┏━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BEATLES Ⅳ』 ┃THE BEATLES
┗━━━━━━━━━━━━┛
‡1965(昭和40)年06月14日(mon) US Released
1970(昭和45)年09月25日(fri) JP released
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http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/US_LP/BEATLES_VI.html
http://www.beatlesebooks.com/beatles-vi
https://en.wikipedia.org/wiki/Beatles_VI
米Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_mo2.html##7-1
米Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_st2.html##7-1
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/emi_lp_eas2.html##21
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc one (CD1)
◎LP A-side (Record Disc 1)
03."I'm Down" (Take 1)
‡1965(昭和40)年06月14日(mon) EMI Studios 2:53
07."Yesterday" (Take 1)
‡1965(昭和40)年06月14日(mon) EMI Studios 2:34
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY HIGHLIGHTS』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡2011(平成23)年6月14日(tue) Released 23曲 ⇒ 1時間09分
01 Free As A Bird (Anthology 1 Version) 4:25
02 One After 909 (Anthology 1 Version / Complete) 2:55
03 That Means A Lot (Anthology 2 Version) 2:26
04 Leave My Kitten Alone (Anthology 1 Version) 2:55
05 If You've Got Trouble (Anthology 2 Version) 2:48
06 Can't Buy Me Love (Anthology 1 Version) 2:10
07 Mr Moonlight (Anthology 1 Version) 2:47
08 Kansas City / Hey-Hey-Hey-Hey! (Anthology 1 Version / Medley) 2:45
09 Eight Days A Week (Anthology 1 Version / Complete) 2:48
10 I'm Looking Through You (Anthology 2 Version) 2:53
11 Yesterday (Anthology 2 Version) 2:33
12 Tomorrow Never Knows (Take 1 / Anthology 2 Version) 3:14
13 Strawberry Fields Forever (Take 1 / Anthology 2 Version) 2:34
14 Across The Universe (Take 2 / Anthology 2 Version) 3:29
15 Something (Anthology 3 Version) 3:19
16 Not Guilty (Anthology 3 Version) 3:22
17 Octopus's Garden (Anthology 3 Version) 2:49
18 All Things Must Pass (Anthology 3 Version) 3:04
19 Come And Get It (Anthology 3 Version) 2:30
20 Good Night (Anthology 3 Version) 2:38
21 While My Guitar Gently Weeps (Anthology 3 Version) 3:27
22 The Long And Winding Road (Anthology 3 Version) 3:42
23 Real Love (Anthology 2 Version) 3:55
(C) This Compilation 2011 Apple Corps Ltd. / Calderstone Productions Limited (a division of Universal Music Group) c 2011 Apple Corps Ltd
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDM46
https://music.amazon.co.jp/albums/B07JYKSJXY
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTF6XBC
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1961(昭和36)年06月14日(水) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (75日目)
7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
1961(昭和36)年11月10日 24日
1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
