┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『A HARD DAY'S NIGHT』 ┃THE BEATLES
┗━━━━━━━━━━━━━┛
1964(昭和39)年07月10日(fri) UK Released (monaural LP)
1964(昭和39)年07月10日(fri) UK Released (stereo LP)
1987(昭和62)年07月21日(tue) US released (LP&cassette)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『A Hard Day's Night ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
ジャケットが日本盤オリジナルだヨ(=^◇^=)
1964(昭和39)年09月05日(sat) JP released (stereo)東芝音工 ODEON-OP7123
1967(昭和42)年06月05日(mon) JP released (stereo)東芝音工 ODEON-OP8147
1969(昭和44)年09月10日(wed) JP released (stereo)東芝音工 Apple-AP8147
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『A HARD DAY'S NIGHT ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1976(昭和51)年06月20日(sun)以降、日本盤ジャケットが英オリジナルに準ずるヨ(=^◇^=)
‡1976(昭和51)年06月20日(sun) JP released (stereo)東芝EMI Apple-EAS80552
1982(昭和57)年01月21日(thu) JP released (mono)東芝EMI ODEON-EAS70132
1992(平成四)年03月25日(wed) JP released (mono)東芝EMI ODEON-TOJP7073
1987(昭和62)年02月26日(thu) JP released (CD-mono)東芝EMI ODEON-CP32 5322
1998(平成十)年03月11日(wed) JP released (CD-mono)東芝EMI ODEON-TOCP51113
************************************************
https://en.wikipedia.org/wiki/A_Hard_Day%27s_Night_(album)
英Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_mono_p.html##3-1
英Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_p.html##3-1
英http://rock-t.info/beatles-discography-elp-aharddaysnight.html
日http://rock-t.info/beatles-discography-jlp-aharddaysnight.html
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_7123.html
Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHCHCQ
⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTFD8QC
************************************************
┏━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BEATLES FOR SALE』 ┃THE BEATLES
┃ 『ビートルズ '65』 ┃ ビートルズ
┗━━━━━━━━━━━━┛
1964(昭和39)年12月04日(fri) UK released (mono)Parlophone-PMC1240
1964(昭和39)年12月04日(fri) UK released (stereo)Parlophone-PCS3062
1965(昭和40)年02月15日(mon) JP released (stereo)東芝音工ODEON-OP7179
1968(昭和43)年08月01日(thu) JP released (stereo)東芝音工ODEON-OP8442
1970(昭和45)年XX月XX日(XXX) JP released (stereo)東芝音工Apple-AP8442
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『BEATLES FOR SALE』 ┃THE BEATLES
┃ 『ビートルズ・フォー・セール』 ┃ ビートルズ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1976(昭和51)年06月20日(sun) JP released (stereo)東芝EMI Apple-EAS80553
1982(昭和57)年01月21日(thu) JP released (mono)東芝EMI ODEON-EAS70133(限定カラー盤)
1992(平成四)年03月25日(wed) JP released (mono)東芝EMI ODEON-TOJP7074(デビュー30周年記念盤)
1987(昭和62)年02月26日(thu) JP released (CD-mono)東芝EMI ODEON-CP32-5324
1998(平成十)年03月11日(wed) JP released (CD-mono)東芝EMI Parlophone-TOCP51114
************************************************
https://en.wikipedia.org/wiki/Beatles_for_Sale
英Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_mono_p2.html##4-1
英Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_p2.html##4-1
英http://rock-t.info/beatles-discography-elp-beatlesforsale.html
日http://rock-t.info/beatles-discography-jlp-beatle65.html
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_7179.html
Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHBXD0
⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTHV97T
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『HELP! 4人はアイドル』 ┃THE BEATLES
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1965(昭和40)年08月06日(fri) UK released (mono)Parlophone-PMC1255
1965(昭和40)年08月06日(fri) UK released (stereo)Parlophone-PCS3071
1965(昭和40)年09月15日(wed) JP released (stereo)東芝音工ODEON-OP7387
1987(昭和62)年04月30日(thu) World released
1987(昭和62)年07月21日(tue) US released (LP)
1976(昭和51)年06月05日(sat) JP released (stereo)東芝音工ODEON- OP8151
1970(昭和45)年XX月XX日(XXX) JP released (stereo)東芝音工 Apple-AP8151
‡1976(昭和51)年06月20日(sun) JP released (stereo)東芝EMI Apple-EAS80554
1982(昭和57)年01月21日(thu) JP released (mono)東芝EMI ODEON-EAS70134(限定カラー盤)
1992(平成四)年03月25日(wed) JP released (mono)東芝EMI ODEON-TOJP7075(デビュー30周年記念盤)
1987(昭和62)年04月30日(thu) JP released (CD-mono)東芝EMI ODEON-CP32-5325
1998(平成十)年03月11日(wed) JP released (CD-mono)東芝EMI Parlophone-TOCP51115
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英Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_mono_p2.html##5-1
英Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_p2.html##5-1
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_7387.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Help!
