(その30) ビートルズを批判した人々(その2)
2016-01-16
前回書いたノエル・カワードよりもっと辛辣だったのは、イギリスの歴史家であり、ジャーナリストであった「ポール・ジョンソン」です。彼は、
●1964(昭和39)年2月28日にロンドンで出版されている政治と文化に関する雑誌「ザ・ニュー・ステイツマン」に、「ビートリズムの危険性」と題する記事を掲載し、「これは愚かさの神格化である」と評して、ビートルズが市民社会をビートルズ一色に狂乱させた歴史的事実を強く非難しました。
そして、ビートルズ・ファンを「愚劣の底なしの亀裂」と罵りました。「まだしもポップ音楽の評論家は、何の考えもなくレコードを買う人より、より文芸的または芸術的である。」と評論しました。彼は、さらに次のように続けます。
「将来の希望としては、感受性の高い10代の若者の代表が、「真の」偉大な芸術家(例えば、ミルトン、ワーグナー、ドビュッシー、マティス、エル・グレコ、プルースト)達に一生懸命に親しむことであり『聴くに耐えずその必要もない音楽と称する代物』を聴くことでは無い。」
「なぜ、良い大人たちまでが『シー・ラヴズ・ユー』を選ぶのか?一つには、歌詞が簡単で理解しやすいことにあると思われる。しかし、私は、実際のところ、関連する音楽の影響がとても強いため、ある人がビートルズのことを頭に思い浮かべた時に、その人がすぐに思い付いたその曲は、結局、ビートルズが書いた一連の曲となったのだと考えたい(つまり、ビートルズ現象の影響が絶大だったため、ある人がビートルズの名を聞けば、自然にその曲を思い浮かべたということです。ただ、すいません、この箇所はちょっと自信ないですf^_^;)。そして、もちろん、曲に対する評価は、メロディーや歌詞を無視し、コーラスに注目を集めることで、些細なものとして扱われている。」
「リスナーが少しだけ曲を聴きたいと思う時には、繰り返されるコーラスがその当然の候補となるなどとは、特にとんでもない考えである。なぜなら、スラングと非文化的な歌詞が並べられているからである。こんなものは、とても詩とはいえない。」
「私は、いわゆる『大人』があの曲を聴こうとしない要素として、他にどんなものがあるだろうかと考えてみた。コンサートでもレコードでも、音量はよく問題にされる。多分、ビートルズが、伝統的なバラードよりも、極端にエネルギッシュなロックを強調することにその鍵があると思う。」
「彼らの原始的な音響装置を考慮してみると、それまでのコンサートに打ち勝とうとすれば、音量を上げざるをえないのである。そして、コンサートで最も騒がしい音はファンの叫び声である。慣れていない人の耳が潰れてしまうのは当然なのである。」
「多分、何人かのリスナーは、彼らのアクセントから、叙情的な詩を歌うには言語的な障害があると気が付いているであろう。 1963年12月に私が初めて彼らの歌を聴いたとき、特別なイギリス英語には聴こえなかった、単に目新しいことをしているというだけである。」
「彼らが話しているの聞いていると、彼らの生まれははっきりしている。だが、例え、グラスゴー訛りがあったとしても、彼らの発音は理解できない。いくつかのヴァージョンを最も大胆な言語学者が挑戦したとしてもである。それに、私は、何人かのリスナー、特に年配のイギリス人たちが、彼らの歌声に仰天させられるのではないかと心配するのである。」
「さらにあり得ることは、年配者が彼らの外見にショックを受けて、歌詞に注意が向かないであろうということである。レザーを着ていたなら、彼らはもっと強烈に革命的になれたかもしれない。少なくとも、我々は、マーロン・ブランド(ハリウッドの大スターです。若い頃は、革ジャンを着てワルを演じていました)と彼のギャング集団の衣装を見ているのである。アメリカは、4人の男たちが、スタイリッシュなスーツを着ていることにとても面食らっているように見える。」
「その反面、彼らのヘアスタイルは、次のことを示している。彼らがとても反抗的であること、男らしくないこと、市民社会全体に対して脅威をもたらすことなどである。1964年1月31日に雑誌ライフは、彼らを紹介する記事を書いている。その写真の解説では、彼らがイギリス王室にも庶民にも演奏している。」
「彼らのうち2人が殆どの曲を書いているが、演奏は丁寧で、プロフェッショナルであるとしているが、その一方で主要な記事は、イギリスにおけるビートルマニアの増殖を伝え、それがアメリカをも侵食するのではないかという恐れについて書いているのである。」
「実際、この脅威については、報道の始めの部分でしかあまり言及されていなかった。おそらく、これらは、これから長引くかもしれない恐怖を取り上げていない。雑誌ライフは、彼らが訪れ、去っていったと記している。」
「ビートルズは、金魚を飲み込み(これは当時、ハーバード大学のエリート学生の間で、新入生が金魚を飲み込むことが流行したことを引用したのでしょう。日本の一気飲みみたいに流行してたんですね)、デイビー・クロケット(アメリカ建国時の英雄です。メキシコからテキサスを独立させるために戦いましたが、アラモ砦の戦いで敗れて捕らえられ、メキシコ政府によって処刑されてしまいました)の帽子を飲み込んでいった(これは、ビートルズがアメリカを席巻したことを苦々しく思い、その例えとしてこのような表現をしたのだと思います)。編集者達は、事態をあまりに軽く見すぎている。 」