1962(昭和37)年03月02日
1962(昭和37)年04月06日
1962(昭和37)年06月21日 29日
1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
1962(昭和37)年08月17日
1962(昭和37)年09月14日 21日
1962(昭和37)年10月12日
1962(昭和37)年11月23日
1962(昭和37)年12月01日 07日
‡1963(昭和38)年06月14日
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①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
┃ THE BEATLES HISTORY ┃| June 14|165
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃|6月14日|
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1960(昭和35)年06月14日(火) ドラムのトミー・ムーアが脱退してしまったために、しばらくはドラマー無しでステージに立つ。
1961(昭和36)年06月14日(水) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
1962(昭和37)年06月14日(木) 地元リヴァプールのトップバンドに成長したビートルズ。この日はオフ日。
1963(昭和38)年06月14日(金) ワラシーにある「タワー・ボールルーム」最後の出演。NEMSエンタープライズ主催の「マージー・ビート・ショーケース」という恒例のショー。ビートルマニアが生まれつつある時期で、センセーショナルなショーとなった。しかし出演契約は春に行われたので、ばかばかしくなるような出演料であった。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17033
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0614.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15744245.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる 朝日文庫
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛ 2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.20 P.114 1965年06月14日「名曲は落とし物?」◎♪Yesterday♪レコーディング開始日◎
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
┌─――――――――――――┐
‡|1965(昭和40)年 6月14日(月)|「名曲は落とし物?」
‡|2008(平成20)年 6月14日(土)|甲虫日記更新日 No.026
└─――――――――――――┘
学校の教科書に登場するずっと前の時代から、「イエスタディ」は特別な曲だった。弦楽四重奏をバックにしたこの美しいバラードは、ロック嫌いの大人も黙らせるキラー光線になった。
ビートルズの曲のなかで、最も多くのカバー・バージョンが生まれている。3000種類を上回るという。カバーしたアーティストは、フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、トム・ジョーンズ、シュープリームス、マーヴィン・ゲイらと非常に幅広い。米国での放送回数は700万回以上だそうだ。約2分の曲が27年間もノン・ストップで流された計算になる。
解散後もポールの十八番だった。中学生のとき、1975年11月のウイングス豪州公演の模様をテレビの録画番組で見た。ショーの中盤、バンドのメンバーは一旦下がって舞台にはポール1人が残る。アコースティック・ギターを抱えたポールが「アイブ・ジャスト・シーン・ア・フェイス」「ブラックバード」とビートルズ・ナンバーを続けると、会場は「いよいよ」と期待で高まる。イエスタディのイントロをつま弾く。悲鳴にも似た歓声。それなのにポールが歌い出したのは、豪州の愛国歌「ワルチング・マチルダ」。会場はどっと沸き、一拍おいてから、お約束のバラードが始まる。この展開に誰もが満足したものだ。
この曲のレコーディングは1965年6月14日に始まっている。だが、ポールがこのメロディに着想したのは63年暮れのある朝とされる。そのとき、ポールは恋人ジェーン・アッシャーのロンドンの自宅にいた。
「ぼくはこの曲を夢の中で聴いていたんだろう。ベッドを転がり出ると、ピアノのキーに手を乗せた。頭の中でメロディができていたのさ。全部ができあがっていた。完璧な形で。あんまり簡単に浮かんできたもんだから、本当に自分がつくったとは思えなかった」
以前どこかで聴いたメロディが頭の中に残っていて、無意識のうちにできてしまったのではないか。あるいは他人の曲とは知らずに盗作しているのではないか、と気になって仕方がなかったという。
「それで何週間か、みんなの前でその歌のコードを口笛で吹いて聴かせ訊いてみた。『これ、なんかの曲に似ていないかい? ぼくがつくったとおもうんだけど』ってね。でもみんなこういったよ。『いいや、聴いたことないね。でもいい曲じゃないか』」
65年春、ビートルズ主演映画「HELP! (4人はアイドル)」の撮影中、ポールはピアノで繰り返しこのメロディを弾き、監督のリチャード・レスターを閉口させた。あまりにも完璧な出来映えに、ポール自身が戸惑っていたようだ。
「最後には、落とし物を警察に届けた時みたいな感じになった。これだけ待っても持ち主が名乗り出ないなら、自分のものにしても構わないだろうって、ことだ」
ジョージ・マーティンが初めて聴いたのは、かなり前の64年1月、パリのジョルジュ・サンク・ホテルだった。
