過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

三十二年前の今日は、尾崎豊さんの葬儀がありました。


‡1992(平成四)年4月30日(木) 東京都文京区の護国寺で行われた追悼式には
              3万7500人ものファンが詰め掛ける
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A

カリスマ歌手 尾崎豊さんと創価学会カルトとの危険な関係 
2007年5月8日火曜日
1999年、突如として写真週刊誌『フライデー』に蘇生装置が施された写真が掲載された。(7年間もこの写真が隠されてきたわけだ)
また、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さがますます深まっていった。そして、尾崎豊の怪死から実に15年もの月日が経過したとき、突如としてスクープが雑誌に掲載される。ついに「尾崎に覚醒剤を盛り、複数人でリンチした」と決定的な証言をする、実行犯の暴力団組員が現れたのだ。
■ 月刊 keitaiバンディッツ 2007年5月号
(4月7日発売)より
「若きカリスマ 15年目の死の真実」
時効直前スクープ!
実 行犯の衝撃告白・・・「俺が尾崎豊を殺した!」暴力団組員は尾崎を暴行したと告白してはいるが、全ての真相は明かしませんでした。でも、ここまでわかると 全部わかったようなものですね。週刊誌のリーク画像のとおり、尾崎豊が全裸で病院にかつぎ込まれたとき、リンチを受けていたアザが無数にありました。
はい、知らなかった人は驚くかもしれませんが、尾崎豊の死因は、自殺でも肺水腫でも薬物依存でもありません。
尾崎の死体検案書に、外傷性くも膜化出血とあるのは、どう考えても顔面を強く、何度も殴られたからです。くも膜化出血になるまで転んで頭を打ち続けたんだ、 とか言い訳にもならないわけです。自殺と決めつけるために都合の良い解釈であり、不自然です。写真を見ればわかりますが、AEDのような装置が尾崎の体に 取りつけられています。そんな状態なのに入院もせずに、「すぐさま」家に帰ったとか、あまりも不自然ですね。そもそも、芸能界は昔から裏社会とズブズブなので、いつ誰が死んでも別におかしくはないのです。海老蔵が殺されかけた事件が記憶に新しいのですが、海老蔵はあのとき死んでいてもおかしくなかった。もしも、あのときに死んでいたら死人に口なしの法則で、真実は闇に葬り去られたことでしょう。芸能界とは、そういうところです。もちろん、下っ端の人間には そこまでの危険性はないはずです。
尾崎豊は不可抗力で覚せい剤を酒にもられて、その後に裏社会の人間からリンチを受けたのです。もちろん、ハルシオンなど酒で割ることができる薬物を使用したため、普通に飲むことができます。尾崎はボロボロに殴られたあと、這って歩いたために服が脱げ落ち、全裸になってしまいました。虫の息だった尾崎は、近くの民家まで這っていき、通報された後に病院に搬入されました。病院で検査して、尾崎が意識朦朧としながら「家に帰りたい」とうわごとで言ったため、妻が無理やりマンションに連れて帰ったのです。本当は薬物関係に詳しい病院でキチンとした対処がなされれば、尾崎は死ななくても良かったはずです。尾崎は適正な治療が施されることもなく、キチンとした検査も受けないまま帰宅し、自宅マンションの一室で寝かされただけでした。
尾崎の妻は、学会員でした。
そして、部屋で数時間後に尾崎は帰らぬ人となりました。その後、尾崎との関係が冷えきっていた妻が著作権などの遺産を受け取り、逃げるように海外へと移住しました。創価を快く思ってなかった尾崎は、創価に都合が良いようにタイミング良くいなくなりました。妻はその後、尾崎事務所のアイソトープを自分のものにして尾崎作品で商売を始め、最近では息子を尾崎の代わりに売り出して、尾崎の名声を利用した商売で、利益をあげ続けています。
妻 がまるで被害者かのように偽装された、尾崎の真相追求サイトが、ネット上で氾濫しています。「尾崎は覚醒剤に溺れて自己責任で死んだんだ」それが、創価の 最高の筋書きなんです。絶対に、「ボコボコに殴られた挙句、最後に薬物を注射されて殺された」という筋書きではマズイのです。誰のために都合がよいかを考えれば、わかるでしょ?死体監察医は創価のお抱え監察医です。
尾崎ほどの有名人が創価嫌いだから、狙われたのでしょう。しかも、カリスマ性をもった影響力のある人が、日蓮に改宗するとか、鞍替えるなんて、創価にとっては危険な存在になるわけです。そして、何よりも尾崎を殺害しても、簡単にもみ消すことのできる「保険金殺人システム」が構築されているのです。これを使えばそう簡単にはバレないわけです。裏側にある事実はまったくバレていないのです。
通報で駆けつけたのは、これまた創価専属の警察官でした。実際に自宅で数時間後には死んでしまうような「虫の息の人間」を、寝かせて安静にさせていただけという状況は、はっきりいって異常な光景だと思います。
「FRIDAY99年8月13日号」に載った素っ裸で倒れていた尾崎を発見した人物 の証言。あの日あの場所で若者達のカリスマ・尾崎豊に何が起こったかについてはマスメディアやファンの間で論争が起こった。すでに彼の死後15年が経とう とし、今更取り上げる必要もないのだが、ある人物との接触が再び尾崎の死の真相に注目せざるを得なくなった。
「俺が尾崎豊をリンチして殺した!」
こう語る男が現れたのだ。
果たして男の話は「真実」なのか、それとも単なる「戯言」なのか…彼の口から語られる尾崎豊死後15年目の死の真相とはいったい…。
◆1992年4月25日 あの日尾崎にいったい何が起こったのか?
