過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

幻のビートルズ「ブッチャー・カバー」とは?100万円以上で取引されることも
来日2週間前の
6月15日にアメリカで発売予定でしたが、レコード会社が直前に回収したことで知られています。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/beatles_jp_60da651ae4b02f1aed4c8b56

 ビートルズがやって来た―来日50周年に振り返る4人の素顔
 2016(平成28)年06月25日(土)のインタビューを基にニッポンドットコム編集部が構成
 2016(平成28)年07月07日(木) 文化 星加 ルミ子【Profile】私とビートルズの出会いは東京オリンピック大会の翌年の1965年6月。生まれて初めて飛行機に乗って、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオ(EMIスタジオ)で4人に単独取材をした。ビートルズの武道館での来日公演はそれから1年後のことだ。ジョン・レノンと同年生まれの私は、65年の独占取材に始まり、70年の解散に至るまで、毎年ビートルズを取材して同世代の4人の素顔に触れることができた。来日50周年を期に、あらためて音楽記者としてのビートルズとの関わりと、当時の日本を振り返る。
 1966(昭和41)年06月30日(木)バナー写真◆日本武道館で演奏するビートルズ(時事通信フォト)
 写真◆1965年ロンドンのEMIスタジオでビートルズを単独取材した会見記を掲載した「ミュージック・ライフ」の表紙。中央が星加ルミ子氏。
■25歳で「編集長」就任、いざロンドンへ■ビートルズの名前を意識するようになったのは、短大を卒業して、「ミュージック・ライフ」の編集者として数年の経験を積んでいた頃だ。アメリカのロック、R&B、エルヴィス・プレスリーが好きで、それが理由で音楽出版社に入ったようなものだったので、最初はビートルズにすごく関心があったわけではなかった。1963年頃から、米国の業界紙によくその名前が登場するようになった。64年の北米ツアーでは、彼らの行く先々で何万という熱狂的なファンが埋め尽くしているというニュースが日本のメディアにも届いた。同年半ば頃には、「ミュージック・ライフ」編集部にも、学校帰りの女学生が訪ねてきては、何かビートルズの新しいニュースや写真はないかなどと聞いてくるようになっていた。少女たちに、どうしてそんなにビートルズの曲をいろいろ知っているのかと尋ねると、「FEN(米軍の極東放送)で朝から晩まで曲が流れてる」「深夜ラジオでもよく聴いている」との返事。日本で最初にリリースしたシングル「抱きしめたい (I Want to Hold Your Hand )」も売れていたが、50年代のロックンロールを聞いていた私には、ビートルズのサウンドはまったく異質なものだったので、その人気も一過性のものだと思っていた。とはいえ、若い人に人気があるのだから、音楽雑誌としては関連記事を掲載したい。当時は写真1枚に何万円も払って通信社から買わなければならなかった。「ミュージック・ライフ」初代編集長の草野昌一さんから、実際にロンドンに行って取材してきなさいとこともなげに告げられ、国内外のあらゆる伝手(つて)を駆使して、ビートルズに会うための戦略を練った。マネージャーのブライアン・エプスタインにはもちろん、取材依頼の手紙を出したが、“Absolutely not” という返事が戻ってきた。世界中のマスコミから取材依頼が寄せられ、机の上に山のように積み重なっているとのことだった。結局、英国EMIの伝手から助言をもらって、65年6月、とにかくロンドンに向かうことになった。6月一杯『ヘルプ!』のレコーディングで4人がロンドンにいるので、会うには絶好のチャンスということだった。出発の1週間前には、突然、草野さんから編集長を引き継ぐことになった。エプスタインに面会の約束は取りつけてはいたが、もちろんビートルズ会見の承諾は得ていない。今では考えられないが、彼へのギフトに日本刀を持っていた。1本だとかえって目立つからと念のために偽物も4本買って、紙袋に入れて機内持ち込みの手荷物として持参した。ロンドンに行く前に、取材でドイツのハンブルグ、パリをまわったが、税関で厳しくとがめられることはなかった。
■アビイ・ロード・スタジオでの3時間■日本のことは良く知らなくても、日本の音楽市場が急成長しているということは知っていたエプスタインだが、世界からの山のような取材依頼に、特別扱いはできないという方針だったのだろう。だが、はるばる極東の国からやって来た私の熱意と、刀が気に入ってくれたのか(黒澤明の『七人の侍』のことは知っていた)、最終的にビートルズとの会見をかなえてくれた。
‡1965(昭和40)年06月15日(火)写真◆ロンドンのEMIスタジオでビートルズを単独取材。ジョン・レノン(手前)とポール・マッカートニーに挟まれて。
