過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

2024(令和六)年九月弐拾七日(金)曜日の初記事ですヨ(=^◇^=)


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 ┃横浜ベイブリッジ┃
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‡1989(平成元)年9月27日(水) 開通
 http://www.uta-net.com/song/8048
 http://www.uta-net.com/song/687
 http://ja.wikipedia.org/wiki/横浜ベイブリッジ

 「氷室京介」のアルバム人気ランキングNo.1が決定! 3位は「NEO FASCIO」
 2022(令和四)年02月26日(土) 19:20 ねとらぼ 高橋マナブ
 日本を代表するロックバンドの一つ「BOOWY」のボーカルとして活躍した「氷室京介」さん。バンドの解散後は、ソロとして多くのヒット曲を生み出してきました。そこで、2022年2月9日から2022年2月23日までの間、ねとらぼ調査隊では「氷室京介さんのアルバムで一番好きなのは何?」というアンケートを実施していました。 
 今回のアンケートでは計3222票の投票をいただきました。それではランキングの結果を見ていきましょう。
●第3位『NEO FASCIO』第3位は471票を集めた『NEO FASCIO』です。
‡1989(平成元)年09月27日(水)に発売された2枚目のアルバムで、シングル曲からは「SUMMER GAME」や「MISTY~微妙に~」が収録されています。プロデューサーの佐久間正英さんや、作詞家の松井五郎さんらと少数精鋭で作り上げられたアルバムとなります。コメント欄では「音楽性の深さ、何より円熟したボーカルが際立ったアルバム」との声が挙がっています。
●第2位『Memories Of Blue』第2位は610票を集めた『Memories Of Blue』です。
 1993(平成五)年01月07日(木)に発売された4枚目のアルバムで、「KISS ME」や「Urban Dance」「Good Luck My Love」が収録されました。サザンロックの影響を受けた「WILL」や、甘い歌声を堪能できる「RAINY BLUE」などバラエティに富んだ作品を楽しむことができます。コメント欄では「表題曲が当時の自分にハマってすごく好きなアルバム。今でもよく聴きます」との声が挙がっています。
●第1位『FLOWERS for ALGERNON』第1位は818票を集めた『FLOWERS for ALGERNON』です。
 1988(昭和63)年09月01日(木)に発売されたソロとしてのファーストアルバムで、後に収録曲から「DEAR ALGERNON」のシングルカットが行われました。世界的に有名なギタリストのチャーリー・セクストンが参加するなど、BOOWY時代の雰囲気を残しながらもソロとしての氷室さんのサウンドに挑戦したアルバムとなりました。コメント欄では「ソロになってからの初アルバム。どんな楽曲になっているのか当時すごくわくわくしてました。実際聴いてみると完璧過ぎて感動しました」との声が挙がっています。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/9b7592dd8503aa2eb52ccdb8ee26e2f50ef777a8

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 ┃『開運!なんでも鑑定団』鑑定額ランキング┃
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 2021(令和三)年07月10日(土)現在
‡2005(平成17)年09月27日(火)放送
  第1位 5億円 柿右衛門様式の壺
 2019(平成31)年04月30日(火)放送
  第2位 4億3000万円 絵画15点
 2001(平成13)年04月10日(火)放送
  第3位 3億5000万円 世界のポスター122点総額
 2004(平成16)年04月06日(火)放送
  第4位 2億円 マリリン・モンロー『七年目の浮気』衣装
 2010(平成22)年12月14日(火)放送
  第4位 2億円古代中国の青銅器
 2003(平成15)年09月30日(火)放送
  第5位 1億9400万円 西洋アンティーク各種
 2005(平成17)年04月19日(火)放送
  第6位 1億8000万円 七宝焼の香炉
 2008(平成20)年10月14日(火)放送
  第6位 1億8000万円 宮沢賢治の手紙
 1996(平成八)年12月03日(火)放送
  第7位 1億5000万円 虎の彫刻・ヒスイの彫刻・馬101頭の彫刻
 2012(平成24)年08月28日(火)放送
  第7位 1億5000万円 イエローダイヤモンド
 1996(平成八)年08月27日(火)放送
  第8位 1億3000万円 ロールスロイスファントムCI
 2009(平成21)年08月11日(火)放送
  第8位 1億3000万円 アポロ17号ロン・エヴァンスの船内服
 2003(平成15)年12月23日(火)放送
  第9位 1億2000万円 アンディー・ウォーホルの絵
 2003(平成15)年04月08日(火)放送
  第10位 1億円 ディズニーアニメのモデルシートとスケッチ328枚
 2012(平成24)年11月06日(火)放送
  第10位 1億円 棟方志功 作「二菩薩釈迦十大弟子」
 2010(平成22)年08月31日(火)放送
  第10位 1億円 堆黒盆
 https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/ranking_total.html

 腹を刺す、耳を削ぎ落とす、腕は根元から切断する…呉で最も恐れられたヤクザの“狂気”に満ちた生涯
 2021(令和三)年03月15日(月) 11:12配信 文春オンライン 鈴木智彦
 人は見かけによらぬもの。そんなことわざを証明するかのような人物が昭和の呉に実在した。本名、大西政寛。別名、悪魔のキューピー。華奢な体躯にベビーフェイス。声色も優しく、物腰もまた静か。それでありながら、一度頭に血が上ると誰も手が付けられないほどの凶暴性を持ち、呉で最も恐れられたヤクザとして名を馳せた。ここでは、ヤクザについての著書を多数出版しているジャーナリスト鈴木智彦氏の著書『 昭和のヤバいヤクザ 』(講談社+α文庫)を引用し、“悪魔のキューピー”こと大西政寛の生涯を紹介。『仁義なき闘い』の登場人物である若杉寛のモデルにもなった“ヤバいヤクザ”は一体どんな人生を送っていたのだろうか。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
■呉でもっともヤバいヤクザ■予測するのは不可能だった。この男には危険な匂いがまったくないのだ。腕に覚えのある強者ほど、このトラップにはまる。勝ち目のある人間をターゲットにするのは、喧嘩師の経験則だからである。いったい何人のチンピラ、愚連隊、ヤクザがこの罠にはまり、踏みつぶされたことか。華奢な体躯にベビーフェイス。声色も優しく、物腰もまた静かだった。笑うとなんともいえない親しみがあって、まるで純粋無垢な子供のようにも見える。だから、なにも知らないチンピラにとっては格好のカモにしか見えない。知らぬが仏とはまさにこのことだ。
「兄ちゃんよう、どこ行くんかのう」ニヤニヤ笑いながら、坊やを取り囲み声をかけた。その瞬間、穏やかな菩薩が阿修羅へと変わった。
「いまなんて言ったんない」眉間にしわが寄り、目尻がピクピクと痙攣した。さっきとはまるで別人の形相で、チンピラたちにも動揺が走った。「おやっ」とレーダーが反応する。しかしもう遅い。こうなれば誰もこの男を止めることはできないのだ。無知は自分の血で贖う。それが暴力社会のルールである。まともな会話を交わす間もなく、チンピラたちは血の海に沈んだ。何事もなかったように阿修羅は菩薩へと戻った。いつしか、この危険人物は「悪魔のキューピー」と呼ばれるようになった。彼の名は大西政寛。戦後の広島・呉でもっともヤバいと言われたヤクザである。暴力を信奉するヤクザ社会では、見るからにヤバい人間はそうヤバくなかったりすることが多い。抗争の際、たった一人で敵の事務所に乗り込んでいくような強者は、きまって普段大人しく物静かな若い衆だ。また暴力的な伝説を持つ親分たちをみても、体格に恵まれた人物はほとんどいない。命を懸けた殺し合いは、決められたルールの中で戦う格闘技とは似て非なるもの。勝負の明暗を分けるのは、腕力ではなく胆力なのである。
  ⇒ 次ページは:無常観と生命の軽視
