映像◆『SHOGO HAMADA "MIRROR / DANCE" Release Special!』https://www.youtube.com/watch?v=H47JgRppgrc&feature=youtu.be
2020(令和二)年09月25日(金)に公開済み 190,988 回視聴 GOOD:7168 BAD:120
†2020(令和二)年09月29日(火) 正午まで
① "DANCE" Music Video / Short Version
② "DANCE" (ON THE ROAD '88 "FATHER'S SON")
③ "DANCE" (ON THE ROAD 2001 LET SUMMER ROCK '99 "SUNSHINE PICNIC & MOONLIGHT DANCING")
④ "DANCE" (Scene of Recordings / Full Version)
映像◆詩人の鐘 1999.8.7(土) http://www.nicovideo.jp/watch/sm13812727
99' Let'S Summer Rock Hiroshima
♪鐘が鳴ってる 約束の地に 打ち上げられた罪を知る者に
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┃ 『Home Bound』 ┃
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1980(昭和55)年10月21日(tue) released
1985(昭和60)年12月01日(sun) CD released ※初CD発売
1990(平成二)年06月21日(thu) CD released ※再CD発売
1999(平成11)年09月08日(wed) REMASTERING 初回限定版 SRCL-4601
‡1999(平成11)年09月29日(wed) REMASTERING
①原田真二くんとか世良公則くんとか、自分たちより後輩がどんどんブレイクしていって、ひょっとしたら俺の時代は来ないまま終わってしまうのかなあって思ってたんですね。で、このアルバムを作ってコンサートも少し出来るようになって日本中を回りはじめたら、違うものが見えはじめたんです。夢のようなサクセス・ストーリーとか、金持ちになってアメリカに留学してみたいとか、いろんなことが夢なんだなあというなかで、300人や400人のお客さんしかいないんだけど、そこで演奏してすごく楽しかったんですよ。これでいいじゃないかって思いはじめた。ある意味じゃ、俺の本当のデビュー・アルバムっていう感じがしますね。当時、ジャクソン・ブラウンが好きで、彼はセクションというバンドをやってたんです。俺はロンドンに行きたかったんだけど、セクションとやれるかもしれないというんで、このアルバムをロサンゼルスでレコーディングしたんです。ロックの生まれた国で音を録ろう、本当のピュアなミュージシャンというのはどういう感じなのか会ってみたいと思って。結局、セクションのメンバーはジャクソン・ブラウンのあの"HOLD OUT"ツアーでいなかったんで、メンバーは変わったんですけど、すごくいい体験でしたね。
②「戻ってくるために離れることが必要だった」。レコードの帯には、そう記されていた。日本を離れた海外録音、そこに自らのルーツであるRock、そしてR&Bに回帰することを重ねた秀逸なコピーだった。1980年の夏、初めての海外録音でロサンゼルスに。当初は、アメリカ西海岸ではなく、イギリスでレコーディングしたいと思っていました。ニューウェイウ゛の出てきたイギリスの、たとえばエルウ゛ィス・コステロなどのロックなザラつき感が、自分のサウンドイメージに近いと思っていたから。でも、ジャクソン・ブラウンのレコーディングメンバーのザ・セクションと出来るかも……という話があって、それならアメリカもいいな、と。ただ、交渉中にザ・セクションのメンバーがジャクソンとのツアーに出ることになってしまって。それで、改めてデヴィッド・キャンベルという、ジャクソンなどの弦のアレンジをしている(キャロル・キング『つづれおり』ではウ゛ィオラを演奏)プロデューサー/アレンジャーがミュージシャンをコーディネートしてくれることになったんです。彼は、最近では〝ベックのお父さん?ということでも有名だよね。アルバムの1曲目は「終りなき疾走」。俺の感覚としては、ニューウェイウ゛の出てきたイギリスのロックなザラつき感が俺のサウンドイメージに近いと言ったけど、アメリカでいえば当時、イギリスのパンクやニューウェイウ゛に影響を与えたラモーンズのサウンドをイメージしていました。70年代になってロックがビッグビジネスになって産業化されていって、R&Bがディスコになる。その流れに対抗するように、60年代の古き良きロックを過激なサウンドでプレイして70年代後期に流行ったのが、ラモーンズにも代表されるパンクだよね。実は、その頃はほとんど聴いていなかったんだけど、ブルース・スプリングスティーンも、流行の音に振り回されることなくロックやR&Bのルーツの音を再生させていたという点では、パンク的だったとも言える。「終りなき疾走」や2曲目の「東京」でギターを弾いているのがTOTOのスティーヴ・ルカサー。俺達、彼がスタジオに来る前の日に、当時はまだ野外劇場だったユニバーサル・アンフィシアター(のちのギブソン・アンフィシアター、現在は閉館)にボズ・スキャッグスのコンサートを観に行って、そのゲストミュージシャンがTOTOのメンバーだったんだよね。その演奏を聴いた次の日の朝、スタジオに行ってそこに“TOTO”と書いた楽器車があったときには「お、本当に来てるんだ!?」と思った(笑)。TOTOとパンクじゃ正反対だけど、ギター奏者の水谷さんや町支くんは大喜びでした。