┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃『Chinatown チャイナタウン』 ┃
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1974(昭和49)年06月20日(木) US released
1975(昭和50)年04月12日(土) JP released
‡1981(昭和56)年12月31日(木)『木曜洋画劇場』TV東京 2時間半拡大枠
1978(昭和53)年03月21日(火) B面♪チャイナタウン♪05th、YAZAWA
1998(平成十)年07月29日(水) A面♪チャイナタウン♪42nd、YAZAWA
2007(平成19)年01月17日(wed) 中森明菜♪チャイナタウン♪
amazon・・・1937(昭和12)年のロス。ミス・モウレーという女の依頼を受けた私立探偵のジェイク・ギテスは、ダム建設にまつわる事件に巻き込まれる。背後には“運命の女”がいた…。ポランスキーの演出、俳優陣の見事なアンサンブル、そして時代の退廃感を切り取った映像美とすべてが超一流のハードボイルドの傑作!!これを超えるサスペンスはまだハリウッドに現れていない。
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https://www.amazon.co.jp/dp/B00FYMMPSO
https://www.uta-net.com/song/3055/
https://www.uta-net.com/song/50952/
https://en.wikipedia.org/wiki/Chinatown_(1974_film)
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エンド・オブ・デイズ (字幕版)
†1999年12月31日<ミレニアム>最後の日、地獄の扉が開かれ闇の支配者・悪魔<サタン>が復活する・・・。悪魔は次の千年を支配するため人類滅亡の瞬間を待ち受けていた。しかし、その運命を変える可能性を秘めた一人の女が立ち上がった。世紀末のニューヨークを舞台に、全人類の未来を賭けた最終戦争が始まった。(c)1999 BEACON COMMUNICATIONS,LLC.All Rights Reserved.
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┃ 『ロッキー (ROCKY)』 ┃シリーズ一作目
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛①①⑨ minutes
1975(昭和50)年11月25日(火) ロッキーvsスパイダー 場末のリングから映画 START
1975(昭和50)年12月24日(水) エイドリアン、ポーリーと大喧嘩しロッキー宅に家出決意
1975(昭和50)年12月25日(木) エイドリアン、ロッキー宅に家出
‡1975(昭和50)年12月31日(水) ロッキー試合会場に行く。帰宅してエイドリアンに15ラウンドの理論を語る
1976(昭和51)年 1月 1日(木) ロッキーvsアポロ HAPPY or BAD ENDING 映画THE END.
1976(昭和51)年11月21日(日) New York City premiere
1976(昭和51)年12月 3日(金) アメリカ 公開
1977(昭和52)年 4月16日(土) 日 本 公開
1983(昭和58)年10月 3日(月) TBS『月曜ロードショー』21:02-23:24
amazon ⇒ 世界中を興奮と感動で包んだ、記念すべき第1作!
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http://ameblo.jp/ayayanapple5010/entry-11467880213.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Rocky
https://www.uta-net.com/song/8461
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┃ 『最後のブルース・リー ドラゴンへの道(猛龍過江)THE WAY OF THE DRAGON』 ┃
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┌─――――――――――――┐Mr.BRUCE LEE 主演映画作品第3弾!!!
