過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年08月08日(火) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
②1962(昭和37)年08月08日(水) ライヴ演奏:Co-opボールルーム/ドンカスター
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②1962(昭和37)年08月08日(水) ライヴ演奏:Co-opボールルーム/ドンカスター
 ビートルズはドンカスター (Doncaster) のCo-op ボールルーム (Co-op Ballroom) に1度だけ出演している。
この会場はヨークシャー・ドンカスター (Doncaster, Yorkshire) のデューク通り (Duke Street) とセント・セパルカー・ゲート (St. Sepulchre Gate) のコーナーに位置する。
この頃には水曜の夜はキャバーン・クラブ (Cavern Club) に出演するのが彼らの常となっていた。しかしリヴァプールから86マイル離れたドンカスターでのこの出演のために、スケジュールを変更した。
この会場は後にエンポリアム・ボールルーム (Emporium Ballroom) と名前が変わる。ビートルズは1963年1月23日に出演が予定されていたが、キャンセルとなり、彼らは代わりにキャバーン・クラブに出演している。
 ビートルズはドンカスターでは都合5回のショーを行っている。この日の他は
 1962(昭和37)年08月08日(水)
 1963(昭和38)年02月05日(火)
 1963(昭和38)年02月20日(水)
 1963(昭和38)年03月22日(金)
 1963(昭和38)年12月10日(火)
③1960(昭和35)年08月12日(金) ポールの見知らぬドラマーへの手紙
 この日ポールは新聞広告に載っていたあるドラマーに対して、ビートルズの初のハンブルグ遠征に参加するためのオーディションを提供する旨の手紙を書いている。
 Dear Sir,
 In reply to your advertisement in Echo, Wed.
 night, we would like to offer you an audition
 for the position of drummer in the group.
  拝啓
  エコー紙の貴殿の広告に対して、水曜の夜にこのバンドのドラマーのオーディションを提案します。
 You will, however, need to be free soon for
 a trip to Hamburg (expenses paid £18 per
 week (approx.) for 2 months.)
  ただし、すぐにハンブルグへ渡航できる事が条件です。
  (週18ポンドの報酬 (およそ) で2ヶ月間) 
 If interested, ring Jacaranda club, Slater
 St. [ROYAL 65'44] and ask for either
 a member of the 'BEATLES', Alan Williams, or
 else leave a message, stating when you will
 be available.
  もし興味がありましたら、スレイター通り [ロイアル65'44] のジャカランダ・クラブに電話して、ビートルズのメンバーかアラン・ウィリアムズを呼び出して下さい。または貴殿の都合の良い日時のメッセージを残して下さい。
 Yours sincerely,  敬具
 Paul McCartney of  ポール・マッカートニー
 THE BEATLES     ザ・ビートルズ
 この手紙が書かれた時点では、ビートルズのメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、それにスチュアート・サトクリフの4人だった。彼らは1960年にトミー・ムーア (Tommy Moore) やノーマン・チャップマン (Norman Chapman) を含めて、一連の臨時ドラマーと演奏してきたが、彼らのハンブルグでの仕事はもっと永続的なドラマーを必要とした。ポールがアラン・ウィリアムズのスペルを書き間違えているこの手紙は、リヴァプール・エコー紙 (Liverpool Echo) に載せられた広告に対する返事として、
 1960(昭和35)年08月12日(金)に書かれている。匿名のドラマーは
‡1960(昭和35)年08月08日(月)に、その新聞の求人広告欄にメッセージを載せている。それには「ドラマー、若い、ひま」と書かれ、私書箱番号が付記してあった。この手紙に言われているオーディションが実際に行われたのかどうかは判っていない。しかしビートルズはすでに
 1960(昭和35)年08月06日(土)に、ピート・ベスト (Pete Best) に参加を依頼している。そのベストのオーディションが行われるのは、この手紙が書かれたのと同じ日の夜なのだ。もしこのミステリアスなドラマーがこのポールの手紙に応答していたとしても、その時にはビートルズはすでにハンブルグに旅立った
