速達専用 青い郵便ポスト、なぜ大阪に集中 古い町並みと関係か
2013(平成25)年11月04日(月) 6:30 大阪社会部:藤井将太
‡2013(平成25)年10月29日(火)付 日本経済新聞大阪夕刊関西View
写真◆歩道に並ぶ2口の赤ポスト(左)と速達用の青ポスト(大阪市中央区)
大阪のオフィス街を歩くと、青い郵便ポストをあちこちで目にする。速達用ポストだ。レトロなデザインに長年使い込まれた風格が漂う。だがこの青ポスト、他の都市では急速に姿を消しつつあり、これだけ多く街角に残っているのは大阪だけだという。どんな事情があるのだろうか。
■設置27本、全国の7割■日本郵便に聞くと、郵便ポストは全国に約18万本設置されている。うち青ポストは「現在、39本しかありません」(広報室)。東京に6本、東海エリアが6本なのに対し、大阪市内は27本と約7割が集中する。特に船場や島之内など、古い商業地に数多く残る。通信文化協会によると「青ポストが初めて設置されたのは1956年。戦前にできた紺色の航空郵便用ポストが前身とされます」。この色は空をイメージしたといわれ、速達用ポストの青色もその系譜を継いだようだ。高度成長期、ビジネス需要を中心に速達の利用が拡大し、青ポストはオフィス街に次々と立てられた。「数や場所の資料は残っていません」(日本郵便)が、ピークだった70年代には全国に約400本あったとされる。90年代、郵便物の大型化を受けて投入口を大きくし、速達用の投入口を併設したおなじみの2口ポストが登場。赤ポストがこの新型などに更新される一方、青ポストは姿を消しつつある。ただ大阪の街角に残る青ポストを見ると、隣に新型の赤ポストが並んで立っているケースがほとんど。赤ポストを置き換えた場合でも、青ポストを撤去するとは限らないようだ。
■「ものを大切に」気質が影響か■なぜ大阪だけ青ポストが多く残っているのか。日本郵便では「今回初めて知りました。理由はよく分かりません」。郵便史の研究者で組織する郵便史研究会なども「はっきりした理由は不明」。歴史的な経緯があるのか、大阪市史編纂(へんさん)所や大阪歴史博物館にも聞いたが、首をひねるばかりだった。もともと大阪に多かったわけでもなさそうだ。大阪経済大学日本経済史研究所の田原啓祐研究員(日本郵便史)は「航空郵便ポストは東京80本、大阪は35本でした。青ポストも東京の方が多かったはず」と話す。日本郵便によると、赤青を問わずポストの更新や撤去は、各地で集配を担当する拠点郵便局が独自に決めている。判断の主な目安は老朽化と利用状況だが、明確な基準はないという。同社によると「青ポストの詳しい利用状況は不明」。ただ田原さんは「ポストは車が衝突しても郵便物を守れるよう頑丈な構造。耐用年数は長く、100年以上現役のものもあります」といい、老朽化だけで撤去するとは考えにくい。青ポストが姿を消した例を見ると、近年では東京駅丸の内北口前にあったのが7年前、駅舎の復元工事に先立って撤去された。都内ではビル建て替えに伴う周辺整備での撤去例が他に複数あった。
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大阪でも中之島郵便局前にあった青ポストが今年2月、局移転とともに撤去された。周囲の建物や街並みの変化が撤去のタイミングと重なっている。「街区整備の際、スペースが無いなどの理由で青ポストだけ廃止される可能性はある」と田原さんは話す。東京より大阪に多く残っているのは、再開発されていない古いオフィス街が比較的多いからかもしれない。一方、通信文化協会の井上卓朗主席資料研究員は「ものを大切にする大阪人気質が、使える間は有効利用しようとの判断につながっているのでは」と話す。担当域内に8本と最多の青ポストを抱える大阪西郵便局に話を聞くと「利用者もあり、まだまだ使えます」とのことだった。日本の高度成長期を物語る貴重な歴史遺産として、これからも大切に使っていきたいものだ。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASIH2200I_T21C13A0AA1P00/
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全国に35本しかない「青いポスト」の秘密
2014(平成26)年10月23日(木) ライフ
郵便局のポストは赤いものと相場が決まっていますが、青いポストがあるのをご存じでしょうか。いわゆる速達専用ポストと呼ばれるもので、1959年から都市部を中心に設置されていきました。青色の由来は戦前の青緑色の航空郵便専用のポスト(郵政博物館で展示中)を引き継いだものとされますが、年々減少傾向にあります。全国約18万個あるポストの中でも、青い速達用ポストは35個しか存在せず、都内ではわずか6ヵ所にしかありません。都内の6個のうち、ビジネス街が広がる日本橋局の集配地域に5本が集中していて、残り1本は浅草局にあります(2014年4月1日時点)。青ポストを見かけたら、ぜひ撮影しておきたいものです。撮影日とともにブログやSNSなどに登録しておけば、失われつつある昭和の遺産を定点観測する貴重な歴史的資料になる可能性を秘めていると言えるでしょう。興味深いのは、現在も活躍している青いポストの多くが大阪市に集中していることです。特に大阪環状線の内側では今も20本以上が現役で、実に全国の半数以上の青ポストが大阪の中心部に分布していることになりますが、それがなぜなのかは郵便史研究者の間でも解明されていない謎のひとつとされます。
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‡2016(平成28)年10月29日(土) メーカー発売日
https://www.biccamera.com/bc/item/3488980/