http://rock-t.info/beatles-discography-elp-help.html
http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/help.html
Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHDVMG
⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FSYCWBC
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1961(昭和36)年06月20日(火) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (81日目)
7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年06月20日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1962(昭和37)年06月20日(水) ライヴ演奏2:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
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①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
┃ THE BEATLES HISTORY ┃| June 20|171
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃|6月20日|
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─――――┘
1961(昭和3)年06月20日(火) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
1962(昭和3)年06月20日(水) キャバーン・クラブでランチタイムと夜の部の2回出演。
1963(昭和3)年06月20日(木) ビートルズの収入を管理する会社「ビートルズ・リミテッド」を設立。取締役はブライアン・エプスタイン。
1964(昭和3)年06月20日(土) オーストラリアでワールド・ツアーのシドニー3夜連続公演の最終日。会場はシドニー・スタジアムで、6回行なわれたステージはシドニーでの最高記録12,000人を動員した。このステージの一部はニュース映像用に撮影されたが、このフィルムから「ビートルズ・アット・ザ・スタジアム」という劇場用映画が制作されてしまい、公開されてしまった。また、
1964(昭和3)年06月20日(土) 宿泊先のシドニーのホテルでBBCラジオ番組『ラウンドアバウト』用に、イギリスから電話インタビューを受けた。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17039
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0620.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15745183.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる 朝日文庫
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛ 2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
No.16 P.093 1964年02月09日「全米制覇の瞬間」◎テレビ番組『エド・サリバン・ショー』放送日◎
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
┌─――――――――――――┐
|1964(昭和39)年 2月 9日(日)|「全米制覇の瞬間」
|2008(平成20)年 2月 8日(金)|甲虫日記更新日 No.018
└─――――――――――――┘
ビートルズの「全米制覇」を象徴する出来事といえば、1964年2月9日午後8時から9時(東部時間)に全米に放映された『エド・サリバン・ショー』を挙げたい。日曜の夜のゴールデンタイムに毎週放映された、米国史上最も有名な音楽バラエティー番組。新聞の編集者やラジオ番組のパーソナリティーだったエド・サリヴァンが、CBSテレビに抜擢され、
●1948(昭和23)年6月20日から
1971(昭和46)年6月6日の約23年(22年11ヶ月17日)にわたり司会を務めた。
1964(昭和39)年2月7日、ジョン・F・ケネディ空港に降り立ったビートルズは、その瞬間から、全米すべてのマスコミの露出の対象になり、一挙一動がほとんど生で報じられた。米国は前年
1963(昭和38)年11月22日に起きた「ケネディ暗殺」の衝撃から抜け出せないでいた。4人は、喪失感に襲われた米国人の希望の光として受け入れられた。歴史には必然性がある。それまで英国のポップ・グループや歌手が米国のチャートで成功することはまれだった。ところが、前年
1963(昭和38)年12月26日に発売されたシングル♪抱きしめたい♪は3日間で25万枚が売れ、
1964(昭和39)年1月10日には100万枚を超え、
1964(昭和39)年1月13日はニューヨークで1日に1万枚を売れる勢い。2月初めに米国の2大音楽誌チャートの1位に輝くと、63年に英国で発売されたほかの3枚のシングルと2枚のアルバムすべてが、この時期にチャートを邁進する異常現象が起こっていた。