 写真◆星加氏が持参した「ミュージック・ライフ」を手にしたビートルズのメンバーとプロデューサーのジョージ・マーティン(後方、左から2人目)。
 ビートルズがレコーディング中のEMIスタジオに向かったのは
‡1965(昭和40)年06月15日(火)の午後5時すぎ。第2スタジオ1階のミキシングルームでプロデューサーのジョージ・マーティンが迎えてくれた。地階のレコーディングスタジオにいる4人は、着物を着ている私を珍しがって、おしゃべりをやめて上を見上げている。ポール・マッカートニーが、あそこに階段があるから降りて来いと手招きをした。どこかから記者が来るとは聞いていたが、私のように小さな(身長150センチ)女の子が着物姿で現れるとは思ってもみなかったのだろう。ジョージ・ハリスンは飛んできて、どうしてこんな大きなベルトをしているのか、スリーブが長いのはどうしてかと聞いてきた。着物を着てきたことは、会話の良いきっかけを与えてくれた。年齢も同じぐらいで英語は片言、小さくて危害を加えそうもない私を見て、安心したのだろう。すぐにうちとけて、ざっくばらんな感じになった。最初は30分だけと言われたのに、結局3時間一緒にいた。4人に「ミュージック・ライフ」読者から応募した質問を10問ほどタイプした紙をポールに渡すと、君の英語だと明日の朝までかかるからと他のメンバーへの質問表を受け取って、ジョージ、ジョン・レノン、リンゴ・スターに渡してくれた。みんな一生懸命質問への答えを記入し始めた。4人の中では、最初は人見知りの印象を受けたジョンは、慣れてくると冗談を言ったりして、一番冗舌になった。彼は日本のことを知っていて、日本に行ったら“スモーレスラー”に会いたいという。美術学校の友人が日本の写真集を持っていて、その中に “beautiful” な力士の写真が載っていたのだそうだ。「僕は日本語を知っているんだ」と、イントネーションだけ真似をした「日本語もどき」をしゃべってみせたりもした。その後、ロンドンから米国に飛んで1カ月間取材をして帰国した時には、ビートルズ会見記を掲載した「ミュージック・ライフ」はすでに発売されていた。通常は5?7万部しか発行していなかった雑誌を25万部刷って、ほぼ完売だった。
  ⇒ 次ページ: ロンドン単独取材から1年後の来日
 https://www.nippon.com/ja/column/g00378/
■ロンドン単独取材から1年後の来日■ビートルズが来日するという話を耳にしたのは、1966年の年明けだった。協同企画(現・キョードー東京)の永島達司さんに会った時に、ビートルズはどういう人たちだったかと聞かれた。いい人たちだけど、マネージャーのエプスタインは手ごわいなどと、雑談を交わした。ビートルズ来日の話が決まったのは、それからしばらくしてからだ。来日公演の主催は、協同企画と読売新聞、中部日本放送との相乗りになった。6月30日から7月2日までの5公演で、コンサートのチケットを入手するには、読売新聞に往復はがきで応募、ライオン歯磨きや東芝音楽工業(ビートルズのレコードの発売元)など協賛企業の懸賞に応募、日本航空の往復航空券を買って応募などの方法で、抽選に当たるしかなかった。チケット欲しさに、全部に応募したという子もたくさんいた。若者の熱狂ぶりの一方で、大人たちの中には、ビートルズの髪型を含めて、反感を持つ人たちも多かった。彼らが受け入れるのは、ブラザース・フォアのように髪を七三に分けてカレッジフォークを歌うバンドだった。来日は
 1966(昭和41)年06月29日(水)未明。
 1966(昭和41)年06月28日(火)到着の予定が、台風の影響で遅れたのだ。同日の午後には記者会見が開かれた。舞台の上にビートルズの4人が並び、3名の代表記者しか質問できない取り決めだった。代表質問者がおもむろに巻物のような紙を広げて質問を始めたので、記者席にいた私は「何アレ」、と思わず笑ってしまった。こんな堅苦しいプレスインタビューとは思っていなかっただろうが、4人とも質問をウィットではぐらかすのがうまかった。
■ジョン・レノンの奇妙な「乾杯」■来日中の4人に会ったのは
 1966(昭和41)年07月02日(土)の午後だ。彼らが滞在していた東京ヒルトンホテルの10階プレジデンシャル・スイートに、記者として正式に招かれたのは私だけだった。ただ、部屋は人の出入りが激しくて、一問一答の取材をする雰囲気ではなかった。4人は外出が許されなかったので、空き時間にはファンクラブに頼まれた絵を描いたり、主催者からプレゼントされた民謡などのレコードを聞いたりして過ごしていた。私が部屋に入った時には、カメラ屋や、着物、帯などを売る土産業者が品物を広げていた。4人は特にカメラに興味があり、私と同行した長谷部宏カメラマンに、どれがいいんだと聞いたりしていた。