「ポールはScrambled Eggという仮題で呼んでいたが、何か一語のタイトルをつけたくてYesterdayはどうかと思っているけれど、メロドラマっぽいかな、と言っていた。私は、そんなことない、大丈夫だと言って聞かせた」
ポールの背中を押したマーティンは、弦楽四重奏の導入をポールに勧めた。2人ともアコースティック・ギターだけでは物足りないと感じていた。スコアはポールとの共同作業で書き上げられた。マーティンは、この曲のレコーディングはメンバー全員ではなく、ポールのソロで行くべきだとも提案した。実際にそうなったことが当時のポップ・ファンを驚かせた。マスコミは、「イエスタディ」はビートルズ脱退を計画しているポールが、ソロ・キャリアを構築するための一歩だ、と騒ぎ立てた。
メンバー間にもちょっとしたぎくしゃくはあったようだ。65年8月、英国のABCテレビのバラエティ・ショー「ブラックプール・ナイト・アウト」に4人は生出演している。本番前、ポールが「イエスタディ」のリハーサルを終えると、ジョンはその場にいた誰にも聞こえるような大声で、はっきり皮肉とわかるコメントをしたのを、当時のファン雑誌の編集スタッフが目撃している。その後2人は控え室で激しい口論を繰り広げたという。
番組放送中に「イエスタディ」の曲紹介をしたジョージは、「次の曲は、僕たちが今までに一度もやったことのないタイプのものです。新しいアルバムからの1曲で、タイトルは『Yesterday』。リバプールのポール・マッカートニーにチャンス到来です」と皮肉ってみせた。
同月、通算5枚目のオリジナル・アルバム「HELP!」が発売されたが、B面6曲目という地味な扱いだった。米国では4週間連続でシングル・チャートの首位になったが、英国ではグループの活動期間中にシングル・カットされることはなかった。グループ内に亀裂を生じさせないため、何らかの配慮があったと考えても不思議ではない。
ジョンは、自分の曲だったら良かったと思ったことは一度もない、と断言していた。歌詞にも難癖をつけている。
「全体的にみてみると、何も言っていない。何がどうなったかわからない。彼女が去って行って、彼はそれが昨日だったらよかったのにって思うわけでさ。それだけじゃ、本当は何の解決にもなっていない」
しかし、恋愛が理詰めで解決するはずがない。多くのリスナーは、この歌詞の曖昧さを支持している。
◎『この日のビートルズ』の次回は、6月26日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ アルバム「HELP!」はビートルズの主演映画のサントラ盤。収録曲のなかではジョンの「ヘルプ」、ポールの「イエスタデイ」が有名。また、ジョージの曲が2曲取りあげられている。
『4人はアイドル』(HELP!)
1998年3月11日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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|1964(昭和39)年 6月 3日(水)|「11日間の名声と栄光」
|2010(平成22)年 6月 3日(木)|甲虫日記更新日 No.075
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‡1964(昭和39)年6月14日(日) アデレードに次ぐ豪州で2番目の公演地、メルボルンでリンゴは一行と合流した。世界的なスターが南半球の国を訪れたのは初めての出来事だった。ファンの熱狂ぶりはすさまじく、軍隊が出動したほどだった。その日、ホテル周辺に詰めかけたファンをなだめるため、5人のビートルズは1階のバルコニーにそろって姿を見せ、記者会見も開いた。これがビートルズの一員として、ニコルの最後の仕事になった。
ビートルズに初めて会ってから12日後、再び無名の人に戻った。帰国するニコルを空港まで見送ったエプスタインは、500ポンドの小切手と金時計を渡して労をねぎらった。だが、ニコルはビートルズに「さよなら」は言わなかった。「みんなまだ寝ていた。邪魔しちゃ悪いと思って」
帰国後、ニコルはビートルズでいることの過酷さをインタビューで告白している。
「どの瞬間も楽しかったけど、ビートルズには二度となりたくない。彼らは、飛行機やホテルの一室、控室といった狭い場所で生活している。僕には耐えられません」
「ただ1人の部外者としてグループのなかに入っていった。ジョン、ポール、ジョージは初めから歓迎してくれているような気がした。でも、おかしなことに僕は侵入者のような気分だった。まるで世界で一番排他的なクラブにまぎれ込んだみたいだったよ」
「彼らには独特な雰囲気、彼らだけのユーモア感覚を持っている。ちょっとした派閥みたいなもので、よそものが割り込むことはできないんだ」
わずかな日数だったが、ニコルは名声と栄光を手にした。誰もが一晩30ポンドや40ポンドの安いギャラしか稼げない生活から抜け出せる、と言った。だが、ヒット作に恵まれず、目立った仕事といえば、皮肉にも病気になったデイブ・クラークの代役を務めたことぐらい。1年もたたないうちに、4066ポンドの負債を抱えて自己破産した。生活費を稼ぐため、ドラム・スティックをペンキ用のはけに持ち替えるはめになったのだ。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/071026.html
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音源◆矢沢永吉(えーちゃん)ヒストリー②ビートルズにしびれた話 https://youtu.be/UL679B1ob0E?list=PL-x3yYkRpVgOyKxVbZzamg1j9u6ECLZYS
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┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1964(昭和39)年6月14日(日)
‡No.037(21) 1964-06-14(sun) Starr / Sydney, Australia (3 photos) Interview with Ringo and Brian Epstein, downunder at Sydney Airport.