「実際、古い世代の多くの人たちが、映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』が公開されるまでは、ビートルズの侵略について騒ぎ立てていた。その映画は、事態を信じようとしない人たちに対して、どこでもビートルズが彼ら自身に関するユーモアのセンスを持っていること、それに付け加えて、彼らが真剣に音楽に取り組んでいるミュージシャンであることを教えたのである(つまり、映画が良識ある人まで洗脳してしまったことを意味しています)。」
「これが始まりに過ぎないことを知っているのは我々だけである。」(終わり)
まあ、しかし、よくもこれだけクソミソに書いてくれたもんですねえ(?_?#)っていうか、誇大妄想、あるいは被害妄想的なものを感じますね。しかも、カワードはまだ高齢者でしたから許せますが、ジョンソンはこの頃まだ35歳ですからね。年齢的には、十分ビートルズを理解できる世代です。
彼が忌み嫌ったのは、ビートルズを巡る大騒動、彼らのヘアスタイル、リヴァプール訛り、演奏と観客の歓声の音量などです。要するに彼らが市民社会を破壊してしまうモンスターであり、イギリスはすでにその犠牲になった。アメリカもいずれそうなるであろうと警告しているわけです。しかし、知識階層の人でもあっても、いや、だからこそというべきか、見知らぬものに対する警戒心は強烈なんですね。
確かに、ビートルズが、アメリカを侵略したことには違いありませんけどね。彼の評論が当たっていたのは、辛うじてその部分だけです(笑)彼は、イアン・フレミングが書いた、ジェームズ・ボンドが主人公の007シリーズの第3作目「ドクター・ノオ」にも噛み付いています。1964年3月6日に、イギリスの政治ジャーナリストのヘンリー・フェアリーは、「スペクテーター」という雑誌で、ジョンソンのこの一連の記事を「ちょっと大げさだ」と批判しています。
カワードは故人ですが、ジョンソンは存命中です(2015年1月現在)。驚くべきことに、何とこの記事を書いた35年後の1999年になっても、彼は、まだポピュラー・ミュージックに対する攻撃に躍起になっていて、主に報道機関をターゲットにしていました。
彼の夢(というか妄想)では、タイムズ紙は、まだポップコンサートに行ったことがない著名人に購入されているということになっています。その人々は、最近の30年間で、例えば、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、デューク・エリントン、そしてもちろん、ビートルズなど全く知らないということになっています。いやはや、ここまで来るともはや病気としか言いようがありません(; ̄ェ ̄)
ただ、「70歳を過ぎて人間が丸くなった」と本人がインタビューに答えている通り、流石にもう噛み付くことは無くなったようです。これは最近の彼です。
他にも、当時、彼らを批判した著名人は大勢いました。作家でジャーナリストのウィリアム・F・バックリーは、1964年に「ビートルズは、単に酷いというだけではなく、神聖なものを汚してしまっている。彼らは、恐ろしく、そして音楽的センスのかけらもない。彼らは、独りよがりで芸術のもたらす魔法に無関心で、反音楽の頂点に立っている。」アメリカの映画プロデューサーのデイビット・サスキンドは、1965年に「私がこれまでに会った最も不快な男性グループだ」とそれぞれ語っています。
いちいち挙げていたらキリがないのでもうこの辺にしときますが、彼らは、その後世間に大恥をさらしました。その後の彼らがビートルズに対してどのような態度を取ったのかは知りませんが、頬かむりするか、弁解するか、謝罪するかしかなかったでしょう。この轍を踏まないように、私は、自分より若い世代の人達を安易に批判することはしないように心がけています。
(参照文献)THE BEATLES BIBLE, New Statesman, THE WALL STREET JOURNAL, THE TELEGRAPH
http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2016/01/16/000427
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
┌─――――――――――――┐
|1963(昭和38)年 3月 5日(火)|「ツアー・バスの車中で」
|2010(平成22)年 3月 5日(金)|甲虫日記更新日 No.069
└─――――――――――――┘
ビートルズ初の公式ナンバー・ワン・ソングは、3枚目のシングル♪FROM ME TO YOU♪とされている。何が公式かというと『ギネス・ブック』が公認していることが理由らしい。そのよりどころが、現在のミュージック・ウイーク誌の前身であるレコード・リテイラー(RR)誌のチャートだ。英国の各音楽業界誌のチャートをもとに順位を算出して発表していた。セカンド・シングル♪PLEASE PLEASE ME♪は、他の音楽誌では第①位を獲得したもののRR誌では最高2位だった。ジョージの弁を借りれば、「♪FROM ME TO YOU♪は本当に大きな意味を持っていた。これでお墨付きがもらえたわけだから」となるのだ。
