【速報】福岡市・天神のサル、網で捕獲 元気な様子で山に出発
2020(令和二)年12月05日(土) 12:30配信 西日本新聞 仲山美葵、御厨尚陽
‡2020(令和二)年12月03日(木)写真◆福岡市役所地下の駐車場で、天井のパイプを伝って逃げ回るサル=3日午後3時4分、同市・天神(撮影・宮下雅太郎)
【動画】警官30人の追尾かわし…逃走サル“籠城” 福岡市・天神
福岡市・天神で3日に姿を現し、市役所地下駐車場に迷い込んだサル1匹が5日正午、市職員によって捕獲された。サルは雄で推定4~5歳。けがはなく元気な様子という。もともといたと思われる同市東区の山奥に放つため、午後0時半頃、車に乗せて市役所を出発した。市農林水産局によると、この日も駐車場を閉鎖し、午前9時から同局や消防、動物園の約40人体制で捕獲に当たった。ブルーシートで徐々にサルのいる範囲を狭め、最終的に動物捕獲用の網で捕獲に成功した。捕獲に当たっては、3日夜から中に餌を入れた捕獲器を設置。餌の一部が食べられていたものの、捕獲には至らなかった。麻酔銃も命中しなかったという。サルは、3日午前8時半頃から東区や天神に向かう福岡都市高速道路上で目撃が相次ぎ、午前10時半頃に天神に来たと見られる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d9f5add2316d05ff866a93588be00803f47d270f
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┃ 数え年と暦 ┃
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1997(平成九)年08月25日(月)
ひふみよいむなやこと。古代から、一(ひ)から十(と)までの数霊の全てを兼ね備えたのが人(ひと)とされてきました。「一から十まで」という表現は、今でも、始めから終わりまでという意味のように全事象を指し示す言葉として通用しています。我が国は、万葉集で山上憶良が詠ったように、「言霊の幸はふ國」であるとともに、このように「数霊の幸はふ國」でもあります。人々は季節の織りなす自然の中で生き、その暮らしや営みを支えるものを大切にしてきました。森羅万象は全て巡り巡って循環し、始めと終わりは表裏のものとして、特に、事物の始まりと終わりを神聖なものと認識して祭禮を執り行いました。そして、年、月、日、年号でも、その始め(初め)は一(元)であり、人の生まれの始め(初め)は一歳というように、人の暮らしと営みは農事と儀式の暦に従い、四季の移り変わりとともに月日を重ねてきました。ところが、権力的干渉によってこの伝統文化が破壊され、人の年齢だけは、その生まれの初めを零歳とすることが法律で決められて今日に至っています。それは、年齢計算ニ関スル法律(明治三十五年)と年齢のとなえ方に関する法律(昭和二十四年)の二つの法律によるものです。しかし、「いのち」は、母の胎内から始まり、出生から始まるものではありません。もし、年齢というものを「生命の年齢」、「生命年数」という意味に理解すれば、法律で強要された、いわゆる満年齢という数え方は、単に「出生後の生存年数」に過ぎず、「生命年数」とは全く異なります。現に、現代医学という名の施術を用いると、分娩を遅らせたり早めたりすることもできるし、意識が回復不能の状態でも生命維持装置を用いて限りなく延命することも、安楽死とか尊厳死という名でいのちの終わりを早めることもできるので、年齢を考えるにあたって、その始めも終わりも人為的に左右される満年齢という「出生後の生存年数」も決して正確なものではなく、殊更にこの年数に固執して年齢を表示する意味も薄らいでいます。その点、伝統的な数え年は、もののはじめが一であるという数霊に適うものであると同時に、この「生命年数」の理念に最も近いものでした。受精から出生までの
