発売禁止になったビートルズの「ブッチャーカバー」にまつわる裏話
‡2019(令和元)年06月16日(日) 10:15 JORDAN RUNTAGH
写真◆写真家ロバート・ウィテカーによるグロテスクな“ブッチャー(虐殺者)”の写真が、図らずもビートルズの超レアで最も珍重されるコレクターズアイテムとなった。
ひとりの写真家による常識はずれの思いつきが、ファブフォーの究極のコレクターズアイテムを生み出した。生肉、バラバラ人形、白衣を着たメンバーという表現は、激しい物議を醸し出した。それは、本当にベトナム戦争への抗議だったのか?ビートルズの歴史的アルバムとも言える、発売中止になった"ブッチャーカバー"にまつわる当時の裏話を回想する。「アルバムカバーは僕のアイディアの方が良かったよ。ポールの首を切り落とすイメージだ」とかつてジョン・レノンは、アルバム『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』のカバーの話題になった時にジョークを飛ばしたことがある。1966年にリリースされた同アルバムは、北米向けに当時のザ・ビートルズの楽曲を寄せ集めて製作されたものだった。冗談はさておきレノンの発想は、同年6月のリリースへ向けて最終的に選ばれたカバー用写真に比べれば可愛いものだ。タイトルにヒット曲『イエスタデイ』の名前を見つけて咄嗟に手を伸ばしたファンは、食肉処理業者(ブッチャー)の白衣を着たメンバーがいたずらっ子(というよりむしろ殺人鬼のように)気味悪い微笑みを浮かべ、生肉の切れ端やタバコの火を押し付けられバラバラになった人形をまとったグロテスクなイメージに衝撃を受けた。レノンがバンド仲間の内蔵を引っ張り出して四つ裂きにでもした方がまだ、激しい論争を抑えられたのではないだろうか。半世紀が経ってもなお、生後間もない赤ん坊を虐殺する楽しげなファブフォーの姿は、とてつもなく異様だ。同アルバムカバーは直ちに回収されたものの、そのような奇異なカバーが制作されたという事実はバンドの歴史に残された。1966年当時、アルバムカバーにトイレの便座を描くことなど考えられなかったし、パンクロッカーたちが世間を挑発するようなアプローチを取り始める10年も前の話だった。それでも修羅場の中で笑っていられるのがビートルズなのだ。いわゆる“ブッチャーカバー”は他にもロックの不名誉な記録を打ち立てた。ジョージ・ハリスンがかつて「ビートルズのコレクターズアイテムの決定版」と呼んだ同アルバムカバーは、何万ドル、時には何十万ドルもの値が付いている。バンドの歴史上、今なお全く正しく理解されないチャプターのひとつだ。ベトナム戦争に対するビートルズからのメッセージか? レコード会社に対する彼らの抵抗か? 売名行為か? それとも退屈したロックスターによる未熟な悪ふざけか? しかし実態は、もっと複雑なのだ。アルバムカバーのイメージは、ロバート・ウィテカーによるアイディアだった。ダークなユーモアとシュールな感性を持つ当時26歳のオーストラリア人写真家は、バンドのお気に入りカメラマンのひとりとなった。ウィテカーはビートルズの印象的な写真を撮影した複数の実績があり、ジョン・レノンがタンポポの花を片目に当ててポーズを取ったユニークな写真(1965年)の作者でもある。ギリシャ神話のナルキッソスやギリシャの悲劇詩人エウリピデスにヒントを得た同作品は、ビートルズの一風変わった感受性を見事に表現している。
1966(昭和41)年03月25日(金)、メンバーはロンドンのおしゃれなチェルシー界隈にあるウィテカーのスタジオを訪れる。アイディア満載のウィテカーの頭には、ある大胆なコンセプトが浮かんでいた。「ビートルズのクリーンなイメージを押し出した写真には飽き飽きしていたから、ポップアイドルのイメージに大革命を起こしてやろうと考えた」とウィテカーは、作家のジョン・サヴェージに語っている。シェイ・スタジアムで行った記録破りのコンサートをはじめ、ビートルズに対する聖書レベルの誇大な称賛を個人的に目撃してきたウィテカーは、彼らの誇張された名声を皮肉り、ロックの神と崇められる彼らが実際は血の通った人間であることをファンに気づかせるような風刺的写真シリーズに仕上げようと目論んでいた。「世界各地で彼ら4人が神のように崇拝されるのを見てきた。