 1966(昭和41)年07月02日(土)写真◆東京ヒルトンホテルで。ジョン・レノンから「日本のキッズの間で流行っていることは?」と聞かれ、『おそ松くん』の“シェーッ!”を伝授。早速やってみせるジョンと、興味を示すリンゴ・スター。リンゴもポーズを取ったそうだが、写真は残っていない。ジョンは部屋を出たり入ったりしていたが、突然テーブルの上のオレンジジュースのグラスを高々と上げて、 何か叫んだ。私には “The Beatles will fade out” と言ったように聞こえた。みんなは冗談だと思って笑ったが、そばにいたリンゴが、「ブライアン」とエプスタインを指さして、言った。「こんなにたくさん稼いだのに、僕たちは一歩も外に出られない。どこで使えばいいのさ?」その後、エプスタンがスーッと私のそばに寄ってきて、指を口に当て、「今のジョンの発言は書いてはダメだよ」とささやいた。彼は真剣だった。私が聴いた来日コンサートは、初日と最終日の7月2日の夜だ。彼らが歌っている間、嬌声(きょうせい)はすごいものの、歌声はちゃんと聞こえた。また、「イエスタデイ」を歌うときは、女の子たちが、「シーっ、静かにしましょうよ」とお互いに注意しあって、水を打ったように静かになったのを覚えている。
■ジョンとポールのコラボ場面に居合わせた幸運■ビートルズ来日前と後では、日本社会のビートルズの受容が全く違う。来日前には、武道の“聖地”武道館を英国の長髪のロッカーなんかに使わせるなという反対運動もあり、“来日反対”の右翼の街宣車も出没していた。それがたった5日間足らずの来日で、ビートルズを認めざるを得ないと、世間の空気が変わっていく。来日を境にレコードも発売枚数が桁外れに増え、あれやこれや書きたてていたマスコミも、好意的なトーンに変わった。ビートルズの音楽に無関心だった大人たちの間でも、聞いてみたらいい曲じゃない、という認識が広がったと思う。そして、ビートルズ以降、大きなコンサートは武道館で開催されることが普通になっていった。いろいろな面で若者に対するプレッシャーが緩やかになった気がする。
 写真◆来日公演から半世紀を経ても、日本人のビートルズへの熱い思いは消えない。ビートルズを何度も取材した星加氏はトーク・イベントで引っ張りだこだ。
 私自身は来日公演後の「最後のライブ・ツアー」となる1966年8月の北米ツアーの同行もオファーされて取材、以降、1970年の解散まで毎年ビートルズと顔を合わせることになった。その間、ビートルズの歴史の中で貴重な場面や、歴史的瞬間にも立ち会っている。そういえば、66年北米ツアーのシカゴでのオープニングコンサートの時には、リハーサルの合間に、シャワーを浴びたジョンが素っ裸で私の前に現れ、「ルミ、その椅子にかかっているタオルを投げてくれ」とニコリともしないで声をかけてきた。ジョークのつもりだったらしい。1967年9月にはEMIスタジオで、ポールとジョンが一緒に「フール・オン・ザ・ヒル」の歌詞を仕上げながら、4人でレコーディングする場面にも居合わせた。ちなみに、この時にスタジオの隅っこに座っていた日本人女性が、この年の暮れにジョンと結婚することになるオノ・ヨーコだった。1969年1月、今や伝説の「ルーフトップ・コンサート」にも偶然居合わせた。ビートルズとは関係のない仕事でロンドンに行ったのだが、彼らが設立したアップル社のスタッフから、屋上でビートルズが演奏するから来てみたらと言われて行ってみた。ビートルズの気まぐれで4人が久しぶりに集まったからやってみようぐらいのノリかなと思っていたのだが、その後アルバム『Let It Be』がリリース、映画も公開されて驚いた。
■日本人にとってビートルズの思い出は宝物■1970年、ビートルズ解散のニュースには、残念だとは思っても、驚きはしなかった。68年ごろからアップル社はうまくいっていなかったし、4人も「ルーフトップ・コンサート」以外は、ほとんど会社に寄りつかなかった。「フール・オン・ザ・ヒル」ではジョンとポールが仲良く歌詞を作っていたけれど、『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』(1968年)を聞くと、2人の方向性がはっきりと違うのがわかる。やがては別々の道を行くのだろうと思っていた。来日から50年経っても、ビートルズのことをまだ語っているとは、夢にも思わなかった。もちろん、彼らの曲にはいつの時代にどこで、どんな人が聞いても素直に心に入ってくる普遍性がある。ただ、来日何十周年というように、なにかにつけてビートルズ関連の大々的なイベントをするのは日本だけ。いつまでもビートルズの思い出を宝物のように大切にしているファンが日本には特に多いのかもしれない。
 本文中写真提供:シンコーミュージック
 https://www.nippon.com/ja/column/g00378/?pnum=2

 音源◆The Beatles - (Teenager's Turn/Here We Go June 15 1962) #2 https://youtu.be/ds4xXqBI8Dk
 ***Original BBC Broadcast***
- Ask Me Why [0:00]
- Besame Mucho [2:33]
- A Picture Of You [5:23]
 RECORDED: 11 June, 1962, 8:45 - 9:30 p.m.
