【TBSスパークル】1954年9月28日 ボディー・ビル流行(昭和29年)https://youtu.be/RtJcu3zpTEM
‡1954(昭和29)年09月28日(火)
ポルシェ928
Porsche 928
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB928
松山 大耕:宗教の寛容性を今一度見直すべき理由
2016(平成28)年7/29(金) 13:25 TED配信
‡2014(平成26)年9/28(日) 00:00 動画撮影日
翻訳 ⇒ 私は今から35年前、ここ京都のお寺で生まれました。お寺の子供として育ちましたけれども中学校・高校はカトリックの学校に行っておりました(笑)。お寺に生まれながらにしてキリスト教の教育を受ける。これは非常に珍しいことではありますけれども、家族それから親族友達を含め皆暖かく見守ってくれました。大学時代に私アイルランドに行ったことがありました。アイルランドはご存知の通り敬虔なカトリックの国ですけれども、そこのある田舎のB&Bに行った時に女将さんに私の生い立ちを説明しました。すると女将さんは急に顔色を変えて次のように言いました「あなたの国では何でそんなことができるの?アイルランドでそんなことをやったらあなた殺されても文句を言えないわよ」とこういう風に言われてしまいました。私はすごく若かったので残念ながらその女将さんに全く反論することができませんでした。日本人の宗教観は非常に独特なものがあります。例えば多くの日本人はキリストの誕生日であるクリスマスをお祝いし、年末にはお寺で除夜の鐘を聞いてそしてお正月には神社に初詣に行きます。日本以外の方からは「なんて節操のない」という風に言われることもあるんですけれども、しかしここ日本では非常にこういった宗教の寛容性というのは一般的です。私はこの宗教の違いというのは「食」の違いに似ているんじゃないかなという風に思ってます。例えば、和食と洋食の違いを考えてみましょう。洋食のコース料理を頼みますとメインディッシュというのが出てきます。そのコースのハイライトですけれども、和食にはこう言ったメインディッシュというのはありません。例えば伝統的な懐石料理を注文しますと、先付け椀物から最後のご飯にいたるまでメインという考え方はありません。私はこの食と同じようにこの日本人の宗教観もある特定の宗教だけを特別視するのではなく、全ての宗教に共通する倫理観もしくは哲学こういったものを日本人は大事にしていると思います。ですから日本人の宗教観というのはBelieveinsomething(何かを信じる)ではなくてRespectforsomething(何かを敬う)もしくはRespectforothers(他者を敬う)こういうスタイルが日本人の宗教観です。ですから日本では色んな宗教を信じている方がいらっしゃいますが、お互いに尊重しておりますし、実は私がいるこの妙心寺でもお寺ですけれども神社の神様にお経をあげる機会も結構あります。そしてお寺の中に神社がある所も沢山あります。ですから日本の仏教というのは非常に特異な形をとっています。例外はありますけれども日本のお坊さんは妻帯を許されていますし、修行中はお肉・お魚を慎んで精進料理をいただきますが、修行が終わってしまえば特別厳しい戒律はありません。しかしこの日本では物を残すもしくは無駄にする、こういったことは非常に敬遠されます。もしこの仏教発祥の地であるインドの方が日本の仏教をご覧になったら「これは仏教ではないんじゃないか」とおっしゃるかもしれません。インドそれから東南アジアを中心として信仰されている上座部仏教では戒律の遵守、それから教程の学習、瞑想の修行こういったことを目的とされています。しかしここ日本の仏教は先祖供養そして普段の生活の中での礼節を敬うこういったことを重視しています。じゃあ、もし私たちが今まで1500年以上かけて築いてきたこのスタイルこれを「仏教でない」というんだったらどう呼んだらいいんでしょうか?やはりこれはどうしても「日本の仏教」と言うしかないと思います。日本の仏教は中国それから日本の古来の宗教である神道の影響を受けて日本に相応しい形で洗練されてきました。ですから元々ブッダが始めた原始的な仏教とは実践の方法は違いますけれども、インドにしろ、東南アジアにしろ、ここ日本にしろその根底にあるのはブッダが唱えられた素晴らしい哲学と教義に基づいています。私は日本とインドのこの仏教の違いというのは実はカレーに似ているんじゃないかなと思っています(笑)インドではこのように非常にスパイシーで辛いカレーを皆さん召し上がります。