|1971(昭和46)年12月29日(水)|タン・ロン(唐龍)、ローマへ到着
|1971(昭和46)年12月30日(木)|タン・ロン(唐龍)、ギャング団第一弾を叩きのめす
|1971(昭和46)年12月31日(金)|タン・ロン(唐龍)、ローマ観光後、ギャング団第二弾+BIGリボスを叩きのめす
|1972(昭和47)年 1月 1日(土)|タン・ロン(唐龍)、ローマで新年を迎える
|1972(昭和47)年 1月 2日(日)|タン・ロン(唐龍)、フレッドと長谷平を倒しコロッセオでゴードンを倒す
|1972(昭和47)年 1月 3日(月)|タン・ロン(唐龍)、葬式後にローマを離れる
└─――――――――――――┘制作配給・・・嘉禾電影(ゴールデン・ハーベスト)
映像◆キイハンター95話「俺は世界の賞金稼ぎ」http://video.fc2.com/content/20130123w9cwkcMN
千葉が宿敵の死顔にハンカチをかけるところはドラゴンへの道であり洞窟での死闘はマサに燃えよドラゴンの源流ともいえるキー作品
映像◆月曜ロードショー1984.02.27解説・CM http://youtu.be/t1j6jHYIeys
主題歌はマイク・レメディオス版です。次回予告で出てくる国産某映画は未だソフト化されていませんので、今となっては貴重だと思います。おまけとして、テープの端に残っていた水曜ロードショーのエンディング部分(次回予告:「スティング」)を付けています。
日本語版映像◆http://youtu.be/dgj0czuJ4bw
映像◆http://youtu.be/fqvj0nfydEk
コロッセウム映像◆日清 カップヌードル CM SURVIVE 「初めての合コン」篇 http://youtu.be/Y1s64F_AMzY
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93
映像◆http://video.fc2.com/content/20131215MzYswwuq 日本語字幕
映像◆http://video.fc2.com/content/20110930QbaQzDNh 英語吹き替えバージョン
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ポスターサイズ!日本版劇場ロビーカード(未カット)『ドラゴンへの道』http://www.amazon.co.jp/dp/B00CQHPR8A
The Way Of The Dragon : Back Alley Restaurant Fight http://youtu.be/QcyKLHuKTtc
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┃ 『最強!ブルース・リー~闘神の達した武の極意~』 ┃
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┌─――――――――――――┐監修者・中村頼永 発行人・山田英司
|2002(平成14)年12月31日(火)|初版第一刷発行 フル・コム
└─――――――――――――┘発売・流星社
表帯言葉・・・没後30周年記念出版 ブルース・リーは生きている!甦る強さと雄姿。貴重写真・未公開写真100数十点掲載
裏帯言葉・・・截 構 蹴 拳 極 兵器 攻 魂 道
************************** http://www.bruceleejkd.com/
http://www.amazon.co.jp/dp/4947770236
http://www.takeboh.com/lee/lee.html http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Lee
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┃ 『李小龍 マイブラザー“BRUCE LEE, MY BROTHER”』 ┃
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┌─――――――――――――┐
|2010(平成22)年11月24日(水)|シンガポール&マレーシア
|2010(平成22)年11月25日(木)|香港 公開
|2010(平成22)年12月31日(金)|台湾 公開
|2011(平成23)年 7月21日(木)|韓国 公開
|2013(平成25)年 7月13日(土)|日本・東京・新宿武蔵館
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************************************ http://movie.walkerplus.com/mv52869/
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B0%8F%E9%BE%8D_(%E9%9B%BB%E5%BD%B1)
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映像◆ブルース・リー祭り2013 予告http://youtu.be/IOq84UoP3LY