 1960(昭和35)年08月16日(火)曜日、後だったろうと考えられる。このポールの手紙は、2011(平成23)年に発見され、マージーサイド (Merseyside) のブートル (Bootle) で開かれたフリーマーケットで50ペンスで買われた『骨董品価格ガイド What's It Worth?』という本に挟まっていた。この本を買ったのはブートルのコインや骨董品のコレクターだった。彼は最初にリヴァプールの「ビートルズ・ショップ (The Beatles Shop) 」へ持って行き、3000ポンドのオファーを受ける。しかし「ビートルズ物語博物館 (The Beatles Story Museum)」は展示品としてもっと高値を付けるだろうと期待して持って行った。その博物館はその場で金額を提示することは辞退したが、彼をクリスティーズ (Christie's) オークションハウスに紹介した。そして
 2011(平成23)年11月15日(火)にオークションにかけられ、34,850ポンド (55,000ドル) で競り落とされた。
 ニール・ロバーツ クリスティーズ・ディレクター ⇒ 私の仕事の最高の一瞬は、突然に驚異の存在に気づき、専門家としての知識を覆してしまう希少な機会に遭遇する時です。この手紙はそうした機会の一つとなりました。私の最初の反応はある種の不信でした。しかし現物を見、その日付と内容の重要性を調査し、また著名なビートルズ史家と協議した結果、それは紙の上の単なる言葉ではなく、遥かに重要なものであることが判明したのです。 
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620808_live_Co-op.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600812_letter_drummer_audition.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|August 08|220
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|8月08日|
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 1961(昭和36)年08月08日(火) キャバーン・クラブでランチタイム・セッションのステージに出演。
 1962(昭和37)年08月08日(水) キャバーン・クラブ水曜日夜のレギュラー出演を休み、ドンカスターのコープ・ボールルームに出演。
 1963(昭和38)年08月08日(木) ジョン・スミス主催チャネル諸島5夜連続公演の3夜目。ガーンジー島にあるオーディトリアム(キャンディ・ガーデンズ)で行われた。ギャラは1,000ポンド(当時のレートで約108万円)。メンバーは12人乗りの小型飛行機で移動、機材はフェリーで運ばれた。
 1964(昭和39)年08月08日(土) オフ日。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17088
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/008/0808.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15760713.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sun)26 May
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 "A complete set of Beatles autographs on the reverse of a Parlophone records postcard featuring the group and advertising them on that record label. These autographs were obtained by the vendor who attended a concert on May 26th 1963 at the Liverpool Empire. The postcard comes with the original seat ticket for that concert, together with an official programme which also features Roy Orbison and Gerry and The Pacemakers. The programme contains an inset ticket application form for a forthcoming concert starring Jerry Lee Lewis, Freddie and the Dreamers and the British Blue Caps. This lot also contains a number of contemporary press clippings relating to the Beatles."
