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┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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|2002(平成14)年 3月 5日(火) 吉行和子 |第回
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黒柳「それにしてもお母様が今年95におなりになる」
吉行≪そうです≫
「お元気でねえ。この間来て頂いた時はメキシコのピラミッドを何のピラミッドでしたっけ」
≪ユカタン半島にあるピラミッドなんです。行ったときは91でそれからネパールへ行きまして中国へ行きまして≫
「あなたその時なんとかして行かないようにしてたのね」
*注:吉行和子さんとそのお母さんであるあぐりさんがメキシコ旅行に行く計画を立てていた
≪ヘルペス(仮病)でね≫
「あなたがヘルペスができたから妹さんのリエさんに言ったら止めた方がいいわよって言うかと思ったら「あの人に黙って二人だけで行きましょう」って言われちゃったのね」
≪止めるとかどうにかしようとかそういうのは全然ないんですよ自分で行きたかったら行っちゃうというそういう方・・・そういう方って≫
*注:結局2人でメキシコに旅行することになる
「でもメキシコのピラミッドの石段にお母様がほおづえをついて座ってらっしゃるのを見たときこの人は明るい人なんだってつくづくお思いになったんですって」
≪そうですね明るい人っていうか明るくなったんだと思うんですよ。今まではしっかりした顔で恐い感じだったのねそうしましたらウワーって明るくなって内の親って結構美人って思ったんですね。≫
「テレビドラマになったり朝の連続テレビ小説になったりで明るくなったんじゃないですかね。本当に素敵なお母様であっさりしてらっしゃるところがいいのね91でメキシコのユカタン半島のピラミッドに行かれてどうでしたってうかがったら「まあよくきたなっていう感じだったわね」という答えで」
≪あんまり感激の言葉がないんです。ネパールへ行ったときでもねえネパールは明治みたいで懐かしいでしょって言ったら「あなたは見てないからそうかもしれませんけど私は見てますからちっとも」とか言って≫
「ネパールってすごいところで標高3900メートルに世界で最も高いところにお寺があるんですって。ここはヘリコプターで行ったんですって」
≪ここはさすがにヘリコプターで行ったんです≫
「でも3900メートルって立ってるだけでもすごいじゃないですか」
≪私は3000メートル以下で呼吸困難になりましてボンベくわえっ放しででも親は全然平気で。でも規則ですからやりなさいということで無理やり向うについてからは(あぐりさんも)やったんですけど≫
「あらーネパールへ行って喜んでらしたお母様は」
≪フフフ≫
「そこでですか有名な占い師がいたというのは」
*注:占ってもらうあぐりさん
≪その人に97でちょっとトラブルがあるけどそれを乗り越えれば103歳まで大丈夫ですよと言われて帰りにねあたるのもしゃくだからその前に死んでやらなきゃって(会場笑)≫
「おもしろいわね。あなたがどこにいらしても一日一回お母様にお電話なさると何か面白いことあるって聞くと何もないから逆立ちでもしてみようかしらって言って本当にしないものでもないんですってねえ」
≪やりかねないですねえあの調子だったら≫
「どっかで(ネパールで)子供が石蹴りしてたらいっしょにやってらしたんですって?」
≪私に隠れてやってみたんですってそしたらさすがに足が痛くてって。向うではそういう遊びを子供たちがしてるんですね≫
「このごろ日本の子供は石蹴りなんてやってないわねー。私たち子供の頃はあんなのしかなかったんでね」
≪そうですね≫
「お母様は懐かしかったんでしょうね」
≪そうですね≫
「次に2000年に中国へいらして93歳のときに。」
≪これはテレビじゃなくて中国のことをレポートする雑誌の仕事がありまして行ったんですけど母は仕事だから私は遠慮するわって言ってたんですけど手紙が入ってまして「どこで駄目になっても同じだから私はあなたと一緒に中国へ行きたい」って。≫
「そのメモもチラシの裏って決まってるんですって」
≪そうなんですよすごい節約家なんです≫
「じゃあいいわってなったんですか」
≪しょうがないから連れてったんですけど理由は上海に行くことになったんですけどエイスケっていう自分の夫が住んでたことがあるっていう情報を手に入れてましてどんなところだろうと思ってたらしいんですねもう60年も前の話なんですけどねえ行きたくなっちゃったみたいなんですけど≫
「あなたもまあいいやってことで。まあすごいですね93歳って言ったら飛行場にたどり着くのでも大変ですよね」
≪へっちゃらですね。機内食はしっかり食べるし≫
「飛行機の中ではねたりするの」
≪いや寝ないんです長いときは寝たりしますけど本を読むのが大好きでずっと読んでるんです。そしたらねえ岡山の人なんですけど昔はねえ岡山と東京を16時間ぐらい平気で行ったり来たりしてたんだから平気だって≫
「蘇州もいかれたんですか?」≪ええ行きました≫
「綺麗な所だったでしょう。私たちが思うような中国っていう感じがありますよね。あそこに人工の湖があったでしょう」
≪そうですねそしたら母が「まあこういうの作らされた人はかわいそう」って(黒柳笑)≫
「そうですね私もそう思いました作らされた人わって・・そうそうおなかがすいた人はかわいそうということでご飯の中に賞味期限が切れたものが入ってくるんですって」
*注:吉行あぐりさんと娘さんである和子さんりえさんは同じマンション内の違う号室にに住んでいる
≪そうなんでも賞味期限が切れてもおなかが一杯でも食べきらないと気がすまない。だってアフガニスタンやいろんな子供たちをテレビで見てますでしょそういう子供を見てたら残せないわって言ってそれはいいんですけど私たち用心しないと何を食べさせられるかわからないって≫
「でて来るもので時々何かわからないものが出てくるんですって」
*注:吉行あぐりさんは今も現役の美容師として活躍されている
≪そうですね。90になってからお料理に目覚めましてひまだからお客様の数も少ないから。それで肉じゃがの作り方とかも貼ってあるんですけどその通りにするのが嫌なんですね。自分流でしたいそれにはってこの賞味期限が切れたものを入れるんですね。肉じゃがだけだったらどんなにおいしいかと思うんですけど(笑)≫