めざましどようびで「アイアム ブルース・リー」が紹介
2013年07月10日(水)
Categoryブルース・リー / 格闘技去る6/22の土曜日の朝のめざましどようびで、映画「アイアムブルース・りー」の紹介がありました。先日ジャッキーとのCM共演で感動しまくっていた、しょこたん、こと中川翔子さんですが、今回はブルース・リーファンを代表して登場しています。いちおう映画についてのナレーションがあった後でしょこたん登場です。「なんて幸せ時間!たまりませんね。3時間くらい語り倒していいですか?・・・・どんな言葉をもっても表しきれない究極の格好良さ。格好いいを擬人化した、それがブルース・リーであり、でも、屈託のない笑顔は年相応の若い男性ですし、かわいさもあって、格好よさもあって、そして、哲学的・・・あっすいません、息つぎ忘れてました」。宝物という死亡遊戯のトラックスーツに着替えて再登場のしょこたん。「なんか似合うんですよね」と照れる彼女だが、これが本当に似合っていて、ブルースを彷彿とさせるスタイル。ってことは、ブルース・リーは相当細かったんだなと実感した次第です。
続けて「この人がいたから、今の地球があると。土下座して頼みたいくらいです、ブルースを知らない人に対しては」。そして、最後は「とにかく観てください。観て何も思わないなら私はもう口を聞きません!」で終了しました。男の仲間内ではだいたいブルース・リー好きが多かったものですが、中にはなにも感じない・思わない人がいたのも事実で、、、そういう人とはあまり気が合いませんでしたねぇ。なお、映像もありましたが、初見だったのはカラーのワンインチパンチらしき映像。ただSIX INCH PUNCH(シックスインチ・パンチ)のテロップが入っていて、確かにワンインチではない距離からの右直拳でありました。腰が入ってのパンチなので、胸に電話帳らしきものを当てクッションがわりにして受けた人は2メートルほど後ろにある椅子までふっとんで座り、その勢いで椅子ごと1メートルくらいそのまま後方へ滑っていました。1インチだろうが6インチだろうがどっちでもいいです。とにかく、スゴイ威力だってことはわかりますから・・・。力でぶっ飛ばした感じでした。
DVD早く発売されないかなぁ。http://shokuganhobby.blog32.fc2.com/blog-entry-230.html
Words of the Dragon: Interviews, 1958-1973 (Bruce Lee Library) [ペーパーバック]
John Little (編集)
¥3,073 176ページ
出版社 Tuttle Publishing; Original版 (2030/12/31)
発売日 2030/12/31
http://www.amazon.co.jp/dp/0804831335
倉田保昭 「ブルース・リーにヌンチャクを教えたのは俺だよ」
2013(平成25)年7月14日(日) By moccos
1973(昭和48)年7月20日(金)に死去したブルース・リーの、没後40年記念<ブルース・リー祭り>
ドラマ編となる映画『李小龍 マイブラザー』。この作品が7月13日に公開初日を迎え、新宿武蔵野館で行われたトークショーに、和製ドラゴンと呼ばれるアクション俳優の倉田保昭がゲストとして登場した。
本作は、ブルースの実弟ロバート・リーが製作総指揮をつとめ、ブルースが渡米する前の青春時代を描いた作品。家族しか知らないエピソード満載で、「ブルース・リーを題材にした映画はこれまでたくさん作られてきたが、彼の人間的な部分が描かれた本当の物語を残したかった」という思いから誕生した。
一方、倉田は1971年、香港ショウ・ブラザーズ社『悪客』で香港映画デビュー、一躍香港映画界でブルース・リーと並ぶスーパースターとなり、これまでの香港映画出演作品は100本を越える香港映画通。ブルースにまつわるエピソードを語れる唯一の日本人と言っても過言ではない。そんな倉田が明かしたのが『ドラゴンへの道』のラスト。チャック・ノリスとの決闘シーンの撮影を見学したことを振り返り、「私がショウ・ブラザーズでやっている立ち回りと違いましたね。“受け”が全くない。
相手が入ってきたら蹴り、入ってきたら突き。全く隙がなかった。あの頃が一番いい状態でしたね。あれが、ブルース・リーの真のキャラクターです」とコメント。また、この日は特別にブルースと握手を交わしている写真を披露。この写真は1972年に『ドラゴンへの道』の撮影に向かう際に、当時の景徳空港で撮影したものだそうで、「本当に、細いし大きくないんです。あの体でどんな相手にも立ち向かっていたんですよ」と倉田は当時を振り返った。
さらに「ここだけの話……」と切り出すと、ブルースと『燃えよドラゴン』について話した際に「彼は、緊張しすぎて撮影に行きたくないと言っていました。それと同時に、『燃えよドラゴン』が最後にアメリカに復讐するチャンスだからと言っていたので、さらに気合が入って緊張していたのでしょう」と話した。
最後に、日本のファンへのメッセージとして、「香港では、今でも銅像が作られるほど、ブルース・リーの人気は全く消えてないです。
日本はジャッキー・チェンの方が人気ありますが、ブルース・リーが原点なんです。日本も、彼のことを忘れないでほしい。 それが私からの願いです」と締めくくっていた。
