■E.M.Iスタジオ・オーディション■ノーマン・スミスは語ります、「ビートルズの印象はルックス以外はあまりよくなかった。つまりジョンとポールのソングライターとしての資質はまったく聴き取ることはできなかった。彼らはちっぽけなVOX社製のアンプとスピーカーを持ってたが、それらは楽器の源音を再生できていなかった。言うまでもなくすべての音響技師はあるレベルの源音を欲しがる。それさえあれば後でいくらでも改良したり効果を加えたりできるからね。しかし僕らがビートルズの装置から得たものは大量のノイズやハム、あと正体不明の音だけだった。ポールの装置は最悪だった。その頃は残響を付加するために残響室 (echo chamber) という部屋があったが、僕は彼の音をなんとかテープに収められるレベルにするのに、第2スタジオの残響室にあったアンプとスピーカーを引っぱり出さなければならなかった。また、ジョンのギターアンプが振動してカタカタ鳴るのを、僕らは実際にひもで縛って止めた。それからピート・ベストのドラムのシンバルにも確か問題があったと思う。でも最終的に何とかすべてを整頓し、やっとのことでレコーディング開始にこぎつけた。」。
写真◆左からリチャード・ランガム、ノーマン・スミス、ジョージ・マーティン
https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1962-decca-audition/
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┃ 『Top Of The Pops』 ┃
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‡1964(昭和39)年01月01日(wed) Broadcast start
2006(平成18)年07月30日(sun) Broadcast end
https://en.wikipedia.org/wiki/Top_of_the_Pops
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┃ 『ジョン・レノンを信じるな』 ┃
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‡2005(平成17)年01月01日(土) 著:片山恭一 小学館文庫
『世界の中心で、愛をさけぶ』の原点、著者初の文庫化作品を電子化!
1980(昭和55)年冬。ジョン・レノンが凶弾に倒れたその年の冬、僕は8年間付き合っていた恋人・玲との別れを迎えた。世界がたちどころにモノクロームに変じてしまった喪失感のなか、新たな恋に向かうものの、それはどこか匿名の誰かによって演じられたようなリアリティーに欠けたものでしかなかった。そんなある日、僕はある出来事に遭遇する。22歳の恋と喪失、そしてその先にあるもの――。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00BHTPTH2
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┃ 大人のMusic Calendar ┃
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56年前の本日、ビートルズがデッカ・レコードのオーディションを受けた。なぜ、元旦だったのか?
‡2018(平成30)年01月01日(月) 執筆者:藤本国彦 よりによって、元旦にレコード会社のオーディションが行なわれることになるなんて、リヴァプールの「片田舎」からロンドンの「都会」に向かうメンバーも気が気ではなかったのではないだろうか。
‡1962(昭和37)年01月01日(月)は、ビートルズがデッカのオーディション受けた日である。それにしても、なぜ元旦になったのか。こんな経緯である。
1961(昭和36)年12月13日(水)に、キャヴァーン・クラブの夜公演にデッカのマイク・スミスが訪れたのが、まずその第一歩だった。きっかけを作ったのは、「ディスカー」というペンネームで『リヴァプール・エコー』紙のレコード評や、デッカから発売されるレコードの解説文も手掛けていたトニー・バーロウである。その1ヵ月前の
1961(昭和36)年11月09日(木)に、同じくキャヴァーン・クラブでビートルズのステージを観て一目惚れしたエプスタインがビートルズに契約を申し出たのは