その5日前の1963(昭和38)年2月28日(木)、女性歌手ヘレン・シャピロの前座として参加したパッケージ・ツアーの最中、ヨークからシュリューズベリーに移動するバスの中でジョンとポールが書き上げた。その様子をジョンが述懐する。「ギターで遊んでいるうちに、いいメロディー・ラインがでてきたんで、僕らは本腰を入れ始めた。バスが着くまでに歌詞も含めて曲は完全にできあがっていた」ジョンとポールのどちらか一方が作りかけの部分を持ち寄って曲を完成させたのではなく、その場で頭に浮かんだアイデアを交換しあうことから、つくり始めたようだ。2人がゼロから共作した数少ない作品なのかもしれない。曲のタイトルは、音楽誌ニュー・ミュージカル・エキスプレス(NME)のお便り欄♪FROM ME TO YOU♪から取られている。
1963(昭和38)年2月22日(金)付のNME誌は、1面に彼らのツアー日程を取り上げている。作品を書き上げた。
前日1963(昭和38)年2月27日(水)付の同誌のチャートには、♪PLEASE PLEASE ME♪が2週連続で第①位に輝いている。彼らが得意そうにページを開いている姿が想像できる。この曲もそうだが、ジョンとポールの初期の作品には、「I」とか「Me」とか「You」という人称代名詞が曲のタイトルや歌詞にふんだんに使われている。ジョンとポールの狙いはファン心理をくすぐることにあった。そのテクニックとして、こみ入った言葉を使うことは避けていた。「聴く人が歌詞に感情移入しやすくするためさ。ファンというのは、自分がスターのしていることに参加している、と思いたがるものだから」とジョンは話している。
◎曲の出来栄えに満足できなかったジョンとポール… 次のページへ
この曲の最大の特徴は、裏声の「ウ~」というコーラスを初めて採用したことだ。アイズレー・ブラザーズの♪Twist And Shout♪がヒントになっている。ジョンとポールがバスの中で頭を振りながら、「ウ~」というコーラスを試していると、ツアーに同行した人気芸能人ケニー・リンチが「オカマのグループに見られるぜ」と忠告した。だが、彼らは「ティーンエージャーは喜ぶよ」と意に介さなかった。10年後、ポールがウイングス時代に発表した傑作アルバム『BAND ON THE RUN』(73年)のジャケットにリンチは登場することになる。さて、曲は完成したが、ジョンもポールもすぐに胸を張れるほどの出来ではなかった。この曲をピアノで弾いてみたポールは、「だれも気に入らないんじゃないか」と気持ちがぐらついていた。ツアーがリバプールの近くまで来たとき、ポールの父親に新曲を聴いてもらった。彼から「愛すべき曲だ」という感触を得て安心した。ジョンはブルース色が強すぎる曲だと感じていた。その問題は、音楽プロデューサーのジョージ・マーティンが魅力的なイントロのハーモニカ・ソロのスコアをつけたことで見事に解消した。元々は、女性ファンを念頭にして書き上げた曲♪THANK YOU GIRL♪が、♪PLEASE PLEASE ME♪に次ぐシングルのA面候補だった。だが、スタジオでのセッション中、「From Me To You」が入れ替わってA面に昇格した、とされている。
ツアーのヘッドライナーで、英国の最優秀女性歌手に2年連続で選ばれたヘレン・シャピロは、ちょっとぜいたくな経験をした。彼女は13歳でEMIと契約し、デビュー曲♪子供じゃないの♪が英国3位のヒット。♪悲しき片想い♪、♪夢見る恋♪が連続ナンバーワンに輝き、元祖アイドル・スターとして人気絶頂のころだった。彼女はツアー・バス中でのジョンとポールの曲づくりは記憶にないが、バスがシュリューズベリーに到着後、その曲を聴かせてもらったことは鮮明に覚えているという。シャピロによると、ジョンに「新曲を聴かないか」と声をかけられたそうだ。ポールがピアノの前にすわり、ジョンはシャピロの横に立って♪THANK YOU GIRL♪と♪FROM ME TO YOU♪を歌った。ジョンは「君の意見を聴いて、どちらをA面にするか決めたい」と水を向けた。シャピロは♪FROM ME TO YOU♪が好みだと伝えると、2人は「素晴らしい。僕らが好きなのもそうなんだ」と口をそろえた。曲づくりから録音までわずか6日間。ジョンとポールの自信と不安が交錯しながらも、周囲の支援によって進化した新曲は、NME誌のチャートで6週連続1位に輝いた。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100305.html
********************************************************
┏━━━━━━━━━━━┓
┃ 『FROM US TO YOU』 ┃BBC 46th appearance
┗━━━━━━━━━━━┛
‡1964/2/28(fri) rec. 06:30pm-09:00pm Number 1 Studio, Piccadilly Theatre, London
1964/3/30(mon) trans. 10:00am-12:00noon broadcast
Recording for BBC's『FROM US TO YOU』2nd appearance
♪FROM US TO YOU♪ ※第1回のオープニングのものとは別テイク
Intro
♪You Can't Do That♪
Just A Rumour (speech)
♪Roll Over Beethoven♪
From Fluff To You (speech)
♪Till There Was You♪
Ringo? Yep! (speech)
♪I Wanna Be Your Man♪
Song About Postman (speech)