その男との待ち合わせは相手側の指定した某シティーホテルだった。ひっそりとしたホテルの廊下で男の部屋のドアをノックすると、痩せぎすで青白い顔をした男が窓際のソファーに座り外を眺めていた。
「まあ、座ってください」
それだけ言って柔和な顔になった男に促され、私は汗を拭いながら正面に座った。
男の名前は後藤ひろし(仮名/48歳)。
詳しい素性は本人の意向で話せないが、後藤は当時都内の某暴力団組織に属しており、特に興行目的のトラブル処理に当たっていたという。身長180センチを超える大男だ。
私が自己紹介をしようとするとそれを遮るかの如くいきなり向直り、
「これからあの日(尾崎豊が死亡した日)の真実をあんたに話す。だけどいいか、同じ質問に二度は答えない、それと今から話す事はあくまでも俺の"単なる戯言"だと思って聞いてくれ、それから録音も写真も一切ダメだ、絶対に嘘は書かないで欲しい」
記者◎「では、体内から発見された覚せい剤は…?」
「あの日、尾崎は完全なシラフだったよ、俺らと会う前はね。その話をする前にあんた覚せい剤やったことある?」
記者◎「もちろん、無いですけど…」
「普通、酒とシャブの両方一緒にやるとどっちかの量が減るもんなんだよ、二つ同時に死ぬまでやるなんてことは物理的に絶対に無理な話。公式の発表にも有るけど 酒もシャブも両方半端な量じゃなかった訳だけど、その場合普通なら心臓麻痺で死ぬよ。シャブは必ずしも自分の意思で入るとは限らねぇだろ…例えばアンタが 一緒に食事している人間を毒を盛って殺すとしたらどうする? 飲み物の中に大量の毒を入れるでしょ。ずいぶん回りくどくなったけど、これだけ言えばわかるよね」
これまでの男の話をまとめると、あの日尾崎は「自分が尾崎を殺した」と語る後藤という男と その仲間に東京・足立区の「尾崎ハウス」近くの酒場に呼び出された。ここからは男が断言しないため推測も含めるが、そこで酒に大量の覚せい剤を混入され、 それを尾崎が飲んだ、ということになる。そしてこの後、男の口からは"尾崎暴行"に関しての衝撃告白が飛び出した。
◆リンチの後、「帰りたい…帰りたい」と尾崎は虫の息になりながら呟いていた
全身に暴行痕があり、事実、それにより外傷性くも膜下出血を引き起こしていたこと。尾崎死亡騒動当初は、「酔っ払った尾崎が近所のチーマーに絡んで返り討ちになった」などという説も都市伝説的に出たが、真相は今の今まで謎である。
この男は15年も経過した今になって、突然マスメディアに対し自らの大罪を告白する気になったのだろうか。
「俺は先月医者からガンを宣告された。もって半年…だからというわけではない。もちろん良心の呵責もある。だけど、あくまでも俺が話せる事は尾崎豊は間接的にしろ俺らの手によって死んだということだけ。それ以上の真相は俺が墓ん中まで持っていく覚悟でいる」
そう言うと男はそれ以上口を開かず、虚ろな表情で窓の外を見詰めたままだった。私もそれ以上は何も言えず、お礼だけを述べてホテルの部屋を後にした。
尾崎豊さんの親が創価学会を見捨てて、日蓮正宗に改宗する。
尾崎豊さんが創価学会を見捨てて、日蓮正宗に改宗する。
1992年の創価学会と日蓮正宗の大騒動の時期に、尾崎豊さんが、創価学会を批判する。尾崎豊さんの創価学会批判を、大手マスコミが取り上げて、さらに、創価学会と日蓮正宗の大騒動を大手マスコミが取り上げて、さらに大騒動になる。
創価学会が分裂するかもしれないと危機感(被害妄想)を持った創価学会中枢が、暴力団と警視庁内部の創価学会班に頼んで、尾崎豊さんを暗殺したのかもしれない。 
http://hinokounet.blogspot.jp/2007/05/blog-post.html


2018/4/1514:30:06尾崎豊の密葬について。尾崎豊の本葬は真言宗豊山派護国寺で行われました。現在ウィキペディアにおいて、尾崎豊の密葬は「日蓮正宗」で行われたという記載があります。日蓮正宗の教義は他宗派は悉く排斥するものであるがゆえ尾崎豊の実家が日蓮正宗信徒である場合はまずあり得ない行為です。私自身、元日蓮正宗信徒でありましたので、その教義に関して詳しいもので、この「密葬」に関しての情報の真偽がとても気になります。これはなんらかの意図的なデマではないか、と推測しています。詳しい事情を知っておられる方、実情を教えてください。 
ベストアンサーに選ばれた回答