「かならず大根おろしが出るんですって」
≪そうなんです体に良いと信じてるらしくて。出てくるときは「これ大根おろしよ」っていうんですね。で3回目ぐらいに見たら分かるわよって言っちゃたんです。そしたら富士真奈美がかわいそうだって大根おろしはするのに大変だって「大変だったでしょありがとう」って言いなさいって言われてまた出てきたら「するの大変でしょありがとうって富士真奈美から言われたから言っとくわ」って言ったら≫
「なんて」
≪富士真奈美さんていい人ねえって言ってましたけど≫
「本当に(笑)。今まで外国へ旅行へいかれてましたけど去年初めて国内旅行にいかれてお母様と初めてお布団を並べて寝た」
≪私が知らない頃赤ん坊の頃は一緒に寝てたらしいんですけど隣に母が寝てるということはないんです≫
「お母様は仕事だったから。」
≪地下鉄の階段が近くにあるんですけどそこを登ったり降りたりするんですって≫
「でもねえここにジャイアント馬場さんがいらしてくださった時におっしゃったんですけど私は遺言のように思っているんですけど毎日毎日やってれば何十になってもできますって。一日二日やらない日が出たり、誰かにつかまっちゃたりするとだめですから。ヒンズスクワットと2階に行くのを階段で登ったりしてると90になっても舞台に出られますっておっしゃったの。あなたのお会いするとあなたのお話よりもお母さんのお話になってわるいんですけど」
≪いえいえわたしもあぐりさんを見てると勉強になるんですよ。だから本当に長生きしてくれて良かったなあと思って≫
「妹さんの作家のりえさんも同じマンションに住んでらっしゃるんですけど全部違う部屋(違う号室)で住んでらっしゃるんですけど紅白歌合戦を見るときも別々に見るんですって」
≪そう。≫
「そのぐらいは一緒に見ないってなりそうに思うけど」
≪いつも暮れはおすぎとピーコの家に行きましてわいわいわいわいするんですけど今年は彼らも忙しくて始めてぐらい1人でいたんですよ。家は変だなって思って一緒に見る気にならないのね≫
「一緒に見ないっておっしゃりもしないの」
≪見たいとも思わないらしいんです。≫
「私大好きになったのあなたのお母さんのこと。本当にねぱっと見たときには分からないけど不思議な女らしさがある方ね。女の人の持っている不思議なやさしさがある方だなって。あっさりしてるでしょ」
≪そうですねあっさりしてくれて助かってます≫
「28で結婚なさったんですけど旦那さんのところに帰ろうと思うと・・・それまで周りに動く物がなかったんですって」
≪びっくりしましたね結婚して人がいるって(笑)本当に申し訳ないんですけど コリャ駄目だって思って≫
「うちに帰ろうと思うと旦那さんがいると思うと嫌なんですって」
≪ははははは。そうなんですね≫
「動物も飼ったことなく」
≪ないです。花もねえ見てる分には良いんですけど自分の部屋にあるとねえ生きてるでしょ花って落ち着かない≫
「お料理は相変わらずしないの」
≪しないんです≫
「たまにお客さんがいらしたりすると茶碗にお茶の葉っぱを入れて水を入れてチン(電子レンジ)するってのもやってる」
≪お客さんも来なくなりました(笑)。まあ良いですよ1人は≫
「こういう仕事をしている分には1人のほうがいいかもしれませんけど」
≪家の親がねあなたたちを看取らなければ駄目かしらって言い出したんです。恐ろしいでしょ≫
「すごいと思う。それにしても今度お一人の芝居もおやりになるでしょ」
*注:クーデンホーク・ミツコという人物を題材とした舞台の話。このミツコさんの息子さんがヨーロッパ共通通貨である”ユーロ”の立役者の1人
≪最後にしようと思ってるんですけどねえ10年続いたんですけどねえ「みつこ」っていうお芝居なんですけど。10年の間にずいぶんいろんなことが分かりましてねみつ子さんに対して。息子がユーロが1月から実施されたんですけど私の息子が提案したんですよ。ご覧になったことがあるって≫
「昔ねえNHKでねえ。大きい方だったですよ。日本のあの方の息子さんがねえ」
≪だから私はほとんどみつ子の感覚になって良かったとか、新聞にユーロってでるとハラハラしたりね≫
「息子がせっかくやったのに」
≪そうそう。いよいよ今年の四月で終わりにします≫
「これで終わりにしようっていう「クーデンホーク・ミツコ」はいつ」
≪4月11日から14日まで三越劇場でいたしますんでぜひいらしてください≫
「それからあなた”折梅(おりうめ)”という映画でこの役以上の役はないという映画を」
≪はい≫「痴呆の出た」
≪78歳の実在した人物の方の役で≫
「その折梅という映画ももうじきやるんでしょ」≪はい春に≫
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-3-5.html
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|2003(平成15)年 3月 5日(水) 大沢逸美 |第回
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黒柳「大沢逸美さんです。よくいらしてくださいました。今女優さんとしてもだいぶ活躍でいらっしゃるんですけども正しくはホリプロのタレントスカウトキャラバンで優勝なさったということで。
大沢≪第7回です私は。第1回が榊原郁恵さん。
「それでこの方とても背が高いことで有名なんですけども前の優勝者が堀チエミさん。
≪はいそうです
「あの方がおめでとうございますを言いに前の優勝者としてあなたにおっしゃってくださった写真があります。あなたこれですもの背が高いといったってすごいですよね。
≪どっちが優勝を今年したか分からないという。
「あなたこの時まだとてもお若いのよね。
≪高校2年生で16歳なんです。すごく落ち着いた顔してますよね。歴代でオーディションで優勝してなかなかったのは私だけです。
「だけどこれ堀さんという方がかわいいという。ちょっとひいていただきますか。
≪そんなに比べて。保護者みたいですよね。
「堀チエミさんの方が先輩なのにかかわらずもちろんあなたが若々しいでしょう。だけどもなんとなく大人ぽいというかね。泣かなかったのはお一人ということなんですけどもその瞬間のテレビのビデオがございますのでちょっと皆様にもこれはめったにないんですけども
≪私も見たことない。
「ご覧になってもない。あなたのお母様も写っています。高島忠夫さんが司会をしてらしてその瞬間なんですけども~VTR~
≪初めて見ました受賞の瞬間は。
「でもあなた今涙いっぱいで今は。でもホント泣きそうだけどもう我慢なさったの?