十月十日を出生時に一歳と認識して、その後の齢は暦計算に基づいて重ねていくものと捉えれば、生命年数の捉え方の理念としては最も合理性があると認められるからです。確かに、数え年という年齢計算は、科学的に正確な生命年数ではありませんが、太陽暦によっても、一年は三百六十五日ではなく、閏年や閏秒があることから、年齢計算を暦計算で行うことはやはり科学的には不正確と言わざるを得ません。ともあれ、現在の法律では、人は生まれたときは零歳ということになります。何とも奇妙であり、その「零歳」という響きには、いかがわしさすら感じられます。一(ひ)から始まらない生存は「ひと」ではありません。また、胎児はそれ以前ですから、理屈からすればマイナス年齢で表示されることになり、人としては認識されなくなりました。胎児の命は軽んじられ、堕胎に歯止めがないに等しい昨今の風潮が生まれる素地がここにあるのではないでしょうか。ところで、GHQの占領下では数多くの伝統破壊が行われましたが、伝統的な年齢計算が法律によって強引に否定されたのは戦前のことであり、いわば明治維新やその後の明治政府の施策によって、GHQによるものに勝るとも劣らないような伝統破壊や文化干渉がなされていることを忘れてはなりません。数え年の廃止も暦に関連した大事件ですが、これに勝るとも劣らない最大の事件としては、明治五年の太陽暦改暦があります。明治政府は、欧米諸国と暦を共通することによる外交上や貿易などの便益から、従来までの太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦(グレゴリオ暦、新暦)への改暦を決定し、旧暦の
‡明治五年十二月三日を新暦の
明治六年一月一日(元旦)とすることを僅か二十三日前に発表して改暦を行いました。改暦を行うことが仮に時代の趨勢としてこれに抗することができなかったとしても、何故この時期に行ったかということが問われなければなりません。その理由は、一言で言えば、当時の政府が著しい財政難であったことが原因しています。つまり、旧暦によると翌年の明治六年には閏六月があり、十三ヶ月、三百八十四日となっていました。このままでは、官吏(公務員)の俸給(給料)を十三ヶ月分支払うことになります。そこで、旧暦の明治五年十二月三日を新暦の明治六年元旦とすれば、明治五年十二月は、一日と二日の二日間しかないので、この十二月分の給料を支払わずに済みますし、しかも、明治六年は十三ヶ月分の給料を支払うところを十二ヶ月分で済ませられるので、向こう一年で二ヶ月分の給料が節約できるとの計算から、そのように計画して実行したのです。そもそも暦を決定する権限は、古今東西において「王権」に属するものであるにもかかわらず、財政的な理由や諸外国に迎合することを善とした文明開化という名の伝統破壊思想によって、大御稜威を簒奪し、改暦による文化的・社会的な悪影響を全く考慮せずに、暦という重要な國體的素因を無造作に変更してしまったという過ちは、決してぬぐい去ることのできない汚点と言わざるをえません。近現代史の捉え方において、日本はいつでも悪いことをやってきた犯罪国家であるとするコミンテルン史観や東京裁判史観などは論外ですが、戦争に勝っているころ(明治時代)の日本は正しいが、昭和に入って負けてきたころ以降の日本は悪かったとする司馬遼太郎の歴史観にもほとほと呆れ果てます。これは、昭和初期から敗戦までの日本は日本でありながら日本ではないとする断絶史観です。戦前は悪で、戦後は善とする戦後保守思想もこれと同列のものです。歴史は連続しており、金太郎飴のように、どこを切ってみても「日本」なのです。こんな単細胞的な司馬史観などが最近ではもてはやされていますが、司馬遼太郎が大好きな、明るく逞しい明治維新や日清・日露戦争は、同じく大嫌いな、暗くて苦しい昭和史を作った最大の原因であったことを自覚すれば、歴史の評価においては、一時代に限って全肯定したり全否定したりすることが如何に愚かしいものであるかが解ります。光と影の双方を見つめなければ、歴史の立体構造を知ることができません。その意味でも明治維新や明治政府の施策を全肯定することも全否定することもできません。