらどうかと考えているんだけど」なんといっても、世界一のバンド、ビートルズの映画だ。見たこともないような、大胆なエンディングが必要だった。一方、ジョージにも考えがあった。
「もう、これで終わりだ」カメラが回る中、ピリピリしたムードで続けられていたリハーサルの7日目の昼食中、ふいにジョージが言った。
「クラブで会おう」ジョージはそのままスタジオから出ていき、14歳で加入したバンドを去ったのだった。ジョンは、これを聞いても落ち着いていた。
「月曜か火曜になってもジョージが戻らなかったら、エリック・クラプトンにギターを弾いてもらえばいいさ」とジョンは言い放った。それは、それほど突飛な案というわけでもなかった。9月の初め、『ホワイト・アルバム』の収録中に、ジョージはクラプトンを招いて「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gently Weeps)」を録音していたのだ。
「考えなきゃいけないのは、もしジョージが辞めたとして、それでもビートルズを続けたいのかってことだ。僕は、続けたい。だれかほかのメンバーを入れて、前に進むだけだ」と、ジョンは皆に告げた。
■「屋上でやったら素晴らしいんじゃないだろうか」■ジョージは
‡1969(昭和44)年01月10日(金)にビートルズを脱退し、
 1969(昭和44)年01月15日(水)に戻ってきた。だが復帰後も、ツアーを再開するという案にジョージは断固として反対した。
 1969(昭和44)年01月29日(水)になっても、コンサートシーンの撮影場所は決まらないままだった。そしてついに、あるアイディアが降ってきた。ジョンはリンゴに意味ありげな顔をしてみせ、こう言った。
「屋上(ルーフトップ)でやったら素晴らしいんじゃないだろうか。ウェスト・エンド中に向けて演奏するんだ」ジョンはリンゼイ=ホッグに向かっていたずらっぽく微笑んだ。ロンドン市民を驚かせたゲリラ・ライブ計画は、こうして始まった。翌
 1969(昭和44)年01月30日(木)の午後1時、アップルの幹部たちは、サヴィル・ロー3番地の本社ビルの屋上に集まるようにという緊急通知を受け取った。現地ではすでに、仮設ステージを組み立てる大道具スタッフや、ケーブルの束を抱えたエンジニアたちがあたりを走り回っていた。ジョンたちは頭を寄せ合って、曲目をもう一度確認した。4人揃って人前で演奏するのは、じつに4年ぶりだ。ジョンは、緊張でおかしくなりそうだった。だがそれはポールたちも同じことだった。ジョンは、彼らの目にも緊張がありありと現われているのを見て取った。
「ステージに出たくない」と、ジョージがごね始める。「だいたい、なんのためにこんなことするんだ?」と、リンゴもぼやいた。こんなとき、ゴーサインを出すのは、やはりジョンの役目だった。
■オープニング・ナンバー「ゲット・バック」■ヨーコの毛皮のコートを羽織り、眼鏡を直すと、ジョンは楽屋から屋上へと続く階段を登り始めた。その日はテムズ川から強風が吹いていて、ヘリコプターからの空中撮影はできそうになかった。こうなると、メンバーのクローズアップのショットと、通りに集まる人々のショットをうまく?いでいくしかない。ジョンの手は、ギターの弦を押さえられないほど冷え切っていた。彼は用意されたギターをどうにか手に取り、ビリー・プレストンの見慣れた顔を見やった。ビリーは、1962年にビートルズがリトル・リチャードのバック・バンドとしてツアーをしたときに出会ったアメリカ人のR&Bキーボーディストで、電子ピアノでこのセッションに参加していた。ケン・マンスフィールドは、4本のタバコに火をつけた。吸うためではなく、ジョージの指先を温めるためだ。オープニング・ナンバーの演奏が始まった。「ゲット・バック」だ。通りすがりの人々がビルの前で歩みを止め、次々に上を見上げて、空を指し始める。
「その通り」とジョンは言ってやりたかった。ビートルズのフリー・コンサートだ。1966年のキャンドルスティック以来、初めてのライブが、たったいま、きみたちの頭上で始まったのさ。この様子を文字通り通行人の頭上から捉えていたのが、アメリカ人カメラマンのイーサン・ラッセルだった。ジョンから依頼を受けたラッセルは、屋上から隣のビルの壁によじ登るという危険を冒して、演奏するビートルズの姿を頭上から撮影することに成功した。ロンドンの街を背景にしたジョンとポール、ジョージ、リンゴ――世界で最も有名なロックローラーたち――の姿は、周りを取り囲むほかのすべての人々と同様に、小さく見えた。
「彼らも、普通の人間なんだ」シャッターを切るラッセルの心を、そんな思いがよぎった。
■ビートルズ、伝説のラストライブ■ビートルズはこの日、42分間にわたって5曲を披露した。
「ゲット・バック」は3バージョン、「ドント・レット・ミー・ダウン(Don?t Let Me Down)」と「アイヴ・ガット・ア・フィーリング(I?ve Got a Feeling)」は2回ずつ演奏したので、テイクは9回分だった。ロンドン警視庁からやってきた警官たちは、アップル本社のビルを取り囲み、スタッフにこう言い渡した。
「10分間やる」とはいえ巡査たちとて、もちろんビートルズのファンだ。約束の10分が過ぎても、すぐに演奏を止めることはしなかった。そしてついに、警察がビル内部に立ち入り、屋上に向かった。スタッフたちは念のため、大急ぎでトイレに駆け込んでドラッグを流した。警察が屋上に辿り着いたところで、コンサートは終了した。ジョンは、マイクに向かって語りかけた。
「バンドを代表して、お礼を言いたいと思います。オーディションに合格できたならいいんだけど」ポールとジョージ、リンゴは、これを聞いて微笑んだ。4人の胸にある想いは、同じだった。僕たちはいまでも、世界最高のロックンロール・バンドだ。このルーフトップ・コンサートがビートルズとして最後のライブになるかもしれない予感はあったか、と2019年のインタビューで聞かれたポールは、こう答えている。
「いいや、そんなふうには感じなかったよ。ほかのメンバーも同じじゃないかな。ただたんに、たくさんの曲を書いてリハーサルをした成果として、あそこで演奏しただけだった」だが終わりというものは、必ず訪れる。予感のあるなしにかかわらず。
◎最後の「Get back」の演奏中にアンプのプラグを抜かれてしまったときのジョンの苛立ち。ポールとリンゴだけで何事もなかったかのように演奏を続けた。その後、ジョージがプラグを差し込んだ。ギター演奏を再開した時のジョンのドヤ顔。そして、演奏後の例のジョーク。最高のドラマだった。何回でも観たい。ビートルズは、最後の最後まで奇跡だった。