≪ちゃんと歌はなくてはということが先になってしまってなく所の騒ぎではなかったんですけども。
「でもちょっと違うんだけどもどことなく山口百恵さんと似てらっしゃるところがあるような感じがしたんですよね。あの瞬間はどんなだったんですか。あなたの名前が呼ばれた時って。
≪あのなんて言うんですかね私の名前が呼ばれるうのが当たり前なんじゃないかなという気がしたんですよ。それはすごく自信とかというのではなく呼ばれるものだというふうに思っていたので何かびっくりしていないですよね。で瞬間をスポットライトが来ますから
「あなたの心の中にはこれで就職が決まったと。
≪やっと決まったという。
「タレントになるのがうれしいとかではなくては就職が決まったという感じで。就職が決まったらあなたには目的があってお父様とお母様には家を作ってあげるんだっていうのがあったんですって
≪そうなんです。ずっと夢で家を建ててあげることというのはずっとありまして。ですから早く就職したかったです。
「これで名前が呼ばれてこれで決まり。それでどんどんやるんだという感じがあったからうれしいなと思っている余裕がなかったのかもしれない。
≪あの瞬間からスタートなんですねきっと。
「それとあなたは友達のうちに行ったらお内の中に階段があったので驚いた。
≪そうなんですというのはずっとアパート暮らしだったので外に階段はあるんですけども家の中に階段はなかったので
「友達の家に行ったら家の中に階段があったわけね。でもあの時のあなたをご覧になったホリプロの方たちは何か喜怒哀楽がないねと
≪そうなんです。だからうれしくても笑わないし泣かないし若いんだからもうちょっと感情表現をしなさいと。
「でも女優さんにおなりになってあなたが今やってらっしゃるいろんな役を拝見していると全部拝見しているわけじゃないんですけども時々拝見しているとわりと冷静なクールな役みたいなのが多いですね。
≪多いです。どっちかというときつい女の人の役みたいなのが多いですね。
「それの関係もあると思いますよね。
≪そうですねデビューがボーイッシュなイメージというか男の子ぽい。その延長でずっとどっちかというとかわいいかわいいというよりはいつも顔がぐっと済ましているという。
「あなたはこの時に自分が呼ばれると思ったとおっしゃっていたけども実はこのホリプロのキャラバンはこれは初めてではなかったんですって
≪そうです。これはあの3度目の正直で優勝したんです。
「そうなんですって。他にこんな方はいらっしゃるんですかね私知らないんですけども
≪あまりないと思いますよ。
「いつも1回目2回目はいいところまで行くんですよね。最終まで行くの?
≪そうなんですね初めて受けたときが中学3年生だったんですけどもこのとき北海道の地区予選で最終まで残ったんです。生まれて初めて受けたオーディションで最終まで残ってしまって何を勘違いしたのか私やっぱり向いているんだこの世界に。だからあきらめず次の、結局本戦には漏れたんですが次の年も北海道予選のいいところまで最後までいって。ま代表にはなれなかったんですけども予選のいいところまでいって。最後に高校2年生のときに。
「だから今度は大丈夫かもしれないというのがちょっとあった。それでいよいよ高校2年生で高三まではいらっしゃったんですかお内には
≪いやすぐです。このオーディションが8月だったんですけども1カ月後の9月の終わりには札幌-東京に上京してきました。
「(写真)でも高校2年生ぐらいには見えないというか、かわいいんだけども大人ぽいというか背が高いからかしら。
≪あとを髪型も私癖毛なんですけども髪型がああいう髪型だというせいもあります
「後友達の方は左のお友達の方はお別れという感じがあってあなたはニッコリしてさあやるぞと。あいいうその時にお父様とお母様がくださった手紙。あなたはそれをとても大切にしてらしてかを飛行機の中でお読みになったお手紙があるんですよ。それをちょっとその時にお読みになったんですけども20年前
≪ずっと箱の中に入れたままだったんですね。
「お父さんとお母さんが高校2年生でわが娘を送るときどんなお気持ちなのかということをちょっとご紹介させていただきます。きっとあなたが喜ぶと思いになったんでしょうお母様がとてもかわいい便せんにを書いてくださったんですけどもいいですか読ませていただいて。「逸美を16年間育てられたことはすべての神様仏様に感謝しています。そして逸美どうもありがとう。お父さんとお母さんの手もとからシンデレラのようなお空に向かって立つことは夢のようです。かわいいわが子を育てるのに夢中で気を逸見には重すぎることもあったでしょう。重いことでも乗り越えて生きることのできる逸見なので安心しています。全国の人々にかわいがられる大スターになるには大変苦労もあるでしょうけどもの苦労と思わず感謝の気持ちでがんばって大きくなるんだよ。逸見の生まれた日が23日で今日からはホリプロの方々がご両親になってくださるんだから新たな気持ちで出発してください。寝相が悪いのとよく歯を磨くこと塩水でよくうがいをすることをお父さんとお母さん山菜をもって東京に新婚旅行に行きます。」こういうお手紙いいお手紙ですよね。何かお父様とお母様は新婚旅行に行きますというぐらいいつも仲の良いお二人だったんですって。
≪そうですね。年をとっていくほどに仲が良くなったような。2人きりの生活というのが続きましたしね。
「あなたは一人っ子なんですってね。
≪そうです。ですから私が家を出た形になりますから
「だから本当は寂しい…寂しいのに決まっているのにそうやって送り出した。あなたは昔から歌手になりたかったということがあったのと。とにかくそこにあなたが就職してお父様とお母様にお家を立ててあげなければならないと。それはどのくらいでおうちはどうしました。
≪家はですねまあ立てることはできなかったんですけども買いました。
