過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

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 池上彰 今明かす「NHKを辞めた理由」〈週刊朝日〉
‡2015(平成27)年 3月 5日(木)7時9分『dot.』配信 
 2015(平成27)年 3月13日(金)号『週刊朝日』より抜粋
 キャスターとしての全盛期に病に襲われ、現在回復の途上にある大塚範一(おおつか・のりかず)さん(66)。その大塚さんとともにNHK時代を過ごし、同じくテレビというフィールドで活躍を続けるのが池上彰(いけがみ・あきら)さん(64)だ。「池上」「大塚」と互いを呼び合う間柄の二人が、縦横無尽に語り合った。
 *  *  *
 池上:世間の人は勘違いしているんだけど、「めざましテレビ」って、今すごく視聴率がいいんだけど、大塚がそれを担当したときはもう悲惨なものだった。
 大塚:最初はひどかったよ。2.2%くらい。4~5%になるのに1~2年かかった。
 池上:大塚がものすごく努力して、まさにフジテレビの看板番組にしたんだよね。
 大塚:そりゃあ、あれだけ長くやっていればなるよ。
 池上:衝撃的だったことがあってさ、「週刊こどもニュース」(注1)で、出演者の子どもたちに報道のスタジオなんかを案内したわけ。で、ニュースはここでやっているんだよって言ったら、女の子が「めざましテレビもここでやっているんだ」って。
 大塚:はっはっは。まあ本当、子どもから人気あったからね。もう何年になる、NHK出てから?
 池上:ちょうど3月で10年。
 大塚:俺はもう21年か。94年に出たから。
 池上:俺がこどもニュース始めたのがちょうど94年。突然、報道局長に呼ばれて「こどもニュース」って言われて。
 大塚:自分で選んだんじゃないんだ。
 池上:業務命令に決まってるじゃないですか。「週刊こどもニュースのキャスターをやってくれないか」と。文字だけにすると依頼疑問形なんだけどさ(笑)。
 大塚:こどもニュース、たいしたもんだなあって思ってたよ。
 池上:あなたがオリンピックをやれないのが一つの挫折だったっていうとさ、俺のNHKに入ってからの夢の挫折は解説委員になれないことだったんだよね。
 大塚:それもまた珍しいね。
 池上:NHKの記者の場合、生涯一ジャーナリストで現場で取材ができるって、解説委員しかないわけだよね。で、こどもニュースをやっていたら解説委員長に呼ばれて、「お前、解説委員希望ってずっと出し続けているけどダメだ」と。
 大塚:ダメだったの?
 池上:あなたがアナウンス室で言われたのと同じ衝撃でさ、解説委員というのはある専門分野をもっていなきゃいけない。お前には専門分野がないだろうって言われてさ。
 大塚:ひっでえこと言うなあ!(笑)
 池上:で、2005年の3月31日、キリのいいところで辞めた。仕事のあては、本を書く話が2冊。とりあえずこれで1~2年は食っていけるかなと。
 大塚:それがいまや。
 池上:民放から話がくるなんて考えてもみなかった。
※注1 1994年から2010年まで放送された、ニュースや出来事を子どもに解説する番組。池上さんが初代「お父さん」役。

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 ┃ 『特命リサーチ200X-Ⅱ』 ┃日本テレビ系列
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 19:58~20:54
  FAR EAST RESEARCH Co. Internet Selection/Established 1997
 ┌─―――――─―――――――――――――――――――――┐
 |F.E.R.C Research Database 2003(平成15)年 6月29日(日)報告|
 └─――――――――――─――――――――――――――――┘
  Research Request No.1176「連続幼児怪死事件発生!呪われた小児病棟を調査せよ!」
その恐ろしい事件は、1991年にイギリス・グランサム病院で起きた。この年の2月、小児科病棟で看護師として働き始めた女性、ビバリー・アリット。幼い頃から看護師になるのを夢見ていた彼女は熱心に仕事に励み、医師だけでなく患者やその家族などからも厚い信頼を受けていた。
ところが、ビバリーが勤め始めて3日後の2月23日の夜。彼女は小児病棟の見回り中、肺炎で入院中していた生後7ヶ月のリーアムがベッドで瀕死の状態でいるのを発見する。その後の救命措置もむなしく、リーアムは亡くなってしまった。ショックを受けるビバリー。しかも不可解な事に、リーアムの直接の死因は心筋梗塞とされたのだが、後の病理検査でも詳しい原因が特定できなかった。
リーアムの死から2週間が経ち、平静を取り戻したかに見えた小児病棟だったが、何とこの後も悲劇は繰り返される事となったのだ。
●3月5日の夜、またもビバリーが見回り中に、脳性小児麻痺で入院していた11歳のティムが、ベッドで死亡しているのを発見。その後のおよそ1ヶ月間に、続けて4人の子供達が謎の発作に襲われ、ビバリーの早期発見により何とか命を救えたものの、いずれの子供にも大きな後遺症が残ってしまう。 
そんな慌しい日々が続く中、検査のために入院していた生後3ヶ月の双子姉妹・ベッキーとケイティが4月3日に退院。久々の明るいニュースに、医師・看護師らも喜んだ。ところが、その日の深夜、母親が我が子の泣き声に目を覚ますと、ケイティが背中を丸めて泣き叫んでいて、何とベッキーは既に死亡していたのだ。そして、経過が順調だった患者の容態変化はその後も相次ぎ、わずか2ヶ月足らずの間に、この小児病棟に入院した4人が死亡、9人の子供に大きな後遺症が残る事態が報告された。
だが、その死亡した子供の中の一人、1歳2ヶ月のクレア・ペックの突然死を疑問に思ったある医師が、クレアの検死解剖を行なった。その結果、驚くべき事実が判明した。何と、クレアの体から強力な麻酔薬「リドカイン」が検出されたのだ。この「リドカイン」は、乳幼児に使用すると心臓麻痺を引き起こす劇薬となる場合もあるため、喘息で入院していたクレアに、間違っても医師や看護師が投与するはずがない。つまりクレアから「リドカイン」が検出されたことにより、この2ヶ月に起きた幼児の突然死が人為的に行なわれたもの、すなわち殺人事件である可能性が出てきたのだ。 
事態を重く見たグランサム病院は、地元の警察に捜査を依頼。保管されていた医療記録の確認や、関係者の聞き取り調査などが徹底して行われた。そして、捜査開始から3週間後、ついに事件の容疑者が逮捕される。その容疑者とは…何と、医師や家族らが厚い信頼を寄せていた新人看護師・ビバリー・アリットだった。
警察は病院の勤務記録から、子供達が容態変化を起こした日に出勤していたスタッフをリストアップ。その結果、何と、その全てに出勤していたのはビバリーただ1人である事が判明したのだ。ところが、ビバリーの逮捕で一気に解決するはずだったこの事件は、ある一つの謎によって捜査が暗礁に乗り上げる。実は、彼女には一連の犯行を行なう「動機」や「個人的な恨み」などが一切見当たらなかったのだ。 
果たしてビバリーは本当に犯人なのか?その真偽を探るべく調査を進めたところ、ビバリーの「殺人の動機」を裏付ける上で参考になる、ある興味深い事件の調査報告があったのだ。 
1994年、アメリカ・ホワイトハウスにある母娘が招かれた。その母娘とは、フロリダ州に住むキャシー・ブッシュと、彼女の愛娘・ジェニファー。難病を抱える娘に対し、献身的に愛情を注ぐ母・キャシーの姿は当時何度もメディアに登場し、当時の大統領夫人が母娘を招待したのだった。キャシー・ブッシュは、全米の尊敬を集める母親であった。
ところが、この親子が当時度々足を運んでいた病院の医師らは、ジェニファーの症例の多様さと通院回数の多さから「キャシーがわざとジェニファーを病気にしているのでは?」という疑念を抱き始めていた。そして1996年1月、その病院の医師が、地元の警察に捜査を依頼。警察は、半信半疑ながらフロリダ各地の病院に連絡を取り、ジェニファーの過去の通院歴を調べた。その結果、何と2年間で合計130件の通院、そして40回に渡る手術をジェニファーが受け、それにより内臓の一部まで取り除かれていた事が判明。これらの病気が「キャシーによって捏造された」と断定した警察は、キャシーを幼児虐待容疑で逮捕したのだ。