◎結果的にセッションが失敗したのは、ポールの拙速さが原因だと思う。ライブショー開催や、その場所をどこにするのかすらメンバー全員の同意がないままにトゥイッケンナムスタジオに集まっちゃてる。これは致命的。事前にしっかり話し合っていれば、なんら問題はないようなものだけど意思疎通が出来ない状態になってたのではないかな。あとジョージは、クラプトンの演奏力を称賛しているシーンがあったけど、当時台頭してきたクリーム フー 、ザバンド等の演奏力に驚異を感じていたんじゃないかな?ジョージのギタープレイは、それ以前とはだいぶ変わってきているしね。
◎The whoのピートタウンゼントはアルバムを制作するにあたって スタジオでの「このだらけたグダグダな時間」がどうにも嫌で 自宅のスタジオで一人多重録音によるデモテープを必ず制作しメンバーに渡していた 効率性は仕事のカテゴリーで重要なポイントだ 正に「ゲットバック」を見て痛感する 化学反応を狙うにしても程がある 作品としては「よくぞ丹念に再編集してくれた」と賛辞を惜しまないが……
◎そうなんですね。布袋さんのboowy時代のインタビューで、「俺ピート・タウンゼントに近いかもしれない」って言ってた意味が分かりました。
◎集まってセッションしながら曲仕上げようとすると絶対ダレる。意見や方向性も交錯して煮詰まったり、しまいには収拾つかなくなったりする。よくなんとか最終的にまとめたよ。演奏力も抜群ですね。ポールがピアノ弾いてた時にベースが聴こえた気がしたが。ギターをオクターブ下げるイフェクターでも使ってたのか。ジョンのギターを弾く手がベースをやっているようにも見える場面があったような気がした。あのマイクはあの当時としては随分洗練されたデザインだなあ、なんて思いながら見てた。ケーブルが無くて細いポールの先にマイクが付いているだけ、ってやつ。
◎余り知られていないが・・・・前年の
 1968(昭和43)年12月07日(土)にジェファーソン・エアプレインがニューヨーク・マンハッタンのビルの屋上でライブをおこなっていたんだよな。逮捕されるのを危惧して1曲だけだったそうだが・・・・。最終的に「警官に羽交い締めにされて逮捕され、そのシーンを映画のラストに使いたかった…」とリンゴ・スターが語っている---。勿論ビートルズの方が迫力が有り中身も濃かったけどね。◎ルーフトップコンサートは昔見た事があります。近くのビルのお爺さん(オーナーか?)がパイプを咥えながらビルに設置されている梯子階段をゆっくり登ってコンサートを眺めているシーンが印象的でした。「おやおや、何が始まったんだい?」とばかりに。かなりの大音量だったと推測出来ますね。町中大騒ぎだった事でしょう。
◎「私たちがオーディションに合格できるといいのですが」これは7年前の
 1962(昭和37)年1月1日(月)にビートルズがデッカのオーディションを受けて落ちたことをジョンが根にもっていて発言したんだろうね。ビートルズをオーディションで落として一躍有名になったデッカレコードのA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)部門の部長ディック・ロウはそれに凝りて
 1963(昭和38)年5月6日(月)、当時全く無名だったローリングストーンズとレコーディング契約をする。
◎その頃はクリームやジミヘンが台頭し、圧巻のライブ・パフォーマンスを繰り広げていた。ザ・フーも全盛期を迎え数々のライブで評判を得ていた。ビートルズのメンバーも当時のシーンには敏感でジョンはブルース・ロックに傾倒し、ジョージはクラプトンと交遊を温めていた。ビートルズは、このままレコーディングするだけのバンドとして存続するのが最善なのかメンバーは苦悩していたと思う。ライバルのストーンズも休止していたライブツアーの再開を迫られ、過度の薬物中毒に陥っていたブライアンを解雇し、新進気鋭のM・テイラーを迎え第二期黄金時代を幕開ける。
◎「Get Back」で分かるのは、撮影時にはメンバーが予定していたことをやらずに引き延ばしたり、やる気を失っていることだった。だれけた状態で撮影した映画などいい出来になるわけがない。いい出来の映画であれば、すぐにでも公開、上映されたはず。しかしそうではないので、50年後になって公開されたのではないかと思う。ファンとしては見る価値があるし、見てよかったと思う。解散直前のメンバーの状況を知ることが出来たのは、ファンとしては嬉しいこと。また、見なければ後悔するであろうことは間違いない。しかし、数年後にまた見てみたいと思うような映画ではないというのが正直な感想。年末に公開された『マッカートニー 3,2,1』の方がずっと良かった。
◎あの4人の状況で素晴らしいパフォーマンス、下積み時代からのライブバンド魂が伝わりました。あんなふうに演奏してみたい 20代
 https://news.yahoo.co.jp/articles/04647693078b0abe0ca22168672b11b3bcaeddab


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 ┃『'LET IT BE' DAY BY DAY in color expanded』┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛THE BEATLES
【'LET IT BE’ DAY BY DAY in color expanded】マニア必携Mクローデル・レーベルより、初登場映像を数多く含んだ、1969年1月のゲット・バック・セッションの貴重な映像集である。しかも日付順に収録されているため資料的な価値も高い作りとなっている。今まで音源は数多く、ほとんど全てが流出しているが、こと映像となると淋しい限りの状況であった。本作ではそのような現状を解消する必見映像である。なかなか初登場音源ないし映像が出にくくなっていたビートルズのマテリアルを取り巻く状況において、この作品は驚きをもってマニアに受け入れられるであろうと自信を持っている。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。スリップケース付。
【DVD : TWICKENHAM STUDIO】
‡1969(昭和44)年01月10日(fri) いよいよヨーコの歌が登場である。前衛的なジャムを展開するビートルズのメンバーをバックに、ヨーコがひたすらジョン!ジョン!ジョ~~~~ン!と叫ぶだけのものである。ビートルズのレコーディングという聖域に入り、あろうことかビートルズをバックに歌うという恐れ知らずな映像である。「Don’t Worry Kyoko」も演奏される。途中ポールはベースをアンプに近付かせ、わざとハウリングをおこさせるなど、いろいろ実験的な事を試しているようだ。