■無常観と生命の軽視■大西はヤクザになる以前から凶暴だった。高等小学校では教師を文鎮で殴りつけ、即日退学処分。職人となってからも、多くの暴力事件を起こしている。なかでも16歳の時に呉市広の食堂で起こした事件は地元の不良たちを震撼させた。軍人と諍いとなった大西は刺身包丁で腹部を刺したのち、相手の耳をそぎ落としてしまうのである。ヤクザ組織の入社人事は堅気の会社の基準を180度ひっくり返したものだ。過去の事件は、それが暴力的であればあるほど輝かしい経歴になる。大西はこの事件であっという間にシード選手となった。ドラフト会議では常に1位指名であり、彼を欲しがる組織はいくらでもあった。大西を獲得したのは、呉の土岡組である。山陽道の博徒社会では、「西の籠寅(現合田一家)か東の土岡」と言われ、大西が進むには順当な進路といえた。しかし、日本は戦争に突入、大西もまた中国戦線に送られ、大物ルーキーの活躍はしばらくお預けとなった。戦争はこのルーキーをさらに磨き上げたと言ってよかった。一説によれば、大西が切り捨てた敵兵は二桁を軽く超すと言われる。殺人を正当化する戦場という異常な空間が、大西の凶暴性を加速させたのだ。処刑も決まって大西の役目だった。嫌な役目を仲間にさせたくないという大西流の思いやりである。捕虜は迫り来る死を悟り必死に抵抗した。
「ええか、苦しまんよう一発であの世に送ってやるけん」言葉など分かるはずもないが、大西は必ずそう声をかけ、それを合図に日本刀を振り下ろした。捕虜の首が飛び、大動脈から噴水のように血しぶきが噴出した姿を見て、大西の心に無常観と生命の軽視が生まれていった。殺してもなにも感じない。まさに異常な心理である。殺戮を繰り返したベトナムの帰還兵が心の病を認められるなら、大西とて同様だった。ただこの時代にはセラピーなどという気の利いた言葉も、トラウマという観念もない。原因は顧みられず、大西は殺人鬼と片づけられただけだ。
  ⇒ 次ページは:人の命などまるで虫と同じ感覚
■人の命などまるで虫と同じ感覚■
 復員後、土岡組に戻った大西はその凶暴性を存分に発揮した。他者の命も、そして自分自身の命も鴻毛(こうもう)の軽きとなす。人の命などまるで虫と同じ感覚だから、死にたくなければ逃げるしかなかった。抜けば刺す。構えれば撃つ。そこには駆け引きもブラフもまったくないのである。時に無鉄砲な人間が勝負を挑めば、その度にひどく凶暴なやり方で徹底的に打ち据えた。映画館の警護で行った不良狩りでは、同じ土岡組の人間すらその残忍性に肝を冷やした。
■躊躇なく日本刀を振り下ろして腕を根元から切断■大西が土岡組の前線指揮官となったのは当然だった。当時の呉では、土岡組と小原組・山村組・海生組の三派連合が裏社会の覇権を巡って激しく対立している。中でも小原組は海生組の援助を受け意気軒昂であり、同じ阿賀を本拠として、なにかと目障りな存在だ。さなぎは羽化する前に駆除してしまえば労力も少ない。先制攻撃は大西が仕掛けた。
 1946(昭和21)年08月14日(水)、盆踊りの夜、「行くど」と叫んだ大西は土岡組の土岡正三親分とともに、祭りの雑踏に飛び出していった。祭りは不良のステージだ。肩で風を切って歩く小原組親分小原馨はすぐに見つかった。裏の畑に連行し威圧するが、小原はそれぐらいでビビる相手ではない。
「馨、観念せいや」大西は処刑される捕虜に引導を渡すがごとくそうつぶやくと、ためらいなく日本刀を振り下ろした。小原の左腕は根本から切断され、地面で芋虫のようにのたうった。さらに小原の舎弟磯本隆行が急を知って駆け付けると、大西は磯本の右腕を切り落とした。このくらいやらなければ、呉のヤクザ社会では脅しにはならないのである。
■狂犬のリスク■小原組に加えられた攻撃に震撼した三派連合は、大西との直接対決を避け、懐柔作戦へと切り替えた。だが、大西には致命的な欠点があった。邪魔者は暴力で排除する。まるで誰彼なく噛み付く狂犬と変わらなかった。ヤクザの暴力行為は後の清算を考え十分な計算がなされるが、大西にはそれができない。だから大西はヤクザとしても不適格者であり、正式な組織の人間とするのは大きなリスクが伴うのだ。三派連合としては、籠絡した大西に土岡博を殺害させ、あとは使い捨てる。それがベストのシナリオだった。やられたらやり返すのがヤクザの論理だが、腕をもぎ取られた小原には沈黙してもらうしかない。懐柔は世故に長けた山村組山村辰雄組長が担当した。山村組長は大西が土岡正三と賭場の上がりで揉めていることを聞くと、すぐさま接触を開始する。心の隙にうまくつけ込んでいく。他人の女を奪うやり方と同じである。大西は見事にこの落とし穴にはまった。小原組の内紛を助け、殺人の手助けすら行ったのだから、三派連合は見事な役者だ。死と隣り合わせた瞬間に居合わせると、人間の親密度は急激に深まる。この時点で大西はもはや、心情的には土岡組の人間ではなかったかもしれない。
  ⇒ 次ページは:三派連合も大西に見切りをつけることに…
■三派連合も大西に見切りをつけることに…■将を射んとせばまず馬から。山村組長は女房同士を仲良くさせ、それをきっかけに大西の面倒をみるようになった。ほどなくして山村組長は大西の陥落に成功。二人は土岡組長の暗殺を謀議する。実行犯として白羽の矢が立ったのは山村組の美能幸三、言わずと知れた『仁義なき戦い』の主人公である。美能はたった一人の兄貴分に実行犯をやらすわけにはいかないと実行犯を買ってでたのである。前述のとおり、
‡1949(昭和24)年09月27日(火)、大西愛用の32口径モーゼル拳銃を手渡された美能幸三は、広島市猿猴橋の路上で土岡博と河面清志を襲撃した。病院に運ばれた土岡博は意識不明の重体となったが命は取り留めた。失敗だが、これ以上大西に関わればなにをしでかすかわからない。三派連合はもはや大西に見切りをつけた。黒い空気が呉に流れた。
 1950(昭和25)年01月04日(水)、妻と一緒に呉の本通りを歩いていた大西は、些細なことから人夫と喧嘩になった。いくつもの指名手配を受けていた自覚からさすがに自制心が働いたが、人夫が大西と名乗ったことで起爆装置のスイッチがはいった。
「わしの名を騙るんかい」大西は人夫を神社に呼び出し、迷うことなく頭部を撃ち抜いた。たまたま同姓だったことが双方の悲劇だった。
■あっけない最期■警察は威信を懸けて殺人鬼の捜索に乗り出した。匿名の電話で山村組顧問の岩城義一宅に潜伏しているとの情報をつかみ、大捜査網が敷かれた。
 1950(昭和25)年01月18日(水)午前3時、警察は一気に岩城宅に突入、大西の姿を探した。そのうち一人の警部が盛り上がった布団を見つけた。おそるおそるゆっくり剥いだ。
「死ねや」静寂に不気味な声が響く。銃口がまばゆい光を放った。さらに引き金を引こうとする大西。逮捕は無理と判断した警察は大西を射殺した。いったい誰がチンコロしたのか――それは謎ということにしておこう。ただ、その後大西の実母が山村組長と談判し、莫大な金を手にしたことだけは記しておきたい。
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【前編を読む】力道山に「二度と暴力をふるいません」と謝罪させた…“伝説のヤクザ”花形敬の知られざる本性
「人差し指を根本から切断して…」不始末にけじめをつけるヤクザの“指詰め”のリアル
「刀を振り下ろすと、ホースで水をまくように大量の血が…」なぜ私はヤクザの腕を日本刀で切り落としたのか
「50人を土下座させ、1人ずつ木刀で腕、指、歯を折る。そして橋から…」半グレ集団「怒羅権」元幹部が語る喧嘩の作法
 山口組の礎をつくり、美空ひばりを芸能界に送り出す…伝説的「カリスマヤクザ」の正体とは
◎そりゃ恐れられるだろう 何しろ「ネジが足りない」人なんだから ゆるんでるなら締め直せばいいんだろうが、もともとないネジを締め直すことはできない 常識とか理性とか、人として当たり前にもってるモノがないのはもはや動物と一緒なんだから、人間が恐れるのも当然 まさか文春が他人の浮気話だけじゃなく、シートンに続く動物記を始めるとは思わなかった
◎でも戦争を経験して戦場では人を殺すことで賞賛され、いつ自分が死ぬかもわからない。そんな時から急に今度は暴力はダメと言われても、どっかしらおかしい人は出てきちゃうだろうね。時代背景を考えると、今の価値観とは少し違ってくるでしょう。
◎そもそも戦場で捕虜を勝手に処刑するのはアカンのやけど、記録に残っていないこんなのはたくさんあったんやろね。
◎日本って今も昔も平和やなーってつくづく思いました。喧嘩が多い国は平和な国。危ない国ってすぐピストル出てくるしすぐ抗争に発展する。
◎「シートンに続く動物記」うまい!思わずワロタwシートン動物記に出てくる動物でも「オオカミ王ロボ」の高貴さ,剛毅はそこらへんの人間でも足元に及ばないと思います。この記事に出てくる二足歩行の動物にはそんなものはないでしょう。
◎この手のヤクザ実録みたいなのは今の時代に合いませんよ。
◎今の時代だってそういう事件を起こす奴はたまにいるやん 一定数いるんだよ ただのサイコ野郎がヤクザになっただけ
◎仁義なき戦いでも描かれていましたね、確かに写真で見る限り可愛い子供みたいでしたね、恐らく原因は色々あったでしょうが今で言う、サイコパスではなかったのかな?