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┃ 『週刊朝日』 ┃
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2002(平成14)年11月08日(金)号
‡2002(平成14)年10月29日(火) 発売 定価300円
右翼「刺殺」事件2日前、本誌記者に語っていた…石井紘基代議士が追った闇
‡2002(平成14)年10月29日(火) UP 石井さんの死は本当に悔しい ⇒ 石井さんと初めて、会った時、僕は、石井さんに、「石井さんを先生とは呼びません。石井さんと呼ばせてください」とお話しました。石井さんは、快く「石井さんで結構です」と言われました。最初に会った場所も、議員会館ではなく、僕の事務所で、石井さんはわざわざ出向いてくれました。石井さんは、偉ぶるところがまったくなく、本当に、縦感覚ではなく横感覚で人を感じてくれる、庶民感覚をいつまでも失わない稀有な政治家でした。そんな石井さんが、殺されたことについては、本当に悲しいです。今日発売(2002年11月08号)の週刊朝日に、紀藤のコメントを入れていますが、こんなに悲しいことはありません。時間がたつにつれ、ショックがましています。容疑者は逮捕されましたが、容疑者の自供が、真相を表しているとは限りません。捜査当局においては、予断と偏見を持つことなく、厳正なる捜査をお願いしたいと思います。
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https://www.uta-net.com/song/11684/
‡http://masakikito.com/top.news02-02.htm#021025
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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┃ 刑事裁判 原審 ┃
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2002(平成14)年10月25日(金) 事件
2002(平成14)年11月18日(月)起訴
2003(平成15)年01月21日(火)10:00~12:00 第01回公判(425号法廷)
2003(平成15)年02月20日(木)15:00~17:00 第02回公判(425号法廷)
2003(平成15)年04月22日(火)10:00~12:00 第03回公判(425号法廷) 秘書1への尋問
2003(平成15)年05月13日(火)13:30~16:30 第04回公判(425号法廷) 秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
2003(平成15)年06月09日(月)10:00~12:00 第05回公判(425号法廷)
2003(平成15)年06月26日(木)13:30~16:30 第06回公判(425号法廷)
2003(平成15)年07月18日(金)13:30~16:30 第07回公判(425号法廷) 警察官への尋問、被告人質問
2003(平成15)年09月01日(月)13:30~16:30 第08回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年09月22日(月)13:30~16:30 第09回公判(425号法廷) 被告人質問(検察側)
‡2003(平成15)年10月29日(水)10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
2003(平成15)年11月14日(金)13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
2003(平成15)年12月24日(水)10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
2004(平成16)年02月06日(金)10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
2004(平成16)年03月05日(金)15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
2004(平成16)年03月24日(水)13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
2004(平成16)年04月27日(火)13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
2004(平成16)年06月18日(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。
2004(平成16)年06月18日(水) UP 衆議院議員石井こうき氏の刺殺事件に関し、本日、判決が出されました。2年前の10月25日の事件から1年8ヶ月がたとうとしています。期日も17回を数えました。求刑が無期懲役のところ、判決も無期懲役という判決です。日本の現状の実務を前提とすると、もっとも重い判決と言ってよいと思います。朝日新聞:読売新聞:毎日新聞:東京新聞:産経新聞
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http://masakikito.com/ishii/ito-kohan.htm
https://www.uta-net.com/song/11684/
https://matome.naver.jp/odai/2147997226852760901