 DVD DISC ONE
 Twickenham Film Studios 1969
‡1969(昭和44)年01月10日(fri) January 10, 1969
 Get Back
 Jamming With Yoko #1
 Jamming With Yoko #2
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 http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=120647554
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲット・バック・セッション
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 ┃A-side ♪HELLO GOODBYE♪  ┃
 ┃B-side ♪I AM THE WALRUS♪ ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛Single record by THE BEATLES
 1967(昭和42)年11月24日(fri) UK released
 1967(昭和42)年11月27日(mon) US released
‡1968(昭和43)年01月10日(wed) JP released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Hello,_Goodbye
 http://rock-t.info/beatles-discography-hellogoodbye-iamthewalrus.html
 英http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/single/single_original_p4.html##16-1
 米http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single_1967.html##18-1
 日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/single/or_1838.html
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT833BP
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 ┃ U.K. Picture Disc issued to celebrate THE BEATLES'20th Anniversary ┃
 ┃        THE BEATLES 20TH ANNIVERSARY PICTURE DISKS        ┃
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 A面♪Please Please Me♪/B面♪Ask Me Why♪
 1963(昭和38)年01月11日(fri) 初リリース
‡1983(昭和58)年01月10日(mon) RP-4983 第02弾 
 備考・・・BEATLESのレコード発売20周年としてイギリスparlophoneから発売されたピクチャーレコード。イギリスでのオリジナル発売日を20年後の1982年から1990年まで8年かけて('60年代)の発売月に合わせ22枚のピクチャーレコートを発売。スリーブは厚めの透明ビニールに入れられて発売。タイトルにより黒色の台紙を挿入。20周年記念ピクチャーレコードの中で台紙入りは♪Lady Maddona ♪The Ballad Of John And Yoko ♪Get Back ♪HEY JUDE ♪Something/Come Together♪の5タイトル
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 0106 http://www.dermon.com/Beatles/Pd_uk1.htm
 http://mst1.fc2web.com/20th/picture-disk.html
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(thu)10 January 1963
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 Transglobal Music Co., acting on behalf of EMI, signs a licensing agreement giving Vee-Jay Records the rights to release "Please Please Me" and "Ask Me Why" in the US market. Both titles had been rejected by Dave Dexter of Capitol Records.
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 Concert:Grafton Ballroom, West Derby Road, Liverpool
 This concert is covered by Vincent Mulchrone of the Daily Mail and Maureen Cleave of the Evening Standard.
 Cleave writes: "John Lennon has an upper lip which is brutal in a devastating way. George Harrison is handsome, whimsical and untidy. Paul McCartney has a round baby face while Ringo Starr is ugly but cute. Their physical appearance inspires frenzy. They look beat-up and depraved in the nicest possible way." 
