過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─―――――――┐Second row <二行目>
20| Terry Southern |『Wikipedia』
20|テリー・サザーン|『discovermusic.jp』
 └─―――――――┘ 風刺に富んだ小説家/脚本家。ビート・ジェネレーションとザ・ビートルズの橋渡しをした。彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでビート・ジェネレーションと交流し、1966年にロンドンへと居を移した後は、ザ・ビートルズと親交を結んだ。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(原題:Dr. Stranger Love Or: How I Learned TO Stop Worrying And Love The Bomb)』、『イージー・ライダー(原題:Easy Rider)』など、60年代を象徴する映画の脚本も手掛けた。
‡1924(大正13)年05月01日(thu) Born
 1995(平成七)年10月29日(sun) Died. 71 years old
 2003(平成15)年04月01日(tue) N.Y.公共図書館「サザーンのアーカイヴ」設立発表。ジョン・レノン、リンゴ☆スター、ローリング・ストーンズの交流記録含む
 ┌─――――――――――――――――┐
44|    Dr David Livingstone    |『Wikipedia』
44|デイヴィッド・リヴィングストン博士|『discovermusic.jp』
 └─――――――――――――――――┘ リヴィングストン博士と探検との関係は、ザ・ビートルズと革新的音楽の関係と同じだと言ってもいいだろう。恐れ知らずで絶えず探求を続け、新たなテリトリーを見つけようとしていたのだ。「リヴィングストン博士でいらっしゃいますね?(Dr. Livingstone, I presume?)」という有名な台詞は今でも一般的に使われており、初出はリヴィングストン博士と探検家のヘンリー・モートン・スタンリーの対面時まで遡る。6年間行方不明だったリヴィングストンを探して、スタンリーは捜索に送り出されていたのだ。リヴィングストンはウジジ(現在のタンザニア)の街で発見されたヨ(=^◇^=)
 1813(文化十)年03月19日(fri) Born
†1873(明治六)年05月01日(thu) Died. 60 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Terry_Southern
†https://en.wikipedia.org/wiki/David_Livingstone
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 ┃ 『MEET THE BAD BOYS!』 ┃
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 1973(昭和48)年09月20日(木) 東芝EMIレコード
 2012(平成24)年01月25日(水) UNIVERSAL MUSIC
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 ┃ 『MEET THE BAD BOYS!』+4 ┃
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 1993(平成五)年03月03日(水) UNIVERSAL MUSIC
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B0047HPFB6
 https://tower.jp/item/3017071/MEET-THE-BAD-BOYS!
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA
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 THE BAD BOYS のデビューアルバム『MEET THE BAD BOYS』制作、及びデビュー前後のこと
 2017(平成29)年09月20日(水) 執筆者:廣田龍人/リッキー廣田
 1972(昭和47)年05月14日(日)だったかな? 第4回「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」というタイトル! これも定かではありませんが、とにかくデビュー1年前に東京に武者修行に来たのです。場所はハッキリ覚えています。日比谷野外音楽堂で僕等の出演のひとつ前が人気上昇中の「猫」というフォークグループでした。当時、関西では人気のあったTHE BAD BOYSのメンバーを大阪からスカウトして4人を東京に連れて来た上野氏は、関東のステージでどこまで通用するかを試したかったと言ってました。すでにザ・フォーク・クルセーダーズや、はしだのりひことシューベルツのマネージャーをやっていた彼の本心はブライアン・エプスタインになりたかった様です。ところが、その日、彼の心配とは裏腹にステージは大ウケのライブとなり、翌年のデビューへの足掛かりになったのです。
‡1973(昭和48)年05月01日(火)、遂に上京。実は、私以外の3人は東京進出を強く拒んでいました。ビートルズがリバプールからロンドンに行って成功した様に、首都東京に行かなければ何も出来ないよ! と何度も説得してやっと連れて来たメンバーは不安がいっぱいだったのかも知れません。私は自信に溢れていました。先ずはレコード会社のオーディションを受ける事になってワーナーパイオニアのスタジオでオリジナルナンバーやビートルズナンバーを何曲か演奏しました。結果は不合格でした。ビートルズがデッカのオーディションに落ちた状況と似てます。そして2社目、運命の東芝EMIレコードのオーディションに 受かったのです。ディレクターはザ・リガニーズにいた新田さんです。ひと通りオリジナル曲を演奏し、最後に、「君達の得意な曲を聴かせて欲しい」と言われ、迷わずビートルズナンバーを歌いました。ところが皮肉なことにそれが大いに喜ばれ、結果的にはこれが『MEET THE BAD BOYS』を作ろうというキッカケになったのです。僕等は1年先輩のキャロルやチューリップの様に、オリジナル曲でデビュー出来ると思っていました。