この改暦も、数え年の廃止も、明治維新を遂行した明治政府が、我が国の伝統を破壊して歴史に禍根を残している一例なのです。しかし、この改暦や数え年の廃止がもたらした功罪について、今まで誰も本格的に論じていなかったことが不思議でなりません。ともあれ、我が国の歴史は、修理固成の御神勅のとおり歩んで行くと信ずるがゆえに、この改暦による弊害はいつの日か治癒されると確信します。太陰太陽暦には、確かに難点はありましたが、決して致命的な欠陥はなく、実生活の面において多くの利点と効用があります。現代において、これを単純に復活させ、新暦を廃止せよというものではありませんが、せめて韓国のように、新暦と旧暦の併記併用を公式に認めさせるべきです。そして、さらに旧暦の併記併用型の復活に際しては次のことが考慮されなければなりません。それは、新暦を従来どおり主たる暦として使用継続する場合であっても、元旦を立春とする古式伝統を復活させるべきではないか、ということです。そもそも、ユダヤ暦のような純粋な太陰暦ではなく、太陽の運行をも考慮した太陰太陽暦は、元旦を立春に近い日になるように定められており、理想としては、立春を元旦とすることでした。しかし、新月の日(月立ちの日、朔日)と満月の日(十五日)の限定から、どうしても元旦と立春とのズレを生じますが、我が国の古式伝統では、立春を元旦として新年新春を祝います。そして、今でも、地方では、立春を元旦とし、その前日の節分を大晦日とする風習が残っており、それは、正月(睦月)を春の初めとする日本書紀の記述に由来していると思われます。「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮。是歳為天皇元年。」。これは、神武天皇が橿原の宮で践祚された神武肇國に関する日本書紀の記述部分です。中国暦(陰暦)の影響を強く受けた記述ではありますが、「春正月」(はるむつき)という表記は、立春を元旦(朔)としている意味と解釈できるからです。立春は、太陽の運行に基づき地球の北半球で観測した春の始まりであり、これが我が国の季節の始まり、年の始まり、暮らしと営みの始まりとして、二十四節気の内で最も重要なものです。この立春を暦の元基となる節日(基日、元日、元旦)するものが真の太陽暦なのです。戦前においてもこの神武肇國の記述から紀元節を何時と定めるかについて諸説があり、戦前から二月十一日となっていますが、立春とするのが自然な解釈のはずです。太陽の運行や節気とは無関係で何ら意味のない日に即位されたとする解釈の方が不自然でしょう。ともあれ、「春正月朔」が立春であることから、正月の挨拶には、新年を「初春」、「迎春」、「新春」などの言葉で表現し、これが季語にもなっています。しかし、今の新暦では立春が
二月四日(ころ)ですから、元旦は真冬であり、「春」ではないのです。一年は、春夏秋冬ではなく、冬春夏秋冬であり、冬が始めと終わりに跨った変則的なものとなっています。そして、冬なのに「初春」という季節はずれの挨拶や白々しい季語がまかり通るため、「言霊」と「数霊」が阻害され、この季節と暦の「ずれ」により人々は健全な季節感を失ってしまっているのです。一年の始まりが正月(睦月)であり、それが春夏秋冬の季節の始まりの春であることからすれば、立春より約三十四日前の何ら意味のない日を元旦としている新暦よりも、農事暦でもある旧暦の方が季節感と合致しています。八十八夜とか、二百十日、二百二十日などという生活に密着したものも、立春から日数を数えますので、例え現在の太陽暦をそのまま継続採用するとしても、元旦を約三十四日ずらして立春を元旦とする暦へと変更すれば、これらの矛盾やズレはなくなり、季節の始まりは春であり、一年の始まりは春正月として、人々の暮らしと営みに伝統の智恵が蘇ることになるはずです。これは日本暦(真正太陽暦)の創設です。