しかしファンが彼らに注ぐ情熱を目の当たりにして、キリスト教の信仰はいったいどこへ向かうのだろうか、と思った」レタッチし細工された彼の作品は、ロシア聖教の三連イコン風に仕上げられた。サルヴァドール・ダリとルイス・ブニュエルによる共同映画作品『アンダルシアの犬(Un Chien Andalou)』をはじめ、概念芸術家メレット・オッペンハイムの作品、ハンス・ベルメールの写真集『人形(Die Puppe)』の影響を受けながら、ウィテカーは自分の夢に出てきたイメージも取り込んだ。その後お蔵入りする彼の作品は、『夢遊のアドベンチャー(A Somnambulant Adventure)』と呼ばれた。もちろん、通常のフォトセッションという訳にはいかなかった。そしてビートルズ側も、予期せぬ展開に全く準備ができているはずもなかった。ウィテカーによる写真撮影のために4人が公の場で揃ったのは、1965年12月にイギリスで行ったコンサート以来だった。1966年初頭はバンド名義の3本目の映画撮影が予定されていたものの脚本が完成しなかったため、彼らが世界的なスターの座を得てから初めてまとまった自由時間ができた。結果として4人にはそれぞれの趣味を追求する時間ができ、当時ロンドンで盛り上がっていたカウンターカルチャーに関する本、演劇、絵画、音楽などを楽しみ、知的教養を高めた。
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ウィテカー同様、レノンもまた当時の世界における宗教の役割に大いに興味を持っていた。「キリスト教は今後、衰退し、消滅していくだろう」というイヴニング・スタンダード紙のモーリーン・クリーヴとのインタヴューにおける発言は有名だ。「僕らは今やイエス・キリストよりも有名だ。宗教かロックンロールか、どちらが先に消えてなくなるかはわからない」とジョンは言った。彼の発言はその後、1966年夏の終わりに米国で再び報道されるや、致命的とも言えるスキャンダルに発展した。それに先立つ
1966(昭和41)年03月25日(金)、自信に満ち溢れ、実験的なことをしたいという欲望に駆られたビートルズは、ウィテカーのスタジオを訪れた。キリスト教のイコンをモチーフにした不敬な写真は、バンドにとって間違いなくセールスポイントだった。しかし、飽きっぽいことで悪名高い彼らの興味を惹きつけたのは、撮影のために用意された一連の小道具だった。鎖状につながったソーセージ、入れ歯、生の豚肉の切り身、ガラスの義眼、ハンマー、クギ、白衣、鳥かご、切断された豚の頭部、バラバラになった人形が、まるでオカルトのフリーマーケットのように並べられていた。「(ウィテカーとは)何度か撮影の仕事をしたことがあったので、彼は僕らの性格を心得ていた」とポール・マッカートニーは、ドキュメンタリー『ザ・ビートルズ・アンソロジー(The Beatles Anthology)』の中で語っている。「彼は僕らがブラックユーモアや悪い冗談が好きなことを知っていた。彼は“ひとつアイディアがある。この白衣を着てくれよ”って言うんだ。僕らにはそう抵抗のあることでもなかった。ただの人形とたくさんの肉というだけだった。彼が何を目指していたかはわからないが、それまで僕らがやらされてきたことよりは、少しばかりユニークに見えた」一方でジョージ・ハリスンの評価はそう寛大ではなかった。「気持ちが悪いし馬鹿げたアイディアだと思った。僕らは時々くだらないこともしてきた。そんな馬鹿なことでもそれがクールだとか格好いいとか思ったりしたが、あれは正にそういった類のものだった。あの時も、バンドの一員としてやらざるを得ない状況だった。だから僕らは撮影のために肉屋の白衣を着たんだ」ウィテカーのみが三連イコンの本当の意味を把握していたのだが、彼は2011年に亡くなるまでに、何種類かの説明をしている。見開きカバーに使われるはずだった最初の写真では、女性がカメラに背を向けてひざまずき、その向こうにはファブフォーが鎖状につながったソーセージを手に立っている。ウィテカーによるとこの写真は、一般の人々と同じ人間としてのビートルズの“誕生”を象徴しているという。「ソーセージは、へその緒を表していた」と2004年に彼は、モジョ誌に語っている。