「そうなんですか。
≪その買う前にですね両親が札幌にいるものですからその両親はずっと2人で相変わらずアパートの生活をしていまして私が二十三、二十四の時に借家なんですけども大きな家の中に階段があるおうちを
「じゃ夢は
≪まだ実現ではないですけどもちょっと近付いたかなって。
「そこがお父様はそこには長くお住みにはならなかった
≪そうですね。引っ越しして約1年もその家にいないまでに病気になってしまって
「そうですってね。お父様がそんなに早く悪くなるなんて考えてもいない。じゃあ随分お父様があなたがいなくなってすぐに病気におなりになったら
≪そうですね本当に見ていただいておわかりだと思うんですけど健康そのものなんですよ。あ本当に風もあまり聞かない人で。くれとかに帰りますよね里帰りしてでいつも空港に父が車で迎えに来てくれるんですけどもその年もいつもその空港のところにいたんですけども私が探さなかったですよ。お父さんきていないのかな?パっとみたらもう一回りも二回りも小さくなった父がそこにいて腰を曲げて手を振っていたんですよ。お父さんどうしたの何て言ったらちょっと風邪をで長く引いているんだって。
「でもそのぐらいのことだと思っていらした。
≪そうなんです。それが年末の話だったんですけどもあまりにもちょっと具合いが悪そうなので私がまだ札幌にいられる間に開けて1月の3日ですか病院に連れていってそこで実は風邪ではなかったと。
「お父様がなくなるのにどのぐらい?
≪それから3カ月で。あのその時はいきなり私も母が実は入院していたんですね。でその母が入院している病院に連れていって診てもらってでちょっと腫瘍が見えますということだったんですね。場所がすい臓ということもあってかなり発見したときにはちょっと
「ずいぶんお父様としては痛いときもあったんでしょうね。
≪我慢してとにかくあのごはんをちゃんと食べてなかったみたいです。男1人ですから。それと仕事の無理ががたたって
「お父様がお亡くなりになったとき何歳
≪父が55です。
「それでお若いときは分からないかもしれないけどもご自分がだんだん少しでもお父様の年に近づくと55なんて思いになるでしょう。
≪そうですね自分が今どんどん近づいて行きますでしょう。するとまだまだ若い。もちろん病気のときの父というのはどんどんどんどん年老いていくんですけども年齢からするとまだまだ若いですよね。
「周りの55歳の方のこと見ていたらであんなに若くて。それでお父様が亡くなったのは13年ぐらい前のことなんですけども。それでそこでお母様がということになるんです。普段あなたは拝見していると本当に元気そうで何か強そうだなという感じがあるんですけども確かにあなたも強くならなければならないことがまあ本当に私もびっくりしたんですけどもやはり精神的に強くないとやっていけなかったんだなと思うんでね。まぁ高校2年生で東京に出てらしてその芸能界の中だけにいらっしゃるのが大変ではなくて、お父さんもお母さんは一人っ子でいらっしゃってね家族が3人だったのにそれが減ってしまうということの辛さというものが間あったんだなと思ってちょっとコマーシャルですけどもそのへんのことお母様のことをうかがわせていただきます。
≪
黒柳「でお父様がお亡くなりになったのでお母様が東京に来る。3人の家族だったのにお父様がいなくなったので。あなたもお仕事がお忙しくなって東京に来てをもらいになったんだと思うんだけとも。そこでお母様が病気におなりになるんですけどもこんなにたくさんの病気が人間が1人の人間がかかれるものかと思うぐらいの病気の数ですよね。
大沢≪あの確かに私が札幌にもまだいる当時から糖尿病とリューマチというのは患っていたんですけどもそれでも本当に東京に来てからはひっきりなしにいろんなところが
「先のあなたの優勝なさったホリプロのタレントスカウトキャラバンの時お母様はとてもお元気そうで。
≪そうですね割とふくよかな感じで。
「でもあなたのお書きになったご本の中でお母様の病気になってこんなにたくさんと思ったんですけどもちょっと紹介させていただきますと。糖尿病性ジュンショウ、白内障、リューマチ性関節炎、心因セイハンノウ、視力極度低下、右大腿骨骨折、左ビザ人工関節、そして顔面神経痛、右目水晶体摘出。こんなことって本当にお優しいあんなに可愛らしいお母様にどうしてこんなに降りかかるだろうとお思いだったでしょうね。
≪小さな体なんですね私と本当に頭ひとつぐらい違う感じで小さいですね。
「それでもお母様元気にしてらしたと思います。でも次々次々お母様とお父様もいなくなったし本当にあれでしょうねあの寂しいというか。でもあなたがいらっしゃったから
≪そうですね。あのもともと私は子供のころから母としょっちゅうけんかをしているんですね。相性が悪いんですよ。で父とはどちらも仲がいいんですけどだから父の取り合いですね。
「ライバルみたいに。
≪ライバルだったんです。でそれで結局一緒に暮らすようになってから口げんかは相変わらず続くんですけども当初1年間ぐらいはぎこちない生活だったんですけどもしばらく離れていたので
「世田谷の方にいらっしゃって。
≪はいそうです。であの間もなくですね母も東京に来るようになってから2年ぐらいしてからですかね念願のお家を
「とうとう立てたの
≪立てはしなかったんですけども
「買ったの。お母様も喜びだったでしょう
≪とにかく母のために1日でも早く家は実現させたいというのはあったし。それまでも借りているお宅だったのであの好きなように母がを家の中とかをさわれないんですね。
「買ったおうちだったら何でもできますものね。でもおかあさまの体がだんだん悪くなってさっきの中にもありましたけどもリューマチなんていたいんでしょうね
≪毎日母の「痛い」という声で目が覚めるんです。
「かわいそうね。それはおかあさまだって若かったわけですからね。でも今お写真がありましたけどもお母さんは植物や何かを植えたりするのが