これは、戦前の国際連盟において、伊勢の皇太神宮を基点として、その真上の天空を通る子午線を基準とした真正太陽暦を採用したうえで立春を元旦とすることが検討されていたのですが、残念なことに、日本が昭和八年三月に国際連盟を脱退したことによってその採用が見送りとなったという経緯がありました。そして、この真正太陽暦の採用と同時に、皇紀紀元の復活がなされなければなりません。皇紀紀元は日本暦(真正太陽暦)の創設と一体とならなければ歴史的意義が損なわれるからです。ところで、現在広く用いられている西暦紀元は、ラテン語でアンノ・ド・ミニ(AD)、つまり、イエス・キリストが支配君臨している年数という意味のキリスト教紀元(基紀)であり、キリスト教国でない日本がこの宗教暦を無批判に受け入れ、国民にその使用を実質的に強制していることは、イスラム暦、ユダヤ暦、チベット暦など固有の紀元を採用している世界の国々などから顰蹙をかっています。キリスト教暦を受け入れていることは、キリスト教を国教として受容したものとみなされるからです。いわば、国民の全てがクリスチャンであると思われているのです。また、アジアでも新暦のみで元旦を祝う国は日本だけで、多くの国では旧暦の元旦の方を盛大に祝っていますが、正常な季節感からすれば、旧暦元旦、もっと正確には立春を新春として祝う方が自然です。このように、我が国の現状は、暦に関する文化的価値と宗教的意義について余りにも無頓着、無神経であり、二十一世紀だとか、ミレニアムなどと無邪気にはしゃいでいる姿は、誠に嘆かわしい限りです。しかし、宗教暦の強制は憲法的にも許されませんので、一日も早くキリスト教暦(西暦)による基紀紀元を廃して皇紀紀元に改めるべきことは言うまでもありません。ところで、この日本暦(真正太陽暦)は、さらに改良の余地はありますが、現在通用しているグレゴリオ暦(新暦)とは大きく矛盾しません。いわゆるサマータイムと同じ要領です。暦日が約三十四日ずれるに過ぎません。現在の元旦が我が国にとって全く意味のない日であるがゆえに、これを意味のある立春にしようとするものです。そして、これは、単なる古式伝統の復活ではなく、生活に密着した実利性の復活でもあり、実際にも実現可能なことです。このように、人と社会と国家の「いのち」を守るためも、
一 数え年の復活
二 太陰太陽暦の併記併用
三 立春を元旦とする真正太陽暦(日本暦)の採用
四 西紀(基紀)の廃止と皇紀の復活 の四つについて、その公式化を実現させることが必要であり、これを暦に関する文化復興運動として提唱したいと考えます。
1997(平成九)年08月24日(日)記す 南出喜久治
http://kokutaigoji.com/reports/rp_h90824.html
「やっぱりステーキ」広島初進出 コロナ禍で急拡大のヒミツ
2020(令和二)年12月04日(金) 19:53 掲載
あの人気ステーキ店が4日、広島市中心部にオープンしました。一番のウリは”やっぱりここで!”と言いたくなるような値段とボリューム…。コロナ禍に新規出店を加速させる独自の戦略に迫りました。(*ジュワー…)アツアツの溶岩石の上にドッシリと乗せられた分厚い塊肉…!いま全国各地で”人気の渦”を巻き起こしている、「やっぱりステーキ」です。
「沖縄にきたらやっぱりステーキ」。2015年に沖縄で、わずか6席の小さな店からスタートすると人気に火が付き瞬く間に店舗数が拡大。今年に入ってからは、東京進出や四国初上陸を果たすなどまさに今、ノリにノッているステーキ店なんです。そして今回、57店舗目にしてようやく広島に初進出しました。
【YAPPARI GROUP・義元大蔵代表】「明日の本番に向けてしっかりとチェックしていきましょう、お願いします」
‡2020(令和二)年12月03日(木) オープン前日の3日、取材班が訪ねるとオペレーションの最終確認を代表自ら行う姿が…。
【YAPPARI GROUP・義元大蔵代表】「ソースの説明入れてあげて。これだけあるから、これがソース皿ですよ、お好きなだけお召し上がりください、サラダバー中央にあるじゃなくて、中央のほうで食べ放題になっているのでお好きなだけ召し上がってください、セルフって言ったらダメよ、セルフって冷たいから」