‡Source: Halls, (fri)8 August 2008
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 http://www.multiplusbooks.com/630526.html
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 ┃ どらくスペシャル「ビートルズの目撃者 日本公演から40年」 ┃
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  ジョン・レノンが生きていれば、ことし66歳。
  リアルタイムで4人を知る世代から、リバイバルヒットした数々の名曲でとりこになった30代、40代もいる。
  そんなビートルズ世代が集うのが、『どらく』だ。
  1966(昭和四十一)年、世界を席巻したザ・ビートルズが来日し、
  厳戒態勢の中、計約5万人が東京・日本武道館で公演を見た。
  あのときの目撃者、『どらく』ピープルたちは、何をいま思うのか――。
  公演・滞在こぼれ話などを間にはさみながら、7回にわたって報告します。
  『どらく』編集長によるドクダンのアルバム・レビューとともにお楽しみください。
 ┌─――――――――――――┐
‡|2006(平成18)年 8月 8日(火)|第3回 「幻追いかけた5日間涙の入場券~仲井戸麗市さん~」
 └─――――――――――――┘さて、第3回の今回は――。ようやく手に入れた入場券を握りしめ、日本武道館に駆けつけたもうひとりの高校生、ギタリストの仲井戸麗市(なかいど・れいち)さんの強烈な記憶から。 公演は都内の私立男子高校1年生のとき、学校を早退してバンド仲間と行った。「落ちこぼれだった。女の子に興味はあるけどロックンロールはそれ以上だった」。新宿の楽器屋やレコード屋に入り浸っていた。「ビートルズを好きだったのはクラスに2、3人かな。日本中の若者がひっくり返ったような騒ぎだったと伝えられているのは相当語弊があるね」中学生のとき、ある日突然、ラジオから聞こえてきた「シー・ラヴズ・ユー」が始まりだった。「イェーイェーいってる叫び声が印象的だけど、光と影を持ち合わせる独特のにおいがした」。エレキギターとビートルズは大人たちにしかられてもやめなかった。落ちこぼれが自分で手に入れた初めての意思だと自負している。不思議なことに来日と聞いて悲しい気持ちにもなった。「来るってことは帰ること。もう2度と来ないんじゃないかと」チケットを手に入れる方法はいくつかあった。「夢見るシャンソン人形」がヒットしたフランス・ギャルという歌手の公演チケットを買ってビートルズのチケットを手に入れる権利をもらい、抽選に当たった。
 ◇左手を振ってくれたポール ⇒ 北西スタンド最上階に近い席。リンゴがバス・ドラムをたたくのがよく見えた。「一瞬で終わったような気がした。周りの女の子は泣いていたけど、おれも気持ちの中では泣いちゃっていた」計5回の公演には三島由紀夫や北杜夫ら著名人も来た。「あんなのは音楽じゃない的なコメントが目立ったけど、ふざけるなと思ったね。おれにはちゃんと歌や演奏は聞こえていた。彼らは聞こうとしていなかった」4人が滞在した5日間、宿泊した東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)をファンが取り巻いた。その輪の中にいた。女性警官から「学校どうしたの? 家に帰りなさい」と注意された。車で出かける4人を見た。当時、金髪にしていたジョンは赤い毛に見えた。左手を振ったのはポールだった、と信じている。「会えるわけがない幻を追いかけていた5日間だった。無邪気に好きだったのは来日公演までだったような気がする」プロミュージシャンになっても「ビートルズは教科書」という。公演の1曲目は「抱きしめたい」かなと思っていた。その他の曲も意表をつく選曲だった。「いまはすごく理解できるね。何百回と演奏した曲より、やっぱ新曲やりたかったりするよね」
 ☆プロフィール☆仲井戸 麗市(なかいど・れいち)50年東京生まれ。誕生日はジョン・レノンと同じ10月9日。デザインスクール在学中、「古井戸」を結成。79年「RCサクセション」に加入、91年にユニット「麗蘭(れい・らん)」を組む。現在はソロ活動が中心。
********** http://doraku.asahi.com/special/beatles/list.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.48 P.269 1969年08月08日「それぞれの道を歩き出した4人」◎『ABBEY ROAD』のジャケット撮影日◎
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
‡|1969(昭和44)年 8月 8日(金)|「アビイ・ロード」のジャケ撮影」
‡|2007(平成19)年 8月 8日(水)|甲虫日記更新日 No.005
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1969年8月8日、世界で最も有名なレコードアルバムのジャケットが撮影された。ビートルズ最後のレコーディングアルバム「アビイ・ロード」。4人が歩調を合わせて横断歩道を渡る写真だけが全面に使われ、題名も文字もない。