カレーもインドが発祥の地なんですけれどもこのインドの方が日本の私たちがすごく食べ慣れている甘くてまろやかなカレー、皆好きな方沢山いらっしゃると思いますが、あのカレーを召し上がったら「これカレーじゃないじゃないか」とこうおっしゃるかもしれません。じゃあ私たちが慣れ親しんでいるこのカレー、これを何と呼んだらいいんでしょうか?やはり私たちはこれを「日本のカレー」と言うしかないと思います。確かに調理法・具材は違うかもしれませんが、このルーにお肉やお魚そして野菜を入れて煮込んでご飯ともしくはパンと一緒にいただくこのスタイルはインドでも日本でも共通しています。私事ですが私は大学時代に農学部におりました。その農学部時代に実はカレーに関するある実験を行ったことがあります。これがどういう実験かというとまず部屋を2つ用意します。まず一つ目の部屋は日本の夏の気候のようにすごく暑くてしかも湿度が高い高温多湿の部屋を用意します。もう一つの部屋はインドの夏のようにすごく暑いんだけれども、湿度があまりないカラッとした気候の部屋を用意します。そこに世界中から集まられた留学生も含めて30人の学生さんにしばらくいてもらって、その部屋の中でインドと日本のカレー両方食べ比べてもらいました。そしてどちらが美味しいか判断してもらいました。すると日本の部屋で食べた学生さんの内30人の内20人以上の方が日本のカレーの方が美味しいという回答がありました。同じこの30人がまた別の日にこのインドのお部屋でカレーを食べた際にはインドのカレーの方が美味しいとおっしゃった学生さんが30人中20人以上いらっしゃいました。つまり日本の部屋で食べた場合には日本のカレーがそしてインドの部屋で食べた場合にはインドのカレーの方が美味しいという回答が得られたわけです。このように食というのはその土地の気候・風土こういったものに大きく左右されます。宗教も同じでもちろんこの気候・風土それから歴史・文化・伝統こういった色んな要素でその国に相応しい形に洗練されてまいります。私たちに馴染みのある日本人のこの寛容性のある宗教観、私はこれを世界の皆様とシェアできれば世界の皆様に素晴らしいアイデアを提供できると私は強く信じています。今から数年前になりますが兵庫県に尼崎という町があります。そこで素晴らしく画期的なFMの番組が始まりました。この番組タイトルはズバリ『8時だヨ!神さま仏さま』といいます(笑)元々はこれは『8時だヨ!神仏集合』だったんですけれども(笑)それはいいとしましてこれがどういう番組かと言いますと毎週水曜日8時から30分の番組なんですけれども、ご覧のようにあるリスナーからのお悩みを神社の神主さん仏教のお坊さんキリスト教の牧師さんこの3名が一緒になって解決するとこういう番組なんです(拍手)ありがとうございます。これは非常に画期的で、ある宗教のお坊さんがある特定のものに対して回答する、これはあり得る話だと思うんですけれど、全く違う宗教のお坊さんが3人集まって一つのお悩みを解決していく。これは前代未聞ですし非常に画期的なプログラムです。リスナーの方にしてみれば一つの固定化された回答だけではなくて世の中には色んな解決方法があるのかということで非常に安心感が得られます。そしてもう一つ今年の2月ですけれども私が提案しましてここ京都でこれまた画期的な素晴らしいイベントを開催いたしました。それがこれ「宗教者駅伝」です(笑)。この駅伝というのは日本人に非常に馴染みのある競技だと思いますが、実はこの駅伝はここ京都で今から百年前に生み出された競技です。この世界を代表する宗教都市京都、そしてこの駅伝の発祥の地であるここ京都、ここに世界中から色んな宗教の宗教家・お坊さんに集まっていただいて宗教家だけでつなぐ駅伝を開催したんです。これは宗教対抗ではなくて例えば第一走者は神社の神主さん、第二走者は仏教のお坊さん、第三走者はキリスト教の神父さん、第四走者はイスラム教のイマームという風に宗教をミックスして一つのたすきをつなぐというのを複数のチームを作ってこの駅伝を開催したわけです。現代では宗教のお互いの理解が必要だということで対話・対談こういったこともよく行われていますけれど、会議室で対談をしてもなかなか発信力がありませんし、この駅伝というのはパッと見て分かりますから、市民の皆さんと一緒に走りますので一体感がある。そして直接的にメッセージが伝わります。それから走らないといけないので必然的に若い宗教家が活躍できるということです。そしてこれ実は京都だけではなくてヨーロッパのルクセンブルクでも同じコンセプトの駅伝が開催されて、実はこの駅伝を介して宗教の融和を図ろうという動きが今世界に広まりつつあります。