Ringo Starr Interview: Sydney Australia 6/14/1964
Leaving for Australia from London Airport on June 12th(fri), Ringo was very briefly interviewed by ITN-TV. When asked about his hospital stay, Ringo stated: "It was a drag laying there and watching the boys when they arrived in Holland... wondering what you're doing away from them."
②━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1964(昭和39)年6月14日(日)
‡No.038(22) 1964-06-14(sun) Beatles / Melbourne, Australia (2 photos) A FIVE Beatle press conference and interview at the Southern Cross Hotel.
Beatles Press Conference & Interview: Melbourne Australia 6/14/1964
③━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1964(昭和39)年6月12日(金)
No.036(20) 1964-06-12(fri) Beatles / Adelaide, Australia (4 photos) Beatles Adelaide press conference at the South Australia Hotel.
Beatles Press Conference: Adelaide, Australia 6/12/1964
Ringo would rejoin the group in Melbourne on ●June 14th(sun). His tonsils would later be removed in December
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①http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0614.beatles.html
②http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0614b.beatles.html
③http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0612.beatles.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ THE BEATLES TV Appearance Photos Quick-Reference Guide 1962-1970 ┃
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‡(sat)14 June 1969『The David Frost Show』(interview)
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http://www.beatlesource.com/TV/index.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1961 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡mid 1961 The Grapes, Liverpool
circa Spring 1961 The Grapes Matthew Street Liverpool
Photographer: unknown
Pete told me this was at The Grapes. Otherwise, I wouldn't have been able to tell. I've dated it Spring 1961 because of the hair styles. The Grapes was across the street from The Cavernand this time period was when The Beatles began playing regular gigs at The Cavern.
写真◆This photo is typically shown reversed. Even today, it hangs on the wall at The Grapes, beside what is referred to as "The Royal Table", as a reversed image. See the contemporary photo below which illustrates this.
写真◆Photo courtesy Steve Petricia
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http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.06.xx%20grapes/61.06.xxgrapes.html
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┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(wed)14 June 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.05 (fri)14 June 1963 New Brighton, England, Tower Ballroom
7:30pm, 11:30pm. Concert at the New Brighton Tower, Liverpool, with Gerry and the Pacemakers, plus 5 support groups
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┃ Late 1963 Concert Reference Guide ┃
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‡写真◆June 14 The Tower Ballroom, New Brighton
Note・・・It is planned to continue The Savage Young Beatles through to the end of 1963. However, this will focus only, as was the original intention of the site, on "performances". This page is simply both a preview and a quick-reference to date and venue of The Beatles' concert performances through the rest of 1963. For 1963 television appearances, see here Radio appearances will be forthcoming. What this page is NOT...At this point, unlike the rest of The Savage Young Beatles... - Photographers are not named. That will be added later. - There are no enlargement links. - These are not all the photos I have but all dates are represented - These are not intended to be the best quality or most complete photos - The layout is not as concise as the rest of this site MANY thanks to Marcelo Ravello for his considerable help with this page. An additional thanks to Jules, Grinch, Murray15 and Trini.
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http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.zz.zz/63.xx.xxConcerts.html
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┃ 『A Talent For Loving』 ┃‡1965.6.14(mon)
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『A Talent For Loving』を映画化する計画が打ち切られたことが発表されました。
It is announced that plans to film『A Talent For Loving』have been dropped.