そして、スタジオのブースの中にマーシャルのアンプが並んでいて、彼はスタジオの調整室のほうで弾くんだけど、地鳴りしていたね。プロデューサーの鈴木さんも「ルカサーのプレイは圧巻だった。若くていちばんいい時期に弾いてもらえたのは、僕らにとって大財産。すごくラッキーでした」と言っています。「丘の上の愛」などのピアノを弾いてくれたニッキー・ホプキンスも、とても印象深い人でした。ローリング・ストーンズのあのロックンロールピアニストのイメージが強かったけど、会ってみたらすらっと背が高くて優しい人で、モーツァルトとかシューベルトがすごい好きというクラシック派でした。間奏では、ウーリッツァーと生ピアノを重ねて、テープをスロー回転にして、それを速くして2回ダイビングしてバロックの感じにしてくれた。イントロは、コード進行に合わせて彼がアドリブで弾いていたのがあまりに美しいフレーズだったので、そのまま録音させてもらいました。「バンドを集めて行くから、日本で一緒にツアーをやろう」と住所も教えてくれたんだけど、彼は50才の若さでなくなってしまって、叶わないままになってしまいました。当時俺はザ・クリトーンズというニューウェイウ゛系のバンドも好きで、そのバンドのギタリストのマーク・ゴールデンバーグも参加してくれました。イメージとしてはタイトな、モッズみたいなスーツで演奏していたイメージなんだけど、スタジオに来たときはビーチサンダルに短パンにTシャツのカルフォルニア青年で(笑)。しかも、彼の12弦ギターが大好きだったのに持ってきてなくて「俺はきみの12弦ギターがすごく好きなんだ」と言ったら、「オッケー、わかった!家は近いから」って車で取りに行ってくれた。「明日なき世代」で弾いてくれています。ミュージシャン達が「傷心」のメロディーラインをすごく気に入ってくれたのも意外でうれしかった。「beautiful tune」と言っていたけど、マイナーでヨーロッパ的なメロディーだからかな、新鮮だったみたいでみんないい演奏をしてくれているよね。ハーモニカをトミー・モーガンという人が吹いてくれたんだけど、俺が待合室でまだ出来ていない歌詞を書いていたら、エンジニアが来て「なんでこの素晴らしい演奏を聴かないんだ!」って(笑)。曲は出来ていたけど、テーマもタイトルも歌詞もまったくないままロサンゼルスに向かった、そんなアルバム制作だった。アルバムのタイトルになった「家路」にしても、ロス滞在中にかなり苦しんで書いた。「反抗期」の歌詞は行きの飛行機、エコノミークラスの通路側の席で、まわりは暗くなっている中で、灯を点けてずっと書いてた。なんでもいいからとにかく書かなきゃって、必死だった(笑)。でも、「家路」にしても、実は苦し紛れのぎりぎりのところで書いているからリアルだったりするのかもしれません。それと、ミュージシャン達の出す音が詞に向かう気持ちを大きく増幅してくれたんだと思います。テーマもタイトルも歌詞もなかったけど、自分がやりたいのはロックだ!というのだけはあったんだよね。デビュー2枚目の『LOVE TRAIN』から『君が人生の時...』まで、70年代のアルバムのメロディーやサウンドや歌詞はポップソングだけど、ファーストアルバムのロックに戻るという気持ちが強くありました。だから、アルバムタイトルを『Home Bound』としました。すごく満足のいく作品が出来たという気持ちがあったし、高く評価してもらえると思ってはいたけど、一方で、ポップな「風を感じて」が少し売れたあとに、ロックなこのアルバムを発表したので、覚悟はしてたけど、前作の半分くらいの売れ行きだったから、少しがっかりした(笑)。ただ、70年代にはテレビにも出たけど、自分のいる場所はあそこじゃない、自分の音楽をやる場所はライブなんだ、サクセスストーリーは夢かもしれないけど、300人、400人という観客の前でライブをやっていることが楽しい、そう感じるようになってきた時期でもありました。ヒットチャートを意識するのではなく、いいアルバムを作っていいライブをやる。歌詞もメロディーもサウンドも、まさに原点に戻るようなアルバムが、この『Home Bound』だと思う。ロックナンバーだけでなく「今夜こそ」のような、俺のもうひとつのルーツであるR&Bのポップな曲もあるし、習作時代を経て、本当の意味でデビューアルバムという見方も出来る感じがします。初の海外レコーディングだった『Home Bound』のあと、ミックスやマスタリングは海外で何回もしているけど、レコーディング工程を全て海外でやったのはこのときだけ。コンサートツアーで年間に何本もライブをやるようになると、一緒にやっているミュージシャン達と自分の音楽を分かち合いたいという気持ちが強くなってくるんです。ステージだけではなく、アレンジやレコーディングもツアーメンバーとやるべきだと。それが後の『DOWN BY THE MAINSTREET』あたりから現在に至る考え方になっていきます。
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https://shogo.r-s.co.jp/disco/album06.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/Home_Bound
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┃ 『Down by The Mainstreet』 ┃
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1984(昭和59)年10月21日(sun) released
1984(昭和59)年11月01日(thu) CD released ※初CD発売
1990(平成二)年06月21日(thu) CD released ※再CD発売