『李小龍 マイブラザー』は新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開中。
http://2ch.ki9.biz/archives/14649.html
実弟が明かすブルース・リーの素顔「兄はゴキブリをとても怖がった」
東スポWeb2013(平成25)年 6月6日(木)16時42分配信
ブルース・リーの意外な一面を明かした実弟ロバート氏
今年没後40年を迎えた香港アクションスター、ブルース・リー(享年32)の実弟ロバート・リー氏(64)がこのほど来日し、本紙の単独インタビューに応じた。いまだ謎に包まれ様々なことがささやかれるブルース・リーの死因、また生存説などについて身内が激白。さらに「ゴキブリ嫌い」という意外すぎる兄の“素顔”まで明かした。ロバート氏は、ブルース・リーの青年時代を描いた映画「李小龍 ブルース・リー マイブラザー」(●7月13日公開)の製作総指揮を務めた。伝説のアクションスターで今でもファンが多いブルース・リーだが、あまりにも突然すぎる死に関しては謎の部分も多い。検視したところ、脳浮腫が死因とされたが、その後、香港で開かれた死因究明裁判では「死因不明」という判決が下された。その結果、様々な臆測が流れる事態に。鎮痛剤の副作用で急死したというものから、麻薬死疑惑、はたまた他殺説までささやかれる始末だ。亡くなる2か月前、ブルース・リーは香港のスタジオで倒れたため、渡米して精密検査を行った。その時、ロバート氏は米国で兄と会っている。
「ブルースは(死去する2か月前の1973年)5月に米国の病院で診察を受け、『18歳のような体』と医者に言われました。だから死んだことが全く信じられないのです。他の皆さんと同じように臆測しかできないのですが、ただ当然、我々の家族はブルースの死因が何だったのかを知りたいと思っています」健康だったとなればがぜん、他殺説が現実味を帯びてくるが、ロバート氏はこうコメントするにとどめた。「どのようなセオリーも可能だと思うんですけど、ここでいろんな形で臆測するのはフェアではないのかなと考えています。死の直前は忙しかったので、何かトラブルに巻き込まれたということはなかったと思います」謎があまりにも多いため、ついには「ブルースはひっそりと生きている!」という説まで流れたが、ロバート氏は「その説は聞いたことがあります。ブルースのことを愛していましたから、現実だったらなと思っています。ただ残念ながら本当ではありません」と寂しそうな表情を浮かべた。劇中の姿からは想像もできないが、ブルース・リーの意外すぎるエピソードもロバート氏は明かした。「63年でしたか。香港に戻ってきて、我々の家で寝ている時、真夜中にテーブルをバンバン叩く音がしました。みんな何事かと思って目を覚ましキッチンに行ったら、テーブルの上にブルースが立って、叫んでいたのです。飛んでいるゴキブリを怖がって、ギャ~ギャ~叫んでいました。映画ではヒーローなのにゴキブリが怖いなんて信じられない。その時に初めて、彼がゴキブリが苦手と知りました」聞けば「心が温かく、フレンドリーな人だった。ジョークを言ったりしてみんなを楽しませてくれる人だった」というブルース・リー。今でもファンの心の中に生き続けていることだろう。
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/149128/
しょこたん ブルース・リーのアレをクンカクンカ
2013年05月31日(金) 15時55分 東スポWeb 東京スポーツ新聞社
映画「李小龍 ブルース・リー マイブラザー」(●7月13日公開)の完成披露イベントが30日、都内で行われ、大のブルース・リー・ファンとして知られている中川翔子(28)が登場した。同作は、今年没後40年を迎えたブルース・リーの青春時代を描いている。製作総指揮を務めたブルース・リーの弟、ロバート・リー氏(64)は「アクションヒーローではなく、一人の人間の姿を描きました。家族としてはどうしても真実の姿を伝えたいと考えていました」と語った。ブルース・リーの実弟を前に、興奮を隠せないのが中川だ。「ブルース・リーは男の中の男、ドラゴンであって、神様であって、レジェンド。(映画で)人間ブルース・リーを知ることができたので、ますますメロメロでこざいます」と一気にまくし立てた。さらにロバート氏が、ブルース・リーが愛用していた靴を持ってくると、中川はマニアならではの(?)驚きの行動に出た。ロバート氏に頼み込み、なんと靴の匂いをかいだのだ。「革と、男のダンディでセクシーな匂いがしました」と恍惚の表情を浮かべていた
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/148618/
ブルース・リー カフェの思い出
1998(平成十)年12月28日(月)から31日(木)にかけて、私は大変思いで深い旅行を体験しました。女ばかり5人のキャピキャピ旅。2003年現在、その内の2名が既婚者となりましたが、まだその時点では全員独身でした。気のおけない仲間というだけでなく、英語がペラペラな才女や、学生時代から海外旅行に親しんでいるメンバーが多かったため、私の立場もとても楽なものとなりました。そして何と言っても、この旅行の初日は私の30回目の誕生日!こんな人生の節目を素晴らしい仲間に囲まれ、愛する香港で迎えられたなんて、私は何という幸せ者でしょう!