1961(昭和36)年12月06日(水)のことだったから、その1週間後にデッカ・オーディションのきっかけが生まれていたことになる。エプスタインは、『リヴァプール・エコー』紙のレコード欄でビートルズを取り上げてもらえないかと考え、トニーに連絡を取ってみると、デビュー前のバンドの記事は断られたものの、デッカの人間を紹介してもらうことになった。デッカ側も、エプスタインが経営しているNEMSにレコードを卸している関係もあり、無下に断ることもできず、A&R部門のまとめ役のディック・ロウは部下のマイク・スミスをリヴァプールに行かせることにしたのだった。キャヴァーンのステージを観たスミスは、すぐに契約を結びたいとは思わなかったものの、ロンドンのスタジオでオーディションを行なう価値はあると判断したという。「力強い演奏と地元ファンの熱狂ぶりに、私はためらいもなくオーディションをしようとに申し出た」(スミス)。こうして「舞台」は整い、ジョン、ポール、ジョージ、ピートの4人は、ローディーのニール・アスピノールが運転するヴァンでロンドンのウェスト・ハムステッドへと向かった(エプスタインは列車で移動)。だが、吹雪のための交通渋滞などで到着が遅れ、スタジオに着いたのは開始時間ぎりぎり(11時)だったという。
写真◆元デッカ・スタジオ
デッカのA&R担当マイク・スミスの気を惹くのはオリジナル曲ではなく、想像力豊かに、時にエキセントリックにアレンジされたスタンダード曲だ――そう頑なに信じていたエプスタインは、幅広い音楽性を持ったバンドとしての魅力を伝える15曲を選んだ。中にはジョンとポールのオリジナル曲も含まれており、ジョンの「ハロー・リトル・ガール」とポールの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」は、のちに『アンソロジー 1』に収められた(ポールの自作曲「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」は未収録)。「サーチン」や「セプテンバー・イン・ザ・レイン」などここでしか聴けない曲もあるが、ジョンもポールも声が上ずっていて、本調子とは程遠い仕上がりだ。むしろジョージの溌剌とした歌声が聴ける4曲(「スリー・クール・キャッツ」「クライング、ウェイティング、ホーピング」「アラビアの酋長」「さよならベイビー」)が白眉である。演奏に立ち会ったマイク・スミスの感触は良かったものの、数週間経ってもデッカからは何の知らせもない。そしてエプスタインは1ヵ月後の
1962(昭和37)年02月06日(火)にロンドンに向かい、デッカのディック・ロウとビーチャー・スティーヴンスから不合格の知らせを耳にする結果となった。ギター中心のバンドは流行らないし、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズのようにヴォーカリスト1人を中心としたバンドがこれからの主流になるだろうという判断からである。一緒にオーディションを受けたブライアン・プール&ザ・トレメローズが、デッカの本社があるロンドンのバンドだということもビートルズには不利に働いたという。その場でエプスタインは「ビートルズはプレスリーを凌ぐ大物になると確信しています」と涙ながらに告げたという。また、その後に、契約したらビートルズのシングルはすべて3,000枚を買い取るという提案をデッカの販売部にしたという話も伝わっている。ただし、信頼に足るマーク・ルイソンの『ザ・ビートルズ史』によると、ビートルズはデッカに蹴られたのではなく、レコードを出してやるから金を払えというデッカの姿勢にエプスタインが頭にきて断ったそうだ。それが「事実」だとすると、レコード契約を焦っていたのに逆の行動に出たエプスタインの、「癇癪持ち」だと言われる性格を物語るエピソードのひとつと言えそうだ。ビートルズが世界的な人気グループになると、ディック・ロウは「ビートルズを蹴落とした男」として「名を上げた」が、その後ディック・ロウはジョージの推薦で(ロンドンの)ローリング・ストーンズと契約したのだから、これはもう「ロックの神様」による運命のいたずらとしか言いようがない。このオーディション時の音質の良いオープン・リールのテープを受け取ることができたエプスタインは、ロンドンのオックスフォード通りにあるHMVレコードに向かい、店長のボブ・ボーストの勧めでアセテート盤を制作。それが巡り巡ってEMI傘下のパーロフォン・レーベルのジョージ・マーティンの耳に入ることになる。ちなみに2017年10月にイギリスに行った際、リヴァプールの「ビートルズ・ストーリー」という博物館に入ってみたところ、そのアセテート盤が展示されているのを見て驚いた。収録曲はデッカ・オーディションからの2曲――“Hello Little Girl”と“Till There Was You”。前者が“John Lennon & The Beatles”、後者は(展示では見られなかったが)”Paul McCartney & The Beatles”とレーベルに記載されているので、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズを意識したバンド名でエプスタインは次なるレコード会社に売り込もうとしていたことがわかる。
写真◆「ビートルズ・ストーリー」内展示 写真提供:藤本国彦