ですからこの混迷を極めた世の中、宗教家自らが自分の身を削って身を挺してそして宗教の融和を図っていく、これは私非常に大事なことだと思っています。さてもし私が今大学時代にお会いしたアイルランドのB&Bの女将さんに再会する機会があれば、私は今だったら堂々と自信を持って言えると思います。確かに全ての宗教においてその教義に忠実である・守ることこれは非常に大事なことです。しかし世の中にはもっと大切なことがあります。それは信じる宗教が違っていてもお互いを尊重しそして仲良くするということです。日本では色んな宗教を信じている人がいますが宗教が違うからといって争い・揉め事、こういったことはほとんど起こりません。しかしテレビでニュースを見ますと、世界を見渡しますと一つの宗教を信じるあまり他の宗教の方と争ったり、罵り合ったりそういう場面が散見されます。しかし、私はそれは本末転倒だと思います。宗教の本質は盲目的に一つのものを信じることではありません。世界には沢山の人がいてそれぞれ皆さん感謝の気持ちを持って安心感を得てそして自分の人生を全うする。その助けを提供するのがこの宗教の役割です。ですから宗教の本質宗教の役割というのは安心感を与えることです。ここ日本ではこうやって様々な宗教がありますけれどもそれぞれ尊重して皆さん平和に安心感を持って過ごされています。しかしながらこの世界には色んな地域があります。そして色んな文化・伝統があります。ですからこの安心感を感じる方法は一つじゃなくても良いと思います。色んな方法があっても良いと思います。私はこの2年ほどで前のローマ法皇にご招待いただいてバチカンに行ったり、この4月にはここ京都でダライ・ラマ猊下にご招待いただいてシンポジウムに参加させていただきましたが、世界の宗教家が実は日本の宗教観に非常に期待されています。ですから私は是非世界でも冠たる宗教都市ここ京都、ここ京都から日本人の持つ素晴らしいこの寛容性のある宗教観、これを是非世界に伝えたいと思います。そうすれば世界はもっと素晴らしくて素敵な場所になると私は強く信じています。ありがとうございました(拍手)
◎宗教の役目とは何でしょう? 僧侶・松山 大耕が説かんとするのは、特定の宗教の教えではありません。どのような信仰を持つ人であっても敬意を払うことの大切さです。笑いを混ぜながらも示唆に富んだ、この美しいトークでは、世界中の宗教の指導者たちに向かって寛容と平和を重んじるよう訴えつつ、松山副住職が主導する、多様な宗教コミュニティが効果的に共存目指したイニシアティブを紹介します。
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20160729-00000000-ted
2018(平成30)年4月25日(水) 空さん『サラバ☆創価学会』宗教の寛容性を今一度見直すべき理由~『8時だヨ!神さま仏さま』
http://sarabasokagakkai.blog.fc2.com/blog-entry-53.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ いはゆる「保守論壇」に問ふ ┃
┃ <其の八>占領典憲パラダイムの転換を求めて ┃各種論文編
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡2016(平成24)年09月28日(水)
◎はじめに
内憂外患の緊迫した状況が差し迫つてゐる。外にあつては、領土の危機、国際経済の不透明さに右往左往してゐる。それは、これまで占領憲法では、仮に「自衛権」があつたとしても、「交戦権」がないことを真剣に考へてこなかつた大きなツケを払はされてゐるからである。また、内にあつては、さらに深刻であり、男女共同参画社会の推進、住民投票条例及び自治基本条例の制定、外国人地方参政権の附与、人権救済法案の成立など、着々と「革命」が進行してゐるのである。
ルソーからフーリエ、そして、これらの思想を受け継いだアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふレーニンの懐刀であつたロシア女性革命家は、家族制度を封建時代の産物、資本主義の温床として、家事と育児の社会化、女性解放論、事実婚の奨励などによつて家族制度を解体することに執念を燃やした。これが「熱い革命」、「急進的革命」であるとすれば、現在は、「冷たい革命」、「漸進的革命」が進行してゐると言つてよい。
皇室と家族を解体し、天皇祭祀とこれに相似する祖先祭祀を否定することが日本革命の最終目的であり、国民主権論、人権論、平等論などを謳ふ占領典憲は、革命を推進する大きな後ろ盾となつてゐることはいまさら言ふまでもない。