4/1523:01:10日蓮正宗信徒の者です。尾崎家(尾崎豊の父兄と尾崎豊自身)が、創価学会を脱会して日蓮正宗末寺に付く事を創価学会に通告して暫くして、尾崎豊が、創価学会によって暗殺された疑いが濃厚だった事もあり、レーベルが無用なトラブルを避けるために、尾崎家の了解を取って、護国寺での公葬を行いました。当時もしも日蓮正宗で行われたら、もっと死者が出ていたかも知れません。残念な話しです。
4/1600:49:34日蓮正宗信徒さん、ありがとうございます。当時の事情は察します。当方当時の創価活動家であったので創価学会側が卑劣な手段で会員の離脱工作をしていたのはよく存じております。正宗に対する卑劣な言動の実態も熟知しております。その経緯があり、後々2世であった私は創価学会を脱会しました。創価学会は壊滅させるべく、極悪団体であることは疑いようがありません。この件に関してデマではない、という裏付けが欲しかったのです。出来れば尾崎豊氏の密葬がとりおこなわれた寺院を公表していただくことは可能でしょうか。その事実をもってして、創価学会員たちの覚醒を促す一端となればと考えております。
4/1600:57:05私は尾崎豊の折伏親でソニーの関係者です。密葬が行われたのは、お父さんの尾崎健一さんの菩提寺でしょう。私は覚えていません。
4/1601:15:45ありがとうございます。尾崎氏の父親が信者であれば尾崎は2世にあたるのではないのでしょうか?その場合折伏親は存在しないものと思います。ソニー関係者であり、折伏親という密接な関係であれば密葬の参加を控えられたのは何かご事情があるのですか?差支えなければ詳細を伺えたらありがたいです。
4/1601:23:32失礼しました。尾崎豊との縁で、尾崎家を折伏させて戴いたものです。都合が悪く、式には間に合いませんでしたが、当日には御自宅へ御参りさせて戴いています。
4/1601:37:45失礼、当日は御寺に。後日には御自宅に、です。
4/1601:42:39結果的に「創価学会問題」に巻き込んでしまい、私は尾崎豊には申し訳ないと思っていますが、しっかり償いはさせて貰っています。
4/1601:47:54いえ、とんでもございません。ご丁寧にありがとうございます。多くは語れない様々なご事情がおありであると察します。差支えない範囲でお教えください。尾崎豊が創価学会員であった、というソースが曖昧であるという点が非常に気になっております。折伏親であられるのであれば、入会の経緯等々具体的な証言が貴方様には可能です。尾崎が子供の頃、同じ組織に所属していた方の証言がネット上にあります。よって2世であるという推測をしましたが、鵜呑みにしているわけではございません。メジャービュー後に折伏を受け、ご家族で新規入会し、1991年の宗門問題において、宗門につくという判断ができるまでの時系列に私は違和感を感じるのですがその詳細をお教えいただけることは可能ですか?あくまで貴方様の記されたことを信用したく、大変不躾で失礼ながら心よりお願いいたします。また妻の繁美さんが「創価学会員」であるということも間違いはございませんか?
4/1602:04:40尾崎豊の入信はメジャーデビュー後だったかも知れませんが、私との関係はデビュー前からありました。その関係で、尾崎健一さんもお兄さんも続けて入信されました。入信後は喜んで御信心をされ、創価学会女子部だった繁美さんとも御結婚されました。私は当時、預けられた総本山大石寺から逃亡したりしながらも、自分の両親よりも、日蓮正宗末寺御住職様や宗門御僧侶様との御関係が深かったため、日蓮正宗末寺での御信心を、創価学会内部でも奨励し、末寺講中の立ち上げにも携わらせて戴いていましたから、多くの御僧侶様方から「創価学会は破門されても仕方ない」と云う話しを伺って、私の下種弟子方に日蓮正宗末寺での御信心に付く様に奨励し、いち早く賛同して下さったのが、尾崎健一さんや尾崎豊だったと云う事です。しかしご存知の様に尾崎豊が創価学会に謀殺されたため、私の下種弟子には芸能関係者も多かったため、当時の脱会活動を断念しました。
4/1602:10:25もっとも、敵は創価学会だけでなく、自分の下種弟子や末寺講中にもいましたがね。樋田昌志や故石岡雄哲師や落合尊福などなど。
4/1602:14:19ありがとうございます。巻き込んでしまったという念を思いますと想像を絶します。貴方様の御心が安穏に包まれますよう、陰ながら願います。色々とお辛いことを教えてくださり、ほんとうにありがとうございました。私自身は元会員として会員たちの覚醒を促しています。こちらのやりとりを当方のブログに掲載させていただいてもよろしいでしょうか?