≪著者略歴≫藤本国彦(ふじもと・くにひこ):ビートルズ・ストーリー編集長。91年に(株)音楽出版社に入社し、『CDジャーナル』編集部に所属(2011年に退社)。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。
ザ・ロスト・デッカ・テープス ザ・ビートルズ
アンソロジー 1 ザ・ビートルズ
ザ・ビートルズ史 上 単行本 - 2016/12/1 マーク・ルイソン (著), 吉野 由樹 (翻訳), 山川 真理 (翻訳), 松田 ようこ (翻訳)
ザ・ビートルズ史 下 単行本 - 2016/12/1 マーク・ルイソン (著), 吉野 由樹 (翻訳), 山川 真理 (翻訳), 松田 ようこ (翻訳)
music-calendar.jp/2018010101
『COMPLETE DECCA AUDITION TAPES』
型番 DAP-B001
販売価格 3,500円(内税)
ビートルズの歴史的記録として知られている62年デッカ・オーディション・テープ音源が過去最高クオリティの新音源ソースによるマスター・エディションとしてリリースです。 これまでにも音質向上やピッチ修正等の様々なバリエーションがありましたが今回のマスター・エディションでは最も未編集のオリジナル・ソースに近いマスター音源としてすでにコアな海外のビートルズ・コレクターでもベスト音源と話題になっているもので実際そのクリアな音質クオリティそしてテープ・スピードやレングス(曲の長さ)等のコンディションにおいて初めて陽の目を見た待望のマスター音源といえるでしょう。 後半ボーナス・トラックでは公式デビュー前のビートルズ・ドキュメントとしてトニー・シェリダン音源やEMIオーディションさらにキャバーン・クラブ・リハーサル音源等も収録されています。 結果的にオーディションを落としデッカとして歴史的痛恨を残した今となっては伝説の記録であるデッカ・オーディションの決定版となるマスター・エディションです! ビートルズ・コレクターにはすでにお馴染みのデッカ・オーディション音源ですがかつてアナログ時代にはデッカゴーン・シリーズとしてシングル盤が30年以上前に出回って以来数多くのLP盤がリリースされCD時代になると音質向上やピッチ修正等が謳われたタイトルもリリースされてきましたがいずれもマスタリングでリバーブ加工されたり一部の曲のエンディングがカットされたりしてオリジナル音源から劣化したものがほとんどで盤起こしではないテープ音源からのCDにおいても同様で結局デッカゴーン・シリーズのシングル盤が音質・内容共に一番良かったとも言われてきましたがこれまでこのアナログ・マスターの元となった音源を使ったリリースはなく今回リリースの音源はこのオリジナル・マスターからの初CD化となります。 実際に比較検証するとこれまで過去にリリースされた音源はオリジナルに近づける編集はなされていても今回のリリース音源と完全に一致するものはなく過去のコピー音源ではないことが分かります。 場合によって曲の時間がより長いものも見受けられますがピッチの違いによるものでこのオリジナル・マスターを超える内容のものはありませんでした。またオフィシャル「アンソロジー」に一部収録されたものと比較しても音質そのものもいっさいの加工や調整もない最もナチュラルでクリアなサウンドです。 また今回リリース音源でマスターから唯一補正されたのが「マネー」冒頭のテープヨレを本来の状態にした箇所のみでそれ以外はオリジナル・マスター通りの収録となっています。
Recorded At Decca Studios In West Hampstead, London, UK 1 January 1962
01. Money (That's What I Want)
02. The Sheik Of Araby
03. Memphis Tennessee
04. Three Cool Cats
05. Sure To Fall (In Love With You)
06. September In The Rain
07. Take Good Care Of My Baby
08. Till There Was You
09. Crying, Waiting, Hoping
10. To Know Her Is To Love Her
11. Besame Mucho
12. Searchin’
13. Like Dreamers Do
14. Hello Little Girl
15. Love Of The Loved
16. We Hoped We’d Passed The Audition
http://strangelove-records.com/?pid=121366349
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【Paul McCartney Story / ポール・マッカートニーを物語る】