二十年前、私とも親交のある慶應義塾大学教授の小林節氏が『憲法守って国滅ぶ』といふ書物を著した。これは占領憲法の改正論を主張したものだが、それ以後も改正への具体的な進展はなく、改正論が現実の政治日程に載ることは全くなかつた。それも当然と言へば当然のことである。占領憲法を憲法として有効と信じてゐるのであれば、占領憲法が唱へる国民主権を支持することになるが、国民主権の思想こそが祖国の再生を妨げ続けてゐる元凶であることを理解できてゐない。改正では到底祖国は再生できない。より改悪される危険があることを自覚できてゐなかつたからである。
しかし、時代は、やうやく占領典憲によつて固定されたパラダイムが転換する時期に入つてきた。『憲法守って国滅ぶ』と同じ頃に提唱された真正護憲論への理解が、一段と広がり、いまのところは数名ではあるが、憲法無効論を唱へる信念を持つた政治家が登場し、多くの人々の共感を得るに至つてゐる。ところが、いづれの時代も、パラダイムの転換期においては、これに必至で抵抗する勢力が生まれる。占領典憲パラダイムの転換においても、占領典憲に洗脳された徒花たちが湧き出すのである。この徒花には、二種類がある。一つは、革命を標榜する確信犯的な左翼であり、もう一つは、ハーメルンの笛吹き男のやうな似非保守である。
この似非保守は、占領憲法の改正論を主張して保守層の琴線に訴へるが、いつ、どうやつて改正するのかといふロード・マップ(道筋、行程表)を決して示さない。否、示せないのに改正できると偽るペテン師集団である。真正護憲論では、拙著『國體護持総論』第五章で具体的なロード・マップを示してゐるが、改正論者には到底できないことである。
占領典憲の効力論を論ずることは当然に必要であるが、政治論において、その理論が現実主義の見地から、変革のための具体的な道筋と日程を示せるか否かが重要である。それゆゑ、効力論もさることながら、この政治論において現実的でない改正論は敗北主義であると言はざるを得ない。
真正護憲論はあくまでも自立再生社会の実現のための手段である。それは、拙著『國體護持総論』第六章で描く社会の実現が目的である。最近になり、この増補部分を追加して、経済構造についての具体的な制度も提示した。このやうな視点から、占領典憲パラダイムの転換により、自立再生社会へと進展するについて、今までも、そしてこれからも徒花たちが挑む様々な真正護憲論への批判についても誠意を以て答へる必要があると考へた。
◎占領憲法の洗脳運動
占領憲法の効力論争は、これまで公式にはなされてこなかつた。それは、占領憲法が制定されたとする
昭和二十一年十一月三日の翌月の
昭和二十一年十二月一日に発足した「憲法普及会」の影響によるものである。憲法普及会は、GHQの指示により設立され、多くの国家予算を投入し官民挙げての長きに亘る「洗脳運動」が実施された。『新しい憲法 明るい生活』といふ小冊子を二千万部発行して全戸配布するなど、様々な洗脳を繰り返し繰り返し実施し、その洗脳を信じない者や洗脳の効果のない者は、政治家、官僚、裁判所、経済界、学界、マスメディア(政官業学報の五人囃子)の要職には就けなかつたのである。洗脳され従順になつた者以外の者は、野に下るしかなかつた時代が長く続いたのである。そして、これは過去の歴史的事実だけではなく、その第二世代、第三世代が現在もなほ完全支配してゐるのが現在なのである。
そのために、この論考は、政治家、官僚、裁判所、経済界、学界、マスメディア(政官業学報の五人囃子)のみならず、圧力団体も加はつた「真正護憲論シフト」によつて、真正護憲論を排除する言論空間が現存してゐることをこの論考によつて徐々に明らかにした上で、真正護憲論に対する謂はれなき批判と中傷に対して、節度を持つて反論を連載して試みるものである。
真正護憲論が浸透すれば、この洗脳運動による洗脳を解くための運動は行はれることになる。これも原状回復論に基づくものである。しかし、改正論ではさうは行かない。洗脳が正しいものであるから、その洗脳を解くことは「逆コース」であつて禁止される。そのため、永遠にこの洗脳は解かれない。また、改正の方向が定まつてゐないので、どちらの方向に改正されるかについてもニュートラルであるから、これほど危険なことはない。
目的が定まらないのに改正することは、いかに危険であるかの自覚がない。占領憲法第九十六条の改正といふのは、あたかも「チキン・ゲーム」の危険を孕んでゐるのである。
◎学界、政界等における無効論
効力論争については、昭和三十一年の憲法調査会法によつてなされる予定であつたが、無効論の識者は一人も調査会委員にはなれなかつた。調査会報告書は、無効論があることを紹介するだけに留まつたのである。