ジャケットには、ビートルズ流の別れのあいさつが、さりげなく込められている。アルバム制作は「これで最後」という暗黙の了解の下で進められていた。約10分間に6カット撮られたなかから5番目のカットが選ばれた。デビューした62年から数々の名曲を生み出してきたスタジオに、4人が背を向けて歩き出しているようにみせる必要があったからだ。
アルバムの終幕を飾るメドレー最後の曲は「ジ・エンド」。突然の出来事のように思われたバンドの解散も、後になってみれば実に手順を踏んだ律義な儀式だった。
解散の理由はいろいろと語られている。私見をいえば、皮肉にもレコーディング技術の進化が4人の人間関係に亀裂をもたらした。その傾向は、ちょうど1年前に2枚組アルバムの通称「ホワイト・アルバム」を制作していたころから頻繁に現れる。
デビューしたころは録音マイクの前で4人全員の「一発録り」が通常だった。だが、多重録音の技術が進むと4人がそろってスタジオに入る必要はなくなった。
68年6月11日、ジョンがアバンギャルドな「レボリューション9」に苦闘しているのを尻目に、ポールは別のスタジオで「ブラックバード」を1人で完成させた。「イエスタディ」や「エリナー・リグビー」などストリングスを挿入した曲以外でメンバーが単独で曲を完成させることは、それまではなかった。
ジョージが8月17日から5日間の短いギリシャ旅行にでかけると、ポールは1人で「マザー・ネイチャーズ・サン」と「ワイルド・ハニー・パイ」も完成させる。リンゴは、自分が知らぬ間にドラムのパートをポールが代わりに演奏して録音していることに強いショックを受けた。4人がそろった8月22日、「バック・イン・ザ・USSR」のレコーディング中にその不満は爆発し、リンゴは一時バンドを脱退する。
さらにポールは、他のメンバーをバックバンドのように演奏方法まで指示する態度をとり、メンバーとの溝を深くした。映画「レット・イット・ビー」に出てくるジョージとのやりとりの場面がその象徴だ。いわゆる「1対3」の状況は、4人がライブ活動をやめてスタジオにこもるようになってからの変化だ。
しかし、そもそも男4人が10年近くも一緒に仕事をしていること事態は奇跡といっていい。子どもの頃は「なぜ解散したのか」と疑問に思っていたが、社会人になってからは、自然とそうは思わなくなった。
最後のアルバムジャケットの撮影は、午前11時35分から行われた。ジョンの友人イアン・マクミランは、スタジオ前にあるアビイ・ロード(通り)の真ん中に脚立を立て、スタジオの門のすぐ外にある横断歩道を4人が往来するところを撮影した。アルバム発売以来、世界中から集まるファンが横断歩道を渡り、写真を撮っている。ただし、撮影が無事済んだことの裏には、その場にいた警官の好意があったという事実を忘れないほうがいい。
有名な「ポール死亡説」の根拠になったジャケットでもある。彼の葬式の列を描いているというわけで、3人とは異なり右足を前に踏み出しているポールが死体で、他のメンバーはその服装からジョンは司祭、リンゴが葬儀屋、ジョージが墓掘り人だとされる。さらにポールは素足であり、一部の社会では遺体を埋葬する際のしきたりであることや、左利きのポールが目をつぶって右手にたばこを持っているのも不自然だとされた。
またジョージの後ろに写るフォルクスワーゲンのナンバープレート「LMV281F」は「28IF」とも読め、もしポールが生きていたら28歳だという意味に解釈された。しかし、彼はアルバム発売当時まだ27歳であり、撮影された6カットのうち最初の2カットではサンダルを履いていた。
解散は秘密にされていたが、ポール死亡説の話題もあって、レコードは売れに売れた。英国では1969年9月26日にリリース。1週間でアルバムチャートの1位になり18週連続首位を独走。米国でも連続11週首位を守った。全世界の売り上げ推定枚数は、この年だけで500万枚とされる。
例のフォルクスワーゲンは、86年にザザビーのオークションにかけられ2300ポンドで競り落とされた。死んだことにされたポールは、93年11月に発売したアルバムジャケットに再びアビイ・ロードの横断歩道を渡るパロディ写真を採用した。撮影者は同じイアン・マクミラン。タイトルは「Paul is Live」。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、8月18日です(更新は8月17日夜)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ『アビイ・ロード』1998.3.11発売 EMIミュージックジャパン  
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070808.html
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 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.41 (thu)08 August 1963 Guernsey, Channel Islands,  Candie Gardens 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ Late 1963 Concert Reference Guide ┃
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‡写真◆August 8 Candie Gardens, Guernsey Obviously, ※Ojust a backstage shot.