キャロルはビートルズのデビュー前のイメージ、チューリップはビートルズの後期のイメージでやっていたので、僕等は一番カッコいい初期のビートルズの様なオリジナル曲を目指そうと考えていたのです。ところが、デビューシングルは吉田拓郎の「ビートルズが教えてくれた」で、デビューアルバムは『MEET THE BEATLES』のパロディにしようとスタッフ内で決められてしまいました。今更大阪に帰れない僕等は従うしかなかったのです。当時は大胆で斬新なアイディアだったかも知れないけれど、僕等には迷惑な話でした。赤坂溜池にあった東芝レコードの第7スタジオでレコーディングは行われました。アルバムは徹底的にビートルズと同じにしようという事でジャケットまでこだわりました。スタジオには最新の8チャンネルのレコーダーがすでにありましたが、基本的には2ャンネルしか使わないという事になりました。でも、どうしてもあの雰囲気が出せません。機械も状況も違う訳ですから。ポールの清水君はヘフナーとリッケンバッカー、フェンダープレシジョンを使い、ベースアンプはVOX。ジョージの川端君はフェンダーテレキャスターで、私は当時日本に一本しかなかったリッケンバッカー、アンプはフェンダーツインリバーブ。リンゴの城間君はラディックで彼が一番ビートルズサウンドに近かったですね。面白かったのは「Please Please Me」でジョンが2番の歌詞を間違って歌ってるので同じ様に歌おうと、その後の“Come On!”でジョンが笑って歌う箇所までコピーしましたが…この部分は笑えましたね。シングル曲の「ビートルズが教えてくれた」に関しては、スタジオに行ったらすでにオケ(カラオケ)が用意されていて、僕等はボーカルだけ入れれば良いという事で、この一件はかなりショックでした。オケは六文銭のメンバーで録音されていた。何故? っていう感じでメンバーも凄く憤慨しました。モンキーズじゃないんだから!結局、ブツブツ言いながら歌いましたけどね。スタジオ内の不満は全てミキサー室に筒抜けで、ディレクターの新田さんから「君達!嫌なら帰っていいよ!」と言われてスタジオを飛び出す一幕もありました。慌ててマネージャーの上野氏が止めましたけどね。デビュー後は、ビートルズが大好きなファンからは大いに支持されました。ビートルズのステージを再現する訳ですから。僕等も、ステージを見に来てる人達から「ジョン!」「ポール!」とか叫ばれて、気持ち悪かったです。全く自分達が描いていたデビューとは違う方向に進んで行ってしまい、毎回、何でビートルズばかりを歌ってるのだろう? と自問しました。それでもデビュー2年目の頃にはオリジナルもちょこちょこ入れましたが、やっぱり来てる人達はビートルズナンバーを期待している人達が圧倒的でした。スタジオワークで驚いたのは、録音スタッフにほとんどビートルズの知識がなかったことです。録音技術は認めますが、ビートルズの曲に関しての知識は僕らの方が詳しかったのです。でも、当時はまだ曲の細かいニュアンスをうまく伝えることができませんでした。だからもう言う通りにするしかなかった。違うと思ってもう1テークやりたいと言っても理解されず、拒否されてしまい、くやしい思いをしました。それも今となっては良い思い出です。(c)2016Yellow Doragon
 ◆リッキー&ミッシェル、リボルバー他スケジュール>
 ≪著者略歴≫廣田龍人/リッキー廣田(ひろた・りゅうじん):THE BAD BOYS として、
 1973(昭和48)年09月20日(木)、東芝EMIレコードよりアルバム『MEET THE BAD BOYS』でデビュー。ビートルズの完全コピーバンドとして全国のビートルズファンに認知される。現在はリボルバーのリーダーの他、ソロ活動を中心に「リッキー&ミッシェル」「ホットレッグス」「ビーブラッズ」など幅広く活躍。
 http://music-calendar.jp/2017092001

 


 音源◆Bob Dylan George Harrison - May 1 1970 - In The Studio (audio) https://youtu.be/YxFAWPnhTPw
 Bob Dylan George Harrison - 1970 In The Studio (audio)
 Bob Dylan and George Harrison 
 Columbia Studios B 
 New York NY 
‡May 1 1970
 Ghost Riders In The Sky
 Cupid
 All I Have To Do Is Dream
 Gates Of Eden
 I Threw It All Away
 I Don't Believe You
 Matchbox (Carl Perkins)
 True Love
 Telephone Line
 Honey Just Allow Me One More Chance
 Rainy Day Women #12 & 35
 New York:
 Song To Woody
 Mama You Been On My Mind
 Don't Think Twice (Instrumental)
 Yesterday (Lennon/McCartney)
 Just Like Tom Thumb's Blues
 Da Doo Ron Ron (Barry/Spector)
 One Too Many Mornings I
 One Too Many Mornings II
 Afternoon Studio Session; Bob Dylan (guitar/piano/vocals), George Harrison (guitar/vocals), Charlie Daniels (Bass), Alvin Rogers (Drums), Al Kooper (guitar/piano), Ron Cornelius (guitar)
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 音源◆George Harrison & Bob Dylan - Home Recordings, https://youtu.be/HlYY9RzUJho
 November 1968 
 Woodstock, New York, November 1968
 Home tapes made by George & Bob right after Thanksgiving 1968.