しかし、憲法無効論は、我が国の学界において根強く主張されてきた。占領憲法制定当時に無効論を主張してゐた代表的な論者としては、井上孚麿氏、菅原裕氏、谷口雅春氏、森三十郎氏、相原良一氏、飯塚滋雄氏、飯田忠雄氏などであるが、外にも、太田耕造氏(元・亜細亜大学学長)、澤田竹治郎氏(元・最高裁判所判事、元・日本弁護士連合会憲法審議委員長、憲法学会初代理事長)などがゐた。福田恆存氏も昭和四十年に著した『當用憲法論』で占領憲法が無効であると主張してゐたし、現在でも小山常実氏その他の論者がゐる。
なほ、これらの学者以外にも、政治家の主張として、
昭和二十八年十二月十一日の衆議院外務委員会における並木芳雄委員の発言(第九条無効論)、
昭和二十九年三月二十二日の衆議院外務委員会公聴会における大橋忠一議員の発言、そして、昭和三十一年に内閣に憲法調査會を設置する法案の発議者として同年七月四日に参議院本会議において提案趣旨説明をなした清瀬一郎衆議院議員の発言、さらに、「文藝春秋」平成十一年九月特別号所収の自由党党首小澤一郎論文(「日本国憲法改正試案」)などがある。
そして、この占領憲法制定過程において、当初から外務大臣、そして内閣総理大臣として深く関与してきた吉田茂氏は、「・・・改正草案が出来るまでの過程をみると、わが方にとっては、実際上、外国との条約締結の交渉と相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層”渉外的”ですらあったともいえよう。ところで、この交渉における双方の立場であるが、一言でいうならば、日本政府の方は、言わば消極的であり、漸進主義であったのに対し、総司令部の方は、積極的であり、拔本的急進的であったわけだ。」(吉田茂『回想十年』第二卷)と回想してゐるとほり、まさに占領憲法は、交渉当事者の認識としても「外国との条約締結の交渉」としての実態があつたといふことである。つまり、占領憲法制定作業は、政府とGHQの二者間のみの交渉によつてなされ、政府は常にGHQの方のみを向いて交渉し、帝国議会や臣民の方を向いてゐなかつたことから、占領憲法は、国内法としての憲法ではなく、国際法としての講和條約であつたといふことである。
このことは、何も交渉当事者であつた吉田茂氏だけの感覚や評価に限られたものではなかつた。たとへば、上山春平氏(京都大学名誉教授)は、『大東亜戦争の思想史的意義』の中で、「あの憲法は、一種の国際契約だと思います。」と述べてをり、また、有倉遼吉氏(元早稻田大学法学部教授)も占領憲法が講和大権の特殊性によつて合法的に制定されたとする見解を示してゐたこともあつたのである。また、黒田了一氏(元・大阪市立大学法学部教授、共産党系の元・大阪府知事)も、占領憲法を「条約」であるとする見解を示してゐたのである。
ところで、前述した
昭和二十九年三月二十二日の衆議院外務委員会公聴会において、外交官大橋忠一議員の発言には注目すべきものがある。大橋忠一議員は、第二次近衛内閣当時の外務次官を務め、また、昭和十五年十一月に松岡外務大臣のもとで外務次官となつて日米交渉に携はつた外交官であるが、この衆議院外務委員会公聴会において、「GHQの重圧のもとにできた憲法、あるいは法律というものは、ある意味においてポツダム宣言のもとにできた政令に似た性格を持つたもの」といふ発言をしてゐる。長く外交官を務めた者の判断として、占領憲法は、ポツダム宣言に根拠を持つ下位の法令であるとしてゐるのである。
また、吉田茂氏の第一次内閣発足直後の枢密院審議において、吉田氏は、「GHQとは、Go Home Quicklyの略語だといふ人もゐる。GHQに早く帰つてもらふためにも、一刻も早く憲法を成立させたい。」と発言して、これが講和の条件として制定する趣旨であることを枢密院に説明し、枢密院は講和独立のためといふ動機と目的のために帝國憲法改正案を諮詢したことになり、講和条約の承認としての実体があつたことになる。
◎効力論争
このやうな背景と根拠により、我が国の国法学を主導する憲法学会においても効力論争は続けられた。初代理事長である澤田竹治郎氏と第四代理事長である相原良一氏が中心となつた。そして、私は、相原良一博士の推薦で憲法学会に入会したが、相原先生は、効力論争における学説を整理され、それを私が引き継いだ。無効説と有効説を区分し、さらに有効説を始源的有効説と後発的有効説に分類したのである。 我が国には、外来の法学を物まねするだけで、固有の国法学がない。それを提唱された一人が相原先生であり、それは最終的には『憲法正統論』として著された。