質問した人からのコメント4/17?00:05:28詳しいお話をほんとうにありがとうございました。また機会がありましたら何卒よろしくお願いいたします
4/1515:14:05本葬は所属レーベルによる社葬だったと記憶しています。弔問が多数になることから、護国寺を会場にしたのではないですか?密葬はプライベートな事ですから日蓮正宗でもおかしくないと思います。
4/1600:50:13ありがとうございます。護国寺の葬儀が社葬ならば、納得できます。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10189049710

僕が僕であるために。君が君であるために。
2018_04 16 Mon現在放送されているNHK連続テレビ小説「半分、青い」ご覧になっているでしょうか。私は毎回楽しく鑑賞させていただいてます。※NHKの回し者ではございません(笑)主人公のすずめ(演・長野芽郁)、その両親(演・滝藤(たきとう)賢一、松雪泰子)祖父母(演・中村雅俊、風吹ジュン)すずめの同級生りつ(演・佐藤健)、両親(演・谷原章介、原田知世)というのが主なキャスト。実にこのドラマの時代設定が私とまったく同じ世代にあたる。主人公と同年齢なのだ。今日の放送ではバブル期の解説があり、制作陣たちがはやり60年代、70年代生まれの人間が多く携わっていることが、伺える。私は滝藤賢一さんの大ファンである。舞台俳優でありながらも、とてもナチュラルな演技のできる実力派の俳優さんだなあ、といつも楽しく見ている。しかし概ね新劇出身の役者が私は非常に苦手だ。大袈裟な表現、見る者を無視したような恍惚とした演技。人にもよりけりだがそういうのは見ているだけでとても疲れてしまう。天才というのは確かに存在する。そこの空気を一瞬で持っていって飲み込んでしまう役者は天才なのだろう。しかし天才ばかりがえらいってもんじゃない。芝居は常に、脇役が重要であるというのもそういうことだ。何を偉そうに、と思われるかもしれないが私の一つの側面には演劇理論という学問を過去に追及した経過があり私自身も演劇経験者だ。舞台での表現、映像での表現はまったく異なる。演者さんたちはそれを理解していても、実際に演じるのはやはり難しいものだ。台詞のないときの寡黙な演技をどうしても見てしまう。文章で言えば「行間」にあたるだろうか。目に見えるものばかりがすべてではない、と捉えることはなかなか大変な作業だ。敏感と鈍感の違いはその「捉え方」の能力なのだろうと思う。しかし敏感であればあるほど、疲れるし、誤解も多くなる。鈍感なほうがいいことだってたくさんある。どっちに優劣があるということではなく、どちらもとても大切だと私は思う。バランスだ。私は出来る限り、説明を丁寧にしつつも行間の部分も大切にしたいと思うよくばりな人間なのかもしれない。
さて。尾崎豊に関して。前の記事の流れから私は色々書きたい衝動にかられた。この数日、自身がリアルタイムで追いかけた「尾崎豊」という表現者。そして謎の夭逝に関して、しばし思いを馳せていた。ネット上では今なお、尾崎豊の暗殺説というのは多く残されている。そこには憎き創価学会が見え隠れしてきたのだ。私は。ただひとつ。確かめたいことがあった。彼が本当に創価学会員であり、第二次宗門問題のときに、宗門についた、ということが事実なのか、どうなのか、という点であった。彼が亡くなったのは第二次宗門問題勃発後のことであった。世間では彼が過去に覚醒剤で逮捕されたことから常用の果ての死去という認知をされてしまったのだが現実は違う。それは尾崎の実兄が証言している。彼は亡くなった時、常用していなかったのだ。しかし解剖の結果、経口摂取による多量の覚せい剤が検出された。尾崎豊の本葬は所属レーベルによる「社葬」であった。それゆえに真言宗の護国寺において執り行われた。しかしながら、完全なプライベートで行われた密葬は日蓮正宗でとりおこなわれている。その真偽を確かめたく、私は知恵袋において質問を投稿した。そしてそこには驚くべきことに、「尾崎の折伏親です」と名乗る方からのアンサーが記された。そのやりとりをブログに記してもよいか、という非常に不躾なお願いを私は試みた。予測通り、「それはやめてください」ということであった。これは当然なのである。通常ブログ運営者というのは金儲けを一番に目的にしている者が多い。ゆえに週刊誌のように人のスキャンダルをネタにしてあることないことを書くブロガーも存在する。私は非営利目的のブロガーなのであるが知恵袋のみのやりとりで、それを信用していただくことは不可能だ。だから断られて当然なのである。私はそこをわかったうえで、敢えて不躾な要請を試みた。しかしヤフー知恵袋において、当時の詳細を端的に記してくださった以上もう誰でも見れる状態になった。尾崎豊は殺されたという説を私は信じるしかなくなってしまった。暗殺説を書いたジャーナリストと尾崎の妻繁美との裁判において。当時の創価学会による正宗へのクーデターという背景はきちんと検証されたのだろうか。おそらく。それはなされていないだろう。死亡当時。尾崎夫妻は、離婚協議中であった。妻繁美は創価学会。尾崎本人、そして父兄は正宗。この構図だったのだ。この時代の創価学会をよく知る者。私もそのひとりであるがもうその一点で、なにをかいわんや。なのである。もしあの時代に尾崎豊という強力な影響力を持つ人間が反創価として存在し続けたら。創価学会の寿命はもっと短くなっていただろうという推測は容易にできる。創価学会は消えてなくなるべきものである、という確信を多くの人が強く思うべきだ。創価の息の根を止める。それは金の流れを止めるしかない。一般会員は聖教新聞も、書籍も、辞めるべきだと考える。そして財務に至っては「論外」だ。合法詐欺には絶対にひっかかるな、と大きな声で叫んでおきたい。