このような「母親が我が子を病気にし、その病気の子を看病する」という不可解な虐待行為について、米・カリフォルニア州の精神科医、ハーバート・シュライアー博士は「“代理によるミュンヒハウゼン症候群”が原因となっている可能性がある」と指摘する。
そもそも「ミュンヒハウゼン症候群」とは、自分に周囲の関心を引き寄せるために自らの体を傷付けたり、病気を装ったりする症例の事で、ケガや病気という口実を利用して周囲の人間関係を操作することを目的にする。ところが、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」は、同じく自分に周囲の関心を引き寄せるためにケガや病気を捏造する症例だが、その傷付ける対象が自分自身ではなく「身近にいる代理の人間」であるケースを指すという。この症例は子供を持つ母親に多く見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子供。またアメリカでは、年間600件近くの「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の症例があるといわれ、その数は近年増加傾向にあるという。また、シュライアー博士によれば、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の患者の約25%が、以前に「ミュンヒハウゼン症候群」を患っていた事が知られていると指摘する。
では、イギリスの連続幼児怪死事件の容疑者であるビバリー・アリットも、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」を患っていたのか?そこで、彼女の過去7年間の通院歴を調べた結果、
■大学時代に怪我をしたと言っては何度も病院に行き、2年生の時は学校を52日間も欠席していた
■看護学校時代にも病院をはしごし、友人に手首の傷を見せていたなどの事実が判明。
これらの事から、ビバリーが学生時代に「ミュンヒハウゼン症候群」を患っており、それがある時期から「代理によるミュンヒハウゼン症候群」に症状が変化した可能性がある、とシュライアー博士は言うのだ。
つまり、イギリスで起きた連続幼児怪死事件の真相は、
?ビバリーが密かに倉庫から薬品を持ち出す
?病室で子供と2人きりになった時、その薬品を子供達に投与
?その後、容態変化した子供をビバリーが看護師として救う
 という「ビバリーの自作自演劇」であった事が判明したのだ。さらに、双子の姉妹・ベッキーとケイティが退院後、突然容態変化したのは、何と、ビバリーが2人の退院前に母親に渡したミルクの中に、インシュリンを混入させていた事が原因だった可能性まで明らかになった。
この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」について、シュライアー博士は「誰にでも起こる可能性がある」と指摘。事実、日本でも2001年度に行なわれた調査で、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」と診断されたケースが3件報告されている。だが、現在のところ、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」になる原因について詳しい事は判っていない。そのため、あなたの家族や周囲の人が、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」になるのを防ぐには、あなた自身が、このような虐待の存在を知っておくことが、まずは重要だと言える。 
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 http://web.archive.org/web/20090418031447/http://www.ntv.co.jp/FERC
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%91%BD%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81200X
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL_-f9xY02hovQpgxp6z2uuOvB_HbOTJKv
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制作者と視聴者の架け橋テレビコ
ライバルは紅白歌合戦です。#36 探偵!ナイトスクープ チーフプロデューサー 松本修氏
"生の笑い声は番組のバロメーター
探偵!ナイトスクープ
探偵!ナイトスクープとは……朝日放送、金曜23:17~24:12放送。系列各局でも放送中(テレビ朝日を除く)。首都圏では2週遅れで神奈川テレビ(略称tvk)、東京メトロポリタンテレビ(略称MXテレビ)で放送中。「この番組は、視聴者から寄せられた依頼にもとづいて、探偵局長が優秀なる探偵たちを野にはなち、世のため、人のため、公序良俗と安寧秩序を守るべく、この世のあらゆる事どもを徹底的に追求する娯楽番組である」という番組オープニングテロップがすべてを表している。88年3月に、上岡龍太郎を初代局長にスタートし、深夜帯の放送ながら、30%超の最高視聴率を叩きだし、関西地区での20年間の平均視聴率が20.1 %というオソロシイ番組。2009年1月9日現在で放送回数は1021回。丸21年を迎える今年3月には、初のゴールデン特番も決定! 世のさまざまなバラエティで使われる手法やネタの“オリジナル”がこの番組で会うケースも少なくない。
アホである。アホでありながらホロリとさせられる。いや、そんなことなくまるっきりアホのときもある。調査・報告を続けて21年、20%越えの実績を誇る探偵局……。番組の成り立ちや、これまでの展開については、番組伝『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』にくわしい。このインタューの言葉は、本の内容と重複することも多分にある。だがまぎれもなく、番組の生みの親であるチーフプロデューサー、松本修氏の“今”感じている生の言葉である。"
 ■第1話 ⇒ 新しいコンセプトと、連動したMCの魅力。一瞬で見えて、間もなく22年目に突入 
もちろんそもそもは「番組を作れ」という命があったのだ。が、いくつかの要素が並行して存在していたのだ。当時、撮影機材の小型軽量化が進んでいて、それを生かしてロケとスタジオをうまく融合させたバラエティはできないかと考えていたこと。『わいわいサタデー』のワンコーナー『あの人は今!?』の、“調査・報告” という体裁。上岡龍太郎という“司会者”の知られざる才能に気づいたこと。『ラブアタック!』の闊達な番組作りの雰囲気、……。 
それが、ひとつの言葉で、瞬時に番組のビジョンとなった。 
?番組が生まれたきっかけを教えてください。 
 「何か調べて帰ってきて報告するっていうと……、探偵ですよね」と、石原康男くん(『探偵!ナイトスクープ』初代ディレクター)が言い出して、そのときに一挙に、番組の姿が見えたんです。ふたりで毎日、朝日放送前のホテルプラザでお茶を飲みながら、どういう番組を作ろうかと考えていました。その日は、上岡龍太郎さんを中心にすえて、何か面白い番組が作れないものかと考えた。 
そのとき思い出したのが、上岡さんの批評の才能。それ以前に私が担当していた『わいわいサタデー』に『あの人は今!?』というコーナーがあって、もうテレビから姿を消してしまったかつての有名人の消息をVTRで調査してくるんです。そのビデオを見たあとの司会の上岡龍太郎さんの批評コメントが絶妙でした。上岡さんのこの才能を生かして画期的な番組作りができないか?……っていう話をしてるときに、石原くんから「探偵」というキーワードが出てきて。 
?一瞬で!? 