形式的な意味の憲法である憲法典を実質的な憲法であると同視して、近代合理主義、成文法主義、法実証主義に組み立てられた法学は、制憲権によつて憲法が制定されるとする。憲法とは作られた法とするのである。ここに制憲権の主体が主権者であり、これは主権論と不可分一体のものである。我が国でも、このやうな見解が有力になつたのは、特に、占領憲法制定後のことである。しかし、英国の法の支配、我が国においては國體の支配を唱へる國體論は、主に、占領憲法無効論を主張する学者によつて唱へられてきたのである。
ところが、最近における真正護憲論への反論らしき見解には、これまでも言はれてきたことだが、「憲法違反=無効を肯定しないのが近代法学なのだ、恐れ入つたか!」と強弁する者が現れてきゐる。確かに、それも手荒で粗野な見解であるにしても、法学における学説の一つであることは否定しない。しかし、ただそれだけである。
この考へ以外は法学ではないと主張したとしても、これを否定する見解も法学における主張である。「憲法典の上に憲法なし。」とするのも、一つの見解に過ぎないのであつて、それを主張したからと言つて、それによつて効力論争が終了して決着が付くことは到底あり得ない。それぞれの学説が検証されてその優劣を競ふことになる。
法学上の見解は、いづれも仮説に過ぎず、これが正しいといふ証明がなされない限り仮説のままである。法学は、哲学をも取り込んだものであることから、最後は論理的説得力の有無によつて決まる。この見解以外は主張してはならないといふ世界は、学問の世界ではない。学説は、権力や法律で規制されるものでもない。学問の世界で、これが絶対的真実であるとする証明もないのに、「この指止まれ、止まらなければ否定する」とする「近代法学」なるものは、社会科学ではなく、傲慢で排他的な宗教である。
◎規範とは何か
規範の命は、その規範に違反する行為を無効であるとすることにある。これを否定すれば規範は規範でなくなる。行為規範としても、評価規範としても、当該規範に違反するものは法的保護に値しないこと、それが「無効」といふ法的概念の意味である。帝国憲法に違反した改正行為は無効である。仮に、そのやうな明文規定がなくても、憲法典の上位規範である規範としての國體(國體規範)に違反するものは無効である。このやうにして我が国の秩序は維持されてきたのである。
それを近代合理主義が、憲法制定権力(制憲権)なる概念を打ち立てて、制憲権によつて憲法が作られると主張することになつた。伝統国家の憲法とは、國體に含まれる祖法を投影したものであり、作られた法ではなく発見された法なのである。帝国憲法の告文などはそのことを示してゐる。
我が国の近代は、外来思想に染まつて、その猿真似することが学問的な権威とされた。これは今も続いてゐる。そのために、現在の憲法学といふのは、占領憲法解釈学しかなく、国法学、國體学がない。憲法典の上位規範を認めるか否かについて様々な見解があるが、いづれも仮説であり一つの学派に過ぎない。真理は、多数決では決まらない。正当性説に集約される近代法学の誤りに多くの人々が気付き始めた。「伝統法学」が胎動したからである。そのどちらに説得力があるのかの問題である。演繹法による証明はできないので、すべては帰納法による証明に委ねられることになる。
そして、世界においては、「憲法典の上に憲法なし。」との命題は、帰納法的に否定されてゐる。イスラム教世界やキリスト教世界では、当然のこととして否定される。アメリカ合衆国ですら、聖書に手を置いて大統領は宣誓するのである。これは、国法体系(憲法体系)の上に聖書やコーランといふ最高規範があることを意味するものであり、「憲法典の上に憲法(最高規範)あり。」といふことである。これが世界各国における國體の概念であり、我が国の國體概念と同じ構造となつてゐる。これが世界の常識であり、ここには欧米の一部にしか適用されない合理主義的法学(近代法学)は適用されない。このことは我が国でも同じである。合理主義的法学を唱へる者が、仮に多数を占めたとしても、真理は多数決で決められるものではない。ましてや憲法学者だけで決められるものではない。そんな特権は学者であらうと誰にでも認められてはゐないのである。学問的な真理は多数決では決められない。これも世界の常識である。それを頑なになつて、「この紋所が目に入らないのか!」と言はれて平伏するのは、水戸黄門のドラマだけにしてほしいものである。「効力論争はできないことになつてゐる」と強弁するのは、異説を一切認めない朱子学に等しい考へであり、学問をする謙虚さを失つた哀れさを感じる。