創価の存続は誰でもない、一般会員にかかっている。すでに手遅れではある懸念は払しょくできないが、少なくとも、影響がでるのは間違いない。お金を一銭たりとも使わなくとも信仰はできる。それこそ「大聖人の時代に帰れ」だ。創価学会には騙されるな、と再々大声で叫んでおきたい。ある人はこう書いている「創価学会という宗教団体は、本当は理念も信念も思想も何もないのかもしれない。やっていることを細かく見ていると、そう思えてくる。あるとしたら、その教義は、いかに欺瞞的に生きるかを教えてくれる宗教団体ということになるんじゃないだろうか。何をしようと自らを疑うことを知らない人の群れだ。ネトウヨなんかと比較にならないくらい欺瞞的に生きている。「俺たちがやっていることは絶対的に正しく、世界一正しい。俺たちは勇者であり、正義であり、幸福の使者であり、俺たちのやっていることは、あまりに尊く、偉大だ。」とそんなふうに考えて、平然と強引な勧誘を行い、平然と強引な金集めを行い、敵対者を一方的に罵り、時には犯罪行為に手を染め、それでも良心が痛むこともない」私は現行会員さんたちの「良心」と「判断力」を信じたい
http://sarabasokagakkai.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

009 2018年4月17日(火) 17:15 悩める活動家の皆さまにどうしても読んで頂きたい 記事があります「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう?放熱への証?」これは墓石に刻まれた、尾崎豊さんの言葉です。あれから26年目の命日を迎えようとしています。彼は列記とした創価学会員でした。そして
1992年4月25日に、26歳の若さで亡くなりました。尾崎豊(シンガーソングライター)さんの死因についてはこれまでも色々な情報や憶測が飛んでいましたがハッキリしていることが幾つかあります。・メジャーデビューの前後に父・兄と共に創価学会に入会した事・その後、女子部の方と結婚をされた事 このような事でさえもネットでは情報が入り乱れていて何が正しい情報なのかが分かりませんでした。彼の本葬は「真言宗豊山派護国寺」でとり行われ約4万人が参列し密葬としては「日蓮正宗」で行われたのです。そう「日蓮正宗」なんです。創価学会員による友人葬を池田が指示したのは
1991年4月の事です。では、何故・・尾崎豊さんは学会の友人葬ではなかったのでしょうか・・実は昨日の事・・その答えにたどり着いた執念のブログがありますのでここで、その記事を紹介いたします『さらば☆創価学会』“僕が僕であるために。君が君であるために”
http://sarabasokagakkai.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
こちらの管理人さんが記事を書くための情報ソースとしたやり取りが以下になります。相手の方は写真・実名付で、尾崎豊さん家族の折伏の紹介者と名乗りでていて現在は法華講員の方です。※全18回のやり取りがあります
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10189049710?__ysp=5bC%2B5bSO6LGKIOaXpeiTruato%2BWulyDlr4bokaw%3D
あの当時、宗門に移ると言った会員に対して私達が取った行動がいかに非人道的であったのか係った人にしか分からない事かもしれませんがそのことは生涯消し去る事はできません。そしてここに、尾崎豊さんの事の真相に迫る時日本の若者にとってカリスマ的存在であった彼に対して創価が魔の手を差し向ける事など想像に難くないというのが私個人の結論です。最後になりますが「事件性が無い」と当初言われていたにも拘わらず7年も経ってから公開された病院での延命措置の画像は、素人が見ても目を疑うものでした。そのような状態の人間を自宅に連れ帰る神経も異常なことですね。そして昨日ですが15年近くが経って現れたという自称実行犯の暴力団の告白を読んだ時に私は言葉を失い、震えが止まらなくなりました。
http://hinokounet.blogspot.jp/2007/05/blog-post.html
※病院での延命措置画像があります、心臓の弱い方は見ないで下さい。今回の私のコメントは承認されないかもしれませんが彼の無念までが闇に葬られては悲しすぎます・・シニフィエさんご承認の程、宜しくお願いいたします。m(_ _)m
https://signifie.wordpress.com/2018/04/10/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%83%90%e3%83%81%e3%81%8c%e5%bd%93%e3%81%9f%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%82%89%e6%80%96%e3%81%84%e3%81%a8%e6%80%9d%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84/#comment-32108