その熱狂の渦中に渡米して3日目になる日曜の夜。スタジオに集まった観客728人を前に約14分間出演。♪ALL MY LOVING♪/♪SHE LOVES YOU♪など5曲を演奏した。7300万人の視聴者をテレビにくぎ付けにし、72%の視聴率を稼ぎ出した。「ビートルズ出演中はニューヨークで青少年の犯罪が1件もなかった」。この記念すべき瞬間についての逸話は事欠かない。この瞬間を見た翌日、ブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルら後に米国のミュージック・シーンを支える若者たちは楽器屋に走ったという。4人は
1964(昭和39)年2月16日、マイアミ・ビーチのホテルから生中継で『エド・サリバン・ショー』に出演する。7000万人が視聴したと推定されている。米国を離れ、ロンドンに戻った23日も3週連続で出演。初日の出演前に録画しておいたもので、厳密にはこれが番組初出演になる。エドの声が歓声でかき消される。出だしは「ツイスト・アンド・シャウト」。緊張気味のジョンのボーカルはかえって凄みがある。髪をオールバックにきっちりきめたエドと、モップトップ・ヘアの4人が一緒に並ぶと何とも奇妙だ。
1956(昭和31)年にエルビス・プレスリーが番組に出演した際、エドはカメラマンにエルビスの腰から上だけを撮影するように指示した。視聴者にルター派の人や牧師、尼さんが大勢いることを理由にした。ビートルズが初出演した時は、4人に対して他の出演者の演奏を礼儀正しく聴いているように注意し、「もしそれができなかったら床屋を呼ぶ」とも付け加えた。半面、人気テレビ番組の司会者にふさわしく、若い感覚を持ち続けた人らしい。ビートルズが番組に出演したきっかけは、
1963(昭和38)年10月31日、エドがロンドンのヒースロー空港でビートルマニアに遭遇したことに始まる。ビートルズはスウェーデン公演から戻ったところで、空港周辺は金切り声を上げるファンであふれかえっていた。この人出に驚いたエドは、通りかかった人に何があるのかとたずねた。返ってきたのは「ビートルズだよ」という答え。思わず、「一体何者ですか、そのビートルズというのは」と聞き返した。
ホテルに戻ると、早速、ビートルズのマネジャーの名前を調べ、番組に3度出演するよう話をつけた。しかし、米国に戻ると、ビートルズの名前を知っているのは自分たちだけらしいと知り、悩んだという。
1963(昭和38)年11月11日、ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインはニューヨークでエドの代理人と交渉した。スターの番組出演料は1回につき7500ドルが相場だった。だがビートルズの場合、3回分の出演料として1万ドルが提示された。代理人は交渉成立後もビートルズが米国で無名であることを心配したが、エドは電話でこう伝えたという。「彼らには投資してみる価値がある」。その直後、ケネディ暗殺事件が起こり、年が明けると♪抱きしめたい♪が大ヒット。歴史的な舞台は偶然も伴って整っていった。
◎『この日のビートルズ』の次回は、2月23日です(更新は22日)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ ♪抱きしめたい♪は『THE BEATLES 1』に入っています
『THE BEATLES 1』2000年11月13日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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┃ 『Musicorama』 ┃‡ recorded (sun)June 20, 1965
┗━━━━━━━━━┛ Broadcast (sun)June 27, 1965
French radio program, of the afternoon Beatles show at the Palais des Sports, Paris
Afternoon show recorded for "Musicorama", French radio program
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17039
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┃ THE BEATLES on film and television 1965 ┃
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‡(sun)20 June 1965『Les Beatles』The second of two shows at the Palais des Sports in Paris was recorded by French Television Station Channel 2. Their full set of 12 songs was recorded, which included 'Twist And Shout', 'She's A Woman', 'I'm A Loser', 'Can't Buy Me Love', 'Baby's In Black', 'I Wanna Be Your Man', 'A Hard Day's Night', 'Everybody's Trying To Be My Baby', 'Rock and Roll Music', 'I Feel Fine', 'Ticket To Ride' and 'Long Tall Sally'. The show was broadcast in France as a thirty minute concert film 'Les Beatles' on 31 October 1965, minus 'I Feel Fine', though this track has also surfaced.