【スタッフ】「はい」一度、自らが手本を示し、一人ひとりのスタッフにアドバイス…。ここまで入念に教え込むのも人気の秘密がソコにあるからなんです…。
【加藤アナ】「ステーキ150ぎグラムで税込1000円。安いですね~」看板メニューの「やっぱりステーキ」を始め、赤身、イチボ、ヒレステーキなどがどれも1000円! しかもセットのご飯やスープ、サラダはおかわり自由なんです。
【加藤アナ】「では沖縄では非常にポピュラーだというA1ソースでいただきます。んん…!柔らかい! 一瞬辛いような酸っぱいようなそれでいてフルーティーな香りがします。これが沖縄の味なんですね」そしてさらに目を引くのが…。
【加藤アナ】「替え肉というのもありますね」ラーメン店の”替え玉”同様、もう少し食べたい”欲求”に応える「替え肉」もメニューに…。一体、安さと美味しさの秘密はどこにあるのか。代表に直撃すると…。
【YAPPARI GROUP・義元大蔵代表】「肉質ですよね、肉質のいいものを入れるためにどんどん店舗拡大して大量に仕入れることによってコストをどんどん安くしていくということを心がけている」厳しい時代と言われる外食業界の中で右肩上がりに売上げを伸ばす「やっぱりステーキ」。コロナ禍にあっても拡大し続けているワケは…。
【YAPPARI GROUP・義元大蔵代表】「コロナの間にどんどん閉店も出てきて、物件もかなり出てきているというのが急拡大の秘密ですよね。いままで出せなかったエリアの場所がどんどん空いてきている」広島の店舗では「やっぱりステーキ」初の2フロアを展開し、感染対策などから全国でもほぼ初めてとなるタッチパネル方式の注文システムも導入しました。
【加藤アナ】「午前10時半過ぎです。お店の前には開店を待ちわびるお客さんの姿が見られます。その期待値の高さが伺えますね」
【広島市民】「やっと来るんかと。これは初日に行かないといけないと」
【加藤アナ】「やっぱりステーキ広島本通り店オープンしました」開店と同時に店内は満席に…。自慢の”ステーキ”が次々と客の心とお腹を満たしていきます。
【お客さん】「値段がリーズナブルでお肉柔らかくて美味しい」こちらの70代の女性は…。
【70代女性】「(好物は)肉・肉・肉なんですよ。最高で~す!」150グラムでは物足りず、さらに100グラムの替え肉も追加…。
【YAPPARI GROUP・義元大蔵代表】「結構ペロッといけたんじゃないですか」
【70代女性】「いけたから追加です!」老若男女問わず全国各地で愛されているステーキ店の到来。広島でも、すでにブームが巻き起こっています。
https://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000008002.html
◎アットマーシーオブ |「いきなり」を運営する株式会社ペッパーフードサービスは東京、「やっぱり」を運営する株式会社ディーズプランニングは沖縄。「いきなり」が撤退した後に「やっぱり」が入るなんてこともある。ステーキをお手頃価格でガッツリ食わせてくれれば、どっちでもいいのだけれど。
◎いきなりはサーロイン?やっぱりは赤身?になるのかな?!両方行ったけどどちらもそれぞれその時々の好みで食べわけたらいい …ただ飽きられるのも早いと思う 私はたま~に近くにいる時に食べに行くけど…わざわざ家から行きたくなっていく…はないかな たぶんいきなりステーキの後を追うんじゃないかな?!
◎今年前半、連日の様に報道されていた、いきなりステーキの記事。それが今は全くと言って見なくなった。こうまで真逆だと、敢えて不評や不振を謳り、記事が宣伝を兼ねた話題換気だったのかと思ってしまう程に。そしてこの記事久しぶり、やっぱりの話題。そしてついさっき見たが、いきなりステーキ新メニューのチキングリルの話題。下世話に稼ぎたいだけのライターの流行り動向なのか?時事記事として書き立てるように仕組まれただけのヤラセ話題なのか?