◎自分も一瞬そう思ったけどサイコパスならもっと計算が出来ると思う。
◎若杉のアニキは「戦争しちゃいけんのです」みたいなことを言う常識人だったけど、モデルはかなりクレイジーだったのね
◎ヒロポンでも喰らってたんでしょう。ヤー公を持ち上げたらダメですよ。
◎モデルなった人物、別名で呼ばれる伝説の人 まるで何かの新興宗教の教祖の話の様に、崇め奉ってますがそれで良いのでしょうか?偉人では無いですよね!
◎「ダークナイト」のジョーカーみたいに、ダークヒーローに対する憧れっていうのはあるものだよ。ダースベイダーもそうだし、ラオウだって悪役だけど人気だしね。
◎洋の東西を問わずギャングスターは昔から存在するのですよ。モロッコの辰、ボンノ、夜桜銀次など、、アルカポネ、ラッキールチアノ、バグジーシーゲル、他にも沢山。。
◎其どころか呉市議会がヤクザを一本に纏めたってwikiで有る 今じゃ暴対法って言ってるのにね
◎中二病の頃は誰だって悪に憧れたでしょ?または、あの頃は良かったみたいな懐古的なやつ。
◎夕刻の士 戦国時代なら英雄やろけどな。
◎夕刻の士さん
>戦国時代なら英雄やろけどな 
チャップリンの言葉でも有る 正解な言い回しは忘れましたが 1人殺せば殺人鬼だが数万人殺せば英雄だと
◎彼のような人格は生まれ持ってのものなのか、育ちなのか、障害なのかは分からないけど、現代でも稀に猟奇殺人を犯すような人も現れる。また、外国では金、宗教の為なら躊躇わず人を殺す事も正義となっているような国もある。様々な要因があるのだろうと感じる。
◎一番最初の仁義なき戦いで、梅宮辰夫が大西がモデルの役をやってたな。最初の方でいきなり腕ぶった斬るシーンみてこの時代のやばさと今の時代に生まれた良かったと実感したよ。
◎今じゃ反者との付き合い云々って言われてるのに当時はモデルに成ったヤクザが裏の試写会で俺の出番が多い少なく作れる言ってたしねその内にwikiで見たら呉市議会がヤクザを一本に纏めって有るし社会もヤクザに凭れてたんだよね
◎関係ないけど、古代の法律もない時代はヤクザどころじゃなく血生臭いだろうな。追い剥ぎや力勝負。鬼の住まう時代。
◎M’s | 大西政寛の「狂気」は尋常ではなかったようだね。極限の戦争体験が彼をそうさせたのか、あるいは多少脳に障害があったのではないかとも言われている。他者には容赦ない大西だが、波谷守之だけは可愛がっていたことも知られている。時代背景もあるとはいえ、「悪魔のキューピー」の生き様は凄まじ過ぎる。
◎抗争から75年、映画化からでも、もうすぐ50年を迎える。テレビのバラエティーでもテーマ曲は今でも頻繁に効果音として使われてる。広島(呉)の繁華街のイメージは恐いってのが払拭されないのはテーマ曲の使われ方なのではないかと思った。
◎昭和50年代の広島に行ったことがあるけれど、繁華街でパンチパーマで色付きサングラスのいかにもそのスジのおじさんがそこらじゅうにウロウロしてるのでびっくりした記憶があるよ。
◎もっとも、その頃は広島カープも山本浩次に衣笠に、高橋慶彦がいて江夏豊までいたから迫力が並大抵ではなかったけれど。
◎芸能界で言うと沢田研二さんとか南こうせつさんがこの系統にあたるアイドル歌手だとかフォーク歌手だからどうせ弱虫なんだろうと舐めてかかって喧嘩をふっかけてノサれた人が多数ショーケンとかクールス、キャロルなんかは見た目も不良ぽくて素行も悪かったが肝心のケンカは弱かった本当にケンカの強い人はそれっぽくないというけど、まあ中にはそういう人も居るって程度で実際は相手の値踏みに失敗して恥をかく不良は多かった安岡力也とか室田日出男とかわかりやすい人ばかりなら苦労しない
◎広能が最初に鉄砲玉に行ったのは、そのような経緯だったんだな。いかんせん映画を観たのが昔過ぎて記憶が定かではないけれど、ジャッキーチェンやブルースリーのカンフー映画と同じく、男の子には多大な影響を与えた映画でもある。まぁ悪い方の影響が強いのでテレビでは全然放送してなかった。
◎この類の記事を読むと、ただ自分自身を制御できない子供にしか思えない。もちろん、暴力は恐ろしいが、人間なんだから、まずは言葉を使わないとと思う。もし、こんなやつだらけなら、戦争だらけなんだろうな。だから、抗争ばかりあるのか。我慢できない子供がそのまま大人になり暴力を身に着けたようなものか
 https://news.yahoo.co.jp/articles/2a859212b4f629245938e2a1b4f2a8b2a91bceb7
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 力道山に「二度と暴力をふるいません」と謝罪させた…“伝説のヤクザ”花形敬の知られざる本性
 2021(令和三)年03月15日(月)『文春オンライン』鈴木智彦
『昭和のヤバいヤクザ』より #1 genre : ライフ, 歴史, 読書, 社会
 戦後の東京には裏社会の伝説と呼ばれるような個性の際立ったヤクザが多数存在した。しかし“無敵のストリートファイター”といえば、彼の右に並ぶ人物はいないだろう。その男の名前は花形敬。漫画『グラップラー刃牙』の人気キャラクター花山薫のモデルにもなったことでご存知の方も多いかもしれない。ここでは約30年にわたってヤクザを取材し続けるジャーナリスト鈴木智彦氏の著書『昭和のヤバいヤクザ』(講談社+α文庫)を引用し、“素手ゴロ”最強として知られる男の生涯を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
◆力道山との対決◆スカーフェイス、狂乱の貴公子、大江戸の鬼。どれも安藤組の花形敬につけられた異名だ。これらはすべて、花形の喧嘩の強さに由来していた。花形について、当時を知るヤクザたちの証言を端的にまとめると、「素手ゴロの達人で無敵のストリートファイター」となる。「敬さんは本当に強かった。当時、敵対してた俺たちが言うんだから間違いない。いま親分と言われる人たちだって、敬さんからぶっ飛ばされた人は何人もいる。暴れたら、もう黙って見てるしかない。誰も止められない。安藤(昇)さん、加納(貢)さん以外はね」(現広域暴力団二次団体幹部)喧嘩にまつわる花形のエピソードはあまりに多い。相手が誰であろうと、花形にかかれば赤子も同然だった。ヤクザ社会でいまも語り継がれる「花形の名を聞いて震え上がらなかったヤクザはいなかった」という話は、決して大げさなものではないのだ。闇市のテキヤも、博奕打ちも、みな花形が通りを歩くと姿を消した。花形は喧嘩の天才である。凡人はいくら努力しても、天才にはかなわない。まず形相がすさまじかった。顔面には20ヵ所以上の刀傷があって、一睨みされただけで、大抵はすくみ上がった。「迫力を出すため、自分でナイフを使って切り刻んだ」という証言の真偽は定かではないが、喧嘩の天才である花形が顔面を斬り付けられることなど考え難いから、その可能性は高い。喧嘩になれば、すさまじい破壊力のパンチを繰り出した。それも大抵の場合、相手一人につき一発と決まっていたという。蹴りやラグビーで鍛えたタックルを使うときはよほどのときだ。「喧嘩で賭けをするのは誰でもやる。普通は勝つか負けるかだ。だけど花形の場合は相手が一発で沈むか、二発かで賭けた。花形のパンチは鉛みてぇに重めぇんだ。食らったらどんな図体のでかいヤツでも、たいがい吹っ飛ぶ。相撲取りだって膝をつく」(安藤組大幹部・森田雅。安藤組の別働隊隊長。鹿島神流の達人)その上、スーツもハットも汚すことはなかったというから驚かされる。プロレスラーの力道山も、花形の前では借りてきた猫のようだったらしい。二人のぶつかりあいは、力道山が渋谷にキャバレー「純情」をオープンさせたことが発端だった。