≪先程でたのはうちのボタンなんですけども。ちょうどこちらが道路になっているのでみなさん見ていってくださって、だから母はわざと見せるように作ったんでしょうね。
「だからお母様は本当にご近所の方とかと仲良くもしてらしたんですけどさっきだんだん目を摘出ということもありましたけどもどんどん目が悪くなって見えなくなっていらっしゃったんですって。それでも何かお菓子の箱とかに何か思いついたものを書いておきになったのね。
≪そうなんです。これは以前から私も見ていたんですけども、というのは母とけんかしますとその私に対することが話にならないので紙に書いて私の部屋が2階なものですから階段の途中においてあるんですよ。そういうことをやっているのを知っていましたがそれが母が亡くなってから大量に出てきまして
「そうなんですこういうふうにこれがお菓子の箱なんですって。仲良く写真なんかもうつったりはしているんですよ。河口湖に行ったときの写真ですなんてね。
≪日記のように書いてあるんですけども。
「夕方ですなんて書いてあって。書いてあるときはとっても良いことなのね、だから本当はお母様も口に出しては言えないようなことは全部そこに書いておきになったんでしょうね。
≪本当に照れるような私をその自分の娘ですけどもほめたりとかその感謝しているとか逸美ありがとうというような言葉は実際その会話としては成り立ってはいないんですけども。こういう書かれたものがたくさん出てきまして。
「だからもちろんケンカしている時だって仲はいいんだけどもお母様亡くなってから本当にありがとうとか本当にそうなんですね読ませていただいたんですけどもそういうのご覧になったらばびっくりなさったでしょう
≪そうです。えーーって。もちろん口げんかはありますけども憎しみ合っているわけではないので仲がいいからこそなんでしょうけどもでも「ありがとう」とかまさか母が私に対して。
「そうですよねこれも逸美ありがとうと書いてありますよね。
≪本当にこれが1つ2つではなく
「しかもこの時目が悪かったといういことで痛いリューマチもあっただろうしいろんなことがあったんだけどもやっぱり書かないではいられないお母様の気持ちだったんでしょうね。
≪そうですね。あと書くことによって自分をきっと奮い立たせるようなみたいなところもあったのではないかと思います。
黒柳「お父様とお母様がうんと仲良くてそのお父様をとりっこするためにあなたとお母様が仲が悪かったぐらいだそうなんですけども、ボーイフレンド見たいな方をお連れになるともうお母様は評判が悪いんですって。
大沢≪そうなんです。そうたくさん連れて行ったわけではないんですけども誰として認めてくれた人はいないですね。何をあの男って帰ってから。ダメって。ですからそれまでは私には早く結婚しなさいとか早く子供をとか言っておいて実際わたし的には真剣におつきあいしている人ですから母に合わせるんですけどもお許しを1度もいただいたことないですね。
「だめなの
≪私1度母にはいったんですけども「お母さんは私にやきもちを焼いているんじゃない?」私にというか彼に。娘を取られるという。そんなことないというんですけども
「でも全部だめだった?
≪全部ダメでした。
「でもあなたは本当に親孝行だと思うのは例えば名古屋で芝居をしていてお母様がだんだん東京のおうちにいらっしゃったりするとおひとりでいらっしゃるから自動車で名古屋の芝居が終わってから電車がないですからお帰りになって。それでお風呂に入れて
≪そうなんです。本当はいけないことなんですよね。舞台をやってらっしゃる方ですと本当に実は内緒で。朝の新幹線じゃ怖いしもちろん車も何があるかわからないんですけどもでもそこだけちょっと古ソリと。あ
「お風呂にお母様を入れただけでまた車に乗って名古屋に帰るというようなそういう生活とかあとは仕事をしていらっしゃってお母様からいきなり「救急車救急車」とだけ入って切れちゃうような時もあったり。
≪これから舞台に出なきゃという時に電話が。もう何を言っているかとわからないですね。言葉にならないけいれんをちょっと起こしていたものですから母が。「きゅ・・きゅ・・・」と言っているんですけども救急車を呼びたいけども多分呼べないだろうというので私の方から救急センターに電話をして
「近所の方にお願いしたりいろんな方に
≪そのとき私は名古屋ですから。あとはお願いします。
「あなたにしては残念ながらお母様はお亡くなりになったんですけどもまあやれるだけのことはやったという
≪はい。勿論まだまだやってあげたいことはたくさんあるのは正直。
「本当のこと言うとこんなお話しを伺うのはとてもつらいのはお母様が亡くなってからまだ1年たっていないのね。
≪経ってないです
「それを押し隠してまあこういうお仕事を皆さんニコニコしてやらなければならないのはお辛いうことだと思うけども。まあ仕事があるから逆に救われる。少しはいいかもしれないけどね。だからあなたお一人になっちゃったんですてね。
≪そうなんです。そこを1番自分で恐れていてもちろんお友達ですとか回りにその応援してくれる方もいますけども、その身内という意味では1人になってしまって私やっていけるのかなと1番不安だったんですけども確かに母が亡くなってしばらくしてからすごく落ち込みがひどかったんですけども何とか今ここまで
黒柳「まあ今をお話があったようにお母様が亡くなってからまだ1年にもならないんだけれどもしょっちゅうけんかしてらっしゃった。お母さんは本当はあなたにありがとうと感謝してらっしゃる。お母さんが亡くなるときに遺言のようなものを書いてあったんですって
大沢≪そうです。それも後に出てきたんですけども
「それもあとで。
≪そうです