1999(平成11)年09月08日(wed) REMIX AND MASTERING 初回限定版 SRCL-4604
‡1999(平成11)年09月29日(wed) REMIX AND MASTERING
『PROMISED LAND~約束の地』ですごく大きなテーマを抱えたんで、もう1回等身大のところに戻って、ふつうに生きている少年たちというか、自分がかつて作りそこねた曲を作りたくて、このアルバムになったんです。『生まれたところを遠く離れて』というアルバムを作ったあと、『君が人生の時…』まで、すごくポップなものばっかりだったでしょう、本当はその頃に作らなきゃいけなかったんです。それをはじめて自分でプロデュースして作ったんです。だからアレンジにしてもサウンドを作るにしても失敗だらけだったんですけど、はじめてプロデュースして、はじめてツアー・バンドで作ったアルバムなのですごく思い入れがありますね。このアルバムの主人公というのは、みんな少年なんです。ここではじめたことが、『J.BOY』につながるんです。
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https://shogo.r-s.co.jp/disco/album11.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/DOWN_BY_THE_MAINSTREET
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『J.BOY』'86年盤と'90年盤の音源は同じ
違うのは、
ジャケットの背表紙と
レコード(CD)番号
1986年のジャケットの背表紙は小さな■色は、黄色。
CD:5000円(消費税無) LP:4200円(消費税無)
1990年のジャケットの背表紙の小さな■色は、青色。
CD:??円(消費税有)
1 1986(昭和61)年9月04日(木) オリジナル盤
1 1990(平成二)年6月21日(木) オリジナル盤再発盤
2 1999(平成11)年9月08日(水) 初回盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
2 1999(平成11)年9月29日(水) 通常盤 リマスタリング、リミックス&リアレンジメント盤
3 2016(平成28)年11月9日(水) 1999音源のリマスター盤(CD)
4 2016(平成28)年11月9日(水) 1986音源のリマスター盤(アナログLP)
㊤↑の『J.BOY』は4パターンあるヨ(=^◇^=)
音源◆浜田省吾 ラジオ番組 君が人生の時 81 1 https://youtu.be/64wX3CjC-ak?list=PLmQIzKRWaBRXvAjoIwvtD17ZvXeImazSN
①ラストショー
②愛という名のもとに
③モダンガール
④愛の世代の前に
『愛の世代の前に』特集1981 ※岩手と山形と静岡と福島と兵庫と広島の6県ネット。〒153東京都目黒区下目黒1-2-5堀グループ目黒ビル3Fカレイドスコープ
1986年 BOΦWY貴重なテレビ出演 B・BLUE https://youtu.be/OpDsgk3yWOA
Like a long lonely stream
I keep runnin' t'wards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on
一本の長くて孤独な川のように
わしは夢に向かって走り続けている
立ち止まらずに 先へと進んでいる
一本の樹の小さな枝のように
わしは自由を求めて手を伸ばし続けている
もっと先へと あきらめないで
There's a place in the sun
Where there's hope for everyone
Where my poor restless heart's gotta run
(I know)There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun
古くて埃まみれの道のように
わしは(わし自身の)重荷に(もう)うんざりしている
でもどんどん行くんだ もっと先まで
くたびれて問題だらけの、この地球のように
69年に生まれてからずっとわしは転がりっぱなしさ
ぐるぐる回れ 止まっちゃいけない
Like an old dusty road
I get weary from the load
Movin' on, movin' on
Like this tired trobled earth
I've been rollin' since my birth (since 1969)
Movin' on, movin' on
だって 陽のあたる場所はかならずあるから
そいつは誰にでも希望がある場所で
わしの貧しく不安なココロも追っ掛けるべき場所なんだ
そうさ、陽のあたる場所はかならずある
命がつきてしまう前に
陽のあたる場所を見付けなくてはいけないよ
♪A PLACE IN THE SUN♪(3:45)
Words by Ronald Miller
Music by Bryan Wells
Arranged by Kimio Mizutani
『Road Out“Tracks”』
♪B BLUE♪ BOΦWY ②度目の武道館 1986.12.10 http://video.fc2.com/content/20110410BRbgH73b
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
WORKING MAN DEMO https://youtu.be/CvtmAyA-LCc