「探偵」というキーワードを得て、一瞬で番組の構造がすべて見えたんです。目にありありと浮かんだのは、ロンドンのベーカー街のシャーロック・ホームズとワトソンのオフィスです。そこで、視聴者一人一人の依頼に応えるべく努力をして調べて「この結果はどうでしょう!よくやったでしょ?」と、局長の上岡さんに向かってビデオで発表する。そのスタジオのイメージが一瞬のうちに全部見えたわけです。「あ、できた!もう完璧!これはぜったい面白い番組になる!」と。その場で想定依頼文までいっぱいできた(笑)。それで各プロダクションのいろんなディレクターに声をかけたらみんな乗ってきた。「この番組って、あらゆることが映像にできるんじゃないですか!?」って(笑)。 
それまで上岡さんの司会進行がすごくうまいということは、世間のみんなが知っていたんです。でも一言コメントが非常に鋭くてユニークであるということについては、当時あまり気づいてる人はいなかった。私は『わいわいサタデー』という番組をやっていたおかげで、そのことをよく知っていたんです。上岡さんの、物事の本質をとらえてスパッとコメントする才能。この才能を生かせば、まったく新しい、画期的な番組が作れると思ったんです。  
 写真◆下手からみる全体図 上手からみる全体図 
?『ラブアタック!』でも上岡さんと御一緒されてましたけど、この番組をやったことも大きかったと本(『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』)に書かれてましたね? 
 『ラブアタック!』は私が25歳のときに、自らの失恋体験をもとに企画立案して、立ち上げから6年半ディレクターとして演出していました。上司の人たちは、25歳の若造に「好き勝手にやれ!」って、好きなようにさせてくれた。朝日放送にはそういう伝統がありました。テレビというものをゼロから自由に作り上げ、成功してきたかつての若者たちが当時ちょうど管理職クラスになっていて、今度は新参の私に同じような自由を与えてくれたんです。そういう風土で育てられたので、自分が30代後半になってナイトスクープのプロデューサーになったときに、若いディレクターに同じように自由にやってもらおうと思いました。そこで、みんな好き勝手にやれる場所を作りました。 
?それがうまく機能して……。 
ネタ選びから、演出から、どの探偵と組むかというところまで全部ディレクターが自分の意志でできるというシステムを作りあげたんです。ディレクターと探偵の組み合わせは毎回変えるんですが、次に誰と組むかはディレクター自身に選んでもらっている。完全にトップダウンを排除したこういう構造でやると、ディレクターは言い訳できなくなるんです。彼ら自身が選んで彼らの好きなような演出で撮ってきたビデオですから、そこには彼らの全人格・全能力が込められてる。うまくいったときには「すごい!天才!」となり、まったくダメなときには「最低!カス!」ということになるわけです。 
?なるほど。 
 最近、私、この番組の構造を分析するとき、“プレゼン形式”という言葉をよく使うようになりました。この番組は、「おそらく世界初の“ビデオをプレゼンすることに特化した番組”」だということなんです。かつて、映像は司会者側から出ていた。ニュースもアナウンサーが紹介しているし、クイズ番組でも問題VTRも解答も司会者が紹介していた。つまり番組内での“権力のある側”から映像が出されていたわけです。ナイトスクープではそれを“下っ端”から出して、“権力の側”にプレゼンする。そう説明すると、この番組の特徴がすごくわかりやすいでしょ?まず依頼文という課題が与えられる、それに対して探偵が「最高のやり方で答えを出してきました」と、ビデオのアピールをする。そして評価を仰ぐ……上岡さんは非常に鋭い評価の言葉をくれる。そういう構図で番組は成り立ち、成長してきたんです。 
?探偵局長に対する探偵たちのプレゼンであるというのはすなわち、ディレクターたちの作品のプレゼンでもあるんですね。 
その通りです。この“プレゼン形式”って、視聴者が番組をいろんな立場から観られるのも強みでね。まず依頼文があって、依頼者に探偵が会いに行くから、最初は探偵に思い入れをするんですよね。そして次に依頼者にも。で、ビデオを提出した後、視聴者は今度はプレゼンされる側、上岡さんや西田さんの側に立って「うーん、これはよかった!」とか、「ここがダメだ」、「無駄が多い」っていう批評する方に回る。 
 私はこの“プレゼン形式”は、1980年代の日本の視聴者にとって、ものすごく新鮮だったと思います。 
?意外にもそこが本質だったわけですか。 
ナイトスクープに似た番組ってたくさん作られましたし、ネタをそのままパクる番組もありましたが、“プレゼン形式”という本質をとらえたものはなかったですね。うまくとりいれて成功したのが、『情報プレゼンター とくダネ』ですよね。かつてのワイドショー番組って、レポーターは視聴者に向かって情報を伝えていた。あの番組は小倉(智昭)さんという司会者に向けて取材ビデオをプレゼンしますよね。うまく成功したのが、お笑いじゃなくて情報の世界だった。『とくダネ』を立ち上げた西渕憲司さんが「ナイトスクープも好きで参考にもしました」っておっしゃってくださいました。いまはこの形式、日本のテレビにはたくさんありますが、意識的にそれに特化してレギュラーでやったのは、おそらく私たちが世界で最初ではないかと。日本はTVの先進国のはずですから、日本で最初ということは世界で最初じゃないかなと(笑)。 
?タイトルの由来を教えてください。ナイトスクープの“ナイト”って“KNIGHT”ですよね。 
パリッとした品のいい雰囲気でいこう、ということを最初から考えていて。探偵には、フォーマルな感カメラ越しセットじでと、ネクタイしめてもらってました。べつに彼らに「騎士であれ!」と思っていたわけではないんですけどね……まあそういう思いもあったかもしれないかなあ。実はこれでよかったのかどうか迷いもあって(笑)。吉本ばななさんの『ハチ公の最後の恋人』という小説にナイトスクープが登場するんですけど、これがイタリア語に訳されたんです。それを見てみると“NIGHT”になってた。そんな風に海外に紹介されるなら、わかりやすく“夜”でもよかったかなあ(笑)。 
http://www.tvco.tv/interview/index.php?action=detail&id=114

 ■第2話 ⇒ 重要なのは企画の新しさではなく、「視聴者とともに」というスタンスだった。
午後11時17分からの放送で、視聴率はおおむね20%台をキープしている。松本CPは、プレゼン形式の番組構成をすごく新鮮なものだといった。でも、今ではそれ自体がさほど珍しくなくて、多くの番組に取り入れられていることを松本氏自身も認めている。ならばどういうものが、放映開始丸21年にならんとする『探偵!ナイトスクープ』を人気番組の地位に留めているのか。 著書には「テレビの原点」に忠実な番組作りのことがあげられていたが、そのことを問うと、松本氏、うーん、えーと…と考え始め「iPS細胞」と言った。 
?なぜここまで支持を得ていると思われますか? 