「さらにその写真は、妊娠した女性の子宮の中にあるようなイメージで、乳首と大きな子宮も描かれ、ビートルズの4人のメンバーが女性のお腹の中で1本のへその緒でつながっているイメージになるはずだった」2枚目の写真はいわゆる“ブッチャー”ショットで、ビートルズが物理的にも精神的にも、名声によってバラバラにされる危機に瀕していることを示す。「12インチレコードの見開きカバーのセンターに来る2.5インチ角の写真になるはずだった」とウィテカーは、モジョ誌に語っている。「彼らの頭の周囲には、宝石をあしらった銀色の光輪が描かれている。さらに全体的に銀色と金色を使ってロシアのイコン風に仕上げ、教会に掲げられる聖人のように描きたかった。肉はファンを表し、入れ歯や義眼は、彼らを聖書に出てくる金の子牛のように崇拝することの誤りを示している」
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3枚目の写真では、ジョージ・ハリスンが、至福の表情をしたジョン・レノンの頭にクギを打ち込もうとしている。有名人に対して抱かれる幻想とは裏腹に、彼らは木片のように頑丈でリアルな存在だ。「ジョンだったら、木版に見えるように木目の入った透明フィルムを貼り付けたかもしれない」とウィテカーは後に振り返っている。「さらに海のあるべき場所に空を描き、空のところに海を持ってきて水平線を描きたかった」彼の壮大なコンセプトにもかかわらず、或いはそれ故に、モップトップのイコンは未完成のままとなる運命にあったのだろう。今日に至るまで理由は明らかになっていないが、カバー写真の候補として“ブッチャー”ショットのみがレコードレーベルへ提出された。「彼らの手元には、問題を解決すべきほかの写真がなかった。それで大騒ぎになり、多くの人を怒らせる原因となったのだと思う」とウィテカーは、モジョ誌とのインタヴューで嘆いた。春から夏になる頃、レコードレーベル内では、8月に行われる予定のビートルズの北米ツアーに先駆けてアルバムをリリースしたいという気持ちが高まっていた。革新的なアルバム『リボルバー(Revolver)』は完成までに程遠い状況の中、レーベルは急場しのぎの対応を取る。キャピトル・レコードでは、ビートルズの英国盤アルバムから数曲を削り、“ニューアルバム”として米国市場へ投入するのが常だった。ビートルズもキャピトル・レコードも、このやり方で大儲けしてきた。しかしバンド側は、レーベルからの芸術面への干渉を快く思っていなかった。アルバム『イエスタデイ・アンド・トゥデイ(Yesterday and Today)』には、『4人はアイドル(Help!)』や『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』の米国盤でカットされた楽曲を収録し、時間的に足りない分を最新ヒットシングルと『リボルバー』のレコーディングセッション用にレノンが書いた新作3曲で補った。カバー写真の提供を求められたビートルズは、即座に“ブッチャー”ショットを提出した。今日では、キャピトル・レコードが米国盤をリリースする際にオリジナルアルバムの曲順を入れ替えるなどして“解体(butchering)”していたことへのバンドの当て擦りだった、と主張するファンも多い。しかしウィテカーは「くだらない。全くのナンセンスだ」として、この見方を完全に否定している。キャピトル・レコードの当時の代表アラン・リヴィングストンは、自分のデスクに置かれたアルバムのカバー案を見て激怒した。「カバーを見た時に私は、“いったいこれは何だ。こんなものをリリースできるか?”と思った」と、モジョ誌に語っている。「販売担当部長らに見せると、彼らはOKを出した」という。リヴィングストンはロンドンへ緊急電話を掛け、バンドに対しカバー案を考え直すよう嘆願した。「私の連絡相手はポール・マッカートニーと一緒にいることが多かった。彼は頑固で、そのまま進めるべきだと主張していた。彼は“カバーは戦争に対するバンドの批判だ”と言っていた」とリヴィングストンは振り返る。発言の意味がビートルズ以外の人間にも伝わったかどうかは疑問の余地があるが、ブッチャーカバーはビートルズが発した初めてのベトナム戦争に対する公然の抗議だった。