signifie 2018年4月17日(火) 17:56 4月15日の聖教新聞3面に、池田大仏のメッセージが掲載されたそうです。ここの常連さんが文字を打って送ってくださいましたので紹介します。ありがとうございます。8年も姿を見せない人間が、このように文字だけのメッセージが頻繁に会員向けに発信される。これを噴飯物というのでしょうね。本当にこんなものを本人がだらだら書く時間があるなら、ちらっと肉声のメッセージを動画で流したらどうなんでしょう。本幹に顔を出したらいいのにと思いますが、まさか池田大仏が本当に元気でこんなメッセージを書いているなんて思っているのは、自分で物事を考えることができなくなっている創価脳ぐらいのものですからね。まあ、このメッセージは本部職員が書いたものであることはまちがいないのですが、これを書いている本部職員は、まちがいなく池田大仏が廃人になっていることがわかっているはずです。そしてこれを書くように指示した副会長なり会長も池田大仏の廃人っぷりをわかっているからさせることですよね。ただこのだらだらと言い訳がましいいかにも「私は元気でなんでもわかってるよ、見てるよ」アピールも、突っ込みどころ満載なので思わず吹き出してしまいます。例えば法華経は釈迦が死んで何百年も経ってからどこの誰が書いたのかもわからないものだということが学術的に証明されているというのに、いきなり釈迦が法華経を説いたという前提で話が始まります。そして日蓮はそんなデタラメの言い伝えをパクって同じことをしたらしい(笑)では、その池田大仏のスピーチを以下に掲載します。我らの5月3日「創価学会の日」そして「創価学会母の日」を世界の同志と一足早く、明るくにぎやかに祝賀することができました。創価の父・牧口先生も戸田先生もいかばかりいよろこびでしょうか。海外から勇んで駆けつけてくださったブラジル、インド、タイ、マレーシア、シンガポール、韓国、さらにコートジボワールをはじめ、気高き求道の皆さん、本当にありがとう。釈尊は自らの育てのお母さんに、法華経の会座で成仏の記別を授け、「一切衆生が喜んで仰ぎ見る仏」(一切衆生喜見如来)という名前を送られました。この「一切衆生が喜んで仰ぎ見る仏」という素晴らしい名前を、御本仏・日蓮大聖人は、一人の無名のお母さんにささげられております。夫に先立たれ、苦労して娘を育てていたお母さんです。そして、さな不軽菩薩のように、悪口罵詈にも負けず、妙法流布に生き抜いていた女性です。58年前の5月3日、第3代に就任した時、私が妻と誓ったことがあります。それはーーー釈尊そして大聖人から「一切衆生が喜んで仰ぎ見る仏」と記別を贈られた最も尊貴な創価の母たちが世間から、いわれのない悪口罵詈を耐え忍んでくれている。この母たちが、日本中いな世界中から敬愛され、讃嘆される時代を必ず、創り開こう。これこそ広宣流布の栄光の実像であるからだ、と。その通りに今、人類の良識と知性が、「創価の婦人部は、世界一の幸と平和のスクラムなり」と称賛してやまない時代に入ったではありませんか(大拍手)今日は、妻からも「「創価学会母の日」ですから何かお祝いを」といわれているので、4っつの書をお届けしたいと思います。ちょうど今、「新・人間革命」の「誓願」の章で、1982年(昭和57年)のことを執筆しておりますが、この年の11月、各地で行われていた婦人部総会を記念してしたためたものです。初めに「福光母曲」―――大聖人は女性門下へのお手紙で、題目の功力を譬えられ、「百千万年もの間、闇に閉ざされていたところでも、灯を入れれば明るくなる」(御書1403ページ通解)とおおせです。本日で震災より満2年となる熊本でも、婦人部の方々が、どれほど地域に、やさしく、また強く、勇気の励ましの光を送ってこられたことでしょうか。試練と戦う、いずこの地でも、創価の女性たちは「あの人照らせ この人も」と「福光母の曲」を奏でてくれています。だからこそ、「悲しみもいざ越えて」「嘆きの坂の 彼方には」、一人一人の組成の笑顔が広がっていくのです。次に「広布長者家」。御書には、「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(1374ページ)と示されています。一人の「小さな太陽」が昇れば、たとえ家族が信心していなくとも、一家眷属を希望へ和楽へ栄えさせていけます。輝く地涌の人材が必ず躍り出てきます。特に、誉れ高き個人会場のご家庭は「広布長者の家」の鑑であります。心より感謝を表すとともに、改めて大切に使わせていただきたいのであります。さらに「安穏母光」今回、異体同心の団結で新出発したコートジボワールでも、今世紀初め、内戦が勃発した語、婦人部の皆さんを中心に毎日、リレー唱題を行い、国土の安穏と平和を祈り、友情を信頼の対話を粘り強く貫いてきました。法華経の寿量品には「我が此の土は安穏にして 天人は常に充満セリ」(創価学会版法華経491ページ)と説かれています。安穏と平和の世界を広げる最も確かな力は、まさしく地域に根ざして、行学に励みゆく母たちの草の根の連帯にこそあるのです。来月、少人数のグループで開催される婦人部総会の大成功を皆で祈り、「地域の幸福責任者」である尊きグループ長を応援しようではありませんか(大拍手)そして最後に「春秋幸乃旅」――。この4つの書をしたためた直後の11月18日、ここ牧口記念会館の庭園にある「21世紀の碑」の除幕式を行い、新世紀への誓願の旅を開始しました。うれしいことに、当時、除幕をした創価小学生をはじめ未来部の友だちも、今、壮年部・婦人部の第一線のリーダーとして、立派に活躍してくれています。先日、来日されたインドの大哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士は、有名なユネスコ顕正の一節を踏まえつつ、「平和は人の心の中で生まれる」という新たな潮流を起こすことを、創価の私たちに深く望まれました。さあ、我ら創価家族は、太陽の婦人部を中心に、そして従藍而青の青年部を先頭として、人類の平和の創造へ、「老いゆく歳も 忘れ去り」、「今日も元気で」、春秋幸の旅を!と申し上げ、私のメッセージといたします。大拍手 なんだかもう哀れになってきますね。ダーハラ会長さん、そこまで焦ってるんですか?