濃厚とんこつスープ←詐欺でした 実際は濃縮スープをそのまま提供
1: 頭突き(埼玉県):2013/09/29(日) 12:03:21.10 ID:V5F9RlyoP
ラーメン専門店は全国に約4万軒。食堂や中華料理店などラーメンのメニューがある店は20万軒。
飲食店の3分の1が何らかの形でラーメンを提供しているとされる。まさに「国民食」だが、その“中身”は意外と知られていない。コストを抑えるために、スープそのものが“できあい”の店は少なくない。首都圏を中心にチェーン展開するとんこつラーメン店。1杯約500円で、深夜でも一杯飲んだ後のサラリーマンで行列ができる人気店だ。カウンター越しの厨房には寸胴があり、豚骨が見える。 店員は「うちはグツグツ煮込んでいるから、濃い味が出ますよ」というが、潜入取材を続ける中で接触した業界関係者によれば、そこでは業者向けの濃縮スープの素を使っているという。「3kgの濃縮スープの素を水で溶かすと、ちょうど300杯分、大きな寸胴ひとつ分のスープができる。
それに一応、豚骨やニンニクなどを入れ、最後に化学調味料を入れてできあがり。これならコストが安く、作る手間も省ける」
そう語る関係者が「業界では人気」と紹介してくれた濃縮液体タイプのスープの素は、卸業者で3kg約4500円で売られていた。商品案内にはこうある。
「とんこつスープを仕上げるための面倒な工程がなく、長時間の炊き込みも不要となるため、燃料費が節約できます」
「近隣への臭気の気遣いや骨ガラの処理も無く(中略)なります」本物の豚骨を煮込む臭気はすさまじく、そもそも店内ですらそれを感じないところは、自前のスープでない可能性が高い。しかも濃縮スープを使えば1杯のスープにかかるコストはわずか15円。ちなみに、うまみ調味料は業者向けスーパーでは1kg500円程度で売られており、1人前に3g入れるとすると1.5円である。添加物に詳しい食品ジャーナリスト・安部司氏の解説。「安いチェーン店では濃縮スープは常識です。スープの素には豚骨や鶏ガラから 作ったものを濃縮した製品もあれば、添加物などで化学的に合成されたものもある」
以下ソース http://news.livedoor.com/article/detail/8107760/
http://2cniroiro.blog.fc2.com/blog-entry-3030.html
1986(昭和六十一)年10月5(日) 東京・代々木国立競技場第①体育館
A NEW STYLE WAR 浜田省吾 http://video.fc2.com/content/201103270zqQ0B5G
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
八月の歌(AUGUST SONG) 2010 REMAKE version http://video.fc2.com/content/20110331BuRukkYn
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
八月の歌(AUGUST SONG) 1986 LIVE version http://video.fc2.com/content/20110331CKhdyKfh
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
BIG BOY BLUES 浜田省吾 http://video.fc2.com/content/20110331TZ0p4EX2
アニメ◆
ダイジェスト◆
静止画◆
浜田省吾インターネットライヴ⑦ J.BOY http://video.fc2.com/content/20110327z5MgmbQR
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ダイジェスト◆
静止画◆
浜田省吾 J.BOY http://video.fc2.com/content/20150509CDFGxmVH
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静止画◆
Promotion film for album『J.BOY』http://video.fc2.com/content/20130112BvwGxVvf
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静止画◆
♪MONEY (FIRST VERSION) 浜田省吾
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ダイジェスト◆
♪MAINSTREET(メインストリート) 浜田省吾
アニメ◆
ダイジェスト◆
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■『DOWN BY THE MAINSTREET』1984.6.21 リリース予定が4か月後の10月21日にリリース
「POP STATION KISS 木曜スペシャル」 http://youtu.be/9lvZpASz0RI
1984.10.4(火曜日)23:00~25:00
ラジオ大阪「POP STATION KISS 木曜スペシャル」
ゲスト:浜田省吾
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┃ The History of Shogo Hamada "オリコン週間アルバムヒットチャートはNo.①"一蘭 ┃
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通算01回 1986(昭和61)年 9月15日(月)『J.BOY』連続第1位第一週