 Note・・・It is planned to continue The Savage Young Beatles  through to the end of 1963. However, this will focus only, as was the original intention of the site, on "performances". This page is simply both a preview and a quick-reference to date and venue of The Beatles' concert performances through the rest of 1963. For 1963 television appearances, see here Radio appearances will be forthcoming. What this page is NOT...At this point, unlike the rest of The Savage Young Beatles... - Photographers are not named. That will be added later. - There are no enlargement links. - These are not all the photos I have but all dates are represented - These are not intended to be the best quality or most complete photos - The layout is not as concise as the rest of this site MANY thanks to Marcelo Ravello for his considerable help with this page. An additional thanks to Jules, Grinch, Murray15 and Trini.
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 http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.zz.zz/63.xx.xxConcerts.html
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     ┛THE BEATLES 1968 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛6:40pm-6:30am
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①┃ ♪HEY JUDE♪ ┃remixes 2-4, from take 1
 ┗━━━━━━━━┛アビイ・ロードにそのテープを持ち込んでみると、トライデントで録音した後とは違い、まるで劣化したサウンドになってしまっていたのである。これはレコーダーやコンソールの設定の違いもあって、仕方ない事だが高域が完全にカットされてたらしい。これをエンジニアはイコライジング処理で何とか聞ける物に修正をした。この曲はこれで完成に至る
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  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
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②┃ ♪Not Guilty♪   ┃takes 47-101
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    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 2
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛6:40pm-6:30am
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①┃  ♪HEY JUDE♪ ┃of remix mono 04, numbered 5
③┃ ♪REVOLUTION♪ ┃of remix mono 21, numbered 5
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  Re-equalization of the ♪HEY JUDE♪ tapes recorded at Trident Studios. Copies of ♪HEY JUDE♪ and ♪REVOLUTION♪ for Martin
  Producer: George Martin
  Engineer: Ken Scott
  2nd Engineer: John Smith
 ‡1968(昭和43)年8月8日(thu)
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 ①https://beatlesdata.info/16/07_heyjude.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Hey_Jude
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Not_Guilty_(song)
 ③https://beatlesdata.info/16/08_revolution.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_(Beatles_song)
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/10/28(mon) JP、UK
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃1996/10/29(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 23.♪The End♪ 22 February 1967; 23 July, 5,7-8,15&18 August 1969 EMI Studios (remix featuring final chord of ♪A Day in the Life♪) 2:53 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3 https://www.amazon.co.jp/dp/B0000070GX
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  ┛THE BEATLES 1969 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-9:00pm
 ┏━━━━━━━━┓
 ┃ ♪The End♪  ┃overdub onto take 7
 ┗━━━━━━━━┛No.3 アビイ・ロード第2スタジオ。この日、アビイ・ロード・スタジオ前でアルバム・ジャケットの撮影を終えた4人は午後からスタジオに集結。 第7テイクにベース、そしてドラムの追加を行う。 
   ♪Ending♪ working title of ♪The End♪
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 ┃ ♪I Want You (She's So Heavy)♪  ┃overdub onto unnumbered Trident master
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.7 アビイ・ロード第2スタジオ。この日は「アビイ・ロード」のあのアルバム・ジャケット撮影が行われている。なぜかここでは、トライデント・マスターに対してジョンがモーグ・シンセサイザーを、リンゴがドラムをオーバーダブ。
   ♪I Want You♪ (later known as ♪I Want You (She's So Heavy)♪
   Recording synthesizer for ♪I Want You (She's So Heavy)♪
   Producer: George Martin
   Engineer: Geoff Emerick/Phil McDonald
   2nd Engineer: John Kurlander
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  ┛THE BEATLES 1969 Recording Sessions ┛Studio 3
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛5:30-9:45pm
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 ┃ ♪Oh! Darling♪  ┃overdub onto take 26
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  Producer: George Martin
  Engineer: Tony Clark
  2nd Engineer: Alan Parsons
 ‡1969(昭和44)年8月8日(fri)
  Note・・・11:35am. Photo shoot for cover of『ABBEY ROAD』LP takes place outside of Abbey Road Studios in St. John's Wood, London. Paul later chooses the best one out of the 6 pictures taken for the LP.