‡TRANSMITTED: 15 June, 1962, 5:00 - 5:29 p.m.
 ANNOUNCER: Ray Peters
 PRODUCER: Peter Pilbeam
 The Beatles #2 BBC Appearance and last recordings with Pete Best.
 
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 音源◆Paul McCartney & George Harrison - The Little Girl Tape, Summer 1967 https://youtu.be/gspLDo-_Atw
 7 Cavendish Avenue & Kinfauns, 
‡June - July 1967
 01. Paul McCartney Interview [0:00]
 02. George Harrison Interview with Klaus Voormann [33:38]
 Here's how the story goes for these recordings: 
 "In the summer of 1967, two young girls from New York - Leslie Samuels and her friend, Donna Stark - visited London and set out to meet the Beatles. One afternoon they lucked out: both Paul McCartney and George Harrison were not only at home and open to a visit, but allowed the girls to run a tape. The result is unusual in that it shows McCartney & Harrison (who was also entertaining Klaus Voormann at his home) in a more casual mood that is not typically heard on press conferences and formal Interviews".
 If you want to read the whole story about this encounter, here's the blog posts made by the amazing Sara Schmidt:
①写真◆http://www.meetthebeatlesforreal.com/2009/06/little-girl-tapespart1.html
②写真◆http://www.meetthebeatlesforreal.com/2010/11/little-girl-tapes-part-2.html
③写真◆http://www.meetthebeatlesforreal.com/2013/01/little-girl-tapes-continue.html
 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
 1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
 1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc one (CD1)
◎LP A-side (Record Disc 1)
 08."It's Only Love" (Takes 3 & 2; mono)
‡1965(昭和40)年06月15日(tue) EMI Studios 1:59
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1961(昭和36)年06月15日(木) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (76日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年06月15日(金) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1962(昭和37)年06月15日(金) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
③1962(昭和37)年06月11日(月) ラジオ収録:ヒア・ウィ・ゴー/マンチェスター (2)
 この日ビートルズは2度目のラジオ収録を行った。「ティーンエージャーズ・ターン/ヒア・ウィ・ゴー」 (Teenager's Turn - Here We Go) というBBCのラジオ番組である。1回目は1962年3月7日であった。収録はマンチェスターのプレイハウス・シアター (Playhouse Theatre) で行われた。ビートルズは4:00pmからリハーサルに参加し、8:45pm~9:30pmに本番を収録。この収録は
‡1962(昭和37)年06月15日(金)の5:00pm~5:30pmにBBCのライトプログラムでオンエアされた。ビートルズはスタジオに集まった観衆の前で『Ask Me Why』『Besame Mucho』『A Picture Of You』の3曲を演奏している。したがって最初に電波に乗った レノン=マッカートニー のオリジナル曲は『Ask Me Why』だったことになる。
 Photo◆撮影者:マイク・マッカートニー
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620611_Radio_HereWeGo.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  June 15|166
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|6月15日|
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 1961(昭和36)年06月15日(木) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
 1962(昭和37)年06月15日(金) キャヴァーン・クラブでランチタイム・セッションと夜の部のステージに出演。
 1963(昭和38)年06月15日(土) ソールズベリーのシティ・ホールでコンサート。4月に300ポンド(当時のレートで約32万円)のギャラで出演契約が交わされた。熱狂的なファンが生まれつつあった時期で、ブライアン・エプスタインはこの会場ではメンバーがケガをするのではないかと不安になり、200ポンドの違約金でキャンセルを申し出たが断られている。
 1964(昭和39)年06月15日(月) ワールド・ツアー。この日から3日連続でオーストラリア、メルボルンのフェスティバル・ホールで1日2回のコンサート。扁桃腺と咽頭の炎症でリタイアしていたリンゴがこの日から復帰した。入れ替わるようにジミー・ニコルはイギリスに帰国した。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17034