マッカートニーが実質的なバンドのスポークスマンだったが、レノンは扇動者を自称していた。「僕が(ブッチャーカバーを)推進した張本人と言える。特にあの写真は、僕らのイメージを壊すためにもアルバムカバーにしたかった」とレノンは1974年に振り返っている。同写真は既に英国内でビートルズのニューシングル『ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)』のプロモーションのために使用され、特に問題も起きていなかった。しかしアルバムカバーともなると、より注目を集めることは間違いなかった。「僕らは、いわば天使のように思われていた。僕としては、僕らが生命というものをちゃんとわかっていることを示したかった」
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不本意ながら、リヴィングストンはカバーの生産を指示した。100万枚分のアルバムカバーの4分の3が印刷され、1966年6月15日の発売日に先立ち6万枚が各メディアの担当者や小売店に送られたという。予想通り、多くの人は残虐なカバーに対する拒否反応を示した。「ディーラーたちが扱いたくないという話が、すぐに聞こえてきた。彼らはあのアルバムを店に並べようとしなかった」とリヴィングストンは言う。一方でレノンは、抵抗を続けていた。「ベトナムと同じくらい重要なことだ」と彼は当時、記者会見で語っている。「ベトナム戦争のように残虐なものが容認されるのなら、このカバーも一般に受け入れられるに違いない」キャピトル・レコードは、売れもしないアルバムを抱えて途方に暮れるか、カバーのアートワークを変更して有名スターを怒らせるかという困った立場にいた。ビートルズは強固に押し通すこともできたが、関係者全員が驚くべきことに、バンド側が折れたのだ。バンドのマネジャーだったブライアン・エプスタインは、米国におけるディストリビューション契約の再交渉の真っ最中だった。今では信じ難いことだが、ほかのレーベルからのオファーはなかった。コロンビアの重鎮だったクライヴ・デイヴィスら業界内部の人間は、ビートルズは既にピークを超えていて、彼らはもはやエプスタインのやり方に従いたくはないだろう、と感じていたという。キャピトル・レコードの代理人とリスクを冒して交渉する代わりに(カバー写真を嫌っていたとされる)エプスタインは、新たな写真を撮るようビートルズを説得した。撮影はまたウィテカーで、古臭いスチーマートランクをメンバーが囲むショットを撮った。「無一文だが楽天的な4人組といった酷い姿をした我々の写真を、カバーにされた」とレノンは、10年後に不平をこぼした。
1966(昭和41)年06月14日(火)、キャピトル・レコードは「回収大作戦」と銘打った大規模リコールを始めた。小売店や評論家らへ手紙を送り、アルバムを直ちに送り返すよう依頼した。「英国で制作されたオリジナルのカバーは“ポップアート”に対する風刺のつもりでした」とリヴィングストンは手紙の中で説明している。「しかしながら、米国における一般の意見をヒアリングした結果、カバーデザインが誤解を招く可能性があるという結論に達しました」とのメッセージを送った。回収作戦は概ね成功したものの、一部の小売店は許可なくフライングして1日早く販売してしまっていた。キャピトルの4つの主要プレス工場では、週末も休みなく新しいカバーへレコードを封入する作業が続けられた。内部メモによると、5万枚の“ブッチャーカバー”が穴の中に廃棄され、上から水と泥とゴミを投入して埋められたという。最終的に、既存のカバーの上に新たなデザインのカバーを貼り付けるという合理的なアイディアが出された。時間だけでなくコストも削減でき、予定より5日遅れの1966年6月20日に、当たり障りのないカバーの『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』が店頭に並んだ。カバー騒ぎにもファブフォーに対する大衆の情熱は冷めることなく、アルバムはビルボードチャートでナンバー1を獲得した。しかしリコールには20万ドル以上のコストがかかったため、キャピトル・レコードで唯一赤字になったビートルズのアルバムとされている。キャピトル・レコードは、貼り付けの手間をかける必要がなかったかもしれない。