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http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1965.htm
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The Beatles Yesterday...and Today
The Butcher Cover Photo Album
Pictures and stories from their infamous album cover
http://www.rarebeatles.com/mainmenu.htm
The Butcher Cover Discography and Price Guide The Beatles Yesterday...and Today
Butcher Cover Discography and Price Guide
Over 150 listings of all known Butcher cover and related collectibles
http://www.rarebeatles.com/album2/discog/discog.htm
肉屋サムネ音源◆https://youtu.be/ymphhPS3CKA
2009/03/25
03月25日甲虫日記 物議醸した「肉屋」カバー
世界各国で何百種類と発売されているビートルズのレコードの中で、1966年6月に発売された米国キャピトル盤「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」は、アルバム・ジャケットが物議を醸して発売直前に差し替えられた。
元のジャケットは通称「ブッチャー・カバー」と呼ばれる。食肉工場になぞられたデザインで、白衣をまとったビートルズのひざや肩の上に、人形の首や胴体、血が滴り落ちた肉片が置かれていた。キャピトルは初回出荷70万枚を予定していたが、発売前に受け取った小売店などから猛烈な抗議が寄せられ、発売日の前日付で回収通知を関係先に発送した。キャピトルは社員を1週間動員して、カバーを別の写真に取り換えた。だが、一部は回収できずに出回ってしまった。元のカバーに新しいジャケット写真を張り付けただけのものもあった。市場に流れたこれらの「珍品」は、有名なコレクターズ・アイテムとして現在も高値で取引されている。問題のジャケットは66年3月25日、豪州の写真家ロバート・ウィティカーのアイデアで撮影された。出来上がった写真を見たマネジャーのブライアン・エプスタインは仰天した。「ビートルズに肉屋の格好をさせるのは何事だ」と激怒し、バンドのイメージを守るためにフィルムの破棄を要求した。しかし、ウィティカーのアイデアを気に入ったジョンと、独創性に寛容さを示したポールの意見が通り、一度は採用されたのだ。ウィティカーは問題の写真について総括する。「それはポップ・スターのオーソドックスな宣伝写真の常識を思い切り破壊するものだった」彼が撮影の小道具として用意したものも奇抜だ。「プラスチック製の子どもの人形」「金づちとくぎ」「白衣と帽子」「作り物の歯」「大量の肉とトレー」人形は何体もあった。彼は腕や脚をもぎ取ったり、金づちで人形を何度もたたいて頭や胴体の表面に傷をつけたり、穴を開けたりした。現場に立ち会った広報担当のトニー・バーロウの話もぎょっとする。「肉からはまだ血が滴り落ちており、所々から白い骨が見えた」ところが、ジョンは敏感に反応した。ウィティカーの作業に気づくと彼と2~3分話しこみ、その間クックッと笑い声を漏らしながら、肉塊から垂れてトレーにたまっている血の中に壊れた人形を浸していたという。ジョンは「いつも普段通りの自分に見せなきゃいけない」フォット・セッションを「重労働」に感じ、「嫌気がさしていた」。そこへシュールレアリストがかった写真家が赤ん坊の人形や肉や白衣を持ち込んできた。「『イェー!』って感じだったよ」ポールも飛びついた。「彼が本当のところ何を言いたかったのか、それはよくわからない。でもともかく、他の人たちが僕らにやらせたがっていたことよりは独創性があった」ジョージは悪趣味に閉口した。「無知で馬鹿らしいだけのことを、クールでヒップだと勘違いしてね。あれもそのひとつだった。だけどあの場合、グループの1人として協力せざるを得ない状況だった」リンゴは達観している。「僕らの目を見れば、自分たちのやっていることを誰1人わかってないのが明らかだ。人生を生きていくうちにはそういうこともあるんだよ」実はウィティカーにも誤算があった。ブッチャー写真は裏ジャケットに使用する構想だったという。12インチのジャケットの中央に2.25インチくらいの大きさに収めようとしていた。表ジャケットは、ソーセージを持っているビートルズの写真。ソーセージはへその緒を意味し、女性とつながっている作品に仕立てた。ウィティカーにいわせれば、キャピトルがブッチャー写真だけ採用したために作品全体の意味がわからず、「混乱を招き、みんな慌てた」という説明になる。「こんなものを出せるか」。当時のキャピトル・レコーズ社長、アラン・リビングストンは出来上がったジャケット写真を見て即座に思った。会社幹部も青くなった。「ロンドンのエプスタインに電話すると、ビートルズがその写真を使いたがっているという。だから私は、OK、じゃあ試してみようじゃないか、と言った」ジョンが理由を述べる。「あれをアルバムのカバーに使おうと言ったのは、何より(天使みたいな僕たちの)イメージを壊したかったからだ」撮影から2カ月余りが過ぎた6月3日、英国の音楽誌「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」に新曲「ペーパーバック・ライター/レイン」の全ページ広告が載り、ブッチャー写真が初登場した。