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0615.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15744250.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━┓ in Adelaide
 ┃ 『Beatles Show』 ┃ (fri)June 12, 1964 recorded
 ┗━━━━━━━━━━┛ (mon)June 15, 1964 broadcast
 1964.6.12 Ringo, with Brian, flies to Australia. Concert at the Centennial Hall, Adelaida, Australia. Jimmy Nicol on drums. Taped for『Beatles Show』Australian radio program
‡1964.6.15 A tape of the Beatles in concert is played on an Australian radio program called『Beatles Show』recorded June 12, 1964, in Adelaide

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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1966(昭和41)年 6月15日(水)|「初登場2位も「失敗作」
 |2009(平成21)年 6月15日(月)|甲虫日記更新日 No.051
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12枚目のシングル「Paperback Writer」は、1966年6月15日付、英国の「ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)」誌に2位で初登場した。ギネス公認基準となるUKチャートは、現在の「ミュージック・ウィーク」誌の前身である「レコード・リテイラー(RR)」誌のチャートのことで、NMEなどのチャートを平均して順位を発表していたが、ここでも「初登場2位」であった。
これがニュースになった。なぜなら、「I Want To Hold Your Hand」(抱きしめたい)から両A面シングル「We Can Work It Out(恋を抱きしめよう)/Day Tripper」まで7枚続いていた「UKチャート初登場ナンバー1」の記録が止まったからだ。
「要するに、彼らも失敗するということだ。『Paperback Writer』がビートルズのレコードでなければ、間違いなくごみ箱行きである」(サンデー・ミラー紙)
翌週から2週連続で1位の座を占め、11枚目のナンバー1シングル(RR誌では10枚目)になるのだが、「ビートルズは消えようとしているのだろうか?」と書いた雑誌もあった。
デビューから3年半が過ぎ、マスコミもビートルズの成功を伝えることに食傷気味になっていた。「UKチャート初登場1位」になり損ねたことが、今度はマスコミに批判の機会を与える格好のタイミングになった。
1千ページに及ぶ自分の本を出してほしいと出版社に懇願する小説家の物語を、ポールが手紙形式で書いた。ポールが叔母の1人から、「恋愛ものじゃないシングルは書けないの?」と訊(き)かれたことが動機になった。ただ、恋愛というテーマから離れたポップ・シングルは、当時としては異例だった。
「Paperback Writerでは踊れない」
過去の作品とは趣がまったく異なる新曲への不満や非難の声は、ファンの間にもあった。半年ぶりに発売されたシングルが「初登場2位」という結果になったのは、一言で言うと、「期待を裏切られた」ということであろうか。
「あの曲はシングル用に録音したものではなかった」とジョージ・マーティンは認める。アルバムとシングルを同時期に制作するなかで、マーティンはEMI幹部からシングルを早急に出すように催促されていた。一方で、マーティンには「シングル発売曲はアルバム収録曲にしない」というポリシーを頑なに貫いていた。
4月13日に録音。6月10日に発売。
「この曲は最高の出来ではないけれど、リリース日までに用意できる唯一の曲だった」。ジョンの発言は、「失敗作」と呼ばれた批判を否定することにはならない。
しかし、2カ月後に実験的なサウンドを展開した傑作アルバム「REVOLVER」が発売されると、「Paper……」はビートルズが新しい方向性を打ち出すことを示した先行シングルとして次第に評価されるようになる。
 ◎新しい録音方法を見つけた4人… 次のページへ
僕はこの曲を初めて聴いたとき、レコード針がぶっ飛びそうなベースの音に興奮した。「リアル世代」ではないから、時系列に曲を聴いてきたわけではないが、何かが変わったと思わせるサウンドだった。
「『Paperback Writer』はベース・サウンドの興奮をそのままとらえた初めての曲だ」
EMIの録音技術者、ジェフ・エメリックの言葉だ。
この曲でジェフたちは、スピーカーをマイク代わりに使って、音を増幅させるという新しい録音方法を編み出した。ラウドスピーカーをベースのスピーカーの真ん前に置くと、ラウドスピーカーの振動板が動いて電流が生じる。これまで以上に低音に対する反応が良くなるそうだ。
ポールはいつものへフナーとは違うリッケンバッカーに変えて弾いている。
「スタイルを変えて、もっとメロディアスなプレーを始めた。ベースの存在が昔よりも重要になったんだ」
サウンドの変革は、強力なB面のナンバー「Rain」でも明らかだ。テープを逆回転した音声をレコード録音に初めて採り入れた。
このアイデアは、機械オンチなジョンが引き起こした「事故」から生まれた。当時、ビートルズ全員が、スタジオで録音したオープンリール・テープを自宅に持ち帰っていた。ある日、ジョンが何かの拍子でテープを逆向きに装着してしまった。ところが、ヘッドホンから聞こえてくる逆回転で再生されたサウンドがインド音楽のようにとても幻想的で、ジョンが気に入ったのだ。
曲がフェイド・アウトする最後の部分、ジョンは「Sharethsmnowthsmeansess……」とアラビア語の詠唱のように歌っている。これは「Rain, when the rain comes they run and hide their heads」の1行を逆回転させた部分だ。
ジェフは、録音テープの速度を落とすと、特定の楽器の音質がよくなって音の深みが増すことを発見した。テープ速度を上げたり下げたりする変速テクニックが開発された。「Rain」のときは、リズム・トラックをアップ・テンポで演奏して録音した。ジョンのボーカルもスロー・ダウンして処理している。
リンゴは、ハイハットを外して直接ドラムに行く代わりに、ハイハットをまずたたいてブレークに移るという方法で演奏している。
「僕が参加したレコードすべての中で最高の出来だと思う。『Rain』には圧倒されたよ」
1年を待たずして、ミリタリー・ルックに身を固め、口ひげをたくわえた4人は、アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」で頂点を極める。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は7月5日(更新は3日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ アルバム「パスト・マスターズ」は、オリジナルアルバム未収録のシングルを集めた企画盤。Vol.2には「ペーパーバック・ライター」「レイン」ともに収められている。