一例を挙げてみる。占領憲法には歴史伝統を重んじる規定はなく、むしろ、これを否定してゐる。さらに、占領憲法には、やまとことばが国語であるとの規定も存在しない。さうであれば、国語の選定は法律事項であるから、やまとことばを廃止して、英語を公用語とし、さらには生活言語とし、やまとことばの使用を禁止する法律は違憲ではないことになるのか。これを肯定するのが近代法学であるとすれば、このやうな論理は誰も支持しない。ここでは長い歴史を踏まへて成立した明文規範を越える不文の規範としての國體が認識され、これは國體違反として無効であると判断されることになる。これが「伝統法学」なのである。
我が国の憲法といふのは、古事記、日本書紀などで語られる不文法の世界であり、明治の帝国憲法といふ憲法典のみではない。正統憲法は、五箇条のご誓文や教育勅語などを含む総体であり、帝国憲法のみが正統憲法であるとするものではない。
http://kokutaigoji.com/reports/rp_iwa_h240928-1p.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎小山常実氏の分断工作
ところで、憲法無効論を唱へる小山常実氏は、大月短期大学教授であり、新しい教科書をつくる会(藤岡信勝氏主宰)の理事である。私は、これまで担当した教科書裁判に関して、資料を戴いたりして協力してもらつたことがある。ところが、『いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の四>小山常実氏に対する公開反論』で述べたとほり、『別冊正論 Extra.06』の「日本国憲法の”正体”」に掲載された小山氏の「占領管理基本法学から真の憲法学へ」と題する論文があつたが、これには私の見解を全く誤つて引用した。つまり、そこには、「この無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない。実際、無効確認の効力を過去に遡らせようと主張する『日本国憲法』無効論者は、誰一人存在しないのである。」として、私も遡及効がないとする見解であるとしたが、これは明らかに誤りであつた。私のいふ無効確認決議の効力は、あくまでも占領憲法制定時において無効であつたことを確認することであつて、将来に向かつてのみ無効とするものではないからである。
私は、その訂正を小山氏と正論編集部に要求し、少なくとも私の反論を掲載するやうに求めたが、小山氏と正論編集部もこれを完全に無視したことから、一般人の誤解を糺すために上記論文の公開に平成十九年七月に踏み切つたのである。
ところで、私は、平成二十三年十一月には、占領典憲の無効確認決議を求める参議院に対する請願に参加し、さらに、平成二十四年二月からは石原慎太郎東京都知事が私の見解を受け入れて占領憲法の無効論を主張し、ワシントンでもこれを主張することになつたことから、これをさらに支援するために、真正護憲論を支持する同志である土屋敬之東京都議会議員とともに、同年六月八日に東京都議会にも同じ請願を提出し、同月十三日には、土屋氏が石原都知事から占領憲法が無効であることの認識を公式に求める一般質問を行ひ、石原都知事もこれに答へた。
そして、これをさらに拡散させるため、土屋氏が関係者に呼びかけをしたとき、その一人から次のやうな小山氏のメールを転送にて土屋氏が受信した。土屋氏がそのメールをさらに私に送つてくれたものであるが、これは明らかに私と土屋氏とを分断するための工作文書であつた。勿論、これに土屋氏は全く影響されなかつたが、その内容は余りにも虚偽に充ちてをり、私の理論を全く理解してゐないことがよく判る文書である。
「無効な憲法(であり講和条約で有効なものに過ぎないもの)の破棄」などと私は一度も言ったことはありません。無効なものを破棄するというのは語義矛盾です。土屋氏は南出無効論を信じているようですが、南出説と私など通常の無効論とは、百%理論的・政治的に対立する理論です。まだ、内政干渉を招かないだけ、改憲派の方がましです。
一、理論的
そもそも「日本国憲法」は講和条約ではありませんし、私は無効確認しろといっているわけで、破棄しろとは言っていません。破棄しろというのはそれほど害はないのですが、中国や米国に向かって条約破棄通告をするという南出理論は、内政干渉を招きます。南出理論は、無効論を唱える段階ではそれほど問題はないのですが(この部分でも実は大きな問題があるのです。特にハーグ条約を無視する傾向。総じて国際法無視の傾向)、「日本国憲法」が今どういう法として存在しているのか、という問題領域になると出鱈目なことばかりを言います。トータルでは、矛盾だらけで全く成立しない議論です。ほとんどの専門家がそう思っています。唯一の理解者であった渡部昇一氏も、嫌気がさしているようです。