もちろん基本に忠実、というのはそうなんですけど、それが21年人気であるの秘訣なのかどうか……。いま話を聞きながら考えてたんですけど……この企画は、たぶんとんでもない発明だったんですよ。iPS細胞みたいに! 視聴者とともにいろんな形に変貌することができる。 番組が古びないのはね、たぶんこういう理由があるんですよ。依頼は時代とともに新しくなっていって、時代の先端を反映するわけです。番組が始まったころ人間にすらなっていなかった10代とか“ヒトケタ代”の子どもたちが依頼人になってくれているし、時代や社会の背景もどんどん変わっていく。それが自然と依頼に反映されている。 時代が新しくなれば、それにつれて内容も新しくなっていくんです。 たとえば、20年前とちがって、いま離婚は普通のことです。そうすると父一人娘一人の親子なんかもいっぱいいて、そんな生活の中から生まれた新しい依頼が寄せられて来る。家族の形態だけじゃなくて、フリーターとかニートの人も増えています。やっぱりそこにも、かつてなかった新しい悩みなんかがあって。それを忠実に拾い上げて行く。だから??くり返しますけど(笑)??時代が新しくなればなるほどさらに新しい番組になっていく、それはもう宿命でもあるんです。 
?そこはやはり、上から「こんなのどうだ」と下ろすんじゃなくて、みなさんから吸い上げて作ってるから維持できる時代感なんでしょうね。 
 依頼人からのテーマを私たちの手の内でねじまげるんじゃなくて、あくまでも依頼者に寄り添って、その人たちが行きたい目的地に、もっと幸せに、もっと面白く行き着けるようサポートしようと心がけています。そうなると、探偵とかディレクターも毎回、経験したことのない世界に行くことになる。毎回違う依頼人という新しい感性に寄り添いながら、どこまでも暴走していくわけです。 
?ディレクターをまとめるうえでのルールみたいなものを明文化されてるとか。 
ああ、それは番組初期の話ですね。『ディレクター心得』というのがあって。開始当初はディレクターはみんな20代で、自分たちと同世代の若い視聴者を想定した番組が一番作りやすかった。深夜ということもあって、ときにはシュールなものを作りたくなったりもします。だから「若者のノリだけで作らないで」と、むしろ親とか年寄り世代にも受け入れられるように「ベタな番組を作ろう!」と言ってたんです。さらにまた、「どんな下らないことを扱っても、品格ある番組にしよう!」とも。いまはいちいちそれを言わなくてもみんなわかっています。ちなみに、ディレクターの年齢層は今、20代から40代後半までとバラエティー豊かになって、ビデオ作品の品揃えのバリエーションも豊かになってきています。 
?依頼は、1週間にどのくらいありますか? 
500通ぐらいです。最近グッと増えました。いままでは、手紙・ハガキか携帯メールだけで募集していたのが、PCからも受け付けるようになったので。これで100通ぐらいは増えたのかな。でも、普通の懸賞とかに比べたらすごく少ないですけどね。 
?依頼を取り上げる基準はどういうところにあるんでしょうか? 
 依頼文の中に“核”があるものを探すんです。たとえば子どもの依頼人も非常に多いんですが、文章がヘタクソだったり短かったりして、表現がすごく拙いケースが結構あります。しかし、その裏側には少年のものすごい思いが込められている可能性もある。電話してしゃべったりして「ああ、本気やなぁ」と感じられたらいきますね。ついこの間撮影したのは、「野球の審判員になりたい少年」。依頼としては単純だったんです。「みんなは野球選手になりたがってるけど、僕は野球の審判になりたいです。どういうふうにしたら審判になれるでしょう?」。でも話してみたらすごく熱心で、やってみたらものすごく一所懸命やる。本物の審判員に指導してもらって、最後は大人の試合の審判を本当にやるんです。いろんなシチュエーションを作って彼を試すんですけど、乱闘が起きたとき、彼、ちゃんと大人の中に割って入ろうとしましたからね!「審判になりたい」っていうだけじゃ、企画として面白いかどうかはわかりませんよね。でもここに真剣な少年の思いがあり、それに大人たちが感銘を受けて、是非なんとかしてあげたいと考え、実際に教える過程で少年はグングン伸びていく……同じような依頼文でも、個人の思い入れの強さで、面白さは全然違うものになるんです。“核”っていうのはそういうことですね。 依頼自体は地味なものでも何でもいいんですよ。
?21年やってこられて、松本さんが個人的に面白かったものはなんですか? 