  Note・・・Before the recording session, Paul takes John home, at Cavendish Avenue, George and Mal go to the London Zoo at Regent's Park, and Ringo goes shopping.
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 https://beatlesdata.info/13/16_theend.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_End_(Beatles_song)
 https://beatlesdata.info/13/06_iwantyou.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/I_Want_You_(She%27s_So_Heavy)
 https://beatlesdata.info/13/04_ohdarling.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Oh!_Darling
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 ┃ 『REVOLVER』 ┃Capitol (S)T 2576 - August 8, 1966
 ┗━━━━━━━━━━━━┛Capitol C1-90452 - July 28, 1988
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┃ THE BEATLES  America Single Release ┃
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 21.1966(昭和41)年02月21日(mon) 1 13 Capitol 5587 ♪Nowhere Man♪/♪What Goes On♪【米;3位/81位】
 22.1966(昭和41)年05月30日(mon) 2 14 Capitol 5651 ♪Paperback Writer♪/♪Rain♪【米;2週1位/2週23位】
‡23.1966(昭和41)年08月08日(mon) 3 15 Capitol 5715 ♪Yellow Submarine♪/♪Eleanor Rigby♪【米;2位/2週11位】
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 http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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1969年8月8日、ビートルズ『アビー・ロード』のジャケット撮影が行われた日
2015年08月08日 執筆者:小野善太郎
タイムマシンがあったなら、洋楽ロック・ファンが一番行きたい年は…?
そりゃ1969年!と即答する人は多いのではなかろうか。
1月30日にロンドンの背広通りに現われたら、いきなりビルの屋上からビートルズ最後の生演奏が降って来る!
6月7日、ロンドンの日比谷公園では、クリーム解散後のエリック・クラプトンが組んだブラインド・フェイスのデビュー・ライヴに遭遇!
7月5日に日比谷公園、じゃなくてハイド・パークを再訪すると、ミック・テイラーを加えた新生ローリング・ストーンズのユル~くもロックな演奏が体感出来るが、前座の新鋭キング・クリムゾンにこそ目と耳が釘付けになるかも!
8月15日~17日の3日間、米ニューヨーク州のヤスガー農場にたどり着けば、ビートルズもストーンズも居ないのにメチャ盛り上がってるウッドストック・フェスティヴァルを堪能出来る!
そして12月6日、米サンフランシスコ郊外のオルタモント自動車競走場、厳冬なのに野外で強行されたストーンズの’八甲田山’コンサートに紛れ込んでしまったら、夏のLove&Peaceな想い出が一遍に消し飛ぶ!
と、ロック過渡期の歴史的イベントが目白押しだが、しかし、誰もがピンポイントで存在したい日時と場所なら、8月8日、金曜日、午前11時35分、ロンドンの、とある横断歩道、でしょ。
秋に発売されるビートルズ『アビイ・ロード』の簡易かつ傑作なジャケット写真が撮影された日付は8と8のゾロ目で憶えやすいが、忘れかけたらジャケットを見れば(日本人なら)簡単に想い出せる。
上半分は漢字の「八」を上下反転した構図で、下半分は「八」そのまんま。
当時は永遠不滅の仲良し4人組と思われていたビートルズも実は内実は切実。
親分Jが神聖なる録音スタジオに7歳以上も年上の東洋の魔女を連れ込んだのが解散の一大要因、とワタクシの伯母Yばかりが悪く言われるがのう、この年初頭の録音風景を記録した映画『レット・イット・ビー』を観るならば、もはや跡目を継いだつもりの舎弟頭Pは、負けじと9か月ばかり年上の姐御Lのみならず、その連れ子も同伴。お子様は無邪気にも舎弟Rの大切な商売道具のドラム・セットで遊んだりする。ま、そこのシーン自体は演出だろうから、Rはイメージ通りのコメディ・リリーフを引き受けて、おどけたリアクションをサービスしてみせるが、その腹の底は?