 Track Listing:
 01. Nowhere To Go [0:00?]
 02. I'd Have You Anytime [1:28?]
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 音源◆George Harrison & Bob Dylan - Home Recordings, November 1968 -Bob Dylan^^? https://youtu.be/R-uRjANKsK8
 November 1968 
 

 

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 ┃ EMI文字コード ┃
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 適用時期                      刻印
 1962(昭和37)年 4月10日..................ZT
 1962(昭和37)年11月26日..................PT
 1963(昭和38)年 1月 1日..................MT
‡1963(昭和38)年 5月 1日..................KT
 1969(昭和44)年 1月 1日以降..............なし
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 http://www.thebeatles-1.com/DNA/ja/BeatlesdnaJP.html
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①┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.010
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‡1964(昭和39)年05月01日(fri) Issue 1shilling 6pence
 ○ビートルズ・ニュース 
 ・ 共産圏のビートルズ熱
 ・ リンゴとトランプ
 ・ 映画撮影現場に多数の報道陣 
 ・ ビートルズ、エルヴィスの記録に挑戦中
 ・ ジョンが『イン・ヒズ・オウン・ライト』を出版。タイトルはポールのアイデア etc.
 ○特集 : 
 ・ ビートルズからファンへのメッセージ
 ・ 映画撮影現場レポート
   監督、スタッフ、共演者、挿入曲などの情報
 ・ 第1回ビートルズ・クイズ
   商品はHMV社製 トランジスタ・ラジオ
 ○連載/レギュラー企画
 ・ ジョニー・ディーンによる論説
 ・ ニュースレター
 ・ 投稿
 ○今月のビートルズ・ソング♪ディス・ボーイ♪
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②┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.022
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‡1965(昭和40)年05月01日(sat) Issue 1shilling 6pence
 ○ビートルズ・ニュース
 ・ 早朝の地下鉄に乗車
 ・ ジョンの個展を計画中 
 ・ ジョージのオリジナル2曲
 ・ ポールが一番のスキーヤー
 ・ 映画のタイトルは『Eight Arms To Hold You』から変更予定
 ○特集 : 
 ・ ビートルズのフリー・トーク
  ジョージとリンゴが映画撮影の様子を語る
 ・ レコーディング・エンジニア、ノーマン・スミス 前編
   自身の経歴、初めてのビートルズとの仕事を語る
 ・ マル・エバンスとニール・アスピナール、チョイ役で映画に出演
 ○連載/レギュラー企画
 ・ スポットライトの裏側
   1963(昭和38)年のコンサート・ツアー/
   ツアーの成果/
   ファンの襲撃
 ・ ジョニー・ディーンによる論説
 ・ ニュースレター
 ・ 投稿
 ・ ペン・パル(文通)募集
 ○今月のビートルズ・ソング♪すてきなダンス♪
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③┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.034
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‡1966(昭和41)年05月01日(sun) Issue 1shilling 9pence
 ○ビートルズ・ニュース      ※1shilling 9pence 変更最初の月
 ・ VOX社、出力150ワットの新商品を完成 
 ・ バーナード、ウェップはポールのペンネーム
 ・ 日本を含む海外公演の日程
 ・ サングラスの話題
 ・ アメリカ盤はなぜ12曲?