パスト・マスターズVol.2
1998年03月11日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090615.html
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ロンドンで会ったビートルズ  星加 ルミ子
 丁度1年前の6月、私は念願のビートルズと、ロンドンにあるEMI レコードのスタジオで約3時間もの間インタビューやら楽しい談笑をしました。
 もうあれから1年経ってしまいましたが、あの時の私の興奮と、すばらしかった4人、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴとの会話は今でも鮮やかによみがえってきます。
 外は小雨がちらついていた寒かった6月15日、。どんなにか待っていたビートルズとの会見が、不意に現実となったのです。
 私は持参した着物を着て、スタジオに向かいましたが、何を聞こう、最初は何を云ったらいいのだろう、ジョンは気むづかし屋かしら、4人ともきっとレコーディングで忙しくってゆっくり話をしてくれる暇なんてないのじゃないのかしら……のべつこんなことを考えている間に、私はいつしか彼等の前に立っていたのです。
 「ハロー」「ハーイ」「ウェルカム」次々と4人からさきに言葉がとび出ます。
 低音で、落ちついた感じのジョン、一番おしゃれなジョージ、気さくなリンゴ、そしてあのあどけない顔いっぱいに笑顔で迎えてくれたポール。
 ジョンがしきりに日本のことを知りたがって私に質問してきたのには、私のほうが恥ずかしいことにしどろもどろ。
 4人の印象は一口で云って今や億万長者、ビートルズ世界のアイドル、ビートルズといったかた苦しさはどこにもなく、話し好きで、無邪気で、あけっぴろげで、陽気な若者たちということでした。
 リンゴは大きな鼻と背が他の3人に比べてわずかに低いのをちょっと気にしているようでしたが、''学問的体育訓練法''という本をその時持っていて、もし男の子が生れたら(リンゴの赤ちゃんザックはこの年10月に生れたことはご存知のとうり)丈夫で元気でたくましくなるよう運動をジャンジャンさせるんだ'といっていました。彼はまたダジャレの名人、次から次へとユーモラスな言葉がとび出します。
 ポールは、一番気さくな青年でした。何くれとなく気を使ってくれ、言葉がとぎれると話題をみつけてくれたり、始終小まめに動き回っています。ただ、ジェーンとの結婚問題については、あいまいに笑ってごまかされてしまいました。顔のあちこちにニキビの跡があり、鼻の頭に小っちゃな赤いニキビがプツンと出来ていたのが印象に残っています。
 ジョージ。彼が一番難物でした。いつも1人ぽつんと離れたところで、何をすることもなく、坐ってだまりこくっています。でも話しかけると、とてもていねいに、一言一言念をおすような話しかたをするのが特徴。セピアのコールテンのジャケットとスラックスがいかにもおしゃれなジョージらしく、袖口、衿のところなどに細かい工夫がされていました。
 ジョンは、非常に学究肌で、気に入るまで物事を何度でもやり直したり、徹底的に研究する性格だと自分でも云っていましたが、私から熱心に日本の話をききだしたのもこのジョンでした。
 それまでレコードと映画「ヤァヤァヤァ」でしか知らなかったビートルズの4人が、こんなにもすばらしい性格を持ち、ウィットにあふれ、愉快な連中だったことに私は大きな満足を覚えたものです。こうした4人だからこそ、沢山の世界中のファンから愛されているのでしょう。
 EMI のスタジオではこの日、5月にクランク・アップした第2作の映画「ヘルプ」の主題曲の中から2曲レコーディングしていました。レコーディング室からミキサー室に戻ってまた私達は、そこでプレイ・バックをききましたが、4人ともそれぞれに気に入らない点を指摘していました。そして気に入るまで何度もレコーディングし直すのだそうです。
 ジョン・レノン、ポール・マッカートニーの2人が殆んどのレパートリーの作詞、作曲をしているのはご存知の通りですが、この2人のイマジネーションは全く天才的。ふっとひらめけば、どこであろうと曲にしちゃうということで、それがまさに現代の若いゼネレーションにぴったりのものなのですからいかにこの2人の感覚がすぐれているかお判りでしょう。
 私にとっては本当にラッキーとしか云いようのないこの会見から1年して、この偉大なビートルズを私達の国日本に迎えることが出来たということは何んという歓びでしょう。
 いつまでもすばらしい歌を沢山作って、私達ビートルズ・ファンに聞かせて下さい。
 そしてまた何度でもあなた方を待っている日本にこれからもジャンジャン来てください。
http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/66japan/souvenir.html
 
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 ┃ 『THE BEATLES  bootleg recordings 1963』 ┃2013/12/17(tue)
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 18.♪Too Much Monkey Business♪『POP GO THE BEATLES』11 June 1963
 33.   ♪Till There Was You♪『POP GO THE BEATLES』11 June 1963
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Bootleg_Recordings_1963
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 ┃ 『HERE WE GO』 ┃BBC 2nd appearance
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  1962/6/11(mon)   rec. 8:00-9:00pm The Playhouse Theatre, Manchester
 ‡1962/6/15(fri) trans. 5:00-5:29pm broadcast
  Recording for BBC's『HERE WE GO』2nd appearance
  ANNOUNCER: Ray Peters
  PRODUCER: Peter Pilbeam
  ♪Ask Me Why♪
   Intro 
  ♪Besame Mucho♪
   Intro 
  ♪A Picture Of You♪
  Note・・・Last available recording with Pete Best on drums. 1st available take of ♪Ask Me Why♪. Only BBC take of ♪Besame Mucho♪. Only recording of ♪A Picture Of You♪, and 1st documentation of George taking the lead vocal
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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 ┃ 『The Beatles At The Beeb w/Pete Best!』  ┃https://youtu.be/AxEquwlZNGQ