って感じですよ。もう何が何でも池田大仏は元気だと騙し通さねばどうにもならないという危機感がそうさせるんでしょうね。やればやるほどドツボにはまっていくと思うんですが、まあどんなにジタバタしても、創価はどんどん衰退し、近いうちに崩壊するのは変わりません。まさかこれから会員が増えるとでも思ってるんでしょうか?いやあ、それはないでしょう。会員さんも自分が参加している座談会の顔ぶれを見れば一目瞭然ではないでしょうか?今の座談会にどれくらいにの男女青年部が参加してますか?今の座談会は昔の男女青年部がやってますよね(笑)。これから先、男女青年部が増えると思えますか?男女青年部に限らず、座談会に参加する会員がこれから増えると思いますか?普段は参加しない未活の会員も参加する新年勤行会でさえ、極端に参加者が減っているんです。座談会に参加している会員が減っていて、しかも参加している会員は高齢者ばかりだということは、創価に未来はないってことですよ。なくて当然です。あったら困ります(笑)創価に騙されて不幸になる人が増えるのはまっぴらです。
https://signifie.wordpress.com/2018/04/10/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%83%90%e3%83%81%e3%81%8c%e5%bd%93%e3%81%9f%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%82%89%e6%80%96%e3%81%84%e3%81%a8%e6%80%9d%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84/#comment-32109

カガテツ 2018年4月17日(火) 20:10 今『創価学会秘史』で話題の高橋篤史(&編集部)による、
“公明党、創価学会「代替わり」のキーマン”(文芸春秋/2015.1月号)
*2014年12月10日発売なので、2014年11月頃迄の実態]の要点部分 150~157p“池田教”とも言われる今の学会にとって、選挙こそが最も高揚感を抱くことのできる“宗教行事”だ。ただ、近年は「F(フレンド)票」でかさ上げされているのが実態だという。その大半は建設業界から回されてくる票だ。全国で会館をつくり続ける学会はゼネコンにとって大の得意先である。「建設関係にお願いすれば、名簿出しから投票の連れ出し(学会で「Z」と呼ぶ活動)までしてくれましたね」──。
(*太田・石井国交大臣が真っ先駈けて「土木建設関係」へハッパを掛けてる。と、何かで読んだ記憶があります。無駄に思える会館等建設も、土建業界からF票を取るために必要な出費なのだろう。)
…情報を総合すると、どうやら池田は脳梗塞で倒れ、一時、近親者しか面会できない容態にあったようだ。ただ、一三年になり体調は回復、自宅がわりに使う信濃町の第二別館に原田ら最高幹部を頻繁に呼び、車での外出も増えたという。
 復活を印象づけたのは同年八月初旬にあった事実上の最高協議会だった。学会が長野・軽井沢に持つ研修道場は正門から通用門まで黒塗りのワゴンに守られ、池田の警備部隊である「金城会」のメンバーとみられる男たちが近隣の宿泊施設との間を行き来していた。関係者によると、この厳戒態勢下、研修道場内で静養していた池田は自室に最高幹部を個別に呼び入れ、原田を叱責する場面もあったという。とはいえ、その年の暮れ以降、またもや動静はあまり伝わらなくなった。
…それがため、一三年の池田復活説と軌を一にして正木の追い上げ観測が強まっていた。だが、次期会長レースで、今や正木は孤立無援の様相を呈している。まず一三年十二月、正木の両脇を固めていた側近の本部職員が要職を相次ぎ外された。組織総局長と連絡局部長だった副会長二人である。さらに一四年六月には、谷川に批判的なやはり副会長ポストの本部職員が、本部機構の要である総務局長から八王子の創価大学牧口記念教育基金会の理事長にとばされている。この粛清の嵐により谷川が次期会長の座へとさらに一歩近づいた…
…近年、学会の公称世帯数は八百二十七万という数字からぴくりとも動かない。が、実態はそれを下回っているとみられる。ある元本部職員は「熱心な学会員となると、機関紙の『大白蓮華』の数(公称二百八十万部)くらいではないか」と実感を語る。会員減少を物語るのは公称五百五十万部とされる『聖教新聞』をめぐる多部数購読の広がりだ。部数維持のためノルマが割り振られ、それが、本部、支部、地区と下りてくる。自らも二部を購読する学会員は「中国地方のおばあさんが数十部とっていたという話もある」と打ち明ける。
*大白280万部が公称ならば、実態は公称より少ないのが常識
…前出の元本部職員は「周囲の話を聞く限り、大抵の本部職員は四十代で年収が一千万円を超える」と話す(学会は「給与等は公表していません」と回答)。前述した創聖企業年金基金の給付額は一件あたり年百三十九万円。その分が公的年金への上乗せである。企業年金基金全体で平均八十七万円だから学会本部職員は恵まれている。
「彼らは宗教貴族ですよ。昔も今も生活が苦しい学会員は多い。会内格差は広がっている」──。ある地方の一学会員はそう憤った。選挙での結束力とは裏腹に、組織は少しづつ綻びを見せ始めたように映る。以上
※会内格差じゃなく収奪側と上納側の、ハッキリ云えば、騙し騙され(の実態)が衰退とともに浮かび上がって来た、ということ“専業プロ創価員(本部職員 総県長 副会長等)の実態を暴く!”2018/04/08