うーん、どれもこれも印象深いんですが……たとえば、マネキンと結婚したい女の子かなぁ。これが一番面白かったというよりは、象徴的な人だったので。つまり「危ない人」なのか、「TVに出していい人」なのか。そういうきわどいところを見極めなくてはいけないのもナイトスクープです。このときは、ディレクターが依頼人を呼び出して面接したんです。本気なのか、冗談半分なのか。本気だとして、テレビに出しても大丈夫か。面接したディレクターは「これは純愛だ!」って感じたんです。そう確信して、結局マネキンとの結婚式までやったわけです。 依頼文は、それだけ見たらいろいろな解釈ができます。最初は「危ない人なんじゃないか」と見えるかもしれないけれど、探偵がその人の味方になって一緒に調査し、「とってもすばらしい人なんだ」と親しみの持てるところまでわずか10分そこそこのVTRでもっていってしまう、その醍醐味を味わってほしいと、私たちは視聴者に問いかけ続けているわけです。そういう作品ができたときはすごくうれしいですね。最初やばいんじゃないかとも見えた依頼人が、「かけがえのないすばらしい日本人である!」というふうに見えてくる瞬間があるんです。 
?依頼の傾向を教えてください。 
 放送しているバリエーションが、まさに依頼のバリエーションとイコールなんです。だから傾向っていうほど偏ってはいないです。まあ「誰かを捜してください」とかっていうのが何割かを占める程度で。採用しにくい依頼の傾向はありますよ。「友だちが結婚するんですけど、盛り上げるアイデアが何もないので、一緒に考えてください」とか。結婚式だけじゃなくて卒業記念とか謝恩会とかも盛り上げてほしいと。これはちょっと採用しにくい。あとはね、「芸能人の○○さんが好きですけど、1日デートをさせてください」とか。こんなもん、できるかーっ!ってね(笑)
http://www.tvco.tv/interview/index.php?action=detail&id=115

 ■第3話 ⇒ みんなに観てもらいたい!なんでもない人たちの人生の1ページ。 
昨年は『探偵!ナイトスクープ』20周年イヤーで、記念特番として6月20日に『グランドアカデミー大賞』を2時間で放映した。キャパ2700人の大阪国際会議場を会場に、大いに盛り上げ、結果、視聴率23.5%、シェア50.5%を達成したという。これは、すべての層に向けて番組が発信されているから。そして松本氏、ある思いを実感したという。それは「紅白歌合戦に負けない」。 そんな番組作りと、これからの話。松本氏のボルテージもガンガン上がるのである。 
?番組の冒頭に、番組の趣旨説明がテロップで出ますね。 
 「この番組は、視聴者から寄せられた依頼にもとづいて…」という。黒バックで30秒ぐらい使って。あれはなぜですか? あれは私がいちばん最初に書いた企画案の文章を簡略化したものなんです。こんな形で番組の趣旨を放送する番組は、たぶんTVの世界にはないだろうと。今でもずーっとやっているのは……音楽を流すためにはそれなりの寸法が必要ですからね(笑)。あのテーマソング、みんな気に入ってるんですよ。視聴者にナイトスクープの世界に入り込んでもらうためのアプローチの行進曲、そこで脳波が「楽しもう!」っていうモードに入っていく。大人の人はおそらくお酒呑んだりしながら、「さあ今晩も楽しもうか」って思ってくれる。そのための序曲ですね。 
?探偵が捜査に行き詰まったとき、いろんな専門家に電話をしますね。あの状況でみなさん初めて電話をしてるんですか? 
 探偵さんは、VTRに映っているまんま、初めて電話をしています。ナイトスクープには台本はありません、すべてアドリブで展開してゆきます。世の中のバラエティでは、台本を暗記しながらロケしていると聞いていますが、ナイトスクープはまったく台本はないんです。ですが……捜査に同行しているディレクターは、たまにヒミツを握っているときがあるかもしれません(笑)。 
?これ、聞いていいのかどうかわからないんですが、グーグルとかで調べれば一発で解決する依頼も……。 
ナイトスクープでは、インターネットというものは“ない”ことになっています。そんなものは知りません(笑)。捜査していく過程の人の輪が面白いのですからね。簡単に片付いてしまえば、ビデオにして1分もかからずに終わってしまう。そんなの何も面白くないでしょ? 楽しく回り道をしながら核心に迫ってゆく、これはナイトスクープの輝く芸風のひとつです。 現在インターネットはすごく普及していますから、グーグルで一発で解決するというような依頼は、実際問題として、まず届きません。 
?撮影のときには、カメラが絶対に前に出ないと聞きました。 
だいたい横からか後ろから。たまに前に出てバックしながら撮ることもありますけど、絶対に先回りして待っているようなことはない。臨場感を大切にしているので。旅番組とかグルメ番組が撮る画のキレイさは求めてないんです。事実を探り当てるというドキュメンタリー性が大事。先にカメラ位置を決めて三脚立てて待ちかまえるような、映画みたいなことはできません。三脚なんか使ったことがないですよ(笑)! 
?テロップで突っ込んだり笑わせたりするツッコミスーパーというのがありますね。あるいはコメントフォロースーパー。いまでは当たり前になった技法を開発されたようですが、ナイトスクープが開発したそうですね。 
 東京のテレビ局が盛んに使い始めたのが90年代半ば。私らは88年からやっているんです。スーパーは、必要なところだけに、うまーく出す。スーパー出して笑いを取る。コメントフォロースーパーも同じ。スーパーテロップで笑いを取るというのは、ものすごくセンスのいる高度な技術なのです。東京の番組の中には、とにかく機械的にいっぱい入れていくのが多い。ナイトスクープは、そういうセンスのない入れ方は最初からしていないですよ。 
?ナイトスクープはただ言ったことを出すのではなく、ちゃんとツッコミになっている。 
 多くのバラエティ番組と違うところは、何百人ものお客さんの前で収録しているという点です。寄席と同じで、楽しむために来ているお客さんが何百人もいる。そんなみなさんに爆笑していただくために、あらゆる努力と工夫をしようとスタッフの誰もが考えた。スーパーテロップも爆笑を誘うためのひとつの手段として確立されていったんです。 
?あ、そうだ! お客さんを入れてますよね。公開録画にしているのはなぜですか? 