上から新たなカバーを貼り付けた話は口コミやアングラメディアの間に出回り始め、やがて新しい“トランクカバー”を蒸気で剥がして禁制のカバー写真、つまりビートルズから忠実なファンに対する秘密のメッセージを露わにするのがお決まりとなった。禁断の果実はその希少性からより一層甘さを増し、神話はバンドが活動を停止した1970年以降も長く続いた。「とんでもないコレクターズアイテムを生み出した」とリンゴ・スターは、ドキュメンタリー『ビートルズ・アンソロジー』の中で振り返っている。「正直に言うと、僕は1枚も持っていない。当時は“保管しておいた方がいい”などと考えもしなかったからね」という。しかし保管していた人は多く、今日まで取引が続けられている。コレクターのほとんどは、いわゆる“初版盤ブッチャー”を求めている。つまりリコールを免れたオリジナル盤だ。しかし 新しいカバーを貼り付けられた“ブッチャー第二版”もまた、高値が付いている。ブッチャーカバーの見分け方やアルバムの価値、そして上手に剥がして“ブッチャー第三版”を作る方法などを説明するウェブサイトもある。馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、お金は正直だ。2016年2月、シュリンクラップされた“初版盤”が驚くことに12万5000ドル(約1360万円)で取引された。価値の低い“第三版”ですら、数千ドルで取引されている。“ブッチャーカバー”の遺した価値は、金銭的なものを遥かに超えている。ウィテカーはシュールな写真で、ビートルズを人間化するという目標を達成した。ただし、彼の望んだやり方ではなかったかもしれない。公然とアヴァンギャルドを受け入れ、マニアの旗を掲げることで、ビートルズはメディアの寵児としての役割を超越した。ウィテカーは、無邪気なおふざけが、愛嬌があるとは言えない方向へと向かう貴重な瞬間を捉えた。4人の反抗的な若者が当時の状況に疑問を投げかけ、アーティストとしてリスクを厭わずに声を上げた瞬間だ。ブッチャーカバーは不気味で醜く、グロテスクですらあるかもしれない。しかしこれがリアルなのだ。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/31198/4/1/1
映像◆The Sounds Incorporated Live in Australia 1964 https://youtu.be/-L_T3tdcLj0
‡June 16th 1964 At Melbourne Festival Hall
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┃ THE BEATLES INTERVIEW ┃ DM's Beatles site
┗━━━━━━━━━━━━━┛by Dmitry Murashev
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|John Lennon World of Books Interview|No.38
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‡1965(昭和40)年06月16日(wed) June 16
This radio interview with John Lennon was recorded on June 16th, and was later broadcast on July 3rd as part of the BBC radio program 'The World Of Books.' Lennon was promoting his second book 'A Spaniard In The Works,' which would be released in the UK on June 24th, 1965.
Q: "Let me ask you first of all - How do you write? Do you write in a disciplined way, or do you write when it comes into your head?"