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映像◆日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話https://youtu.be/dpq-_e0Og4Y
2019(令和元)年08月11日(日) 公開 説明どうも削除されたみたいですが、基礎知識としてこの程度のことは必要と思いますので再掲します。じっくりご覧ください。官僚、公僕?とは名ばかりで陰でいかにえげつないことをしているかよくわかります。一度徹底的に懲らしめないとだめね。
2019(令和元)年12月29日(日) 347,725回視聴 良6,579 悪291
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┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1976(昭和51)年10月29日(金) 山形県酒田市で大火、強風で1774戸焼失 ⇒ 山形県酒田市で中心街の映画館から出火した火災は、折からの強風にあおられて拡大、1774戸が焼失する大火となった。この被害を教訓に、全国的に燃えにくいまちづくり、地域の連絡体制強化などが進んだ。写真は強風にあおられて燃え広がる商店街で懸命に消火作業を行う消防団員【時事通信社】
1950(昭和25)年10月29日(日) 日本初のオートレースが千葉県船橋市で開催
2015(平成27)年10月29日(木) 中国が1979(昭和54)年から実施してきた「一人っ子政策」の廃止を発表
https://www.jiji.com/jc/daily
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1961(昭和36)年10月29日(日) スタンカの1球で乱闘。「円城寺あれがボールか秋の空」
‡2017(平成29)年10月29日(日) 07時05分 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月29日だ。
写真◆スタンカが円城寺球審に体当たりを食らわせたシーン。なおシリーズは巨人が4勝2敗で日本一に
試合後の南海のスタンカが新聞記者に大声でまくしたてる。
「あれがボールなら俺はどこに投げればいいんだ!」
自信を持って投げ込んだ1球だった。巨人の打者・宮本敏雄が見送り、198センチの長身投手、スタンカは、これでゲームセットと笑顔を浮かべたが、球審の円城寺満はボールの判定。顔が真っ赤に染まり、赤鬼となった。
1961年10月29日、巨人─南海の日本シリーズ第4戦での一幕である。巨人の2勝1敗で迎えた後楽園球場での一戦は、3対2と南海がリードし、9回裏、巨人の攻撃となった。
この回、無死一塁となって鶴岡一人監督がマウンドに送ったのが、第1戦で完封勝利、3日前の第3戦では先発も敗戦投手となっていたスタンカだった(このシリーズは雨が多かった)。時にビーンボールまがいの球を投げ込み、打者を威かくする暴れん坊で、このシリーズでは、巨人の四番・長嶋茂雄に再三危険球を投げ込み、一触即発の場面もあった。
しかし、このときは勝負どころとあって冷静。簡単に二死を取り、続く藤尾茂も一塁へのファウルフライでゲームセットかと思われたが、これを南海の一塁手・寺田陽介が落球してしまう。さらには続く長嶋の三ゴロも小池兼司がジャッグルし、満塁となった。
迎えたバッターが宮本だ。カウント2ストライク1ボールから投げ込んだのが、冒頭の1球、低めに沈むシンカーだった。すぐさま鶴岡監督が抗議に飛び出したが、ジャッジは変わらず。
そして興奮冷めやらぬスタンカが投げ込んだ次の1球が外角高めに甘く入ると、宮本がライト線に運び、巨人が逆転サヨナラ勝ち。ただ、これで終わったわけではない。
外野からの返球を待つ捕手・野村克也のバックアップで走ったスタンカが、おそらくはわざと円城寺球審と衝突し、突き飛ばす。
ゲームセットの後、南海ナインが円城寺球審を取り囲み、乱入した南海ファンとともに小突き、押し倒す「白昼の暴力劇」となった。
ただ、不思議なことに、この騒ぎでも誰も出場停止はなく、続く第5戦でスタンカは先発、完投勝利を飾っている。昔の球界は、それほど暴力に寛容だった……。
なお、このシーンから野球ファンが詠んだと言われる「円城寺 あれがボールか 秋の空」という句も話題となった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171029-10
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.029 ┃ 30円
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‡1958(昭和33)年10月29日(水)号 日本シリーズ特集号
2017(平成29)年11月25日(土) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎日本シリーズに向けての盛り上がりを感じさせる記事が並ぶ
写真◆表紙は巨人・長嶋茂雄(左)、稲尾和久(右)
今回は『1958年10月29日号』。創刊第29号で定価30円。中カラー見開きは『投げ合った右腕と左腕』と題し、巨人・藤田元司と国鉄・金田正一の2ショット。
藤田は29勝と大活躍だったが、金田はさらにすさまじく、生涯最多の31勝、防御率も生涯最高の1.30。特に64回3分の1を無失点に抑えた春先のピッチングは圧巻だった。400勝投手・金田の絶頂期と言ってもいいだろう。
そのタイミングで巨人に長嶋茂雄が入団したのだ。野球の神様も粋なことをする。