◆用心棒として雇われていた力道山◆昭和30年、鳴り物入りで渋谷宇田川町にオープンした「純情」は、この地の覇者である安藤組に筋を通さないまま開店した。当時の水商売は、地元の組織に渡りを付けなければ、絶対に商売など出来ない。理不尽極まりないが、それがこの世界の常識である。にもかかわらず「純情」サイドが安藤組を無視したのは、バックに力道山が付いていたからである。力道山はプロレス界のスーパースターであると同時に、リングを降りてからもめっぽう喧嘩が強く、酔うと手の付けられない暴れ者だった。その上、飛ぶ鳥を落とす勢いにある町井一家(その後、東声会となり暴力事件を頻発させた)と密接な関係にある。乱暴な言い方をすれば半分ヤクザ。リングでもストリートでも裏社会でも強い。「野郎、ふざけやがって」花形と安藤組の大幹部たちは、すぐに「純情」に向かった。入口でフロアマネージャーを詰問していると、奥の階段から力道山が姿を見せた。鼻息荒く力道山が言う。「なんの用だ」「てめぇに用はねぇ。ここのオヤジに用がある」花形が顔色一つ変えずに答えた。「この店の用心棒は俺だから話があれば聞く」この一言に花形がキレる。「二度と悪酔いして暴力をふるいません」「てめぇ、ここをどこだと思ってやがる。てめぇみてぇなヤツに用心棒がつとまるか!」真っ赤な顔でワナワナと震える力道山は、鼻っ面を突き合わせるようにして花形と睨み合った。一触即発の緊迫感が辺り一面に漂った。「飲もう」そう言って折れたのは力道山だった。しかし、それでハッピーエンドになるほど、暴力社会の喧嘩は甘くない。おイタをすればお仕置きをされる。それがルールだ。一度牙を剥いた以上、力道山は落とし前をつけなければならなかった。しかし、天然なのか故意なのか、力道山は自分が取り返しの付かないことをしたという自覚がないようだった。「てめぇはプロレスが商売か、用心棒が商売か!」横で成り行きを見ていた別の安藤組大幹部が凄む。力道山は無言で階段の奥に消えた。ちなみにこの事件は力道山と親しい力士が間に入り和解のテーブルが持たれたが、その席を力道山がシカトしたことによって、力道山襲撃計画に発展。銃を抱いた安藤組の襲撃犯が、交代で大森にある力道山の自宅に一週間張り込むことになった。姿を見せればもちろん撃つ。口だけの脅しと違い、安藤組は実行することでのし上がってきたのだ。しかし、襲撃犯が自宅に戻らない力道山にイライラしているところへ、再び力士から詫びが入った。結末は暴力社会の人間が国民的英雄に「二度と悪酔いして暴力をふるいません」との確約をさせるというブラックジョークのようなものとなった。
◆あっけない最期◆昭和5年生まれの花形は、東京世田谷の良家の子息である。家柄もよく、実家は大地主だ。このことから分かるように、花形が暴力社会に飛び込んだエクスキューズを、貧困や差別に求めることは無理がある。国士舘中学を暴力事件で退学になったあと、明大予科に進んだ。そして安藤組入り。数々の伝説を積み上げていく。「花形を(安藤組に)連れてきたのはS(後の渋谷裏社会におけるドンの一人。花形とは国士舘中学の同級生)だった。とにかく大人しい印象だったな。礼儀作法も言葉遣いもきちんとしてる。ガタイはよかったし、学生の間ではずいぶん名を売ったらしいけど、安藤と較べりゃ子供だ。なんで安藤組入ったか? そりゃあ安藤に憧れたんだろ。俺たちはみんなそうだ。あの時代の男で、安藤に憧れないヤツはいない」(須崎清。安藤組の面々からマムシと恐れられた安藤組大幹部の筆頭格)もう一つ、時代もあった。戦後の愚連隊には復員軍人が多い。花形が憧れた安藤も、特攻隊帰りである。ヤクザや愚連隊を階級社会が生み出した産物と考えれば、彼らのほとんどは敗戦という特殊な状況がない限り、暴力社会に身を投じることはなかった人間たち。世代は少し後だが、花形も時代の波に翻弄された一人だったと言ってもいいのではないか。
◆繊細さも持ち合わせていた花形敬◆また、喧嘩の際には鬼神と化す反面、須崎が言うように、普段の花形を大人しい性格だったという人間は少なくない。花形のヒーローだった当の本人、あの安藤昇もこう証言する。「狂犬? そんなことないよ。普通だよ、当たり前じゃねえか。花形が懲役に行ったとき(昭和27年5月。百軒店でキャッチバーを経営する白系ロシア人「人斬りジム」と乱闘。その傷が元で死亡させた傷害致死事件)、俺に手紙を送ってきてね。それが残っていれば見せてやるんだが、どこいっちまったのか。とにかく、綺麗な細かい字でびっしりと『出所したらこうするつもりです』とか、『これからは目標をしっかり持って』なんて書いてある。繊細なんだよ、花形は」ジキルとハイド。誰もが持つこの資質を極端に持っていたのが、花形という人間なのかも知れない。その上、花形の酒乱は特別だった。腕っぷしが強いから、酔うとまったく手に負えなかった。ヤクザたちが逃げ回ったのは、酩酊した花形がどれだけタチが悪いかを知っていたからでもある。その悪癖は安藤組内部でも、深刻な齟齬を引き起こした。
◆3発の銃弾を体に受けて…◆花形が安藤組組員に撃たれたのは昭和33年2月のことだった。安藤組内宇田川派と大和田派の内部対立ということにもなるが、どちらかといえば酔って暴れ回り、狼藉をはたらく花形個人に対する感情の暴発である。刺客は千鳥足の花形を呼び止め、真正面から銃口を向けた。「おい、M。なんの真似だ」間合いを詰める花形に無言で刺客が引き金を引く。初弾が体をかすめ、脇の壁にめり込んだ。「M、お前にゃ俺を撃てねぇよ」そう言ってゆっくりと左の拳を差し出す花形。刺客は再び引き金を引いた。今度はその拳を弾丸が貫いた。血飛沫(ちしぶき)が舞い、花形がよろめく。とどめの三発目が花形の腹部に吸い込まれた。刺客は花形が崩れ落ちるのを確認して走り去った。しかし、花形は生きていた。自力でタクシーに乗り、病院で応急処置を受けると、医者の制止を振り切ってそのまま女と夜の街に戻った。腹部の弾丸は内臓を避け、運良く貫通していたのである。とはいえ常軌を逸した行動、並はずれた体力であることは間違いない。この事件は安藤組の面々から「神様、仏様、加納様」と慕われた愚連隊の帝王・加納貢が間に入って解決。激しいぶつかりあいは膿を出すことにもなり、派閥間の冷戦は払拭されたという。昭和33年6月、列島を震撼させた東洋郵船社長横井英樹襲撃事件が勃発する。権威をあざ笑うかのごとく挑発的な逃亡を続ける安藤に、警察は激怒する。組長の安藤以下、花形ら幹部はことごとく逮捕された。襲撃を担当したのは安藤組随一の「突破」といわれた志賀日出也の赤坂支部で、花形は後方支援を担当した。そのため刑は軽く、いち早く出所した。「帰ってきた敬さんは別人になっちゃったもんな」しかし、渋谷に戻った花形は愕然とする。もはや安藤組に昔日の面影はまったくなかったのである。組員は激減し、築き上げた縄張りは蹂躙されるがまま。なかには「安藤組など過去の話だ」とあからさまに挑発するものもいた。安藤組の組長代行となった花形は、まるで人が変わったようだったという。「帰ってきた敬さんは別人になっちゃったもんな」(元安藤組組員)これまでは力で相手を屈服させ続けてきた花形は、一転して穏健派となり、話し合いを重視し、下げたことのない頭を下げた。安藤不在の責任感、警察の厳しい取締り、懲役での経験が花形を変えたのかもしれなかった。
◆弱肉強食の世界◆そんな弱味を、弱肉強食の世界に生きるヤクザたちが見逃すわけがなかった。ライオンが真っ先に狙うのは、怪我をしている鹿だ。弱体化した安藤組はヤクザたちの集中砲火を浴びる。