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 "This well-worn ticket for a gig at Liverpool's Grafton Ballroom is signed on the reverse "The Beatles...Paul McCartney" in blue ballpoint! Chances are it was folded in a fan's wallet or purse for years as a keepsake. Comes with LOA from the world's leading Beatles autograph authority, Frank Caiazzo. 4 ?"x3""
 Source: Leylands auction, (mon)30 April 2001 
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 http://www.multiplusbooks.com/630110.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1958(昭和33)年01月10日(金) ライヴ演奏:ニュー・クラブムーア・ホール/リヴァプール
②1962(昭和37)年01月10日(水) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
③1963(昭和38)年01月10日(木) ライヴ演奏:グラフトン・ルームズ/リヴァプール
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①1958(昭和33)年01月10日(金) ライヴ演奏:ニュー・クラブムーア・ホール/リヴァプール
 クオリーメンの1958年最初の契約はニュー・クラブムーア・ホール (New Clubmoor Hall) であった。ここはリヴァプールのノリス・グリーン (Norris Green) 地区にある保守的なクラブであった。彼らがここに出演するのはこれが3回目で最後となった。 当初はこの前夜にガーストン (Garston) のウィルソン・ホール (Wilson Hall) でダンスのバックバンドとして演奏する予定だったが、プロモーターのチャーリー・マック (Charlie McBain) がブッキングを変更した。 
③1963(昭和38)年01月10日(木) ライヴ演奏:グラフトン・ルームズ/リヴァプール
 これはビートルズの、リヴァプールのウェスト・ダービー通り (West Derby Road) にあるグラフトン・ルームズ (Grafton Rooms) への2回目の出演だった。その昔はクオリーメン (Quarrymen) もここで演奏したことがある。またこれは1963年の地元リヴァプールでの初公演となった。直前のスコットランド・ツアーではあまり振るわなかった彼らだが、この地元コンサートは記録破りの大入りとなった。ビートルズ歴史家のマーク・ルイソン (Mark Lewisohn) によると、この日のショーの開催前に100枚のチケットが盗まれている。しかしそのチケット・ナンバーがわかっていたので、すぐに無効宣言がなされたという。
 彼らは、グラフトン・ルームズでは合計4回のショーを行っているヨ(=^◇^=)
 1962(昭和37)年08月03日
‡1963(昭和38)年01月10日
 1963(昭和38)年06月12日
 1963(昭和38)年08月02日
④1962(昭和37)年02月12日(月) ラジオオーディション:BBC放送ハウス/マンチェスター
 ビートルズのマネージメントを引き受けて以来、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) は、リヴァプールのクラブで行うショー以外の分野に視野を広げていた。彼はビートルズがもっと立派で有名なダンスホールや劇場で演奏し、テレビやラジオにも出演し、ひいてはそれによってレコード会社との契約を獲得したいと望んでいた。
‡1962(昭和37)年01月10日(水)、彼はBBCのマンチェスター本部を訪れ、3ページにおよぶバラエティ部局のオーディション申請書を完備して提出した。ビートルズがラジオプロデューサーの前でオーディションを受ければ、そのプロデューサーはビートルズの番組出演を依頼してくるかもしれない、と期待したのであった。エプスタインの申請は受理され、この日ビートルズはマンチェスターのピカデリー (Piccadilly, Manchester) にあるBBCに行き、ピーター・ピルビーム (Peter Pilbeam) の前で演奏した。彼はティーンエージャーをターゲットにしたラジオ番組のプロデューサーで、その番組はイングランドの北西部で制作され、全国に放送されていた。ビートルズはこの時4曲を演奏している。はじめの2曲はポールが歌い、後の2曲はジョンがリード・ヴォーカルをとった。
 ・Like Dreamers Do
 ・Till There Was You
 ・Memphis, Tennessee
 ・Hello Little Girl エプスタインの申請書の裏に書かれた、ピルビームのビートルズに対する短評には「マッカートニー NO」「レノン YES」とメモされている。彼のビートルズの総合的な評価は「変わったグループ。ロックンロールと言うより、C&W的な演奏の傾向。」
 しかし彼の査定には決定的な言葉が含まれていた。「YES、
 1962(昭和37)年03月07日(水)のTT'sにブッキング。」TT'sとは『Teenager's Turn』という番組名の略である。ビートルズの番組出演に関する契約書が
 1962(昭和37)年02月20日(火)にBBCから発行され、そして
 1962(昭和37)年03月07日(水)にマンチェスターのプレイハウス・シアター (Playhouse Theatre) で収録が行われる。
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 ①http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19580110_live_newclubmoor3.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630110_live_Grafton.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620212_BBCRadioAudition.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| January 10|010