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┛THE BEATLES 1965 Recording Sessions ┛Studio 2
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①┃ ♪I've Just Seen a Face (夢の人)♪ ┃takes 1-6
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。この日に録音されたのは「イエスタデイ」そして「アイム・ダウン」とまさにポールの為の一日であった。ジョン(J-160E)とポール(エピフォン・テキサン)、そしてジョージ(フラマス12弦)のアコースティックギターとリンゴによるブラシによりスネアドラムで構成されており、それにギターのボディーを叩く音、とマラカスがオーバーダビングされている。全部で6テイク録音されて、第6テイクが収録された
┏━━━━━━━━┓
②┃ ♪I'm Down♪ ┃takes 1-7
┗━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオ。5枚目のアルバム『HELP!』のセッション中の事である。この日ビートルズはまず「夢の人」をレコーディングしてから、この曲のレコーディングに挑んだ。まずリズムトラックを7テイク録音し、第7テイクにコーラス、ヴォーカル、ギター、パーカッションをオーバーダブしてこの曲を仕上げている。なお、この曲の後に録音されたのは、あの「イエスタデイ」である。ポールの喉の強さには呆れるばかりである。
Note・・・『The Beatles Anthology 2』に第1テイクが収録されている。ポールは第1テイクから気合いを入れて歌っている事がこのテイクを聞いてもわかるwジョンはオルガンを弾き、ジョージはたどたどしく曲を探るようにギターを弾いている。曲が終わってから「Plastic Soul man,Plastic Soul」とポールがつぶやいているが、これが次のアルバム「ラバー・ソウル」のアルバム名のきっかけになった。これは「まがい物のソウル」というポールのジョークで、アメリカの黒人音楽に近づこうと努力するイギリスの白人(つまり自分たちを含めたブリティッシュロック勢)を皮肉ったもの。しかし、それこそがブリティッシュ・ロックの創世記の魅力だと思うんだがどうだろう
Note・・・During ♪I'm Down♪ sessions Paul frequently repeats "Plastic soul, man, plastic soul", revealing it as a negro musicians' sentence to refer to Mick Jagger.
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┛THE BEATLES 1965 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7.00-10.00pm
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③┃ ♪Yesterday♪ ┃takes 1-2
┗━━━━━━━━━┛No.1 ■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。この日に録音されたのは「夢の人」そして「アイム・ダウン」とまさにポールの為の一日であった。ポールが1音下げチューニングのアコースティックギター(テキサン)で2テイク歌い、2テイク目にストリングスがオーバーダビングされた。ストリングスのオーバーダビングの際に、ポールはもう一度ヴォーカルを録音しなおした(1回目のSomething wrong~の部分か?)そうだが、ヘッドフォンを使わなかったためにモニタースピーカーの音が紛れ込んでしまってダブルトラックの様に聞こえてしまっている、と「ビートルズ・レコーディング・セッション」には書かれている。・・・・しかし、歌い終わりの語尾の部分が明らかにズレているので、これはこの部分だけにヴォーカルを重ねた(つまりダブルトラック)んじゃないか、と推測する。ちなみにポールはこの曲を、「アイム・ダウン」を張り裂けんばかりの声で歌ったすぐ後に録音している
Note・・・『The Beatles Anthology 2』に第1テイクが収録されている。このテイクはとても興味深く、ギターコードを誰かに伝える様子、そこに(コントロールルーム?)居合わせたジョージの声(この曲にはメンバーは立ち会いもしなかったという噂が流れていた。)、そしてイントロの異なるギターストローク等々、聞き所は満載である。もちろん、このテイクにはストリングスは入っておらず、実質ポールの弾き語りが聴ける。
Note・・・1984(昭和59)年の映画「ヤァ!ブロードストリート」でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この時はストリングスではなくホーンを取り入れている。ちなみに管理人は音楽の授業でこの曲を聴き、「ヤァ!ブロードストリート」で初めてこの曲を聴いた。そこからずるずるとビートルズにハマりこんで行ったから、この曲は特に思い出深いのであるw
1st use of a string quartet (♪Yesterday♪).