〈社長さえいれば……(安藤組では組長の安藤を社長と呼んだ)〉花形は何度もそう思ったのではないか。社会現象にもなった安藤組という組織は、それだけ安藤昇というたった一人の男に依存していたのである。
‡1963(昭和38)年09月27日(金)。安藤組の組員が町井一家の人間をめった斬りにした事件の報復が、組長代行の花形に向けられた。待ち伏せていた町井一家組員のドスが、川崎市の路上で花形のはらわたをえぐった。享年33歳。強いものほど殺される。その定理がまた一つ証明されたのである。伝説というものは多かれ少なかれ脚色されている場合が多い。とくに裏社会のことは、いい加減な伝承が大手を振ってまかり通っている。マスコミから黙殺されるジャンルであり、確かめようとする人間もいないから、どうしたって話が大げさになるのかもしれない。
◆伝説になる価値のあった“強さ”◆戦後の東京にはこういった裏社会の伝説がたくさんあった。個々の事例をあげつらうのは避けるが、それら伝説のほとんどは贋作だ。花形に関しても、美化された部分があることは否定しない。たとえば加納貢は花形を、
「軍曹だったが、大将ではなかった」そう短い言葉で評する。花形には人の上に立つ器量がなかったということだろう。だが、彼の素手ゴロが神がかり的だったのは本当の話だし、ヤクザたちにとって恐怖の存在であったことも事実である。彼の強さはまさに伝説になる価値がある。花形に関してはそう保証する。だいいち、どれだけマイナスポイントがあっても関係などない。強い男はそれだけで充分魅力的じゃないか。
 https://bunshun.jp/articles/-/43968
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 徒然その33☆花形敬のレクイエム☆
 2010-12-10 21:33:19 ☆格闘家カフェテラス☆
 この☆格闘家カフェテラスのコーナーは、ここだけの話、あんま人気ないんですよ。
 自分的には非常に気に入ってて、前回のルー・テーズ以外にもいろいろと暖めているネタはあるんですが、なにせ人気がない。アクセスしてくる方がとんとおられない。
 というわけでいま現在、必然的にやり甲斐のない、秋口のとぼとぼ散歩道的なたそがれページとなりつつあるんですが、実をいうと僕、どうにも好きなんですよねえ、このページ。
 ブログ、というジャンルであることを最大限利用してこれからも細々とやっていけたらなあ、なんていまのんきに思ったりしているのですが、今回のカフェテラスのゲストは凄いですよ---なんと、あの伝説の喧嘩師!---花形敬さんなんであります。
 うわーい、ぱちぱちぱち。(口笛、指笛等の高い音も)
 なぬ、この方をご存じない?
 話のそとだ、そんなのは、おとといおいで! と勢いにまかせていいたいところですが、そんな傲慢対応かましていた日にゃあ僕自身の明日もないし、わざわざ訪ねていただいたお客さんに対しても申しわけない、ということで改めて初心にかえって、この方のプロフィールを紹介させていただきませう。
-----花形敬。1930年小田急沿線の経堂に、良家の子息として生まれる。千歳中学校を自主退学ののち国士舘中学に移籍。そののち明治大学予科に進みラグビー部に所属。身長182センチ。1950年、渋谷の安藤昇の舎弟となり、無類の喧嘩の強さから大幹部に引きたてられる。前科7犯、22回の逮捕歴あり。相手が何人いようが刃物をもっていようが、自らは決して武器をもたない「素手喧嘩(ステゴロ)」で通し、いざ喧嘩となった際の凄まじさは、あらゆる暴力団関係者から例外的な伝説としていま現在も語り継がれているほどの特別の存在。いわば暴力世界のカリスマ。漫画「グラップラー刃鬼」の花山薫のモデル。東映映画「疵」では陣内孝則が、「安藤組外伝」では哀川翔が、それぞれ花形役を演じた。全盛期の力道山をビビらせたこともある。
†1963年9月27日、組関係の抗争から刺殺される。33才だった。どのエピソードも人間離れしていて凄いんですが、現(?)住吉連合常任相談役の石井福造氏のこの回想が極めつけにすさまじいので、この場を借りてちょっと紹介しておきませう。渋谷の盛り場で、この石井さんが若い衆に命じて、なんか金品巻きあげのようなことをやっていたらしいんですよ。で、ひとりになって靴磨きに靴を磨かせていると、いつのまにか10人をこえる土方の一団にまわりをすっかり囲まれていたことに気づくんです。めいめいがツルハシとかハンマーをもってて---要するにお礼まいりにやってきたというわけなんです---石井さんも普通のおひとじゃない、腕には自信がある、しかし、いくらなんでも相手が多すぎるし、皆、武装までしてるんだからこれは分がわるい。
----靴磨いてんだ。終るまで待ってろ。とはいったものの、さて、どうしたものかと困っていたら、そこに花形敬が現れたというんですよ。以下、本田靖春氏の著書より引用します。
「兄貴、どうしたんですか」花形は石井を立てるように、丁寧な物言いをした。
「いや、この連中が話したいというもんだから」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここはまかせておいて下さい」土方たちをうながして先に立った花形は、渋谷大映裏の空地に入っていった。ここでも片がつくのに「何秒」しかかからない。リーダー格と目される男の顔面に、いきなり花形の右ストレートが伸びた。その一発で、男は横倒しになり、完全に失神した。パンチの勢いに驚いて、他の連中は四方へ逃げた。その中の一人を追い掛けた花形は、追いつきざま、相手の腰に飛びついた。千歳の生タックルである。三メートルは飛んだと石井はいう。地べたに叩きつけられた男の顔を三つ、四つ踏みつけておいて花形は石井に声を掛けた。
「さあ、行こうか」息も乱れていない。
「そういうとき、花形は格好つけないんですね。何事もなかったような顔してる。強いのも強かったけど、度胸が凄い。十人くらいいたって、平気なんだから。負けるなんて、全然、考えたことないんじゃないですか」これは、いまになっての石井の感想である…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)
 ああ、楽しい。花形敬の最強伝説を語るときほど楽しいことって、僕にはそうありません。
 なんしろ強いんです。ハンパないんです。しかも、僕ら素人がそう評するのじゃなくて、花形の場合、むしろ暴力のプロの方々のほうがそうおっしゃられるわけなんですよ。自分はいついつのどこで花形と喧嘩して負けた、とかね。普通だったらそういうことってありえないんです。負けても勝ったといいはらねば、たちまちメシが喰えなくなる業界です。
 しかし、そうした修羅界の常連さんがたにとってすら、花形は別格の存在なんです。
 花形が相手なら負けて当然と誰もが思ってる、だから、自分がいかに簡単に花形に叩きのめされたかを得々と語るのです。これは、きわめて異常な事態です---つまり、花形敬とは、まさにそのような異常な語られ方をされるような、「特別な」男であったというわけなんですよね。
 この「特別さ」は、このエピソードに端的に顕れていると思います。
 ええ、あまりにも有名な、例の花形銃撃事件です。
 1958年、渋谷宇田川町のバー「どん底」の前で花形は背中から声をかけられます。
「敬さん」青白い疵だらけの顔が振り向いた。特徴のある目は深い酔いで焦点が定まらないようであったが、向けられた銃口にはすぐ気づいた。