◎やっぱりステーキは、普通に美味しいですよ 個人的には、いきなり!よりも美味しいと思います。
◎ここよりも価格も質もイイお店が近くにあるので空いてるときにお試しで行く心持ちで十分です。
◎間違いなく言える事!今だけだよ。古くはステーキけんに始まり、いきなりステーキも、東京チカラめしや塚田農場、鳥貴族、串カツ田中、コメダ珈琲に至るまで飲食業界にはブームがあって最初は異常なほど売れて話題になる、それと同時進行で急拡大をして必ず下火になる。いきなりステーキでもダメなのにやっぱりステーキだけが生き残るわけないよ。まぁ乱発出店しなければ多少はいいかもしれないが、広島に1店舗とかだと仕入れなどのスケールメリット活かせないから、それはそれできついしね。まぁ飲食業界はこうやって永遠に栄枯盛衰を繰り返すって事だね。
◎米田共太 KUSOBUTO | 子供の頃、松坂の和田金を取りよせていた店によく連れていったもらったので、ステーキの判定閾値が高くなってしまい、逆に巷のステーキ屋に行く気がしなかったのですが、潰れる前にいきなりステーキを食べておかなくてはならないと行きました。良くもなく悪くもなく、一応牛肉の味は確認できましたし、金額的にも高くもなく安くもなく、文句を言うでなし絶賛するでなしでした。あまりにも旨いものを食べてしまうとよくありません。余談ですが、ゴルフ場の昼食のステーキはほぼ利益なしというところが多くコスパにすぐれています。うどんセットやカレーで儲けた分を還元しているようです。
◎dd兄弟 | いきなりステーキに行った事ないのにやっぱりステーキに是非行ってみたい。大阪には三件目オープンしたんだけど京都にはまだオープンしてないのが悔しいです。社長御願いします。
◎沖縄といえばたしかにA-1ソースだが、これがまた不味いのなんのって・・沖縄で一番うまいステーキチェーン店はやっぱりサムズでしょう。昔 ISSAがバイトしてたとこで、今でもISSAのお墨付き。
◎Kareherniiia | 看板のやっぱりステーキは、スジ切りを丁寧にやってるのが売りとかで、確かに柔らかかったけど、安い部位故か、味がないんだよね。ソース類がすごく充実してるのは、その裏返しなのかな。溶岩石プレートの蓄熱力は、すごかったけどね。そのうちおりを見て、好物のヒレ肉を食いに行ってみようと思ってる。それで、決めよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/47a3ee37b08d4700acdd1685bc2fd61e09206d07
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┃今日は何の日?┃
┗━━━━━━━┛名称、肩書き、年齢などは当時のものですヨ(=^◇^=)
1994(平成六)年12月03日(土) SCEが初代「プレイステーション」を発売 ⇒ ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が家庭用ゲーム機、初代「プレイステーション」(写真)を発売した。全世界での累計生産出荷台数は1億台を突破。同社によると、据え置き型の家庭用ゲーム機では初めてという【時事通信社】※2020(令和二)年記事追加
1989(平成元)年12月03日(日) マルタ会談で、米ソ首脳が東西冷戦の終結を宣言 ⇒ ジョージ・H・W・ブッシュ米大統領とソ連のゴルバチョフ共産党書記長が地中海のマルタで会談。東欧諸国の民主化の流れを容認することなどで意見が一致し、冷戦の終結を宣言した。写真は、ソ連の客船「マキシム・ゴーリキー」で共同記者会見に臨むブッシュ大統領(左)とゴルバチョフ書記長【AFP時事】※2024(令和六)年説明削除
1985(昭和60)年12月03日(火) NTTがフリーダイヤルのサービスを開始 ※2020(令和二)年記事削除 2024(令和六)年記事復活
1967(昭和42)年12月03日(日) 南アフリカで世界初の心臓移植が行われる ※2024(令和六)年記事削除
https://www.jiji.com/jc/daily
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┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2007(平成19)年12月3日(月) 星野ジャパンが北京五輪出場権を獲得