♪Please Mr. Postman♪
♪All My Loving♪
Oh, Can't We - Yes We Can (speech)
♪This Boy♪
A Side? B side? (speech)
♪Can't Buy Me Love♪
Show Ending
♪FROM US TO YOU♪ ※この回のオープニングと同テイク
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
************************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』1994 version ┃2001/06/08(fri)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
02.♪From Us To You♪ 『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 63年12月から64年8月までの計4回放送された同名のビートルズの特番のテーマ曲。未発表曲とはいってもFrom Me To Youの歌詞を一部変えて歌っているだけのものである。
32.♪Can't Buy Me Love♪ 『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 いうまでもない、シングル・ヒット曲。しかし、このテイクはレコードの上から新たな歌をダビングするという劣悪なもの。こんなテイクを収めるくらいなら、もっと他の曲を収録して欲しかった。BBCでは3回演奏されている。
33.From Fluff To You 『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 司会者とポールのやりとり。
34.♪Till There Was You♪『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 アルバムWITH THE BEATLESに収録されていたポールの歌うスタンダード。ここではエレキ・ギター中心の演奏だが、これも悪くない。特にジョージのギター・ソロが秀逸。チャック・ベリー・スタイルに弱点のあったジョージも、ポップ系、カントリー系に関しては、なかなかよいセンスを持っていたのが分かる。BBCでは計7回演奏されている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』2013 version ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
02.♪From Us to You (Opening)♪『FROM US TO YOU』30 March 1964 0:30
33.♪Can't Buy Me Love♪ 『FROM US TO YOU』30 March 1964 2:08
34.From Fluff to You♪ 『FROM US TO YOU』30 March 1964 0:28
35.♪Till There Was You♪ 『FROM US TO YOU』30 March 1964
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
②┃ 『THE BEATLES Live at BBC』1994 version ┃2001/06/08(fri)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛◎Disc two◎
04.♪I Wanna Be Your Man♪『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 アルバムWITH THE BEATLESに収録されたリンゴのボーカル曲。しかし、公式テイクより長いイントロがある他、全体に軽目のアレンジ。BBCでは2回演奏。
05.Just A Rumour 『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 ジョージと司会者のやりとり
06.♪Roll Over Beethoven♪『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 アルバムWITH THE BEATLESに収録されたチャック・ベリーのカバーで、ボーカルはジョージ。公式テイクよりもストレートな仕上がりに好感が持てる。BBCでは7回演奏された。
07.♪All My Loving♪ 『FROM US TO YOU』64.2.28.収録 3.30.放送 アルバムWITH THE BEATLESに収録されたポールの作品。2コーラス目のハモリは公式テイクではポール自身が担当していたが、ここではジョージによる。BBCに限らず、ライブでこの曲を演奏する時はいつもこの形態だった。BBCでは4回演奏されている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
②┃ 『THE BEATLES Live at BBC』2013 version ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛◎Disc two◎