「いったい何の真似だ、それは」ドスのきいた低い声に動じた気配はない。恐怖にかられたのは牧野の方であった。身体の正面を彼に向け直した花形が一歩一歩迫ってきたからである。撃たなければ殺される。牧野は夢中で引き金をしぼった。しかし、弾は花形をそれた。
「小僧、てめえにゃおれの命はとれないぞ」後ずさりしながら牧野は二発目を発射した。弾はその掌を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。続いて第三弾が左の腹部に撃ち込まれた。さしもの花形もその場に崩れ落ちる。
「やりました」
「やったか」これで、やっと枕を高くして眠れる。そう思って石井が安堵の胸を撫で下ろしていると、花形の動静を探らせるために放っておいた森田の若い衆二人が、血相変えて現れた。花形が石井と森田の居所を探し求めて、渋谷の街をうろついている、というのである…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)
 驚異---撃たれても死んでない。さらには、運び込まれた病院を脱走して、自分を撃った相手を探して渋谷中歩きまわってたっていうんですから…。
 これには、撃ったほうの一団もまっ青だったと思います。これはコワイよ。しかも、花形のこのときの怪我の具合をあとから分析してみると、決して軽いものじゃないんです、弾の一発は左掌の人差し指と中指近くを貫通して穴をあけてましたし、腹に撃ちこまれたほうの弾は左腰貫通して坐骨骨折を起こしてました。通常でいうなら最低でも4ケ月の入院が必要なところだったとか。
 けれども、花形さんはそうしない、それどころか仇の居所を夜更けすぎまであちこち探しまわり、そのあいだも酒を煽り、焼き肉を二人前平らげ、夜明けには女をつれて宇田川町の旅館にしけこんだというのだから絶句です……。
 これはもう空手何段だとかベンチプレスで120キロあげれるとかいったレベルじゃぜんぜんんない。恐らく、脳天のさきまで響くような歯痛の極みみたいな激痛が、一晩中、身体中のすみずみまで駆けまわっていたはずです。
 1秒1秒が地獄だったと思います。歩くたびに限界致死の痛みが脳髄の奥までギチギチと響きわたってくるというのに。なのに、焼き肉を食べ、あまつさえ女まで抱いてるんですから---これは、異常な耐久力であり異常な根性ですよ。僕は歯医者とかにいくたびに彼のこのエピソードを思いだして、痛みに耐えようとまあ思うんですが、いつも2.5秒あまりで挫折しちゃう。花形はちがう。恐らく、麻酔抜きで歯を全部抜いても悲鳴すらあげないんじゃないでせうか。そんな人間はいないと僕も以前なら思ってた。でも、花形なら、やっちゃうと思いますね。
 東興業の安藤昇さんがこの事件を知ったのは、翌日の昼すぎに事務所にでてきてからでした。すぐにひとをやらせて花形を呼んだそうですが、いくら尋ねても花形はなんにもいわない。そのうち、花形が身体を動かしたとき、何かのはずみかでそのズボンの裾から、撃たれた拳銃の弾が床にコロンとこぼれ落ちたということです---。ルー・テーズの師匠であるジョージ・トラゴスは、若いころ、よくテーズにこういっていたそうです。
----いいか、ルー、世の中、上には上がいることをを決して忘れるな…。(ジョージ・トラゴス:米国のレスラー。サブミッションの達人)ええ、花形敬とは、トラゴスがこのようにいっていた「上の上」---ぶっちゃけていうならまさに喧嘩の天才だった、とイーダちゃんは思ってます。
 どんな分野にも天才っていますから。そして、とっても悔しいけど、天才には凡人は絶対敵わない。この花形銃撃事件は、僕はたまたま起こった銃撃事件を花形自身があえて「演出」して、自分をとりまく新たな「伝説」作りに利用したんじゃないか、と解釈しています。痛みはすさまじかっただろうけど、彼自身は案外新しいタイプの喧嘩みたいなつもりで、やっててけっこう楽しかったんじゃないのかな。
 闘いのために生まれてきたようなこんな男に勝てる奴なんて、まず、いなかったでせう。ランクがちがいますもん。知り合いのムエタイ・マスターは、僕がこの説を述べると怒るんですが、僕は、喧嘩の強さっていうのは、生まれつきあらかじめ決定されてるもんだと思ってます。後天的な鍛錬やら格闘技の習得である程度までならこの溝を埋めることは可能でせうが、完璧に埋めきることは恐らくむりでせう。
 この花形敬という男には、結局、誰もかなわなかった。格闘技のチャンピオンだとか暴力世界で名を知られた無類の喧嘩名人とか---ちょっと比類のないランクの強者たちであればあるほど---逆に、生前の花形とは注意深く距離をおいて、徹底的に対決を避けてました。
 恐らく、強い奴には強い奴がわかるんでせうね。本能でもって。安藤組の武闘派ななかでも極めつけといわれていた、50人からの舎弟頭、空手4段の西原健吾氏も、花形と喧嘩になりそうになったとき、運転手に耳打ちしてクルマを停めさせ、ドアをあけるなり一目散に逃げだしたそうですから。
---あの喧嘩の強いのが、物凄い勢いで逃げましたからねえ。必死なんてもんじゃない。いまも目に浮かぶようです…。(元安藤組幹部、M氏の証言)あの世界チャンピオン、ルー・テーズも喧嘩の強者として認めていた、全盛の力道山にしても、花形をまえにした際には、対処法は西原さんとごいっしょでした。引用いきます。
 昭和三十年の暮れ、そうした新しいビルの一つに、キャバレー「純情」がオープンする。その挨拶がないというので、開店の当日、花形が出向いて行き、マネージャーに経営者を呼ばせた。
 ところが、出て来たのは、力道山であった。
「何の用だ」
「てめえに用じゃない。ここのおやじに用があるんだ」
「この店の用心棒はおれだから、話があれば聞こう」
「てめえ、ここをどこだと思ってるんだ。てめえみてえな野郎に用心棒がつとまるか」
 花形に野郎呼ばわりされて、力道山の顔に血が上った。怒りで両手がぶるぶる震えていた。
 朱に染まったような力道山の顔面に花形がぐっと鼻先を寄せて、初対面の二人のにらみ合いが数秒のあいだ続く。
「中に入って飲まないか」 
 折れて出たのは力道山の方であった…。(本田靖春「疵-花形敬とその時代-」より)
 セメントマッチの強者・力道山は、このとき、花形の目のなかの「ただならぬもの」をたしかに目撃したんだと思います。
 それは、いったん目にしてしまったら、あの力道山すら一歩引かざるを得ないような類いの危険なものでした。
 花形の映像はそう残ってはいませんが、僕がこのページの冒頭に掲げた写真からも、それなりの「鼻」があれば、花形のその種の危険な匂いが嗅ぎだせるのでは、とイーダちゃんは感じてます。
 というのは、この写真なかの花形、顔の表情にリミッターがなんもかかってないんですよ。
 リミッター---ええ、僕ら、一般人って普段の自分の表情にもある限界線を決め、そこから先に感情が暴走しないよう案外入念にコントロールしてるもんなんです。普段の笑いならせいぜい大笑いまで、酒の席でならまあ馬鹿笑いまで、しかし、狂的な笑いまでにはいかないようにって常に注意深く自粛してる。
 日常生活をつつがなく送るために我々が調整してる、いわゆる理性作業の表情抑制リミッター---それが、この写真の花形の顔には見事なまでにありません。
 これは、行くとなったら、とことん行くところまで行く顔ですね。
 命が惜しいとか、迷いとか、そんなことはまったく思ってもいない、修羅の顔であり鬼の顔である、とイーダちゃんは思います。
 しかし、この鬼ときたらふしぎな鬼ですよ。死んでから何十年もたつというのに、ずいぶんいろんなひとから愛されているやうじゃないですか。