‡2017(平成29)年12月3日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月3日だ。
写真◆台湾の空を舞う星野仙一監督
歓喜の胴上げが始まった。日本代表・星野仙一監督が香港の夜空に舞う。
‡2007(平成19)年12月3日(月)、星野ジャパンはフィリピン、韓国に続いて台湾を撃破し、3連勝で翌2008年の北京五輪出場を決めた。アテネに続き、オールプロで挑んだ大会の最大の敵は「世間の空気」だった。
前年06年のWBCで世界一の称号を手にし、一気に日本野球のブランドイメージは上がった。周囲はアジア予選に向かう選手たちを「アジアでは勝って当たり前」の目で見た。さらに当時、北京を最後に野球競技の五輪開催が“中断”する方向で動いており、「野球復活のためにも金メダル」をという余計な重圧もあっただろう。
「負けたら日本に帰れない」
台湾に立つ前、複数の選手が悲壮な言葉を口にした。まず
2007(平成19)年12月1日(土)のフィリピン戦にコールド勝ちし、
2007(平成19)年12月2日(日)の韓国戦は4時間を超える死闘を制した。この日の台湾戦に勝利すれば北京への切符を手にすることができる……。
1回表、二死三塁で打席には四番の新井貴浩(広島をFAし、帰国後阪神入団)。5球目が右ヒジに当たり、一塁に歩きかけたが、判定はファウル。星野監督も抗議はしたが、判定は覆らず、そのまま新井に「よし、いけ! お前が打ってかえせ!」と声をかけた。新井はその後、ヒジ当てを外し、放り投げる。言い方は悪いが、目が完全に“行っていた”。そしてレフト前に先制のタイムリー。
先発のダルビッシュ有(当時日本ハム)は立ち上がり、やや乱れるも、しり上がりに調子を上げているように見えたが、6回二死から陳に2ランを浴び、逆転を許した。1対2のまま敗戦なら3カ国が2勝1敗で並び、失点率で日本が1位という計算もあったが、アジアレベルでの“負け決まり”は誰も望んでいなかった。
直後の7回、すぐさま反撃。無死満塁から大村三郎(ロッテ。サブロー)がスクイズを決め、まず同点。そこから打線が面白いようにつながり、一挙6点。その裏をダルビッシュが締めた後は藤川球児(阪神)、上原浩治(当時巨人)がつなぎ、3戦全勝で北京オリンピック出場を決めた。大会MVPは阿部慎之助(巨人)だった。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171203-11
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.034 ┃ 30円
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‡1958(昭和33)年12月03日(水)号 特集 巨人の次期キャプテンは誰か? 川上・行方不明の波紋
2017(平成29)年11月30日(木) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎新連載小説『黒いペナント』がスタート
写真◆表紙は巨人・広岡達朗
今回は『1958年12月3日号』。創刊第34号で定価30円。中カラー見開きは『ホームラン三銃士』と題し、巨人・長嶋茂雄、中日・森徹、西鉄・中西太が並ぶ。
巻頭グラビアは、やはりカージナルスとの日米野球。ほかセンター、後ろグラビア、本文でも日米野球ネタは少なくないが、巻頭が大スター選手のスタン・ミュージアルが第10戦で、ようやく初本塁打とあるように、すでに相当数の試合をこなし、かつ思ったほどにカージナルス打線が爆発しなかったこともあって、全体にやや熱が冷めかけている印象もある。
本文巻頭は『巨人次期キャプテンは誰か~禅寺で修行する川上とその周辺』。実は、表紙文字では『川上・行方不明』とあって驚いたが、別にウソではなく、実際、10月末から川上の行方が分からなくなっており、自宅に連絡しても教えてもらえない状態が続いていたという。川上は日本シリーズの引退の意思を表明。ただ、今後を相談したいという品川主計球団社長の呼び出しにはいっさい応じていなかった。