Producer: George Martin
Engineer: Norman Smith
2nd Engineer: Phil McDonald
‡1965(昭和40)年6月14日(mon)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
④┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
07.♪Yesterday♪ (Take 1) 14 June 1965 EMI Studios 2:34
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
④┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
07.♪Yesterday♪ 65.6.14 アルバム『HELP!』に収録されることになる、ポール初の「ソロ作品」のアウト・テイク。まだストリングスがなく、2コーラス目の歌詞が一部入れ替わっている。また、歌い出す前にスタジオに居合わせたジョージの声も聞こえる。ただし、個人的には特に興味深いところはない。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
④┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
03.♪I'm Down♪ (Take 1) 14 June 1965 EMI Studios 2:53
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
④┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
03.♪I'm Down♪ 65.6.14. シングルHelp!のB面、というより、ライブのラスト・ナンバーとして知られるポール作のヘビーなナンバー。まだバック・ボーカルやジョンのオルガンはなく、未完成で粗削りなテイク1。だけどポールがかなり粗削りな歌い方をしており、この辺はなかなか魅力的。ブートでも聴いたことのなかった、私にとっては初耳のテイクだった。
************* https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
①https://beatlesdata.info/5/12_ivejustseenaface.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/I%27ve_Just_Seen_a_Face
②https://beatlesdata.info/15/18_imdown.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/I%27m_Down
③https://beatlesdata.info/5/13_yesterday.html
③https://en.wikipedia.org/wiki/Yesterday_(Beatles_song)
④https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
④http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21.html
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┛THE BEATLES 1966 Recording Sessions ┛Studio 2
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┃ ♪Here, There and Everywhere♪ ┃takes 1-4
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.1 アビイ・ロード第2スタジオにて録音が開始された。この日は4テイクを録音したが、完全に演奏できたのは第4テイクのみ。
Recording of vocal harmonies for ♪Here, There and Everywhere♪
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Phil McDonald.
‡1966(昭和41)年6月14日(tue)
動画◆take7 https://youtu.be/G5fjJBo6l5w
動画◆take14 https://youtu.be/iELGhAGwBdc
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https://beatlesdata.info/7/05_herethereandeverywhere.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Here,_There_and_Everywhere
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┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 1, Olympic Sound Studios
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┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪ ┃takes 1-33, tape reduction of take 10
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.1 最初にこの曲を取り上げたのは(なんと本番まであと10日たらずである!!)。オリンピック・サウンド・スタジオにて約33テイクの録音(テイク表記に違いがあるかも?)を行った。リンゴがドラムを受け持ったが、他のメンバーといえば、ポール(ダブル・ベース)、ジョン(ハープシコード)、ジョージ(バイオリン)というあまり想像できない楽器の顔ぶれだった。この日は第10テイクがベストと判断されてリダクションが行われている。
Producer: George Martin
Engineer: Eddie Kramer
2nd Engineer: George Chkiantz
‡1967(昭和42)年6月14日(wed)
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https://beatlesdata.info/9/11_allyouneedislove.html
https://en.wikipedia.org/wiki/All_You_Need_Is_Love
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓『dot.[ドット]』
┃ -世代を超えて愛される理由- ┃朝日新聞記者 上林 格 Kamibayashi Satoru
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 更新