----拘置所に面会に行きますね。他の連中は番号で呼ばれて出てくるのに、花形さんだけは名前で呼ばれるんです。そのアナウンスがあると、百人からの面会人のあいだから、何ともいえないどよめきが起こるんだな。来ているのは、ほとんどが稼業人ですから。花形さんというのは、そういう存在だったんです…。
 今宵の僕のこのページも、そういった拘置所のどよめきのなかの小さな声のひとつです。
 強い者に憧れるごく単純な心理でもって、ここまで綴ってきたこのささやかなページを---たぶん天国にいるだろう花形敬さんにむけて、こっそり捧げたいと思うイーダちゃんなのでありました。m(_ _)m
 2010-12-11 04:34:21 参上!! (チェ・ジバラ) よお、あんたよお、花形さんて、バキに出てくるアンちゃんだろが、しってるぜ、バキからぬけて、ピンでも漫画の主役張ってるからよお、でもよ、あんたよお、好きなのわかるけどよお、銃撃事件の年、変じゃねえの、書いたらもっかい読みなおせっちゅうの、ったくよ…。
 2010-12-11 06:08:20 チェ・ジバラさんへ (イーダちゃん) >参上!!とアドバイスありがとう。ほんとだ、1931年じゃなくて1958年でした。さっそく訂正します。多謝(^^)あけまして (ユーヂ)
 2011-01-01 23:18:25 あけましておめでとうございます。新年のご挨拶がてら、書き込みをしようと覗いてみたら、なんと話題が「花形」・・・。いやぁ、イーダちゃん節爆発ですね。今時「花形敬」で記事一本書く人なんて、それこそ”そういう本”を書く人たち以外にいたのね(笑)。お見事です。格闘技、ってものを10ウン年もやってくると、何と言いますか殴る、蹴るの速さや強さだけではない、言い方悪いけど「狡さ(これは業界内では「上手さ」になる」みたいなものが出てくる訳ですよ。自分は状況作りが上手い、という表現をするんですが、簡単に言うと打たせない、蹴らせない、相手に好きにさせない。喧嘩の強さってのは、そういう類の「強さ」なんでしょうね、と言えるようになるまで、私は10ウン年かかりました。そういう意味では私は「凡人」なんでしょう(笑)。今年も宜しくお願いします。
 2011-01-03 13:05:49 ユージさんへ (イーダちゃん) >あけましておめでとう! ほんと、いろいろあった1年ですけど、訪問、カキコありがとうです。<(_ _)>状況作りが上手いっていうのは面白い表現ですね。格闘技のみならず、交渉事、戦争とかでも極意はそれかもね。「達人」テクの基本ってもしかしてそんなところにあるのかも。それはそうと、そっち側の世界で修行をしこたまつみ、しかも、あくまでクールで謙虚な立ち位置のゆらがないユージさんみたいな人材はやっぱすごいって。そのような「克己」への努力は、いつの世もオトコの基本だと思います。こちらこそ宜しく---今年、いい年にしたいね。
 2012-01-07 23:32:18 お初です。 (イワオ) 初めまして、僕が花形さんを知ったのは、去年くらいだったと思います。サイトで花山 薫のモデルになった人物で検索すると花形さんの事がかかれてました。花形さんも握力は強かったのでしょうか?でしたら花形さんも握撃みたいな技は使えたのでしょうか?イーダさん、お願いします。
 2012-01-08 23:42:20 >イワオさんへ (イーダちゃん) >握激は、あれは花形のというより、漫画家・板垣恵介さんの空想内での必殺技なのではないのかな?実戦って容赦ないですから、相手の手首をつかんで1秒でもじっとしてたら、それはもう自分を撃ちぬいてくれ、といってるのとおなじ意味でしょ。その居着きの刹那、つかんだほうの「敗戦」はほぼ決定。そんなおろかな自殺技を使う「喧嘩屋」は、まずいないはず。見栄えのする技で実戦に効く技ってほとんどないといっていいのではないかしら。もっとも、オラウータンみたいに握力が500キロもあったら、そりゃあ話は別ですが。でも、それでも「握激」はたぶんやらない。腕を握りつぶす力があるなら、それを用いて相手を崩すか投げる、もしくは関節技に入るか首締めを狙う、というのが実戦的な、正しい格闘のあり方だと思います。
 https://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/604626c52dcc6675a050599675726133

 忘れてはいけない終戦秘話「一杯のコーヒー」昭和天皇とマッカーサー http://youtu.be/hist1q5njD4
 昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言 The testimony of the interpreter http://youtu.be/inE1DSH0jrk

 2020(令和二)年12月20日(日) 中目黒デモ演説09:55
 2020(令和二)年11月15日(日) 渋谷デモ31:14
 2020(令和二)年11月22日(日) 渋谷デモフェス42:42
 2020(令和二)年11月24日(火) 渋谷駅前 COTEMPA氏と街宣演奏01:16:57
 2020(令和二)年11月08日(日) 第33回渋谷デモフェス33:44
 2020(令和二)年11月01日(日) 第32回渋谷クラスターテ゛モフェス35:50
 2020(令和二)年10月30日(金) 渋谷でCOTEMPA氏と街宣演奏01:17:03
 2020(令和二)年10月25日(日) 渋谷クラスターデモ ピアノ弾き語り24:31
 2020(令和二)年10月18日(日) 渋谷クラスターデモフェス ピアノ弾き語り14:43
 2020(令和二)年10月18日(日) 国会議事堂前デモ ピアノ弾き語り22:45
 2020(令和二)年10月04日(日) 渋谷クラスターデモフェス ピアノ弾き語り21:39
‡2020(令和二)年09月27日(日) 渋谷クラスターデモフェス ピアノ弾き語り18:52
 今日映像◆https://vimeo.com/475375027
‡2020(令和二)年09月27日(日) 渋谷クラスターフェス ヴァイオリン演奏11:21
 今日映像◆https://vimeo.com/475374907
 2020(令和二)年09月21日(月) イザナギさん 君が代 スピーチ 国会議事堂前デモ06:27
 2020(令和二)年09月06日(日) 渋谷クラスターフェス ピアノ弾き語り16:59
 2020(令和二)年08月29日(土) 第5回渋谷クラスターフェス ピアノ弾き語り17:04
 2020(令和二)年08月22日(土) 第4回渋谷クラスターフェス ピアノ弾き語り18:49
 2020(令和二)年08月15日(土) 第三回渋谷クラスターフェス19:03
 2020(令和二)年08月08日(土) 第二回渋谷クラスターフェス ピアノ弾き語り17:03
 2020(令和二)年08月01日(土) 第一回渋谷クラスターフェス ヴァイオリン演奏08:02
 2020(令和二)年08月01日(土) 第一回渋谷クラスターフェス ピアノ弾き語り07:24
 https://vimeo.com/user123787702
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 失うものはもう、何もありません。もう一度子供を育てたいです