良く言えばアット・ホームな職場、マトモな感覚で見るなら公私混同の極致、というか極地。
てな状況だったろうが、お隣のRS組では、先代BJに引導を渡して正式就任したM組長が組織再編を断行、来たる1970年代に備えたというのに、栄光の金看板のB組は、もはやこれまで。
でも、だから、最後の挨拶状だけはキチッと残しとこ、と腹を括った舎弟頭が、親分・舎弟・若衆G・長老GMに詫びを入れてまで挑んだのが、この夏のセッション。
ほぼ録音し終えた後でタイトルとジャケットを決めることになったが、もう誰も手間を掛けるつもり一切無し。写真の左手にある録音スタジオを出た先の横断歩道を渡る様子をチョコチョコっと撮って、そこの地名をタイトルにしたのは衆知の通り。
ともあれ、ここでの4人の並びも東映ヤクザ映画的視点で眺めると結構スリリング。
腐っても鯛の丹波J哲郎が悠然と先頭を行く。それを後ろから狙う輩との緩衝になるべく小池R朝雄がさり気なく間に収まる。真夏のアスファルト道路は熱いはずなのに、あえて裸足で浮かれる、余裕の成田P三樹夫。だが、背後に迫る鋭い眼光には気付いていないようだ。このまま塀の中にも入れるぜ、と覚悟の軽装で臨んだ渡瀬G恒彦。写真では見えない左手には何が握られているのか?
なーんて。
http://music-calendar.jp/2015080801

 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
 ┌─――――――――――――┐
 |1966(昭和40)年 8月11日(木)|「謝罪会見の憂鬱」
 |2008(平成20)年 8月11日(月)|甲虫日記更新日 No.030
 └─――――――――――――┘強制的に謝罪させられることほど、不愉快なことはない。ジョン・レノンにとって1966年の「キリスト発言」騒動は、それまで25年間の人生のなかで最悪の事態といえるものだった。
 ◎お知らせ ⇒ 「キリスト発言」は米国でのレコード・セールスに影響は及ぼしたのか。米国キャピトルが独自発売したアルバム『YESTERDAY AND TODAY』はビルボード誌で
 1966(昭和40)年7月30日(土)付から5週連続で1位。最後の全米ツアーの期間中、ずっと首位を保っていた。渡米直前の
‡1966(昭和40)年8月08日(月)に発売された米国盤『リボルバー』は、英国盤より3曲少ない構成だが、追いかける形で
 1966(昭和40)年9月10日(土)付から6週連続で1位になっている。同時発売のシングル♪イエロー・サブマリン♪は最高位2位、B面の♪エリナー・リグビー♪は11位まで上がった。
 1998(平成十)年3月11日(水) EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/080811.html
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 ┃ 『Introducing…THE BEATLES』Ver.1 ┃THE BEATLES
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 1963(昭和38)年07月22日(mon) US released 
‡1963(昭和38)年08月08日(thu) Vee-Jay's financial problems forced it to take care of its most pressing debt first. Because the Beatles and Ifield were low priorities, the label chose not to report royalties on their sales. As a result, Transglobal declared its contract with Vee-Jay null and void on 8 August 1963.[16] The next single, "She Loves You", was licensed by Transglobal to the Swan label of Philadelphia. 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Introducing..._The_Beatles
 http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_vj_intro1.html
 http://www.beatlesebooks.com/introducing-the-beatles
 http://rock-t.info/beatles-discography-ulp-introducingthebeatles.html
 http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/US_LP/introducing_THE_BEATLES.html#
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