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 1月10日 |
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 1958(昭和33)年01月10日(金) 前日にガーストンのウィルソン・ホールにクオリーメンは出演予定だったが、プロモーターのチャーリー・マクベインが変更して、リヴァプールのニュー・クラブムーア・ホールでステージに立った。
 1960(昭和35)年01月10日(日) 前年の11月からリヴァプールのウォーカー・アンド・ギャラリーで開かれていたジョン・ムーアズ展にスチュアート・サトクリフの絵画も出品されていた
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16877
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/001/0110.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15617199.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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②┃ 『Introducing…THE BEATLES』Ver.② ┃THE BEATLES
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‡1964(昭和39)年01月10日(fri) US released ※Wikipedia English version
 1964(昭和39)年01月27日(mon) US released ※Wikipedia Japanese version
 1964(昭和39)年02月10日(mon) US released ※THE BEATLES RECORD COLLECTION
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①┃ 『Introducing…THE BEATLES』Ver.① ┃THE BEATLES
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 1963(昭和38)年07月22日(mon) US released 
‡1964(昭和39)年01月10日(fri) Metal parts were already at Vee-Jay's three primary pressing plants, and 6,000 front covers were already printed. But it had no back cover prepared. So, as a stopgap, the label used a back cover slick made from one side of its standard inner sleeve, consisting of full-colour reproductions of the covers of 25 "other fine albums of significant interest".[19] This cover is known by collectors as the "Ad Back" version and is highly sought. A second stopgap back cover was used when the "Ad Back" slicks were exhausted; because it is all-white with no printing at all, it is known by collectors as the "Blank Back" edition and is also very rare. Finally, third editions contain Vee-Jay's official back cover, with Introducing The Beatles near the top and the song titles in two columns underneath. All of these were available on the market within days of the 10 January release date.[19] Also in January, "Please Please Me" was reissued as a single, this time with "From Me to You" as the B-side.[20][21] 
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 ①http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_vj_intro1.html
 ②http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_vj_intro2.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Introducing..._The_Beatles
 http://www.beatlesebooks.com/introducing-the-beatles
 http://rock-t.info/beatles-discography-ulp-introducingthebeatles.html
 http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/US_LP/introducing_THE_BEATLES.html#
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 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1963 ┃
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‡(thu)10 January 1963 The Grafton Rooms West Derby Road Liverpool
 Photographer: Dick Matthews?