巻頭グラビアは巨人・長嶋、西鉄・中西太と3年連続で日本シリーズで対戦する両チームの四番が登場。いまなお“史上屈指の激闘”とも言われる運命の日本シリーズが、いよいよ幕を開けようとしている。
その後のグラビアページで10月5日、最終戦終了後の西鉄のリーグ優勝表彰式、三原脩監督の胴上げが続く(優勝決定は10月2日)。
本文巻頭は『留任を命じられた水原監督~日本シリーズの焦点をつく』。まずは、水原円裕監督との確執が話題になっている品川主計巨人球団社長への一問一答。10月2日に水原監督留任を発表し、その経緯などについて質問を受けている。
品川は自身の性格について、「人さまのように遠慮しませんので、そういう結果になるんでしょうね。歯に衣着せてものを言ったり、あっちを見、こっちを見て、人さまは遠慮しているでしょう。私のように率直にいかん。率直にいくと、ああいうことになるかもしれん(笑)」と語っている。プライドの高さで知られた水原監督とは、合うはずもなかったのだろう。
恒例の『10分間インタビュー』は巨人・川上哲治、西鉄・大下弘が登場。特別座談会では、大逆転でパの王者に輝いた西鉄から三原監督、稲尾和久、豊田泰光が登場。『三連覇!巨人の記録に挑まん』とある。過去日本シリーズでは51年から53年の巨人3連覇が最長、この年の西鉄はそれに挑むことになる。
さすが豪華と感心していたら、その次は『稲尾を倒して雪辱せん!~巨人軍主力のうちわばなし』として巨人から水原監督、長嶋、藤田が登場だ。自虐的な表現になってしまうが、当時の「週べ」のすごさをあらためて感じる。
この対談中、秋になって東京地方で多かった雨による調整への影響を心配するくだりがあった。やや早足にならせてもらうと、この年の日本シリーズのカギは、東京ではなく、福岡だが、雨だった。
ほか『人気に沸く後楽園と平和台~日本シリーズ前夜の表情』『日本シリーズ両軍選手なくて7クセ』。さらに後ろグラビアでは両軍主力選手の写真名鑑などと、日本シリーズに向けての盛り上がりを感じさせる記事が並ぶ。センターグラビアは巨人のシーズン最終戦と優勝表彰の記事もあった。水原監督もまた、この日が胴上げになったようだ。
スカウト戦線の記事もあった。最大の注目と言われた早実・王貞治は最終ページで巨人の入団会見が載っていたが、記事のタイトルは『スカウト合戦の中間戦報告』と、まだまだ活発。高校生の目玉は徳島商高の板東英二だった。
なお、恒例の賞金10万円の『ホームラン・クイズ』は日本シリーズの最高殊勲選手と首位打者はだれ、がお題。いまさらになるが、誰がホームランを打つかのクイズではなく、ホームランのようにでかい賞品があるクイズだった。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.239 ┃ 40円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1962(昭和37)年10月29日(月)号 阪神・村山実の快投
2018(平成30)年06月24日(日) 16:18 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎中日・ニューク初比登板
写真◆表紙は阪神・藤本定義
今回は『1962年10月29日号』。定価は40円だ。
阪神─東映の日本シリーズが始まった。この号では3試合目までがレポートされている。
第1戦(甲子園)は阪神・小山正明、東映・土橋正幸の先発。5対5の延長10回裏、四番手・尾崎行雄から吉田義男が犠飛で1点を取って阪神がサヨナラ勝ち。10回表二死から先発・小山をリリーフし、毒島章一を三振に斬って取った村山実が勝利投手となった。
続く第2戦は阪神先発・村山の一人舞台。8回途中まで完全試合の快投で完封勝利。しかも右手の指が腱鞘炎のため冷たくなり、マウンドで息を吹きかけながらのピッチングだった。人差し指と中指は真っすぐ伸びない状態になっていたという。
1日あけ、神宮に舞台を移しての第3戦は延長14回2対2の引き分けだった。ただ1試合目5の0、2試合目3の0だった東映の三番・毒島が5回途中から二番手で投げていた村山からソロ本塁打、7回には、同じく村山から第1戦で3失策の岩下光一がタイムリーで同点に。少しだが、阪神一辺倒の流れが変わりつつある感じもある。
阪神打線で好調を維持するのは第2戦で3ランを放った四番・藤本勝巳。シリーズ後には歌手・島倉千代子さんとの婚約発表を控えていた。
ペナントレースでは、シーズン最終戦の対広島でメジャーの149勝投手、中日のニュークがついにマウンドに立った。本人は「気が進まない」と最後まで嫌がったが、オーナー直々の指令と聞いて4イニングを投げた。タイムリーを浴び2失点に、これまで記録だけを見ていたときは「やはり一度引退した選手の球なんて」と思っていたが、記事を読むと、球も速く、チェンジアップは捕手が捕球にもたつくほど変化した、という。
小社には「中日野手ニューク」はあるが、「中日投手ニューク」の写真は残っていない。消化試合とあってカメラマンを派遣しなかったのだろう。残念。
ちなみにMVPを取れなかった小山には沢村賞とセ・リーグから優秀功労賞が贈られた。
小山は照れ隠しもあってだろうが、
「ほんとにこんな賞があったんかいな。今年の俺のために作ったんと違うか」
と言っていたとか。
以下宣伝。週べ60年記念シリーズ『巨人編』『日本ハム編』『阪神編』『ロッテ編』が発売中。現在、『広島編』を6月29日発売予定で鋭意制作中です。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180624-02
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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