1942年06月18日、ジェイムズ・ポール・マッカートニーはリヴァプールに生まれ、父親の名前はジェームズ(ジム)、母親の名前はのちに「レット・イット・ビー」の歌詞のなかで「マザー・メアリー」として登場するメアリーで、当時綿花のセールスマのジムは17歳ころ結成の「ジム・マックス・バンド」で活躍するピアニスト兼トランペッター、メアリーはポールが生まれた病院の看護婦長です。ポールは「僕の家にはピアノがあり、「僕は休日に父親の弾くピアノを楽むことを覚えた。これが後の自分の音楽的才能に多大な影響を与えた。これは父の影響なんだ。」と語っています。リヴァプール・インスティチュートに在学するポールは成績も良好で、健全な学校生活を送り、父親に習いトランペットを始めますが、吹きながら歌を歌えないのが悩みで、ギターに転向していきます。ポールは語ります、
「最初はまったく上手く弾けないんだよ。少しして左利きの自分は右利きの人とは逆さまにギターを持たなければならないことに気づいた。コツを飲み込むと、めきめき上達して行ったんだ」。ポールとギターの結びつきを決定的にしたのは、皮肉にも14歳のとき母親が癌で死亡したことで、ポールは気が滅入らないようにギターに没頭し続け、「トイレに入っているときさえギターを持っていた」と弟のマイケルは語ります。
1957年07月06日、友人に誘われ観に行ったクオリーメンのライヴで、フロントでバンジョーのコードを弾きながら独自の替え歌を歌うジョン・レノンに興味を持ちます。舞台裏でジョンに紹介され、「トゥエンティ・フライト・ロック」などのギターの伴奏と歌はもちろん、歌詞も完璧に弾き語りしてみせ、ジョンを感服させます。その後、ジョンからの誘いでクオリーメンに加入します。オリジナル曲をすでに作っていたポールは、ジョンを誘い、共作で作曲活動に勤しみます。ここに「レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)」の誕生です。ポールはクオリーメンを改善させるべく、以前からの友人だったジョージ・ハリソンをクオリーメンに加入させ、音楽的にほかのメンバーより抜きん出ていたポールは、いつもバンドの音楽的向上に力を注ぎます。その後、ジョンの大親友のスチュアート・サトクリフをベーシスト迎えますが、画家を目指すスチュアートはバンドを脱退、ギタリストを夢見ていたポールはジョンもジョージもその座を譲る気は無いこともあり、渋々ベーシストに転向し、さらに、サウンドがもの足りないと感じると、ドラムを叩き、ピアノを弾いたりと、すでにデビュー前からマルチ・プレイヤーぶりを発揮します。
‡1962年の元旦に行われたロンドンのウェスト・ハムステッド区ブロードハースト・ガーデンズ165番にある「デッカ・レコード社のオーディション」での落選、そして、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッドアビー・ロード3番のEMIスタジオを初めて訪れた歴史的な1962年6月6日(E.M.I.セッション)を経て、ビートルズは主にポールが手がけた「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューします。当時のミュージック・シーンの中心はラジオとコンサートで、1962年のデビュー後もステージでメンバーを盛り立て、コンサートの流れを索引していた天性のショー・マン、ポールの貢献は大きく、作曲面では、レノン=マッカートニーで「フロム・ミー・トゥ・ユー」「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」といったこれまでにない斬新な楽曲を次々とヒットさせます。ポールが手がけた楽曲には、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「オール・マイ・ラヴィング」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」などがあり、ポールは50年代のロックンロールの進化型と云える「シンプルだがヒネリのあるロックンロール」を量産します。これは、ポールが早くからソングライターとしてすぐれていたことを如実に表しており、レパートリーもテンポの早い曲ばかりだと観客に飽きられると、「蜜の味」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」など、スローな曲も取り入れ、トータル・プロデューサー的な面も覗かせます。
1965年には、夢の中でメロディが沸き上がってきた「イエスタデイ」を作曲し、他のメンバーも完成度の高い楽曲だと感じ、「ソロで出したほうがいい」とアドバイスをしますが、バンドとロックンロールを何よりも愛するポールは結果的にビートルズのアルバム『HELP !!』のB面に収録し、本国イギリスではシングル・カットさせません。しかし、アメリカで(日本でも)シングル・カットされたこの曲は売れに売れ、ポールのイメージ・ソングとして定着してしまいます。しかし、生粋のロックンローラーであるポールは「アイム・ダウン」「ヘルター・スケルター」「バック・イン・ザ・U.S.S.R..」「バースデイ」など、ハードなロックをポールは何曲も生み出しており、「イエスタデイのイメージばかりが強調されることが多く、不本意なところがある」と語る時もあります。