 Sam Leach dates this photo as 1962 at The Grafton Rooms. That date cannot be correct because John's guitar has been painted black. That fact would have to date it on this date (the only other date The Beatles played this venue). Mark Lewisohn states, "[This was] The Beatles' first home-town engagement in over a month... The evening was a resounding success, with a record-breaking attendance crowding into the large Grafton Rooms. One enterprising local stole 100 tickets a few days beforehand only to find that they were numbered and declared invalid."
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 http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.01.10%20grafton/63.01.10grafton.html
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 ┃ Winter 1963 UK Tour, Part 1 ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.01 (thu)10 January 1963 Liverpool, England, Grafton Rooms 
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 ┃ BRIAN EPSTEIN Presents  1964   ┃
 ┃ THE BEATLES Christmas Shows ┃
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‡No.18 (fri)10 January 1964 London, England, Finsbury Park Astoria Theatre (16) ※THE END. Finsbury Park Astoria Theatre
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ 『The Beatles at Shea Stadium』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1965. On ●January 10(tue), 1967, ABC-TV broadcast the one hour color special『The Beatles at Shea Stadium』a chronicle of the group’s record-breaking August 15, 1965, concert. If you were in front of your television on that Tuesday night in ’67, you may have seen this very same copy of the ABC-TV special. The show was simultaneously broadcast from Los Angeles and New York City to ABC-TV affiliates nationwide. Our consignor has recently acquired the original 35mm color film on three reels from the assistant to the film’s editor that originated from Los Angeles. The lead-in film of each reel has handwritten notes. On one reel is written “The Beatles At Shea Stadium…1/10/67…Los Angeles Air Print…Color…Tape…R-3 Tail,” on another “Tail R-2.” “SMPTE UNIVERSAL LEADER” is also visible on the lead-in. The amount of film on each reel varies since commercials were inserted between segments. This film does not come with copyright and can not be copied or distributed. Apple Corp. does own the rights, but to this point have opted not to release the historic event commercially. And what a shame that is! For those of you that have seen the segments included in “The Beatles Anthology” or John Lennon’s “Imagine,” the sound and film clarity far surpasses any of the many bootleg copies that have circulated for years. This 35mm Los Angeles air print master does, of course, hold great historical interest to a collector. Maybe that collector is you. 
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 http://www.beatlesource.com/bs/od-shea2.html
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 ┃ About from『GET BACK』to『LET IT BE』~アルバム発売までの経緯 ┃
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‡1969(昭和44)年1月10日(金) いつも撮影されているというプレッシャー、そして薄ら寒いだけの撮影スタジオという慣れぬ環境。張り切るポールはあれやこれやとジョージに指示、ジョージはそれに反発して口論となり、5ヶ月前にリンゴがしたように、
‡1969(昭和44)年1月10日(金)にジョージがスタジオを飛び出してしまう。 数日後にジョージは復帰するが、テレビショウに関しては意見を曲げず、結局この企画は流れてしまう。
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 https://beatlesdata.info/14/12_getback.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Let_It_Be#Get_Back_albums
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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 3
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-1:40am
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 ┃ ♪Penny Lane♪ ┃overdub onto take 9
 ┗━━━━━━━━━┛No.07 ハンドベルをオーバーダブ
  Recording of various effects (scat singing, bell) for ♪Penny Lane♪
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Phil McDonald
 ‡1967(昭和42)年1月10日(tue)
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 https://beatlesdata.info/9/09_pennylane.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Penny_Lane
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 ┃ 『Introducing...THE BEATLES ENGLANS No.1 VOCAL GROUP』 ┃
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‡January 10, 1964 VeeJay VJLP 1062; SR 1062
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 ┃ 『Introducing...THE BEATLES ENGLANS No.1 VOCAL GROUP』 ┃Version 2
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 February 10, 1964 VeeJay VJLP1062; SR 1062
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┃ ♪Cold Turkey(冷た

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