メンバー其々がなかなかの行動派であったため、3日めともなると趣味の合うメンバー同志が2~3組に分かれ、各自好きな所へと出向いてゆきました。
12月30日(水)。香港アイドルの追っかけに出発した1名を除いた4人は、午前中香港仔(アバディーン)へ出かけ、小船のサンパンに乗って 燃えよドラゴンごっこ を楽しみました。映画を観ていないメンバーも周りの雰囲気と、初めて見る水上生活者たちに興味津々。私自身も、船の舳先でリー先生と同じポーズをとったりして大はしゃぎ。
午後は一旦中環(セントラル)に戻り、各自行きたい所へ向かうべく2手に分かれました。私のグループは3人。前から行きたい行きたいと思っていた ブルース・リー・カフェ に向かいます。
ブルース・リー・カフェは、世界一長いエスカレーター、ヒルサイド・エスカレーターを、上って上って 『もう、いい加減にしてくれ!』 と思った辺りにある摩羅廟街(モスク・ストリート)に建っています。
ワクワクドキドキしながら坂を上って行くと、Bruce Lee Cafe と書かれた看板が見えてきました。「ウキョ~ッ!ここだここだ!」 とひとり大興奮の私を他の2人がニコやかに撮影。でもここはお店の裏門であることに、はたと気がつきました。さらに坂を上り表の看板を目にした時の感動といったら、そりゃあもう大変なものでした。黒い看板に、先ほど見た文字よりずっと大きい Bruce Lee Cafe と書かれたその建物は、私の瞳に恋の手錠をかけました。
ブルースリー・カフェ前にて
中を覗くと、満席という訳ではありませんでしたが、すでに何組かのお客さんで賑わっています。我々3人も、写真撮影を済ませて早速中へ。おずおずと入って行くと、お店の男性が我々を入り口近くの席へ案内してくれました。テーブルの上には、ファンにはたまらない程イケてるランチョン・シート!
ランチョン・シート(左端は百円ライター) それは、「ドラゴン怒りの鉄拳」 の1シーンがアップになっているものの周りに、他の主演作の写真が映画のフィルムのような形で描かれた傑作。「うわ~!絶対汚せねぇ~」と、緊張しながら食事したのは言うまでもありません。
メニューは、カフェというだけあって全てが西洋風で、ハンバーガーなどが中心でした。ボリュームもアメリカン・サイズで、日本人女性がひとりで全部平らげるのはなかなか困難。日頃大食の私でも結構ギリギリの量でした。飲み物がまた洒落ていて、カクテルには其々 「Enter The Dragon」 とか、「Fist Of Fury」 など、リー先生主演作の名前がつけられていて、お酒の飲めない私をちょっぴり嫉妬させました。
お店の1階部分が食事スペースとなっていて、リー先生のプライベート写真や映画のポスターなどがズラリ。地下に下りる階段の目の前には 「死亡遊戯」 でリー先生が実際に着ていたと思われるトラックスーツがドドン!階段の手摺り横にも写真がびっしり。
地下に下りると、そこはブルース・リー・ミュージアム兼バーになっており、「もう、どうにでもしてっ!」 と、服を脱ぎだしたくなるほど素晴らしい空間。『あ~~~、死ぬ程幸せってこういうことなのね~』 と、目を潤ませお茶をすすっていると、突然我々のテーブルに白い人影が。
「お味はいかがですか?」 と英語で話し掛けてきたその紳士と目が合った途端、私ゃ腰を抜かしちまいました!だってそれは、「ドラゴンへの道」 でリー先生に往復ビンタを食らわしていた ジョン・ベン氏 だったんですもの。
そう! このブルース・リー・カフェ、このジョン・ベン氏がオーナーとなって開いたお店なんです。私は彼の正体を知っていたのでガチガチでしたが、他の2人にとっては単なるお店の人。大学の英文科を卒業した友人が、「とても素晴らしく大満足です」 と答えると、「それはよかった」 とジョン氏もニコニコ。ここで私が2人に、「この人はここのオーナーで、リー先生の共演者なの」 と告げると、初めて驚きの反応を見せました。
するとジョン氏が、「3人のお名前を教えて下さい。ポスターに私のサインを入れて差し上げましょう」 と、信じられないお言葉を掛けてくれました!ドキドキしながら 「マイ・ネーム・イズ megumi。M.E.G.U.M.I.」 と伝えると、ジョン氏はそれを一生懸命復唱しながらポスターにサインしてくれました。
そのポスター ← そのポスター(新聞紙大)と↓手のひら部分、サインのアップ アップ
他の2人も、この思いがけないプレゼントに心からの笑顔。「サンキュー・ベリー・マッチ」 を何度も繰り返しジョン氏と握手。ジョン氏が地下のミュージアムに戻ってからも、その興奮はしばらく収まりませんでした。
お茶もすっかり飲み終え、最後に地下のミュージアムをもう一度覗いていこうと席を立った時、他の2人共がランチョン・シートを汚さないでいてくれた事に気が付きました。「はい、これで3枚手に入りましたね」 と手渡してくれた彼女達。『女の友情も深いぜ』 としみじみ感じた瞬間でした。