 笑い声を拾いたくて入れたんです。当初はスタジオに階段席を組んで、50人ぐらいかなぁ。いまは多くのバラエティ番組で、スタッフとかADが笑ったり、そうでない場合は笑いのSE入れたりしているでしょ? でも私たちは普通のお客さんに、ホントに面白いところで笑ってもらって、それをオンエアしたいと思ったんです。最初はそういう規模だったのが、人気が上がってきて、「会場に行きたい」というハガキがいっぱい届くようになった。「この数ならABCホールをいっぱいにできるな」。少ない笑いよりも多い笑いの方がいいに決まっているので、思いきってホールで収録するようになったんです。50人の笑い声が一気に600人になりました。 もう「笑い声を拾う」とかいう話ではなく、こうなると本番をやるだけで、この番組が面白いのかどうかたちどころにわかるんです。お客さんは基本的に笑いに来ているので、そんなに面白くなくても笑ってくれるんですが、ホントに面白いときは会場がどよめきに包まれるんですよ。お客さんが観ている顔を見ると「ああ、これはやっぱりオモロイんや!」とすぐわかる。そこから作り手として「次回どうすべきか」が見えてくるんです。この編集はまずかったなあ、笑いを誘うところまでが長すぎてだれたなあ、もうちょっとタイトにしよか……とか。  左、探偵から見る  
?目の前にモニターがちゃんといるんだと。 
 笑いの数、リアクションの大きさ、それはディレクターにとっての成績表なんですよ。司会者や他の探偵がどう見るかも気になるでしょうけど、お客さんを見ていれば、どの作品がベストだったかはすぐわかる。ここで得られる大爆笑感は、ディレクターにとってはエクスタシーですよね。この喜びが「おれはすごいんだ!もっと面白いのを作ったる」という自信と意欲につながっていくんですよ。 
?収録にはどのくらいの時間がかかってますか? 
 本番の日は6時過ぎにスタートして、2本撮って終わるのが8時30分ぐらい。あいだの休憩が20分あるので、1本1時間……ほとんど編集していないですね。収録は、5分オーバーぐらい。効率のよい番組です。 
?初代局長の上岡龍太郎さんが2000年春で降板して、2001年から現局長の西田敏行さんに変わりました。上岡さんって、番組誕生のきっかけにもなった、いわば“顔”で、まったくキャラクターの違う二代目局長がやってきました。すごい英断ですね。 
21年前、上岡さんは非常に希有なタレントでした。司会進行するときはシャープな司会者でしたが、徐々に増え始めていたフリートークの番組とかナイトスクープではズバリ本音を言ってくれました。当時、本質を見極めて理屈のある辛口なコメントのできる人がテレビ界にあまりいなかったんです。ところがここ10年ほどテレビ界を振り返ると、上岡さんの劣化コピーみたいな人ばっかりなんですね。ワイドショーのコメンテーターでもズバリ、ばっさり、斬りまくり。日本のTVはそうなってしまった。では西田敏行さんのキャラクターはどうなのか。ピュアで感激屋ですぐ泣いてしまう……西田さんって「かわいそう」と思って泣くんじゃなくて、うれし泣きなんですね。「よくやった!」「すばらしい!」というピュアな心の涙。平成のこの時代に、みんながわれもわれもとさかんに毒舌を吐いているこの時代に、ひとりだけピュアな心で「僕は感動してしまいました。泣きます」っていう人が現れたんですよ。これは衝撃的じゃないですか! 折しも時代は癒しを求めていたところもありました。 
?探偵局の局長に問われる資質とは、なんでしょう? 
 「この人にこれを見せたらどんな反応をしてくれるだろう」「この人の意見を聞いてみたい」という、大きな存在感ですね。僕らが10代のころ、若い作家の人たちは「自分の作品を、三島由紀夫ならどう見てくれるだろう」って意識してました。そういうミシマ的な存在感ですね。 
?探偵の方はどうですか? 
うーん……いろんなパターンの人がいないと面白くないんです。ジミー大西くんがいて、彼がやめると代わりに間寛平さんが入ってきた。ふたりともアホ路線ですよね。一方うまく依頼をこなしていけるスマートな人も必要です。松村邦洋くんみたいに、丁々発止ではないけれど独自の存在感で面白いビデオを撮ってくる人……いろんなキャラクターがいないと……というより、いろんなキャラクターがいてイイと思うので、これ、ひょっとしたら誰でもいけるのかもしれない(笑)。 
?スタッフは何名ぐらいですか? 
 私のほかに栗田正和プロデューサーがいて、ABCのディレクターとプロダクションのディレクターが合計14名。ADが数名。構成関係が10名ほどいてますね。これがいつも会議に出るメンバーです。 
?どういった層に観られてるんでしょう? 
ほぼ全層です。深夜では、老若男女すべての階層を集めないと、テレビをつけている人の絶対数が少ないので数字は稼げないんですよ。ゴールデンだったら若者だけ、あるいはおばさんだけに発信していてもそれなりの数字はとれます。深夜は半分以上寝ていますので。 
?いまこんなふうに全世代とれる番組って…… 
私たちのライバルは『NHK紅白歌合戦』です。去年、『探偵!ナイトスクープ グランドアカデミー大賞』のときに実感しました。『NHK紅白歌合戦』の近年の番組視聴占拠率は40%台ですが、私たちの『グランドアカデミー大賞』は、なんと50、5%を獲得しました。 
?参考にしてるもの、気になる番組はありますか? 
 『プロジェクトX』は好きでしたね。会社の歯車みたいな目立たない人たちが自分のすべてをかけて取り組んだことを丹念に見せる……たぶんに大げさに演出している部分もあったかもしれないけど、私らと共通してるところがあるような気がする。テレビの素人が主人公になってゆく点です。『鶴瓶の家族に乾杯』も、鶴瓶さんが地方に出向いていろんな人に出会って、みんな心を開いて接してくれるんですよね。これもナイトスクープと共通しているところがあって。一見なんでもない人の、よき人生の1ページを表に引っ張り出すところに共感できるんですよね。 
?どんなことにこだわっていきたいですか? 