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■『HERE WE GO』BBC 2nd appearance
 1962/6/11(mon)   rec. 8:00-9:00pm The Playhouse Theatre, Manchester
‡1962/6/15(fri) trans. 5:00-5:29pm broadcast
 06:39 04.♪Ask Me Why♪
 09:04 05.♪Besame Mucho♪
 11:39 06.♪A Picture Of You♪
 

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 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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 (mon)11 June 1962  The Playhouse Theatre, Manchester
 Photographer: Mike McCartney
 These photos are actually from the afternoon rehearsal for the BBC program called『Teenager's Turn-Here We Go』. The Beatles performed "Ask Me Why", "Besame Mucho" and "A Picture Of You". The program was broadcast 
‡(fri)15 June. It was The Beatles' second BBC performance.
 Listen to the broadcast. 
 ♪Ask Me Why♪
 ♪Besame Mucho♪
 ♪A Picture Of You♪
 Based on The Beatles' attire, this is probably from the actual broadcast. 
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 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.06.11%20bbc/62.06.11bbc.html
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 音源◆http://youtu.be/cVeoaz3-qC4
 
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 ┃ 『The Beginnings of THE BEATLES』  ┃
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 2014(平成26)年5月5日(月) アマゾン掲載発売日 CD 4枚 
【ディスク1】デッカ・オーディション音源 1962/1/1  1. Like Dreamers Do / 2. Money (That's What I Want) / 3. Till There Was You / 4. Sheik Of Araby / 5. To Know Her Is To Love Her / 6. Take Good Care Of My Baby / 7. Memphis / 8. Sure To Fall (In Love With You) / 9. Hello Little Girl / 10. Three Cool Cats / 11. Crying, Wanting, Hoping / 12. Love Of The Loved / 13. September In The Rain / 14. Besame Mucho / 15. Searchin'
【ディスク2】スター・クラブのライブ 1962/12/25 1. Be-Bop A Lula (Vocal Fred Fascher) / 2. I Saw Her Standing There / 3. Hallelujah! I Love You (Vocal Horst Fascher) / 4. Red Hot [Partial] / 5. Sheila / 6. I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You) [Partial] / 7. Twist And Shout / 8. Mr. Moonlight / 9. Besame Mucho / 10. Sweet Little Sixteen / 11. Red Sails In The Sunset / 12. I'm Talking About You / 13. Roll Over Beethoven / 14. Falling In Love Again / 15. Shimmy Like Kate / 16. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey / 17. Long Tall Sally / 18. I Remember You
【ディスク3】スター・クラブのライブ 1962/12/28 1. A Taste Of Honey / 2. Till There Was You / 3. Where Have You Been All My Life / 4. Interlude #1 / 5. Lend Me Your Comb / 6. Your Feet's Too Big / 7. I'm Talking About You / 8. Interlude #2 / 9. To Know Her Is To Love Her / 10. Everybody's Trying To Be My Baby / 11. Interlude #3 / 12. Matchbox / 13. Interlude #4 / 14. Little Queenie / 15. Nothin' Shakin' (But The Leaves On The Trees) / 16. Interlude #5 / 17. Roll Over Beethoven
【ディスク3】スター・クラブのライブ 1962/12/31 18. Road Runner / 19. The Hippy Hippy Shake / 20. A Taste Of Honey [Partial] / 21. Money (That's What I Want) [Vocal Tony Sheridan?] / 22. Reminiscing / 23. Ask Me Why / 24. I Saw Her Standing There
【ディスク4】
 トニーシェリダン音源 1961/6、1962/5? 1. My Bonnie [German Intro] / 2. My Bonnie / 3. The Saints / 4. Why / 5. Cry For A Shadow / 6. Nobody's Child / 7. Ain't She Sweet / 8. Take Out Some Insurance On Me Baby / 9. Sweet Georgia Brown / 10. Swanee River