1964年、ビートルズは前人未到のアメリカ制覇を成し遂げ、ワールド・ツアーも大成功に終わらせますが、コンサート自体は音楽がファンの悲鳴にかき消されるという想像を絶するもので、すでに社会現象にまでなっていたビートルズのコンサートに便乗し、各地でさまざまな事件、暴動も起こるようになり、ジョンに至ってはこの状況に常に疑問を持ち続け、当時、スターが発言するのは御法度だったベトナム戦争についても積極的に語りだします。無意識のうちに矛盾を抑えきれなくなったジョンは、1965年に問題作と云われる「ヘルプ」を発表、そして1966年にツアー活動をストップすると、一早く映画『ジョン・レノンの僕の戦争』に出演するなど、音楽以外の場所でも常に自分を模索し続けます。
https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/paul-mccartney/
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┃ 『力道山からピンク・レディーまで ┃
┃ テレビ25年総集編』 ┃
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1978(昭和53)年10月05日(木) 19:00~20:54『木曜スペシャル』
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┃ 『かくし芸なんかじゃない! ┃
┃ なつかしの爆笑VTR傑作選 ┃
┃ テレビ25年総集編』 ┃
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‡1979(昭和54)年01月01日(月) 19:00~20:54
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1953(昭和28)年08月29日(土) 巨人×阪神戦 初のプロ野球ナイター中継
1954(昭和29)年02月19日(金)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
1954(昭和29)年02月20日(土)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
1954(昭和29)年02月21日(日)『力道山・木村政彦対シャープ兄弟』蔵前国技館
1965(昭和40)年05月09日(日)『ベトナム海兵大隊戦記・第1部』ノンフィクション劇場
1966(昭和41)年06月30日(木) ザ・ビートルズ日本公演
1977(昭和52)年09月03日(土) 王貞治の756号ホームラン
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https://ja.wikipedia.org/wiki/力道山からピンク・レディーまで_テレビ25年総集編
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
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┃ Exclusive:WITH A LITTLE HELP FROM THEIR FRIEND ┃By Mark Edmonds
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2005(平成17)年03月20日(sun)『The Sunday Times Magazine』に最初に掲載されましたヨ(=^◇^=)
First published in『The Sunday Times Magazine』20 March 2005
‡1967(昭和42)年01月01日(sun) January 1, 1967: "Well, diary - hope it will be a great 1967. Have not slept... Friday night's recording session and journey to Liverpool. Late afternoon went over to the McCartney's in Wirral, and had dinner with them. Paul and Jane [Asher, McCartney's then girlfriend] had traveled up for the New Year - also Martha. Fan belt broke."