テレビってもともととても大衆的なもので、ファミリーがみんなで観ていました。それがいつからか、それぞれが部屋で観るようになってしまった。いまちょっと時代が変わってきて、テレビが再び家庭のものになりつつあるんです。すごく映像のキレイな大画面テレビがどんどん発売されて、それを観るには家族が居間に集合しないといけなくなったから……つまり再び、私たちの番組のための時代が訪れようとしている気がするんです。深夜だけど、親と子が一緒に笑える番組を私たちは作り続けてきた。この間の『グランドアカデミー大賞』で、ずっとこの番組に関わってきた古株たちが言ってました。「こっちががんばったら、みんなちゃんと反応してくれるんやなぁ」って。「がんばらなあかんなぁ」って。 
?まさに視聴者と共に生きてる番組ですね。 
 笑いのために素人さんを道具として利用したりするような番組はよくあるんですよ。でも「その人と一緒に幸せになろう」という番組はなかなかない。人を大事にし、絶対に視聴者をバカにしない、そして人を差別しない、それが私たちの誇りなんですよ。長い試行錯誤の末に、到達した境地です。仮に「ヘンだなあ」っていう依頼でも、そこには僕らの気づいていないすばらしい価値があるのかもしれない。そういう風に考えて、その人に寄り添う。そのマインドは今、番組に関わる者みんなにありますね。ナイトスクープは、みんなで築き上げてきたそんな心の王国なんですよ!……ハハハハ(照笑) 
(取材=小杉文彦/MEDIACo) 
http://www.tvco.tv/interview/index.php?action=detail&id=116

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 ┃ 25周年『探偵!ナイトスクープ』ヒストリー ┃
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1988年3月5日にスタートした「探偵!ナイトスクープ」もついに2013年春で25周年を迎えました。
関西発でありながら全国ネットを果たし、深夜番組でありながらこれほどの長寿番組となり、 その地位を築き上げた「探偵!ナイトスクープ」。 その歴史を振り返ってみましょう!  
1988. 3. 5 第1回目放送 「カーネル・サンダースを探せ!」など 視聴率8.6% 
1988. 5. 7 上岡局長自ら探偵として調査に乗り出す 
1990. 1.20 「アホとバカの境界線を探せ」放送 アホバカ調査始まる 
1991. 4. 5 金曜日へ放送曜日が移動 視聴率20%を突破・20.5%を記録! 
1991. 5.24 全国アホ・バカ分布図完成!アホ・バカ特番放送! 
1991. 9.27 「日本民間放送連盟賞最優秀賞」受賞報告! 
1992. 8.28 第1回ナイトスクープアカデミー大賞 
1992.11.20 視聴率25%を突破・25.5%を記録! 
1993.11.19 第2回ナイトスクープアカデミー大賞 
1993.12.24 番組史上最高傑作?「謎の爆発卵」放送 視聴率30%を突破・30.5%を記録! 
1994. 1.21 「ハートスランプ二人ぼっち」のフルコーラスを円広志が熱唱! 長原成樹探偵入局 
1994. 4. 8 ライバル裏番組「料理の鉄人」放送開始 
1994. 4.29 上岡局長激怒で収録途中にスタジオを去る 
1995. 1. 6 第3回ナイトスクープアカデミー大賞 
1995. 4.21 ジミー大西探偵入局 
1995.11. 3 石田靖探偵入局 
1996. 5. 3 北野誠探偵が顧問で復活 
1996. 5.24 間寛平探偵入局 
1997. 1. 3 第4回ナイトスクープアカデミー大賞 
1998. 5. 1 番組史上最高視聴率32.2%を記録! 
1998. 5.22 放送500回達成! 
1999. 1. 3 '99年ナイトスクープアカデミー大賞 
2000. 4. 7 松村邦洋探偵入局 
2000. 4.14 上岡局長引退特番放送! 
2001. 1.26 西田新局長就任! 
2001.10.19 「日本民間放送連盟賞最優秀賞」受賞! 5.25放送分記念再放送 
2005. 4.25 「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」発売! 
2005. 6.17 KABA.ちゃんなど探偵候補起用開始 
2005. 7. 8 ナイトスクープアカデミー大賞2005 
2005. 9.23 竹山隆範探偵正式採用決定 
2006. 3. 3 30分拡大スペシャル 
2006. 6. 2 DVD Vol.1&2 BOX 発売! 番組19年目にして初のDVD化! 
2006. 7.14 ナイトスクープアカデミー大賞2006 DVD Vol.3&4 BOX 発売! 
2007. 3.16 30分拡大スペシャル 
2007. 5. 4 たむらけんじ探偵入局 
2007. 7. 6 ナイトスクープアカデミー大賞2007 
2007.12.19 DVD Vol.5&6 BOX Vol.7&8 BOX 発売! 
2008. 3. 5 放送開始20周年 「探偵!ナイトスクープ 記念日手帳」発売! 
2008. 6.20 20周年記念グランドアカデミー大賞 
2008. 8. 1 放送1000回達成! 
2009. 3. 5 DVD Vol.9&10 BOX 発売! 
2009. 3.15 番組開始以来初のゴールデン進出 「探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン」放送! 
2009. 6.19 田村裕探偵入局 
2010. 2.10 DVD Vol.11&12 BOX 発売! 
2010. 3.10 DVD Vol.13&14 BOX 発売! 
2010. 9. 3 松尾依里佳新秘書就任! 
2011. 2.25 ナイトスクープアカデミー大賞2011 
2013. 3. 1 25周年記念グランドアカデミー大賞 
これまでに探偵局で活躍してきた探偵の数は20人以上。番組で扱われた依頼の数は4000以上にも及んでいます。 探偵局に寄せられた依頼の数も何十万通という量になっているのではないのでしょうか。
裏番組「料理の鉄人」に視聴率を奪われ視聴率が伸び悩んだ時期や、 「投稿!特ホウ王国」などにネタ投稿者たちを奪われかけ依頼の数の落ち込んだ時期も経たものの、 安定した人気を保つことができ、 これら2つの番組のように一瞬の人気で廃れてしまうようなこともなく長寿番組となれた点はいったい何なのでしょうか?  関西素人の面白さ、爆笑ネタと感動ネタとの両立、調査方法の原始的さ。 BGMの選曲の的確さや効果テロップなどの手工という意見も耳にします。 あなたはどうお考えになるでしょう?  何がこの番組の魅力なのか、的確に一言で表すことができないものの、 これだけの支持を得て高視聴率を保ち25年も続いているということはテレビ界での記録でもあり、 視聴者の心をつかむ何かがあるからこそなのでしょう。  
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Atsushi.Fujiwara/history.htm


●保存版●保存版●保存版●保存版●保存版●保存版●
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 ┃ 『特命リサーチ200X』 ┃日本テレビ系列
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 19:58~20:54
  FAR EAST RESEARCH Co. Internet Selection/Established 1997
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 |F.E.R.C Research Database 2000(平成12)年 3月 5日(日)報告|