John: "It's more disciplined. The second book was more disciplined because it was starting from scratch. They sort of say, 'You've got so many months to write a book in.' The first book, alot of it I'd written at odd times during my life."
Q: "Do you set aside certain hours in the day to write?"
John: "No, none of that. I haven't written enough. It's not a job, you see."
Q: "Would you like to discipline yourself? Do you feel a need to discipline yourself as a writer?"
John:" "No. I'm not very keen on being disciplined. It seems odd being a Beatle, because we're disciplined - but we don't feel as though we're disciplined. I don't mind being disciplined and not realizing it."
Q: "You know, these little pieces in the book - they give an appearance of great finish - of perfection. Do you revise them?"
John: "Do they?"
Q: "Yes. Now I mean, they're not... they don't look all that spontaneous. They look as though they've been worked over. Do you work them over?"
John: "They're not at all. I never - nobody's ever said that to me. Wonderful. There are spontaneous, and I hardly ever alter anything because I'm selfish about what I write or bigheaded about it. Once I've written it, I like it. and the publisher sometimes says, you know, 'Should we leave this out, or change that?' and I fight like mad 'cuz once I've done it I like to keep it. I might add things when I go over it before it's published, but I seldom take anything out. So it is spontaneous."
Q: "Now the puns, and all the other technical things. The puns. The onomatopoeia. The changing..."
John: "The what? What?"
Q: "That's a long word. I'll tell you - Onomatopoeia is, you know, when... like 'buzz.'"
John: "That's three words I've learned today."
Q: "You know, when I say a word like buzz. Buzz is an onomatopoeia, because in the word is captured the noise of the bee. That's onomatopoeia, and you, probably without realizing it, your book is full of them. Do you know what I mean?"
John: "Is it? Well, I'm glad to know that. Lot of onomatopoeias."
Q: "Well, you've rather answered my question because I was going to ask you whether these were contrived, whether they came natural."
John: "No. I just haven't got a clue what you're talking about really. Automatic peer - sounds like to me. That's probably why I change words. 'Cuz I haven't a clue what words mean half the time."
Q: "I know you hate this question, but what are the influences? All the names that people toss out when they read your things..."
John: "Well..."
Q: "Nursery rhymes, Lewis Carroll, Edward Lear. You'd deny all this, would you?"
John: "I deny it because I'm ignorant. I was ignorant of Lear. I'd heard the name obviously, you know, somewhere. But we didn't do him at school, and the only sort of classic kind or very highbrow kind of things I'd read were at school. and... what is it? Joyce and Chaucer - I might have read a bit of Chaucer at school, 'cuz I think they do that. So I bought all the books that they said it was like. I bought one book on Edward Lear, I bought 'Finnegan's Wake,' A big book on Chaucer. and I couldn't see any resemblance to any of them. A little bit of 'Finnegan's Wake,' but 'Finnegan's Wake' was so way out and so different. Just a few word changes, but anybody who changes words is gonna be... has got to be compared. His stuff is just something else."
Q: "Can I ask you about Lewis Carroll?"
John: "Oh, Lewis Carroll. I always admit to that because I love 'Alice In Wonderland' and 'Alice Through The Looking Glass.' But I didn't even know he'd written anything else. I was that ignorant. I just happened to get those for birthday presents as a child and liked them. and I usually read those two about once a year, because I still like them."
Q: "Alot of people say your pieces are sick. What do you say to them?"
John: "If it makes people sick - they're sick. But I can read it without... It doesn't appear sick to me."
Q: "That marvelous cartoon - you know - 'I am blind.' This is my favorite thing in the whole book."
John: "Oh."
Q: "The other one - the street musician. 'I am blind' and the other one - 'I can see perfectly well.' Is this typical of your kind of humor? Is this the way your mind works?"
John: "In certain moods. We used to do a lot of gags like that at school. I was just drawing and I just happened to make him blind - the fella - and gave him a dog. and then I just drew another one next to him who wasn't. and then I didn't think of the joke, and then put it down. Because at school we used to draw alot and pass it 'round. I remember we'd had blind dogs with sunglasses on - leading ordinary people, or you know, just all variations on the theme. and I just found me-self drawing something that I'd done at school, but without the tagline."