************* https://www.uta-net.com/song/44469
http://www.angelfire.com/band2/bffh/news/malsdiaries.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/マル・エヴァンズ
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┃ EMI文字コード ┃
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適用時期 刻印
1962(昭和37)年 4月10日..................ZT
1962(昭和37)年11月26日..................PT
1963(昭和38)年 1月 1日..................MT
‡1963(昭和38)年 5月 1日..................KT
1969(昭和44)年 1月 1日以降..............なし
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http://www.thebeatles-1.com/DNA/ja/BeatlesdnaJP.html
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┃ 昭和シェル石油 ┃http://beatlesite.blogspot.jp/2008/05/beatles-picture-discs-help.html
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1942(昭和17)年 8月 1日 昭和石油株式会社設立
1984(昭和59)年12月31日 合併前日全国紙・地方紙に「1985年・昭和シェル年」 と全面広告でその文字が筆文字で大きくアピール
1985(昭和60)年 1月 1日 昭和石油とシェル石油が合併して発足。合併当日の燃料油脂新聞にキャッチフレーズは「1985年・昭和シェル年」 と掲載
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┃ 『HELP!(4人はアイドル)』 ┃オランダ盤
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オランダ・シェル石油販売促進用限定プロモーション盤(ステレオ盤):5C062-04257
※限定プロモーション盤は、表・裏ともイギリス・オリジナル・ジャケットを使用しているが、表ジャケットには、中央に大きくシェル石油のシンボル・マーク(貝の絵)が書かれている。これは「シェル・カバー」と呼ばれ、人気がある。
<レーベル>ファースト・プレス(モノラル盤・ステレオ盤共通)、限定プロモーション盤ともに、オランダ・オリジナル・パーロフォン
<そのほか>「シェル・カバー」には、レコード規格はオランダ(5C)で、レーベルのクレジットは“MADE IN SWEDEN”と記されているものもある。また「シェル・カバー」はビートルズのアルバムで唯一、企業のロゴ・マークが入っているものである。主にシェル石油の関係者に販売促進用として制作された、プレス数の少ないアルバム作品
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E7%9F%B3%E6%B2%B9
http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm ⇒ 各国盤研究 ⇒『HELP』⇒ オランダ盤へ
http://www.beatlesbible.com/gallery/releases/netherlands_help_lp/
http://www.beatlesbible.com/discography/netherlands/
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①┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.006
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1964(昭和39)年01月01日(wed) Issue 1shilling 6pence
●ビートルズ・ニュース
・1963年の栄光の詳細
・フランスからの取材陣
・ビートルズ・クリスマス・ショー etc.
●特集
・ 集中連載『4人のビートルズ物語』5回目 ※No.009まで
デッカ・オーディション
次はEMIへ
G・マーティン
ドラマー交代
アンディ・ホワイトというドラマー
・ビートルズをめぐる噂と真相
4人はカツラ?
ジョージが結婚した
リンゴ、交通事故死といったウワサとその真相をレポート
・全国世話人2人による新年のあいさつと、ビートルズ世界進出への期待
●連載/レギュラー企画
・ジョニー・ディーンによる論説
・ニュースレター
・ 投稿
●今月のビートルズ・ソング:♪シー・ラヴス・ユー♪
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②┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.018
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1965(昭和40)年01月01日(fri) Issue 1shilling 6pence
●ビートルズ・ニュース :
・たくさんの贈り物
・1965(昭和40)年のプラン
・ロード・マネージャー、ニール・アスピナールにジャガーを進呈
・クリスマス・ショーでのコント
・ジョン、電気ピアノを購入
・3週間の休暇 etc.
●特集 :
・ポールの顔
9枚の写真に見る彼の個性とキャラクター
・ジョージの手相
・ ジョージへの手紙
・楽器担当ロード・マネージャー、マル・エヴァンス
●連載/レギュラー企画
・スポットライトの裏側
ジョージが語るステージとレコード
ジョンの眼鏡
結婚していたジョン
ジョンのユーモア感覚
静かなリンゴ
スターの悩み
デートもできない
・ジョニー・ディーンによる論説
・ニュースレター
・投稿
・ペン・パル(文通)募集
●今月のビートルズ・ソング:♪アンド・アイ・ラヴ・ハー♪
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③┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.030
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1966(昭和41)年01月01日(sat) Issue 1shilling 6pence
●ビートルズ・ニュース :
・どちらもA面
・テレビ中毒
・映画の企画、進展せず
・ジョンとジョージ、愛車を売却
・ジョージのジーンズの秘密
・濃霧ですべり込みセーフ etc.