直後には「ディスク・アンド・ミュージック・エコー」(6月11日号)の1面のグラビアをカラーで飾った。ジョンの「キリスト発言」と同様、英国ではさして問題にならなかった。ところが、アルバムを発売する米国内での反応は違った。6月15日の発売直前になると、キャピトルには「取り扱いを拒否する」といった小売業者やマスコミからの抗議の電話が殺到した。リビングストンはビートルズと直接交渉した。彼らは「これは戦争に対する僕らの意思表示なんだ」とまで主張したという。しかし、リビングストンは、無用な騒動は避けたいし、ビートルズの評判に傷もつけたくないという理由で回収を決断した。「英国で制作されたオリジナル・カバーにはポップ・アートに対する皮肉、という意図があった。だが米国で調査を行ったところ、このデザインは誤解を招きかねないという意見が大半を占めたため回収に踏み切った」
発売日から5日後の●6月20日、旅行用のトランクを小道具に使った「トランク・カバー」と呼ばれるジャケットに差し替えられた「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」が店頭に並んだ。このカバーもウィティカーの手によるものだ。ちょうど1カ月前の66年5月20日、ロンドン西部にある18世紀に造られた美しい庭園、チズウィック・ハウスで、新曲「ペーパーバック・ライター/レイン」のプロモーション・クリップの撮影があった。この時撮られた写真のなかに、「トランク・カバー」の写真を手にしているエプスタインの姿を肩越しに撮ったものがある。この時まで、エプスタインがトランク・カバーの準備をしていたことは確かなようだ。彼の陰の努力は結果的に報われたのだが、ビートルズのイメージを大切に守ってきたマネジャーの後ろ姿は、なんだか寂しくみえる。
「この日のビートルズ」バックナンバーへ
「この日のビートルズ」の次回は、4月5日(更新は3日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
お知らせ
全米アルバム・チャートで1位になった「YESTERDAY'...AND TODAY」の収録曲は11曲。英国オリジナル盤と比較すると、「HELP!」から2曲、「RUBBER SOUL」から4曲、「REVOLVER」から3曲にシングル発売の2曲を加えている。キャピトルは英国盤より曲数が少ない米国盤アルバムを制作し、別のアルバム用に曲をストックしていた。曲順も無視されたビートルズは快く思っていなかった。このため彼らがブッチャー・カバーを世に出したかったのは、「キャピトルへの意趣返し」という説もあった。
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090325.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(tue)20 June 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ THE BEATLES' 1964 world tour“Australasia” ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
No.11 06 (thu)18 June 1964 Sydney City, Australia, Sydney Stadium
No.12 07 (fri)19 June 1964 Sydney City, Australia, Sydney Stadium
‡No.13 08 (sat)20 June 1964 Sydney City, Australia, Sydney Stadium
01.♪Twist and Shout♪
02.♪I Want To Hold Your Hand♪
03.♪I Saw Her Standing There♪
04.♪You Can't Do That♪
05.♪All My Loving♪
06.♪I Wanna Be Your Man♪
07.♪She Loves You♪
08.♪Till There Was You♪
09.♪Roll Over Beethoven♪
10.♪Can't Buy Me Love♪
11.♪This Boy♪
12.♪Long Tall Sally♪
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ THE BEATLES' 1965 European tour ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.01 (sun)20 June 1965 Paris City, France, Palais des Sports (Afternoon)
‡No.02 (sun)20 June 1965 Paris City, France, Palais des Sports (Evening)
01.♪Twist and Shout♪
02.♪She's a Woman♪
03.♪I'm A Loser♪
04.♪Can't Buy Me Love♪
05.♪Baby's in Black♪
06.♪I Wanna Be Your Man♪
07.♪A Hard Day's Night♪
08.♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
09.♪Rock and Roll Music♪
10.♪I Feel Fine♪
11.♪Ticket to Ride♪