日本の英語教科書に初めてビートルズが登場したのは、三省堂の1978(昭和53)年度用中学教科書『ニュー・クラウン』だった。そこには、部屋でビートルズのレコードを聴く息子とレコードを止めさせようとする父親との対立する会話が1ページにわたって載せられている。ビートルズとはいえ、日本ではまだ世代を超えて評価される存在ではなかった。
‡1965(昭和40)年6月14日(月)のコラム「名曲は落とし物?」では、そんな時代にロック音楽を聴きだした筆者にとって、「イエスタデイ」は「ロック嫌いの大人を完膚無きまでに黙らせるキラー光線だった」と書いた。しかし、いまやビートルズを「不良」と呼ぶ大人はいなくなった。彼らの現役時代を知るリアル世代は、本書で当時の自分自身を思い出していただけるかもしれない。最近、ビートルズの曲を好きになったという若い世代は、成功を掴もうと悩む等身大の彼らを身近に感じるかもしれない。ビートルズは世代を超えて楽しめる存在になっている。
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫
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| 人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。|
| ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、 |
| 文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。 |
| 語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。 |
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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┃ 『Beatles VI』 ┃Capitol (S)T 2358 - June 14, 1965
┗━━━━━━━━━┛Capitol C1-90445 - July 28, 1988
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http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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映像◆The Beatles - Live in Melbourne [HD. Remastered] https://youtu.be/SPR7OJh7Y4k
‡Sunday June 14th 1964
00:29 - I Saw Her Standing There
03:24 - You Can't Do That
06:28 - All My Loving
08:45 - She Loves You
11:33 - Till There Was You
13:46 - Roll Over Beethoven
16:08 - Clap Your Hands
16:52 - Can't Buy Me Love
19:21 - This Boy
21:41 - Twist and Shout
25:35 - Long Tall Sally
27:26 - John Lennon Double
これは、ファンの女の子たちと撮影した写真です。場所は同じですが、日付は
‡6月14日です。何だかジョン、ちょっとポッチャリしてませんか?(笑)
http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2018/04/27/220000
Vol.1 4人を日本へ連れてきたジェット機…JA8008の数奇な一生
2000(平成12)年09月13日(水) 記
■ぷろろーぐ
1966(昭和41)年06月29日(水)。台風一過、払暁の羽田空港。THE BEATLESの一行を乗せた日本航空(JAL)のDC-8(JA8008,“MATSUSHIMA”)が到着し、同社のハッピを着た4人がタラップを降りて、日本の地を踏みました。このシーンを「演出」したDC-8“MATSUSHIMA”。実は同機も、数あるJALのDC-8の中では、非常に数奇な一生を送った機体だったのです。今回は、この機体の遍歴にスポットを当てて見ました。
■“再生”された機体
1960~1970年代にかけ、JALの国際線・国内線ネットワークの主力として活躍したダグラスDC-8。当初、この機体はJA8003“HAKONE”として、
1960(昭和35)年09月13日(火)に登録されました。(因みに、この当時のJALの旅客機にはすべて愛称がつけられていました。DC-8には日本国内の観光地の名前が、また同時期に導入されたコンベア880には花の名前が、そして1965年から国内線に投入されたボーイング727-100には川の名前が付けられたのです)ところが就航後ほどなくして、JA8003は羽田空港への着陸時に事故を起こして大破し、1961年7月に登録抹消。その後修理の上、1963年2月に再登録されたのです。この時に機体番号はJA8008、愛称は“MATSUSHIMA”に改められました。「再生」されたJA8008は、拡張を続けていたJALの国際線用機材として、他のDC-8やコンベア880(1971年に退役)と共に活躍を続けます。そしてあの台風明けの払暁、ロンドンのヒースロー空港から4人を乗せ、アンカレジ経由で羽田にランディングしたのでした。
■主役を降りて…そして、失われた絆を繋いで
1970(昭和45)年、「ジャンボジェット」ことボーイング747-100がJALの国際線に就航し、空の大量輸送時代の幕開けを告げました。ジャンボからJALのマーキングは新しいものに変更され(1985年の御巣鷹山事故まで、標準塗装となっていたデザインです)、それまで在籍していた各機も1970~1972年頃に新塗装へ変更されました。JA8008もこの対象となり、“MATSUSHIMA”の愛称もなくなりました。ジャンボの就航により、客席数が130席そこそこのDC-8は主役の座を降り、国際線でも「ローカル」な路線に転用されました。その後、JA8008は1975年9月にJALからJAA(日本アジア航空)へ転籍したのですが…。日本アジア航空は、1972年9月の「日中共同声明」により台湾との国交が絶たれたため、JALが台湾路線を運行することが出来なくなり、その復活のためJALの100%出資で新たに設立された会社なのです。その会社のキック・オフ・フリートとして、もう1機のDC-8と共に転籍したJA8008は、いわば日本と台湾の「失われた絆」を繋ぐ役割を担って、飛び続けることとなったのでした。
■えぴろーぐ
1981(昭和56)年07月。JA8008はJAAでの登録を抹消され、日本の空を去って、ペルーの航空会社へ売却されました。最新の資料によると、現在でも在籍している…とのことですが、既に機齢ほぼ40年。実際はどうなのでしょうか…?JALのハッピを着たTHE BEATLESの一行を、羽田に降り立たせた瞬間。きっとそれが、JA8008にとっても「一世一代」の晴れ姿だったのでしょう。
■この原稿は、
‡2000(平成12)年06月14日(水)に「BEATLESであそぼー」のBBSに寄稿した内容を元に加筆・再構成しました。
参考文献 … 「日本の旅客機2000-2001」(1999-11・イカロス出版)
http://moving.la.coocan.jp/yabunirami1.htm