●特集 :
・新聞記事の裏側
12月の公演旅行の様子と隠れた事実
・ビートルズ・ソング人気投票:海外編
1位♪抱きしめたい♪、以下
イエスタデイ♪
アンド・アイ・ラヴ・ ハー♪
シー・ラヴズ・ユー♪
キャント・バイ・ミー・ラヴ♪
LP『ヘルプ!』からは、
1位♪イエスタデイ♪
2位♪悲しみをぶっ飛ばせ♪
3位♪恋のアドバイス♪
・リバプールのファンクラブ:第1回
16000人の会員を抱えるリバプール支部。世話人のフレダ・ケリーが語る
●連載/レギュラー企画
・スポットライトの裏側ア
リカの「ビートルズ」ソング
デイヴ・クラーク・ファイブ登場
パリのビートルズ熱
パリ、オリンピア劇場で
元ドラマー、ピート・ベスト・オールスターズのアルバム
・ジョニー・ディーンによる論説
・ニュースレター
・投稿
・ペン・パル(文通)募集
●今月のビートルズ・ソング:♪アイム・ダウン♪
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④┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.042
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1967(昭和42)年01月01日(sun) Issue 2shilling ※最初の2シリングだヨ(=^◇^=)
●ビートルズ・ニュース :
・ケニアの幸運な運転手
・EMIスタジオにファン殺到
・ヒゲをはやし始めたビートルズ。でも真相は不明
●特集 :
・ビートルズのフリー・トーク
『リボルバー』『オールディーズ』の話題を4人が語る
・ジョージ 特別インタビュー
サリー州の新居を訪問。ジョンの絵も入ったジョージ設計のプールや、お気に入りのアンティークや家具の紹介を交え、ジョージとパティの生活を紹介
・マル・エバンスのサファリ・レポート
ポールと一緒にスペインからアフリカへ休暇を取ったマルのレポート
●連載/レギュラー企画
・スポットライトの裏側
1964(昭和39)年クリスマス・ショーでの豪華なゲスト
楽屋裏は大賑わい
エプスタインが語る ビートルズ人気の秘密
アメリカ盤シングル♪恋に落ちたら♪/♪テル・ミー・ホワイ♪、イギリスへ逆輸入
・ジョニー・ディーンによる論説
・ニュースレター
・投稿
・ペン・パル(文通)募集
●今月のビートルズ・ソング:♪フォー・ノー・ワン♪
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⑤┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.054
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1968(昭和43)年01月01日(mon) Issue 2shilling
●ビートルズ・ニュース :
・ジョンとポール、リヴァプール出身画家のスポンサーとなる
・ビートルズ、ファンクラブの地区世話人を試写会へ招待
・ジョンの戯曲が上演決定か
・ポール、ジェーンとスコットランドの農場へ
・『MAGICAL MYSTERY TOUR』2枚組EP、発売延期 etc.
●特集 :
・『MAGICAL MYSTERY TOUR』EP制作秘話
新たに録音された6曲を、マルとニールが分析。各曲の楽器編成や録音方法から解明
・ローマでのリンゴ
ローマで、映画「キャンディ」撮影に臨んだリンゴ。主演のエバ・オーリンとのショットが本号の表紙となっているが、撮影中の様子をマル・エバンスがレポートする
・「アップル」開店
シャーロック・ホームズで有名なベーカー・ストリートにブティックをオープンしたビートルズ。オープニングに集まった豪華な顔ぶれ、スタッフの横顔など、エプスタイン亡き後の新事業第一弾を紹介する
●連載/レギュラー企画
・スポットライトの裏側
未婚はポールだけに
ジョージとパティの結婚式
マルとニールの強力バックアップ
まだまだアンチ・ビートルズが
ピーター・セラーズ、シェイクスピア調の「ハード・デイズ・ナイト』を歌う
・ジョニー・ディーンによる論説
・ニュースレター
・投稿
・ペン・パル(文通)募集
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①http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/1_10.html
②http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/11_20.html
③http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/21_30.html
④http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/41_50.html
⑤http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/51_60.html
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┃ 『The Beatles BOOK(ザ・ビートルズ・ブック)』1月号 ┃MONTHLY
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Issue 006 January 1964
Issue 018 January 1965
Issue 030 January 1966
Issue 042 January 1967
Issue 054 January 1968
Issue 066 January 1969
Issue 086 January 1977 No.009
Issue 098 January 1978 No.021
Issue 110 January 1979 No.033
Issue 122 January 1980 No.045
Issue 134 January 1981 No.057
Issue 146 January 1982 No.069
Issue 158 January 1983 No.081
Issue 170 January 1984 No.093
Issue 182 January 1985 No.105
Issue 194 January 1986 No.117
Issue 206 January 1987 No.129
Issue 218 January 1988 No.141
Issue 230 January 1989 No.153
Issue 242 January 1990 No.165
Issue 254 January 1991 No.177
Issue 266 January 1992 No.189
Issue 278 January 1993 No.201
Issue 290 January 1994 No.213
Issue 302 January 1995 No.225
Issue 314 January 1996 No.237
Issue 326 January 1997 No.249
Issue 338 January 1998 No.261
Issue 350 January 1999 No.273
Issue 362 January 2000 No.285
Issue 374 January 2001 No.297
Issue 386 January 2002 No.309
Issue 398 January 2003 No.321 ※最後の発行The End.号(>▽<)
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http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Book
http://the-beatles-collectors.wikia.com/wiki/Magazines