 BBCラジオ 『ヒア・ウィ・ゴー』 1962/3/7収録、3/8放送 11. Dream Baby / 12. Memphis / 13. Please Mr. Postman  
 BBCラジオ 『ヒア・ウィ・ゴー』 1962/6/11収録、6/15放送14. Ask Me Why / 15. Besame Mucho / 16. A Picture Of You 
 キャバーン・クラブのリハーサル 1962年 17. I Saw Her Standing There / 18. One After 909 / 19. One After 909 / 20. Catswalk / 21. Catswalk
  トニー・シェリダン/デッカ・オーディション/スター・クラブの音源をまとめた4枚組。
  ・トニー・シェリダンはビートルズ絡みの全曲を収録。
  ・デッカ・オーディションは全曲を収録。
  ・スター・クラブもほぼ全曲を収録。
  ・BBCラジオ音源とキャバーン・クラブのリハーサルはすべて公式未商品化。
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B00DH5PKQE http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html
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 BBCで録音され、ビートルズがレコード発売なしの未収録6曲
 1962年3月08日 ロイ・オービソンの♪Dream Baby (How Long Must I Dream)♪ これはビートルズが出演したごく初期のラジオ番組であり、ピート・ベストがドラムを演奏
‡1962年6月15日 ザ・コースターズによるアレンジの♪ベサメ・ムーチョ♪とジョー・ブラウンの♪A Picture of You♪ピート・ベストがドラムを演奏
 1963年1月26日 スリム・ホイットマンの♪Beautiful Dreamer♪
 1963年3月16日 チャック・ベリーの♪トーキング・アバウト・ユー♪
 1963年7月16日 ラジオで放送されたカール・パーキンスの♪レンド・ミ・ユア・コーム♪も収録なし、後に『Anthology1』に収録
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4!!_%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BBBBC

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡(thu)15 June 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.06 (sat)15 June 1963 Salisbury, England, City Hall 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES' 1964 world tour“Australasia” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.08 03 (mon)15 June 1964   Melbourne City,  Australia, Festival Hall
 No.09 04 (tue)16 June 1964   Melbourne City,  Australia, Festival Hall
 No.10 05 (wed)17 June 1964   Melbourne City,  Australia, Festival Hall
  01.♪Twist and Shout♪
  02.♪I Want To Hold Your Hand♪
  03.♪I Saw Her Standing There♪
  04.♪You Can't Do That♪
  05.♪All My Loving♪
  06.♪I Wanna Be Your Man♪
  07.♪She Loves You♪
  08.♪Till There Was You♪
  09.♪Roll Over Beethoven♪
  10.♪Can't Buy Me Love♪
  11.♪This Boy♪
  12.♪Long Tall Sally♪
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1964_world_tour
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  ┛THE BEATLES 1965 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-5:30pm
 ┏━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪It's Only Love♪ ┃takes 1-6
 ┗━━━━━━━━━━━┛■この日のみ■アビイ・ロード第2スタジオにて録音された。全部で6テイク録音され、最終的に第6テイクが採用された。(第4、第5テイクは失敗)
  Note・・・The Beatles Anthology 2 」に第2テイクが収められている。基本編成のみの演奏が楽しめる。
  Note・・・ジョンは1980年のプレイボーイ誌のインタビューで「最も嫌いな曲がこいつだ。特に歌詞がクソ。」などとボロクソに発言している。元々のタイトルは「That's A Nice Hat(こりゃあいい帽子だ)」という曲名だったらしく、ポールの家で完成させたそうだ。
  Producer: George Martin
  Engineer: Norman Smith
  2nd Engineer: Phil McDonald
 ‡1965(昭和40)年6月15日(tue)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 08.♪It's Only Love♪ (Takes 3 & 2; mono) 15 June 1965 EMI Studios 1:59 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 08.♪It's Only Love♪ 65.6.15 HELP!に収録されることになるジョンの作品。ジョン自身が「大嫌い」というセンチメンタルな曲だけど、一切加工されていない、前面に出ているジョンの声がこれ以上ないほど魅力的だし、歌詞と相俟って胸に迫る。個人的には気に入っているテイク。 
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 ①https://beatlesdata.info/5/09_itsonlylove.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/It%27s_Only_Love
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 ②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21.html
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