Q: "Let me ask you - The difference I noticed between the first book and the second - the thing that struck me most possibly was there's an awful pompous expression. There's more social conscience somehow in this second book, more awareness of what's going on. What about this preoccupation 'We must not forget, we must not forget, we must not forget?' There's almost a kind of message here, a kind of purpose. You know, in spite of yourself, this almost - I'd call it - social conscience emerges."
John: "Ah, well. I'm not a 'do gooder' about things. I won't go around marching or... I'm not that type. It just so happens that my feelings about colored people, or religion, or anything like that, do happen to work with the way I write. I make fun of colored people in the book, and christians and jews, but really, I'm not against them."
Q: "I think you keep..."
John: "But I use them to get laughs."
Q: "I think you keep very abreast of what's going on, actually. You must do. It comes in all the time."
John: "Well, obviously I read most newspapers all the time, you know. 'Cuz we're often in newspapers, and it's still nice to read about yourself. and then after I've looked and seen we're not in it, then I go through the rest of it. and then I finally end up reading the political bit, when I've read everything else. So I'm... you know. I can't help being up with the times, because I am part of the times through what we've been up with, really."
Q: "John, read something for us, will you?"
John: "Right. I'll read a bit of 'The Fat Budgie.'"
(reads) I have a little budgie. He is my very pal. I take him walks in Britain. I hope I always shall. I call my budgie Jeffrey. My Granddad's name's the same. I call him after Granddad. Who had a feathered brain.
John: "Is that enough?"
Q: "What about the drawings? Let me ask you about those. Did you draw like that from when you were tiny, or have you developed?"
John: "For a long time, yes. But not with so fine a line. I used to draw with almost anything - usually black pen, or just an ordinary fountain pen with black ink in it. and then when it came to doing the book, I said, 'Well, I draw as well,' you know. 'cuz they've mainly got all the writing. and the drawings are very scrappy 'cuz I'm heavy handed."
Q: "Does the drawing spring out of the story or does the story come from the drawing?"
John: "Sometimes, but hardly ever. Because I draw like I write - I just start and draw, and if it looks like something vaguely to do with a story, I do it."
Source: Audio copy of original broadcast
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http://www.dmbeatles.com/interviews.php?interview=38
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年06月16日(木) ライヴ演奏:ザ・インスティチュート/ネストン
②1961(昭和36)年06月16日(金) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (77日目)
7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1962(昭和37)年06月16日(土) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
④1963(昭和38)年03月20日(水) ライヴ演奏:ABCシネマ/ラムフォード
これはクリス・モンテス (Chris Montez) と トミー・ロウ (Tommy Roe) とのジョイントツアーの第11日目。宣伝チラシには、ザ・ヴィスカウンツ (The Viscounts)、デビー・リー (Debbie Lee)、トニーマーシュ (Tony Marsh)、そしてテリー・ヤング・シックス (Terry Young Six) の名も見える。 このツアーでのビートルズの演奏曲目は、
♪Love Me Do♪
♪Misery♪
♪A Taste Of Honey♪
♪Do You Want To Know A Secret♪
♪Please Please Me♪
♪I Saw Her Standing There♪
ビートルズがABCシネマ (ABC Cinema) に出演したのはこれ1度きりであったが、
‡1963(昭和38)年06月16日(日)にブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の企画『Mersey Beat Showcase』の出演者として、同じラムフォード (Romford) のオデオン・シネマ (Odeon Cinema) で演奏する。ABCシネマは1999(平成11)年に閉館する。その後建物も取り壊され、住宅開発のギブソン・コート (Gibson Court) に譲渡された
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①https://gejirin.com/beatles/history/1960/0history_index-1960.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630320_live_ABCCinema_Romford.html
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