「全部後なの。じゃお母様は元気なときは絶対に見せまいとどこかにしまって。それにはありがとう。お父さんと逸美に人間の幸せをたくさんいただき心から感謝して今は最高の幸せです。そして改めて逸美の素晴らしい明るい家庭と仕事とお付き合いするお人との人生であることお守りいたします。というふうにあったのでその時はおかあさま前は全然どの方も気にいらなかったのよ。これから先のあなたの人生の男の人は自分で見つけて。
≪そうなんです。だから今までは多分両親に支えられてきたのでこれからは自分の足で歩きなさいと。そういうふうに母は。
「まあご両親はきっと見守って今日も見てくださると思います。
≪もう多分喜んでいます。
「ですからすてきなく方にお会いすると思いますけども。「お母さんごめんね」という本を大沢逸美さん書いてらっしゃいます。まお辛いお話こんなにお若いのにと思いますけども本当にあなたの人生だと思います。がんばってください
≪ありがとうございます
「頑張ってください
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-3-5.html
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|2007(平成19)年 3月 5日(月) 野原重明 |第回
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黒柳「95歳現役のお医者さまでいらっしゃいます日野原重明さんよくいらしてくださいました。
日野原@しばらくですね
「本当にお元気で。なんと言ってもお忙しいといえば現役のお医者さまですから。それと執筆活動。いろんなところへ行ってお話しをしてらっしゃる子供帆帆へもお話ししてらっしゃるそれと週一回は徹夜
@そうですね特に外国へ出張した後はどうしても徹夜
「旅行もお一人でいらっしゃるんですってね。みんなが心配だといいますけども全然平気で。回りの方も全然95歳だとは思いにならないでしょうからね。すごいですね。
@85歳になるまでは電車に乗ってもどうぞと言われたことがなかったんですよ。でもテレビに出だしてからどうぞといわれるようになった。
「(笑)85歳までは若い方だと思われていたんですね。
@そうそう。
「でも今だと95歳でソフトボールをやってらっしゃるとは思えませんからで。80歳が過ぎてから仕事のスピードも上がってきた。
@上がってきた。80歳の時に聖路加病院が新しく立ってから院長をやったんですよ。
「そうですよねあの時はボランティアをやってらしたんですよね。サリンのときもいらっしゃいました。
@640人を1度に入院
「それから年男
@イノシシ年です。8回目。を9回目になると100歳を超えますからね。
「100超えると思っているでしょう。でも凄いのがと耳を全然遠いとかそうこともないですね。何か気を付けれらっしゃることは
@いや自然ですね。虫歯はたくさんありましたけども昔は子供は。それは虫歯の治療はすれば。
「食べ物も何か気をつけてらっしゃるんですか。
@でもわりと小食ですね。お餅を食べるとすぐに太ってしまうんですよ。自分でダイエットをしていた中学生の時から。今はなれて。
「そうですか大食いはよくないですね。私も大食いなものですから。気をつけないといけないと思いながら。
@半分は遺伝ですよ。食べても太らないやせの大食いとちょっと食べると太る。私もそうですけども。
「太らなかったので食べたままでずっと来てしまいましたけども。年をとると太る可能性があるので気をつけないと。でも先生は人がエスカレーターに乗っているときエスカレーターにならないですね。
@自分ひとりのときはエスカレーターにのらないでエスカレーターに乗っている人を追い越すですよ。それから空港の動くベルトを。
「歩く歩道
@乗っている人を追い抜くんですからね。息が切れるんですよ。それで追い抜くとやったなと。
「(笑)普通歩く歩道は歩いている人よりも早いんですよね。
@それを追い越すんですからね。
「そのやったなという気持ちがいいのかもしれませんね。そういう達成感。徹夜をしたときも達成感があるんですってね。私は100までこういう仕事をしたいと言っておりますので先生がい役まで仕事をしたいのならばこういうふうにすればどうだと
@そのコツをね。それを持ってきました。
「ひとつ新しく何かを始めるこれはどういうことで
@やったことがないことやる。ですからですね私も絵をずっと書いたことがないけれどもこの間からちょっと描き出した。なんでもいいですよボランティアのことでも。やったことがないからできないだけでやればできる。
「私昔からハードルの選手になりたかったんですけども。ああいうのは今からでもいいですかね。
@やると足が挙がるようになりますよ。人の前で話をするときに講壇の上に足を上げると子供たちがびっくりしますよ。かっこいいなと思って。時時やっているんですよ
「すごいですね。新しいことを始めるというのは肉体的と精神的なもので
@両方。頭でやったことがないからといってやめるのではなくてやったことがないからやろうとやってみると。
「やったことないこと始める
@そうすると自分が開発されてああそうだと。
「じゃあ何か皆様新しいことを今から始める。それを職業にするとかそういうことではなくて。職業になればいいですけどね。それから次にですね子供や若者と接する
@これは若い子供からエネルギーをもらう。私はよくでどうして若いなというと子供の友達になる。その代わり子供の言葉も使わないとね。切れるとかNowいとか言われても何の言葉だと。子供と。あなたは割と早口ですね。若い人は早いですよ。若い人と話すときは早口で。そういうふうにするとなんとなくね。それから若い人は冒険心があるでしょうそれがいいんですよ。
「そういうことで若い人から子供たちと付き合うようにしてあのを葉すばしっこさについていくのは大変ですものね。
@そうですね行動を早くしていかないと危なくてしょうがない