11月8日になって、ある新聞で「もだえる川上、禅の荒行」の見出しで、川上が岐阜の禅寺「正眼寺」で修行していることが明らかになった。
週べでもフットワーク軽く、翌日すぐに記者を現地に飛ばしたようだが、寺は川上との面会を許可しなかった。その後、各社の記者が続々と集まり、大混乱になったため、11日になって住職が「川上君に会わさぬというのはなにも意地悪からではない。静かに参禅したいという川上君をそっとしておいてほしい」と声明を出した。
それでスゴスゴ帰っていたら記者は務まらんとばかり、あくまで面会を求めると、ついに川上の会見が実現。川上は報道陣との面会を避けた理由について「1回、自分の体というより心を入浴させてみたい。そうして本当に裸になって、いままでのことをいろいろと考えてみたいと思った。みなさん記者としてご勝手なことだと思うんですけれど、ここで私、裸になって入浴しているところを見て、見てというよりも、そこに来て、そこで風呂まで入り込んでこられるということに対して、私は非常に悲しい思いがするんです」と語り、今の心境を聞かれると「赤子と同じです。誰でも赤子のときはこうでしょう」と言った。
ほか、この号に関しては、新連載小説のスタートが最大のトピック。『黒いペナント』のタイトルで、有馬頼義著だ。
モヤの深い晩の銀座の雑踏からスタートする話で、フィクションではあるが、野球界の闇に斬り込んでいくような内容になりそうだ。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.244 ┃ 40円
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‡1962(昭和37)年12月3日(月)号 トレード旋風を生き残れ!
2018(平成30)年6月29日(金) 11:23 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎広島カープはなぜもめる
写真◆表紙は阪神・吉田義男
今回は『1962年12月3日号』。定価は40円だ。
ストーブリーグ真っただ中。移籍のターゲットになっている何人かをクローズアップした特集が組まれている。
まずは、巨人の捕手・藤尾茂。こちらは阪神から正式にオファーがあった。ケガに加え、川上哲治監督の信頼を失いかけていたようで、62年の出場は35試合。ただ、判断は藤尾本人に任されたらしい。
水原茂監督との確執があった東映のベテラン、山本八郎は近鉄へ。まだ球団から正式な話はないようだが、「売られるときは売られる。残らなきゃいかんときは残らなきゃいかん。そんなこといちいち気にしていたら何もできんでしょ」とすでに腹はくくっていた。
世間を騒がせていたのは、西鉄の豊田泰光だ。これについて西鉄の西亦次郎社長の手記が載っていた。まず、巷間で噂される中西太兼任監督と豊田の確執を完全否定し、国鉄から獲得の打診が来たことは認めながら「私は豊田を絶対に出さない」と強調している。
阪神・青田昇コーチは11月5日に親しい記者に退団の決意をもらしたというが、これはさほど本気ではなかったようだ。
広島カープが珍しくもめている。
まず11月19日に門前真佐人監督を更迭し、OBでもある小鶴誠の招へいに動いたが、これに対し、小鶴への契約金が1000万円とのウワサを聞いた選手会が「新監督を外部から迎えるカネがあるなら、まず選手の待遇改善を」と声明。以後、バタバタが長期化した。
これはある意味、親会社が一本化されていない市民球団ゆえでもあった。広島の役員会は、広島の財界10社の代表で構成されており、もともと意見がまとまりづらい面があった。
こうなるともう、フロント入りしていた白石勝巳元監督の復帰しかないか、という話になっていたようだ。
西鉄・西社長が提案した2シーズン制(修正しました)は“流産”となった。日程消化が難しいのでは、という声からだった。
ただ、何とか増収を図りたい気持ちは12球団同じ。63年からは試合数を増やすという方向になってきた。ちなみに62年は130試合で引き分けは再試合だった。
これは後日決まった話であるが、63年はセが140試合、パが150試合で引き分け再試合はなしとなった。
では、またあした。<次回に続く>
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