03.◆Ringo? Yep! 『FROM US TO YOU』30 March 1964 0:14
04.♪I Wanna Be Your Man♪『FROM US TO YOU』30 March 1964 2:10
05.Just a Rumour 『FROM US TO YOU』30 March 1964 0:20
06.♪Roll Over Beethoven♪『FROM US TO YOU』30 March 1964 2:17
07.♪All My Loving♪ 『FROM US TO YOU』30 March 1964 2:07
36.◆From Us to You (Closing)♪ 『FROM US TO YOU』1964
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ 『On Air - Live at the BBC Volume2』 ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛◎Disc two◎
20.Oh, Can't We? Yes We Can♪『FROM US TO YOU』30 March 1964
******************* https://www.amazon.co.jp/dp/B00005HYHG
①http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb16.html
②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb16-2.html
①②https://en.wikipedia.org/wiki/Live_at_the_BBC_(Beatles_album)
③https://en.wikipedia.org/wiki/On_Air_%E2%80%93_Live_at_the_BBC_Volume_2
③http://blog.kouchu.info/2013/09/BBC-Vol2.html https://www.amazon.co.jp/dp/B00F5H3A3W
**********************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
┃ Episode 1: A Tendency To Play Music ┃30:03 (sat)1 October 1988
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
02.♪FROM US TO YOU♪
‡05.♪I Wanna Be Your Man♪『FROM US TO YOU』(2), (mon)30 March 1964
08.♪Tie Me Kangaroo Down♪『FROM US TO YOU』(1), (thu)26 December 1963
音源◆https://youtu.be/dRusXJWf-n0
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
┃ Episode 8: From Fluff to You ┃30:49 (sat)19 November 1988
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
01.♪FROM US TO YOU♪
‡02.♪All My Loving♪ 『FROM US TO YOU』(2),(mon)30 March 1964
‡04.♪Till There Was You♪ 『FROM US TO YOU』(2),(mon)30 March 1964
‡05.♪Roll Over Beethoven♪『FROM US TO YOU』(2),(mon)30 March 1964
‡06.♪I Wanna Be Your Man♪『FROM US TO YOU』(2),(mon)30 March 1964
‡07.♪Cant Buy Me Love♪ 『FROM US TO YOU』(2),(mon)30 March 1964
08.♪FROM US TO YOU♪
16.♪FROM US TO YOU♪
音源◆https://youtu.be/uJ3stPVVZBw
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beeb%27s_Lost_Beatles_Tapes
https://www.youtube.com/playlist?list=PL073eZJnP1VSVL0DHZ-N_GATBFD-ou2eG
************************************************************
┏━━━━━━━━━━━┓
┃ ♪From Me to You♪ ┃‡1963(昭和38)年2月28日(thu)
┗━━━━━━━━━━━┛ この曲は録音の5日前、ビートルズがヘレン・シャピロとのツアー中にバスの中で書いた物である。当初は「あまりにもブルージー過ぎる」のでシングルにはどうか?という事だったが、ハーモニカなどを加えてアレンジした結果、これならよかろう、とシングルにしたそうだ。もちろんチャートの1位を獲得している。