「だからこのごろ老人ホームと幼稚園を同じにしているところも多いんですよね。
@2つ3つ同じことをするんですよ年をとるとひとつしかできない。子供についていくというのは大変ですよ。
「それから3つ目歯切れのよい早口を続ける。
@それはもうあなたがずっとやっておられるからこのままいけばいいんですよ。
「やはり早口でしゃべった方がいいですかね。
@そうですね。非常に年配だったら少しスローダウンしないとわからないから相手次第。発音が鈍ってきて本もそうするんですよ老人臭くなる。
「歯切れよく。年をとるとだんだん歯切れ悪くなりますよね。
@だからで歌を歌う人は歯切れがいいですよ。
「そうですね。先生この間にミュージカルもやってらっしゃいましたよね。みんなしゃべるときにそんなに早くはないけれども歯切れがいいですよね歌手の皆さんは。その次がこれは難問だと思いいますよラの音で話す。
@年をとると声がどんどんどんどん低くなる。あなた昔バイオリンよう弾いていたいでしょう
「いえいえ弾いてないです歌ですね。
@オーケストラの時にコンサートマスターが来て調子合わせするでしょう。だから人と話をするときにお帰りとかドでいくと何かボソボソするんですよ。おかえりなさいはラの音。孫やひ孫が来るとそういう音が出る。主人が帰ってくるときはお帰りとか。
「どこ行くのって。それからもうひとつはラリルレロというのは口を閉めたままでアイウエオとかカキクケコとかサシスセソは言えるんですけどもラリルレロは言えないのでちゃんと言わないと。気分も高揚してきますよね。みなさんがんばってラの音で。次5つ目。愛することを忘れない。
@これが1番大切ですよ。やはり愛がないとね本当に若さもないし充実した充実感もないですよね。愛することと愛されることの両方。上手に。
「先生はどうしてらっしゃるんですか
@私もつとめていますよ。
「それからやはり愛というものは愛の対象物があればわいてくるものなんですね。
@でもだんだん年だからと自分でブレーキをかける人が。年は関係ないですよ。
「人のことも愛する子供のことも愛する。努力して愛を忘れない。できれば愛されることもいいけども愛することが。あれは本当に不思議とわいてくるなんですよね愛するものがあれば。
@人間関係はどうしてもね。
「良い人間関係をつくるということですよね。こういうことをやっていけば100まで仕事をできる。
@あとは定期的に人間ドックのような検査を受ける。
「それをやっています。脳も。この間もいいよと言われたばかりですよ。ちょっと嬉しくなったんですけども。このごろ年になると脳梗塞とかいう病気もあるのでちょっと。
@あまりねすごいレントゲンでペットスキャンというのがあるんですよね。誰でも私たちの年齢になると脳梗塞があるんですよ。それを見ると自分でもちょっと嫌になるからそれは僕は受けない。受けたってしょうがないから。
「そんなに小さい脳梗塞というのはあるんですか。
@だから話をするとか視力などの中枢の脳がやられると障害がありますけどもその間はたくさんあるんですから少し点々とおこってもいいんですがあまりドクターに言われると気になるでしょう。
「ペットスキャンというのは非常に専門的なやつですよね。普通のMRIとかでやればいいんですよね。それから少し小食にして
@それからお腹の腹囲が85センチ以上にならないように気をつける。
「男の方ですよね女はもう少し小さいからは。
@女の方はいいんですよ。女性は少し脂肪がある方がいいんですよ。できれば30歳ぐらいのときの体系が1番いいんですよ。
「私も25歳で成長が止まるのでそこまでの体形を維持していくといいと聞いたんですよ。からだが全部25歳のところに作られているので。どうしても25歳よりは太るんですよね。
@どうしても太るのでそれは食事であまり甘いものを食べ過ぎずに。でんぷん質を取り過ぎないとか。
「それは気をつけて25歳の体形を保つように気をつける。では頑張りましょう。まだ番組が続きますけどもちょっとコマーシャル。先生はこの間ラクダに乗ってどこで
@トルコで
「この年でラクダというのも乗るのは大変なんですよね。
@ラクダに乗ったときに万歳をやったんですよそうしたら怒られて
「つかそれまらないと危ない。万里の長城これも学会でいらっしゃったんですか。
@1回も上ったことがないからね。1段1段が高くてもどの中国の人は背が高くて。
「それからなんと言っても昔からの念願でシュバイツァー博士のアフリカ
@ガボンという共和国でアフリカの赤道直下で。そして首都から250キロ南へ行くと町があるんですよシュバイツァーが今から60年も前にこのパイプオルガンの研究者ゲーテの研究を辞めてまですばらしいボランティアの仕事をしたね。
「でも医者になろうというのも小さいころにシュバイツァー博士に
@そうですよあこがれたんですよね私が医学生の時に結核を病んだので等々外に行くことができなかったのででも生きている間にいきたいと思って行きましたがまたもっと働いてみようという気持ちがわいてきました。
「まだそのまま家は残ってるんですか
@残っているんですね古いピアノがありましたが触ってみるとさびついていて弾けもしない。
「みんなあこがれはしますけどもなかなかガボン共和国までは行ってみようとはみんなが思わない。私もユニセフでガボンという国は行っていないんですよ子供が私を必要としないので行ったことはないので1度行ってみたいと思いますけども。
@それからね赤道直下だからずっと常夏でしょう。大きな木を見ると年輪がないんですよ。夏とか冬とかあるんと年輪があるんですけども。それを伐採して輸出しているんですよそのうち緑が不足して問題になりそうですよ。
「日野原先生の元気の秘密。それには1つにうつぶせ寝というのがあって先生はずっとうつぶせでねてらっしゃる。