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  F.E.R.C Research Report - File No.1657「金属アレルギーの恐怖を追え!」
  報告者:吉川 美佐、和田 栄一
愛知県のA子さん(37)は、3年前から原因不明の皮膚病に悩まされていた。手足の裏に紅い斑点が出た後黄色く化膿、 2週間程で茶色くなり、乾いて剥がれ落ちる。足の裏の角質は殆どなくなり、爪も変形してボロボロになってしまった。ステロイド剤を処方されたが、回復せず原因も不明だった。血液検査の結果、白血球中にある免疫細胞のひとつで、外敵が侵入すると血管から出て外敵を食べて殺す好中球が通常より増加しており、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)と診断された。東京都済生会中央病院皮膚科医長の海老原全博士は、好中球が増える原因として、何らかの異物が体内に侵入してアレルギー反応を起こしている可能性があると説明している。
金属を皮膚に付けて汗をかくと、金属が溶けて金属イオンと電子に分かれる。金属イオンが体内に侵入すると、特別なタンパク質と結びつき、免疫細胞がそれを異物と見なして攻撃、赤くかぶれて金属アレルギーを起こす。身に付ける金属以外にも、ペンキや塗料・セメントの中にも微量だが金属が入っており、気管支に侵入した場合はぜんそくなどのアレルギー反応を引き起こす場合もある。アレルギーの原因物質を突き止めるパッチテストで、水銀やカドミウムなどの反応を見た。しかし彼女の場合、ネックレスや時計などが原因でかぶれが起こったケースではなかった。
東京医科歯科大学歯学部・金属アレルギー外来臨床の松村光明教授により、彼女が唯一金属を身につけているのは、歯であることが判明した!口の中でマクロガルバニー電池作用腐食が起こっていたのである。酸性の液体に2種類の金属を浸すと、一方の金属が溶け出して金属イオンと電子に分かれる。電子は導線を伝わり、もう一方の金属へ移動することで電流が発生、電池はこの現象を応用したもの。口の中に異なった種類の歯科金属と唾液が存在、電流が発生して歯科金属が溶け出していたのである。手や足の角質部分には、金属イオンが結びつき易いタンパク質が多くあると考えられ、そのため手足に激しいアレルギー反応が起こったのだ。
彼女が治療で金属を詰めたのは小学生の時で、それから30年も経っている。金属アレルギーは、体内の金属イオンが一定の量を越えた時初めて起こる。また、1960?70年代にかけて使用された安くて加工が容易な水銀アマルガムは、イオン化しやすい性質があり、彼女の治療にも使用されていた。歯の詰め物を全て、イオン化してもすぐに体内の酸素と結びついて安全に体外に排出されるチタンに交換したところ、僅か3ケ月で長年苦しんだ症状はウソのように治ったという。
ピアスなど金属でできたアクセサリーが流行る中、金属アレルギー患者は確実に増加している。対処法として、食事の後にすぐ口をゆすぐなどして、金属のイオン化を招く電流の発生を少なくする。また、金属は汗によってイオン化しやすいので、汗をタオルでふき取ったりシャワーを浴びることも必要。現代生活は金属無しでは考えられないが、そこに思わぬ落とし穴があったのである。 
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 |F.E.R.C Research Database 2000(平成12)年 3月 5日(日)報告|
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  F.E.R.C Research Report - File No.049「夢遊病の謎を追え!」
  報告者:桐島 夏子、桜田 直美、小杉 良子、 香取 恵、飯島 真智子 
夢遊病(睡眠時遊行症)とは、睡眠中に起き上がったり、歩き回ったりする行動のことで、目覚めた後本人は全く覚えていない。 田中浩君(5才)は夜中に寝ぼけたりベッドから落ちたりするようになり、ある日テレビの前で突然放尿して部屋に戻り再び眠って しまった。その後同じようなことが頻繁に起こるようになった。金沢医科大学神経内科の堀有行講師は、「夢遊病原因の鍵は、夢遊病 が起きたときの睡眠状態にある。」と語っている。睡眠には脳が休んでいて体は動かせるノンレム睡眠(脳波=デルタ波)と、脳は活動しているが体が動かないレム睡眠(脳波=べ?タ波)がある。2種類の睡眠は90分間で交互に現れ、一晩に何回か繰り返される。 夢遊病はデルタ波で構成される深いノンレム睡眠中に起こり、ほとんどの場合は子供にしか起こらない。通常大人は睡眠中でも、外からの刺激や生理現象による刺激を感じることができる、刺激を受けた脳幹は夜中のトイレや地震などの突然の出来事に対応する。しかし、子供の場合は脳が発達途中であるため、脳幹から大脳皮質への信号が正しく伝わらないことがある。脳にはニューロンと呼ばれる神経細胞 があり、それをつなぐ連結部分(シナプス)があるが、幼児期にはシナプスのつながりが弱いのである。休んでいる大脳皮質の中でも、 覚醒信号を受け取る運動野と視覚野が夢遊病発症に大きく関わっている。3?4才頃は体を動かす身体機能や、物を見る視覚機能はかなり 発達している。しかし、運動野と視覚野以外の大脳皮質が眠ったままの状態だと、夢遊病の症状がでるという。刺激の多い環境で睡眠をとっている子供には夢遊病が起こる機会が増える。脳の発達には個人差があり、受け取る刺激の大きさにも違いがあるが、小学校に入る頃にはシナプスのつながりが強くなり、脳の発達に伴って自然に治っていく。思春期以降に症状が出る場合は、てんかんなどの病気の可能性 がある。
浜田義男さん(36才)の場合、夜中に叫び声を上げたり、枕を投げたりするようになった。その後行動がエスカレートして、妻を殴ったり 蹴るようになってしまった。彼はお酒が飲めず、酔った上での行動ではない。更に、脳にも異常は見られなかった。秋田大学医学部精神科の清水徹男教授によると、浜田さんは夢遊病ではなくレム睡眠行動障害と思われる。普段、覚醒している時の運動は大脳によって司られている。大脳からの信号が脊髄の運動神経まで伝わると、それぞれの運動神経細胞が興奮して体の各部分に伝えられる。一連の運動メカニズムのルート上である脳幹部には運動抑制機能がある。レム睡眠中は運動抑制機能の働きにより運動電気信号が伝わらないため、体を動かす ことはできない。しかし、過剰のストレスや大量のアルコール摂取により脳が興奮状態になると、運動抑制機能の働きが低下する。 浜田さんは毎日上司に激しく怒られて外回りに飛び出す夢を見ていた。歩き回ったり上司を蹴っている夢を見ては、妻を殴るなどの症状 が出たのである。その後彼は転職してストレスが無くなり、異常行動は起こさなくなった。睡眠中に不可思議な行動をとるレム睡眠行動 障害。それは過度のストレスと悪夢が引き金となっていたのである。 
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 http://web.archive.org/web/20061005001632/http://www.ntv.co.jp/FERC/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%91%BD%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81200X
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL_-f9xY02hovQpgxp6z2uuOvB_HbOTJKv
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