**********************************************
https://beatlesdata.info/15/02_frommetoyou.html
https://en.wikipedia.org/wiki/From_Me_to_You
**********************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ THE CAVERN CLUB キャヴァーン・クラブ ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1962(昭和37)年 2月28日(水) ビートルズはジェリーとペースメーカー、ジョニー・サンボンとサーチャーと一緒に登場した。
Note・・・ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
************************************************************
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_The_Cavern_Club
http://gejirin.com/beatles/history/1961/19610209_live_cavern_first_beatles.html
************************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Winter 1963 Helen Shapiro Tour, Part 2 ┃THE BEATLES SHOW
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.11 5 (thu)28 February 1963 Shrewsbury City, England, Granada
************************************************************
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Winter_1963_Helen_Shapiro_Tour
************************************************************
参考パンフ■Beatles Helen Shapiro Original Tour Programme 1963 £300.00 22:22 2017/03/18 An original concert programme from the 1963 UK British tour that took place between 2nd February and the 3rd March. The tour was headlined by Helen Shapiro and the Beatles appeared as one of the support acts. Programme features a black and white group shot and a brief history of the group. Measures 21cm x 27cm (8.25 inches x 10.75 inches). There is some dirt staining to the cover and a small tear measuring 1cm (0.25 inches). Condition is very good minus.
https://www.tracks.co.uk/product/b24475-beatles-helen-shapiro-original-tour-programme-1963/
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-3:00am
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ♪Lucy in the Sky with Diamonds♪ ┃rehearsal only
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.1 アビイ・ロード第2スタジオにてまずリハーサルが開始された。この頃になるとスタジオをいくら使用しても、たとえそれが夜中になろうとEMIは文句を言わなかったそうである。スタジオではこの日、結局リハーサルのみに費やされ、録音テープが回ることはなかった。ただしコントロール・ルームのエンジニアもそれに付き合わなければならず、かなりきつかったそうだ。
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Richard Lush
‡1967(昭和42)年2月28日(tue)
************************************************************
https://beatlesdata.info/8/03_lucyintheskywithdiamonds.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_in_the_Sky_with_Diamonds