通算02回 1986(昭和61)年 9月22日(月)『J.BOY』連続第1位第二週
‡通算03回 1986(昭和61)年 9月29日(月)『J.BOY』連続第1位第三週
通算04回 1986(昭和61)年10月 6日(月)『J.BOY』連続第1位第四週
通算05回 1986(昭和61)年10月27日(月)『J.BOY』※LP&TAPESチャート
通算06回 1987(昭和62)年 7月 6日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第一週
通算07回 1987(昭和62)年 7月20日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第二週
通算08回 1988(昭和63)年 3月28日(月)『FATHER'S SON』
通算09回 1989(平成元)年 9月11日(月)『Wasted Tears』通算第1位第一週
通算10回 1989(平成元)年 9月25日(月)『Wasted Tears』通算第1位第二週
通算11回 1993(平成五)年 9月 9日(月)『EDGE OF THE KNIFE』
通算12回 1993(平成五)年 9月20日(月)『その永遠の一秒に』
通算13回 1996(平成八)年11月25日(月)『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
通算14回 2000(平成12)年11月20日(月)『The History of Shogo Hamada "Since1975"』
通算15回 2015(平成27)年 5月11日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第一週
通算16回 2015(平成27)年 5月18日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第二週
おれにせよ この国にせよ 確かにチャンスはあったはず
胸を張って 志を高く持って進むべき道が確かにあった・・・
だけどおれたちどこかで見失ってしまった
どこへ行くのか 本当にわかっているのか J.BOY
音源◆1986.9.4♪J.BOY♪写真◆https://youtu.be/XkoW1-eB_H8
映像◆1986.9.4♪AUGUST SONG♪https://youtu.be/BlKdB7DcxkI
映像◆1986.10.5♪AUGUST SONG♪https://www.youtube/kEcDBHEudmg
映像◆1986.10.5♪BIG BOY BLUES ♪https://youtu.be/rqRUCOQwsV0
映像◆1986.10.5♪AUGUST SONG♪https://youtu.be/UimawAkVGx4
音源◆♪こんな夜はI MISS YOU 1989♪https://youtu.be/ei6xJv7PlOg
映像◆1986年を覚えていますか? http://youtu.be/khcTAZb_KeI
映像◆1986年ヒット曲メドレー【作業用BGM】https://youtu.be/Am7hgk0CCk0
映像◆『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 http://youtu.be/7dUfaCD5Y0A
音源◆1986.9.4♪もうひとつの土曜日♪写真◆https://youtu.be/gq00MlN1sa8
ヒットチャートはNo.① 1988映像◆https://youtu.be/9mAc-F2oGnE
ヒットチャートはNo.① 2011映像◆https://youtu.be/YS5v_DAXTzw
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http://ja.wikipedia.org/wiki/J.BOY_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
http://www.uta-net.com/song/9047/ http://www.ichiran.co.jp/index_hp.html
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もうひとつの土曜日2002,1,11 (WE ARE STILL ON THE ROAD) https://youtu.be/ZXhDTCKH3qM
1986.9.4♪もうひとつの土曜日♪写真◆https://youtu.be/gq00MlN1sa8
1999.9.8&29♪もうひとつの土曜日♪写真◆https://youtu.be/iu1PKsiBNHU
40回目の誕生日を迎えたある男の歌を贈りますhttp://www.uta-net.com/song/11681/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13145146438
【作業用BGM】 1986年 ヒット曲メドレー https://youtu.be/Am7hgk0CCk0
1986年を覚えていますか? http://youtu.be/khcTAZb_KeI
2005♪家路♪映像◆http://youtu.be/UJYsCc6RZls
2005♪家路♪映像◆http://youtu.be/3LvlzAiNB2M
2005♪家路♪映像◆Bank Band with Great Artists & Mr.Children http://youtu.be/DXNrNQYZ2Kc
2005♪家路♪映像◆http://youtu.be/P5NlRzrLm00