 ・ レンガ造り 
 ○特集 : 
 ・ ビートルズ・トーク
   リンゴとジョージがR&Bの故郷、メンフィスでの録音やインド音楽について語る
 ○連載/レギュラー企画
 ・ スポットライトの裏側 
   エラ・フィッツジェラルド、ビートルズを歌う/
   テレビ番組『アラウンド・ザ・ビートルズ』/
   ビートルズが好きなアーティスト/
   ♪ラヴ・ミー・ドゥ♪再発売中止/
   アメリカ・チャート/
   ♪いい娘じゃないか♪をポリドールが発売/
   世界各国でのめざましい成功
 ・ ニールのコラム
   4月の、ビートルズと取材陣のやりとりを紹介
 ・ ジョニー・ディーンによる論説
 ・ ニュースレター
 ・ ペン・パル(文通)募集
 ・ 投稿 : 日本公演を待ちわびる渋谷区幡ヶ谷のヌタ・ジュンコの手紙にジョージがコメント
 ○今月のビートルズ・ソング♪ノルウェーの森♪
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④┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.046
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‡1967(昭和42)年05月01日(mon) Issue 2shilling
 ○ビートルズ・ニュース : 
 ・ ジョージ・マーティン、新作LPを遂に完成させる
 ・ ジャケット写真の撮影完了  
 ・ リンゴは庭師  etc.
 ○特集 : 
 ・ ポールは語る
   マンスリー編集長、ジョニー・ディーンに語る
   ファン・レターや記者、映画、新曲、仲間などについて語る
 ・ なぜビートルズはヒゲをのばしたのか?
   ファンの間で賛否。両論のヒゲ問題
   初期のヘア・スタイルの反響や最近の高度な音楽性、
   顕著になった4人の個性の違いなどを考察しながら、ヒゲの謎を探る
 ・ マル・エバンス・ストーリー
   マネージャー、マルの経歴、横顔、仕事ぶりをニールが紹介
 ○連載/レギュラー企画
 ・ スポットライトの裏側
   現金は持ち歩かない/
   撮影中に現れた、自称「ポールの恋人」/
   ジョン、落ち目説に反論/
   リンゴ、女性シンガーの台頭を語る/
   ボブ・ディランはビートルズのファン
 ・ ジョニー・ディーンによる論説
 ・ 投稿
 ・ ペン・パル(文通)募集 
 ・ ニュースレター
   ビートルズのお気に入りはバッファロー・スプリングフィールドとドアーズがお気に入り
 ○今月のビートルズ・ソング♪恋を抱きしめよう♪
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⑤┃ 『The Beatles MONTHLY BOOK』 ┃No.058
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1968(昭和43)年05月01日(wed) Issue 2shilling 6pence
 ○ビートルズ・ニュース   ※最初の2shilling 6pence
 ・ 長編映画の計画
 ・ アップルのダーツ・ゲーム大会
 ・ ジョンの戯曲「第一幕第三景」、一部検閲によりカット
 ・ 宣伝用写真はポールのセレクト 
 ・ グレープ・フルーツ「エレヴェーター」のプロモーション・フィルムをポールが監督
 ○特集 : 
 ・ ビートルズのインド体験
   ガンジス河畔、リシケシュにあるマハリシの瞑想施設を訪れたビートルズ
   参加者はジョージ夫妻とパティの妹ジェニー、ジョン夫妻、リンゴ夫妻、ポールとジェーン
   現地では女優のミア・ファーローと妹プルーデンス、ドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴ。ここでの生活をマルがレポートする
 ・ ビートルズは新たな世代のリーダー
   音楽の世界のみならず、新世代の新しい哲学をリードするビートルズ
 ・ 初の長編伝記
  『サンデー・タイムズ』紙のレギュラー執筆者、ハンター・デイヴィスによる伝記を紹介
 ○連載/レギュラー企画
 ・ スポットライトの裏側
   幻の映画『ア・タレント・フォー・ラヴィング/
   ナンシー・シナトラの「デイ・トリッパー」/
   新境地を開いた「ペーパーバック・ライター」/
   リンゴの懸念/ポップ音楽の変革の時代/ビートルズの手法
 ・ ジョニー・ディーンによる論説
 ・ ニュースレター
 ・ 投稿
 ・ ペン・パル(文通)募集
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 ①http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/1_10.html
 ②http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/21_30.html
 ③http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/31_40.html
 ④http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/41_50.html
 ⑤http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/60s/monthly/51_60.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『The Beatles BOOK(ザ・ビートルズ・ブック)』5月号  ┃MONTHLY
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 Issue 010 May 1964 
 Issue 022 May 1965 
 Issue 034 May 1966 
 Issue 046 May 1967 
 Issue 058 May 1968 
 Issue 070 May 1969 
 Issue 078 May 1976    No.001 ※再発行最初のStartin'号だよ(=^◇^=)O♂
 Issue 090 May 1977     No.013
 Issue 102 May 1978     No.025
 Issue 114 May 1979     No.037
 Issue 126 May 1980     No.049
 Issue 138 May 1981     No.061
 Issue 150 May 1982     No.073
 Issue 162 May 1983     No.085
 Issue 174 May 1984     No.097
 Issue 186 May 1985     No.109
 Issue 198 May 1986     No.121
 Issue 210 May 1987     No.133
 Issue 222 May 1988     No.145
 Issue 234 May 1989     No.157
 Issue 246 May 1990     No.169
 Issue 258 May 1991     No.181
 Issue 270 May 1992     No.193