一番端的に出鱈目といえる箇所をあげておきます。南出氏は、ポツダム宣言が入口条約、「日本国憲法」が中間条約、サンフランシスコ平和条約が出口条約であると位置づけていますが、そうであるならば、出口条約が出来あがった時点で「日本国憲法」は失効したことになります。しかし、彼は失効したはずの「日本国憲法」を大日本帝国憲法とともに現在の憲法として確定的に有効だと位置づけているのです。同じ条約説でも、渡部氏は「日本国憲法」は1952年の独立とともに失効したと捉えるようです。通常の無効論は、「日本国憲法」を暫定的に、時限的に有効だとする、あるいは憲法未満のものとして有効とするという工夫を行ってきました。これに対して、南出理論では、「日本国憲法」は確定的に憲法として成立しているのです。入口は憲法無効論ですが、出口は憲法有効論なのです。ですから、詐欺のような理論ですから、偽無効論と言う声が大きくなってきています。
二、政治的
南出理論は、中国を喜ばすだけの理論です。南出氏は条約破棄の通告を諸外国に対して行うといいますが、そんなことをすれば、喜んで中国や韓国は、内政干渉してきます。「俺たちとの話し合いで新しい憲法を作るべきだ、外交交渉で日本の憲法内容を決めよう。君たちの理論では、日本は一度米国を中心にした連合国と条約という形で日本国憲法を作ったではないか、もう一度同じことをしよう」と言ってきます。これに対して、南出理論では反論できないのです。改憲派も護憲派も、理論的にはこのような内政干渉を招きませんから、南出無効論よりはましなのです。なぜ、無効確認しないといけないのか。一言で言えば、独立国の精神の回復です。そして、将来、仮に中国と戦い敗れても憲法を押し付けられないようにする理論的根拠を作っておくことです。ところが、南出理論は、外国に再び押し付けられるような理論装置をつくり出したのです。南出無効論に基づく無効確認・破棄運動とは「予め裏切られた独立党の運動」なのです。
三、背後に何があるのか
振り返れば、実は、南出氏も、かつては破棄などと言うのは語義矛盾だと言って反対の立場でした。そして、条約説は昔から言っていましたが、決して破棄通告するというようなことは言っていなかったと思います(勉強不足なだけかもしれませんが)。破棄通告と言い出したのは、平成18年末頃だったと思います。当時、変なことを言いだしたなと思った覚えがあります。この平成18年末頃から、猛烈に、ネット上で南出理論を宣伝するブログが多数作られていきました。それまで南出理論を説くブログは一つか二つでしたから、異様な感じでした。そして、改憲派は護憲派と同じだと攻撃し、通常の無効論は戦後の秩序をすべてひっくり返すと言っていると嘘の宣伝をし出しました。相変わらず、今もこの嘘宣伝をしています。この宣伝に騙された多くの知識人がいたようです。その筆頭が渡部氏です。平成19年4月に渡部氏との共著である『日本国憲法無効宣言』を出したことによって、南出無効論の信者は一挙に増えました。後でわかったことですが、この年の7月ごろから、私への批判をネット上で行うようになります(きっかけは、私が南出氏の理論を私信で批判したことでしたが、私信レベルの論争を勝手に公のものにしたのです)。また、私に対する反論を書かせろと言って『正論』に文句を付けていたようです。正論は全く相手にしなかったようですが。ともかく、今振り返れば、平成18年と言う年が、日本の保守言論界の崩壊の始まりだったと思います。「つくる会」が分裂し、「新無効論」という名の偽無効論が登場した年です。この年に何がうごめいていたのでしょうか。ここのところ、本当にそう思います。平成19年の時点の私は、偽無効論との戦いをせず、「つくる会」理事となり、公民教科書作成に取り掛かりました。「つくる会」を守る方を優先させました。当時は、南出氏について一定の仲間意識がありましたし、偽無効論とまでは思っていませんでした。また、数回の手紙のやり取りを通じて、氏が、人に対して極めて無礼であり、しかも学問というものがどういうものか全くわかっていないことを知るにつれ、ともかく到底まともに相手にしない方がよい人だとも思いました。そして、何よりも、体力的に到底二つのことはできないという判断から、「つくる会」の活動に集中してきました。ただ、持たない体力ではありますが、私は二つの事を追求したいと思っています。南出理論については、いずれきちんと研究した上で、批判を展開していく予定です。ただ、その前に、育鵬社問題を初め、「つくる会」関係で片付けなければならないことが多数ありますので、なかなか掛かれない状況です。