************************************************************
音源◆The Beatles - Sgt. Pepper Outtakes Medley https://youtu.be/8yC8uVImDh0
06 December 1966 EMI Studios, Abbey Road
22 March 1967 EMI Studios, Abbey Road
09. Lucy In The Sky With Diamonds (Unknown Take) [4:01]
10. Lucy In The Sky With Diamonds (Unknown Take) [4:39]
‡1967年2月28日に8時間のナイトタイムセッションを過ごし、レコーディングを行わずにダイアモンドのスカイでリサイタルを行いました。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『SHOUT! The True Story of the Beatles シャウト!ザ・ビートルズ』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐フィリップ・ノーマン=著 島田陽子=訳訳者
‡|2006(平成18)年 2月28日(火)|https://www.amazon.co.jp/dp/4072447714
|2006(平成18)年 3月 1日(水)|http://shufunotomo.hondana.jp/book/b141827.html
|2006(平成18)年 3月31日(金)|第1刷発行 主婦の友社 定価:本体4,800円 ※消費税が別に加算されます
└─――――――――――――┘斉藤早苗(ザ・ビートルズ・クラブ代表)=監修
帯言葉・・・ジョン、ポール、ジョージ、リンゴよ永遠に!ビートルズの誕生から21世紀の現在まで、すべてを網羅した唯一の決定版ビートルズ伝。最新■増補?■改訂版新訳 写真等も日本語版向けに独自編集。日本唯一の公認クラブであるザ・ビートルズ・クラブが全面監修強力
主婦の友社「内容の説明」・・・ジョン、ポール、ジョージ、リンゴよ永遠に!神話、いま再び蘇る! いまなお、多くの人々に愛され、影響をあたえ続けているザ・ビートルズ。本書は、ビートルたちの子どもの頃から、バンドの誕生・解散・ソロ活動、そして現在までのビートルズのすべてを網羅した唯一のビートルズ伝記!です。また、日本版では、メンバーの写真等日本語版向けに独自に編集をし、写真で見ても楽しめる伝記となっています。ビートルズ世代も、ビートルズを知らない世代も、ビートルズの魅力を再発見できます。日本で唯一の公認クラブであるザ・ビートルズ・クラブに全面監修協力していただいています。
https://honto.jp/netstore/pd-book_02635770.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ February/March 1961 The Cavern, Liverpool ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
circa February-March 1961 The Cavern Club 10 Mathew Street Liverpool
Photographer: unknown
They played The Cavern on these dates...
‡Feb 9(thu), 21(tue), 28(tue)
Mar 6(mon), 8(wed), 10(fri), 13(mon), 14(tue)
In addition, if there is any doubt about the exact date of Stu's return to Hamburg, The Beatles also played The Cavern on these dates before returning to Hamburg themselves...
Mar 16(thu), 20(mon), 21(tue), 22(wed), 24(fri)
************************************************************
http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.02.xx%20cavern/61.02.xxcavern.html
************************************************************
┏━━━━━━━━━━━━┓┌─――――――――――――┐『Home Bound』
┃ 『HOLD OUT』 ┃|1980(昭和55)年 6月24日(火)| Jackson Browne
┗━━━━━━━━━━━━┛└─――――――――――――┘https://en.wikipedia.org/wiki/Hold_Out
‡1989(平成元)年2月発行 会報第33号【MEMORIAL MUSIC】