 2022(令和四)年05月16日(月) いつもありがとうございます! ランキング ↑ クリック支援よろしくお願いします。コロナの嘘 拡散のためどうか上位キープご協力を m(__)m 上に上がるほどアクセス数増えます。みなさん、いつもありがとうございます。実は昨年、子供を交通事故で亡くしました。こんなこと深刻すぎて簡単に書けません。もう、どうやってこれから生きていけばいいのかって思っていました。このサイトをやりながら、子供に何かあることを恐れていたので、どこの誰だか隠す必要がありましたが、今の私は失うものが何もありません。もうどっか行って、死のうなんて思ったりもしました。何が起きるかなんてわかりません。あれだけマジメに育てていた中、神様を信じれなくなりました。神様はいない。あるいは裏切られた……子供は天才でした。渋谷のデモや反コロ界隈、知ってる人にとってはスターでした。親の私もよく知られていました。その辺で気安く話せず、あまりにも重く、ちょっと会ったりとかそんな時に周りには言えません。そのせいで子供のことを知ってる人に会うのもイヤでたまりませんでした。子供のことを聞かれたりしますし。知らない人とでも、やっぱり子供がどうたらといった話題が出た時の、いつも心臓が止まるようなつらい思い…… 人に会うの自体、イヤになってます。あれ以来、何をやっても楽しくなく、あの子さえいてくれたら…… いつも、そんな辛い思いばかり。ここを見ている人が今、どんな人がいるのかわからない。10年以上前から、当初から見ていた人は私を男性だと思っていた女性ファンがたくさんいました。しかし女性だということにされていき、しかし、そうなってくると女性ファンが離れていったようにも感ぜられました。今日は、私や子供がどんな子だったかもわかります。だからといって、女性が書いてる部分も絵空事ではなく実在しています。妻も子供も亡くした今、これからどうすべきかもうわかりません。今の私には、何の希望もないのです。これまで私は子供のことだけを考え、自分のことなんて一切、ないがしろにしていましたから。基本的に私はあれこれやったりせず、この人さえいてくれれば、といった、ささやかな幸せで満足するタイプで、表で目立ったりするのも好みません。でも今の私の願いは、出来ることなら新たに家族を持って、子供を持ちたい。神様がいて、今もつながっているというなら、もしかしたら叶えてくれるかもしれない。多少の資産があっても、今の私には何の意味もありません。そして、もう10年以上やっていますが、ここの読者、今は毎日千人ほどですが、それも私の大切な財産だと思っています。ずっと前は女子学生のような若い方からもファンメールがちょくちょく来たりしていました。当初のアクセス数は毎日3~5千人ぐらいもあって、かなりのものでしたからね。今は毎日千人ほど。ここを見ている女性は子育て中の方も多そうだし、今、ここを見ている女性に新たに子供を育てられるような若い方がどれだけいるのかもわからない。でも私は、出来ることならもう一度、家族を持って、一から子供を育てたい。ここの読者なら私の感性や考え方を大体がよくわかってくれているはず。私のファンで、私と一緒にやりたいという方がいらっしゃるようなら、気軽に連絡ください。できれば音楽好きな人の方が気も合いそうですが、多くは望みません。別に友達になりたいとか、そんなのでもいいです。このところあまり人に会ってなく、気を紛らしたいところもあるのですが、ただ、人と会っても悲しくなることが多くて。でも、ここをいつも読んで共感されている方なら話は合うのでしょうね。私がここをやっていることを知っている者はいません。変な工作員や嫌がらせも来そうなので、当然、警戒しますが。本物、本気の人かどうかはサイトをちゃんと読んでいるか、理解しているのかを、ちょっと確認すればすぐにわかります。それが叶わなければ、私もいずれ死に、このサイトも私の遺産もすべて滅失…… ここがなくなると、ここのファンも、きっと希望を失くしてしまうことでしょうね。本当にどうすればいいかわかりません。ここにこんなことを書くべきなのかもずっと悩み続けていたし、こんなことを書くこと自体、病んでるのかもしれない。あの子の写真や映像を見るのもつらく、あの子との楽しかった日々を思い出しては現実を思い知ってはふさぎこむ毎日…… 今の状態のまま、ここを続けるのもきつくて。あれから音楽さえ聴く気になれず、CDすら一度も聴いていないし、映画とかもまったく見ていません。でも、ここの読者こそ、きっと私の考え方などを一番よくわかってくれてるはずだと思い…… 毎日、これだけの人が見に来てくれているのだから、一人ぐらいそんな方がいてもおかしくないと思って。当初は私を救世主のように思われてた方もたくさんいらしたようですが、今もそういう方がいらっしゃるかどうか……もう、天才だったあの子の演説も、歌も演奏も聞けません。あの子の演説はあちこちで拡散されています。それらをアップしてるのは私ではありません。界隈では将来の救世主だとか、いろいろ期待されていましたが。これはあの子の初演説です。実は親の私自身、演説をやりたいとか何も聞かされていなかったのに、演奏が終わった後、突然に子供が勝手に演説をやり始め、親の私自身、大変驚いたのです。即興でこれだけの初演説をやったあの子、親の私から見ても、この時、本当に天才だと思ったくらいです。
 2020(令和二)年11月15日(日)映像◆中学生ピアニストの神演説!!全大人よ、子供達の声を聞け!! https://youtu.be/TM4FTNUx2RQ
 
 この子を育てたのは私です。もし、ここに私の女性ファンがいるなら、天才の遺伝子を残して、一緒に育てませんか。偉大な所業として、ここも将来に残しておきたい。これは今の私の切実な願いです。私自身の演説とかも載せておきましょう。
 2020(令和二)年11月22日(日)映像◆渋谷フェス 演説と演奏
 夜にお店を閉めさせ自粛させるのは、「民のかまどの灯りが見えないから、民が貧している」と思って、徴税をやめた仁徳天皇とは全く真逆の行いであり、賑やかだった街並みの灯りを消滅させて民を貧しきに追い込み、自らだけが享楽に耽るのが現政権。
◆演説~X JAPAN Endless Rain~オフコース さよなら~The Beatles Yesterday~Glenn Medeiros Nothing Gonna Change My Love for You 変わらぬ想い~演説
 子供が幼い頃についた音感の先生も今はもういませんが、音感トレーニングやいろんな教材だってあるし、ピアノを習っていないのにどうしてこれだけ弾けるようになったのかとかも、今なら全部、私の頭にあります。子供が小さい頃から読ませていた絵本だって何でも家にはあるんです。誰か私と一緒にやっていくという方がいらっしゃれば…… また希望を持てるかもしれない…… こんなバカげたことを書いて……、でも、このままでは、このブログを続ける意味も失いつつあって…… でも、やるだけのことはやっておこうと…… 隠す意味もなくなってしまいましたから。応援していただいてた皆さん、今まで本当にありがとうございます m(__)m
 https://nihon-omokage.com/?p=20660


◎御本尊について◎
「私どもが拝んでいる大御本尊様は、 一閻浮提総与の大御本尊様でございます。全世界の人々が、絶対の幸福をつかむためにも、仏になるためにも、大御本尊様を拝む以外に道はないわけです。」
‡昭和35年9月27日 第五回本部幹部会 東京体育館
 https://soka-news.jp/ikeda-sido.html

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