@そうです。3つの枕を使いまして薄い薄い羽根が入っている枕と。おなかのところに大きな枕その上になるようにして両ひざを。
「やはりこういうものがないと平らにねたのでは痛いですよね。
@本当にリラックスする。
「顔は斜めに向けるんですかね
@ちょっと斜めに向ける。
「でも肩凝りが治ると。
@肩こりは治るし腰の痛みも治るし寝付きも早い。だから脊椎動物はね犬でも牛でも馬でも全部あるでしょう足を折って休むけども下向きでしょう。いびきをかかない。不眠症ではない。くちが乾かない夜中に水を飲まなくてもいない。だからこれが1番自然ですよ。
「私上向けでまくらなしでまった平になってねてるんですけども。その先生はおかしいんですけども明日に考えようすべては明日だというスカーレットオハラの生き方が好きなのでこの枕の名前はオハラ枕というんですよね。
@それでこの腹式だと腹式呼吸になってしまうんです。普通TVで呼吸を指導しますよねなかなか難しいんですよ。特に女性は。ただうつ向けにすると胸がちょっとを圧迫されておなかで息を吸ってしまう。
「慣れるまでこれは時間がかかりませんか
@1月か1月半ぐらい。目が覚めると上を向いているから
「これは顔にシワが出来ませんかね。
@できないですよ。ちゃんとやれば大丈夫。
「ああいう枕があればね。なるべくうつぶせ寝にすると。赤ちゃんはうつぶせで寝ていますよね。
@よく窒息をするというのは子供には気をつければいいけども大人にはそういうことはないしたいてい結婚してまもなくご主人がいびきで別室で寝るというのを私が教えたらその日から一緒に休めることになりました。いびきがなくなってそして太った人で呼吸が止まる。無呼吸。これもなくなるね。それからせきやたんが多い人ぜんそくや発作で苦しい人いるんですがにうつ向けにすると逆にたんが出てやってみるとわかる。
「やってみることですねうつぶせ寝。皆さんお試しを慣れるまでに1カ月半ぐらいはかかるみたいですけども先生ずっとやってらっしゃる。
@やっていますよ
「お医者さまがそうおっしゃるんですからね。先生は小さい子供にもいろいろお話しをしてらっしゃるいわゆる講演をされているんですけどもいろんな感想文とにかく時間は人のために使うことと教えてらっしゃる。
@命というのは君たちが持っている時間が君たちの命。時間が君の命。
「命のお話しという子供たちがわかるような本を。それからいのちの授業という大人が読んでも面白いいろんなことがわかるという自分に与えられた時間それはやはり人のために使う時間を。
@時間があなたの持っている時間があなたの寿命あなたの命。あなたが使いたいように使えるものそれがあなたの命だと分かるんですよね。
「命がどういうものかということがね。先生はそうやってずっと
@45分の授業で北海道から九州まであちこちいろんな公立もあるし私立もあるしそうしますと10歳ぐらいの子供が分かってくれる。日本の10歳の子供は成長しているでしょうただでそれから先がモデルが悪いから中学生や高校生や大学生がいろいろなおじいさんまでも。だからいいモデル。私たちも年をとったものは子供が見てああなりたいな。今イチロー選手がスポーツが好きなヒーローでしょう。ああいうふうな人物がいないと。
「ああいうふうになりたいと。
@そうそうそうそう。ああいうふうになりたいというものがあれば自分に求める。
「いいモデルが必要。確かにそうだと思いますよね。小さい時にああいうふうになりたいという人がいましたよね。
@先生とか幼稚園の先生とかよくパン屋さんになるとか。
「なりたいという人がいましたで。今はだんだん少なくなってきているから。やはり大人が子供に尊敬されるというかああいう人になりたいというとにかく元気でということですよね。先生今日はありがとうございましたまたどうもありがとうございました。
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デビュー40周年・小泉今日子の素顔を徹子&YOU&本木雅弘が証言 『NHK MUSIC SPECIAL』
‡2022(令和四)年03月05日(土) 18:00 クランクイン!
2022(令和四)年03月10日(日)放送『NHK MUSIC SPECIAL 小泉今日子』
今年デビュー40周年を迎えた小泉今日子が、3月10日放送の『NHK MUSIC SPECIAL』(NHK総合)に登場。レッツゴーヤング、紅白歌合戦などNHKに残された貴重映像が紹介されるほか、黒柳徹子、YOU、本木雅弘の証言で「スーパーアイドル」の素顔に迫る。デビュー40周年を迎えた今年、実に31年ぶりの全国ホールツアーを開催するなど本格的に音楽活動を復活させたキョンキョンが、番組のためにスタジオライブを開催。ファンの青春を彩ったベストヒットナンバーをお届け。1982年に16歳でデビューして以来、それまでのアイドル像を打ち破り、新しくて唯一無二な稀代のアイドル像を打ち立てた彼女が出演したレッツゴーヤング、紅白歌合戦など、時代とともに変化したスーパーアイドル・キョンキョンの軌跡もたっぷりと紹介する。さらに『ザ・ベストテン』(TBS系)で日本のアイドルを見守ってきた黒柳徹子は、小泉今日子の何が特別だったのかを語るほか、シブがき隊で彼女と同年にデビューし、ともに時代を駆け抜けた同期・本木雅弘は、人生の節目節目で小泉今日子に受けた刺激を語る。そして同世代でプライベートでも親交のあるYOUが、小今日子の素顔を明かす。『NHK MUSIC SPECIAL 小泉今日子』はNHK総合にて3月10日22時30分放送。
【動画】小泉今日子 31年ぶりの全国ホールツアーTOUR 2022 KKPP トレーラー
【写真】石田ひかり、憧れすぎの“小泉今日子センパイ”を撮影 ネット「緊張が伝わります」
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