地下に下りてみると、ジョン氏がスタッフ数人と飾り付けなどの打ち合わせをしているところでした。するとジョン氏、私を見つけ、そのスタッフ達に向かって「彼女は今日の僕のガールフレンドさ」と叫ぶと、また私達の方に歩いて来てくれました。そして近くにあった 「ドラゴンへの道」 のポスターを指差し、「僕はこれに出ているんだよ」 と言いました。私がつたない英語で、「もちろん知っていますとも。私はブルースの大ファンですからね、あなたがやったことも知ってます。」 と言ってパンパンと往復ビンタをする真似をすると、彼は 「そうそう」 と嬉しそうに笑いました。
ジョン・ベン氏と田野恵
その後、2000年10月と2001年3月にもブルース・リー・カフェを訪れたのですが、看板の色が黒から赤に変わっていただけでなく、お客さんも明らかに減っていて、あの頃の活気は全くありませんでした。もちろんジョン氏の姿もなく、従業員は何故かインド人になっていました。
そしてとうとう2001年5月、ブルース・リー・カフェはその姿を消しました。こんなに素敵な思い出がつまった場所がなくなってしまったのは本当に残念ですが、きっと又いつか香港のどこかでブルース・リー・カフェが復活してくれると私は信じています。そして又ジョン氏にこう言ってもらうのです。「彼女は今日の僕のガールフレンドさ」と。
その後のブルース・リー カフェ
こちらが2003年4月のブルース・リー・カフェあと。違うレストランの看板に変わっています。
http://www.h4.dion.ne.jp/~b3k/9ron/otakara/frame.htm
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『DR.JEKYLL and MR.HYDE “ジキル博士とハイド氏”』 ┃
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|1931(昭和六)年12月31日(木)|アメリカのホラー映画作品であるヨ(=^◇^=)
└─――――――――――――┘備考・・・オープニングかつ第1回ヴェネツィア国際映画祭史上初の上映作品は『ジキル博士とハイド氏』である
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http://en.wikipedia.org/wiki/Dr._Jekyll_and_Mr._Hyde_(1931_film)
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=1799 1988
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE PARADINE CASE パラダイン夫人の恋』 ┃
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アルフレッド・ヒッチコック監督アメリカ時代作品
1946(昭和21)年05月06日(月) パラダイン大佐殺害事件発生
1947(昭和22)年12月29日(月) US released ※Wikipedia English version
‡1947(昭和22)年12月31日(水) US released ※Wikipedia Japanese version
1953(昭和28)年02月19日(木) JP released
1969(昭和44)年07月12日(土) 14:10-16:05『劇映画』NHK『パラディン夫人の恋』で放送
吹amazon・・・美貌のパラダイン夫人が盲目の夫を殺害したとされる事件で、弁護を担当する腕利きの弁護士・キーンは、彼女のミステリアスな魅力の虜となり、無罪を立証しようとする。しかし、彼は意外な事実を知ることになる。殺人事件の真相を探る弁護士の活躍を描いた法廷サスペンス
字amazon・・・美貌のパラダイン夫人は盲目の夫を毒殺した嫌疑で起訴された。この事件を担当することになった弁護士キーンは彼女の美しさに心奪われる。彼は無罪を勝ち取ろうと躍起になるが、夫人には何か裏の秘密が...
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吹https://www.amazon.co.jp/dp/B08CL34WPX
字https://www.amazon.co.jp/dp/B07PPQ8SBR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B
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