内容は、副会長は今や500人くらい居るそうな、(組織の末期症状)その副会長さんの年俸は2,800万円(そこから推測すると副会長クラスの年収は、2,000万円~3,500万円位か)選挙で票が伸びるとボーナスが出る。財務も副会長クラスは全くやってない。等々です。このy-tの話が事実なら、「池田・創価の資産を今のうちに分け合って、解散後は遊んで暮らせるぐらい貯金しておけ!」(その替わり、脱会とか内部告発とか云う馬鹿な真似は止めとけ)というダーハラの方針と、私は(家政婦じゃないが (^_^;))観た。創価崩壊したら、009さんの尾崎豊の件にしろ、池田が(創価で)集めた金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金に提供して儲けてた事(参:「アメリカ殺しの超発想」霍見芳浩/1994年10月・徳間書店。207pより)など、闇に隠して来たことが、次から次から果てしなく湧き出してくるでしょう。
https://signifie.wordpress.com/2018/04/10/%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%83%90%e3%83%81%e3%81%8c%e5%bd%93%e3%81%9f%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%82%89%e6%80%96%e3%81%84%e3%81%a8%e6%80%9d%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%84/#comment-32110

今も変わらず浜田省吾ファン
2005年07月04日
僕には尊敬する人が何人かいるが、その中の一人が浜田省吾さんだ。
僕が15才の時、ラジオで初めて彼の曲「路地裏の少年」を聴いた。
その時の衝撃は今でも鮮明に憶えてる。
必死になって、ラジオから流れているその詩を記憶した。
浜田省吾、浜田省吾・・・と忘れないように何度も唱えていた思い出がある。
高校受験をひかえていた僕にとっては応援歌であり、道しるべでもあった。
僕が高校に進学してまもなくアルバム「J.BOY」が発売された。
それは誇りを失いかけた日本人に対するメッセージソングで、J.BOYという言葉そのものが時代を表現する言葉としてあらゆる所で使われていき、それとともに彼は苦労の末、スターダムにのし上がることができたのだ。
僕が彼を尊敬する一番の理由は、どんなに曲が売れようが決してマスコミに露出せずにデビュー当時と変わらないスタンスで、今もライブで音楽活動をしファン層を獲得していってるところである。
おそらく彼の素顔を知る人は、彼の根っからのファン以外にはいないだろう。
それはロックスターにこだわり続けた彼の譲れないスタンスなのだ。
彼の研ぎ澄まされた感性は、おそらく広島原爆の被爆者であった父の存在とその戦争の敵であったアメリカからセンセーションを巻き起こしたビートルズの存在という矛盾から生まれたものだろうと僕は思う。
「J.BOY」で夢であったロックスターに上り詰めたちょうどその年に彼の父は亡くなった。
その死を知っていながら、彼は全国ライブを敢行したのだった。
そのライブで語ったことは、父親の死ではなくあの尾崎豊さんのことだった。
「みなさん、彼がコンサートに来たときはぜひ行ってあげてください!」
そこで僕は尾崎豊さんの存在を知ったのだ。
その年は覚せい剤で捕まった尾崎豊さんが釈放された年でもあったのだ。
後に知ったことだが、尾崎豊さんが釈放されて再び音楽活動をしようとあらゆるレコード会社を回ったがどこも受け入れてくれなかったとき、その話を聞いた浜田省吾さんが自分の事務所に招き入れ救ってあげたそうだ。
同じロックミュージシャンとしての才能を評価していて、その才能を伸ばしてあげようとの判断だったらしい。
浜田省吾さんはそんな懐の深さを持った人なのだ。
彼はROAD&SKYという事務所に所属している。
実はこの事務所も彼が立ち上げた会社で、今は有名なミュージシャンとしてはスピッツが所属している。
この会社を設立するときのエピソードもある。
彼が呼びかけて作った会社だから、本来、彼が社長に就任するというのが一般的なのだが、彼は「ミュージシャンと経営者を兼務することはできない。ミュージシャンは音楽を作ることが仕事だ。」との理由で出資だけをして、親友に社長の座を預けたという。
尾崎豊さんはほんの僅かしか彼の事務所にはいなかった。
彼は野心があったため、早くに恩師の事務所を去り、自らの会社を立ち上げて社長に就任した。
実はそのとき、浜田省吾さんは彼に忠告している。
「尾崎くん、ミュージシャンは経営者をやっちゃいけないよ。音楽が書けなくなるから・・・」
その忠告を無視して、彼は断行したのだった。
後にそのことが引き金となり、尾崎豊さんはあのような死をとげることとなったのだ。
尾崎豊さんの死後、因果関係はわからないが、浜田省吾さんのしばらく音楽活動を休止してアメリカを一人旅していた時期がある。
紆余曲折があり、浜田省吾さんは来年デビュー30周年を迎える。
先月「i am a father」というシングルをリリースした。
最近、隅っこに追いやられてる日本の父親に対するメッセージソングだ。
この曲がヒットチャート5位を記録した。
この記録がすごい訳ではない。
この週のヒットチャートの20位に入ってる彼を除いたミュージシャンはみんな10代だったそうだ。
僕はこの瞬間、彼のすごさとともに自分自身の感性の確かさを確認したのだった。
7月6日(水) アルバム「MY FIRST LOVE」リリース
http://shunkaido.seesaa.net/article/219423679.html

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