 Issue 282 May 1993     No.205
 Issue 294 May 1994     No.217
 Issue 306 May 1995     No.229
 Issue 318 May 1996     No.241
 Issue 330 May 1997     No.253
 Issue 342 May 1998     No.265
 Issue 354 May 1999     No.277
 Issue 366 May 2000     No.289
 Issue 378 May 2001     No.301
 Issue 390 May 2002     No.313
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 http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Book
 http://the-beatles-collectors.wikia.com/wiki/Magazines
 http://beatlesite.blogspot.jp/2009/09/beatles-book-sixties-editions-cd-rom.html ⇒ 1963-1970 CD-ROM
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  ■■㊦↓の現在SOLD OUT??情報を確認後核月へ(=^◇^=)O♂■■
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 ※『THE BEATLES MONTHLY BOOK』 ¥98,000- 18:27 2012/04/16(月)現在
 UKオリジナル! OFFICIAL BEATLES FAN CLUBの機関誌。1963年から`69年までのTHE BEATLES BOOK 1号~77号のコンプリート・セットです。コンディションはEX程度。中には書込みがあるものが含まれます。
 http://www.tracks-japan.com/catalogue/list173/173_items2.html#monthly

 

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 アンディ・ウォーホルオーナーのフィッシングア(小名(瑠奈)ホール(=^○^=)
 アンディ・ウォーホルオーナーのフィッシングア尾奈ホール(=^○^=)
 フィッシングアホール(=^○^=)
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①┃ アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)  ┃
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 1928(昭和三)年8月 6日(月) 生誕
 1987(昭和62)年2月22日(日) 逝去
 1968(昭和43)年6月 3日(月) 40歳のウォーホルは「全男性抹殺団(S.C.U.M./Society for Cutting Up Men)」のメンバーだったバレリー・ソラナスという女性に拳銃で狙撃される。ソラナスはファクトリーの常連でありウォーホルに自作の映画脚本を渡したりウォーホルの映画に出演したことがあった。三発発射された弾丸のうち最初の二発は外れ、三発目が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通した。彼は重体となるが一命をとりとめる。この事件は『アンディ・ウォーホルを撃った女/I Shot Andy Warhol』として1995(平成七)年に映画化
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②┃ 『アンディ・ウォーホルを撃った女(I SHOT ANDY WARHOL)』 ┃
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 1996(平成八)年 5月 1日(水) アメリカ 公開
 1996(平成八)年12月14日(土) 日  本 公開
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 ①http://en.wikipedia.org/wiki/Andy_Warhol
  http://www.stevesbeatles.com/songs/fixing_a_hole.asp
  http://www007.upp.so-net.ne.jp/mizutami/lyrics.html#fixingahole
 ②http://en.wikipedia.org/wiki/I_Shot_Andy_Warhol
  http://ja.wikipedia.org/wiki/I_SHOT_ANDY_WARHOL
 http://www.stevesbeatles.com/songs/fixing_a_hole.asp (=^○^=)
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 ┃ Single by THE WHO ┃
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 A面♪I CAN SEE FOR MILES(恋のマジック・アイ)♪
 B面♪SOMEONE'S COMING♪ (UK)
 B面♪MARY ANNE WITH THE SHAKY HAND♪ (Electric Version) (US) 
 1967(昭和42)年10月14日 Released
‡1967(昭和42)年 5月?日 Recorded CBS Studios, London
 1967(昭和42)年 8月 6日 Vocals recorded at Talentmasters, New York
 1967(昭和42)年 8月 7日 Vocals recorded at Talentmasters, New York
 1967(昭和42)年 9月10日 Final mix at Gold Star Studios, Los Angeles
元々♪Helter Skelter♪はザ・フーのギタリスト、ピート・タウンシェンドが「今度のオレ達の新曲♪I Can see for Miles(恋のマジック・アイ)♪は今までより最もハードで、汚くて、妥協のないサウンドだ」と発言している記事を、ポールが読んだ事がきっかけとなって作られた。
 「それならオレもそんな汚くてハードな曲を書いてみよう」とこの曲を書いたのである。しかし、ポールはそのザ・フーの曲を聴いたことがなく、未だに知らないそうであるヨ(=^◇^=)
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 http://en.wikipedia.org/wiki/I_Can_See_For_Miles
 http://beatlesdata.info/11/06_helterskelter.html
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