12.♪Long Tall Sally♪
Evening show broadcast live on『Les Beatles(en direct du Palais des Sports)』,
French radio program, and taped for『Les Beatles』, French TV program
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①https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1964_world_tour
②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_European_tour
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ A-side ♪WORDS OF LOVE♪ Buddy Holly ┃‡Released (thu)June 20, 1957
┃ B-side ♪Mailman,Bring me No more Blues♪ ┃ Recorded (mon)April 8, 1957
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ Note・・・後の「ゲット・バック・セッション」でも多数、バディ・ホリーの曲が演奏されているようだ『The Beatles Anthology 3』にはジョンの歌う♪Mailman,Bring me No more Blues♪が収録されているが、この曲はなんと「ワーズ・オブ・ラヴ」のB面曲である。他にも「It's so Easy」「Not Fade Away」「Peggy Sue(後にジョンがカバー)」などが演奏されて、海賊版として出回っている。
*********************************************
https://beatlesdata.info/4/09_wordsoflove.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Words_of_Love
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┛ THE BEATLES 1966 Mono mixing and Recording ┛Studio 1 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛6:00-8:30pm
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┃ ♪Got to Get You Into My Life♪ ┃tape copy of remix 7 into remix 8
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ with overdub added from take 8
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Phil McDonald
‡1966(昭和41)年6月20日(mon)
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https://beatlesdata.info/7/13_gottogetyouintomylife.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Got_to_Get_You_into_My_Life
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┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studios 1, 2, 3.
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┏━━━━━━━━━━━┓sound effects, takes 1, 2,
┃ ♪Revolution 9♪ ┃compilation of master version, with overdub
┗━━━━━━━━━━━┛No.4 アビイ・ロードの全てのスタジオ(第1~第3)を使ってテープループの作成。ポールはこの日からアメリカに飛んで不在。ジョンは一人でアビイ・ロードを独占してこの作業を続ける。印象深い「Number nine.....」の声のサウンドライブラリはこの日発見されて使用される(あの声の主は未だに不明である。ジョンでもないし、ここにいた誰のものでもない)途中からジョージもやってきて、声の録音に参加した。
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Richard Lush
Master version compilation for ♪Revolution 9♪
‡1968(昭和43)年6月20日(thu)
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https://beatlesdata.info/11/12_revolution9.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_9
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