http://beatlesite.blogspot.jp/2009/09/beatles-book-sixties-editions-cd-rom.html ⇒ 1963-1970 CD-ROM
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■■㊦↓の現在SOLD OUT??情報を確認後核月へ(=^◇^=)O♂■■
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※『THE BEATLES MONTHLY BOOK』 ¥98,000- 18:27 2012/04/16(月)現在
UKオリジナル! OFFICIAL BEATLES FAN CLUBの機関誌。1963年から`69年までのTHE BEATLES BOOK 1号~77号のコンプリート・セットです。コンディションはEX程度。中には書込みがあるものが含まれます。
http://www.tracks-japan.com/catalogue/list173/173_items2.html#monthly
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┃ 『Beatles To Bond To Bach』 ┃George Martin And His Orchestra
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‡1974(昭和49)年01月01日(tue) Released
1 08:33 The James Bond Suite: James Bond Theme/Whisper Who Dares/Bond Meets Solitaire/Live And Let Die
2 03:11 Air On The G String
3 09:19 The Beatle Suite: Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band/Lucy In The Sky With Diamonds/A Day In The Life
4 02:37 Theme One
5 02:09 Elizabeth And Essex
6 11:01 Yellow Submarine Suite: Pepperland/March Of The Meanies/Desolation/Voyage Through The Seas Of Time; Holes And Monsters/Yellow Submarine
7 03:32 Prelude For Strings
(P) 1974 Chrysalis Copyrights Limited, under exclusive license to Varese Sarabande Records, under exclusive license to Varese Sarabande Records c 1974 Chrysalis Copyrights Limited
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01BZEG8RS
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The Beatles' Decca audition
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_Decca_audition
デッカ・オーディション
‡1962(昭和37)年01月01日(mon)、ビートルズはデッカ・レコードのオーディションを受けている
http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb18.html#decca
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┃ 『FREE AS A BIRD』 ┃THE BEATLES
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1995(平成七)年12月04日(mon) UK released
1995(平成七)年12月12日(tue) US released ※Wikipedia English version
1995(平成七)年12月31日(sun) US released ※Wikipedia Japanese version
‡1996(平成八)年01月01日(mon) JP released
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https://ja.wikipedia.org/wiki/フリー・アズ・ア・バード
http://rock-t.info/beatles-discography-freeasabird-christmastimeishereagain.html
http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/single/single_anthology.html##1
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTWQN3X
https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDFSO
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃
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1995(平成七)年11月20日(mon) UK Released
1995(平成七)年11月21日(tue) US Released
1995(平成七)年11月21日(tue) JP Released
□Disc one (CD1)
◎LP B面 (Record Disc 1)
15."Searchin'" (Decca audition; mono) Jerry Leiber, Mike Stoller
‡1962(昭和37)年01月01日(mon) Decca Studios, London 3:00
16."Three Cool Cats" (Decca audition; mono) Leiber, Stoller
‡1962(昭和37)年01月01日(mon) Decca Studios 2:25
17."The Sheik of Araby" (Decca audition; mono) Harry B. Smith, Francis Wheeler, Ted Snyder
‡1962(昭和37)年01月01日(mon) Decca Studios 1:43
18."Like Dreamers Do" (Decca audition; mono)
‡1962(昭和37)年01月01日(mon) Decca Studios 2:36
19."Hello Little Girl" (Decca audition; mono)
‡1962(昭和37)年01月01日(mon) Decca Studios 1:40
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https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTWQN3X
https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDFSO
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
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