http://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber033.html
音源◆♪Disco Apocalypse https://youtu.be/NNaINzl6XtU?list=PLpRXH1pdbR9sj7hWplVvdH2pQkCF9syDH
1984(昭和59)年2月28日(tue) マイケル・ジャクソン『スリラー』がグラミー賞で8部門受賞
2018(平成30)年2月28日(wed) 執筆者:矢口清治
日本でグラミー賞という音楽イヴェントの存在を幅広く知らしめたのは、1984年2月28日に開かれた第26回(1983年度)授賞式の模様が、録画中継でTV放映されたことだったと思う。アメリカのケーブルTV局=MTV MUSIC TELEVISIONが81年に開局となり、ひとつのムーヴメントとして我が国でも洋楽に映像を通じて接点を持つ世代が育まれ出した時期だ。その第26回の圧巻は、マイケル・ジャクソン独占とも呼べる獲得状況だった。彼が手にしたのは実に8部門。当時一度の授賞式での最多とされた大記録だ。82年12月に本国で発表されたアルバム『スリラー』が持つ、まさにその時代の瞬間を鮮やかに切り取った如き作品性が色あせぬ記憶となった。ディスコ・ブームを継承するダンサブルでソウルフルな音楽スタイルは、80年代にミュージック・シーンで支柱を築くアーバン・コンテンポラリーの要素を明瞭に伝え、加えてファッショナブルな外見と超絶のステップによるヴィジュアルの魅力をビデオを通じて打ち出すのに成功した。そんなヒットの条件が詰まっていたのである。
大きかったのは一般的な関心が集中する主要4部門の中の2つを獲ったことだ。最優秀レコードが「今夜はビート・イット」。これはポリスの「見つめていたい」、アイリーン・キャラの「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」、マイケル・センベロの「マニアック」、そしてライオネル・リッチーの「オール・ナイト・ロング」を抑えての受賞で他の候補のいずれもがポテンシャルの高い全米No.1ソングだった点も激戦を制したイメージだった。それは、『シンクロニシティー』(ポリス)、『フラッシュダンス』(サウンドトラック)、『イノセント・マン』(ビリー・ジョエル)、『レッツ・ダンス』(デヴィッド・ボウイ)らの強敵に打ち勝って最優秀アルバムに輝いた『スリラー』にも当てはまる。なお、「見つめていたい」が獲得した最優秀ソング部門の候補に、マイケルは「今夜はビート・イット」と「ビリー・ジーン」の2曲を入れているのもすごい。ちなみに最優秀新人はカルチャー・クラブが選出された。
あとの獲得部門と対象作品を確認すると、最優秀男性ポップ・ヴォーカルを『スリラー』で、最優秀男性ロック・ヴォーカルを「今夜はビート・イット」で(エドワード・ヴァン・ヘイレンのゲスト起用が大正解)、最優秀男性R&Bヴォーカルと最優秀R&Bソングを「ビリー・ジーン」で手中にしている。そして最優秀プロデューサー部門をクインシー・ジョーンズと連名で受けた。実はマイケル個人が『スリラー』関連で受賞したグラミーはここまでの計7つだ。最優秀録音部門に『スリラー』のエンジニア=ブルース・スウェディンが選ばれており、アルバム自体が生み出したトロフィーが計8となる。では、マイケルは一度の授賞式での最多獲得=8ではないのか? いえ、獲得なんです。この第26回において、マイケルはさらにもうひとつ、『E.T.ストーリーブック』によって最優秀児童向けレコード部門を得ている。だからマイケル・ジャクソンが、”『スリラー』で8部門独占”というのは正確ではない。
ところで第26回に匹敵する状況となったのは、00年2月23日発表の第42回(99年度)。アルバム『スーパー・ナチュラル』関連に、レコード、ソング、アルバム、ポップ・グループ、ポップ・ヴォーカル・コラボレーション、ポップ・インスト、ロック・グループ、ロック・インスト、ロック・アルバムの9部門が与えられた。そうサンタナだ。ただしアーティストとしてのサンタナ(カルロス・サンタナ)に限定すると、ソング部門の「スムーズ」は、作者のイタール・シュールとロブ・トーマスが受賞者。したがってサンタナとしては8となる。
同様に、03年2月23日発表の第45回(02年度)でのノラ・ジョーンズも破格だった。デビュー・アルバム『ノラ・ジョーンズ』関連で、主要4部門に、ポップ女性ヴォーカル、ポップ・ヴォーカル・アルバム、エンジニア、プロデューサーと、ノミネートされた8部門すべてに輝いた。これも”ノラ・ジョーンズが8つ獲得”とするのは厳密には正しくなく、ソングは作者のジェシー・ハリスが、エンジニアはジェイ・ニューランドとS.ハスキー・ホシュクルドゥルが、プロデューサーはアリフ・マーディンがそれぞれ受賞対象者だ。つまりノラ自身は5つとなる。グラミー史上希有の主要4部門同時受賞をノラは果たしておらず、それはこれまで第23回のクリストファー・クロスのみである。
話をマイケル・ジャクソンに戻すと、グラミー大量受賞の勢いと計7曲の全米トップ10シングルを生むという快挙も伴い、84年中も売れ続けた『スリラー』は、全世界1億5000万枚を超える史上最多セールス・アルバムへと邁進していくことになる。
≪著者略歴≫矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。
http://music-calendar.jp/2018022801